東京-神戸を爆走した戦前生まれの超特急「燕」を徹底解説!【ゆっくり解説】
ฝัง
- เผยแพร่เมื่อ 7 ก.ย. 2024
- 戦前に存在した東京-下関-釜山-北京を結んだ「弾丸列車計画」を徹底解説!【ゆっくり解説】
• 戦前に存在した東京-下関-釜山-北京を結んだ...
このチャンネルでは今後も鉄道に関する様々な話題を提供していきますので、チャンネル登録・高評価・コメントを是非よろしくお願いいたします!
ツイッター始めたのでフォローしてくれると嬉しいです!
/ yukkuri_museum
権利表記
docs.google.co...
BGM
OP 『Dramatic train』 TAM Music Factory
劇中 曲名『Train』 作曲 Ryu Ito ryu110.com/tra...
鉄道唱歌-First Train Arrange-【DL】
高宮いぬかみ 旧 高宮魔女
#鉄道 #ゆっくり解説
つばめが各停で最速がみずほだというのが未だに違和感、逆だろ
国鉄の球団にスワローズってつけるぐらいだから誇りなんだなって思う
スワローズ=座ろうず、コンドルズ=混んどるずって連想が在るから、とりあえず燕にしようって与太をどっかで聞いたなぁ。
国鉄バスもスワローエンゼルが付くのに、なぜか「はと」バスになっとったし。
走行中に切り離しとか走りながら連結とか、これ男の子ならみんな大好きなヤツ!胸熱!
時間を忘れて最後まで観てしまう素晴らしい内容でした。
戦前の燕は兎に角早く走らせる意地のような列車だった。
JR九州の制服のエンブレムにもつばめがデザインされていることからもつばめがもはや別格扱いであることがうかがえます。
新幹線つばめは各駅停車でみずほより所要時間はかかりますが自由席でも4人掛けという贅沢仕様なので逆に優雅な旅を満喫することが出来ます。
燕の名が受け継いできた特別感は今なお健在です。
燕号も凄いけど、1912年段階で東京~下関が25時間列車に座ってたら行けるようになってるってのがもっと凄いと思う
その頃ならまだ黒船来航前の日本を知ってる人も多く存命だったろうし、どれだけ短期間で世界が変わったのよって話
「燕」は高校時代に日本史選択をしていた自分にとって、この列車に乗ろうとしていた浜口雄幸首相が暗殺されてしまったというような印象しかなかったので「燕」の背景や歴史を知れて良かったです。
遅延しない高速バスで移動自由+トイレ付きと考えると、今でも通用する
残念だけど高いんよなぁ…
高速バスのメリットは安いっていうのも大きいからなぁ…
特急「燕」の伝説は、小学生の頃に絵本「御殿場線ものがたり」を見て大変興奮したことを思い出します!また自身の祖母は「はとガール」だったらしいです!
