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当時の被害民の声を聞かなかったのは、農商務大臣だった陸奥宗光の子供が古河市兵衛の養子となっていたからが一番の要因。今年(2023年)で銅山閉山50年。
よくご存意ですね☆陸奥宗光の次男の潤吉が古河市兵衛の養子となって、宗光と市兵衛の死後に潤吉は古河家を継いで、陸奥家は長男の廣吉が継いでますもんねここの陸奥家と古河市兵衛の関りは重要ですよね古河市兵衛周辺の相関図は結構ややこしく、陸奥宗光や古河太郎左衛門や渋沢栄一など名だたる顔ぶれがそろいますからね。鉱毒事件だけではなく、古河市兵衛の交友関係なども見ていくとより足尾のことを理解できると思ってますが、私の知識ではまだまだ勉強不足で、もっと掘り下げるには時間がかかりそうです。足尾は鉱毒事件と田中正造のことが大きく扱われていますが、古河市兵衛を中心とした人物関係を見ると「なぜそうなったのか」というのが見えてきますよね。コメントありがとうございます。こうしたお話ができてうれしいですまたよろしくお願いいたします。
@@kaede472 自分の住んでいる所が、栃木県の足利市で渡良瀬川氾濫時の鉱毒被災地であり、田中正造翁の遺骨が分骨(6番目の分骨地として平成になってから公表されたお寺)されているお寺に家のお墓がある縁から田中正造に関心を持つようになり、現在は、群馬県館林市に有る「足尾銅山鉱毒事 田中正造記念館」と言う所で説明ボランティアをしています。
日向康という作家が「果てなき旅」という小説作品を発表している。
今の技術で足尾銅山や炭鉱は復活できないだろうか。
全ての規制や法律を無視すればできるかもしれませんね(笑)ただ、全くもってこれから鉱山を開山するメリットは全くないかもしれませんね。私も同じこと考えたことあります(笑)
松尾銅山動画から、他の動画も見始めています。田中正造さんは、子供の頃に読んだ教科書以来で、実は書かれていることはほんの一部であることがこの動画で分かりました。ショッキングでもあり、深く知れたことに感謝もあり…切り取り方で、ここまで事件の印象が変わることにも驚いています。何かを見る時にはたくさんの視点が必要だと感じました。貴重なものをありがとうございます。
ありがとうございます実は私、子供の頃に習ったはずである足尾銅山鉱毒事件の事をまったく覚えていませんでした(笑)大人になり、使われなくなった施設や廃墟が好きになって色々見ていたのですが、いつしかもっと深く知りたいと思い足尾について色々と調べていきました。子供の頃、あんなに苦手でイヤだった勉強が、大人になると不思議と勉強したくなりました。知っていく楽しさってありますよね。子供の頃にそれが解っていれば今はもっと立派な人間になっていたかもしれません(笑)これからも色々と勉強してまた動画を作っていきますね。コメントありがとうございます
全盛期にはパチンコ屋、映画館が数件、小学校もそれぞれの場所にあってなぜか別校の小学生たちの戦いがあった(どこ中だお前みたいな)。当時は飲み屋というかホルモン屋が多くて常に酔っ払いたちの喧嘩も絶えず。カオスな状態だったとか。長屋ではいつの間にか子供が増えるという謎の現象もあったり、前借の券(お小遣い代わり)に渡されて駄菓子を買ったとか。
足尾銅山関連の施設、とても広いですもんね。昔の小学生たちの戦い、なんか簡単に想像できてしまいました(笑) 多くの人の営みがあって、喧騒があって、賑やかで、近所付き合いが多くて、どこの子供でも家族みたいで、そんな町だったんでしょうね。今では見る影もなく、人の住まない長屋も多く残り、静かな町になってしまいましたね。訪問した時に、商店のおばさんと少し話したのですが、賑やかだった頃のことを寂しそうに話してました。
足尾の公害事件は解決したことになっていますが、今でも解決に至っていない。西洋の採掘技術を導入する前はこう言った公害は起きていなかったが、導入後の垂れ流しが公害に発展した原因だと思う。
コメントありがとうございます。はい、仰る通り、足尾の鉱毒事件は今も続いています今も稼働している公害対策の施設が現地に行くとみることができます西洋技術は作業効率が飛躍的に向上しましたがその分公害を発生させました産業が発展するのと比例して公害が増え、殖産興業富国強兵だった日本はそこを無視し国力を上げようとしてきました時代を遡ると様々な事が見えてきますよね資料など読んでいると、色々なことが繋がってきて「知る」という事が実感できますコメントありがとうございます
鉱山に興味があり、たまたま辿り着きました。冒頭のbgmと解説がとてもマッチしていて、とても好きです。鉱毒というのものがどういう物なのか改めて勉強する機会になりました。今後も見たいと思います。良ければ冒頭に流れているbgmを教えていただけないでしょうか...?とても心が落ち着くので........
