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TheGyspsw24
Japan
เข้าร่วมเมื่อ 3 ส.ค. 2012
*#太平洋戦争 #戦闘機 #零戦 #海軍 #陸軍 #プロペラ
*このチャンネルで紹介する内容は全て正しいわけではなく、間違いや思い違いなどがあるかもしれませんので、予めご了承ください。
引用参考
*徹底図解 零戦のしくみ(日本航空史に燦然と輝く名機の栄光と悲しき末期) (新星出版社)
*軍用機メカ開発物語 (潮書房光人新社)
*知られざる日本軍戦闘機秘話(彩図社)
*ウィキペディアほか
*画像:ウィキペディア、いらすとや
*ナレーション:冥鳴ひまりVOICEVOX
*音楽:Artlist
*このチャンネルで紹介する内容は全て正しいわけではなく、間違いや思い違いなどがあるかもしれませんので、予めご了承ください。
引用参考
*徹底図解 零戦のしくみ(日本航空史に燦然と輝く名機の栄光と悲しき末期) (新星出版社)
*軍用機メカ開発物語 (潮書房光人新社)
*知られざる日本軍戦闘機秘話(彩図社)
*ウィキペディアほか
*画像:ウィキペディア、いらすとや
*ナレーション:冥鳴ひまりVOICEVOX
*音楽:Artlist
零戦VS日本の戦闘機
#零戦#隼#疾風#紫電#紫電改#烈風#7.7mm機銃#20mm機銃
出典
*零戦のしくみ 日本航空史に燦然と輝く名機の栄光と悲しき末期 新星出版社
*日本軍戦闘機秘話 彩図社 横山雅司著
*零戦の栄光と凋落 光人社NF文庫 碇義郎著
*「零戦」は「ゼロセン」とは読まないという指摘が、じつは「的外れ」だと言えるワケ
講談社HP 神立尚紀著
*ウィキペディア
画像
*ウィキペディアほか
ナレーション
*冥鳴ひまりVOICEVOX
音楽
*TH-cam music
本編にて説明している内容については、間違いや他説など諸説があるかもしれませんのであらかじめご了承ください。
出典
*零戦のしくみ 日本航空史に燦然と輝く名機の栄光と悲しき末期 新星出版社
*日本軍戦闘機秘話 彩図社 横山雅司著
*零戦の栄光と凋落 光人社NF文庫 碇義郎著
*「零戦」は「ゼロセン」とは読まないという指摘が、じつは「的外れ」だと言えるワケ
講談社HP 神立尚紀著
*ウィキペディア
画像
*ウィキペディアほか
ナレーション
*冥鳴ひまりVOICEVOX
音楽
*TH-cam music
本編にて説明している内容については、間違いや他説など諸説があるかもしれませんのであらかじめご了承ください。
มุมมอง: 4 300
วีดีโอ
陸軍熊谷軍曹が銃撃したB 29は何処へきえたのか?B-29墜落史研究家新井勲氏講演
มุมมอง 5K21 วันที่ผ่านมา
#B-29#二式戦#鐘馗#陸軍第70戦隊#熊谷兼一軍曹#新井勲 昭和19年12月27日東京亀戸上空を飛行するB-29を追尾していた、陸軍第70戦隊所属の熊谷兼一軍曹が搭乗する二式戦闘機「鐘馗」の機銃がB-29のエンジンに命中。B-29はそのまま飛行を続けますが、太平洋上で墜落します。 熊谷兼一軍曹の鐘馗も現在の亀戸7丁目付近鐘ヶ淵紡績工場に墜落しますが、地元の人たちによって、現在でも12月に熊谷軍曹の慰霊祭が執り行われています。 当初、熊谷軍曹の鐘馗はB-29に体当たりをしたと伝えられていましたが、B-29墜落史研究家の新井勲氏が調査した結果、体当たりではなかったことがわかりました。 新井勲氏連絡先:i-arai@mwd.biglobe.ne.jp
零戦の武装の実力はどれほどあったのか 過去動画「零戦の機銃は使えたのか」加筆リメイク版
มุมมอง 37Kหลายเดือนก่อน
