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淀川さんが亡くなって3年後に生まれましたが、淀川さんの「自分の誕生日は母親に感謝をする日であって、自分が祝われる日ではない」初めてこの動画を見たときに、この言葉に大きな感銘を受けました。それ以来、私も自分の誕生日には家族や親戚・知り合いから「おめでとう」を言われるより先に、母には「産んでくれて有り難う」祖母や親戚には「育ててくれて有り難う」と伝えています。
私は母親に暴力振るわれたのではよあの世にいってほしい
日本のテレビ界に常設映画番組を根付かせた男何度見てもカッコ良すぎる最期で泣ける…
今になって思うけど、本当に凄い人だったなあ。
亡くなる前日の自身の収録を目を輝かせて見る。これこそ本当の大往生。こんな人生を歩める人ってそうそういない。
淀川氏と檀一雄・ヴィスコンティの諸氏の“最後”は、或る意味伝説ですな。
淀川さんが亡くなって今日で23年。今はこういう解説者がいなくなって寂しいです。
町山智浩さんがいるじゃないですか
こんなに自分の好きな事を愛をもって話されたら見てる方も幸せになりましたよね。今のテレビにはこんな上質な人は皆無。
最後の解説がラストマンスタンディングとかすげぇな
今のテレビの映画放送に足りないのは、こういった本当に映画が好きな名解説者だよね。淀川長治、水野晴郎、荻昌弘など、どの局も名解説者を揃えてた良い時代だった。
こんにちは。初めまして。そうですね。当時は民放各局も映画をテレビ放送をして映画解説者が登場して映画を見たことがない方でも分かりやすく説明してくれる方がいてありがたかったですね。それに引き換え現在は映画解説者自体登場しなくなり、映画をテレビ放送自体が少なくなったのは、映画のブルーレイ・DVD化及びネットでの配信が普及したために興味を示さない方が多くなってしまったんんだなあと思います。
後、名解説者に高島忠夫さんもお忘れなく。
小森のおばちゃま。浜村淳。
浜村淳は今も元気に御存命です。
@@南薗健太 浜村淳はオチまで喋る。
子供の頃、淀川さんの映画を見ると『ああ日曜日がやってきたんだな』といつも実感していた。私はいま35歳となったが学生時代の道徳の教科書に、淀川さんの『私は未だかつて嫌いな人に会った事がない』と書いてあったことが忘れられない。
淀川さんのいた頃の日曜洋画劇場、ホントに楽しかったな。
サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ。淀川さん、1629回も言い続けた。
あとゴールデン洋画劇場も楽しかった
久しぶりに淀川さんを見ました。ただただ、懐かしい限りです。子供の頃からずーっと見てました。自分の一生を映画に捧げた偉大な方でした。
やっぱり淀川さんの映画評論を聴きたくなる。亡くなられて20年以上経つけれども、素晴らしい人だと再認識します。
そうですね。
ご自身の生涯こそ、どの作品も敵わない名作とずっと思っています時代が違っていればYou Tubeで映画、特に洋画の素晴らしさを説いて下さっていたことでしょう映画の先生、永遠なれ!
こんな人になれならどんだけ幸せなんだろう。涙が止まりません
今31歳の身ですが、小さい頃テレビの映画の終わりに観てた淀川さんの「さよなら、さよなら、さよならー!」が今でも頭に残ってますw
淀川さんはどんな映画でも、絶対に馬鹿にせず必ず誉める解説をされていた。それは淀川さんが本当に映画が好きで、出演者からスタッフ達に至るまで映画に携わる全員に敬意を持っていらっしゃったからだと思う。日曜洋画劇場は性質上、同じ映画を複数回放送する事があったけど、淀川さんは毎回新しく解説をしてくれて映画に関する色んな事を教えてくれた。
亡くなった時点で日曜洋画劇場は終了すべきだった。何年も続けていたけど、おかず無しでご飯を食べるようなものだった。
ゴールデン洋画劇場終了から23年たつね
この映像を観ていて声を出して泣きました😭
あなたも映画の神様です
チャップリンが映画を作る神様だとしたら、淀川さんは映画を紹介する神様だと思います
チャップリンボブホープジェリールイスも映画の神様だよね
亡くなる前日まで、映画への信念を貫いた淀川さん。自分も亡くなる最後まで、力強く生きようと思いました。
本当は映画を製作したかった淀川さんですが、淀川さんの波乱の人生こそ一本の長編映画だと思います。。。
ぼくがまだ若かった頃日曜洋画の解説で言っていた淀川さんのセリフをノートにつけていました。 とても想い出に残ります。 今でも僕たちや若者たちを含めファンの皆様を天国から見守っていると思います。
ただ無心で無邪気な姿に見てて涙が出て来ますね
子供でしたがリアルタイムで観てました サヨナラサヨナラサヨナラの後にあの音楽が流れて眠りに入ってたのが懐かしい
淀川さん、黒沢明監督の葬儀の時に言った言葉が忘れられません。明ちゃん、僕もすぐそっちに行くから待っててくれよと。その3ヶ月後に本当に淀川さんは亡くなりました。元々、長くはないとわかっていたのか盟友の死に気落ちしたかはわかりません。けど、盟友の後を追うように亡くなったのはまるで映画のようでした。俺もこういう感じで生涯を閉じたいとこの時強く思いました。
淀川長治さんの日曜洋画劇場の解説は、分かりやすいく印象的でした。淀川長治さんらしい方でした。何と言ってもまた次回をお楽しみにさよなら、さよなら、さよならの言葉が今でも印象的で忘れないことです。
こんなに映画を愛せる人はもういないんですね泣
関西ではネット変更前、毎日放送でサヨナラ、サヨナラ、サヨナラ・・・が観れた。
中学一年生だった当時、亡くなったと知って泣いたなぁ。忘れないようにと似顔絵描いたなぁ。それぐらい好きだったな~。また今涙出たよ。
淀川さんの映画解説大好きだったな日曜洋画劇場のエンディングが流れると休みが終わって学校始まるのが憂鬱になってた
淀川さんは誰にでも優しく微笑んでくれる、そんな人でした。
You Tubeにこんな素晴らしい映画解説者現れないかなぁ。今公開中の最新映画を的確に解説してくれる人出てきてほしいよ。
僕も小学生の頃でした、淀川さんがさよなら、さよならの印象的な言葉をきいて、映画の説明をわかりやすい人だなぁ〜って、映画に熱い人でしたね!今思うと、切なくなります!淀川さんありがとう!
