エレキブームとグループサウンズ【邦楽通史#12】
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ちょっと違ったかもだけど、寺内タケシが子供の頃、エレキに熱中しすぎて、テストで0点ばっかり出してたから、父親がキレてエレキを取上げ、点数が上がるまで返さないと言ったら、その次のテストでそれまで勉強が出来なかった寺内タケシがテストで満点出して帰ってきたらしい。それを見た父親が、そんなにできるんだったら普段から勉強しなさいと言うと、「やればできるからやらない」って返したらしい
PYGは大学生の頃(15年くらい前)に、ロックを掘り返している中でよく聴きました。
スタジオ版での「花・太陽・雨」はもちろん、ライブ盤が面白くて。
音は良くないですが、オリジナル曲の他に、ショーケンと沢田研二がストーンズやパープルの曲を奔放に歌う、という。
とにかく「PYGでは、やりたいことをやるんだ!! 」というのが溢れていて、当時は批判もあったにせよ、素晴らしい熱量が納められたライブ作品です。
加山雄三さんの音楽性はその当時、リアルタイムで聞いていたものとして相当大きな衝撃を受けました。「蒼い星くず」、「夜空の星」はまさにハードロックでした。ぜひ彼も取り上げて欲しかった。また寺内タケシさんがその曲のバックで演奏しています。
作曲もしてます。
寺内さん高校時代に来てくれて演奏聞けたのが本当に貴重だったなぁ
一生忘れない人生初ライブ
僕も高校時代に来てくれて、衝撃だったな〜…
もう20年前の話だけど
ハイスクールコンサートじゃないけど
1987年に一度だけ見たことがあります
一生の想い出になってます
私の高校にも来てくれました。先生も盛り上がってだな〜
寺内タケシ、初期のベンチャーズ×三味線インスパイアなサウンドはもちろんですが、ヘヴィな曲も凄いんですよ!
藤圭子の「命預けます」のインスト・カヴァーである「Inochi Azukemasu」を聴いてください皆さん。
高いテンションで鋭く切り込んでくるギター(左)、抑制したリズム・ギター(右)、そしてトレブルを絞った情念的なリード(中央)、
そのバックで唸るベース、ドラムス、オルガン。カッコいいんです。ぜひ聴いてみてください。
一つ補足させて下さい。
恐らく海外で発売された寺内タケシのコンピレーションアルバム『Nippon Guitars』に収録された曲の方を紹介されているかと思いますが、元は『歌のないエレキ歌謡曲』に収録された日本語タイトルそのままの「命預けます」です。
上記タイトルを入れればTH-cam上でも聴けるので、気になった方は是非お聴きください。
山田五郎氏も「ジュリーは常にアグレッシブ」(@ホイチョイ的映画生活)とおっしゃっています。後期高齢者になってもロックな姿勢のジュリー♬
寺内タケシさんは偉大なギタリストだとは思うけども、同時期にスターでありシンガソングライターの草分け的存在の加山雄三さんがいたというのがエレキギターブームと歌謡曲の歴史では重要だとは思うのだけどもその点をもう少し触れてほしかった。
加山雄三さんが自作曲で英語歌詞、日本語歌詞、インストとやっていたことと
若大将シリーズでの影響は大きかったのかなと思っているので
個人的には加山雄三さんを日本のロックとJ-PO Pの起点と思っています
GSブームが終息していったのはフォークソングのブームの台頭も大きいでしょう。URC、エレックの設立がともに1969年です。当時学生運動が最も盛んな時期でそれと密接にリンクしたフォークはカウンターカルチャーとなり、さらにアングラであることが学生たちに「本物」と見なされ(GSなんかニセモノだと見なされ)“(当時やたら数が増えた)意識が高い学生たち”に熱烈な支持を受けた。学生たちはフォークこそ自分たちの歌だと思ったことでしょう。当時のアングラをまとったフォークシンガーたちはシンガーソングライターだったことも大きかった。もちろんこれは音楽的内容の優劣とは全く別の話です。(PYGの戻れない道、花太陽雨は名曲ですね)
ボブディランを始めとしてジョーンバエズやPP&MからのキャロルキングやジョニミッチェルらSSWへの自然な流れも結局裏でロックと通じていましたからね
ベンチャーズは歌わないのにリードギターが旋律を拾って良く歌う(&テケテケ)という、寧ろ日本人受けするサウンドだったと思います。近所の夏祭りでは今でも爺さんバンドがパイプラインとか演奏していますよ
他に日本人好みの観点で語るべきはカノン進行の流れかな?