@お詫び 本編のプロペラ同調装置の説明で「F6Fとの空戦で全速力の回転数が4,000回転を過ぎると7.7mmは使えない」という部分がありますが、3,000~4,000回転などありえないというご指摘を何件かいただきました。この部分の説明につきましては、丙飛十六期出身で五二型に搭乗されていた今泉利光さんの手記「蒼空の航跡」P122より引用させていただきました。残念ながら今のところ真偽のほどは不明です。 #零戦#戦闘機#太平洋戦争#グラマン#7.7mm機銃#20mm機銃#エリコン社#爆装零戦 出典 *零戦のしくみ 日本航空史に燦然と輝く名機の栄光と悲しき末期 新星出版社 *情熱零戦 藤井英明著 月刊「丸」 *蒼空の航跡 今泉利光手記 *ウィキペディア 画像 *ウィキペディアほか ナレーション *冥鳴ひまりVOICEVOX 音楽 *TH-cam
液冷エンジン世界の名機列伝第二次大戦で活躍した液冷エンジン戦闘機
มุมมอง 7Kหลายเดือนก่อน
#液冷エンジン戦闘機#Bf109#ホーカー・ハリケーン#スピットファイア#P-51マスタング#飛燕 出典 *世界の液冷エンジン搭載名戦闘機列伝 帆足孝治著 月刊「丸」 *ウィキペディア 画像 *ウィキペディアほか ナレーション *冥鳴ひまりVOICEVOX 音楽 *Artlist 本編にて説明している内容については、間違いや他説など諸説があるかもしれませんのであらかじめご了承ください。
終戦直後ウラジオストクにナゾのカミカゼが襲来
มุมมอง 683หลายเดือนก่อน
#神風特別攻撃隊#ウラジオストク#カミカゼ 出典 相原秀起著 ウラジオストクに突入したナゾの特攻機に迫る 月刊「丸」 画像 *ウィキペディアほか ナレーション *冥鳴ひまりVOICEVOX 音楽 *Artlist 本編にて説明している内容については、間違いや他説など諸説があるかもしれませんのであらかじめご了承ください。
「我が町の特攻隊員 奇跡!!遺品の里帰り」 戦史研究家「新井勲氏」講演 特攻戦死者の遺品が静かに訴えること
มุมมอง 2852 หลายเดือนก่อน
#新井勲#学徒出陣#特攻隊#太平洋戦争#バンカーヒル#小川清#早稲田大学 学徒出陣にて海軍に入隊し、神風特攻で散華した二人の若き飛行兵についての講演です。特に小川清少尉は特攻戦死者の中でただ一人、突撃の瞬間を詳細にわかっている人でした。そして、彼の愛用していた遺品の飛行時計や落下傘のバックルなどが元米兵の家族から、小川清さんの遺族に返還されます。 新井勲氏連絡先:i-arai@mwd.biglobe.ne.jp
B 29はどのような働きをしたのか?B 29スーパーフォートレスの開発と運用
มุมมอง 5352 หลายเดือนก่อน
#B-29#B29#東京大空襲#B-17 出典 広田厚司著 対日戦勝利の立役者B-29スーパーフォートレス 月刊「丸」 画像 *ウィキペディアほか ナレーション *冥鳴ひまりVOICEVOX 音楽 *Artlist
五式戦闘機は隠れた名機だった 知らぬ間に生まれ、知らぬ間に消えた機体
มุมมอง 24K3 หลายเดือนก่อน
#五式戦#キ100#飛燕#キ61#三式戦 出典 古峰文三著 飛燕&五式戦開発ダイアリー 白石光著 五式戦闘機は名機か? 以上月刊「丸」 画像 *ウィキペディアほか ナレーション *冥鳴ひまりVOICEVOX 音楽 *Artlist 本編にて説明している内容については、間違いや他説など諸説があるかもしれませんのであらかじめご了承ください。
紫電改の猛者達(名機の開発者から搭乗員までの紳士録)
มุมมอง 6K3 หลายเดือนก่อน
#紫電#紫電改#強風#三四三空#菊原静男#源田実#志賀淑雄#鴛淵孝#菅野直 出典 *大内健二著 栄光の戦闘機「紫電改」紳士録 月刊「丸」 *ウィキペディアほか 画像 *soraかさい *ウィキペディアほか ナレーション *冥鳴ひまりVOICEVOX 音楽 *Artlist
「強風・紫電・紫電改」連合軍はどう評価したのか1
มุมมอง 30K4 หลายเดือนก่อน