あらためて U チューブ の素晴らしさ、すごさ、を感じました、淀川長治さんのこんな素晴らしいシーン、からだが少し震え涙さえ湧きました、私の人生も残りを感じる歳になりましたがまだまだ何かを一生懸命し、感動しなければと思いました。
淀川さんのおっしゃる映画解説は、キャッチーでウケのいい言葉を選んでる感じじゃなくてホントに映画を愛してる感じが伝わってきて好き
テレビであまり洋画を放送しなくなってから皆が観たことがある共通認識のような映画が無くなったような気がします。また新作旧作問わず地上波で放送してほしいです。
1998年11月10日。それはまさに映画評論家の THE LASTMAN STANDINGが刻まれた日であった。日曜洋画劇場、いつも観ていました。
見逃してたのでアップありがとうございます。日曜洋画劇場のエンディング曲を聴くと次の日、学校だと絶望感に浸りながら面白い映画だったなあと思っていた事を思い出しました
子供のころの思い出がよみがえってきて泣けてくる
リアルタイムでのさよなら、さよなら、さようならでした。早く他の番組に替えようとした父と喧嘩した思い出あります。口答えしたのでビンタ食らいました。風呂場で思いっきり叫んで泣きました。その時母が父に謝れと言ってきましたが、彼女ももう過去の人、父は淀川氏と同年に亡くなりました。懐かしいです。ありがとうございます。
本当に楽しそうに映画を解説する淀川さんが大好きでした。今でもまだ映画を観る前には淀川さんを思い出します。色々な新しい映画を観て、淀川さんだったらどんな解説をするんだろうなぁと。寂しいですね、またあの声で映画の解説を聴きたいです。
「さよなら、さよなら、さよなら。」ほんの数年でしたが、リアルで会えて良かった。
これは凄いことばですね。
映画以上に淀川さんを見るのが楽しみだった。
淀川さんのさよならを聞いて寝るのが楽しみなのに亡くなった後の日曜洋画劇場を見て淀川さんがいないのが悲しかった
黒澤監督亡くなって淀川さんが後を追うように亡くなりましたね。天国で今の映画をどのように観てるんでしょうね。
ありがとう、ありがとう、ありがとう。
最近のテレビで放送する映画は番宣関連が多すぎる。視聴率や話題性を重視するのは分かるが本当に良い映画を見る機会は少なくなる。
彼は、「私は今まで、嫌いな人に出逢ったことがない」と語っていた。これだけ聞くと、いかにも寛大で善き人みたいに思えるが、実はちょっと違う。一度会ってみて、〝あ、この人嫌いだ〟と感じた人には、もう二度と会おうとしなかったのだそうだ。これが、「私は今まで、嫌いな人に出逢ったことがない」という本当の意味なのである。会いもしないで好き嫌いを判断することは出来ない。してはいけない。でも、嫌いになったら二度と会わない。これが淀川長治さんの生き方。 このエピソードは、何十年も前におすぎとピーコが話していたと記憶する。
本当に懐かしいな!リアルで「さよなら×3」聞いてましたよ。みんなの青春を作ってくれてありがとうございます!
映画が好きと言う情熱がすごいですね✨✨✨情熱がチャップリンにも通じたんでしょうね❤❤❤素敵な素晴らしい人生‼️尊敬します✨✨✨
今更だけど言わせてもらう「淀川さん、あなたこそスーパースターだ!」
この人、人情味溢れてて好きだったな…。幼い頃、日曜洋画劇場、夜更かしして見てたな…。懐かしい‼️
幸せな時代だなぁ。黒澤監督はじめ優秀な監督が活躍して淀川さんのような映画を一層楽しく感じさせる愛ある解説出来る人がいた時代。みなさん今日の日本映画の状況を天国から見てどう思ってるのだろう。それとも天国で新しい映画を作り語り合ってるだろうか。後者であってほしいな。
1つだけ願うことは、淀川長治氏も「アニメ映画を見る客が悪い」だとか「アニメ映画が映画産業と映画館の衰退を招いた」なんて意見をもたず、アニメ映画も一つの作品として批評してくれることですね。洋画専門の氏が国産アニメ映画を好んで見るかどうかは別ですが...
