【ゆっくり解説】 宋代メシ文化 繁栄の時代の飲食事情 【北宋 南宋】
ฝัง
- เผยแพร่เมื่อ 17 ต.ค. 2024
- 経済繁栄の時代、宋代の飲食文化について語ります。
関連動画
未曾有の経済発展を遂げた、新たな時代の都「開封」を紹介
• 【ゆっくり解説】 開封 黄河の流れに沈んだ ...
関連動画 飲食
塩の中国史
• 【ゆっくり解説】 塩の中国史 莫大な富と絶大...
古代中国のごちそう
• 【ゆっくり解説】 古代中国のごちそう 春秋戦...
酒の中国古代史 神話と考古学編
• 【ゆっくり解説】 中国 酒の古代史 神話と考...
料理人の中国史
• 【ゆっくり解説】 料理人の中国史 人々を愉し...
餃子の中国史(限定動画)
• 【ゆっくり解説】 餃子の中国史 二千年間愛さ...
鱠の中国史(限定動画)
• 【ゆっくり解説】 鱠 中国史 生魚料理の世界...
中国の犬肉食文化
• 【ゆっくり解説】 犬肉食の中国史 人類のパー...
あやしいくすりの中国史
• 【ゆっくり解説】 不老不死になりたい 丹薬と...
国都の中国史
長安 古代中華世界の中心
• 【ゆっくり解説】 長安 古代中華世界の中心 ...
洛陽 永遠の古都
• 【ゆっくり解説】 洛陽 永遠の古都 仏教の都...
南京 王気に包まれた南方の帝都の繁栄と破壊の歴史
• 【ゆっくり解説】 南京 王気に包まれた南方の...
北京の古代史 辺境都市から中華の中心へ 北京史①
• 【ゆっくり解説】 北京の古代史 辺境都市から...
北京 辺境から誕生した中華の帝都 北京史②
• 【ゆっくり解説】 北京 辺境から誕生した中華...
文治政治はやはり文化が発達するね。趙匡胤という男は寛大にして偉大な男よ。
ものすごく雑に言えば、どの国どの時代でも食用油の使用量は食文化の豊かさを示す指標になりますからね
この時期が調理技術の発展途上にあったとしても炒め物の多さは宋代の食文化の豊かさを示すものだと思います
麺類だって調理用の刃物の進歩ありきですし、食文化の発展にはそれを裏打ちする市民生活の向上が見えて面白いです
文化史回ありがとうございます!
北宋の時代を舞台にした中国ドラマ「明蘭」で主人公たちが樊楼の新しい料理として炒め物の話をするシーンがあったが、やはり炒め物は北宋からなのですね。
炒め物に麺、お茶と宋代の食文化に親近感を感じます
石炭の普及が、料理の歴史を革新へと導いたのだと思うと、火力は正義!!!!!
ガチ中華というものがこの数年聞くようになりましたが、料理や食材のアクセスが向上したことでより生活文化への理解も深まったように思います。
チャーハンや餃子だけが中華ではないですからね
沖縄料理に油で炒めたり揚げるものが多いのは、一年を通して温暖で食材が傷みやすい環境だから、高温で殺菌を兼ねて調理できる方法が実用的だった。
江南沿岸で海産物の炒め物が発展したのも、経済の発展で大量の油を使えるようになったことと生活の知恵が合わさった賜物だったのかも?
やっぱり、宋代の文化の発展は凄まじいですね
お疲れ様です
飯回好きなので無限にやってほしい
動画作成の足しになればと寄進です
いつか扱ってほしいのはなんで中華はあんなに画数の多い漢字だけを使い続けたのかとかやってみてほしいです
簡体字はあるにせよ仮名に当たるものができてもおかしくないのにっていうのとこんなに画数が多い文字を庶民は何文字くらい使いこなせていたのかとか興味あります
ヒエ~!多大なご支援!まこと恐悦至極に存じます!!
ちょっと内容にはズレがあるかも知れませんが、そのうち漢字動画も出したいところですので、ご期待下さい!!
文化史回大好きです。やった!
