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私は香港出身です初めてHJを買ったのは、たぶん1982年5月号ですよね。そして1984年の夏に初めて日本を旅行しました。当時HJの新刊を購入し、重戦闘機モデルも購入した記憶があります。やっと映画マクロスも見ました当時15歳だった私にとってはとても大切な思い出です。
月刊では'82年7月号が初めて買った号でした。84年夏、グラジエーターが表紙の号が見つからず(その裏で起こっていたことは十数年知らず)それまでの号の表紙、SF3Dのアイテムは全て頭に入ってましたし、ライターさんの模型と関係ない話題も楽しく覚えてます。意外とやってたご本人は覚えてないんでしょうかね。MAXさんは当時「ボキ(ボク)」と書いていたことも。84年、思い出深い年です。当時連載してた”zeno"内乱の惑星の最終回のごとく、一見元に戻ってるけど、何か違う少し間をおいて買った84年秋以降のHJに感じた違和感はまさにそんな感じでした。
1984年10月ホビージャパンを当時買って、あのエルガイムMark2に衝撃を受けました。スゴすぎて。
82年からホビージャパンを買っていたので、今回の特集はとても懐かしかったです。MAXさんのマークIIは当時衝撃的でした
うぉおお、Wax Matanabeさん懐かしすぎるーーー
模型に関しては温厚なMAXさんが。某社の誌面の書き方に関して厳しい批判をされてるのを見て、何故だろう?とずっと思ってました。 事件は知ってましたけど、残された者達の苦労を知り理解できました。 ありがとうございます。
例の事件は子供心に「???」でした。好きだったライターさん達が皆いなくなって、MAXさんとファクトリーだけがほぼ唯一の安心感でしたね。
80年代前半にHJを定期購入していたので懐かしです。SWなどの映画系やWW2のミリタリー系のモデラー作を見ては「かちょえ~!」「欲しい~!」と羨望してましたね。当時の記憶は宝物です。
「みんなは・・・?」「行っちゃったよ」なんかハンターのCMみたい
84年の7月か、8月の終わりだったかな。夏休みでした。当時模型少年だったから、1週間発売が遅れたのを覚えてます。当時は特に何も思いませんでしたけど、一大事件ですよね。月刊誌が1週間遅れるわけだから。
学生の頃通ってた定食屋に何故かバックナンバー揃っててよく見てました。随分経ったけど表紙印象高くてみんな覚えてたなあ。
I always wanted these back issues.
今回もめちゃ面白い。長くなっても見ます。むしろ長くして欲しい^^
私がMAXさんの中で忘れないのは83年のクルスクのスツーカGでしょうか?飛行機やAFVを作っていた頃なので素晴らしいスツーカを覚えています。おまけに同じ号のゲルググの作例も素晴らしかったです。
初めてSF3Dのキットが発売された前後は誌面をワクワクしながら読み込んで下手なりに一生懸命作っていましたが、よく考えると鹿児島の山奥の小さな模型店でも最新のキットを入手出来ていたことは奇跡だったのかも…エルガイムが表紙の84年9月号、10月号も当然買っていましたが、そんなことが起こっていたことなど知る由もなく、大好きなエルガイム関連の記事を嬉々として読んでいましたねぇ… ほんとに懐かしいお話ありがとうございました!\(^o^)/
初めて買ったHJは、1983年、5月号、表紙はザブングルのガラバゴスタイプでしたよね。毎日毎日、親からは「そんなに読んでたら本に穴開くで」と言われるぐらい読みました。なので、表紙も全部鮮明に覚えてますよ。
当時、少ないお小遣いで毎月600円をなんとか工面して買っていたのはHJ 何度も読んでスゴイ作例にため息がでていました。渡辺さん、編集長さん含め当時の貴重なお話をお聞きできるのは本当に嬉しいです。あのMG事件のくだりは流石にちょっと息を飲みましたWWW
前回のコメントでも言いましたが、やはり今回のくらいから自分的にはマストな時代でした。出だしのノイスポッターの号は鮮烈に覚えています。本屋で表紙を見たときに「なんだこのメカは?」って驚いたものです。ページをめくって本編を見たとき「今まで見たことがないデザインのメカでカッコイイ〜!」って一瞬でシビれてノイに惚れたのを思い出します〜「足がない!浮いてる〜っ!」ってwそのHJを買って帰ってからは何度も、何十回もこの号を見た記憶が今でも思い出されます。それくらいHJは毎回インパクトの大きかった雑誌なので今でも古本屋でこの頃のを見つけては何冊も買ってしまい、今回の配信で紹介されたHJも何冊か持っています。次回の84年以降のお話も楽しみに待っていますね🙂