昭和から平成にかけては映画界には淀川長治さん、競馬界には大川慶次郎さんなどその業界の化身のような偉人がおられましたよね。
今思えば長治さんは幸せな時代に好きな素晴らしい映画をたくさん見ることが出来て良かったんじゃないかと。今じゃハリウッド含めて彼が解説するに値する作品なんて殆どないからね
私の映画の先生は淀川さんです。心から尊敬しております。
なんかこういうほんわかな感じ、映画の中に引き込まれさせてくれる巧みな話術、その情熱…映画好き、大好きなものだからこその…なんというか。今の番組にあるだろうか。
若い頃めっちゃイケメンだねぇ…
淀川さんの解説を聞くと、観たことの無いその映画が、期待感で凄く輝いてみえる。実際、淀川さんの解説によって、作品が2倍にも3倍にも、素晴らしいものに昇華したなあ
小学校の時に毎週日曜日ロードショー見てから寝てたな周りの子がサザエさんのエンディング聞いたら「また月曜日始まるから嫌やー!」言うてたけど俺は淀川さんの「サヨナラサヨナラサヨナラ」を聞いたらまた学校や思ってブルーになってた(笑)今となっては良い思い出。気づけば今年34のおっさんになってた。関連動画に出て来てふと小学校時代の懐かしい気分になれた。淀川さんありがとう!!
リアルタイムで観てました。当時裏番組で読売TVには同時刻の放送に「知ってるつもり」が放送していてその特集には淀川長治さんの事が放送されてました。90年代までテレ朝の日曜の顔朝は題名のない音楽会では黛敏郎さんお昼はアタック25では 児玉清さんそして夜は淀川長治さんでした。
黛さん·児玉さん·淀川さん共に亡くなりました。
淀川さんが20代、30代、40代の頃って映画が本当に輝いていた時代なんでしょうね。淀川さんの話し方ですごく伝わってきます。特にチャップリンとの件は何故か涙が出ました。映画が本当に人々の生きる糧の一部になっていたんでしょうね。素晴らしい、一言です。
映画愛あふれる淀川さんの解説大好きでした♡アップありがとうございます!
淀川さん。タランティーノ、ウォンカーウァイ、北野武の才能を賞賛した貴方がもし今も生きていたら。昔の映画は良かったなんてつまらない昔話はせず、才能ある若手を発掘し広めてくれたでしょう。淀川さん、貴方に見て欲しい映画が沢山あります。
本当にそう思います。晩年の年間ベストにトレインスポッティングを入れていた事に驚愕しました。80を超えるお年でです。感性が衰えていない。凄いです。そしてフェイスオフを物凄く褒めていらしてました。淀川さんの感性が欲しい。最後まで凄いです。
今のハリウッド映画は、淀長さんの解説が必要なくなってしまった! 子供でもわかる深みのない映画になってしまったから。チャップリンが淀長さんと会って話した時、すぐに、淀長さんから映画愛が言語を超えて伝わり理解した。チャップリンもすごいが、淀長さんもすごい!淀長さんが亡くなって、昔のハリウッド映画もなくなった!
確かに、心に名作ってなくなったなぁ。子供にもわかる映画は必ずしも悪いわけじゃないけど、なんか中身がないんだよなぁ。例えば、荒野の七人みたく何十年たっても名作って言われる作品がない。CGを駆使した技術のある映画は嫌いじゃないけど、演技ももっと重視してほしい。
日曜洋画劇場。本編始まる前に映画の解説して、本編終わったら又違う内容、共感できる話しをしてからのサヨナラ、サヨナラ、でしたかね?余韻の残る、良い映画を観たな~と思える解説でした✨
淀川先生は勿論の事、戸田奈津子先生の事も決して忘れてわいけない存在ですね。
ホントの映画評論家と呼べるのは淀川さんだけだと今でも思っています🎥😊
映画が、最高のエンターテイメントの時代...。今は便利に豊かになった分、少し薄っぺらになっちゃたね。。思い出ありがとう、淀川さん、当時のスタッフのみなさん!
この人の語り口調大好きだったなぁ…。
とても幼い頃。さよなら、さよなら、さよなら。あの言葉と優しい笑顔だけ覚えてる。
淀川長治さん、荻昌弘さん、水野晴郎さんには映画の楽しさを教えていただきました。
ゴールデン洋画劇場の高島忠夫さんもそうでした。
懐かしいです!🆙ありがとうございました👍
淀川長治さんはご自分が好きなことつまり映画の解説者を独特の語り口で努められていました。解説の最後にさよなら!さよなら!さよなら!さよなら!と言われていたこと忘れもしません。とにかく映画に対しての情熱は半端でなかったのでしょう!