#紫電#紫電改#強風 出典 *秋元実著 水戦「強風」から局戦「紫電改」まで *大塚好古著 米軍レポートに見るバイオレットライトニング *本田基著 太平洋を渡った「強風/紫電/紫電改」 以上月刊「丸」 *ウィキペディアほか 画像 *soraかさい *ウィキペディアほか ナレーション *冥鳴ひまりVOICEVOX 音楽 *Artlist
海軍特攻の母「大西淑恵」大西瀧治朗の妻が慰霊に捧げた半生
มุมมอง 5K4 หลายเดือนก่อน
#特攻隊#大西瀧治朗#大西淑恵#第十三期飛行専修予備学生 出典 *神立尚紀著『終戦の翌年「戦没者慰霊法要」を行う本堂に駆け込み「土下座」した小柄な女性の「まさかの正体」』 *ウィキペディアほか 画像 *ウィキペディアほか *いらすとや *AI生成イラスト ナレーション *冥鳴ひまりVOICEVOX 音楽 *Artlist 本編にて説明している内容については、間違いや他説など諸説があるかもしれませんのであらかじめご了承ください。
神風特別攻撃隊筑波隊隊員たちの思いと平和への願い (南秀利氏講演)
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#神風特別攻撃隊#特攻隊#筑波海軍航空隊#特攻隊員の遺書#桜花 筑波海軍航空隊に発足した、神風特別攻撃隊筑波隊や人間爆弾「桜花」特攻隊発足の経緯、それと特攻隊員達のエピソードについて郷土史研究家の南秀利氏が解説します。
「甦れ紫電改」忘れないでね昭和20年6月23日を!! その日に散った日米の若き飛行兵についての講演(講師:戦史研究家新井勲氏)
มุมมอง 6K5 หลายเดือนก่อน
#甦れ紫電改#紫電#紫電改#P51 昭和20年6月23日千葉・茨城地区に来襲した、米戦闘機P51に向かって、多くの日本軍戦闘機が邀撃に飛びたっていきました。圧倒的多数のP51は、日本の戦闘機を次々と撃墜します。日本の戦闘機パイロットの殆どは、二十歳にもみたない若武者達でした。戦死したパイロットについて、戦史研究家の新井勲氏が語ります。この映像は、2024年8月4日に茨城県筑西市にて行われた講演会の様子です。 新井勲氏連絡先:i-arai@mwd.biglobe.ne.jp
近代的艦上攻撃機の誕生!九七式艦上攻撃機は如何にして生れたか
มุมมอง 3.9K5 หลายเดือนก่อน
#九七式艦上攻撃機#艦上偵察機 出典 *古峰文三著『傑作艦上攻撃機“九七式”かくて誕生す』月刊丸 *ウィキペディアほか 画像 *ウィキペディアほか *いらすとや *soraかさい ナレーション *冥鳴ひまりVOICEVOX 音楽 *Artlist
昨日の敵は今日の友(戦後涙の再開)自分が墜とした敵パイロットとの友情
มุมมอง 15K5 หลายเดือนก่อน
#三上一禧#零戦 #進藤大尉 #横山大尉#徐華江#壁山空戦 出典 *神立尚樹著『太平洋戦争の真実 そのとき、そこにいた人々は何を語ったか』講談社ビーシー/講談社 *ウィキペディア 画像 *ウィキペディア *いらすとや ナレーション *冥鳴ひまりVOICEVOX 音楽 *Artlist 本編にて説明している内容については、間違いや他説など諸説があるかもしれませんのであらかじめご了承ください。
終戦に間に合わなかっ戦闘機試作6選!! 次世代の主力機になれたかもしれなかった?!
มุมมอง 13K6 หลายเดือนก่อน
終戦に間に合わなかっ戦闘機試作6選!! 次世代の主力機になれたかもしれなかった?!
紫電と紫電改は殆ど別の機体だった! 紫電改が400機しか作られなかったのは何故なのか?
มุมมอง 35K7 หลายเดือนก่อน
紫電と紫電改は殆ど別の機体だった! 紫電改が400機しか作られなかったのは何故なのか?
悲報!日本軍戦闘機用プロペラ事情:外国技術に依存し独自技術は育たなかった?!
มุมมอง 21K11 หลายเดือนก่อน
悲報!日本軍戦闘機用プロペラ事情:外国技術に依存し独自技術は育たなかった?!