焼き針、改造しちゃイカンの松本州平先生、大好きだったなぁ。 たとえ、AFS(だったっけ)の足首を左右間違えたとしてもね
岡崎編集長と佐藤副編とMAXさんが支えてその後のZガンダムでの作例対決な時代。HJから浮気するライターがいる中でMAXファクトリーが大活躍してましたね!作例のレベルは落ちたけど(ちょっと心痛い)皆熱意があったのは確か。その後は新人発掘され質の高い作例が増えて来て読むのが楽しかったな!
表紙のブルーサンダー欲しくて堪らなかったなあ〜当時福岡のホビーボックスでフジミのガゼルを改造した物が飾ってあって舐めるように見てたのが懐かしい、その後モノグラムから1/48が出た時は嬉しかった😊
Hjのブルーサンダーもフジミガゼルベースですよ。この号から毎月かいはじめたので覚えています。
メイジン・カワグチは川口おじさんと自称してらしたし、松本州平先生もメチャクチャおじさんの感じでしたけど、実際はお二人共ずいぶんお若かったですよねw大量離脱~MG誌創刊の流れはショッキングでしたけど、85年からのHJはMGの向こうを張って、超楽しいサブカルチャー雑誌化して最高でした。
懐かしいですね!毎月買ってました。モデラーお宅訪問で愛車VT250やミンメイ(まりン)を語ってるMAXさんが印象的でした。
いつの号だか忘れたけど、読者コーナーのイラストでMAXさんの似顔絵が載っててそれが梶原一騎氏が逮捕された時の写真の模写で『模型は暴力じゃ!!』と書いてあるエグい作品で当時はMAXさんのご尊顔を存じ上げなかったので凄く怖い人かと思ってた思い出笑
表紙に文字がない方がなんだか新鮮だし、当時リアタイで買ったときも、印象が強い。これからやってみてはいかがですか?写真がかっこよければ結局はジャケ買いしますしね!
プロペラ回転、後からモーター入れなくてもエアブラシで外から吹けば良いじゃんってなったんですよねw
MGの方がオシャレ感あって、なんかそれ違くね?とか思ってた
オラタコ選手権やオラザク選手権の号は取っといてあるけど、サムネのL-GAIM表紙、懐かしくて泣けました(笑)35年くらい前、HJ主催のホビー講座(道具等が送られてきて、いきなりフィギュア(アウトランダーズのカームみたいなキャラの相方?)作りましょう!的な鬼畜仕様)も受講してましたわ。そん時の粘土ならす金属の耳かきみたいなの、未だ工具箱に入ってます(笑)
ブルーサンダーが表紙の号から買い始めました
ホビージャパンさんってその1984年頃って千駄ヶ谷の代々木シティーホームズの1Fになかったでしたっけ?そこの3階に自分のオフィスがあったので、なんとなく記憶が。
今回触れられていませんがO巨大編集長で話題の号の前の8月号が8月に発売されるという異常事態でした。この号は勢いあるんですよ、次の号は、、、。その後の1/100ヘビーメタルのフルスクラッチビルドでものすごい勢いを感じました。
ここで紹介された号はすべて持ってました😂模型から離れていた時に売ってしまったんですその時の自分を殴りたい今の所有者には大事にしてもらいたい動画は永久保存しますよww
うわー、モデグラ事件に言及するんだ。40年前のこととはいえ、ホビージャパン的にはタブーだと思ってた。当時、いきなり作例の水準が落ちたと思ったらほとんどホビージャパンのライターの作例ばかりのモデグラが創刊されて、驚いた記憶があります。
実はアートボックスからの移籍組がいる昔、お世話になった望月隆一氏とかけんたろう氏とか(まあその辺は詮索したくない)
あの事件以降心情的にはHJ派でしたが、Zガンダムやレイズナーの作例は明らかにMGより見劣りしてて、辛うじてボトムズで差別化を図っていた印象があります。
今もHJ所持しとります❗️すみません、モデ○ラ創刊号も、、、
小田さんのザクIIのボリューム感マシマシな足首が好きでした😊読者交流欄に投稿したら、偽小林源文先生から郵便料金不足の封筒が届いて10円を配達員さんに払ったのを思い出します😅(今もその封筒は保存しております)
原稿うんちゃらで思い出した。モデグラ編集部で原稿書きました。(マジで)望月隆一さんあの時はお世話になりました。
スタジオ・カッパとは何だったのか・・・?