外食の調理動画を見ていると、フランスやアメリカなどの西洋では、食べる人がナイフとフォークで一口サイズに切って食べます。それゆえ調理中に食材を一口サイズに刻む過程は多くはなく、一人前サイズに切り分けます。ナイフとフォークを使わないファストフードでは、提供直前に刻んでいます。
中華料理は箸と匙で食べるので、食材はほぼ一口サイズに刻みます。日本料理においても、おおむね同様です。とんかつ屋ではカツレツを切り分けて出しますが、西洋料理屋ではナイフとフォークでカツレツを切り分けつつ食べます。
この一口サイズに刻むというのは、下ごしらえではかなりの大仕事になっていると見受けます。
これらは現在の料理の話ですが、いかなる過程でこのような差異に至ったのか。関心があります。
ご専門の中国史においての調理過程の変遷と進化について調べていただけると有難く存じます。
切成一口大小的形状更适合咀嚼,肉的调味也更好
以前読んだ十八史略の八王の乱のくだりで「恵帝は麺を食べて中毒死した」とあったのですが、
あれは麺餅であって、現代のラーメンやうどんのようなものではなさそうですね。
我々がいうところの「麺」が出てくるのは隋くらいでしょうね
飲食文化の資料が富裕層のものに偏るのは、古今東西共通している所ですな。
して、私が特に興味深かったのは、炒める調理法です。
現在の中華料理には炒めるだけでも四種類とも五種類とも云う調理法があります。
宋代にどの程度の炒める方法があったのか、調理法として分化していないだけで既に現在と変わらぬ方法が出来上がっていたのか、御茶ノ水に資料の発掘に行きたくなりました。
何故ここが気になったのかと云うと、本編中に「湯搔いた野菜を炒める」「炒めてから煮る」等と云った調理法が言及されていたからです。
これ現在の中華料理の炒める基本の一つになっている手法です。
でも、実際にやってみるのは、面倒臭い。
たまに料理するとか、実験的に試してみる分には問題ないのですが、日々料理する中でこの調理法は、面倒臭い。
例えば、油菜を湯搔いてから菜種油で炒める。
多くの日本の主婦なら炒めず、茹でたままお浸しにしてしまうでしょう。
(申し添えておきますと、湯引き、湯通し、湯掻く、茹でるは全部違う調理法です。近年では全て混同されているのが気懸かりです)
そんな訳で、私はこの時代、既に自然発生的に炒める調理法は現在に伝わる以上に豊富だったのではないか、と思った次第です。
最後に。食材と湯を使った調理法を書き添えておきます。
①湯引き
食材をまな板に乗せて、上から熱湯を注ぎ掛ける。
②湯通し
鍋にタップリの湯を沸かし、食材を投入してすぐに引き上げる。
③湯掻く
鍋にタップリの湯を沸かし、食材を投入する。湯が再び沸騰したら一混ぜして引き上げる。
④茹でる
鍋にタップリの湯を沸かして食材を投入する。加熱には湯掻く以上に時間を掛ける。
食材に目的とする頃合いで火が通ったら引き揚げる。
他に宋代における飲食の発展には中華鍋の普及がありますね。油と燃料があってもこれがないと炒め物はでてこない。
あとこれは発展とは違うけど、汁物を箸で食べるようになった。それまでは匙を使ってました。ちなみに米を箸で食べるのは元代になってから。
その背景にあるのは製鉄の普及ですね。鉄の生産量が増大したのでしょう。さらにその背景には高い熱量が得られるコークスの活用があったようですね。
今日の晩飯は、珉珉で餃子に決まってしまいました。
揚げ物炒め物は軽くて頑丈な鉄鍋が必要だから、それらが手に入りやすくなった宋の鋼鉄技術の発展とも関係がありそうですね
ありがとうございます!
いつもご支援いただき!まこと感謝感激です~!!
とっっっっても嬉しいですッ!!!
食べ物回だ!やったぁ
聞いているだけでおなかすきますよ〜
箸と麺って関係性が深いんですね…
考えてみれば匙じゃ無理ですし…
こうなると、やっぱり春秋〜戦国時代の食文化のイメージがまた変わっちゃう・・・。孟嘗君が食客と同じものを食べていたって、何を食べていたんだよお。どんなふうに食べてたんだよお。
何時も拝聴・深謝。待ってました!ドンドン深掘り宜しく。照葉樹林文化要素の食材と日本の伝統文化食材との関連も深掘り宜しく❣。有難う。
食事の進化嬉しいかぎりお茶も試行錯誤があったのかと、のちのちには悩ましい嗜好品喫煙も入ってくるのでしょうか?この歴史はわからないです、是非知りたいです。
メンバー限定動画公開ありがとうございます。
舞台が北宋の水滸伝なんかでも食事や居酒屋のシーンは描写がリアルで本当においしそうですもんね
新しい中華料理文化が、火力によって発展していくから、宋朝は、日本の中華料理にも影響している可能性があるのですね。
Thanks!