@@user-ml5px7br2jたしかにフォークは最初はアメリカンフォークのコピーでしたが、自作曲が多くなってから爆発しましたよね。
ビクターがGSブームが気に入らなくて箸にも棒にもかからないGSをどんどん出して潰したって橋本淳が言ってた
後回り回って演歌とくっつく人も
北島三郎事務所に一時期いた加橋かつみ
GSかどうかはやや疑問があるがジャックスは洋楽のコピーでもエレキ歌謡でもない自分らのやりたい事をはっぴいえんどよりも先にやっていたバンドだった。
URC時代の「かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう」が一番好きです。
寺内タケシって言うと「エレキの若大将」の「蕎麦屋のタカシ」かな〜。
出前の兄ちゃんがいきなりエレキ上手いっていう、、、名シーン。
タイガースは最後の頃グランド・ファンクの「Anybody's AnswerとHeartbreaker」演ってましたね。
是非、GS、PYGも含めて、70年代80年代センスの良い連中が憧れたショーケンの独自の音楽活動も掘り下げて下さい...
『にほんのうた』本屋さんを巡って今日ようやく買えました。これから読みます。
自分の知らない音楽が知りたいので戦前までの解説シリーズも楽しく見させていただいてますよ
明治以前の当時の音楽が生で聴けたらいいのに
『にほんのうた』でもここらへんの記述は熱い。読みどころ。
PYGの曲は批判に反して今聞いてもカッコイイものが多いし、
沢田研二さん自身が作品作りに携わった曲も「本物感」が凄いので
時代の理解が追いつかなかったとしか思えないんだよね。
1965年夏、江ノ島の海の家のスピーカーから流れてきた、テケテケ ノッテケノッテケ は子供心に痺れたもんです🎵
ベンチャーズとハワイアンとの違いは 激しいエレキとドラムだね。
なつかしいなぁ~。
俺様思うに今考えるとフォークは日本でそだつ土壌があったけど、ロックはgs以前のロカビリーはブームでの下地があっても黒人の3コードのブルースはなかったからな(淡谷のり子のブルース歌謡はあっても)歌を入れるとエレキバンドがブームでも歌謡曲になるのは当然だよな・・。クリエーションもそうだけど関西とかで○○ブルースバンドとか活躍してたけどjazz以上の日本人のなんちゃって音楽だから。そのてんYMOはクラフトワークが居たとしても文化になったし、
現在のシティポップ以降のjポップは洗練されてきた。
私の父が1955年生まれで、世代的にもビートルズを聴いているかと思いきや、「お父さんは若い頃はベンチャーズを聴いていた。ビートルズは聴いていない」と返事をしていた謎がこの動画を見て分かりました。日本のロックの原点は、寺内タケシ何ですね✨
結構昔の曲も聴くのですが、新しい発見もあり、改めて邦楽の面白さに気づき良かったです!
GSテイストを積極的に取り入れた「ファントムギフト」というバンドが好きでした。ナポレオン山岸が古いタイプのヤマハSGで弾きまくる音がすごくて、GSが本格的なロックに進化したパラレルワールド、みたいなバンドでした。
そうなんですよね。日本にはエレキブームって言う時代があったんです。その後GSブームがあったけど、主に女の子のアイドルとしてのニーズであって、男は洋楽を聞いてた。GSが収まると学生運動など時代的な流れもあって、硬派なフォークがナウなヤング(!)に支持された。フォークも初めは浜口庫之助などの職業作家が主体でしたが、シンガーソングライターに変わっていった。その後にはっぴいえんどですかね。
はっぴいえんどは、当時、全然、認知されてなかった。そのメンバーが、後に凄い面々ってわかったとたん、後出しジャンケンの如く、評価しだした俄かばかり。
あまり語られないけど、日本の音楽を変えたロックな1曲をあげるなら、僕はチューリップ の「魔法の黄色い靴」だと思う。わかる人には、わかると思う。
クレージーキャッツ植木等は初期のエレキギタリストですね 村田英雄の太陽に祈ろうもGSでした
コンディション・グリーンは最高でした!! オジーのライブパフォーマンスにも多大な影響を与えたと思います❤
コンディション・グリーン…。音も含め…ムラサキよりも大好きでした!!
