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ピンイン付き 耳で慣れる中国語 故事成語【虎の威を借る狐】中国語訳文 Chinese Listening -Idiom Story  成语故事·【狐假虎威】
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ピンイン付き 耳で慣れる中国語 故事成語【完璧】中国語訳文 Chinese Listening -Idiom Story  成语故事·【完璧归赵】
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故事成語【蛇足】の中国語訳文 元アナウンサーと学ぶピンイン付き【耳で慣れる中国語朗読】
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ピンイン付き 中国語を読む 魯迅「藤野先生」
มุมมอง 4017 หลายเดือนก่อน
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ピンイン付き 中国語朗読 清代前期の小説集『聊齋志異』の「西 湖 主」 日本語訳はコメント欄にご参考
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「耳で慣れる中国語」唐詩七言絶句 聞き流し中国語【古诗欣赏】Appreciation of Chinese Tang Poetry
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「HSK中国語検定」5級過去問題 文法発音 「語順」「連用表現」「補語」「受け身文」「元中国語アナウンサーと学ぶ」
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「耳で慣れる中国語」唐詩三百首 五言律詩 聞き流し中国語「古诗欣赏」Five-character Rhyming Poems in Chinese
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『唐詩三百首』とは、清代に編集された唐詩選集のことで、全6巻、孫洙が1763(乾隆28)年に完成させました。 唐代各時期の詩人77人300首が載っており、この本は当時科挙受験者よりも一般庶民の間で大流行しました。 日本では『唐詩選』がよく読まれてきましたが、中国では今もこの『唐詩三百首』が最も人気のある唐詩アンソロジーです。
「HSK中国語検定」3級過去問題 解答方法解釈練習「元中国語アナウンサーと学ぶ」
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「耳で慣れる中国語」愚公移山 高校漢文中国語原文「寝る前に」【元中国語アナウンサーと学ぶ】愚公移山现代文和古文朗读 Chinese reading。
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【耳で慣れる中国語】名作朗読 故郷魯迅【睡眠前の朗読】】「元中国語アナウンサーと学ぶ」Chinese listening practice with announcer .鲁迅 故乡
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ความคิดเห็น

  • @鹿乃子のこ-m9t
    @鹿乃子のこ-m9t 11 วันที่ผ่านมา

    小学生の頃に魯迅の故郷を国語の授業で学びました。当時も闰土が魯迅に向かって「老爷!」と叫び、それを聞いた魯迅が身分格差によって竹馬の友との埋めようもない壁が出来てしまったことに衝撃を受けたシーンに強く感動したものです。 その後大学で中国語を学びましたが、授業で魯迅の故郷を勉強する機会はありませんでした。今回中国語で故郷を朗読していただき、子供の頃に感じた感動と、当時の中国社会が彼らの友情まで引き裂いてしまった現実に思いを馳せ、涙が溢れました。今の中国も経済的に大変らしいですが、当時の農村は遥かに厳しいものだったのですね。😢

  • @yayoigoda8032
    @yayoigoda8032 4 หลายเดือนก่อน

    こえおおきくいいです。

  • @yayoigoda8032
    @yayoigoda8032 4 หลายเดือนก่อน

    声が小さい

  • @yayoigoda8032
    @yayoigoda8032 4 หลายเดือนก่อน

    ❤声が小さい。

  • @nodirectionhome-shogan
    @nodirectionhome-shogan 4 หลายเดือนก่อน

    感谢不仅🙏

  • @楠原敏夫
    @楠原敏夫 5 หลายเดือนก่อน

    先生の眼鏡が😅

  • @kanonmiyapee557
    @kanonmiyapee557 6 หลายเดือนก่อน

    这个菜单是用汉语写的。では不正解になりますか?

  • @jadoretesyeux_
    @jadoretesyeux_ 6 หลายเดือนก่อน

    谢谢老师❤ 今天学好了很多

  • @user-ey8yv7gg5k
    @user-ey8yv7gg5k 7 หลายเดือนก่อน

    ④ 仙台を去ってから、私は長年写真というものうを写したことが無かった。それに状況も面白くなく、知らせたところで失望させるだけのことだろうから、手紙を書くのも気後れがした。歳月が過ぎるにつれ、いよいよ何から切り出してよいか解からなくなる。だから時には手紙を書こうという気持ちになっても、こんどはなかなか書きだせない。こんなわけで此れまでついに一通の手紙も一枚の写真も差し上げたことがない。彼の方から見れば、去ったが最後、杳として音沙汰なしである。 しかし、どういうわけか、私はやはり彼を思い出す。私が師と思いきめた人のなかで、彼はもっとも私を感激させ、私を鼓舞してくれたひとりなのだ。私はよくこう思う、彼の私にかけた熱意に満ちた期待、倦まざる教えは、小にしては、中国のためであり、つまり中国の新しい医学の出現するのを望むことだった。大にしては学術のためであり、つまり新しい医学が中国に傳わることを望むことだ彼の人柄は、私の眼のなかで、心のなかで、偉大である。彼の名は多くの人に知られていなが。 彼が訂正してくれたノートを、私は以前分厚い三冊の本に綴じ、しまっておいた。永久の記念にするつもりであった。不幸なことに七年前転居の際に、途中で本箱を壊されてしまい、本を箱の半分ほど失ってしまった。まずいことに、このノートも紛失した中に入っていたのである。 運送屋に督促して捜させたが、返事は無かった。ただ彼の写真だけは今なお私の北京の住居の東側の壁にかけてある。書きもので机に向かい合ってである。夜ごと疲れ怠けたくなるとき、顔をあげて、灯火の中で彼の痩せた浅黒い顔にチラッと目をやると、今にもあの抑揚のきつい口調で話しだすようで、忽ち私は良心を目覚めさせられ、そして勇気を奮い立たせられるのだ。そこで一本タバコに火をつけ、またしても 『正人君子』どもの目の仇きにされる文章を書き続けるのである。        十月十二日。