いつもご支援いただき、有り難きことこの上ありません!!
感謝感激!です!!!
羅浮山下四時の春、盧橘楊梅次第に新たなり、日びに荔枝を啖らうこと三百顆、妨げず長えに嶺南の人と作るを。羅浮山下四時春、盧橘楊梅次第新、日啖荔枝三百顆、不妨長作嶺南人。(蘇軾)なんて詩があるそうですよ。北宋の政治家、蘇軾が60代の歳で左遷させられてた際に作った詩の様ですが、左遷先でライチを300個も食べれるのなら、左遷先の住人になるのも良いかな、という意味らしいですね。(笑)食へのこだわりが詩にも表現される、豊かな時代だったんだと思いますね。お話し面白かったです。
見たらお腹空いてきました。鳥人間さんの動画見て、楚漢戦争の項伯のファンになりました。項羽家臣団を何回も見て笑ってます
宋代の飲食文化の発展の中でも、茶は禅宗とセットになって日本に伝来し日本文化の形成に大きな影響を与えたという点でも重要ですね。それにしたって栄西さんは茶が好きすぎません?
いつも台北で楽しく拝見しています.この動画でも触れた椅子の歴史に関して,何十年前柏楊翻訳の資治通鑑でのエピソードで書いてあります.宋代前,政府の朝議で畳や椅子に坐ってきた華夏文化でしたが,趙匡胤さんがある日に密かに朝議前,椅子を取ってを指示したのであれから大臣皆が立ってまま皇帝と喋れないと行けない形になりました.皇帝オンリーが坐れる世界でした.もし鳥人間が畳から椅子への"坐り"文化の変化を取り上げれば嬉しく存じます!
ダンダン気になるぅ〜♩
という曲を流したくなるような題材ありがとうございます
宋代の文化シリーズ!……好きw
清河坊訪ねましたけど、宋代の文化はちょっと不思議な感じがして面白いですね。
早朝からの投稿乙です。偶然ですが今日の昼食は昨日作った四川風麻婆豆腐と中華風スープです
ここで紹介されている宋代に発生した食文化がほぼ日本に持ち込まれていないというのは日中交流史を考える上で興味深い
唐代以前と唐代以降でやはり交流度合いが大きく減っているということが伺える
禅宗と一緒に調理方法が持ち込まれていますよ。
現在でも精進料理の一部に継承されています。
コークス利用で刃物や鉄鍋の大きな進歩が料理も大きく発展って
行きつけの中華レストランの店主さんに教えていただきました。
生活史や文化史大好きです❗️動画ありがとうございます🎵
ところで、30年ちょい前位に読んだ本に、
「北宋頃から積極的に料理や生活に石炭を使い始め、南宋で石炭を利用した火力の強い中華料理が華開いた」
と読んだ記憶があるのですが、昨今でもそんな説が完全否定されてはいないのですかね?
古代文明は燃料となる木材を伐採し尽くして衰退がはじまるが、中華文明では木材資源が豊富だったので長持ちできた。
そして中華でもちょうど木材燃料が乏しくなってきた頃に石炭の積極的利用を覚えたので、現在に至るまで延長することができた、という文脈での上記。
宋代の書家であり美食家としても有名な蘇軾を取り上げた「東坡食譜(大河原遁)」を読みましたが、古典の表記を真に受けて豚肉が食われなくなり調理法すら失われてしまったと描かれていたのも見て驚きました。当時は豚肉は猫の餌だったとか。まあ、生焼けなら中るし、かといって火の通し方を間違えればかちかちになって食えたものじゃない。自然と食されなくなったのも分かります。まあ、中国の豚飼育の話(便所の下で豚を飼う)を聞くと食べたいものではありませんが。
食堂でなにか頼むと野菜と肉を煮た料理が出てくるイメージ(某小説の影響)
宋文化の詳細回助かる~
最後、サラダバーと聞こえるのは気のせいだろうか、、、、
産業革命前では恐らく空前絶後の経済力だった北宋 ただ産業革命がなぜ発生せず今の現代文明に繋がらなかったのか興味深い内容です
because of northern tribes ,liao jin or mongols
人間が多数存在するので蒸気機関など機械に頼る必要が無かった。
運河が整備されたので海賊が跋扈する危険な外洋に出て行く必要が無く船舶に関する技術が停滞しても問題無かった。
中華文明は明初をピークにして他の文明に圧倒されて行くが列強に半植民地化された20世紀初頭まで自分達が遅れているいう自覚が無かった。
いつも面白い動画ありがとうございます!