剣は特攻機と言われてますが、実際は日本上空の圧倒的な敵航空機の数と損耗率から機体は使い捨て、余計な物は削って生産を上げる、という様な経緯では無かったかと思います、 設計者も特攻機とは認めてはませんし、発案は航空機を引き取りに来たパイロットの言葉からだという事です、 我に剣を・・、という言葉から剣と命名した様です。
0:26 九七式艦上攻撃機で最初に引込脚が採用されたのは『九七式一号艦上攻撃機』です。 同時に採用された九七式二号艦上攻撃機は固定脚でした。 なお、真珠湾攻撃において雷撃や水平爆撃のために空母から発艦したものは、九七式一号艦上攻撃機の改良型である九七式三号艦上攻撃機です。
引き込み足、普段余り目がいかないところについて説明して頂き参考になりました。 この頃の航空機の進化は余りにも早く、理解に追いつけないところがあります。 例えば、グラマンとの比較ではワイルドキャットとの比較であり、ヘルキャットとの比較はありませんでした。 このところを、全く知識のない人が見ると、ゼロ戦はグラマンより優れて居たんだという話しになってしまうと思います。 日本はなぜ戦争に負けたのか、物量だけではありません。武器の性能有力差というのも大きな要因の一つです。 だからと言って、日本が劣っていたということでなく、日本も優れて居たけど、アメリカはもっと進化したという説明が欲しいですね。
戦前の日本の工業力の限界で品質を均一に保て無かったこと、新規の大出力エンジン、排気タービン、冶金技術の低さが問題だった。各機種とも整備が十分であれば性能は、そこそこだったのが現実…
光が前方視界が悪い。オリジナルがライト R-1820。 SBDが、積んでいるが。FM2も積んでいるが。 空母着艦でクレーム出てないが。
その数倍の予算を人造石油に投じて何の成果もありませんでしたぁ だもんね@@; 普通にドイツから技術買っとけば・・
艦戦は15年6月頃に曽根さんに、航空本部から呼び出されて15試艦戦の意見をきいてます。15年標準化要領。速力350ノット。20㎜、13㎜機関砲。曽根さんは断ってます。 7がに二一型の改造依頼が来ます。航空本部から16年6月に16試艦戦依頼が来ます。誉の2次試験に受かったから。曽根さんは断ってます。二一型の主翼フラッター墜落の改良に追われてます。仮二号の試作が出来た頃。 延々試作が出来ない14試局地戦。 三二型の量産が17年4月から始まる。ソロモンで三二型が、本部長の進退伺いが出されて、三二型打ち切り二二型に。 そんな中で、17試艦戦依頼が。 中島は二一型を19年の五二型に替わるまでつくってますし。 三菱の重いは、振動デカイは、燃費悪いは。の発動機に問題が。 火星がBMW801程度の信頼性が有れば。16試艦戦が出来たかな。 誰かさんの好きな、紡錘形に問題がある。スピナーだって要らないし。
空襲で工場が軒並みやられたからなあ。 日帰り空襲が出来るようになった時点で、日本は負けていた。
米国では、日本軍パイロットはパラシュートで脱出した敵兵を撃つと聞いていたようです。 違いますね~。陸軍と海軍の違いでしょうかね~
飛燕の機体自体は良い機体でしたが、水冷エンジンが間に合わず、当時の各務原市の国道に首なし飛燕が野ざらしになり、 軍部や川崎航空機が唯一間に合う空冷1500psエンジン、海軍名の金星が存在してたので明野に来てた、 ドイツのフォッケウルフFw190の機体を参考にフィレットを作成、 エンジン架の柱が偶然にもハ40と同じで改造も少なく搭載出来たそうです。 重心については元々飛燕の機体にレールが付いてて前後にずらせる事でバランスを取り、短期間で改造出来ました。 改造機なので他の陸軍戦闘機みたいなペットネームは無く、五式戦として採用。 本当なら飛燕改が正しい名前になるのでしょうね。 >紫電も正式には紫電11型、そして紫電改は紫電21型が正式名です。
確か?キー78のテストパイロットをされていたのが松本零士さんのお父さん???と言う話を聞いてます。
紫電改もそうなんですが、連合国の新鋭戦闘機と互角、ということで傑作とか名機とか言われてるんでしょうが、連合国の新鋭戦闘機扱いのヘルキャットやマーリンムスタングは43年デビュー組です。2年遅れでようやく追いついたというだけなので、ひいき目で見ても名機とも傑作機とも言えません。日本のなかでは良かったと言うだけです。
疾風は投入したタイミング的にどうにか間に合った機体だと思うし、紫電改も自動空戦フラップは世界に先駆けた技術だったと思います。日本の航空機は開戦前に外国から取り入れた技術の延長でしかなかったが、自動空戦フラップは数少ない独自技術でしかも秀逸。疾風と紫電改は恥ずかしくない出来だと思いますが。五式戦は過大評価でしょう。
口径が20ミリにもなったら大砲なのにね
4:04 「急降下性能だけは隼二型に勝つことができなかった」って誰も疑問に思わないんでしょうか? 隼二型の急降下制限速度は600キロ、飛燕・五式戦は850キロですよ。上昇力の間違いでは? まあ馬力荷重は隼の方が有利だから急降下初期の加速性では隼の方が上で、模擬空戦では急降下初期の時点で勝負が付いてしまったということかもしれませんが。 少なくとも上昇力の方がスペック的には隼が1~3型全てで五式戦より上のはずですが。
そもそも飛燕を予定通り完成させてなかったのに、おとがめなしどころか陸軍大臣から感謝状って…
スピットは7.7ミリ8丁だからゼロ戦は7.7ミリ6丁にできなかったのか。 米軍は7.7 ミリ、12.7ミリ 、20ミリを実際にテストして 12.7ミリが最適であると結論し、戦闘機は全機種12.7ミリに統一した。
隼1型は実際に配備された時には片側が12.7ミリになっており、7.7ミリ×2という機体は存在していません。まあどちらにせよ零戦とは比較になりませんが。 航続距離も陸軍は行動半径という言い方で、離着陸30分、空戦(全力)20分含めて往復という表示だったと思いますが、海軍式に換算してということでしょうか。 海軍の航続距離の測定条件を知りませんが、単純に燃料搭載量を燃料消費量で割ったものでしょうか?