  • @user-ey8yv7gg5k
    @user-ey8yv7gg5k 7 หลายเดือนก่อน

    ③ 「やっぱり見てみないことにはな。一体どういうことになっているんだろう?」  ある日、学級の学生会の幹事が私の下宿にやって来て、ノートを貸してほしいと言った。取り出して彼等に渡してやったが、パラパラとめくって見ただけで、持ち帰ろうとはしなかった。ところで彼等が引き揚げると、郵便屋が分厚い封書を届けてきた。封を切って見ると書き出しはこうだ。 そのあとの文句は、あらましを言うと、前年度の解剖学の試験問題は、藤野先生がノートにしるしをつけておいたので、私はあらかじめ知っていたのだ、だから、このような成績をとることが出来たというのである。文末は匿名であった。 私はこれでこの間のあの一件を思い出した。同級会をするというので、幹事が黒板に通知を書いた。終わりの文句は、 「全員漏れなく参集されたし」で「漏」の字のわきに○印が付けてあった その時その○をおかしいとは思ったが、全然気にとめていなかった。これであの字も私への、あてこすりであったのだと、やっと気がついた。教員が漏らした問題を私が手に入れたと匂わせていたのである。 私はただちにこの件を藤野先生に知らせた。何人かの私と親しい同級生も大いに憤り、私と一緒に行って、幹事が口実を設けて検査する無礼を問責し、あわせて彼等に検査の結果を公表するよう要求した。結局このデマ中傷は立ち消えた。すると今度は幹事は極力奔走して、例の匿名の手紙を取り返そうとした。締めくくりとして私はこのトルストイばりの手紙を彼等に返してやった。 中国は弱国なるが故に、中国人は当然低能児ということになる。点数が六十点以上になると、もう自分の力ではなくなるのだ。彼等が疑いぐるのも無理からぬことだ。ところで、つづいて私は中国人を銃殺するのを見学する運命にめぐり合った。第二学年には細菌学が加わり、細菌の形態はすべて幻灯で示されることになっていた。一区切りついてもまだ講義時間が終了になっていない時には時局の画片を映した。むろん全部日本がロシアと戦って勝利を収めた場面ばかりである。 ところが、こともあろうに中国人が、そのなかに紛れ込んで出て来たのだ。ロシア人のために密偵を働いたかどで、日本軍に捕らえられ、いまにも銃殺されようとしている。ぐるりを取り巻いて見物しているのも中国人で、そして教室にもう一人わたしがいた。  「万歳!」彼等はみな手をたたいて喚声をあげた。 こういった喚声は一枚ごとにあがるのであったが、しかし私にとっても、犯人が銃殺されるのを暇つぶしに見物する人々を見かけたが、彼等も酒に酔いしれたように喝采するではないか。ーーーーーーああ、如何ともし難い!しかし、その時、其処で、わたしの考えは変わったのだ。 第二学校が終了すると私は藤野先生を訪ね、医学の勉強は止める。そしてこの仙台を去ろうと思っていると申し上げた。先生の顔に悲しげな色がよぎった。何か言おうとしたようだが、しかしとうとう何もおっしゃらなかった。 「わたしは生物学を勉強するつもりです。先生が教えてくださった学問はやはり役に立ちますよ」実の所、私は別に生物学をやろうと決心した、わけではなかったのだが、彼の寂しげな様子を見て、彼を慰める作り話しをつい言ってしまったのだ。 「医学のために教えた解剖学なぞは、生物学のたすけには、さしてならんのじゃないか」彼はため息をついて言った。  出発する前日前、彼は私を家に呼び、私に写真を一枚渡された。裏には「惜別」の2字が書かれていた。そして私のもくれるようにおっしゃった。だがその時、折あしく写真はなかった。すると彼は 後日写したら送ってほしい、そして、始終、手紙でその後の様子を知らせるようにと念を押して、おっしゃった。