こちらこそ格別のご厚意をいただき、感謝感激です……!!
大変励みになります!!
中国と言えば中華料理だし職人技の包丁さばきもよくありますね。自炊好きで中華が基本で四川豆板醤(四川省はきっと寒いのだろう少しピリっとする)は頻繁に使うし、胡麻油やラー油など細かい調味料が多くて適当に全部入れて食べますがそれでも美味い。
四川省はそんなに寒くないよ。四川は盆地であるため、湿気がこもりやすい。だから辛いものを食べて発汗している。
火力を用いた料理法が確立していくにつれて、刺し身や膾などの生食文化は衰退していったんだろうな。食生活以外に、庶民の生活スタイルまで変化していったというのは卓見
『水滸伝』でも酒や豆腐、肉を食べる描写が何回かあった気がするが、細かい調理法は記されていなかった。それよりも酒店で宋江たちが店の罠にはまってしびれ薬入りの酒を飲まされ、あわやというシーンが結構あったが、当時の酒はどのように作られたのだろう。
水滸伝の飲食シーンは美味しそうですよね❗️
よく出る炊餅とか、智取生辰綱の棗とか、潯陽江の魚とか、時遷が盗んだ丸鶏とか…。
具体的な料理描写は乏しくても何故か美味しそう😋
個人的には干し肉を焼餅に挟んで食っている姿が旨そうですね(笑)
人が集まると牛一頭をつぶして皆で食べる、というシーンが中盤で乱立する割にはどう調理したか、はないですよね、確かに。
水滸伝は建物に関しては著者の住んでいた明代の江南の家屋がモデルになってるようですね
宋代の食文化はやはりこの時代の経済発展と文化の隆盛それに技術力の向上によるものが大きいですね。水滸伝に出て来た蔡京の家ではもうコークスを使っていたそうですし。これは極端な例ですが当時の中国の食文化は見事なものだったと僕は思います。
リクエストです。今回の話に関連して日本でも有名な中華料理のメニューごとに解説する動画をお願いします
一度湯がいてから野菜を炒めるのは当時の野菜にはエグみ・苦みのようなものが多かったからかもという感じもします。
日本の中華料理店って飾り付けが宋代以降のものばかりだよね。
わかる!納得行く!
記録に残すというのは「残そう」という動機が無いとダメで「残す価値がある」と判断されたモノだけが記録される。
庶民の文化、当時の「常識」や「普通」は記録する価値を見出されず記録されない。
それだけに風俗通などの民間に関わる書籍の存在は貴重であり、第一次資料とのつきあわせも歴史の新発見につながってもらいたいものですね
貴族が居なくなる宋代以降は文化は庶民が担う事になり記録に残っている方。
特に五代から絵画の技法が進歩し活版印刷とセットでイラスト付きで鮮明に遺された。
行政文書以外に土木技術農業技術に医療関係と多岐に及ぶ。
時々ローカル局で再放送されてた宋代を舞台の日本製中華ドラマ「水滸伝」では、銀座アスターが協賛していたためか中華料理がよく画面に映った。あれらはおそらく歴史交渉的には間違いなのだろうけど、うまそうだったなぁ。
そう言えば夜間営業が可能になったのも北宋時代にろうそくが普及したからなんですよね?占城稲の普及も大きそうですね。
中国の宋代は、日本の江戸時代に相当するような、現代に繋がる文化が誕生した時代だという話もあるからなあ。
暗い夜に灯りをともして一般向けに料理を提供できる環境が整ってきてる辺りからも当時の発展ぶりがうかがえますね。
南宋の経済的文化的発展を見ると北方異民族対策が中華王朝にものすごい負荷や負担を強いていたってことなのだろうなあ
中原地方を支配できてないと中華王朝としての正統性を失うのが欠点になるけど
料理文化の発展に大きく寄与した石炭の使用だが、他にも社会に大きな影響を色々与えている。
まず、500年後の欧州全体にも匹敵する鉄の生産。
毎年、億枚単位で発行する貨幣による経済発展。(日本でも、江戸時代までは宋銭がいちばん流通した貨幣)
文化的には、この時代に完成する白磁青磁も重要(ただ、南宋には薪を使ってもっと透明度の高い青磁を焼き上げる手法が開発された)
膾のタレとしてユズを使ったものが好まれるようになったのも宋代。因みに元代以降は膾という料理自体が急速に廃れていった。
日本じゃ国風文化とか独自の道を歩み始めた時代だけど 料理は全然勝負にならないんだよなあ もっと学んでほしかったわ