B29はどこに爆弾を落としたんでしょうか?
ゲテモノですわ、、、当然 速度はで無いね。
当方、S40年生まれです。10代前半から「丸」を愛読。昭和50年代、343空は ほぼノーマークだった気がします。 牟田口の評価も無かった記憶。
火星エンジンとダブルワスプの外径がほぼほぼ同じなので、雷電の機体設計はベアキャットみたいなのでよかったんだよなあ。実際雷電とベアキャットの機体寸法ほぼ同じだしね。そうすれば史実雷電と違い紡錘形の胴体無し出力軸延長無し強冷ファンも無しで、史実雷電よりずっとシンプル軽量でちょっとアンダーパワーのベアキャットみたいなのが17年頃に入手できたはずで、その時期としては十分な性能だろう。
ご視聴&貴重なコメント有難うございます。
どの機体が優れていたといのも興味深いですが、何よりアップ者の当時の機体に対する愛に、敬意を表します!
ご視聴&あたたかいコメント有難うございます。そう言っていただけると嬉しいです。
隼と零戦では一機当たりの納入価格が全く異なります。高級機と普及機を比べるのは隼に分が悪いと思います。
ご視聴&ご指摘有難うございます。
誉エンジンに合わせた絞った設計をするべきで、それを無視した堀越氏の責任は重すぎる。そんなことが許されるなら英米の設計者はロールスロイスマーリン前提ですって皆言い訳するでしょ。
ご視聴&ご意見有難うございます。
面白い。ゼロと隼の比較、紫電改と疾風の比較がライバル対決として、解り易いかな。
ご視聴&あたたかいコメント有難うございます。
まぁ戦争初期の最優秀戦闘機で言えば零戦となるのかもしませんが・・・ 後期の最優秀戦闘機は文句なしに「大東亜決戦機」疾風でしょう。 因みに隼は改良を続けた結果零戦と同程度・機動性に関してはうわまっていきます。 生産性も悪くなかったのですが後により高性能・高生産率の疾風が出てきた為。総生産数では零戦がうわまわりましたが。 因みに烈風の開発は零戦の量産がはじまってからすぐ開始されましたが、 海軍の要望の変遷及び三菱のハ43への過大且つ楽観的な希望で散々に遅れた結果納期も間に合わず後継機は紫電改に決定、 更に応急的に川西が提示した紫電改にすらボロ負けの性能。 オマケにハ43を乗せたところで精々誉搭載機で一回り小さく生産性も良好な疾風・紫電改と同程度且つ生産性は最悪。 因みに紫電改の生産数は少なかったのは大戦末期であることもありますが、 三菱が生産を突っぱねたことも要因におあげられます。 零戦は中島が委託生産した機体数の方が上だというのにねぇ・・・
ご視聴&貴重なコメント有難うございます。
紫電改ができた後も、紫電の資材が残っていたので作り続けていたという話ですからね。紫電はほとんど役に立たなかったようだし、さっさと紫電改に集中していればと思いますが。疾風が正式採用の19年4月より前に実質量産開始で100機も生産していたのに対して、紫電改の量産開始は昭和20年になってからですからね。
父親は五式戦を愛機にしていた陸軍航空学校教官でした。陸軍戦闘機の中では一番だといつも言っていました。
ご視聴ありがとうございました。御父上の当時の生の声を聞けましたこと羨ましい限りです。
まあ、「艦上機」縛りがあるから、簡単に並べて比較はできないにしても、金、資材、エンジン、、、あれもないこれもないがつらすぎる・・・。
ご視聴&コメント有難うございます。