  • @user-ey8yv7gg5k
    @user-ey8yv7gg5k 7 หลายเดือนก่อน

    ② 後の方の数人が笑い声をあげた。彼はつずいて解剖学の日本における発展の歴史の講義をした。大小ざまざまの書籍は、初期から今日までに至るまでの、この分野の学問に関する著作だったのである。はじめの何冊かは糸綴じのものである。中国の訳書を翻刻したものもある。彼らの新らしい医学の翻訳と研究は、中国より別に早くはなかったのだ。うしろに陣取って笑い声を上げた連中は、前年度に合格しなかった落第生で、学校にはすでに一年いたので、裏話には甚だ明るくなっている。彼等は新入生に、一人一人の教授についての逸話を語り聞かせてくれた。 この藤野先生は、なんでも身なりにはよほど無頓着で、時には蝶ネクタを忘れてくる事があるそうだ。冬は一張羅の古びたオーバーげ寒そうにしているので、或る時など汽車に乗ったら、車掌がスリかと怪しみ、車内の客に用心をうながしたことがという。彼らの話はたぶん本当であったのであろう。一度先生が蝶ネクタイなしで教室に現われたのを現に私が、この目で見たことがある。一週間が過ぎ、たぶん土曜日だったろう、彼は助手をよこして私を呼んだ。研究室に行ったところ、人骨とたくさんの頭蓋骨のまん中に坐っている彼が目にとびこんだ。-----その頃彼は頭蓋骨を研究中で のちに一篇の論文にまとめ上げて本校の雑誌に発表された。 「私の講義は、聞き取れるかね?」 彼はたずねた。 「少し聞きとれます」 「持ってきて見せ給え!」 私が筆記したノートを差し出すと、彼は受け取り、二、三日して返してくれた。そして、これからは一週間に一度持って来て見せるようにと言った。持ち帰って開いて見て、私は非常に驚いた。同時に一種の不安と感激におそわれた。私のノーとは始めから終わりまで、すっかり朱筆で添削してあるではなか。多くの脱けた箇所が書き加えてあるばかりか、文法上の誤りまで一つ一つ訂正してあったのである。これは彼が担当している学科の骨学、血管学、神経学が終わるまでずっとつづいたのである。 残念ながら当時わたしは甚だ不勉強で、時として、我が儘でもあった。今でも覚えているが、ある時藤野先生は私を彼の研究室に呼び出し、私のノートをめくって一つの図を出した。それは下脈の血管であったが、それを指し示しながら、やさしく私に言った。 「ねえ君、君はこの血管の位置を少し移動させたね。ーーーーそりゃあ、こう移してやると、たしかに、いくらか見た目にはいい、だが解剖図は絵画じゃないんだよ。実物がそうなっているものを、我われが換えるわけにはいかないんだよ。いまちゃんと直してあげたから、これからは黒板に書いてあるとおりに写し給え」 しかし私はやはり承服しなかった。口では同意したものの、心の中でhこう考えていた。 「図はやっぱりボクのほうがうまいや。実際の様子は、むろん頭の中に叩き込んであります」学年試験が終わり、私は東京に行って一夏遊んだ。秋の始めに学校に戻って来た時には、とっくに成績が発表してあった。同級生百人あまりの中で、私は真ん中へん、落第しなかったというだけのことだった。次ぎの藤野先生が担当する学科は解剖実習と局部解剖学である。解剖実習をして、およそ一週間目のころ、彼は又、私を呼び寄せて、上機嫌で、例の抑揚のひどい口調で言った。  「私は中国人は霊魂を非常に敬うと聞いていたんで、心配したが、君が屍体の解剖を嫌がりはしないかとね。これで先ずは安心したよ、そんなことがなくてね」 だが彼もたまに私を困惑させることがあった。彼は中国の女性は纏足すると聞き知っていたが、詳しいことは解からない。そこで、どういうくるみ方をするのか、足の骨はどのような畸形になるのかを私から聞き出そうとするのだ。その上、嘆息まじりに言うのである。

  • @user-ey8yv7gg5k
    @user-ey8yv7gg5k 7 หลายเดือนก่อน

    ① 東京もこんなものに過ぎないのだ。上野の桜が満開の季節に、見渡すと、なるほど花くれないの霞たなびくようだ、花に下につきものの、群れだって行く「清国留学生」の速成科がいた。頭のテッペンに長いベンハツを、とぐろに巻いているので、制帽のてっぺんが突き上げられて、聳え立ち、富士山の一つできあがりだ。 辮をほどいて、べったり撫で付けて付けている者もいるが、帽子をとると、顔にも映すんかばかりにピカピカさながら乙女の髷物にも似たりで、おまけにクネクネ首をくねらせる。まことになめまかしいかぎりである。中国留学生会館の取附きの部屋では、なにがしかの書籍が入手できるので、ときには一巡りだけのことはあった。午前中なら、奥の方のいくつかの洋間は、一休みするには、さほど悪くは無かった。だが夕刻になると、そのうちの一室の床板がしょつちゅうドスンドスンと大音響を響かせ、さらには部屋中に濛濛たる塵が舞いあがるのだ。消息に精通している男に尋ねると、「ダンスのレッスンだよ」と答える。 東京もこんなものに過ぎないのだ。上野の桜が満開の季節に、見渡すと、なるほど花くれないの霞たなびくようだ、花に下につきものの、群れだって行く「清国留学生」の速成科がいた。頭のテッペンに長いベンハツを、とぐろに巻いているので、制帽のてっぺんが突き上げられて、聳え立ち、富士山の一つできあがりだ。 辮をほどいて、べったり撫で付けて付けている者もいるが、帽子をとると、顔にも映すんかばかりにピカピカさながら乙女の髷物にも似たりで、おまけにクネクネ首をくねらせる。まことになめまかしいかぎりである。中国留学生会館の取附きの部屋では、なにがしかの書籍が入手できるので、ときには一巡りだけのことはあった。午前中なら、奥の方のいくつかの洋間は、一休みするには、さほど悪くは無かった。だが夕刻になると、そのうちの一室の床板がしょつちゅうドスンドスンと大音響を響かせ、さらには部屋中に濛濛たる塵が舞いあがるのだ。消息に精通している男に尋ねると、「ダンスのレッスンだよ」と答える。 はじめ私は監獄のそばにある下宿屋に住んだ。初冬だと言うのに、もう随分と寒い。そのうえ蚊がたくさんいる。そのうち蒲団をすっぽりがぶり、服で頭と顔をくるんで、鼻の穴だけを出し息をすることにした。息が出たり入ったり絶え間ない場所では、蚊もついに横合いから口を入れるすべが無く、意外にも落ち着いて眠れた。食事もなかなかよかった。 ところが或る先生が、その下宿が囚人のまかないも請け負っていることから、私がそこに下宿することは、適切でないと考え、それを繰り返し繰り返し、お説になる。下宿屋が囚人の、まかないを兼業していたって、私は関係は無いと思ったが、好意をムゲに断れず、他に適切な住みかを探すほかなかった。かくて別の家に引っこした。監獄からは遠ざかったが、来る日も来る日も、どうにも呑み越せない芋ずる入りの味噌汁を飲ばねば、ならぬことになったのは無念だった。 以来、多くの見知らぬ先生に出会い、多くの新しい講義を聞くことができた。解剖学は二人の教授が分担した。最初は骨学である。その時入って来たのは痩せた色の黒い先生で、八字ひげに、眼鏡をかけ、大小さまざまの書物を重ねて脇に抱えていた。書物を置くなり、ゆっくり区切り区切り、学生に向かって自己紹介をして言った。 「私は藤野厳九郎という者であります・・・・・・・・・。」

