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チャンネル大阪自由大学
Japan
เข้าร่วมเมื่อ 24 ก.พ. 2013
大阪自由大学は、地域や市民に開かれた自主的、自律的な学びの場で、「大いに、自由に」学ぶところという意味をこめています。
私たちはこれからどんな社会を築いていくのか、様々な天災や事件などによって新たな社会像、国家像の見直しが迫られています。そのためには斬新な発想でこれからの私たちの暮らしのあり方を考えていかなくてはなりません。
大阪には、歴史的、伝統的に自由な風土に根ざし、"自らに由る"精神を発露してきた人たちがたくさんいました。これからの新しい時代を切り開いていくために当大学では、現代文明の行方を見つめ、先人たちの「魂のたいまつ」をしっかりと受け継ぎいでいきます。
さまざまな文化や情報を”消費”するのではなく、自ら大いに学んでいこうという熱い思いを抱いている人たちと共に次の時代を切り開いていく、いわば”志塾”を目指しています。
世代を超えた関係を結ぶ機会を設けることで、互いに熱い「志」を抱いている仲間がいることを知り、社会を創造していくことへの意欲を育てていきます。
大阪・自由大学の活動にはどなたもご参加いただけます。大阪の課題に限らず、いまの日本、世界の動きをみつめながらともに考えていくべきテーマについてご意見、ご提案をお寄せください。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
大阪自由大学
大阪市中央区平野町2-2-9 ビルサライ701号(〒541-0046)
電話 050-5583-7403
E-mail: kansaiforum@gmail.com
URL: kansai.main.jp/
代表 池田 知隆
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私たちはこれからどんな社会を築いていくのか、様々な天災や事件などによって新たな社会像、国家像の見直しが迫られています。そのためには斬新な発想でこれからの私たちの暮らしのあり方を考えていかなくてはなりません。
大阪には、歴史的、伝統的に自由な風土に根ざし、"自らに由る"精神を発露してきた人たちがたくさんいました。これからの新しい時代を切り開いていくために当大学では、現代文明の行方を見つめ、先人たちの「魂のたいまつ」をしっかりと受け継ぎいでいきます。
さまざまな文化や情報を”消費”するのではなく、自ら大いに学んでいこうという熱い思いを抱いている人たちと共に次の時代を切り開いていく、いわば”志塾”を目指しています。
世代を超えた関係を結ぶ機会を設けることで、互いに熱い「志」を抱いている仲間がいることを知り、社会を創造していくことへの意欲を育てていきます。
大阪・自由大学の活動にはどなたもご参加いただけます。大阪の課題に限らず、いまの日本、世界の動きをみつめながらともに考えていくべきテーマについてご意見、ご提案をお寄せください。
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大阪自由大学
大阪市中央区平野町2-2-9 ビルサライ701号(〒541-0046)
電話 050-5583-7403
E-mail: kansaiforum@gmail.com
URL: kansai.main.jp/
代表 池田 知隆
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「百済王族の墓か―百済と倭(日本)、河内との関係とはー」(安村俊史さん)レジメつき
●なにわ古代史8 <柏原・高井田山古墳>
「百済王族の墓か―百済と倭(日本)、河内との関係とはー」
講師 柏原市立歴史資料館館長 安村俊史さん
柏原市の高井田山古墳(5世紀後半)は、石室構造や埋葬方法など百済の古墳と
の共通点が多く、さらに副葬品「ひのし」(古代のアイロン)が百済国王・武寧
王陵の出土品と酷似。古代日韓の関係を探る国内や韓国の研究者の見学が絶えな
い。眠るのは男女2人。百済王族夫妻と考えられ、その被葬者候補が武寧王の父親
ともいわれる昆支(こんき)。どんな経緯で渡来したのだろうか。発掘に携わっ
た講師が調査の成果や、百済と倭国、河内との交流史を解説する。
レジメは下記からダウンロードしてください。
kansai.main.jp/swfu/d/kudara20241015.pdf
「百済王族の墓か―百済と倭(日本)、河内との関係とはー」