燕?サンキュー😆💕✨ありがとー😆💕✨テレビ📺❇️燕ですからね🎵再点検必要ですねー燕新幹線🚄ありがとー😆💕✨
私も小学生の頃「御殿場線ものがたり」を読みました。中学1年生の時、宮脇俊三さんの「時刻表昭和史」を読んで、宮脇俊三さんのファンになりました。大人になって、長男が小学生になった時、Amazonでたまたま見つけた御殿場線ものがたりを長男の音読練習用に購入しました。そこで知ったのが御殿場線ものがたりの作者は宮脇俊三さんだったのです。このことを知ってびっくりしました。
現在でもJRバスグループのシンボルマークは「つばめ」ですね。
JR九州で「つばめ」が復活する前に、国鉄末期に東京〜大阪で団体か臨時列車で運転された。機関車はEF58の茶色の御召し機で、車両は14系客車の座席車プラス食堂車オシ14の時と、ジョイフルトレインのサロンエクスプレス東京だったと記憶しています。
小生、ロクイチのつばめに乗車しましたね、
なつかしい。
それから、高倉健の映画、駅ステーションのイベント列車にも乗車しましたよ。 笑
国鉄末期は60が引退状態だったな
4:48 戦前の燕と、今ののぞみとで停車駅がほぼ同じ、ってのも面白い
私の亡くなった祖父が大阪に出張する時に、つばめを乗った事があったそうです。それも、どうやら一等展望車で取引先の方と乗ったそうです。私は、つばめと言ったら787系の世代でした。あの黒い車体が走り抜ける様は本当にかっこいい!いつの日か乗ってみたい物です。多分乗ると黒いかもめリレー号になると思いますけど…
特別急行列車「燕」は戦前の記録映画にも登場していますね。走行中に機関士と機関助士が先頭客車から炭水車へと乗り移り、乗務交代を行っていました(非常に危険な行為)。
ヤクルトがアトムズを辞めてスワローズを復活させたのは虫プロ倒産によるイメージダウンを避けるのが一番の要因だったけど、スワローズの名前を復活させたのは宮脇俊三氏を始め多くの鉄道ファンを歓喜させた。皮肉にもスワローズ復活の5年後、九州を去ったライオンズは手塚治虫氏のレオを球団イメージに選んだ。
アトムズが廃止後、ファンからチーム名を公募したけど、1位が旧名のスワローズだったと言う説もある。
西武には手塚先生はタッチしなかったようですね、アトムズで凝りてたので「勝手にせい!!」だったとか。
アトムは英語の俗語で屁を意味すると聞いた事がある
鈍重な蒸機での補機の併結作業30秒って、おそらくF1のピットワーク並みのシビアさだったんだろう
遠距離通信の歴史といい、高速鉄道の歴史といい、音速飛行の歴史といい、人間の速さに対する執着心が凄いな
弾丸列車計画、それで土地の買収をしていた、途中でアメリカとの戦争で計画中止、戦後はそれほど苦労もなく土地の買収がスムーズに進む、なぜなら戦前に土地の買収をかなりの割合でしていたから
18きっぱー的には今でも東京大阪9時間ってイメージですね
燕の機関車の形状が何となくN700に似てるのが凄い。当時遺伝アルゴリズムなんて無かっただろうに。
787系のつばめは何度も乗って愛着があるなぁ。
サロンコンパートメントやビュッフェも懐かしい!
個人としては「はと」を何らかの形で復活させたい。
山陽新幹線区間の「こだま」改称とかで…
山陽〜西九州新幹線が直通できる日が来たら
広島〜長崎間に一往復でいいから設定してほしい
@@user-ut2xj3kf9y さま。
平和の象徴として…
「平和」は「へいわ」含めて3回採用されてすぐ廃止の短命だったけど
「はと」は25年使われていましたね
満鉄時代も含めればもっと長いか(「あじあ」を補完する急行だった時代も)
「水曜どうでしょう」で特急つばめの個室シーンが出ていたが、そんなに格式が高い列車とは思わなかった。
戦前から受け継いだ格式高いイメージを引き継いだんだろうな。
個人的にはのぞみに代わって東海道~山陽新幹線最速列車の名になってほしい。
しかし米国では約1500キロを給炭停車一回で走った蒸気機関車があるらしい…しかも約16時間半で…
良い内容、ありがとう。
宮脇俊三さんの本によると、後部の展望デッキに人が立つのは東京駅の出発時だけで、走行中は吹きさらしで寒いしSL時代は煙も吹き込んでくるので誰も立つ人はいなかったようですね。
今発売中の青春切符使うか普通切符使って
普通列車新快速列車乗換すれば
ほぼこの所要時間で行けるので
節約を兼ねて体験するのオススメ
その時代を知らない私にも、ワクワクするお話でした✨ありがとうございます😊
興味深く拝見させていただきました!