  • @user-ey8yv7gg5k
    @user-ey8yv7gg5k 8 หลายเดือนก่อน

    ④ 「十年ばかり会わないうちに、何とこれほどに裕福になるとは……」梁があきれると、 「君は、今だに僕が貧乏書生のままだと思っていたのだろう」と陳も笑ったのでした。 「さっき、隣にいた美人は?」 「女房だよ」 「奥さんと、どこへ行くんだい」 「ちょっと、西の方へね」 陳が合図をすると、笛や太鼓、銅鑼の音が響き、会話ができなくなってしまいました。 梁は周りを取り巻く美しい女たちに目を奪われ、大声で叫びました。 「明允(めいいん)公! 僕にも天上の楽しみをさせてもらえんかね!」 「だいぶ酔ったようだね。それなら、美人も買えるくらいの金をあげるとしよう」 陳は侍女に命じて大粒の真珠を梁に渡しました。 「これなら緑珠(りょくじゅ/古代の富豪が真珠で買い求めた美女)だって買えるというものさ。 せっかくの旧友との再会だが、今つまらない用事の途中で、長居はできないんだ」 と言うと、梁を送り返し、そのまま立ち去ってしまいました。 その後、郷里に戻った梁が様子を見ようと陳の家をたずねると、何と陳が客と酒宴を開いています。 「君は洞庭湖から西に行ったはずなのに、どうしてこんなに早く帰ることができたのだい」 「洞庭湖なんて行きゃしないさ。毎日ここで飲んでたんだから」 梁が洞庭湖での出来事を話すと、客たちはみな驚きましたが、 「ぼくに分身の術が出来るとでも言うのかい」と、陳は笑っています。 皆は不思議に思ったのですが、結局わけが解らないままに終わったのでした。   陳は81歳で亡くなりましたが、埋葬の時、その棺があまりに軽いので蓋を開けてみると、中はからっぽでした。

  • @user-ey8yv7gg5k
    @user-ey8yv7gg5k 8 หลายเดือนก่อน

    ③ 陳は震えおののきながら、侍女のあとについて何十もの門を抜け、宮殿のひとつにはいったのでした。 「遠方から参りました寄る辺なきしもべに、何とぞ憐れみをおかけください」 と、思いもかけず、妃は立ち上がると、ひれ伏す陳の手を取って、みずから引き起こし、 「あなたがいなければ、私の命はなかったのです。知らなかったとはいえ、恩人をこんなふうにお迎えして、お詫びのしようもありません」 すぐに酒宴が設けられ、陳があっけにとられていると、妃が言うには 「ご恩に報いることができないのを残念に思っておりましたが、娘のハンカチに詩を頂いたのは天の定めたご縁と存じます。今宵さっそく、おそばにお仕えさせましょう」 夜になって、侍女が公主の支度の整ったことを告げ、陳を式場に案内すると、たちまち管弦の響きが起こり、麝香の香りは辺りに満ち、宮殿は灯火に輝きました。 公主は腰元たちにかしづかれて拝礼を交わし、ふたりはとばりの内にはいって、雲雨の交わりを結んだのでした。   「私は行きずりの者で、これまで拝謁をたまわったこともありません。お手ふきを汚して命は無いものと思っておりましたが、許されたばかりかご縁組みまでして頂くとは、まったく訳がわかりません」「私の母は揚子江の竜王の娘で、西湖竜王の妃なのです。昨年里帰りの途中、矢に当たって引き上げられたのですが、あなたに放して頂き、傷薬まで頂いたので、皆感激して、ご恩を忘れることはありませんでした。人間ではないからと怪しまれないでください。私は父の竜王から不老長生の術を伝授されておりますので、末永くご一緒しましょうね」 ということで、陳は初めて公主たちが神だとわかったのでした。 「あの侍女はなぜ私を知っていたのでしょう」と聞いてみると 「その時、竜の尾をくわえていた魚があの侍女なのです」   陳は家に便りをしていないことを思い出し、消息を知らせる使いを出しました。 ここでは二三日の出来事が、竜宮城の話のように人間界では一年もの時が過ぎていて、舟が難破したとの知らせを受けて既に一年ほど喪に服していた陳の妻子は、無事を知って喜んだものの交信する事が出来ず、このまま生き別れになるのではと心配していましたが、半年ほどすると陳が帰宅しました。 立派な身なりで、珠玉を山のように持ち帰りましたから、それからは広い邸宅を建て、多数の美女を雇い入れ、連日貴顕を招いての宴会で、その音楽や酒食の豪華なことはこの上もないといった有様です。そのように裕福になった事情を聞く者があれば、隠すことなく話したのでした。   陳の幼なじみで梁子俊(りょう ししゅん)という人が、役人になって南方に十年ほども勤めていましたが、帰郷の途中、洞庭湖を通ったときに美しい屋形船を見掛けました。 開いている窓を覗くと、若い男が美女を侍らせて酒宴の最中なのです。 この辺の役所の高官のようだが、それにしては供の者が少ないと更によく見れば、何と明允(めいいん)という呼び名でつきあっていた旧友の陳なのです。 思わず手すりから身を乗り出して大声で名前を呼ぶと、陳も気が付いて舟を止めさせ、梁を招き入れました。 すでに並んでいた料理が片づけられ、あらたに酒食がはこばれて、美しい侍女たちが梁に酒を勧めるのでした。