講師 柏原市立歴史資料館館長 安村俊史さん
柏原市の高井田山古墳(5世紀後半)は、石室構造や埋葬方法など百済の古墳と
の共通点が多く、さらに副葬品「ひのし」(古代のアイロン)が百済国王・武寧
王陵の出土品と酷似。古代日韓の関係を探る国内や韓国の研究者の見学が絶えな
い。眠るのは男女2人。百済王族夫妻と考えられ、その被葬者候補が武寧王の父親
ともいわれる昆支(こんき)。どんな経緯で渡来したのだろうか。発掘に携わっ
た講師が調査の成果や、百済と倭国、河内との交流史を解説する。
レジメは下記からダウンロードしてください。
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歴史から知る大地震第2回「内陸の大地震」(寒川旭さん)レジメつき2024年10月1日
มุมมอง 292หลายเดือนก่อน
歴史から知る大地震第2回「内陸の大地震」 講師 寒川旭さん(歴史考古学) 1947年香川県生まれ。東北大学理学研究科博士課程修了。通産省(現・経済産 業省)工業技術院地質調査所及び独立行政法人産業技術総合研究所主 研究員な どを歴 。著書に『地震の日本史』(中公新書)など。 プレート境界の巨大地震の前に多く発生する内陸の大地震。日本プレート境界 の巨大地震の前に多く発生する内陸の大地震。日本各地で起きた大地震について 地震を引き起こした活断層や被害の特徴を紹介します。 ※内陸地震を起こす個々の活断層の活動履歴。地震によって引き起こされる地 盤災害の特徴や歴史への影響を、地震考古学の成果を含めて話します。ジメは下記からダウンロードしてください。 kansai.main.jp/swfu/d/sangawa20241001.pdf
「石川啄木『悲しき玩具』をよむ」(田口道昭さん)レジメつき2024年9月17日
มุมมอง 1732 หลายเดือนก่อน
「石川啄木『悲しき玩具』をよむ」(田口道昭さん)レジメつき 2024年9月17日@大阪自由大学 レジメは kansai.main.jp/swfu/d/taguchi20240917.pdf 講師は田口道昭さん(立命館大学教授) 『悲しき玩具』は1912年に刊行された石川啄木の第二歌集。啄木晩年の困窮した生活を反映し、人間と社会の現実をみつめた内容がうたわれている。
歴史から知る大地震第1回「プレート境界の巨大地震」(寒川旭さん)レジメつき2024年9月3日
มุมมอง 5292 หลายเดือนก่อน
歴史から知る大地震第1回「プレート境界の巨大地震」(寒川旭さん) レジメつき2024年9月3日@大阪自由大学 太平洋側海底のプレート境界から発生する南海トラフ地震・関東地震と北海道 沖や東北沖の地震の歴史を紹介して、近い将来の巨大地震を考えます。 ※南海トラフ地震は文字記録や地震痕跡から発生の歴史が詳しくわかっており、 関東地震・首都直下地震と連動することが多い。一方、最近では、北海道沖でも 近い将来に巨大地震が発生することが懸念されています。 講師は寒川旭 さん(地震考古学) 1947年香川県生まれ。東北大学理学研究科博士課程修了。通産省(現・経済産 業省)工業技術院地質調査所及び独立行政法人産業技術総合研究所主 研究員な どを歴 。著書に『地震の日本史』(中公新書)など。 レジメは下記からダウンロードしてください。 /kansai.main.jp/swfu/d/kan...
読書カフェ『宗教の起原 私たちにはなぜ<神>が必要だったのか』(ロビン・ダンバー著)2024年6月29日資料つき(三室勇さん)
มุมมอง 2684 หลายเดือนก่อน
読書カフェ『宗教の起原 私たちにはなぜ<神>が必要だったのか』 024年6月29日@大阪自由大学 案内人 三室勇さん レジメ、資料は下記からダウンロードしてください。 パワーポイント資料 kansai.main.jp/swfu/d/bookcafe20240629.pdf レジメ kansai.main.jp/swfu/d/bookcafe0120240629.pdf ロビン・ダンバーは、進化心理学、人類学の分野で大きな功績をあげている学 者です。「ダンバー数」(人間が安定的な社会関係を維持できるとされる人数の 認知的な上限を150人程度とした)でよく知られた人です。 本書について、進化生物学者の長谷川眞理子が解説を書いています。そこには 以下のような記述があります。 「ヒトは、宗教を生じさせる脳内の基盤がある。しかし、宗教を生み出すこと が主眼で進化してきたわけではない。物事...