一番すごいのは山を堀抜く技術
漱石の乗った「最急行」の直接の後継は列車番号とかからも「富士」なんでしょうけど、コンセプトとしては「燕」ですよね。
「櫻」も「燕」も名前が復活してますけど、「富士」はどうするんでしょうね?
「鷗」も復活してますね。
「富士」は是非ともリニア新幹線に使って欲しいものですね
それか東海道区間のこだまをふじ、山陽区間をはとにしたら面白いかも。
@@user-se3jb8lv1m
こだま自体が東海道の電車特急列車の名前だし。
3:34 全然動画と関係無いけど現代日本人にこれ言うと発奮するどころか「じゃあ日本から出てけよ」って言うからねぇ…
どこかの新しい新幹線は「亜細亜」を復活させてほしい
近隣国がお祭りになりますな
JR九州の787系つばめは学生時代、朝寝坊して快速乗りそこねた時に遅刻しないために特急券買って乗る電車だったので、そんなに意気込みがこもった格式高い電車だとは知りませんでしたw綺麗で座席もふわふわで、内装も高級感があって、定期とは別に特急券500円(当時)で乗れるのはとても楽しかったです。
列車の名前に重みが或るのは創られた経緯と革新的技術や快適性の積み重ね等が重層的に折り重なっている歴史性が存在する由なのが良く分かりました。😊
昔の図鑑だったか、教科書だったか忘れたけど、「つばめ」の展望車の写真だか絵だかが載ってて、その理由が分からなかったけど、なるほどロマン溢れる特急だったのですね。
ところで、東京-大阪方面の新幹線に「つばめ」の名前が使われなかったのはちょと残念。
「のぞみ」の代わりに「つばめ」を復活させても良かった気がします。
一等車を無くしたのが最大の失敗と
百間先生が嘆いていた
あの人大学教授だったから鉄道タダで乗れてたんだけど
夢の超特急と言う事で公募1位がひかりの為。
ちなみに、公募の中でつばめはベストテンにも入っていないマイナーな愛称(はやぶさ、はやて、さくら、こだま等が10位以内)
9:29 この地図のオレンジ線の上につき出ている線は勾配を避けるバイパス線(新垂井線)で1944年開通らしいです.ここが当時あったらもっと速かったかもしれません.
貨物列車を念頭に置いた迂回線なので速くはならない。早く着くことも無い。後に特急電車が迂回線を走るようになった理由はわからない。
補機は不要だったのではないでしょうか。
何か昔に聞いた話だと
下関から海底トンネルで朝鮮の釜山まで通して中国の満洲まで行く計画だったみたいだね
今の18きっぱーがつばめと所要時間変わんない件
蒸気機関車のC62も燕マークを付けて牽引してましたね。
なんかすごく感動してしまいました。暫定開業の時に九州新幹線つばめの素晴らしい内装に衝撃を受けたものでしたが、この動画をみて、つばめの名前へのオマージュ、リスペクトだったのかも、と思えました。ありがとうございました。
流線型の蒸気機関車カッコイイ。
9両編成の787系つばめは懐かしい。
新幹線開通前は基本4、6、7両編成だったけど繁忙期は7+4の11両編成で走ってたのを思い出すと懐かしいですね。(2000年代辺り)
@@user-tz5fs6bm2y
運転期間は短かったと思いますが、787系の最盛期は9両編成で博多~西鹿児島を往復していた頃かと。
@@jamesjacobsen7824さん
登場当初は9連もありましたね。
その後、有明も783系から787系へ置き換えるにあたり、つばめの9連から中間2両を捻出し、新製した先頭車と合わせて有明用の4連に生まれ変わりました。
東京ー大阪9時間って18切符での所要時間なので、ちょっと考え深いな〜
感慨深いでなくて?笑笑。
そうそう!いいたかったのはそれです!ありがとうございます!!うけたうけた!@@tydeentetuota5514
つばめの歴史、良く分かりました。ありがとうございます。
プラレールのスペシャルセットで歴代つばめのセットがあったが子供向け要素0の100%マニア向けセットとして話題になった。因みにセット内容は(C62・EF58(青大将)・583系)
それ結構昔のプラレール製品だから当時は子供向けでも問題無かったんじゃない?