かまやつひろし氏は、64年に来日したLiverpool Fiveの影響が大きかったと。私はスパイダースのファーストのフリフリが日本語ロックの最初だと思います。
世代的に沢田研二はソロ活動以降の姿しか知らないのだけど、他の歌手と明らかに異質なパフォーマンスだと子供ながらに感じてた。今回の解説を聞いて、彼が経験した挫折にその理由があったのか…と納得。
これだけ長く日本のロックの傍らでもどかしくシーンを見ていた人も居ないと思うので、ぜひ本人が存命なうちにみの氏の視点で沢田研二と対談してロックへの想いを聞いて欲しい。
音楽雑誌のインタビューも長く受けてない沢田研二本人がTH-camで対談するとか地球の自転が逆になってもありえないと思うけどなw
@@user-ct5vk4is9c ふーん、で?
アンタがどういう立ち位置でコメントしたのか知らんが、沢田研二の事を知ってるって自慢したいのならインタビュー受けてない理由も知ってるのだろうから是非教えてくれよ。
@@shinkichi813
私は娘世代で、歴半世紀が珍しくないジュリーファンとしては末席を汚す十年に満たない新参。知ってることなんかたかが知れてるけど。
ただまぁ、真似して帽子投げる小学生だった私よりさらにずっと若いみのさんが芸能生活57年の再来月76歳になる沢田研二と、対談?インタビューじゃないかな。四半世紀前の番組でつんくさんと喋ってる動画見たことあるけど、やっぱギリ、TV出てた沢田研二をリアタイで知ってる世代でしょ。10年前に吉田拓郎さん対談したことなら有る。動画にあるよ。拓郎さんとジュリーはメル友なんだそうだ。
そもそも沢田研二は有名なマスコミ嫌い。懐メロ歌手になりたくなくてTVから遠ざかって毎年新譜出してアルバムツアーしてきた人で、それでも40代50代の頃は婦人雑誌から音楽雑誌から色々インタビュー受けて夫婦の話やらライブの話やら色々してる、60歳の還暦記念に6時間80曲歌ったり65歳で悲願のザタイガースの復活ライブしたり派手に記事になって、ずっと続けてる芝居の宣伝で新聞の文化欄に載ったりインタビューも受けてるけ、どんどん縮小させて後半は音楽雑誌ロックジェットの写真付きライブレポくらいしかなくなって、17年は50周年だったから記事は派手だったけどインタビューはなく、18年の古希ツアーからは初日翌日のスポーツ紙の小さな記事すらなくなった。このままずっと一切ないのかと思ってたらツアー真ん中の埼玉から帰って、ワイドショーの取材受けて、二度と再び沢田研二をTVで見ることはないだろうと思ってたファンは帰っちゃったことと同じくらい驚いた。あれは迷惑&心配かけたファンのために公共の電波を利用したんだ。元気な姿を見せて安心させ「ファンに甘えさせて貰った」って言われてファンは舞い上がってた。捨て身のファンサービス。外野には関係ない話だから。
コロナで亡くなった志村の代役で松竹百年記念作品「キネマの神様」やった時も主演なのに会見とかは一切出なかった。あくまで代役に過ぎないから撮影だけって話だったけど次の「土を喰らう十二カ月」も出てきたのはキネマ旬報と毎日映画コンクールで主演男優賞に選ばれてのビデをメッセージ。さすがにキネマ旬報の取材は受けて表紙飾ってたけど。
その沢田研二が、じつは無口で人見知りな人が、ファンクラブサイトにも過去の経歴乗せなかった、前しか見てこなかった人が、ライブ以外で接点持とうとしない人が今さら、恩人でも友人でもないだろう兄ちゃんのためにTH-cam出てきて昔話するとは思えない、沢田研二に何のメリットがあるんだか解んない。ファンもそんなことは望んでない。
相手が何者か知らない人にインタビューも対談もできないんじゃないかな。