パレスチナ問題と欧米近代「パレスチナの現状、シオニズムの歴史的・思想的起源」板垣雄三氏資料つき2024年6月23日
มุมมอง 7734 หลายเดือนก่อน
パレスチナ問題と欧米近代「パレスチナの現状、シオニズムの歴史的・思想的起源」 板垣雄三氏(東京大学名誉教授、東京経済大学名誉教授)資料つき 2024年6月23日@キャンパスプラザ ルネサンス研究所、反戦・反貧国・反差別共同行動 共催 資料は下記からダウンロードしてください。 kansai.main.jp/swfu/d/itagaki20240623.pdf
読書カフェ「宗教の起源ー私たちにはなぜ<神>が必要だったのか」前編(第1章~第5章)レジメつき2024年5月18日@大阪自由大学
มุมมอง 5816 หลายเดือนก่อน
読書カフェ「宗教の起源ー私たちにはなぜ<神>が必要だったのか」前編(第1章~第5章) レジメつき kansai.main.jp/swfu/d/bookcafe20240518.pdf 2024年5月18日@大阪自由大学 案内人、三室勇さん (新日本文学会、せりか書房、フィルムアート社などで出版編集に携わった後、医療関係の広告代理店を経て現在、医学・医療関係のフリーランス・ライター) (概要 出版社の案内から) 進化心理学の巨人ダンバーが描く、人類と信仰の20万年。 仏教、キリスト教、ヒンドゥー教、神道…… 世界の主要な宗教は、なぜ同じ時期に同じ気候帯で誕生したのか? カルト宗教はなぜ次々と生まれ、人々を惹きつけるのか? 科学が隆盛を極める現代においても、 宗教は衰えるどころかますます影響力を強めている。 ときに国家間の戦争を引き起こすほど 人々の心に深く根差した信仰心はなぜ生まれ、 ...
「能登半島地震と関西」(寒川旭さん)2024年4月2日レジメ付き
มุมมอง 1.1K7 หลายเดือนก่อน
「能登半島地震と関西」2024年4月2日@大阪自由大学公開講座 年明け早々に発生した能登半島地震は甚大な被害をもたらしました。この地震 は何の予兆なのか。過去を振り返れば、未来が見えてきます。歴史を通してこれ からの地震について考えます。 講師は寒川旭さん(地震考古学) レジメは kansai.main.jp/swfu/d/sangawa20240402.pdf
読書カフェ『地形と気象で解く! 日本の都市誕生の謎』(竹村公太郎著)レジメ付き2024年3月2日
มุมมอง 2908 หลายเดือนก่อน
読書カフェ『地形と気象で解く! 日本の都市誕生の謎』(竹村公太郎著) レジメは kansai.main.jp/swfu/d/bookcafe20240302.pdf 案内人は三室勇さん 内容 桓武天皇、平清盛、源頼朝、武田信玄、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康・・・・・・。 土地を変化させ、快適な空間を造り、経済力の土台を築いた先人の叡智! 養老孟司氏激賞! 「技術者の視線が解き明かす、新しい日本通史。 日本人のアイデンティティーの深層に迫る竹村史観」 東京(江戸)、京都、大阪、神戸、福岡、仙台、静岡、奈良、鎌倉、甲府―― 街はどのようにつくられ、賑わったか!? [本書の主な内容] 奈良盆地での文明誕生/中央の湖を自由に行きかう舟/恵みの地は呪いの地へ/日本列島の地理的な中心・京都 東日本へ行く要の地/モンゴル軍を破った福岡の地形/「信玄堤」という画期的な治水事業 信長が戦った比叡山と大...
読書カフェ「訂正する力」(東浩紀著)三室勇さんレジメつき2023年12月16日
มุมมอง 45911 หลายเดือนก่อน
読書カフェ「訂正する力」(東浩紀著)三室勇さんレジメつき2023年12月16日 レジメは下記からダウンロードしてください。 kansai.main.jp/swfu/d/bookcafe20231216.pdf 〇出版社説明 ひとは誤ったことを訂正しながら生きていく。 哲学の魅力を支える「時事」「理論」「実存」の三つの視点から、 現代日本で「誤る」こと、「訂正」することの意味を問い、 この国の自画像をアップデートする。 デビュー30周年を飾る集大成『訂正可能性の哲学』を実践する決定版! 聞き手・構成/辻田真佐憲 帯イラスト/ヨシタケシンスケ 保守とリベラルの対話、成熟した国のありかたや 老いの肯定、さらにはビジネスにおける組織論、 日本の思想や歴史理解にも役立つ、隠れた力を解き明かす。 それは過去との一貫性を主張しながら、実際には過去の解釈を変え、 現実に合わせて変化する力――過去と現...