燕が新京阪線(現在の阪急京都線)の超特急に抜かれたのを当時、生で見ていた乗客はさぞ複雑だったでしょうね。
実は京阪新京阪線の超特急は、「燕」の運転時間帯と被っていない
朝夕のみの運転だったから
全ては先人の努力ですね。素晴らしいです。
今じゃのぞみで二時間半....
東海道新幹線開業から一年間は、東京から新大阪までひかりで4時間10分の設定だったから、その2倍で在来軌道をぶっ飛ばしてる。それも電化されてない戦前の東阪間を。超特急って言っていい。
僕は全然鉄の人ではない乗り物好きなんですが、“つばめ”の名前の変遷、今時々乗る九州新幹線の名前に採用された経緯を知り、ジーンと来てます。次に乗る時、襟を正す気持ちになりそうです。
つばめに乗りたくなったよ。
JR九州は急行であっても凝った車両が多くて、鉄道好きには嬉しい地域だと思う。
一番後方の車両についてる、つばめのプレートは憧れでした。
戦前は東京〜神戸間の特急列車が、今は新下関〜鹿児島中央間の各駅停車タイプの新幹線に。
戦前の人は一体誰が想像できただろうね。
戦前も戦後も下りの11レつばめは朝の9時に出て、夕方5時に到着したので宮脇俊三他会社勤めの鉄道オタクは勤務時間を東京大阪、静岡発(戦前15.10.10改正)11:48をボチボチ昼ご飯として仕事のダイヤを組んだようである。戦前は上り12レつばめの大阪発は午後1:00(24時制は17年11月改正から)で非対称。大阪9:00発は1032レかもめで東京着は5:20と停車駅同じでゆっくり走っていた。戦後は対称ダイヤになったはず。
大阪出張の役人は到着後退勤者と一緒に一杯やり、翌日午前中に会議を済ませて夜帰れるダイヤに適合していたようである。戦後は大陸帰りの「はと」号がペアリングしてくれるようになった。一部うろ覚え、思い込みの可能性があります。
戦後の話しになりますが、急行西海と言うのが、佐世保ー東京間走ってたみたいですね、期間は、短かったみたいですが。
スチームパンクっぽいデザインがかっこいいなぁ
アメリカは実際に走りながら給水で運用してたし
技術面では蒸気機関車で200km/hオーバーも全然可能だったし
ギリギリの所で新幹線の栄誉が残ったのが史実
ぶっちゃけ日本が標準軌だったら蒸気機関車は200km/h超えてたと思うし
日本人ってそうういうとこあるから
あとアメリカは線路が普通に真っ直ぐ。
走りながらの作業とか考え方がルーデル閣下のそれ😂
食堂車に「冷房」!但し停車状態では作動しないタイプと聞いた事があり!しかし当時は憧れと高嶺の花の列車だったんだ。
冷房の電源を走行中に車両の台車が動くことによって発電していたためです。
最初(昭和11年当時)はそれ。2年後には冷房コンプレッサーの動力を車軸から直接取る方式が加わりました。
戦後しばらくは後者のスタイルが主体で、昭和45年まで使われてました。
九州新幹線が開通するまで博多から西鹿児島まで4時間以上かかっていました。それが開通して1時間強で行けるようになり、かなり便利に早くなったと感じたから、当時の人も東京から神戸が8時間台で行けたら、相当に便利にで早く感じたはずですね
超特急燕、丹那トンネルが開通する前に登場し、
停車時間や停車駅を大幅に制限し、所要時間短縮に関連し、様々な措置を施しましたね。
給水車を連結したり、機関車の運転士を車内待機させたり、信頼性で勝る機関車で運用、
色々と創意工夫を実施していました。
戦前の燕の停車駅で、国府津(誤解のないように言いますけど、御殿場経由ですよ)から名古屋までノンストップで、
走ったらしいけど、本当ですか?乗ってみたかったですね。
今の特急はないけど、東海道新幹線の『のぞみ』は、新横浜から名古屋までノンストップで、
走っているから、その名残かも知れませんね?