還暦記念に二大ドームで80曲6時間歌って表彰された超人ぶり、ザタイガース解散までのすったもんだと13年の復活ツアーに至る顛末、アノ埼玉が武道館全方位から武道館全方位3daysまで65公演の1つにすぎないこと、何を知ってるんだか疑問
去年の埼玉アリ19000枚完売させた75歳のバースデーライブは岸部一徳森本太郎瞳みのるが参加して、インディズ時代の洋楽からザタイガースからソロのヒット曲からTV出なくなってからの世間的知名度は低いけどライブではお馴染みの曲まで、沢田研二の芸能生活半世紀をダイジェストで見るような三時間で、ブルーレイになってる。仕事ぶりを自分の目で見る以上に、半世紀歌ってきた歌手に何を語れっていうんだ
過去のライブはDVDになってるのが30枚くらい有る。夜ヒットの他にTBSとNHKからDVD集が出てる。埼玉の後も秋と正月に4公演やって、今月5日のLINECUBEからツアー中だ。貴方のことはよく知らないライブ見たコトない行くつもりもない、過去の記事読んだことないけど語って下さい語りましょう、とか言われたら沢田研二じゃなくたって「他を当ってください」になるんじゃないですかね。本出したりインタビュー受けたり、語るのが好きな人もいるけど、沢田研二はそうじゃない。週刊文春で連載してた記事が本になったり、2匹目のドジョウで他社から70年代の沢田研二についての本が出たりしてるけど、悪い内容じゃないのに本人は「言論の自由だから阻止はできないらしい」ってぼやいてた。取材受けない上に、前もって「本出しても好いですか?」って確認とったら「やめてくれ」って言われるのあっちも解ってる。
そういう人だからありえないだろうなと思ったわけさ、話あっちこっち中途半端でダラダラ永くてすまんね。
沢田研二さんのGSアイラブユーが好きです。ムッシュや元春や銀次さん加瀬さんなどが名曲を提供しているから。
バニティファクトリーとか彼女はデリケート!
カッコイイよね!
GSの衰退の要因の一つとしてオックスの失神パフォーマンスが挙げられるのではないかと考えています。
オックスの失神パフォーマンスによって観客でも実際に失神して少々社会問題になって他のGSのバンドが会場を貸してくれなかったという話があるそうです。
実はフリーライターの勉強をしていた頃。
寺内タケシの本のゴーストライターをしていた人が先生でした。
茨城の保守系議員の息子で、バリバリの右翼だったそうです。
思い返すと、
「1976年にはソ連在住の白血病の8歳の少女に生演奏を聴かせるため、3千万円の赤字を覚悟でソ連ツアーを決行」
とWikipediaに書かれている出来事がそれに当たります。
私の記憶では
「ソ連に行ったときの武勇伝を自慢げに語るのを文にするのが難しかった」
としか覚えていないので、何の書籍かは分かりません。
『愛のエレキ ロシアを翔ぶ』けいせい出版、1978年
か
『海を越えて愛』講談社、1985年
辺りじゃないかと思います。
当時寺内タケシのロシアの女の子の件は新聞に載ってました。その子が「死ぬまでに一度寺内タケシのギターが聞きたい」って言ってて、そこまで寺内タケシって海外で知名度が高いのかと驚いた記憶があります。
グループサウンズブームのころ、子供心に「ブルーコメッツはおじさんのグループ、タイガースやテンプターズとは何か違う」みたいに思っていました。演奏や歌が上手いとかはわかるような気がしても共感のようなものを感じることが無かったという感じです。
エレキング好き
それ、宇宙怪獣や。
安全地帯アンプラグドライブ!でちょっとしたブレイクにベンチャーズ弾いてたの見て「はあー、そういう世代なのね」と変に関心した覚えがある。あとデビュー当時のSIONがラジオでしれっとショーケンの曲を流してたり、'80なモンにもそれなりに傷跡を残してるね、エレキブームとGS。