「台湾総統選挙の情勢と中台関係の行方」(近藤伸二さん)2023年12 月11日
มุมมอง 37911 หลายเดือนก่อน
「台湾総統選挙の情勢と中台関係の行方」 近藤伸二さん2023年12 月11日@「ジャーナリズム研究 関西の会」 内容 ( 1 )蔡英文の政権運営 〇蔡英文の政権運営 ・内政は各種の改革に取り組む 年金改革、働き方改革、同性婚合法化、脱原発、「移行期の正義」、「新南行政策」・中台関係は冷却化 ・中台対話は断絶。ペロシ米下院議長訪台で中国が大規模軍事演習。国交のある国は 22カ国から13カ国に減少 ・米国との関係は良好 大統領就 前にトランプと電話会談米国は台湾を優遇する各種法律を制定台湾への武器売却も活発化 〇各政策に対する評価(台湾民意基金会世論調査) ・対中政策=満足34.5 %、不満足55.4% ・経済政策=満足35.8 %、不満足56.7 % ・政策全体=満足37.1 %、不満足57.4% ・蔡英文総統の評価=良い38.6%、悪い53.6 % ・民進党政権継続を楽観視するか=...
「維新」現象の背景とその対抗軸としてのミュニシパリズム(地域主義)(村澤真保呂・龍谷大学教授)レジメつき2023年12月2日
มุมมอง 1.1K11 หลายเดือนก่อน
「維新」現象の背景とその対抗軸としてのミュニシパリズム(地域主義)(村澤真保呂・龍谷大学教授)2023年12月2日@ひと・まち交流館 今春の統一地方選で維新は大阪での圧勝はもとより関西、全国と大きく伸長し、一人勝ちしました。自公政権への批判の受け皿になった感があります。 こうした維新現象の背景にあるものは何なのか。そこには「便利で他人にかかわらない都市生活を望む意識」があると村橋さんは指摘しています。行政の当事者としての、地域を創り出す主体としての住民ではなく、行政サービスの受益者としての住民の在り方そのものが維新的な政治の根っこにある、と。 私たちはいったいどのような地域をつくりあげたい、と思っているのか。そのために私たち人ひとりが何を引き受けるのか、問いかけています。 レジメは kansai.main.jp/swfu/d/murahashi20231202.pdf 主催:ミ...
「皇帝プーチン 最後の野望」(中津孝司・大阪商大教授)レジメつき2023年11月28日
มุมมอง 19511 หลายเดือนก่อน
「皇帝プーチン 最後の野望」(中津孝司・大阪商大教授) レジメは下記からダウンロードしてください。 kansai.main.jp/swfu/d/nakatu20231128.pdf 2023年11月28日@大阪自由大学
読書カフェ『宮本常一 歴史は庶民がつくる』(畑中章宏著、講談社現代新書)レジメつき2023年10月7日
มุมมอง 975ปีที่แล้ว
読書カフェ『宮本常一 歴史は庶民がつくる』(畑中章宏著、講談社現代新書)レジメつき 2023年10月7日@大阪自由大学 案内人 三室勇さん 司馬遼太郎が岩波文庫の「私の三冊」のひとつにあげたのが、宮本常一の『忘れられた日本人』でした。司馬遼太郎は、宮本常一ほど日本の人と山河を確かな目で見た人は少ないと称賛した民俗学者です。彼のフィールドワークから多様な日本の姿を読み取ることができます。 レジメは下記からダウンロードしてください。 kansai.main.jp/swfu/d/bookcafe20231007.pdf ●出版社の紹介 『忘れられた日本人』で知られる民俗学者・宮本常一とは何者だったのか。その民俗学の底流にある「思想」とは? 「大きな歴史」から零れ落ちる「庶民の歴史」。日本列島のすみずみまで歩き、聞き集めた小さな歴史の束から、世間や民主主義、多様な価値、さらには「日本」とい...