零戦と一式戦闘機の比較も、計測当時に陸軍が使用した燃料は「87オクタン価」で海軍は「92オクタン価」。当然のことに質的に高性能な燃料を使用していた零戦に分があったわけです。その事を知ってか知らずか分かりませんが、「陸海軍合同研究会で、零戦はキ43(後の一式戦)とキ44(後の二式戦)に対して性能的に優位だった」と著書に誇らしげ─ある意味無邪気─に書き込んだ堀越二郎技師の言葉は割り引いて聞かねばならないと思う。
87オクタン仕様のエンジンにハイオクガソリンを使っても性能は向上しない。ハイオクガソリンはハイカロリーガソリンではない。この時の比較で特筆すべきは零戦の速度が550km/hを出すとされたキ44に匹敵したことだ。このときのキ43、キ44ともに空力的洗練度が低かったとみるべきだろう。キ44はその後の改修で626km/hまで向上している。
@miyamiya2237 ハイオク=ハイカロリーでは無いことは存じてます。ただ 栄は「92オクタン価」燃料を前提とした発動機ですから、それより低いオクタン価では当然飛行性能に影響を与えたと思います。栄の発展させた「誉」は「100オクタン価」が前提でしたから92オクタン価では能力を発揮できない。なので水メタノール噴射を追加して100オクタン価「相当」にしたと聞きます。キ-84(陸軍四式戦闘機)の量産機が最高時速660kmを発揮したと言う話は、おそらく水メタ+92オクタン価だったのではないかと推測します。
成る程燃料の差は過給機エンジンでは大きいですね
陸軍整備士の回想を読むと、92オクタン価が前提のハ25(栄)に100オクタン価燃料でエンジンを回すと─調子良く感じられる他に─実効果として「燃費が良くなる」程度で、速力が速くなる等「飛行性能が向上」するわけではないそうです。 話は逆で、想定以下の低オクタン価の燃料を使用する場合、「運転制限」を課せねばならないということです。
輸入の87、92と蘭印のナンチャッテ87、91では雲泥のさが。
【万能零戦への依存度が高まり後継機の開発が遅れてしまいます】 ・・・此れは違うと断言できます。 海軍当局は零戦の性能に決して満足していなかった事が様々な資料からも分かります。しかし結局のところ終戦まで零戦に頼らざるを得なかったのは、ひとえに新型発動機の開発が遅延したことにある。特に戦闘機は発動機が命であることから、既存の発動機を上回る高性能・高出力発動機が開発されない限り、後継機を計画したくてもできないからです。陸軍が一式戦闘機以降次々と新型機を投入したように見えるのは、二式と三式が既存の─世界水準から見れば─旧式の部類に差し掛かった発動機で当面凌いだからであり、本命の四式戦闘機までには数年の開きがあったわけです。それでも陸軍はアレコレ欲張らず「割り切っていた」ので四式戦闘機は辛うじて戦力化できた。しかし海軍は完成時点で既に陳腐化を恐れるメーカーと当局の間で齟齬を来し混迷を深めて行く一方となって「時間切れ」となった感がある。
ご視聴&貴重なご指摘ありがとうございます。
どれもこれも、紙で出来たガラクタです、、、、乗せられた若者が不憫。
悪いのは機体ではなく 無謀な作戦を立てた軍上層部
両方悪いね、、、、@@大将あずれん
ご視聴&コメント有難うございます。
キ-28は終戦に間に合わなかったわけじゃ無いし、一撃離脱はドイツの様にロッテ戦法と組み合わせないと戦果を望めないし、無線機が弱かった日本機ではやりたくても出来ない戦法でした
ご視聴&貴重なご指摘有難うございます。
紫電でそんな速度出る?