信じられないけど、100キロ近くの走行で交代したのも、命がけですね。
BGMが鉄道唱歌なのは懐かしい。客車列車で駅に着く前に流れたオルゴールを思い出した。
いま予約サイトで見たのだが東阪間の高速バスは昼行でも夜行でも8時間前後だ。例へばウィラーは梅田を22時15分に出て東京の鍛冶橋に翌日の7時00分に着く。00:00:46の燕の所要時間はけふ日の高速バスの所要時間とみておけばいい。とすると相当速いぢやねえか。
国府津から沼津の間って、北側の御殿場を経由させたり南側の函南を経由させたりしてるから何故だろうと調べたら、間に「箱根」がある為だったんですね。
とすれば「函南」の地名の由来は「箱根の南」なのかな?
それにしても、確かに「御殿場」は標高が高いから、距離の長さだけでなく昔の重いばかりで非力な蒸気機関車だと速度向上は厳しかったと思いますね。
8,8艦隊が不景気で実現が不可能となり鉄鋼が余るようになった50キロレールが実現、10メートルのレールが25メールになりジョイント音も変わった、つばめは色々な条件が重なり実現した
<燕>沼津・国府津-名古屋 ノンストップ(乗務員は途中交代) → 静岡で交代
<近鉄ノンストップ特急> 鶴橋ー名古屋 ノンストップ(乗務員は途中交代) → 津で交代
1972年、津久見高校が深紅の大優勝旗を抱いて帰って行くところを瀬野八に近い踏切で観た❗たしか、クリーム色に赤線のつばめで青線ではなかったように思う。
翌年、迫田監督率いる広島商業が寝台特急安芸で帰ってきた。大優勝旗を達川が抱えていた。変わり者だ
「つばめ」の由来なんて考えたこともなかったけど、ちょっとジーンとくる由来で嬉しかったです。ありがとうございます。
つばめ は特急+夜行列車としても運行してなかった?
時間短縮への努力はすごいものだけど、その後の鉄道事故がなるほど起こるべくして起こってるという感じもしますね
英国ではロンドン~エディンバラ535キロをノンストップで戦後間もない時期から走らせている。所要時間は6時間半で、平均時速は82キロだ。使われたSLは160キロ程度の速度が出せる機関車で、石炭は高カロリーのもので、水はホッパーですくい取る方式だ。炭水車内に乗員交代用の通路を設けていた。大きな機関車だったけど自動給炭機は付いていなくて手炊きだった。
スピードについては線路の幅が広い(英国は標準軌)のもあったのでは。
@@hc-ir2dr さん おっしゃる通り標準軌、線路幅が広いですね。
国鉄マンの執念を感じますね
1930(昭和5)年の「燕」登場時には、『C51形という 当時若干旧式だったものの 信頼性は高かった機関車が』本務機として抜擢されましたが、国府津〜沼津間の“箱根越え”の後補機には東京機関区の新鋭C53が活躍しましたね。
たしか、この補機仕業のためにわざわざ3両のC53を東京機関区に配属したはずで、こうしたエピソードにも当時の超特急への意気込みを感じます。
実際には沼津配備だったそうです。
増結の話が出た時には当然C53への置き換え案が出たのですが、中央ビッグエンドが焼けて走行不能になってしまい、
水槽車を外して静岡停車か運用を名古屋機関区に移管するか(名古屋ではそう言うトラブルは皆無で「沼津ではC53は使いこなせないからウチで特急全部持とうか」と名古屋機関区長に言われていた)迫られた結果、静岡に停車して給水と乗務員交替を行う事にしてます。
で、昭和9年の丹那トンネル開通後、冬季暖房はどうしたのだろうか?