「継体天皇陵の背景(高槻・今城塚古墳)」(森田克行さん)資料付2023年9月28日
มุมมอง 8Kปีที่แล้ว
《なにわ古代史6》高槻・今城塚古墳「継体天皇陵の背景-なぜ淀川水系に築造されたのかー」資料付 6世紀初めに登場した謎の大王、継体天皇。その「真の継体陵」といわれる高 槻・今城塚古墳は淀川水系に位置する。古代の陵墓の大変は、大和川水系のヤマ ト、河内なのに対し、なぜ継体陵だけがポツンと淀川水系だったのか。その背景 を異色の出自とともに、最新の調査・研究成果からたどります。 講師 今城塚古代歴史館前特別館長 森田克行さん 資料は下記からダウンロードしてご覧ください。 kansai.main.jp/swfu/d/keitai20230928.pdf 2023年9月28日@大阪自由大学
大阪・関西万博とIR予定地「夢洲の生物多様性を守るために」(大阪自然環境保全協会、夏原由博さん)資料つき2023年9月20日
มุมมอง 282ปีที่แล้ว
大阪・関西万博とIR予定地「夢洲の生物多様性を守るために」(大阪自然環境保全協会、夏原由博さん)資料つき2023年9月20日
「石川啄木 『一握の砂』を読む」(田口道昭・立命館大学教授)資料つき2023年9月21日
มุมมอง 268ปีที่แล้ว
「石川啄木 『一握の砂』を読む」(田口道昭・立命館大学教授)資料つき2023年9月21日
宮本憲一氏講演会「戦後社会の重大な転換期をどう生きるか」2023年7月6日@ジャーナリズム研究関西の会 レジメ、講演要旨つき
มุมมอง 528ปีที่แล้ว
宮本憲一氏講演会「戦後社会の重大な転換期をどう生きるか」2023年7月6日@ジャーナリズム研究関西の会 レジメ、講演要旨つき
読書カフェ「戦後民主主義」(山本昭宏著、中公新書)レジメつき(案内人、三室勇さん)2023年7月29日
มุมมอง 323ปีที่แล้ว
読書カフェ「戦後民主主義」(山本昭宏著、中公新書)レジメつき(案内人、三室勇さん)2023年7月29日
読書カフェ『我々はどこから来て、今どこにいるのか? 下 民主主義の野蛮な起源』(エマニュエル・トッド)レジメつき
มุมมอง 342ปีที่แล้ว
読書カフェ『我々はどこから来て、今どこにいるのか? 下 民主主義の野蛮な起源』(エマニュエル・トッド)レジメつき
地震講座1(改定版)「どうする秀吉 天正地震と慶長伏見地震」(寒川旭さん)レジメつき2023年5月16日
มุมมอง 1.2Kปีที่แล้ว
地震講座1(改定版)「どうする秀吉 天正地震と慶長伏見地震」(寒川旭さん)レジメつき2023年5月16日
地震講座「どうする秀吉 天正地震と慶長伏見地震」(寒川旭さん)レジメつき2023年5月16日
มุมมอง 938ปีที่แล้ว
地震講座「どうする秀吉 天正地震と慶長伏見地震」(寒川旭さん)レジメつき2023年5月16日
読書カフェ『我々はどこから来て、今どこにいるのか?上』(エマニュエル・トッド著)2023年4月15日レジメつき
มุมมอง 736ปีที่แล้ว
読書カフェ『我々はどこから来て、今どこにいるのか?上』(エマニュエル・トッド著)2023年4月15日レジメつき
司馬遼太郎生誕100年公開講座「日本の近現代を問い直すー『坂の上の雲』を中心にー」(講師、原田敬一さん)2023年4月13 日レジメつき
มุมมอง 476ปีที่แล้ว
司馬遼太郎生誕100年公開講座「日本の近現代を問い直すー『坂の上の雲』を中心にー」(講師、原田敬一さん)2023年4月13 日レジメつき
なにわ古代史5「聖徳太子墓の謎」(安村俊史・柏原市立歴史資料館館長)レジメ付き2023年3月13日
มุมมอง 75Kปีที่แล้ว
なにわ古代史5「聖徳太子墓の謎」(安村俊史・柏原市立歴史資料館館長)レジメ付き2023年3月13日
加耶って、日本の領地でしょう、ミマナの事なのでわ、前方後円墳で証明されています。
日本という国は成立した時期には、伽耶はすでに世の中には存在してないですよ。弥生と伽耶が同じ文明圏を構築してた時期で、日本史より、東アジア史で考えるべきでしょう。
百済の24代東城王、25代武寧王は日本で生まれて日本から百済に行って王となっているので、昆支王の子とされていますが母親が日本人の可能性があります。あるいは東城王、武寧王が日本人かもしれません。
日本人って現代的な概念でしょう。弥生人が基本渡来人で、純粋な日本人(土着民)ーこの言い方が成り立つかどうかは別としてーは縄文人だけ。
不倫手取りを増やします?やれやれ。
隋書にあるあめの多利思比孤とリカミタフリとはだれでしょうか?