坂井三郎さんは12.7mmをバリバリ撃ちまくってくるグラマンが羨ましかったと言ってるから、対戦闘機戦闘では米国式のほうがよかったのだろうね。20mmは対重爆用には有効だろうね。
5:56 小川清少尉も早稲田だった
現在の御前崎あたりの郷の出で、信長の警護中に本能寺の変に巻き込まれて生き残った本家も陸海軍から二名特攻隊に出た為、ほぼ消滅して残って栄えてたのは分家だけでした。尤もウチは養子組でしたけど
ご視聴&コメント有難うございます。歴史ある御家なのですね。陸海軍双方で特攻に出たとは何とも言えないさだめというか、めぐりあわせですね。
当該機に関しては簡単な記載しかありませんが、東京湾に墜落した機体の乗組員の名前もGress氏では無いようですが? ー ー ー ー ー Quote 1944年12月27日午後 東京湾品川の第三台場沖 B29(機体番号42ー24642、ニックネーム「UNCLE TOM’SCABINE」、第73航空団498爆撃群所属)が墜落。 (注)作戦任務第16号(目標:東京−中島飛行機武蔵製作所、第73航空団から出撃72機、損失3機) 調布基地から発進した陸軍飛行第244戦隊の吉田竹雄曹長操縦の飛燕の体当たり攻撃による? 機長のJohn E.KRAUSE少佐など9人が墜落死したが、日本側はこのうち4人の遺体を、死因を調べるためとして築地病院に搬入して解剖。戦後、米軍は生体実験ではないかとの疑いをもち、関係者を厳しく追及したが、証拠はつかめなかった。 William H.WALKER少佐、Richard R.SANDLIN伍長、Stanley J.REVICKY少尉の3人が捕虜。彼らは大船海軍捕虜収所から1945年6月に大森捕虜収容所へ送られ、戦後米国へ帰還したが、WALKER少佐はその途中、病院船内で死亡した。 1944年12月27日午後 以下の2機のB29がマリアナ基地からの出発時と帰途に海上に不時着。 (注)上記作戦の損失機3機のうちの2機 B29(機体番号42ー24605、第73航空団498爆撃群所属) 搭乗員のうち4人は米軍が救助。 B29(機体番号42−24613、第73航空団498爆撃群所属) 搭乗員のうち3人は米軍が救助。 - - - - - Unquote 出所: www.powresearch.jp/jp/archive/pilot/tobu.html#1944
若い人が本土防衛の重責を負い 命を散らしたのは悲しい。
ご視聴&コメント有難うございます。本当に酷い時代でした。
六三型は量産されてねーし
ブロ12.7mmが パクるのが 遅かったから 20mmになった
ドイツにい経ってはmk108 30mm機関砲登場させてるし、対航空機はmg151 20mm機関砲の方が良かったらしいですが、零戦に搭載されてた20mmはサイクル遅く反動のみ強く装弾数も控えめ、練度と気合でカバーしてたんでしょう。
私も堀越はあまり評価できません。もともと海軍の構想はゼロ戦のあとは局戦雷電と艦戦烈風のはずでしたが、両方とも失敗した挙句、陸上戦闘機では素人同然の川西紫電改に局戦艦戦とも後継の座を奪われてしまいました。まあ堀越のせいで海軍の戦闘機開発計画はめちゃめちゃにされたわけです。烈風に関する発動機選定議論でも、まだ先が見えないㇵ43より、先行する誉を海軍が指定するのは非常に現実的だし、紫電改が翼面荷重160ちょっとで出来上がってるのだから、最初から誉最適で設計してたら四式戦と同じような時期にゼロ戦後継機は空母に載ってたわけだよな。
ボヤキの堀越二郎!
帝國海軍の「大鑑巨砲主義」の遺物、当たれば良いが小便玉です! 帝國陸軍の12.7mm 機関砲の、マ弾の方良かったんじゃないんですか?…
20ミリ機銃で射撃訓練してないなんて事は真実ではありませんよ。
武装については艦隊直掩機としては弱すぎたと思います。 ドーントレスを阻止できていないから武装は力不足だった。7.7ミリでは威力不足。20ミリは接近しないと当たらない。球数も足りない。だからドーントレスの突撃を阻止できなかった。 (レーダーや通信の欠陥はどうにもならないので議論の対象から外しますが、)ゼロが弾道性に優れるブローニングのような機関砲を4〜6門搭載出来ていたらドーントレスの突撃に対してもっと有利に戦えたと思う。 南雲艦隊は6隻の空母の集中運用による300機を超える艦載機数の暴力でよるものが大きいと思う。南雲艦隊は真珠湾からインド洋までの戦いで艦載機を集中運転する事で勝ってきた。ミッドウェーで空母6隻が集中運用され(山本五十六本体の支援と龍龍、隼鷹その他小型空母の参加も必須)ていたなら暗号解読されていようが、南雲艦隊の圧勝に終わったははず。あの数を集中運用にされたら搭載機の性能差なんて関係ないと思いますよ。 参加空母が2〜4隻に減らされた珊瑚海やミッドウエーではゼロはドーントレスの突撃を阻止できず、ミッドウェーでは南雲艦隊は壊滅させられてしまった。ガダルカナルを巡る南太平洋海戦などでも大きな被害受けていますね。