懐かしい、表紙全て覚えてますよ😂
HJの休刊の危機!!MAX渡辺さんは知らなかったということは誘われなかったのかぁ。しかしMAX渡辺さんが残ってくれたから、今もホビージャパンは続いている。俺は知ってるよ。
MAX師匠は何ひとつ知らなかった訳ではなくHJ通産300号記念号に掲載された師匠の記事によると『実は私も新雑誌に誘われていたのです』と証言してました。師匠としてはどうするか決めあぐねていたところで編集部に寄ってみたら既に事が起こってしまっていたというところじゃないんですかね(記事の時系列によるとこの後ファクトリーのメンバーと緊急会議を開き残留を決定した模様)また近年発刊された柿沼秀樹氏の著書『HOW TO BUILD ホビージャパン』では残留の理由として『当時はいくら頑張っても小田さん達に一番いいネタが振られてしまい自分は2番手のままだったが、彼らがいなくなれば1番になれるかも』という心境だったのも明かされてます(動画の証言どおり編集長の心意気に答えたかったというのもまた事実のようですがこれは本音としてちょっと言いにくいでしょうね)
この後に出てきたライターさんの詳細が知りたいですね。エ○スプ○スの某氏も作例が掲載されてるし。
申し訳ないけどあの号以降のガッカリ感は半端無かった‥みんなどこ行ったの?!〜でMGに行き着くとw
・・・ん?!33:13なんだ?何が来てしまったんだ?!33:20このエルガイム&スピリッツが表紙の1984年9月号に何か?そういやこの動画タイトルにもサムネイル画像にも概要にも『大事件』という文字が“踊っている”けど、何があった・・・何かあった?!33:50ん?『行っちゃったよ。』???一体何が何だか?!(汗)は?“借りてきた”?!何を??34:47語ってくれているけど・・・事情を知らないからわしには理解できないや(自爆&汗&焦)。・・・つまり、37:15『そういうこと』?!(汗)“ひとりになった”??(驚&汗)“引き抜き”とか?!それは一旦おいといて(おい)。38:17わしが「月刊ホビージャパン」を毎月買うようになったのはいつ頃の時期&期間だったっけかな~?あと“ライバル誌”の「電撃ホビーマガジン」も!!・・・え?「モデルグラフィックス」?!(冷汗&焦)でも結果的に35:21その言葉通りに今でも『生き残っている』んですもんね!!!38:45大きさだけじゃなくて、厚みも、値段も、ね?(汗&焦&苦笑)無業者でカネ無しなわしにはもう今じゃすっかり・・・すまん!!!(自爆)
作例の酷さがなー買うのやめたよスケールモデルがひどっかたモデグラの方がスケールモデルは良かった今でもな
私は香港出身です
初めてHJを買ったのは、たぶん1982年5月号ですよね。
そして1984年の夏に初めて日本を旅行しました。
当時HJの新刊を購入し、重戦闘機モデルも購入した記憶があります。
やっと映画マクロスも見ました
当時15歳だった私にとってはとても大切な思い出です。
月刊では'82年7月号が初めて買った号でした。84年夏、グラジエーターが表紙の号が見つからず(その裏で起こっていたことは十数年知らず)それまでの号の表紙、SF3Dのアイテムは全て頭に入ってましたし、ライターさんの模型と関係ない話題も楽しく覚えてます。意外とやってたご本人は覚えてないんでしょうかね。MAXさんは当時「ボキ(ボク)」と書いていたことも。
84年、思い出深い年です。
当時連載してた”zeno"内乱の惑星の最終回のごとく、一見元に戻ってるけど、何か違う
少し間をおいて買った84年秋以降のHJに感じた違和感はまさにそんな感じでした。
1984年10月ホビージャパンを当時買って、あのエルガイムMark2に衝撃を受けました。スゴすぎて。
82年からホビージャパンを買っていたので、今回の特集はとても懐かしかったです。MAXさんのマークIIは当時衝撃的でした