天皇が半島から渡来したと 聞いたことあります。
『好太王碑』 【百殘,新羅舊是屬民,由來朝貢,而倭以辛卯年來,渡海破百殘,□□新羅,以為臣民。 以六年丙申,王躬率水軍討利殘國軍□□。 …百殘王困,逼獻出男女生白一千人,細布千匝,歸王自誓,從今以後,永為奴客。 …九年己亥,百殘違誓與倭和通。 王巡下平穰,而新羅遣使白王云,倭人滿其國境,潰破城池,以奴客為民,歸王請命。 …十年庚子,教遣步騎五萬,往救新羅,從男居城至新羅城,倭滿其中。官兵方至,倭賊退。】 百済・新羅はもと高句麗に服属する民で、これまで高句麗に朝貢してきた。 ところが、倭が辛卯の年(三九一)以来、海をこえて襲来し、百済や新羅などを破り、臣民とした。 そこで好太王は、三九六年にみずから水軍をひきいて百済を討伐した。 …百済王は困って好太王に降伏して自ら誓った。「これからのちは永くあなたの奴隷になりましょう」と。 …三九九年、百済はさきの誓約をやぶって倭と通じたので、好太王は平壌へ行った。 そのとき新羅は使いを送ってきて好太王に告げた。 「倭人が国境地帯に満ちあふれ、城を攻めおとし、新羅を倭の民にしてしまいました。 私たちは王に従ってその指示をあおぎたいのです」と。 …四〇〇年、好太王は歩兵と騎兵あわせて五万の兵を派遣して新羅を救わせた。 その軍が男居城から新羅城に行ってみると、倭の兵がその中に満ちていたが、高句麗軍が到着すると、退却した。
説明でおかしいと思ったのは、百済が中国との交流で先進技術をもっていたので日本に伝えたと言うのだが、どうしてそんな「先進国」が日本へ天皇へ人質を出さなければいけないような属国になっていたのか、矛盾している。属国百済を単に経由して日本に技術が取り入れられたにすぎないのではないか?属国なんだから、ただの通り道でしょう。
ちょっとおかしなことをおっしゃっている。古墳の変化に連続性が見られるからと言って、征服がなかったとは言えないでしょう。例えば戦国時代に織田は斎藤、北畠、六角、浅井、朝倉などを次々に滅ぼしましたが、それによって美濃や伊勢や近江や越前の町の作り方や城の作り方が大きく変わった訳ではない。それと同様のことが古墳時代にも言えるでしょう。城も古墳も日本列島で広く共通だったので、その共通文化の内部の異なった勢力間で征服があったとしても城や古墳に大きな変化があるはずもない。
なんちゃってジャーナリスト爆笑
10:15 この地図ではない地図を見たことがありますか?はい!😂
柏原の山を思い出しながら聴きました。興味津々。
面白いけど細かいなw公開土王碑の文面でも当時の小国は強国への貢ぎ物=徴税が厳しいんだね。広開土王碑文には2000人の女生口を得てたとか書いてる。でこの徴税の対策には同盟国とか後ろ盾の存在が重要だった。帯方郡が魏の役所になりすぐに分断され自由都市となった。高句麗や他勢力の介入は想像以上だろうね。こんな時百済が誕生するんだね。1000人程度の軍勢?馬賊でも百済統治は壊滅で武烈天皇の時代は相当倭軍は救援したと思うよ。遼東や山東半島からの交易の窓口であり鉄輸入などと先進技術の窓口でもあっただろう。最初は帯方郡の権威の延長で倭軍は協力し次第に中国閥が台頭し(倭の5王の下りで)475年に滅亡で倭勢力下にはいった。百済は倭の辺境伯の地位で防衛の要だったんだろう。百済をくだらの発音が最も近い。ペクチェは日本で言えばひゃくさいと発音と同じ事。東北工程で高麗で半島の継続歴史は終わり李氏朝鮮とは本体はチベットビルマのモンゴル軍の人達。で百済の発音が判らないので発音してるだけ。高句麗はこうくりと発音で中国でも同じ発音。この辺りは李氏朝鮮の影響がなくくだらと同じ状態の発音と。
イントネーションから言えば明らかに中国の方が影響強いだろ学者は音痴ばっかでわからねーか
百済の西海太守で、宋に450年に使いした、馮野夫が百済王家に婿入りして、昆支王になったのでは。蓋鹵王が本当の兄弟だったら、なかなか自分の妃を与えたりしないのでは。それと、昆支王が倭国に来て雄略になったのではと。東城王を送り出すとき、頭をなでるところなどは、自分の子だという感じがする。