夜ヒットに沢田研二と安全地帯が出た時、司会の芳村マリさんが「玉置さんは子供の頃にザタイガースを見て“かっこいい!!僕も音楽やるぞ!!“”って思ったんですって。だから一緒に番組に出られてめちゃくちゃ緊張してるんですってよ」という話をしている。ちなみにザタイガースはもともとストーンズやビートルズのカバーバンド・ファニーズで、ジュリーがボーカルとして加入する前はベンチャーズなどのカバーするサリーとプレイボーイズだった。。サリーというのは今の岸部一徳のこと。
エレキブームありましたね。子供の時にモズライトのプラモデルを作ったのはいい思い出です。
沢田研二あってのザ・タイガースかもしれないけど、個人的には岸部一徳さんのベースに注目してしまうのです(笑)
あのレッド・ツェッペリンのジョン・ポール・ジョーンズが一徳さんについて、「あのベーシストは凄い!」とフリーやフェイセズのメンバーだったテツ山内さんに言った、という話が好きです。
メロンです、請求書です。
後藤次利さんの師匠。
中学の頃だったか高校の頃だったのか忘れたけど、確かに学校行事で寺内タケシとブルージーンズのライブ観たなぁ。なるほど、そういう背景があったのか。
初心者なのにエレキギターがやたら上手い蕎麦屋の出前持ちが描かれている、あの映画も印象に残っています。
そこら辺はエド山口さんがTH-camで詳しく語っていますね
作詞作曲となると加山雄三が最初期で次に吉田拓郎とか井上陽水とかユーミンが中心になってくるのかな
成毛滋とフライドエッグも取り上げて欲しいです。いまきくと凄いです。
この時代の作曲家としては加山雄三、井上忠雄(後に井上大輔に改名)が特に有名ですが、荒木一郎が大きく取り上げられないのが残念!
当時としては、私の知る限り当時のポップシーンで複数のヒット曲を持つ唯一のシンガーソングライター(作詞作曲家)で、しかも歌詞に自然な形で英語を取り入れている先進性もある!
あまりにも特異点すぎるからか、後のスキャンダルからか、未だに不当な評価を受けていると感じてしまいます。
宇崎竜童、谷村新司(「帰らざる日々」は荒木一郎の「君に捧げるほろ苦いブルース」を参考にしている)、寺尾聰(ドラマ「君に捧げる歌」の劇中で「君に捧げるほろ苦いブルース」をカバー)などの著名人にささやかに評価されていますが、それでももっと評価されるべき、と思ってしまいます。
すいません、ムッシュかまやつも、当時から「バンバンバン」など、スパイダース内で作詞作曲歌唱していましたね。
メガネかっこいい
高校の時、寺内タケシさん来てくれたな。あれはなかなか良い体験でありました
沢田研二のバックバンドはかっこよかったな。お前にチェックインとか。あれと横浜銀蝿に影響されてギターを始めた。
井上堯之バンド⇒オールウェイズ⇒エキゾチクス⇒ジャズマスター⇒鉄人バンド
18年からの柴山和さんボッチ期を経て、現在のバンドは「七福神」と呼ばれております。
@@user-ct5vk4is9c さん、連綿と続いてるんですね。私が見てたのはたぶんエキゾチクスの頃ですね。ストラトとマッチヘッドのプレべを弾いている姿が最高にかっこよく見えました。当時は中学生でしたが。
エド山口さんの話ではビートルズの来日前に偽物のビートルズ(?)みたいなモノが来日して、
日本のミュージシャンに大きな影響を与えたらしいですよ。
寺内さんのグループに居た加瀬邦彦さんがオリジナルの楽曲を作り出したのもその影響かららしいです。
スパイダースねえ・・・サブスクに全然ないんだよね、動画の「No.1」とか「明治百年、すぱいだーす七年」とか最高なのにね
GSのルーツであるロックの音源(洋楽のカバー)が残っていればいいのにとよく思います。業界との絡みで歌謡曲化するのは必然だったとは思うけど、内包するロック魂みたいなものに触れてみたい。少し後のガロとかレイジーとかもそうでした。
