逗子海岸から大回りルートで鎌倉由比ガ浜へ!【巡礼古道】

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  • เผยแพร่เมื่อ 2 พ.ย. 2024

ความคิดเห็น • 4

  • @夕月夜-w1q
    @夕月夜-w1q 2 หลายเดือนก่อน +1

    おお、今回も素晴らしかったです✨有難うございます💛獣道みたいなすごい山道も、相変わらず
    とびねこさんは鎌倉の山海を縦横自在に廻られて、すごいですね☺✨海も山も綺麗に撮れてて、楽しいです。
    源頼朝や義経が有名ですが、その先祖の源頼義は河内源氏として、源氏のブランドを確立した方です。。
    彼らのヒヒヒおじいさんで、百年以上の時代の差があります。。
    頼義の祖父は満仲でした、武勇はイマイチなのですが、藤原道長の腰巾着になって、気に入られ、
    蓄財も人のコネづくりも上手い人で、財産と人脈を作り軍事貴族としての源氏の基盤を築き上げました。。
    その祖父の名声を継いだ頼義は、若い時からやり手の武将で、朝廷にも厚遇され、反乱を平定するために都度派遣されても、必ず勝ってきました。そして、それにほれこんだ平家の当主(直方)のたっての願いで、当主の愛娘を妻にしました。
    彼女の持参金が「鎌倉」です。鎌倉は御霊神社の鎌倉権五郎(平家)が開拓した、平家一門のドル箱でした。
    それを自らすすんでくれてやるほど、平直方は源頼義を気に入ったのです。。
    朝廷の命令で、源頼義は髪が真っ白になる年齢まで、東北で十二年戦い続け、勝って帰ってきました。
    帰洛後、四位伊予の守に任じられ、これは武士としては最高クラスの出世です。
    この夫婦の間に生まれた長男が、八幡太郎義家、彼もピカイチの武将で、弓で一旦狙うと外すことがなかったといいます。
    父が東北での戦場で窮地に陥ると、必ず的確に援護射撃し、父を助けたと伝わっています。
    まさに、源氏と平家の、サラブレッドでした。梁塵秘抄という当時の流行り歌歌集には、
    「ワシの棲む山にはかねての(ほとんどの種類の)鳥は棲むものか 同じき源氏と申せども 八幡太郎は怖ろしや」
    それで、源氏の当主たちは、京と鎌倉を往来しながら過ごしていました。鎌倉はもともと平家の土地でした…。。

    • @tobi-neko
      @tobi-neko  หลายเดือนก่อน +3

      ありがとうございます!
      どうしても鎌倉は頼朝以降が注目されますが、もっと前から深い歴史があるんですね✨️

  • @凛玖サイド
    @凛玖サイド 2 หลายเดือนก่อน +1

    今回も涼しさを味わえる美しい動画をありがとうございました。9月になりもう少ししたら暑さも納まると思うので、そうしたらこの動画を参考にしながらまた鎌倉を散策しようと思っています。

    • @tobi-neko
      @tobi-neko  2 หลายเดือนก่อน +2

      涼しくなるまでもう少しですね😄