黒澤明とともに明治、大正、昭和、平成を生き抜いた伝説の映画人
淀川さんは、チャップリンとフェルリーニの映画をこよなく愛してられました。 ラジオで淀川長治映画劇場を聴いてました。懐かしい。 サヨナラ サヨナラ サヨナラ😇✋
淀長さんのかおの広さが伺える、子供の時から死ぬまでチャップリンが好きだったんだな
後説のサヨナラ✕3の後、作品の回想シーンと共に流れるあのエンディング曲を聴く時が休日の終わりを感じさせられる何とも言えない倦怠感を覚える瞬間だった
淀川さん素敵です。チャップリンさんと天国できっと一緒に映画談義をされてると思います。子供のころからずっと好きな淀川さんの映像を久しぶりに見て楽しい気持ちになりました。永六輔さんが伝えてくださったエピソードは、とても心に残りました。素敵な動画をありがとうございました。
去年11月に亡くなった私の祖母と淀川さんが同じ命日だったのはこの動画で初めて知りました。追伸。亡くなる時間が2〜3時間しか違わないのも奇遇ですね。
いきなりライムライト流れていきなり涙出たじゃないか
淀川先生の名セリフと共にご冥福をお祈り申し上げます😢
黒澤監督の追悼特番の最後で、「僕もすぐ行くからね」と述べられていたのが今でも忘れられません。
まるでこの人の人生が1本の映画のようだ😢
晩年の姿を見れて良かったです、今の人はチャップリンの映画見る人いるのかな?
あの頃、日曜日の夜9時といえば、淀川さんだったなぁ。淀川さんの解説からロボコップスタートとか。懐かし過ぎる。映画終わりには、お別れのさよなら さよなら さよならのお馴染みの挨拶。それを聴いて初めて、名残惜しくも、余韻に浸りつつ日曜日の終わりってなくらい。そんな情緒ある日曜日だった。今の時代は、こういう風情が失われて、残念です。
昔、神戸文化ホールで「黄金狂時代」の上映会の前に淀川先生の講演があって、チャップリンが神戸に来られた時のこと、神戸新開地にあった大劇場「聚楽館」のこと、楽しそうに語られていたことを覚えています。
昔みたいにいっぱい地上で映画やってほしい
今Blu-rayDVD映画専門チャンネルあるからね便利な時代なりすぎたんだよ😭
この聡明でチャーミングな映画の天使様のお陰で映画が好きになりました(^-^)
チャップリンと会った日が昨日のように話してくれる。
スティーブンセガールの日本語初めて聞いたけど、めちゃくちゃ喋れてビックリ笑
やっぱり映画解説者は必要だ。だが淀川さんに並ぶ人がいないのが現状…日曜洋画劇場が不定期放送になったのも非常に残念…
淀川さん可愛い
淀川さんは絶対的。未だに映画を観終わった後、淀川さんだったらどんな批評をされるのか気になってしまいます。
29:54 ブルースウィルスの話のくだり、「34階のビルにひとりで入って…」というところ、淀川先生の常宿の部屋番号🚪3401でしたね。壮絶なお部屋。先生と言いたい人。どうにも尊敬します。
6:05どこ触っても ヴィクター・マチュア!声を上げて笑ってしまいましたが、この無邪気さも淀川さんの本当に素晴らしい魅力ですね。大好きです
思えば、淀川さんが亡くなってからテレビから映画解説が消えてしまったんだよなあ(涙)
ひかりびっと 大昔は、映画が大きな娯楽でTVが広がってから映画が衰退したがそれでもハリウッドを中心に映画という物の価値や立場を維持してきました。今はネット社会で映画という物がさらに衰退です。しかし、淀川さんのような方が映画の面白さや自身の視点や見所を伝えてくれることでとっても面白く映画が見れたと思います。
本当にそうです
映画解説死語なっちゃたね😭
解説役をやめてしまったのはもしかして「なんだあの解説は!」ってネットの炎上を無くすため?
亡くなって何年経ったかな?