GS各バンド、ライブでの洋楽カバーのならyoutubeで聴けますよ。スパイダースはレコーディングもしていて井上順がBorn to be wild歌ってますね。もっとマニアな物、ご所望だったらごめんね。
GSからいいギタリストでていますよ。ダイナマイツ山口富士夫、ビバーズ石間秀樹
モップス星勝等 この辺を紹介してほしかった。
ゴールデン・カップスかっこいいんだよな。演奏もビジュアルも。
ルイズルイス加部正義⁉︎
この間亡くなられたマモル·マヌーさんは本物のハーフで、やっぱり外人が珍しかった当時は人気がダントツだったらしいです。
ワイルド・ワンズのファーストアルバムも全曲自分たちの作詞作曲ですよ。加瀬さんの12弦サウンドが光る。
私はベンチャーズも寺内タケシもGSも、もちろんビートルズも好きな60代世代です。
1965年、小学2年生の私的音楽体験は登校時に聴こえてきたベンチャーズ。
ほかのyoutubeでも書き込んだ内容で、のちのち小6になって曲名を知ったのですが、
小2の登校中、家並みから「ダイアモンドヘッド」や「クルーエルシー」が覚えてしま
うほど聴こえてきた記憶があります。
それほど物凄い流行で若い人を中心に魅力に魅せられた音楽だったのでしょう。
時代を巡らせてみると、当時としてはあれほど激しい音楽はなかったかと思います。
「エレキ、エレキて、お前は平賀源内か!!」というのが定番の叱られ方だった昭和40年代・・・・
うちの父(故人)はポール・マッカートニーと同い年ですが、ベンチャーズや寺内タケシのファンで
ビートルズはジャリの音楽とか言っておりました。一緒にダイヤモンド・ヘッドとか弾いて遊んでました。
寺内タケシ先生の奥様からお聞きしましたが、勧進帳はかんじんちょうではなくて『かんじちょう』と読むとおっしゃってました。
GSの名付け親も寺内タケシ先生なんですよ。
バンド名出していくだけの表層的な流れの紹介では無くて、過剰なガレージサウンドやコテコテの演歌的なボーカルを始めとする独特のGSサウンドになっていった音の流れをもっと掘って欲しい。
早弾きでは、寺内たけしさんよりシャープ・ファイブのギターリスト三根信宏さんの方が上手いと思う。 フィンガーズのギターリスト成毛茂も良かった、後にフライドエッグでハードロックバンドに、そしてギター講師に。 ゴールデン・カップスのルイズルイス加部のベースは、本物だった。 もちろんタイガーズの岸部一徳も。 ビーバーズのギターリスト石間秀樹は、後のフラワー・トラベリング・バンドで花咲いた。 モップスの星勝のギターもカッコ良かった。 GS後のロックバンド外道の加納秀人のギターは、ジミ・ヘンドリックス並のテクだった。 こんな感じでGSは、後にロックミュージックに相当な貢献をしたと思う。
GSブーム末期に出てきたフローラルが後に(はっぴいえんどの前身バンドの)エイプリルフールになるんですよね
あと、ダイナマイツの山口冨士夫が村八分を結成したりとか
寺内さんは正調寺内節もいいですがやはりレッツゴー運命は日本のロックの歴史を語る上では外せないと思います。
あのクラシックの名曲をエレキアレンジするという発想で、当時エレキギターにマイナスイメージを持っていた大人たちを認めさせたという歴史を変えた一枚ですから。
あとマイナーですが羅生門も和×サイケというぶっ飛んだコンセプトでオススメです。
自分はザ・モップスが好きですね。
PYGは一度「帰ってきたウルトラマン」の中で曲が使われてたんだよな。
「許されざる命」という話で「花・太陽・雨」が使われていますね。
2021年の時代劇「剣樹抄」でも遣われました。
学年下は高校生の時に寺内タケシさんがライブをやってくれたとか 見たかったな
寺内さんがアコギ?クラギ?にマイク取り付けて家に設置されてた防災無線に繋げてエレキギター作ったみたいな話好き
