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遅れて見て、ちょっと感想が違ったのでコメントしてみます。映画の中に荒川コーチが現役時代の1994年のカレンダーが出て来たので、おそらく映画の時代設定は2000年前後だと理解しました。それで2000年前後の当時、仲間内ではきつ音のタクヤは受け入れられていましたが、同性愛者の荒川コーチは北海道の町では受け入れられなかったという、映画の前半後半での対比があったと思われました。さくらは荒川コーチに淡い恋心を持っていると感じ、荒川コーチとの間にタクヤが入ることに初め違和感を持ちますが、タクヤとの美しいスケートのシンクロで、細々とした疑問は解消して行ったのだと思われます。その後、さくらは、荒川コーチの同性愛を知って(本当の荒川コーチは、タクヤの真っすぐなさくらとスケートへの想いを守ろうとしただけで、さくらの思い込みは誤解なのですが)荒川コーチがタクヤを同性愛的にスケートに誘ったと合点し、荒川コーチへの淡い恋心も、タクヤとの私心ないスケートの美しい関係も、さくらは壊されたと感じ、荒川コーチやタクヤから離れます。なので、さくら自身は最後まで罪悪感があったとは言えない(多少タクヤに申し訳ない気持ちはあっても、自分は裏切られ心情を壊された側だと考えている)とは思われました。荒川コーチの教えていた生徒の人数ですが、私はさくら以外にも生徒はいて、さくらが同性愛の目撃後に荒川コーチと離れたいと母に相談した時に、その理由を聞かれたさくらは荒川コーチの同性愛の話を母に伝え、さくらの母が他の荒川コーチの生徒の父兄に伝達して、一斉に生徒がいなくなったというのが自然な解釈だと思われました。つまり、この映画の後半で描きたかったのは、2000年前後の時代の(きつ音のタクヤが受け入れられているのとは対比して)同性愛者に対する町全体の無理解だったと思われました。そして、映画の前半では、タクヤとさくらの美しいスケートによって3人の特にさくらの初めのわだかまりは解消され関係もどんどんと良好になって行きましたが、一方で映画の後半では、荒川コーチの同性愛の周りとのわだかまりを(前半の美しいスケートのように)解消する美しい解決策は示されませんでした。その後、春にタクヤは中学生になって荒川コーチとは別れ、さくらとはその帰りの路の途中で再会するのですが、最後の本編のシーンはタクヤとさくらの正面でのカットバックでした。本来であれば、最後の(さくらに会えてほっとした感じに)表情を崩したタクヤに対する、リアクションとしてのさくらの表情カットが必要だったと思われます。(なぜなら、荒川コーチやタクヤから別れたさくらの本心を、観客含めてその表情からだけでも知りたいとみんなが思っているため)しかしながら、映画はさくらの方のカットは向けられないまま終わってしまいます。つまり、タクヤの正面ショット、タクヤが観客に向けた視線で映画は終わるのです。この最後の(さくら側の次のカットがないためにそう解釈出来る)タクヤの観客に向けた視線の正面ショットの意味は、2000年前後の同性愛者に無理解な町のタクヤから、2024年の現在の観客に向けられた視線だと思われました。そしてこのタクヤの最後の視線は、(もちろん、当時のさくら1人の責任には出来ない話ですが)当時のさくらでは不可能だった、荒川コーチの同性愛に対する偏見を(映画の前半の3人のわだかまりを解消させた美しいスケートのように)全体で美しく解決する策を、現在の観客の私達ならさくらに代わって(画面の中のさくらと共に)生み出すことが可能なのではないか?という、現在に向けての希望の問い掛けの視線だったように感じました。なので、私はラストカットは非常に考えさせる表現であって、他で見た記憶がない素晴らしいラストカットになっていたと思われました。このさくらを最後に映さない違和感もあるラストカットは、この映画が現在と希望で地続きであり、さくらを映さないことでかえってさくらを当時の時代ごと現在から救っているようにも感じました。劇的さが更にあればもっと好みでしたが、作風としてはこれが正解で、前半の美しさと、後半の残酷さと、ラストの現在の私達への希望が表現された、素晴らしい映画だったと思われました。(短く書くつもりが長くなりました。最後まで読んで下さりありがとうございました。)