淀川長治さん!!亡くなる前日まで映画解説をされたとは!!お見事でした!!最高の人生でしたね!!🎉🎉🎉
今年は11月10日が日曜日でした
淀川長治さんの前に対しては、北野武も小童でしかないのがよくわかりました。
淀川さんの語り口大好きでした神戸出身なので縁の所が沢山有りますありがとうございましたご冥福をお祈りします
東京全日空ホテルを終の住処にされる前には、実は同じ港町の横浜市鶴見区にお住まいになっていらした事もありました。
青春のころが蘇ってきました。
淀川長治さんと言えば、映画の後に「いかがでしたか?こわかったねぇ、すごかったねぇ。」と滑らかに話し、作品紹介の後の「それでは次回もご期待ください。さよなら、さよなら、さよなら。」が代名詞。なのに本当にさよなら、さよなら、さよならになってしまった。
懐かしいですね😊
淀川さんが亡くなって3年後に生まれましたが、淀川さんの「自分の誕生日は母親に感謝をする日であって、自分が祝われる日ではない」初めてこの動画を見たときに、この言葉に大きな感銘を受けました。
それ以来、私も自分の誕生日には家族や親戚・知り合いから「おめでとう」を言われるより先に、母には「産んでくれて有り難う」祖母や親戚には「育ててくれて有り難う」と伝えています。
私は母親に暴力振るわれたのではよあの世にいってほしい
日本のテレビ界に常設映画番組を根付かせた男
何度見てもカッコ良すぎる最期で泣ける…
今になって思うけど、本当に凄い人だったなあ。
亡くなる前日の自身の収録を目を輝かせて見る。これこそ本当の大往生。こんな人生を歩める人ってそうそういない。
淀川氏と檀一雄・ヴィスコンティの諸氏の“最後”は、或る意味伝説ですな。
淀川さんが亡くなって今日で23年。今はこういう解説者がいなくなって寂しいです。
町山智浩さんがいるじゃないですか
こんなに自分の好きな事を愛をもって話されたら見てる方も幸せになりましたよね。今のテレビにはこんな上質な人は皆無。
最後の解説がラストマンスタンディングとかすげぇな
今のテレビの映画放送に足りないのは、こういった本当に映画が好きな名解説者だよね。淀川長治、水野晴郎、荻昌弘など、どの局も名解説者を揃えてた良い時代だった。
こんにちは。初めまして。そうですね。当時は民放各局も映画をテレビ放送をして映画解説者が登場して映画を見たことがない方でも分かりやすく説明してくれる方がいてありがたかったですね。それに引き換え現在は映画解説者自体登場しなくなり、映画をテレビ放送自体が少なくなったのは、映画のブルーレイ・DVD化及びネットでの配信が普及したために興味を示さない方が多くなってしまったんんだなあと思います。
後、名解説者に高島忠夫さんもお忘れなく。
小森のおばちゃま。浜村淳。
浜村淳は今も元気に御存命です。
@@南薗健太 浜村淳はオチまで喋る。
子供の頃、淀川さんの映画を見ると『ああ日曜日がやってきたんだな』といつも実感していた。私はいま35歳となったが学生時代の道徳の教科書に、淀川さんの『私は未だかつて嫌いな人に会った事がない』と書いてあったことが忘れられない。
淀川さんのいた頃の日曜洋画劇場、ホントに楽しかったな。
サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ。
淀川さん、1629回も言い続けた。
あとゴールデン洋画劇場も楽しかった
久しぶりに淀川さんを見ました。ただただ、懐かしい限りです。子供の頃から
ずーっと見てました。自分の一生を映画に捧げた偉大な方でした。
やっぱり淀川さんの映画評論を聴きたくなる。亡くなられて20年以上経つけれども、
素晴らしい人だと再認識します。
そうですね。
ご自身の生涯こそ、どの作品も敵わない名作とずっと思っています
時代が違っていればYou Tubeで映画、特に洋画の素晴らしさを説いて下さっていたことでしょう
映画の先生、永遠なれ!
こんな人になれならどんだけ幸せなんだろう。涙が止まりません
今31歳の身ですが、小さい頃テレビの映画の終わりに観てた淀川さんの「さよなら、さよなら、さよならー!」が今でも頭に残ってますw
淀川さんはどんな映画でも、絶対に馬鹿にせず必ず誉める解説をされていた。
それは淀川さんが本当に映画が好きで、出演者からスタッフ達に至るまで映画に携わる全員に敬意を持っていらっしゃったからだと思う。
日曜洋画劇場は性質上、同じ映画を複数回放送する事があったけど、淀川さんは毎回新しく解説をしてくれて映画に関する色んな事を教えてくれた。
亡くなった時点で日曜洋画劇場は終了すべきだった。何年も続けていたけど、おかず無しでご飯を食べるようなものだった。
ゴールデン洋画劇場終了から23年たつね
この映像を観ていて声を出して泣きました😭
あなたも映画の神様です
チャップリンが映画を作る神様だとしたら、淀川さんは映画を紹介する神様だと思います
チャップリンボブホープジェリールイスも映画の神様だよね
亡くなる前日まで、映画への信念を貫いた淀川さん。
自分も亡くなる最後まで、力強く生きようと思いました。
本当は映画を製作したかった淀川さんですが、淀川さんの波乱の人生こそ一本の長編映画だと思います。。。
ぼくがまだ若かった頃日曜洋画の解説で言っていた淀川さんのセリフをノートにつけていました。 とても想い出に残ります。 今でも僕たちや若者たちを含めファンの皆様を天国から見守っていると思います。
ただ無心で無邪気な姿に見てて涙が出て来ますね
子供でしたがリアルタイムで観てました サヨナラサヨナラサヨナラの後にあの音楽が流れて眠りに入ってたのが懐かしい
淀川さん、黒沢明監督の葬儀の時に言った言葉が忘れられません。
明ちゃん、僕もすぐそっちに行くから待っててくれよと。
その3ヶ月後に本当に淀川さんは亡くなりました。元々、長くはないとわかっていたのか盟友の死に気落ちしたかはわかりません。けど、盟友の後を追うように亡くなったのはまるで映画のようでした。
俺もこういう感じで生涯を閉じたいとこの時強く思いました。
淀川長治さんの日曜洋画劇場の解説は、分かりやすいく印象的でした。淀川長治さんらしい方でした。何と言ってもまた次回をお楽しみにさよなら、さよなら、さよならの言葉が今でも印象的で忘れないことです。
こんなに映画を愛せる人はもういないんですね泣
関西ではネット変更前、毎日放送でサヨナラ、サヨナラ、サヨナラ・・・が観れた。
中学一年生だった当時、亡くなったと知って泣いたなぁ。忘れないようにと似顔絵描いたなぁ。それぐらい好きだったな~。また今涙出たよ。
淀川さんの映画解説大好きだったな
日曜洋画劇場のエンディングが流れると
休みが終わって学校始まるのが憂鬱になってた
淀川さんは誰にでも優しく微笑んでくれる、そんな人でした。
You Tubeにこんな素晴らしい映画解説者現れないかなぁ。今公開中の最新映画を的確に解説してくれる人出てきてほしいよ。
僕も小学生の頃でした、淀川さんがさよなら、さよならの印象的な言葉をきいて、映画の説明をわかりやすい人だなぁ〜って、映画に熱い人でしたね!今思うと、切なくなります!淀川さんありがとう!