動画を見ていただき、そしてコメントありがとうございます。私も鉱山が好きで、色々調べていくうちに鉱山が出す鉱毒や公害に興味を持ち始めました。今後も鉱山関係の動画を出していこうと思っております。さて、冒頭の曲ですが以下のリンクでフリー素材として配布されております春への憧れヒーリングverという曲です。ここのサイト様の曲は結構多く使用させてもらっていますイメージに合う曲が多いものでamachamusic.chagasi.com/music_haruenoakogare_healing.html今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
通りがかりに此処を見つけた者です。サイト名に観光案内と有りますが、不勉強の私には勉強案内の感が致しました。とりあえず登録して、後で時々勉強しに参りますので宜しくお願い申し上げます。
登録ありがとうございます。足尾の観光動画を作り始めていたのですが、勉強の方が色が濃くなってしまいました(笑)昔から、この足尾鉱毒事件について色々フィールドワークなどをしていたので、ついつい「観光 < 社会」 になってしまいました実は、この足尾鉱毒事件のもっとわかりやすくもうちょっと詳しい動画も今作っていますチャンネル名を「観光案内」から「社会」に変えようかなぁ・・・(笑)コメントありがとうございますよろしくお願いいたします
@@kaede472 様、ご返信ありがとうございます。段々と厳しい世の中になって来て これからも良くなる雰囲気が感じられないので、私は 観光という心の余裕が無くなって仕舞いました。気を引き締めて生活していくには、色々なサイトで学ぶのが参考になると思って居ります。先に述べましたがヤバイ世の中になって来たと実感して居ります。廃墟や山の手は危険が有ると思われます。そちらの取材活動の際にも安全第一で十分にお気を付けください。
@@久保田晴彦-s3s ありがとうございます実のところ、最初は鉱山跡などをただ見るだけ十分だったのですが、少しずつ踏み込んでいきその歴史などを調べているうちに、いつしか鉱山関連の公害問題に興味を持つようになりました視野を広げてもっと社会のことや歴史に目を向けてみようと思いました資料に目を通しているうちに、何度も現地に足を運ぶようになりました観光のつもりで始めたことがいつしかフィールドワークになっていました趣味や興味はどこでどう変わるかわからないものですね今後も安全第一でやっていこうと思いますありがとうございます
渡瀬川も大変だったんだな
そうですね。今は歌になるほどの川で穏やかなですよね。今と昔と比べるとそんな面影がないほどです
あああ、懐かしわ。足尾銅山には、骨材ぉ、何度か、運びました、、はたしは、岩手?の?ほうでした懐かしいわ。元、トラック、運転手でした?
足尾銅山へ仕事で行かれましたか現役時代に中に入って見学したかったです自分が仕事をした場所がなくなるのは寂しいですが、こうして残っているのはちょっとうれしいですよねコメントありがとうございます!