宋の食文化の発達レベルは日本の江戸時代以上ですね。これが日本では平安時代の頃だったと思うとスゲーと思う。
開封には唐の時代、日本僧である円仁が褒めたという松があったらしいんですけれど
それも宋の時代には燃料としてすべて切りつくしてしまって無くなり、仕方なく石炭燃料になってたとか、恐るべし100万人都市不夜城開封
どこの歴史を見ても王侯の生活はうかがえても庶民の生活は全く分からないのは定番やから高望みはしない程度に希望をもっていくしかないんじゃないかな。
東西の技術力が逆転するのは宋代だと思っているのですが、料理でもそうなんじゃないだろうか。アピキウスのレシピより現代人からして美味しそうな献立がこの辺りから出てきそうですね。
スペイン人「こちらには鉄と馬火薬と羅針盤と活版印刷術がある。ヒャッハー!」
「なんじゃこりゃ?」🌶🍫🌽🍅🫑🥔🎃麻婆豆腐や青椒肉絲、卵とトマトの炒め物、鶏とカシューナッツの炒め物爆誕。
炒め物がすぐに発展しなかったのは私の推測ですが今まで高価だった油が潤沢に使えるようになったため炒めるような調理法は油をケチってると考えたからだと思います。例えば中世ヨーロッパでは金持ちはやたらコショウやスパイスを大量に使った料理を好みました。それは臭味を消すためでもあれど高級なスパイスをドバドバ使うことが金持ちって価値観だったからだと思います。しかしその価値観は時代が下るとともに改まりちょうどいい量のスパイスを使う傾向になっていきますからたぶんそれと同じだったのではないでしょうか?
次回は「四八珍」の紹介。…頭をよぎりましたが超絶マニアック回になりそうですね。
東京夢華録ってめちゃくちゃprojectっぽい文字列ね
今の日本の文化の元が室町時代と言われますが、中国は宋なんですね。
科学技術も兵器も料理もついに世界最高になった時代。(それでも漢・唐の広大さになれなかったのは政治のせい?)
炒め物は清時代の菜種油でついに全国区になるし。
そういえば日本の御膳文化は「分餐」を引き継いていると思われますね。
やっぱり宋代、いや五代十国って中国史の転換点なんだね。
リアルに中国人が今との連続性を感じられるのってその辺りまでしか
遡れないって昔から結構言われてたけど、食文化の面でも違ってくるのか。
王将行くか
宋代っていうと「水滸伝」のころですね。作中には
よく人肉料理が出てきますが...
また鳥人間様の関心(性○)をくすぐるような…
肉を水煮しただけだったり、肉を膾にして食ってた頃より凄い発展したんだな
カレーも炒めてから作りますものね。
霊夢ちゃん前回は味のないスープを食わされたので今回はもっと美味しいものを食べて欲しかった...
饅頭にスープ詰めたら小籠包やんけ…
日本でも炒めるという調理法が発達しませんでしたが、中国でも宋の時代まで待たねばなりませんでしたか
やはり羹がもっとも尊いということなのでしょうか
そういやみんなで囲んで飯を食べるのも宋代くらいからだったね。
宋と聞けば、日本側ならやはり茶を広めた栄西ですかね。ただ、名誉欲が強く賄賂をはたいてまで天台座主を狙っとも言われるなど、かなり意外な一面がありますね。
スイーツの歴史も知りたいです
地下キャン草。でも中世ぐらいからだと発掘調査よりも文献資料の方が多くなるしなぁ、書庫や蔵からのロマンに期待しよう
「中国八大料理」― 四川料理、湖南料理、広東料理、福建料理、江蘇料理、浙江料理、安徽料理、山東料理 が南方に多いのは南宋時代に料理が発展したのが影響あるんですかね?宋ありがとう。
庶民の普段の生活の記録ってあまり残らないんですよね…。SNSで色んな事を発信するようになった現代でも特別な日とかならともかく、日常的に食べている料理の記録とかなんてみんな残さないので、記録を残す能力や余裕に乏しい昔の庶民が自分自身の記録を残す事はまずないでしょうし、上流階級の人たちも下位階層の庶民の生活に興味なんてないでしょうから、難しいでしょうね…。
個人的にはほとんどの庶民はあいかわらず食べられるものを色々ぶち込んだ羹(スープ)を食べていたんじゃないかと思いますね。メインの穀物と野菜類を鍋に入れて煮込むやつ。(水でかさ増ししていたかも。)
日本にも石炭炭鉱はあれど、江戸期までは調理用の火力に使われるほどではなかったのかなあ
みんな大好き中国料理が宋代から発展したんですね~。
やはり期待するしかないですな!