要するに数が足りないんです。 私が思う零戦の最大の強みは航続距離。一式陸攻と戦爆連合を組んでの戦いに注目すべきだとおもう。陸上から発進して一式陸攻を護衛しての戦いでは部類の強さを発揮し、(連合軍の反撃体制の不備もあって)フィリピンからラバウルまでの敵を駆逐する活躍をみせました。 でも戦いは甘くない。珊瑚海で勢いを止められ、ガダルカナルを巡る戦いでは(ミッドウェーで航空艦隊が壊滅していたので)、多数の空母艦載機をへ戦場へ投入できなくなり、陸攻隊による艦船への(散発的な)魚雷攻撃が無力化され、消耗を重ねていくうちにパイロットが足りなくなり、虎の子の真珠湾からの生き残り母艦パイロットまで投入する消耗戦へ巻き込まれ込まれ、連合軍の物量に押し切られる形で制空権、制海権を失い戦争に敗れた。
液冷発動機は被弾に脆いとは言われるが、温度管理がし易いというメリトがある。 「空冷」と言っていても、実は冷却のかなりの部分をエンジンオイルに依存しているので、冷却フィンだけで冷やしていた訳ではないことは抑えておくべき。 必ずしも「液例の法が空冷より複雑」と単純化出来る話ではない。 「マーリン」の場合100オクタン燃料に助けられたのがやはり大きかった。 DB601はマーリンより大型で、発達余裕もあったのだが、高オクタンガソリンの入手に苦しんだ。 まぁドイツ軍がモーターカノンの搭載に拘ったため、過給機の搭載スペースに苦労した問題もあるが、基本性能で大きな差があったとは思わない。 ただBf109には、とにかく量産性を重視したが故の、雑な設計が散見されるのも事実だ。
最終的には 空冷エンジンが 活躍する
なんか動画主の空想が入ってるな。 まず零戦開発前から20mm機銃の単発機搭載は百害あって一利なしと言われていたため、海軍は試作機でふんだんにテストを行い、その弾道の集束率に満足しています。弾が高価だからテストしなかったなんてないです。 さらに零戦はハミルトン定速プロペラを搭載していて、このプロペラは出力を上げると舵角を増やして回転数はそのままに推力を増やすプロペラです。機銃同調機構はカムとワイヤーを用いた複葉機時代から使われていたありきたりで信用性の高い装置であって高回転で使用制限とかはないです。 ちなみに零戦に限らずこの時代の星形エンジンには遊星ギアを用いた減速機によってプロペラはエンジンより減速されて回転してます。
ドイツ空軍のエリコンMG FFは、電気式同調装置や電動装弾・排莢装置採用によりモーターカノンでなくとも機首機銃や主翼付け根といったプロペラ圏内に複数のMG151/20を装備出来る。(APIプローバック方式のエリコン系20㎜機銃は発射タイミングが微妙にずれるのでプロペラと同調できず機首銃にすることは出来ない。) また弾頭は驚異の鋼板プレス加工により弾頭内の有効スペースを増やし、弾頭重量と炸薬比が80%という超強力なMinengeschoss弾頭が標準で使えるMG151/20の完成までの繋ぎであり、MG151/20の量産が進むとエリコンMG FFは順次第1戦から退き。 20㎜機銃より格段に強力な30㎜ベルト給弾式のMk108の開発が終わるまで、Minengeschoss弾頭が発射可能なように小改造され、夜間戦闘機の斜銃といった操縦者以外の搭乗員が順次弾倉を交換出来るので、狭い機内での再装填に便利な弾倉式のままフェードアウトしていきます。 つまりドイツでは、MG FF系のベルト弾倉式への改造自体は可能だったかもしれないが、より進化した新型機銃の開発が進んでおり、日本のように旧式銃を魔改造する必要は無かったのです。
>弾頭重量と炸薬比が80%という超強力なMinengeschoss弾頭が標準で使えるMG151/20 よくある間違い。Wkipedia日本語版にも書かれているが、恐らく翻訳ミスだろう。 MG151/20の弾頭重量は92gで炸薬量は資料にもよるが17g。当時の米英の20mm機関砲弾の炸薬量は10-12gだ。 以下Mine shell より抜粋 Considering the high-explosive rounds alone as an example: the 20 mm mine shells used in MG FF/M cannons (and later in the MG 151/20) both had a 17 g (0.60 oz) HE filling while British and American autocannon shells of the same calibre, but markedly heavier, could carry only 10-12 g (0.35-0.42 oz), while the typical filler load in the conventional 20 mm shells of the original MG-FF was a mere 4.5-6.5 g (0.16-0.23 oz).