蓋鹵王が昆支に与えた妃が日本に来る途中の加唐島で武寧王を生んだと言う話はとってつけたような話であまり信用できません。武寧王が加唐島で生まれたと言う事は武寧の母親が加唐島の人で日本人であり、武寧王が幼少期に加唐島で生まれ育ったと言う事ではないでしょうか。
古代も現代も大阪は半島と関係していますよね。 現在では、【大阪民国】という所があるとネットでは記述されている様です。
とても素晴らしい講演😊
興味深く拝見しました。カメラ位置とインサートの参照図が無いのが非常に残念ですが
なぜ宋書倭国伝が「信頼できる」と考えるのでしょう。歴史書は常に権力者によって歪められているとみなすのは常識ではないでしょうか。さらに時代を遡れば、伝聞で曖昧な事象が書かれている上に、偏見やら政治状況やらで歪められていると考えるのが当然でしょうね。
ハマスの奇襲は民間人を標的としたので、これは「抵抗」ではなく、「違法な報復・戦争犯罪」というものです。だから国連や人権団体もハマスの奇襲も批判をしています。PLOが路線転換をしたのも武力では解決しないことを悟ったからではないですか。 そこはきちんと批判をしないと社会に間違ったメッセージ(暴力で訴えることは正しい)を出してしまいます。欧米では政治的暴力が進んでおり、日本の将来を暗示しているようです。 もっと注意をして欲しいのです。
重要な内容の講演です。配信に感謝します。
近年の地震考古学の研究で、過去の東海、南海地震は、すべて連動していた、ということがよく解った。 日本列島地下の、プレートのすさまじい活動が、歴史の記録からも、実感できた。 日本人とは、太古より地震列島と供に生きているんだから、日本人なんだ!!!
お金取ってもいいぐらいの内容😮
初代神武天皇のモデルになった人が眠る大阪府柏原市玉手山が望める古市にヤマトタケルを埋葬した。能褒野陵とよく似て規模も同じ野中宮山古墳がヤマトタケル陵だと思います。また能褒野陵は行燈山古墳に形状が似ており、しかも行燈山古墳の東には櫛山古墳がありますが、この古墳は吉備の楯築墳丘墓と同じ双方中円墳であり、行燈山古墳被葬者が櫛山古墳被葬者の関係者だとすれば、吉備津彦の娘を妃にした景行天皇こそが行燈山古墳の被葬者だと考えられ、幕末に伝承があった行燈山=景行陵は正しいと言うことになります。ヤマトタケルは大王だったと常陸の国風土記逸文に見られますが、父景行天皇の死後、天皇に即位する意思を持ってヤマトに向かいますが、先に即位した成務に近江で阻まれ、熱田で過ごされた後、能褒野に葬られましたが、親族によって行燈山の近くに陵墓造営を意図したが、これも阻まれ、やむを得ず皇孫神が眠る浪速の玉手山が望める古市の地に陵墓を造営したのだと思います。古市の地には子の仲哀天皇陵墓、孫の応神天皇陵墓がありますがヤマトタケルは子と孫に囲まれて古市の地に眠っているわけです。これが古市に巨大前方後円墳が現れた理由だと思います。また後代に成務天皇と呼ばれる人には妻も子もいないように古事記は伝えますが、日本書紀では別伝を伝え皇后も子もいたことになっており、成務後に仲哀と成務の子孫による皇統の分裂があり、成務子孫側が破れたと思われます。佐紀近辺の大王の伝承がない大型古墳群はこの成務朝の大王墓と思われ、攻め上ってくる神功皇后の軍に対抗すべく兵庫に軍勢を向かわせて敗死した二人の皇族にされてしまった人は成務朝の大王だったと思います。
1:24:55 「これ」「ここ」とはどこだ・・画面に変化なくてわからん
喋るのが上手い
一コメ
ご無沙汰しております、3~4年前に 吉永小百合さんの件でお世話になった、東京の鈴木です、数年前に購入した与謝野晶子の手紙を額装しました、写真に撮ってありますので来週中には送れる予定です、詳細は手紙にて ・ ・・
人間は忘れる生き物です destroyプログラム
計算とは... 確定申告である☝ ツライッ!
脱活乾漆造の彫像制作は平安以降は衰退しています。手間と費用が原因でしょう。よって夾苧棺の制作年代についての安村先生のお説には説得力があります。他の工芸技術においても「最初が一番スゴい」はよくある事ですから。C14の測定も裏付けですね
お前今上天皇陛下に皇太子を退位して秋篠宮に譲れとかいう本を書いたな。お前川嶋龍彦と財団で一緒だったがそれで奴に利するようにしたのか?
記紀が奈良や河内を舞台した物語では無いから無理があるのでは?
