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ラジオ「心の時代」
เข้าร่วมเมื่อ 1 มิ.ย. 2021
วีดีโอ
釈宗演師を語る 鈴木大拙
มุมมอง 650ปีที่แล้ว
釈宗演師を語る 鈴木大拙 www.aozora.gr.jp/cards/001833/files/58058_65207.html (音声合成ソフトによる読み上げ)
死を見つめる心 西田幾太郎と鈴木大拙
มุมมอง 23Kปีที่แล้ว
お話は、石川県立看護大学教授の浅見洋さん。聞き手は白鳥元雄さんです。 平成十七年十月二日、NHK教育テレビ「こころの時代」の放送です。
いのちの探求~大乗仏典に学ぶ 8
มุมมอง 2.4Kปีที่แล้ว
いのちの探求~大乗仏典に学ぶ お話は、鎌倉市の臨済宗円覚寺派大慶寺の前住職、東京大学名誉教授の鎌田茂雄さんです。 この放送のテキストが、過去に発売されていました。 いのちの探求 大乗仏典に学ぶ 上 (NHKシリーズ NHKこころの時代) 1999/4/1 鎌田茂雄 (著)
いのちの探求~大乗仏典に学ぶ 7
มุมมอง 1.9Kปีที่แล้ว
いのちの探求~大乗仏典に学ぶ お話は、鎌倉市の臨済宗円覚寺派大慶寺の前住職、東京大学名誉教授の鎌田茂雄さんです。 この放送のテキストが、過去に発売されていました。 いのちの探求 大乗仏典に学ぶ 上 (NHKシリーズ NHKこころの時代) 1999/4/1 鎌田茂雄 (著)
いのちの探求~大乗仏典に学ぶ 6
มุมมอง 2.3Kปีที่แล้ว
いのちの探求~大乗仏典に学ぶ お話は、鎌倉市の臨済宗円覚寺派大慶寺の前住職、東京大学名誉教授の鎌田茂雄さんです。 この放送のテキストが、過去に発売されていました。 いのちの探求 大乗仏典に学ぶ 上 (NHKシリーズ NHKこころの時代) 1999/4/1 鎌田茂雄 (著)
いのちの探求~大乗仏典に学ぶ 5
มุมมอง 2Kปีที่แล้ว
いのちの探求~大乗仏典に学ぶ お話は、鎌倉市の臨済宗円覚寺派大慶寺の前住職、東京大学名誉教授の鎌田茂雄さんです。 この放送のテキストが、過去に発売されていました。 いのちの探求 大乗仏典に学ぶ 上 (NHKシリーズ NHKこころの時代) 1999/4/1 鎌田茂雄 (著)
いのちの探求~大乗仏典に学ぶ 4
มุมมอง 2.6Kปีที่แล้ว
いのちの探求~大乗仏典に学ぶ お話は、鎌倉市の臨済宗円覚寺派大慶寺の前住職、東京大学名誉教授の鎌田茂雄さんです。 この放送のテキストが、過去に発売されていました。 いのちの探求 大乗仏典に学ぶ 上 (NHKシリーズ NHKこころの時代) 1999/4/1 鎌田茂雄 (著)
いのちの探求~大乗仏典に学ぶ 3
มุมมอง 2.5Kปีที่แล้ว
いのちの探求~大乗仏典に学ぶ お話は、鎌倉市の臨済宗円覚寺派大慶寺の前住職、東京大学名誉教授の鎌田茂雄さんです。 この放送のテキストが、過去に発売されていました。 いのちの探求 大乗仏典に学ぶ 上 (NHKシリーズ NHKこころの時代) 1999/4/1 鎌田茂雄 (著)
本当は描いた少年とは真逆の人間で妹の飯を奪って生き抜いたそうですね 夢物語ではなく現実の儚さや虚しさをちゃんと描くべきだったと思いますね
こういう地獄からどうやって生き延びて這い上がってきたのかは、とても喋れないほど陰惨だったのではと想像します。
火垂るの墓 アニメーションでしか観ていないが 「あんなキレイな話しではないんですね」 野坂昭如さん自身 妹を殴ったって トラウマだと これはなにか決意みたいなものがなければ言えないこと 胸にしまっておく事か 言うのか 勇気のいる事だと思います
真理はいつの時代になっても変わらないですね。貴重なお話の録音、感謝いたします。
岡田節人さん、有難いお声です。懐かしい有難い! 科学と宗教、興味深く聴かせていただきました。
貴重なお話、有難うございました。
浜田捕まえた!って涙が出てきました。あったかいね。岡村さんがこうなると大拙先生はわかってたんだ。
ネコ可愛いね。
タイトルに福永光司と入っていた方が再生数伸びると思う
いませんならんこと!