当時の被害民の声を聞かなかったのは、農商務大臣だった陸奥宗光の子供が古河市兵衛の養子となっていたからが一番の要因。今年(2023年)で銅山閉山50年。
よくご存意ですね☆
陸奥宗光の次男の潤吉が古河市兵衛の養子となって、宗光と市兵衛の死後に
潤吉は古河家を継いで、陸奥家は長男の廣吉が継いでますもんね
ここの陸奥家と古河市兵衛の関りは重要ですよね
古河市兵衛周辺の相関図は結構ややこしく、陸奥宗光や古河太郎左衛門や渋沢栄一など名だたる顔ぶれがそろいますからね。鉱毒事件だけではなく、古河市兵衛の交友関係なども見ていくとより足尾のことを理解できると思ってますが、私の知識ではまだまだ勉強不足で、もっと掘り下げるには時間がかかりそうです。足尾は鉱毒事件と田中正造のことが大きく扱われていますが、古河市兵衛を中心とした人物関係を見ると「なぜそうなったのか」というのが見えてきますよね。
コメントありがとうございます。
こうしたお話ができてうれしいです
またよろしくお願いいたします。
@@kaede472
自分の住んでいる所が、栃木県の足利市で渡良瀬川氾濫時の鉱毒被災地であり、田中正造翁の遺骨が分骨(6番目の分骨地として平成になってから公表されたお寺)されているお寺に家のお墓がある縁から田中正造に関心を持つようになり、現在は、群馬県館林市に有る「足尾銅山鉱毒事 田中正造記念館」と言う所で説明ボランティアをしています。
日向康という作家が「果てなき旅」という小説作品を発表している。
今の技術で足尾銅山や炭鉱は復活できないだろうか。
全ての規制や法律を無視すればできるかもしれませんね(笑)
ただ、全くもってこれから鉱山を開山するメリットは全くないかもしれませんね。私も同じこと考えたことあります(笑)
松尾銅山動画から、他の動画も見始めています。
田中正造さんは、子供の頃に読んだ教科書以来で、実は書かれていることはほんの一部であることがこの動画で分かりました。
ショッキングでもあり、深く知れたことに感謝もあり…
切り取り方で、ここまで事件の印象が変わることにも驚いています。
何かを見る時にはたくさんの視点が必要だと感じました。
貴重なものをありがとうございます。
ありがとうございます
実は私、子供の頃に習ったはずである足尾銅山鉱毒事件の事をまったく覚えていませんでした(笑)
大人になり、使われなくなった施設や廃墟が好きになって色々見ていたのですが、いつしかもっと深く知りたいと思い足尾について色々と調べていきました。子供の頃、あんなに苦手でイヤだった勉強が、大人になると不思議と勉強したくなりました。知っていく楽しさってありますよね。子供の頃にそれが解っていれば今はもっと立派な人間になっていたかもしれません(笑)これからも色々と勉強してまた動画を作っていきますね。
コメントありがとうございます
全盛期にはパチンコ屋、映画館が数件、小学校もそれぞれの場所にあってなぜか別校の小学生たちの戦いがあった(どこ中だお前みたいな)。
当時は飲み屋というかホルモン屋が多くて常に酔っ払いたちの喧嘩も絶えず。カオスな状態だったとか。
長屋ではいつの間にか子供が増えるという謎の現象もあったり、前借の券(お小遣い代わり)に渡されて駄菓子を買ったとか。
足尾銅山関連の施設、とても広いですもんね。昔の小学生たちの戦い、なんか簡単に想像できてしまいました(笑) 多くの人の営みがあって、喧騒があって、賑やかで、近所付き合いが多くて、どこの子供でも家族みたいで、そんな町だったんでしょうね。
今では見る影もなく、人の住まない長屋も多く残り、静かな町になってしまいましたね。
訪問した時に、商店のおばさんと少し話したのですが、賑やかだった頃のことを寂しそうに話してました。
足尾の公害事件は解決したことになっていますが、今でも解決に至っていない。
西洋の採掘技術を導入する前はこう言った公害は起きていなかったが、導入後の垂れ流しが公害に発展した原因だと思う。
コメントありがとうございます。はい、仰る通り、足尾の鉱毒事件は今も続いています
今も稼働している公害対策の施設が現地に行くとみることができます
西洋技術は作業効率が飛躍的に向上しましたがその分公害を発生させました
産業が発展するのと比例して公害が増え、殖産興業富国強兵だった日本はそこを無視し国力を上げようとしてきました
時代を遡ると様々な事が見えてきますよね
資料など読んでいると、色々なことが繋がってきて「知る」という事が実感できます
コメントありがとうございます
鉱山に興味があり、たまたま辿り着きました。冒頭のbgmと解説がとてもマッチしていて、とても好きです。
鉱毒というのものがどういう物なのか改めて勉強する機会になりました。
今後も見たいと思います。
良ければ冒頭に流れているbgmを教えていただけないでしょうか...?