あらためて U チューブ の素晴らしさ、すごさ、を感じました、淀川長治さんのこんな素晴らしいシーン、からだが少し震え涙さえ湧きました、私の人生も残りを感じる歳になりましたがまだまだ何かを一生懸命し、感動しなければと思いました。
淀川さんのおっしゃる映画解説は、キャッチーでウケのいい言葉を選んでる感じじゃなくてホントに映画を愛してる感じが伝わってきて好き
テレビであまり洋画を放送しなくなってから皆が観たことがある共通認識のような映画が無くなったような気がします。
また新作旧作問わず地上波で放送してほしいです。
1998年11月10日。それはまさに映画評論家の THE LASTMAN STANDINGが刻まれた日であった。
日曜洋画劇場、いつも観ていました。
見逃してたのでアップありがとうございます。
日曜洋画劇場のエンディング曲を聴くと次の日、学校だと絶望感に浸りながら面白い映画だったなあと思っていた事を思い出しました
子供のころの思い出がよみがえってきて泣けてくる
リアルタイムでのさよなら、さよなら、さようならでした。早く他の番組に替えようとした父と喧嘩した思い出あります。口答えしたのでビンタ食らいました。風呂場で思いっきり叫んで泣きました。その時母が父に謝れと言ってきましたが、彼女ももう過去の人、父は淀川氏と同年に亡くなりました。懐かしいです。ありがとうございます。
本当に楽しそうに映画を解説する淀川さんが大好きでした。
今でもまだ映画を観る前には淀川さんを思い出します。
色々な新しい映画を観て、淀川さんだったらどんな解説をするんだろうなぁと。
寂しいですね、またあの声で映画の解説を聴きたいです。
「さよなら、さよなら、さよなら。」ほんの数年でしたが、リアルで会えて良かった。
これは凄いことばですね。
映画以上に淀川さんを見るのが楽しみだった。
淀川さんのさよならを聞いて寝るのが楽しみなのに亡くなった後の日曜洋画劇場を見て淀川さんがいないのが悲しかった
黒澤監督亡くなって淀川さんが後を追うように亡くなりましたね。天国で今の映画をどのように観てるんでしょうね。
ありがとう、ありがとう、ありがとう。
最近のテレビで放送する映画は番宣関連が多すぎる。
視聴率や話題性を重視するのは分かるが本当に良い映画を見る機会は少なくなる。
彼は、「私は今まで、嫌いな人に出逢ったことがない」と語っていた。
これだけ聞くと、いかにも寛大で善き人みたいに思えるが、実はちょっと違う。
一度会ってみて、〝あ、この人嫌いだ〟と感じた人には、もう二度と会おうとしなかったのだそうだ。
これが、「私は今まで、嫌いな人に出逢ったことがない」という本当の意味なのである。
会いもしないで好き嫌いを判断することは出来ない。してはいけない。
でも、嫌いになったら二度と会わない。これが淀川長治さんの生き方。
このエピソードは、何十年も前におすぎとピーコが話していたと記憶する。
本当に懐かしいな!リアルで「さよなら×3」聞いてましたよ。みんなの青春を作ってくれてありがとうございます!
映画が好きと言う情熱がすごいですね✨✨✨
情熱がチャップリンにも通じたんでしょうね❤❤❤
素敵な素晴らしい人生‼️
尊敬します✨✨✨
今更だけど言わせてもらう
「淀川さん、あなたこそスーパースターだ!」
この人、人情味溢れてて好きだったな…。幼い頃、日曜洋画劇場、夜更かしして見てたな…。懐かしい‼️
幸せな時代だなぁ。黒澤監督はじめ優秀な監督が活躍して淀川さんのような映画を一層楽しく感じさせる愛ある解説出来る人がいた時代。
みなさん今日の日本映画の状況を天国から見てどう思ってるのだろう。それとも天国で新しい映画を作り語り合ってるだろうか。後者であってほしいな。
1つだけ願うことは、淀川長治氏も「アニメ映画を見る客が悪い」だとか「アニメ映画が映画産業と映画館の衰退を招いた」なんて意見をもたず、アニメ映画も一つの作品として批評してくれることですね。
洋画専門の氏が国産アニメ映画を好んで見るかどうかは別ですが...