  • @user-ey8yv7gg5k
    @user-ey8yv7gg5k 8 หลายเดือนก่อน

    ② 少女が侍女の問いに微笑んでうなづいたので、女たちは肩をかしたり手足を支えたりして少女を鞦韆に助け上げました。 鞦韆はもと北方騎馬民族の相当乱暴な遊びだったようですが、中国にはいってからは女性の遊びとなりました。 当時の挿絵では、建築の足場のような骨組みで、屋根より高い所でぶらんこをしているようですから、隠れている陳には、天女が空を飛んでいるように見えたことでしょう。 やがて皆は公主を助け下ろすと、笑いさざめきながら行ってしまいました。 人声が聞こえなくなってから陳は出てきて、仙女の空を飛ぶ様を回想しながら、呆然として鞦韆の周りを歩き回っていましたが、そのうちに植込みの下に赤いハンカチを見つけて拾い上げました。 あずまやに上ってみると筆や墨があったので、公主を讃える詩をハンカチに書き記しました。 それを読み返しながら来た道を戻っていくと、門は閉まって鍵が掛かっています。 困った陳が屋敷中をうろうろしているうちに、向こうから来た侍女と出会ってしまいました。 「どうして、ここにはいれたのですか」陳は丁寧に一礼して 「道に迷った者です。どうかお助けください」 「この辺で赤い絹のハンカチを見掛けませんでしたか」 「それは確かに私が拾いました。でも、汚してしまいました。どうしたものでしょう」 陳が詩を書いたハンカチを渡すと、侍女は眼をむいて驚きました。 「これは公主様のお気に入りの品です。こんなに墨だらけにしてしまって…」 青ざめた陳が助命を願うと、 「この御殿を覗いただけでも重罪です。あなたは知識人のようですから、何とか助けてあげたいと思っていたのに、これでは…… みずから蒔いた種というものですね」 女は慌てて行ってしまいましたから、陳は「もはやこれまでの命か」と、空を飛ぶ羽のないのを悔やんで、悄然とたたずんでいました。 やがて女は戻ってきましたが、意外に明るい表情で 「あなた、助かるかもしれませんよ。姫さまはあれを何度も読み返されましたが、おとがめは無く、にっこりお笑いになりました。しばらくここで静かにしていなさい。逃げようとして見つかったら、それまでですよ」 すでに日は暮れたものの、吉とも凶ともわからず、不安と空腹で生きた心地もありません。 暗くなってから、灯りを持った侍女が下使いの女を連れて現れ、陳に食事をすすめました。 焦った陳が成り行きを尋ねると、 「先ほど『お庭の生員ですが、お許し頂けるなら釈放されてはいかがですか。あのままでは飢え死にしてしまいます』と申し上げたところ、姫さまは暫く考えられ、『こんな夜中にどこに行かせるの』とおっしゃられて、食事を差し上げるように言われました。これはいい兆しですよ」ということでした。 しかし、陳は心配のあまり寝るどころではなく、一晩中庭園をうろつきまわっていました。 朝になると、また侍女が食事を運ばせて来ました。 そして、また日が西に傾く頃、待ちくたびれた陳の所に、侍女が駆け込んできました。 「大変! おせっかいな侍女が、お妃さまにハンカチの事を話したのです。お妃さまはハンカチを床に叩きつけて『きちがい!』と叫ばれたそうです。すぐに人が来ますよ」 その侍女は走り去り、別の侍女が捕卒を連れて現れました。 その侍女はしばらく陳の顔を見ていましたが、 「あなたは陳さまではありませんか」と驚き、捕卒たちを止めると、駆け戻っていきました。 すぐに戻ってくると、 「陳さまにお通り頂くようにと、お妃さまが申されました」

  • @user-ey8yv7gg5k
    @user-ey8yv7gg5k 8 หลายเดือนก่อน

    ① 陳弼教(ちん ひつきょう)という人は、燕(えん/河北省)の生員でした。 裕福な人ならば上級試験の勉強をしていればいいのですが、陳の家は貧しかったので、生活のために 賈 綰(か わん)という副将軍の書記官をしていました。 ある年、陳は主人に従って南に下りましたが、舟が西湖(せいこ/洞庭湖)に停泊していたとき、浮き上がった猪婆竜(ちょばりゅう/揚子江産のワニ)を見つけ、主人の賈綰が一矢でその背中を射止めました。 その尾に魚が食い付いていたので、それも一緒に引き上げて帆柱に繋いでおきました。 竜は気息奄々として、口を開けたり閉じたりしています。陳は哀れに思って、主人に許しを請い、戯れに傷薬を塗ってから水に戻してやりました。 猪婆竜はしばらく浮き沈みしていましたが、やがて水中に見えなくなりました。 翌年、郷里に帰るときに再び西湖を渡ったのですが、湖上で突然の嵐に遭遇、舟は強風にあおられて転覆してしまいました。 陳は浮いていた竹籠にすがって一晩漂流したあげく、夜明け前に水に垂れ下がっていた木の枝に引っかかり、何とか岸にはい上がることができました。 しかし、あたりには人家もなく、通る人もいないので道を聞くこともできません。 しばらくはぼんやり座り込んでいましたが、空腹でたまらず、昼前には濡れた衣類も乾いたので、近くに人家でも見えないかと、湖畔の丘に登りました。 途中、遠くで鏑矢(かぶらや/音の出る矢)の音がして、狩りの服装の二人の若い女が馬を走らせて行き過ぎました。 丘の上に出ると、同じ姿の女性たちが数十騎、林で狩りをしています。 進むのをためらっていると、馬の口取りといった男が走ってきましたから、呼び止めて尋ねると、 「西湖公主(こうしゅ/姫)様が首山で狩りをされているのです」ということです。 陳が遭難の事情を話し、空腹を訴えると、男は自分の弁当を渡して、 「すぐにここを離れなさい。公主様の前を横切ったりすれば命はありませんよ」と言います。 驚いた陳が急いで丘を駆け下りると、林の中に楼閣が見えます。 大きな寺院かと思って近づいてみると、白壁の塀をめぐらせた立派な屋敷です。 塀ぎわを谷川が流れ、半分開いた朱塗りの門が見えますから、橋を渡って覗いてみると高楼に雲が掛かって、その広大なことは皇帝の庭園か貴族の別荘かと思われるくらいです。 ためらいながらはいって行くと、巨大な藤の蔓が道を横切り、花の香りはむせるばかりです。 幾つかの建物を廻る廊に沿って歩くうちにまた別の中庭に出ました。 枝垂れ柳の列が建物の軒をはらって揺れ、野鳥の声とともに花びらが飛び、ニレの種子が微風に乗って舞い落ちる様は天上の世界を想わせます。 小さなあずまやの近くに鞦韆(しゅうせん/ぶらんこ)がありましたが、人影はなく、長い綱が静まりかえって垂れています。 鞦韆は女性の遊びとなっていましたから、「これは奥御殿に近づいているな」と思った陳はそこで立ち止まりました。 すると、門の方に馬を走らせる音がして、女たちの笑い声もするようですから、陳は傍らの花のしげみに隠れました。 やがて談笑する声が近づいてきます。 「今日は不猟でしたね」 「公主様が雁を射落されなかったら、全くのくたびれ損でしたよ」 女たちが十四五歳くらいの美少女を取り巻いて現れると、あずまやにはいり、香を焚いたり茶を差し上げたりしましたが、その様子は花の山を見ているようでした。 そのうちに少女は立ち上がり、階段を駆け下りました。 「公主様は狩りでお疲れでしょうに、鞦韆(しゅうせん)にお乗りになるのですか」