後高カロリー炭搭載限定で炭水車をD50に使われている
8ー20型(石炭8トン、水20トン)に交換してます。
@@user-yk7pt7xx2hコメントの皆様がお詳しいので自分のコメントは少し前に購入した鉄道雑学の本の中からで、しかも「富士」からですが、電気機関車の次位に、暖房用の燃料なのか発電機なのかわかりませんが、専用車両(絵では後の貨物列車の車掌車みたいな感じの)を連結していたみたいです。因みに「富士」の牽引機は流線型のEF55です。暖房供給車の件、間違っていればすみません。
@@user-yk7pt7xx2h さん
ありがとうございます。
ご指摘のとおり「東京鉄道局 沼津機関庫」配属だったのですね。
東京鉄道局と東京機関区と間違えて記憶していたようです。大変失礼いたしました。
(しかも、昭和5年当時は「機関庫」ですね。)
ご指摘、ご教示をいただき、ありがとうございます。
動画UPありがとうございます、私の母方の祖母が、大阪から東京へお見合いに行く際に乗車したと聞いています、それを聞いた後に義理の妹になる方が、「あら、洒落てるわね!」とコメしたそうです。
流線型のシゴサンですね。
機関士1名と機関助士2名で過酷な長距離乗務。釜炊きの体力は凄まじい。
山崎あたりで新京阪のP6が100キロ超えのスピードで追い抜いたのは有名な話です。
残り少ない石炭と水で無茶な競走はしなかったのだろうと思います。😊
しかも、新京阪の車両は単行だったとか。
新京阪P6の吊り掛け爆走音聞きたかったなあ。
駅に停車しての給水ではなく、線路の真ん中に溝(用水路)を掘って水を吸い上げることを真剣に研究したとか・・って聞いた事あります・・
とてもしっかりした内容で感心しました。できれば、153系急行 せっつ、いこま、よど、六甲、なにわ、やましろ 6人衆の特集を!東京大阪間7時間半は、速いと思う。庶民の足として、新幹線開業後もなにわはしばらく存続。今でこそかぼちゃ電車と言われていますが、輝かしい歴史を多くの人に知ってもらいたい。
僕が初めて乗車した「つばめ」は151系車両の時代で大阪から東京まで乗車しました。国鉄の誇る名特急だけに他の特急列車とは格が違い食堂車は帝国ホテルが担当していました。大阪寄りの先頭車両であるパーラーカー、クロ151系は特別車両だけに足を踏み入れられない程の風格がありました。当時は特急に乗れるだけでも上等ですから、私自身はパーラーカーに乗車出来ませんでしたが、リクライニングシート、ラジオ完備の一等車に乗車して食堂車で食事が出来たのは👍👍👍の思い出です。新幹線開業後は寂れてしまった東海道在来線の東京駅ホームですが、当時は関西、九州方面に向かう特急、急行が沢山発着していたのでホームで列車を見ているだけでも楽しかったです。
C53形三シリンダー蒸気機関車と戦前の客車。
東京ー大阪間8時間20分。
現在九州新幹線博多ー鹿児島中央間の各停特急。
尚、JR九州がつばめの名前を使う為に東日本、東海、西日本にお伺いを立てた結果は、
「好きにしたら」
だったそうな。
いずれ東京〜西鹿児島間の新幹線の直通特急が出来れば名称は「つばめ」にして欲しいですね❗️
富士だね。
22:55 そうだな
23:15 そやな
23:45 そだな
今のグランクラスも良いけど、戦前や昭和中期の応接室の様な展望車や一等車の重厚さも良いよね
緑や臙脂のソファーみたいな座席やウッディな内装、豪華なテーブルとかね
シガーを吸いながら景色を楽しんでみたかった
良いですね。ただあまり蘭癖な身なりをしていると憲兵や特高警官から厳しい職質を受けるかも分かりません。
「貴様は日本精神が無いか!このバカタレの非国民めッ!」と怒鳴り上げられ拳骨を頬に頂くかもしれません。
戦前日本ではコレは愛の鞭、教育訓導の一貫ですから、最敬礼して「ご鞭撻ありがとうございました」です。
@@fw1977
初対面でこんなことを書くのも大変恐縮ですが、あまりにも失礼では…
「昔の一等客車もいいよね」という感想のコメントなのに、拡大解釈しすぎな気がします。
国鉄の保有するプロ野球の球団が当初『コンドルズ』にになる予定だったという都市伝説があったということでしたが、最初聞いた時『一体なんのこっちゃ?』と思いました。
でも、よくよく考えてみたところ、これってもしかして『コンドルズ』=『混んどるズ』というダジャレチックな話しだったのかと思ったのですか、本当のところはどうたったのでしょうか?