昭和から平成にかけては映画界には淀川長治さん、競馬界には大川慶次郎さんなどその業界の化身のような偉人がおられましたよね。
今思えば長治さんは幸せな時代に好きな素晴らしい映画をたくさん見ることが出来て良かったんじゃないかと。今じゃハリウッド含めて彼が解説するに値する作品なんて殆どないからね
私の映画の先生は淀川さんです。心から尊敬しております。
なんかこういうほんわかな感じ、
映画の中に引き込まれさせてくれる巧みな話術、その情熱…
映画好き、大好きなものだからこその…なんというか。
今の番組にあるだろうか。
若い頃めっちゃイケメンだねぇ…
淀川さんの解説を聞くと、観たことの無いその映画が、期待感で凄く輝いてみえる。
実際、淀川さんの解説によって、作品が2倍にも3倍にも、素晴らしいものに昇華したなあ
小学校の時に毎週日曜日ロードショー見てから寝てたな
周りの子がサザエさんのエンディング聞いたら「また月曜日始まるから嫌やー!」言うてたけど俺は淀川さんの「サヨナラサヨナラサヨナラ」を聞いたらまた学校や思ってブルーになってた(笑)
今となっては良い思い出。
気づけば今年34のおっさんになってた。
関連動画に出て来てふと小学校時代の懐かしい気分になれた。
淀川さんありがとう!!
リアルタイムで観てました。
当時裏番組で読売TVには
同時刻の放送に「知ってる
つもり」が放送していて
その特集には淀川長治さんの
事が放送されてました。
90年代までテレ朝の日曜の顔
朝は題名のない音楽会では
黛敏郎さん
お昼はアタック25では
児玉清さん
そして夜は淀川長治さんでした。
黛さん·児玉さん·淀川さん共に亡くなりました。
淀川さんが20代、30代、40代の頃って映画が本当に輝いていた時代なんでしょうね。淀川さんの話し方ですごく伝わってきます。特にチャップリンとの件は何故か涙が出ました。映画が本当に人々の生きる糧の一部になっていたんでしょうね。素晴らしい、一言です。
映画愛あふれる淀川さんの
解説大好きでした♡
アップありがとうございます!
淀川さん。タランティーノ、ウォンカーウァイ、北野武の才能を賞賛した貴方がもし今も生きていたら。
昔の映画は良かったなんてつまらない昔話はせず、才能ある若手を発掘し広めてくれたでしょう。
淀川さん、貴方に見て欲しい映画が沢山あります。
本当にそう思います。晩年の年間ベストにトレインスポッティングを入れていた事に驚愕しました。
80を超えるお年でです。感性が衰えていない。凄いです。そしてフェイスオフを物凄く褒めていらしてました。
淀川さんの感性が欲しい。最後まで凄いです。
今のハリウッド映画は、淀長さんの解説が必要なくなってしまった!
子供でもわかる深みのない映画になってしまったから。
チャップリンが淀長さんと会って話した時、すぐに、淀長さんから映画愛が言語を超えて伝わり理解した。
チャップリンもすごいが、淀長さんもすごい!
淀長さんが亡くなって、昔のハリウッド映画もなくなった!
確かに、心に名作ってなくなったなぁ。
子供にもわかる映画は必ずしも悪いわけじゃないけど、なんか中身がないんだよなぁ。
例えば、荒野の七人みたく何十年たっても名作って言われる作品がない。
CGを駆使した技術のある映画は嫌いじゃないけど、演技ももっと重視してほしい。
日曜洋画劇場。
本編始まる前に映画の解説して、本編終わったら又違う内容、共感できる話しをしてからのサヨナラ、サヨナラ、でしたかね?
余韻の残る、良い映画を観たな~と思える解説でした✨
淀川先生は勿論の事、戸田奈津子先生の事も決して忘れてわいけない存在ですね。
ホントの映画評論家と呼べるのは淀川さんだけだと今でも思っています🎥😊
映画が、最高のエンターテイメントの時代...。
今は便利に豊かになった分、少し薄っぺらになっちゃたね。。
思い出ありがとう、淀川さん、当時のスタッフのみなさん!
この人の語り口調大好きだったなぁ…。
とても幼い頃。
さよなら、さよなら、さよなら。
あの言葉と優しい笑顔だけ覚えてる。
淀川長治さん、荻昌弘さん、水野晴郎さんには映画の楽しさを教えていただきました。
ゴールデン洋画劇場の高島忠夫さんもそうでした。
懐かしいです!🆙ありがとうございました👍
淀川長治さんはご自分が好きなことつまり映画の解説者を独特の語り口で努められていました。解説の最後にさよなら!さよなら!さよなら!さよなら!と言われていたこと忘れもしません。とにかく映画に対しての情熱は半端でなかったのでしょう!