地下からの新資料!地下からの新資料!(笑)
揚げるというのは、時代が進んで油が安く大量生産出来るようにならなければ出来ない調理方なのか
( =Φ人Φ=)づ🍤
宋々、こーいうところのガイドがないと「金瓶梅」「水滸伝」は愉しめない。ありがとうございます。
食の中国史万歳!
ありがたや……ありがたや……!!
また食の中国史、またやるのでご期待ください~!!
庶民文化の文献が地下から出るかは難しいだろうなぁ
こんばんは。安心と信頼のビクトリノックス。鳥人間さんはアウトドア派でしたっけ?私はインドア派ですがあのマルチツールは良き
わーい!ご飯だ!ご飯だ!麺類が独立?麺類は人類ヒャッハー!でも炒め物はまだメインストリームじゃなかったのか。南宋からかあ。興味深いなあ。
飲み物も発展したのか。宋代は壮大やね、、、すみません。悪気はなかったんです。でもついオヤジなんで、、、w更なる研究頑張ってクレメンス
御飯食いながら見てるんで、実際の料理例みせてほしい。なんなら作ってほしい。江南だから多分上海ガニの炒め物でしょ。
うーん、醬の成立が思っていたより遅いなあ。
古代ローマは地中海に囲まれて豊富な漁業資源に恵まれてガルムが起源前からあったけど、中国も黄河、長江に広大な海岸線があるから漁業資源に乏しくはないのに醬の成立前に発酵が短い魚醤を使わなかったのが不思議といえば不思議
しかも魚醤文化のベトナムとかも接してるしなあ
中国吃蝦醤,蝦油,蝦膏比较多一点。
@@shinpai_uwu 返信ありがとうございます。海老の調味料は中華街で食べました。
美味しかったです。ただ自分の書いている魚醤は日本では魚汁(isiru)、ベトナムではニョクマム(渃𩼕)、タイではナンプラー(nam pla)を指しています。
海老ではなく小魚を使用しています。
製法が簡単で発酵が早いんですよね。
だから水滸伝ではよく宴会をやってたのか。
宗は火を扱う事が得意だったんですね🤔
地下ァ……w
石炭の普及か~ 中国の森林資源の量の時代ごとの推移ってどうなってんだろう 文明が早くからあった地域ってことはそれだけ森林資源減少が早い時期から始まったということになりそうだが
森林資源破壊が進んだのが明代。
メキシコ銀と一緒にトウモロコシが入ってきて開墾がより進んだ。
土地が無い小作人や流民がトウモロコシを携えて山奥へ入っていった。
華北で深刻だったのが万里の長城修築に際して大量の煉瓦を焼いた事。
燃料として伐採した森林資源が未だに回復せず、
明末から清中期に多発した洪水や干魃など天災の原因になった。
榴弾砲兵と聞いて何事が起こったのかと思った^ ^
東方夢華録 ~Chinese history of Mantou face.
今日のお昼は餃子の王将だ!( ゚д゚ )カッ!!
お疲れ様です、宋代の茶肆ってことでふと「水滸伝」の王婆を思い出しましたけど、今中国で「王」という婆さんが公開方式で仲人業をやっている、というニュースが数カ月前に流れてちょっと笑いました。中国史って文化史風俗史でも千年単位で今に生きてきますね。継承なのか、成長が止まっているだけなのかはともかく。
作为中国人我想问一句,作者怎么对中国古代,从三皇五帝到近代民国,几千年的时间跨度,从政治军事,到民生,经济,光看这些标题就看的出研究之细,作为日本人您是怎么做到了解这么多的?
现在是2024年了,只要会语言,想查啥都能查到。
谁也知道网上能查到,网上查只能是知道皮毛,没有系统性的学习和了解,也做不到融会贯通,我是惊叹一个外国人了解的全面,你觉得这是可以简单的通过网上查找就能做到吗?
@@立张-s2d
書籍なんかいくらでも出てると思うよ
宋代の食事って今の和食のようなものだったんですよね。その後の中華料理は脂っこいものだけど。
世界史Bで料理が発達したと習った😃
酒場や宿で飯を食うとたいがい毒を盛られる水滸伝
チカちゃんガンバレ(´・ω・`)