GSの自作曲だけリストアップして品評してみる機会が必要かも。そういうことやってる人見たことないし。テンプターズの「神様お願い」なんて名曲だと思います。クワタバンドもカバーしてます。ただ惜しむらくは松崎氏の曲って総じて地味で物悲しすぎるかな?😑
ジャックス
リズム隊はフリージャズ
ギターはサイケ
マリアンヌがとても好きなんだけど
リズムを刻んでるのがサイドギターのストロークだけで、バックで水橋ギター、ドラム、ベースとフリーな演奏をやってるとこが好きでした
ドラムが司令塔になってギターやボーカルがそれに合わせていくようなスタイルはあまり好きじゃないんです
歌手ないし主旋律が自由にやってて伴奏の方が合わせるのが好きです
ジョン・レノンの適当な小節を聴きながら叩けるリンゴは素晴らしかった
Rストーンズのルビーチューズデイって典型的なGSだなあ
寺内タケシ氏曰く「ジェフ・ベックは俺の弟子だ!」だそうです。
たしか はっぴぃえんどより先に ジャックスが日本語のオリジナル曲をつくっていましたよね ただ バンドとしての 活動期間が短かったので あまり認知されていませんが 独特の世界観 独創的な演奏はすごかったと思ってます あまり一般受けはしないかもですが(._.) その頃はゴールデンカップスのライブに通っていて 素晴らしい演奏に夢中でした ジャックスのライブにも行きたいと思ったのですが すでに解散していました
5:42 栃木県足利市出身の1947年生まれの私の母がリアルタイムで経験していた世代なので、以前この事を話していたのを思い出しました😅
沢田研二が適度に着地した人扱いか、、
ビートルズの武道館公演は当局の規制がかなりあったはず。あの静けさはそのせい。オックスのライブ盤聴けばわかります。日本の観客のエネジーかなり熱い。
ゴールデンカップス、めっちゃかっこい
ゴールデンカップスはメンバーの出入りが多かったそうで、後のゴダイゴのミッキー吉野さんも在籍していたそうです。
ジュリーは裕也さんと1969年RS誌創刊28号でカバーになってますCCR,チャックベリー、グレートフルデッド、ニールヤング、ZEP、キンクス...より以前あとPYGはプログレね
沢田研二、このチャンネルにゲストで呼んで欲しい。意外と来て頂けそうな気がするが…。
スパイダースのアルバムNo.1には「フリフリ'66」「ノー·ノー·ボーイ」といった名曲が入っていて必聴もの。のちに浜口庫之助作曲の「夕陽が泣いている」などで特大ヒットを出す前のサウンドは今聞いても初々しく、こつちの方向で売れたら日本のロックも違ったものになっていたのかなと想像します。ムッシュは解散の原因として歌謡曲路線を押し付けられたからと表明していますが宜なるかな。
かまやつひろしのセンス‼︎
新宿ACBなつかしいです。 スパイダースは僕の人生そのものになりました。1966年から68年が一番日本の音楽は熱かったと思います。スパイダースナンバーワンは日本のロックの聖書です。決してハッピーエンドではありません。PYGは人気は出ませんでした。この時代はウォッカコリンズが魅力です。後スパイダース七分の5。『このバンドこそ日本のロック』
まさにベンチャーズやビートルズを10代で直撃された世代の方に、当時の話を聞いたことがあります。その方は地方都市に住んでいたので、ロックは都会のボンボン(金持ち)の音楽だったと言っていました。地方都市ではエレキギターを購入できず、東京で売られている価格も高額だったそうです。当時の地方の若い世代は毎週末にマンボを踊りに行き、そこでナンパしていたと言っていました。住んでいる場所で、かなり違いがあったようです。
スパイダースは、堺正章氏の父上が堺駿二氏だったこともあり、芸能界で優遇されていたってことはあったのかな?