メフィストとマルガレーテ
楠恭は大拙と合わなかっただろうなぁ…まあベアトリスもか!かかあが鬼ならわしも鬼 なんまんだぶなんまんだぶ
人間は苦しまないと気付けないのが人間。 知る人は受け入れるしか無い。
3人目のばかちんはどなたですか
解説ではなくて、ご本人様の声で聞けるとは、感激です
なんじゃこりゃ😂
昔からこんな知的な番組が日本にはあったのですね。鈴木大拙先生の本を読んでみようと思います。
南無阿弥陀仏🙏
南無大師遍照金剛🙏 南無妙法蓮華経🙏 🪷🪷 🔥🐉🔥 🗾🌈🌍🌠🌌
南無阿弥陀仏🙏🪷
オンアロリキャソワカ🙏🪷
この写真オレに似てるわ 好きになった❤
フロイトの精神分析を乗り越えて発展させたフロム。 絶望の淵に取り残されることに不安を抱き、神経症的になる人々。 形や見え方に過剰に神経をすり減らすより、自分自身の心を見つめる為に繰り返す動作を味わう。 そんな「無我」の修行に弓道、武道、禅の僧侶の動作だけでなく「庭の草取り」を利用することは誰にでも出来る簡単で自立心を養う平安の得方です。地獄にいる苦しみに抗うのではなく、精神的に自立して精神を研ぎ澄ませば、そこは地獄ではないと言っているように感じました。
自己と無我、自己の中身が深いということ、自己と無限大の世界との関係があるということ。無限大の中に生かされている。それと妄想が出てきて妄想が妄想を生み出す、かと言って妄想が面白い、酔い潰れて、、という話。「君、用があるのか」「今やらないと100年後に花が咲くか、、」という話。何かを残しておくということ、、それを踏み台にして先を、、ということ。菩薩、、の働きの話。地獄に落ちて(趙州の話と繋がる)。。。今もって生きておられる。
西田哲学といえば、絶対矛盾と自己同一というターミノロジーが浮かぶ。 ヘーゲルの弁証法をさらに進化させたばかりではなく、そのシステム論を解き放って相対化した。 つまり大拙の仏教思想における空を、論理的可能性としてエンティティとした。ゆえに、西欧を超えようとしたと言ってよい。
ありがたく、懐かしいお話。有り難たく感謝。
男性は女性に嫉妬している。 ここにも地獄がある。
りんごの例、とても分かりやすかったです。心を、自分を理解した上でもう一度この世界での実践、関係性の中で今度は人と分かち合う。暖かい世界ですね
ありがとうございます❤
すばらしいかたです。れんぺい。
🌟
昭和26年生まれの72才のじいさんです。この映画は、私が、3才ころ初めて父親に連れられて見た映画で、最前列に座り見ていて、大泣きしていたとずっと父親から聞かされてました。ストーリーはあまりよく覚えてませんでしたが、ふしぎと「ぼくらはしいのみまあるいしいのみ・・・・」という歌は今でも脳裏に浮かびます。おぼろげながら先生役の宇野重吉も覚えてました。 この時代教育映画等、学校の巡回映画などもたくさんあり、教育的な映画をたくさんみて感動したものです。礼儀を知らない、協調性のない生徒が多いなど学校の課題がたくさんありますが、昔は、このような教育映画で学んだような気がします。今でも子供の授業に活用できないでしょうか。
声がとてもキレイな方なのですね、河野裕子さんは。知性も感じます。流石歌人さんです。
南無大師遍照金剛🙏🪷 🔥🐉
「神さまが、病気という形の恵みをくださっている」 こんなにも大きな信仰、私はとても言えないんじゃないだろうか 三浦綾子さんは、 「神は癌をも作られた」 とおっしゃったこと、忘れられません。私もいつかそう思える日が来るのかしら… 主よ、どうかこのしもべをあわれんでください!