とても心が落ち着くので........
動画を見ていただき、そしてコメントありがとうございます。
私も鉱山が好きで、色々調べていくうちに鉱山が出す鉱毒や公害に興味を持ち始めました。
今後も鉱山関係の動画を出していこうと思っております。
さて、冒頭の曲ですが以下のリンクでフリー素材として配布されております
春への憧れヒーリングverという曲です。
ここのサイト様の曲は結構多く使用させてもらっています
イメージに合う曲が多いもので
amachamusic.chagasi.com/music_haruenoakogare_healing.html
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
通りがかりに此処を見つけた者です。
サイト名に観光案内と有りますが、不勉強の私には勉強案内の感が致しました。
とりあえず登録して、後で時々勉強しに参りますので宜しくお願い申し上げます。
登録ありがとうございます。
足尾の観光動画を作り始めていたのですが、勉強の方が色が濃くなってしまいました(笑)
昔から、この足尾鉱毒事件について色々フィールドワークなどをしていたので、ついつい「観光 < 社会」 になってしまいました
実は、この足尾鉱毒事件のもっとわかりやすくもうちょっと詳しい動画も今作っています
チャンネル名を「観光案内」から「社会」に変えようかなぁ・・・(笑)
コメントありがとうございます
よろしくお願いいたします
@@kaede472 様、
ご返信ありがとうございます。
段々と厳しい世の中になって来て これからも良くなる雰囲気が感じられないので、
私は 観光という心の余裕が無くなって仕舞いました。
気を引き締めて生活していくには、色々なサイトで学ぶのが参考になると思って居ります。
先に述べましたがヤバイ世の中になって来たと実感して居ります。
廃墟や山の手は危険が有ると思われます。そちらの取材活動の際にも安全第一で十分にお気を付けください。
@@久保田晴彦-s3s ありがとうございます
実のところ、最初は鉱山跡などをただ見るだけ十分だったのですが、少しずつ踏み込んでいき
その歴史などを調べているうちに、いつしか鉱山関連の公害問題に興味を持つようになりました
視野を広げてもっと社会のことや歴史に目を向けてみようと思いました
資料に目を通しているうちに、何度も現地に足を運ぶようになりました
観光のつもりで始めたことがいつしかフィールドワークになっていました
趣味や興味はどこでどう変わるかわからないものですね
今後も安全第一でやっていこうと思います
ありがとうございます
渡瀬川も大変だったんだな
そうですね。今は歌になるほどの川で穏やかなですよね。今と昔と比べるとそんな面影がないほどです
あああ、懐かしわ。足尾銅山には、骨材ぉ、何度か、運びました、、はたしは、岩手?の?ほうでした懐かしいわ。元、トラック、運転手でした?
足尾銅山へ仕事で行かれましたか
現役時代に中に入って見学したかったです
自分が仕事をした場所がなくなるのは寂しいですが、こうして残っているのはちょっとうれしいですよね
コメントありがとうございます!