うぉおお、Wax Matanabeさん懐かしすぎるーーー
模型に関しては温厚なMAXさんが。
某社の誌面の書き方に関して厳しい批判をされてるのを見て、何故だろう?とずっと思ってました。
事件は知ってましたけど、残された者達の苦労を知り理解できました。 ありがとうございます。
例の事件は子供心に「???」でした。
好きだったライターさん達が皆いなくなって、MAXさんとファクトリーだけがほぼ唯一の安心感でしたね。
80年代前半にHJを定期購入していたので懐かしです。
SWなどの映画系やWW2のミリタリー系のモデラー作を見ては「かちょえ~!」「欲しい~!」と羨望してましたね。
当時の記憶は宝物です。
「みんなは・・・?」
「行っちゃったよ」
なんかハンターのCMみたい
84年の7月か、8月の終わりだったかな。夏休みでした。
当時模型少年だったから、1週間発売が遅れたのを覚えてます。
当時は特に何も思いませんでしたけど、一大事件ですよね。月刊誌が1週間遅れるわけだから。
学生の頃通ってた定食屋に何故かバックナンバー揃っててよく見てました。随分経ったけど表紙印象高くてみんな覚えてたなあ。
I always wanted these back issues.
今回もめちゃ面白い。
長くなっても見ます。むしろ長くして欲しい^^
私がMAXさんの中で忘れないのは83年のクルスクのスツーカGでしょうか?飛行機やAFVを作っていた頃なので素晴らしいスツーカを覚えています。おまけに同じ号のゲルググの作例も素晴らしかったです。
初めてSF3Dのキットが発売された前後は誌面をワクワクしながら読み込んで下手なりに一生懸命作っていましたが、よく考えると鹿児島の山奥の小さな模型店でも最新のキットを入手出来ていたことは奇跡だったのかも…
エルガイムが表紙の84年9月号、10月号も当然買っていましたが、そんなことが起こっていたことなど知る由もなく、大好きなエルガイム関連の記事を嬉々として読んでいましたねぇ… ほんとに懐かしいお話ありがとうございました!\(^o^)/
初めて買ったHJは、1983年、5月号、表紙はザブングルのガラバゴスタイプでしたよね。毎日毎日、親からは「そんなに読んでたら本に穴開くで」と言われるぐらい読みました。
なので、表紙も全部鮮明に覚えてますよ。
当時、少ないお小遣いで毎月600円をなんとか工面して買っていたのはHJ 何度も読んでスゴイ作例にため息がでていました。渡辺さん、編集長さん含め当時の貴重なお話をお聞きできるのは本当に嬉しいです。あのMG事件のくだりは流石にちょっと息を飲みましたWWW
前回のコメントでも言いましたが、やはり今回のくらいから自分的にはマストな時代でした。
出だしのノイスポッターの号は鮮烈に覚えています。
本屋で表紙を見たときに「なんだこのメカは?」って驚いたものです。
ページをめくって本編を見たとき「今まで見たことがないデザインのメカでカッコイイ〜!」
って一瞬でシビれてノイに惚れたのを思い出します〜「足がない!浮いてる〜っ!」ってw
そのHJを買って帰ってからは何度も、何十回もこの号を見た記憶が今でも思い出されます。
それくらいHJは毎回インパクトの大きかった雑誌なので今でも古本屋でこの頃のを見つけては
何冊も買ってしまい、今回の配信で紹介されたHJも何冊か持っています。
次回の84年以降のお話も楽しみに待っていますね🙂
焼き針、改造しちゃイカンの松本州平先生、大好きだったなぁ。 たとえ、AFS(だったっけ)の足首を左右間違えたとしてもね
岡崎編集長と佐藤副編とMAXさんが支えてその後のZガンダムでの作例対決な時代。HJから浮気するライターがいる中でMAXファクトリーが大活躍してましたね!