永久保存版
さいきんの若い子が「遊び」と聞くと、「おこられるもの」と連想がいきそうですね。または「10cm×5cm」の画面の中に閉じ込められることを想像するのかも知れません。「大鳥」が「樗」から羽ばたきゆくさまは誰も見たことないですものね。とくに欧米白人キリスト教徒はね。はり付けられ迫害されないようにすることで精一杯なんでしょうか。殺され甲羅だけになっても「やっぱり黄金の箱の中がいい」と云いそうですね。
べくべから べくべかりべし べきべけれ すずかけ並木 来る鼓笛隊/永井陽子 おもしろいなあ~♪
因みにただの真理記述。 ただの真理記述です。 2500年以上前に発生した仏教 そして 経典 それが 現代も廃れることなく続いているということは これは真理であることを示してると。 真理とは いかなる時代 空間においても 決して変わることのなく そして 全ての人が避けられない法則を言うと。 仏教 そして真理では 段階が提示されていると その土台というものは 小乗であると。 この小乗というものは最も劣った乗であると言われている。 しかし 土台のないところには 決して上物は立たないと。 そういう意味で 全ての根幹である とも言えると。 小乗とは個を主体としている。 自分以外のものは全て否定すると。 その背景は意志の力であると。 全てを否定しまくって 得られる 集中 その集中をもとに 修行を進めていくと。 小乗は成立すると。 そしてその背景となるものは 人は死ぬ 必ず死ぬ 絶対死ぬ死は避けられないと。 いくら 周りの人に執着 周りの空間、物質 、 人生の生き方に執着していたとしても それは全て無常 であり無常、変化を 根本としており 壊れるものであると そして全ての現象は 自分自身の心の表れであり 自分自身のなしたことが原因とし結果として環境を形成するのであると よって自分以外のものは全く執着に値することはないと。 自分自身を調制することこそ全てを得る 全てなんだと そして全てを否定してそこから得られる 集中 それを元に修行を進めていき 個の完成、 個人においての 絶対自由 絶対幸福 絶対歓喜 の世界へと向かうと そしてその世界への到達を目指すと。 個人においての幸福の終局を目指すと。 そこがいわゆる 仏教でいう ニルヴァーナ といわれる 言葉はどうでもいいとして とにかくその個人においての完成を成したものが次に進む ステップが大乗であるのであると。 大乗とは 救済の道であると 他の衆生を救済する道であると。 そこにおいて 個の完成、 つまり個の幸福、自由、歓喜 も得られないものが他のものを救済するということは 傲慢 甚だしいと。 仏教、言い換えるなら真理の根幹になると。 最後に、話は変わって 原始仏典で繰り返し 記載されていること それは 喜び 楽しみ 平安 安らぎ トータル していわゆる 幸福 その第1スタートとなる部分は怠惰でないことから始まると 全ての幸福の根源部分は怠惰でないことから始まると 苦しみ悲しみ 悩み 悲嘆 苦痛 総じて不幸 の第1スタートは怠惰 から始まると 全ての不幸の出発地点は怠惰 から出発すると 怠惰というものは 崖から落ちるよりも 毒を飲むよりもひどい結果になるというようなことが 仏典に記載ある。 以上 ここまで 個人的な意見は全く記載しておりません 原始仏典。 真理教典。 仏、世尊の説法。 これらより引用、抜粋。