黒澤明とともに明治、大正、昭和、平成を生き抜いた伝説の映画人
淀川さんは、チャップリンとフェルリーニの映画をこよなく愛してられました。 ラジオで淀川長治映画劇場を聴いてました。懐かしい。 サヨナラ サヨナラ サヨナラ😇✋
淀長さんのかおの広さが伺える、子供の時から死ぬまでチャップリンが好きだったんだな
後説のサヨナラ✕3の後、作品の回想シーンと共に流れるあのエンディング曲を聴く時が休日の終わりを感じさせられる何とも言えない倦怠感を覚える瞬間だった
淀川さん素敵です。チャップリンさんと天国できっと一緒に映画談義をされてると思います。子供のころからずっと好きな淀川さんの映像を久しぶりに見て楽しい気持ちになりました。永六輔さんが伝えてくださったエピソードは、とても心に残りました。素敵な動画をありがとうございました。
去年11月に亡くなった私の祖母と淀川さんが同じ命日だったのはこの動画で初めて知りました。
追伸。亡くなる時間が2〜3時間しか違わないのも奇遇ですね。
いきなりライムライト流れていきなり涙出たじゃないか
淀川先生の名セリフと共にご冥福をお祈り申し上げます😢
黒澤監督の追悼特番の最後で、
「僕もすぐ行くからね」
と述べられていたのが今でも忘れられません。
まるでこの人の人生が1本の映画のようだ😢
晩年の姿を見れて良かったです、今の人はチャップリンの映画見る人いるのかな?
あの頃、日曜日の夜9時といえば、淀川さんだったなぁ。淀川さんの解説からロボコップスタートとか。懐かし過ぎる。映画終わりには、お別れのさよなら さよなら さよならのお馴染みの挨拶。それを聴いて初めて、名残惜しくも、余韻に浸りつつ日曜日の終わりってなくらい。そんな情緒ある日曜日だった。
今の時代は、こういう風情が失われて、残念です。
昔、神戸文化ホールで「黄金狂時代」の上映会の前に淀川先生の講演があって、チャップリンが神戸に来られた時のこと、神戸新開地にあった大劇場「聚楽館」のこと、楽しそうに語られていたことを覚えています。
昔みたいにいっぱい地上で映画やってほしい
今Blu-rayDVD映画専門チャンネルあるからね便利な時代なりすぎたんだよ😭
この聡明でチャーミングな映画の天使様のお陰で映画が好きになりました(^-^)
チャップリンと会った日が昨日のように話してくれる。
スティーブンセガールの日本語初めて聞いたけど、めちゃくちゃ喋れてビックリ笑
やっぱり映画解説者は必要だ。
だが淀川さんに並ぶ人がいないのが現状…
日曜洋画劇場が不定期放送になったのも非常に残念…
淀川さん可愛い
淀川さんは絶対的。未だに映画を観終わった後、淀川さんだったらどんな批評をされるのか気になってしまいます。
29:54 ブルースウィルスの話のくだり、「34階のビルにひとりで入って…」というところ、
淀川先生の常宿の部屋番号🚪3401でしたね。壮絶なお部屋。
先生と言いたい人。どうにも尊敬します。
6:05
どこ触っても ヴィクター・マチュア!
声を上げて笑ってしまいましたが、この無邪気さも淀川さんの本当に素晴らしい魅力ですね。
大好きです
思えば、淀川さんが亡くなってからテレビから映画解説が消えてしまったんだよなあ(涙)
ひかりびっと 大昔は、映画が大きな娯楽でTVが広がってから映画が衰退したがそれでもハリウッドを中心に映画という物の価値や立場を維持してきました。今はネット社会で映画という物がさらに衰退です。しかし、淀川さんのような方が映画の面白さや自身の視点や見所を伝えてくれることでとっても面白く映画が見れたと思います。
本当にそうです
映画解説死語なっちゃたね😭
解説役をやめてしまったのはもしかして「なんだあの解説は!」ってネットの炎上を無くすため?
亡くなって何年経ったかな?
淀川長治さん!!亡くなる前日まで映画解説をされたとは!!お見事でした!!最高の人生でしたね!!🎉🎉🎉
今年は11月10日が日曜日でした
淀川長治さんの前に対しては、北野武も小童でしかないのがよくわかりました。
淀川さんの語り口大好きでした
神戸出身なので縁の所が沢山有りますありがとうございましたご冥福をお祈りします
東京全日空ホテルを終の住処にされる前には、実は同じ港町の横浜市鶴見区にお住まいになっていらした事もありました。
青春のころが蘇ってきました。
淀川長治さんと言えば、映画の後に「いかがでしたか?こわかったねぇ、すごかったねぇ。」と滑らかに話し、作品紹介の後の「それでは次回もご期待ください。さよなら、さよなら、さよなら。」が代名詞。なのに本当にさよなら、さよなら、さよならになってしまった。
懐かしいですね
😊