作例のレベルは落ちたけど(ちょっと心痛い)皆熱意があったのは確か。その後は新人発掘され質の高い作例が増えて来て読むのが楽しかったな!
表紙のブルーサンダー欲しくて堪らなかったなあ〜当時福岡のホビーボックスでフジミのガゼルを改造した物が飾ってあって舐めるように見てたのが懐かしい、その後モノグラムから1/48が出た時は嬉しかった😊
Hjのブルーサンダーもフジミガゼルベースですよ。
この号から毎月かいはじめたので覚えています。
メイジン・カワグチは川口おじさんと自称してらしたし、松本州平先生もメチャクチャおじさんの感じでしたけど、実際はお二人共ずいぶんお若かったですよねw
大量離脱~MG誌創刊の流れはショッキングでしたけど、85年からのHJはMGの向こうを張って、超楽しいサブカルチャー雑誌化して最高でした。
懐かしいですね!毎月買ってました。モデラーお宅訪問で愛車VT250やミンメイ(まりン)を語ってるMAXさんが印象的でした。
いつの号だか忘れたけど、読者コーナーのイラストでMAXさんの似顔絵が載ってて
それが梶原一騎氏が逮捕された時の写真の模写で『模型は暴力じゃ!!』と書いてあるエグい作品で
当時はMAXさんのご尊顔を存じ上げなかったので凄く怖い人かと思ってた思い出笑
表紙に文字がない方がなんだか新鮮だし、当時リアタイで買ったときも、印象が強い。これからやってみてはいかがですか?写真がかっこよければ結局はジャケ買いしますしね!
プロペラ回転、後からモーター入れなくてもエアブラシで外から吹けば良いじゃんってなったんですよねw
MGの方がオシャレ感あって、なんかそれ違くね?とか思ってた
オラタコ選手権やオラザク選手権の号は取っといてあるけど、サムネのL-GAIM表紙、懐かしくて泣けました(笑)
35年くらい前、HJ主催のホビー講座(道具等が送られてきて、いきなりフィギュア(アウトランダーズのカームみたいなキャラの相方?)作りましょう!的な鬼畜仕様)も受講してましたわ。
そん時の粘土ならす金属の耳かきみたいなの、未だ工具箱に入ってます(笑)
ブルーサンダーが表紙の号から買い始めました
ホビージャパンさんってその1984年頃って千駄ヶ谷の代々木シティーホームズの1Fになかったでしたっけ?そこの3階に自分のオフィスがあったので、なんとなく記憶が。
今回触れられていませんがO巨大編集長で話題の号の前の8月号が8月に発売されるという異常事態でした。この号は勢いあるんですよ、次の号は、、、。その後の1/100ヘビーメタルのフルスクラッチビルドでものすごい勢いを感じました。
ここで紹介された号はすべて持ってました😂
模型から離れていた時に売ってしまったんです
その時の自分を殴りたい
今の所有者には大事にしてもらいたい
動画は永久保存しますよww
うわー、モデグラ事件に言及するんだ。40年前のこととはいえ、ホビージャパン的にはタブーだと思ってた。当時、いきなり作例の水準が落ちたと思ったらほとんどホビージャパンのライターの作例ばかりのモデグラが創刊されて、驚いた記憶があります。
実はアートボックスからの移籍組がいる
昔、お世話になった望月隆一氏とかけんたろう氏とか
(まあその辺は詮索したくない)
あの事件以降心情的にはHJ派でしたが、Zガンダムやレイズナーの作例は明らかにMGより見劣りしてて、辛うじてボトムズで差別化を図っていた印象があります。
今もHJ所持しとります❗️すみません、モデ○ラ創刊号も、、、
小田さんのザクIIのボリューム感マシマシな足首が好きでした😊
読者交流欄に投稿したら、偽小林源文先生から郵便料金不足の封筒が届いて10円を配達員さんに払ったのを思い出します😅(今もその封筒は保存しております)
原稿うんちゃらで思い出した。
モデグラ編集部で原稿書きました。(マジで)
望月隆一さんあの時はお世話になりました。
スタジオ・カッパとは何だったのか・・・?