  • @user-ey8yv7gg5k
    @user-ey8yv7gg5k 8 หลายเดือนก่อน

    ④ 陳は家に便りをしていないことを思い出し、消息を知らせる使いを出しました。 ここでは二三日の出来事が、竜宮城の話のように人間界では一年もの時が過ぎていて、舟が難破したとの知らせを受けて既に一年ほど喪に服していた陳の妻子は、無事を知って喜んだものの交信する事が出来ず、このまま生き別れになるのではと心配していましたが、半年ほどすると陳が帰宅しました。 立派な身なりで、珠玉を山のように持ち帰りましたから、それからは広い邸宅を建て、多数の美女を雇い入れ、連日貴顕を招いての宴会で、その音楽や酒食の豪華なことはこの上もないといった有様です。そのように裕福になった事情を聞く者があれば、隠すことなく話したのでした。   陳の幼なじみで梁子俊(りょう ししゅん)という人が、役人になって南方に十年ほども勤めていましたが、帰郷の途中、洞庭湖を通ったときに美しい屋形船を見掛けました。 開いている窓を覗くと、若い男が美女を侍らせて酒宴の最中なのです。 この辺の役所の高官のようだが、それにしては供の者が少ないと更によく見れば、何と明允(めいいん)という呼び名でつきあっていた旧友の陳なのです。 思わず手すりから身を乗り出して大声で名前を呼ぶと、陳も気が付いて舟を止めさせ、梁を招き入れました。 すでに並んでいた料理が片づけられ、あらたに酒食がはこばれて、美しい侍女たちが梁に酒を勧めるのでした。 「十年ばかり会わないうちに、何とこれほどに裕福になるとは……」梁があきれると、 「君は、今だに僕が貧乏書生のままだと思っていたのだろう」と陳も笑ったのでした。 「さっき、隣にいた美人は?」 「女房だよ」 「奥さんと、どこへ行くんだい」 「ちょっと、西の方へね」 陳が合図をすると、笛や太鼓、銅鑼の音が響き、会話ができなくなってしまいました。 梁は周りを取り巻く美しい女たちに目を奪われ、大声で叫びました。 「明允(めいいん)公! 僕にも天上の楽しみをさせてもらえんかね!」 「だいぶ酔ったようだね。それなら、美人も買えるくらいの金をあげるとしよう」 陳は侍女に命じて大粒の真珠を梁に渡しました。 「これなら緑珠(りょくじゅ/古代の富豪が真珠で買い求めた美女)だって買えるというものさ。 せっかくの旧友との再会だが、今つまらない用事の途中で、長居はできないんだ」 と言うと、梁を送り返し、そのまま立ち去ってしまいました。 その後、郷里に戻った梁が様子を見ようと陳の家をたずねると、何と陳が客と酒宴を開いています。 「君は洞庭湖から西に行ったはずなのに、どうしてこんなに早く帰ることができたのだい」 「洞庭湖なんて行きゃしないさ。毎日ここで飲んでたんだから」 梁が洞庭湖での出来事を話すと、客たちはみな驚きましたが、 「ぼくに分身の術が出来るとでも言うのかい」と、陳は笑っています。 皆は不思議に思ったのですが、結局わけが解らないままに終わったのでした。   陳は81歳で亡くなりましたが、埋葬の時、その棺があまりに軽いので蓋を開けてみると、中はからっぽでした。