と、個人的に思ったことがある。
ムッシュかまやつのパパも日本ジャズ界の偉い人なんだよね。渡辺晋がジャズベーシストだったんだし、何かあるかな。森山良子はムッシュの従姉妹だし。
エレキサウンド前史として、1964年9月のリバプール・ファイブ来日がベンチャーズよりも衝撃的であったと加瀬邦彦さんやかまやつひろしさんが証言しているということもついでに語っておきたいと思います。
寺内タケシ「エレキギターの悪口を言ったら命はないぞ」(# ゚Д゚)
ジャックスは本気でした。
ベンチャーズ、山奥の母親の実家のレコードにありました。それ位人気があったのね。
沢田研二は井上陽水と組んでアルバムやシングル出しましたが、逆にそこから下火になった記憶があります。(陽水で言うところのライオンとペリカン)
自作自演なら加山雄三を取り上げないのは片手落ちだなあ…
ブラックサンドビーチはベンチャーズサウンドの影響下にあるインストの名曲なのに…
俺が小学生の頃、友人の兄が親に内緒でエレキギターを買って、それが親父に見つかり殴られたなんていうことがあったなぁ。とにかくエレキ=不良、ビートルズとかのファンは吉外扱いといった時代が日本には確かにあった。
井上堯之・・・
寺内タケシ茨城県土浦市出身。まさか地元からそんなにすごい人が出たとは知らなかった。
ムッシュみのやつ
世界的にも、日本でもブリティシュインベージョンは1964(昭和39)年が最も顕著だったが。
沢田研二といったらドリフとのコントなんだよなwww
エレキインスト≒洋風じょんがら三味線なのかも?
GSってなんやあ?ってずっと思ってたらやっと出てきた
GSブームの後に来たのが新左翼による演歌ブーム(藤圭子)とかムード歌謡
東芝は歌謡曲化あまりしなくてニューロックとかトワ・エ・モワみたいなフォーク化
レコード会社の都合でサイケとして売ろうとしてた(ほんとは)アニマルズ大好きな鈴木ヒロミツ・モップスもビクターから東芝に移籍してからニューロックになった
寺内タケシさんは日本でだけ過小評価されすぎで
GS以前もバニーズ時代もそのあとも素晴らしかった
ジェフ・ベックがセイモア・ダンカンに寺内タケシのアルバムを買って来いと言ってるしリッチーブラックモアは寺内さんにモロに影響されてました
足利と寺内たけしに触れたのなら、その足利でその時公演した時どうしたかまで言わないとね…まさに行動がロックだった。
GSと言えばザダイナマイツほんと好き
トンネル天国⁉︎
@@piopio7432 それ。あと恋はもうたくさんとかも良い
アフロ版吉沢亮
もうええてー
アフロ版岡田准一という新説
沢田研二の所の「懐に入り込み 枠の中で適度に聴衆を挑発する」に関しては、異論は承知ですが、アイドル全盛時代の小泉今日子のスタンスに似る面も有るのかなぁと。
GSは後追いで聞いたけど、正直退屈ではまらなかった。ブルース要素、黒人要素が足りないからかな?と自分なりに解釈したかな。歌は望むべくもないが、演奏もなんか背景が見えない感じに思えたし。
歌はともかく、演奏は本人達ではなく歌謡界隈のバックバンドが殆どだったそうだ。
だから当然パーソナリティ皆無で、歌謡臭くなるのも無理からぬ話。
ライブでは自演でレコーディングはスタジオミュージシャンのパターンですね。
日本にロックが本格的に入ってきた事象として、プレスリーブームとロカビリーブームは・・・?
日劇ウエスタンカーニバルも、日本のロックの文脈として語れるんじゃないかと。
あと、GS発の邦楽ロックの重要人物として、ゴールデンカップスの面々とダイナマイツの山口富士夫を外してはいけないと思うのは、自分の音楽的嗜好の偏りなのかな?w
この辺りは宮台真司さん(社会学者)が『サブカルチャー神話解体』っていう戦後日本サブカル史を分析した本でかなり深堀してて、ちょっと難しいですけど文庫版も出てるのでおすすめです
やはり加山雄三も付け加えもらいたいなー。GSに関して言えばレコード会社は、モンキーズの様なアメリカンポップスを目指してた様なきがする。
ゴールデンカップスは祖父世代レベルなんだけど「昔の日本にこんな凄いバンドいたんだ!?」ってなったわ
歌謡曲的なものはあんまりピンと来なかったけど、洋楽的なものはビックリした
“日本芸能通史”