懐かしい、表紙全て覚えてますよ😂
HJの休刊の危機!!MAX渡辺さんは知らなかったということは誘われなかったのかぁ。しかしMAX渡辺さんが残ってくれたから、今もホビージャパンは続いている。俺は知ってるよ。
MAX師匠は何ひとつ知らなかった訳ではなくHJ通産300号記念号に掲載された師匠の記事によると『実は私も新雑誌に誘われていたのです』と証言してました。
師匠としてはどうするか決めあぐねていたところで編集部に寄ってみたら
既に事が起こってしまっていたというところじゃないんですかね(記事の時系列によるとこの後ファクトリーのメンバーと緊急会議を開き残留を決定した模様)
また近年発刊された柿沼秀樹氏の著書『HOW TO BUILD ホビージャパン』では残留の理由として『当時はいくら頑張っても小田さん達に一番いいネタが振られてしまい自分は2番手のままだったが、彼らがいなくなれば1番になれるかも』という心境だったのも明かされてます(動画の証言どおり編集長の心意気に答えたかったというのもまた事実のようですがこれは本音としてちょっと言いにくいでしょうね)
この後に出てきたライターさんの詳細が知りたいですね。エ○スプ○スの某氏も作例が掲載されてるし。
申し訳ないけどあの号以降のガッカリ感は半端無かった‥
みんなどこ行ったの?!〜でMGに行き着くとw
・・・ん?!
33:13
なんだ?何が来てしまったんだ?!
33:20
この
エルガイム&スピリッツ
が表紙の
1984年9月号
に何か?
そういやこの動画タイトルにもサムネイル画像にも概要にも『大事件』という文字が“踊っている”けど、何があった・・・何かあった?!
33:50
ん?
『行っちゃったよ。』
???一体何が何だか?!(汗)
は?“借りてきた”?!何を??
34:47
語ってくれているけど・・・事情を知らないからわしには理解できないや(自爆&汗&焦)。
・・・つまり、
37:15
『そういうこと』?!(汗)
“ひとりになった”??(驚&汗)
“引き抜き”とか?!
それは一旦おいといて(おい)。
38:17
わしが「月刊ホビージャパン」を毎月買うようになったのはいつ頃の時期&期間だったっけかな~?あと“ライバル誌”の「電撃ホビーマガジン」も!!
・・・え?「モデルグラフィックス」?!(冷汗&焦)
でも結果的に
35:21
その言葉通りに今でも『生き残っている』んですもんね!!!
38:45
大きさだけじゃなくて、厚みも、値段も、ね?(汗&焦&苦笑)無業者でカネ無しなわしにはもう今じゃすっかり・・・すまん!!!(自爆)
作例の酷さがなー
買うのやめたよ
スケールモデルがひどっかた
モデグラの方がスケールモデルは良かった
今でもな