  • @user-ey8yv7gg5k
    @user-ey8yv7gg5k 8 หลายเดือนก่อน

    ③ 「これは公主様のお気に入りの品です。こんなに墨だらけにしてしまって…」 青ざめた陳が助命を願うと、 「この御殿を覗いただけでも重罪です。あなたは知識人のようですから、何とか助けてあげたいと思っていたのに、これでは…… みずから蒔いた種というものですね」 女は慌てて行ってしまいましたから、陳は「もはやこれまでの命か」と、空を飛ぶ羽のないのを悔やんで、悄然とたたずんでいました。 やがて女は戻ってきましたが、意外に明るい表情で 「あなた、助かるかもしれませんよ。姫さまはあれを何度も読み返されましたが、おとがめは無く、にっこりお笑いになりました。しばらくここで静かにしていなさい。逃げようとして見つかったら、それまでですよ」 すでに日は暮れたものの、吉とも凶ともわからず、不安と空腹で生きた心地もありません。 暗くなってから、灯りを持った侍女が下使いの女を連れて現れ、陳に食事をすすめました。 焦った陳が成り行きを尋ねると、 「先ほど『お庭の生員ですが、お許し頂けるなら釈放されてはいかがですか。あのままでは飢え死にしてしまいます』と申し上げたところ、姫さまは暫く考えられ、『こんな夜中にどこに行かせるの』とおっしゃられて、食事を差し上げるように言われました。これはいい兆しですよ」ということでした。 しかし、陳は心配のあまり寝るどころではなく、一晩中庭園をうろつきまわっていました。 朝になると、また侍女が食事を運ばせて来ました。 そして、また日が西に傾く頃、待ちくたびれた陳の所に、侍女が駆け込んできました。 「大変! おせっかいな侍女が、お妃さまにハンカチの事を話したのです。お妃さまはハンカチを床に叩きつけて『きちがい!』と叫ばれたそうです。すぐに人が来ますよ」 その侍女は走り去り、別の侍女が捕卒を連れて現れました。 その侍女はしばらく陳の顔を見ていましたが、 「あなたは陳さまではありませんか」と驚き、捕卒たちを止めると、駆け戻っていきました。 すぐに戻ってくると、 「陳さまにお通り頂くようにと、お妃さまが申されました」 陳は震えおののきながら、侍女のあとについて何十もの門を抜け、宮殿のひとつにはいったのでした。 「遠方から参りました寄る辺なきしもべに、何とぞ憐れみをおかけください」 と、思いもかけず、妃は立ち上がると、ひれ伏す陳の手を取って、みずから引き起こし、 「あなたがいなければ、私の命はなかったのです。知らなかったとはいえ、恩人をこんなふうにお迎えして、お詫びのしようもありません」 すぐに酒宴が設けられ、陳があっけにとられていると、妃が言うには 「ご恩に報いることができないのを残念に思っておりましたが、娘のハンカチに詩を頂いたのは天の定めたご縁と存じます。今宵さっそく、おそばにお仕えさせましょう」 夜になって、侍女が公主の支度の整ったことを告げ、陳を式場に案内すると、たちまち管弦の響きが起こり、麝香の香りは辺りに満ち、宮殿は灯火に輝きました。 公主は腰元たちにかしづかれて拝礼を交わし、ふたりはとばりの内にはいって、雲雨の交わりを結んだのでした。   「私は行きずりの者で、これまで拝謁をたまわったこともありません。お手ふきを汚して命は無いものと思っておりましたが、許されたばかりかご縁組みまでして頂くとは、まったく訳がわかりません」「私の母は揚子江の竜王の娘で、西湖竜王の妃なのです。昨年里帰りの途中、矢に当たって引き上げられたのですが、あなたに放して頂き、傷薬まで頂いたので、皆感激して、ご恩を忘れることはありませんでした。人間ではないからと怪しまれないでください。私は父の竜王から不老長生の術を伝授されておりますので、末永くご一緒しましょうね」 ということで、陳は初めて公主たちが神だとわかったのでした。 「あの侍女はなぜ私を知っていたのでしょう」と聞いてみると 「その時、竜の尾をくわえていた魚があの侍女なのです」

  • @user-ey8yv7gg5k
    @user-ey8yv7gg5k 8 หลายเดือนก่อน

    ② すると、門の方に馬を走らせる音がして、女たちの笑い声もするようですから、陳は傍らの花のしげみに隠れました。 やがて談笑する声が近づいてきます。 「今日は不猟でしたね」 「公主様が雁を射落されなかったら、全くのくたびれ損でしたよ」 女たちが十四五歳くらいの美少女を取り巻いて現れると、あずまやにはいり、香を焚いたり茶を差し上げたりしましたが、その様子は花の山を見ているようでした。 そのうちに少女は立ち上がり、階段を駆け下りました。 「公主様は狩りでお疲れでしょうに、鞦韆(しゅうせん)にお乗りになるのですか」 少女が侍女の問いに微笑んでうなづいたので、女たちは肩をかしたり手足を支えたりして少女を鞦韆に助け上げました。 鞦韆はもと北方騎馬民族の相当乱暴な遊びだったようですが、中国にはいってからは女性の遊びとなりました。 当時の挿絵では、建築の足場のような骨組みで、屋根より高い所でぶらんこをしているようですから、隠れている陳には、天女が空を飛んでいるように見えたことでしょう。 やがて皆は公主を助け下ろすと、笑いさざめきながら行ってしまいました。 人声が聞こえなくなってから陳は出てきて、仙女の空を飛ぶ様を回想しながら、呆然として鞦韆の周りを歩き回っていましたが、そのうちに植込みの下に赤いハンカチを見つけて拾い上げました。 あずまやに上ってみると筆や墨があったので、公主を讃える詩をハンカチに書き記しました。 それを読み返しながら来た道を戻っていくと、門は閉まって鍵が掛かっています。 困った陳が屋敷中をうろうろしているうちに、向こうから来た侍女と出会ってしまいました。 「どうして、ここにはいれたのですか」陳は丁寧に一礼して 「道に迷った者です。どうかお助けください」 「この辺で赤い絹のハンカチを見掛けませんでしたか」 「それは確かに私が拾いました。でも、汚してしまいました。どうしたものでしょう」 陳が詩を書いたハンカチを渡すと、侍女は眼をむいて驚きました。

  • @馬場昭匡
    @馬場昭匡 8 หลายเดือนก่อน

    ドラマの題名が知りたいです。

  • @a-shengjiang7194
    @a-shengjiang7194 ปีที่แล้ว

    来中国绍兴吧,你会体会更深

  • @user-cl1lt3mm2f
    @user-cl1lt3mm2f 2 ปีที่แล้ว

    素敵なママですね(笑)