古市古墳群はいつのまにか百舌古市古墳群にされたのか、ここ重要な話しだね
小さな眼差しでしか捉えてないね
先生の姿も常時写して頂きたいと思います。せっかく先生が身振り手振りも交えて説明をされているのに、レジュメだけを写した映像ではそれが動画の視聴者には伝わりません。
イラストお上手❣プロに頼んだのかと思いました。 お話はもちろん面白かったです。
青天の霹靂です。とても興味深く拝聴致しました。配信下さり有難うございます。寒川先生の御講義をもっと沢山の方に聴いて頂ける事を希望します。
ポール・ニザンの孫だけでなく、まさかラスレットの甥でもあったなんて思わなかった
おはようございます、
睡眠用に毎日きいてます
とても興味深かったです。文献と考古学的資料に基づいたお話は説得力がありました。公開に感謝いたします。
😊複雑化し高密度化する社会状況の中で止めどもなく劣化する政治。30年経過したニュータウンで地域自治を担う一市民の指針となる講義に拍手をおくります。
高校時代、大学医学部でも、研究だけで無く、生きて、人生をどう生きていくか?6年間相談にのっていただき、大変ありがとうございました。NHKの教育番組の主幹が、母校の公演で、山本先生のような方が、現在の研究者の先駆者で、若者の研究者を育成すべきと、言われて、感動しました!予備校で、レギュラー、特設単科の全物理の学習指導をしていただきましたね!講師室での冗談を踏まえた会話、毎週楽しみにして通いました。講師室での先生のお嬢さんを紹介され、ビックリしました。お元気で、いつまでも研究を続け、若い世代に社会問題の大切なお話をお願いいたします!
皇后、太子、太子嫁ですから、お母さんが最も身分が高いんですよね。 お母さんがメインに葬られているのでしたら「陵」でいいんだと思います。 そこに聖徳太子の名を被せるから、いや「墓でしょ」となるだけで。
この先生の話からも邪馬台国が奈良盆地にあったというのは非常に無理がある話だということが分かります。
「住吉三神(男神)」は「宗像三神(女神)」に対応していますね。 「住吉津」は「御津寺」の地名からももっと北の方にあったと考えるのが普通でしょう。 また、「三島」は「神武天皇の后」となったという父親が出雲の「大国主命」の子の「事代主命」が父親の「姫蹈鞴五十鈴媛命」の母「玉櫛媛命」の父とされる「三嶋溝咋耳命」の名と関係あると思います。「溝咋氏」の開発した付近には「三島神(大山積命)」を切られた時に生んだとされる「加具土命」を祀る「佐和良義神社」がありますし、銅鐸の石製鋳型が出土した「東奈良遺跡」も近くにあります。
聖徳太子は河内の叡福寺の他に、奈良の法隆寺でも祀られています。聖徳太子の墓とされる叡福寺の北古墳と、法隆寺の藤ノ木古墳は双子のように相似形だそうです。と言うことは聖徳太子は藤ノ木古墳に埋葬された可能性があります。藤ノ木古墳はミササギ山と呼ばれていたことから大王墓と思われ、江戸時代まで墓守が守っていたそうですから、例のないよほどの重要人物が埋葬されていたようで、副葬品も大王クラスの豪華なものです。ただ藤ノ木古墳には男二人、大柄な人と華奢な人が埋葬されているそうです。これは藤ノ木古墳は元々は蘇我氏が滅ぼした物部守屋の供養のための古墳だそうですから大柄な人は物部守屋で華奢な人が聖徳太子ではないでしょうか。聖徳太子は蘇我入鹿説があり入鹿は大王だったと言う説がありますからミササギ山と呼ばれていたのではないでしょうか。また入鹿は乙巳の変で暗殺されていますから、暗殺されたため急遽守屋の藤ノ木古墳に葬られたのではないでしょうか。
講師?がこれは違いますといってるのに…確かな資料もないのにここが太子の墓だなんていえるよなあ… 日本の考古学者のいい加減なのがよくわかります…
厩戸王の一家全員が同時期に亡んだと理解してましたが 弟君が 生き残っていたんですね.墓石🪨のカーボン時代検証はできるでしょうか?
「はなれ瞽女おりん」有難う御座いました。 撮影の宮川一夫カメラマン、照明の佐野武治技師とは、 弟子の様に、若くて若輩者ですが、仕事仲間です。 岩下志麻さん、原田さんの演技と、撮影美を お話をお聞きして思い出しました。 当時、独立プロの篠田監督の良心的な秀作ですね。 お話に、感謝。