東海道新幹線の品川駅開業したときにイベント列車で品川〜名古屋まで運転された列車が583系のつばめ号だったな
山崎での阪急京都線に抜かれるつばめ。関西の最速電車の特集をお願いしたい。
東京大阪間で、戦前の最速列車と現代の青春18きっぷ利用の所要時間がほぼ同じというところに鉄道の進化を感じる
青春切符でこの速さをリアルに経験出来るのが面白い
そうなの?
18きっぷで戦前の最速列車並みの所要時間で東京大阪間は無理じゃないか?
停車駅めちゃ多いし快速が充実してるのは名古屋地区、西日本区間だし…
00:00オープニング
00:28特別急行「燕」とは?
03:18燕の所要時間短縮策①レールの重量化
04:33燕の所要時間短縮策②機関車交換の省略
06:17燕の所要時間短縮策③給水のための停車の省略
08:03燕の所要時間短縮策④補助機関車連結・切り離しの迅速化
09:41燕の所要時間短縮策⑤乗務員交代のための停車の省略
11:11「燕」の誕生から廃止まで
15:01戦後の特急「つばめ」
19:03新幹線開業後の「つばめ」
22:07分割民営化後の「つばめ」
25:40エンディング
とても示唆に富む動画でした。
初期の連結ってあの昔形の一対のシイタケのやつですよね。
そりゃ省きたくもなりますよね。
つばめは481,3系のに新大阪から乗り継いで小倉まで行ったことがあります。
新幹線より48?系のほうがワクワクしましたね。
展望車は銀河鉄道999の原作や映画にも登場しましたね
東京→大阪を8時間。🙃寝台急行銀河号はこのくらいかかるかな。蒸気機関車C62牽引燕と一緒だね。🤔中央新幹線は50分位(時速608km/h)と聞くぞ。😇随分時間短縮できるな。
まさかの佐賀藩の凌風丸の挿し絵が出てくるとは(笑)
水曜どうでしょうのサイコロの旅で特急つばめが出てきましたね(車内は23:01だったかな)
大阪から米原まで京都の西側でカーブするけど長い直線があってスピードが出しやすい いまでも新幹線のスピードを試すために試験運行は京都と米原間の直線コースだ
787系は今もついついつばめって呼んじゃうなぁ
いまでもアラウンド九州のロゴにはつばめが飛んでいますからね。
スワローズの由来となった特急はこれか!
つばめが戦前は東海道なのに平成は九州島内なの違和感あったけど、これで納得した
1930 - - -神戸-東京
1962 - -広島-大阪-東京
1964 -博多-広島-大阪
1965 熊本-博多-広島-大阪-名古屋
1973 鹿児島-博多-岡山
1992 鹿児島-博多
2012 鹿児島-博多-下関
(駅名から「新」「西」「中央」を省略)