脚下照顧。ただひとり白道を歩むのみ。合掌。そして莞爾😊
感謝します。ありがとうございます。
慈悲は愛を超えた愛
小学校3年生の頃、学校の映写会で観ました。子供心に深く感動しました。 しいの実の歌を今でも覚えています。本当の教育者の姿を知りました。 今私77歳、もう一度観たいです。
ナンマンダ〜ブ😮
西田幾多郎哲学を学び始めて10年の月日が過ぎ、私の人生のバイブルとなり、「 自分がありて、経験があるのではなく、経験がありて自分があるのである」これに連ねて、夜と霧の作者フランクルが述べた文句「自分が人生に何を期待するかでなく、人生が自分に何を期待してるかである」経験がものを言うと世の人が申しています✨✨
《大乘起信論》 馬鳴菩薩造 「所謂推求五陰。色之與心。六麈境界。畢竟無念。以心無形相。十方求之終不可得。如人迷故。謂東為西。方實不轉。眾生亦爾。無明迷故。謂心為念。心實不動。若能觀察知心無念。即得隨順入真如門故。」 這是指示正觀,是頓悟一心的方法,意思是說:一真法界本來沒有色心,哪裡有五陰的眾生呢?就因為最初的一念不覺,也就是無明,以無明力的關係,就變一心成為業識,依業識的「見」「相」這兩個部分,成為色心的和合,因此便有五陰的眾生,所以眾生和五陰,都是因一念而有。因此只要觀照一念的生起之處,本來就是無念,無念就是無生,無生則眾生本來就無,又哪有色心諸法呢?所以教人只要直觀無念,就當下頓入真如門了 。 這個「觀無念」的方法,是諸佛與祖師們指示修行的要訣。所以達摩西來,教二祖把心拿來我給你安,二祖說「覓心了不可得」,六祖說「本來無一物」,自六祖以下的諸位祖師,無不是都在指示離念的境界。因此如今在參襌的,不去明了無念的道理,反而生起種種玄妙的思量,這怎麼是祖師西來意呢?不是只有這部論,就是一大藏教,一干七百多則的公案,總歸是「無念」一句話,沒有其他的了,修學的人應該要明白才好。 《大乘起信論》 「若修止者。住於靜處。端坐正意。不依氣息。不依形色。不依於空。不依地水火風。乃至不依見聞覺知?一切諸想。隨念皆除。亦遣除想。以一切法。本來無想。念念不生。念念不滅。亦不得隨心外念境界後以心除心。心若馳散。即當攝來住於正念。是正念者。當知唯心。無外境界。即復此心亦無自相。念念不可得。」 這裡所說修止觀的方法是:不依氣息,因此不調息,不依氣息形色,這是離自身;不依虛空四大,是離外在的世界;不依見聞覺知,則是離心意識。所以古大德在教人參禪時都說:於內,要沒有身心之見,於外,也沒有世界之相,只須離心意識去參,要超越凡聖的方法去學,要遠離妄想的企求,因此這裡都說「不依」,也就是「脫離」的意思。 (這是修禪的人都知道的道理,只有禪宗教人證悟-說的比較清楚~)
この、やかましい、下品な不躾な男性は、うるさくて、岡村さまのせっかくの貴重なお話を落ち着いて聴けませんでした。
南無阿弥陀
I've met M.Okamura-san before. She was a smart and beauty. R.I.P.
佛性、法体としての自分、それを倣いなさい 自己を忘れなさい、象徴を捨てなさい、そうすれば気がつく 気がつくことが、法に目覚めること 26:00 頃~ 膨大な書籍、諸説を生み出してきた仏教 シンボル、象徴としての釈迦、諸仏、様々な教えに触れて、 概念の迷宮入りに戸惑うばかり、、難し過ぎます ジレンマに思えているだけか? いわゆる彼岸に達した人の声は聞こえど、超えられない壁の向こう側。。。