  • @鵺屋敷の管理人鵺太郎
    @鵺屋敷の管理人鵺太郎 2 ปีที่แล้ว

    私が持っている中国語の教科書に応用編の教材で、①歐陽海之歌、②愚公移山、③一件小事の読物を掲載しています。

  • @user-lv5mo2wh4r
    @user-lv5mo2wh4r 2 ปีที่แล้ว

    阿Q正伝もお願いします。一番好きな小説です。一度原文を読んでみたい。

  • @user-nj4rg2bp4z
    @user-nj4rg2bp4z 2 ปีที่แล้ว

    雑音気になる

  • @user-tq4wp8us5i
    @user-tq4wp8us5i 2 ปีที่แล้ว

    今日初めて見たのですが、早速登録しました。また勉強しに来ます。

  • @jarusession3488
    @jarusession3488 3 ปีที่แล้ว

    普通品と极品があるんだ

  • @_wddonbey3024
    @_wddonbey3024 3 ปีที่แล้ว

    面白いですね。この様なドラマが生きた会話の勉強になりますね。 質問ですが、 11:30) 亻(にんべん)に王という字、初めて見ました。読み(拼音)は何ですか?

    • @user-ey8yv7gg5k
      @user-ey8yv7gg5k 3 ปีที่แล้ว

      ご覧いただきありがとうございます。「仨」は話し言葉としてよく使われます。=「三个」三つの意味です。

    • @_wddonbey3024
      @_wddonbey3024 3 ปีที่แล้ว

      @@user-ey8yv7gg5k ありがとうございます。 「仨」、亻に"三"でしたね。話し言葉でしたか。Sāと発音するのですね。また一つ、賢く?なりました。 またドラマ篇を楽しみにしています。

  • @katsutosakurai6820
    @katsutosakurai6820 3 ปีที่แล้ว

    我喜欢这个系列

  • @アジメバル-p5h
    @アジメバル-p5h 3 ปีที่แล้ว

    話す速度がゆっくりで、シーンも喫茶店での注文や自己紹介など日常的なもので大変勉強になりました。また同様のシリーズを期待しています。

  • @26c62626yamashita
    @26c62626yamashita 3 ปีที่แล้ว

    難しい内容ですが 覚えたいです。

  • @user-pl5lo4vw9b
    @user-pl5lo4vw9b 3 ปีที่แล้ว

    中国語を勉強するようになって、律詩の美しさに対する理解が深まったような気がします。でも平仄は失われてしまったんですよね、、、また楽しみにしています。

    • @user-ey8yv7gg5k
      @user-ey8yv7gg5k 3 ปีที่แล้ว

      「平仄」のほかにも、「对粘」「音步」「声律」「韵音」「停连」など多くの吟唱技法があります。こちらは語学学習者に向けて文の意味と語勢を重視した「山势律韵吟唱」技法の朗読です。「平仄」の中の「入声」が現代中国語の中に消えてしまいましたため、すべて「平仄」に従って発音ならば、学習者には間違い発音を覚えてしまった心配があります。

  • @user-vt3vk3hd8w
    @user-vt3vk3hd8w 3 ปีที่แล้ว

    有難うございます。 このうだるような暑さの中、涼風が吹き抜けていくようです。

  • @user-vt3vk3hd8w
    @user-vt3vk3hd8w 3 ปีที่แล้ว

    アナウンサーとしてのキャリアが最も活かされるのが発音の解説と詩の朗読ではないでしょうか。 漢詩の愛好者は日本人の中にも思った以上に多いものです。 別の方のコメントにもありましたように、長く続けて下さい。 シリーズ化して、視聴者のリクエストにも応じていただけると嬉しいです。 ちなみに私は、李白の 玉階怨 を聴いてみたいです。

    • @user-ey8yv7gg5k
      @user-ey8yv7gg5k 3 ปีที่แล้ว

      提案していただき、ありがとうございます。

  • @user-pl5lo4vw9b
    @user-pl5lo4vw9b 3 ปีที่แล้ว

    これをお待ちしてました!五言絶句は日本人にも分かりやすくて良いです笑。出し惜しみしながら、長く続けてください。これをもっと理解できるまで中国語の勉強を頑張れます。

    • @user-ey8yv7gg5k
      @user-ey8yv7gg5k 3 ปีที่แล้ว

      いつも応援していただき、ありがとうございます。

  • @user-pl5lo4vw9b
    @user-pl5lo4vw9b 3 ปีที่แล้ว

    毎回ありがとうございます。今回も勉強になりました!テイランさんの格調高い中国語は、中国語を学ぶ道のりにある私たちをやさしく優しく導いてくれるようです。

  • @user-pl5lo4vw9b
    @user-pl5lo4vw9b 3 ปีที่แล้ว

    お待ちしてました。先生のおかげで中国語学習のモチベーションが上がります。ぜひ続けてください。

  • @user-pl5lo4vw9b
    @user-pl5lo4vw9b 3 ปีที่แล้ว

    嬉しいです!テイランさんの中国語を聞いていると、とても学習のモチベーションになります。またお待ちしてます!

  • @user-pl5lo4vw9b
    @user-pl5lo4vw9b 3 ปีที่แล้ว

    更新ありがとうございます。私は今、中国語を勉強しています。中国語の発音は難しいですが、このように美しく、格調高い中国をお聞きしますと、学習への励みになります!これからもよろしくお願いします。

    • @user-ey8yv7gg5k
      @user-ey8yv7gg5k 3 ปีที่แล้ว

      こんにちは!ご覧いただき、ありがとうございました。皆さんのコメントは私を励ましてくれました。中国語の勉強を頑張ってくださいね。