ラストはアレで良かった一冬越えて荒川が間に入らずともタクヤは自分から話しかけるって あの春の日差しとふたりが素敵でした。
本日、ようやくテアトル新宿で観てきました(14時の回、二十数名の観客)。印象派音楽「月の光」に合った詩情のあるとても美しい映像だし、思春期の少年が美少女とコーチに出会って、成長する物語もよかったです。フィギュアスケート靴を抱えるタクヤがさくらと再会するところで終わるエンディングは、酒匂さん同様、将来に対する希望(おそらく、二人でまたアイスダンスを再開するのではないか)が想像できて、とてもよかったですね。観る人は選ぶし、誰にも勧められるわけではないですが、私はとても好きな映画でした。荒川コーチは「フィギュアスケート・コーチ」(=さくら以外にも女の子を何人か教えていた、さくらと一緒によくいた女の子も生徒の一人では)兼「スケートリンク管理人」(=製氷車を運転するなど製氷作業を任されている)として雇われていたし、住居は恋人のガソリンスタンド経営者のものだったので、移住当初(同性愛者であることが発覚する前まで)は経済的にも生活が成り立っていた、と私は考えていました。ですので、竹内さんの荒川コーチの経済面に関する突っ込みも、不可解に思いました。
少数者の立場を大事にした映画だとも思います。(町の人の理解は得られていないのですが)荒川コーチが同性愛者であることも、田舎の小学校6年生の男の子がフィギュアスケートを始めることも、映画の視点では肯定されるように、観客を誘導しています。ですので、竹内さんの言うような「野球をするタクヤをみつめるさくら」で終わるエンディングなんて、私には考えられないです。
このチャンネルって互いの考察のズレをちゃんと議論するのが凄いなと思います。喧嘩が始まりそうでたまにハラハラする(笑)この映画、ここからどう展開するのかと思ったらさくらちゃんがああなって、最後どうやってまとめるのかと思ったら冬を越えた2人が再会して✨ 自然と思いました🌸映画全般通して絵画を観ているような美しく情緒的な時間で好きでした。絶妙に時代が古くて、今よりももっと性的志向に偏見が強かった時代だったと思います。現代にしてしまうと差別意識強いってなるけど、25年くらい前はあんな感じでしたよね。
楽しんでいただけてますか?
今ちょうどみてきたんですが、この年代の子供(ジュブナイルものというんですかね)ならではの感覚が出ていてすごくよかった。あと、VOLVOですね。かぞかぞでもちょうどVOLVO240だった(自分にとってVOLVOといえばこの形なので古い気はあんまりせず。けど30年前の車ですよね。)ですね。池松壮亮はベイビーわるきゅーれにも出ていて肉体派なんですね。すごくギャップがあって。。
旧車のVOLVO大人気ですね!
今見てきたところです。タクヤの成長がさくらを救ったいいラストだと私は思いました。
今のところ今年1番好きな映画です。まず、この映画の主人公はタクヤだと思います。それはこの映画の元になった「ぼくのお日さま」の歌詞からタクヤというキャラクターが生まれてると感じられるからです。そう考えると、この一冬の出来事を経て、吃音を乗り越えて本音を言えるか、タクヤは成長したのかという部分こそが本作の主題だと考えられるし、ラストの余白も含めて、「僕のおひさま」を聴いた後の悲しさ、優しさを感じさせる素晴らしいラストだと思います!
私はこの映画は竹内さんとは違って、サクラではなくタクヤを軸に置いた物語だと思いました。タクヤの物語なので、ラストシーンはタクヤが吃音を乗り越えようとして「何かを話そうとする」覚悟が垣間見れたので、あのエンディングは必要だったし、そこまでトリッキーではなかったと思います。話の内容は何でもいいのです。想像すらしなくてもいい。彼が自らの意思でサクラに「何かを話すこと」自体が大事なのだから。今回に関しては、竹内さんのサクラに対する思い入れとご自身の決め打ちが強すぎるのではないかと感じましたし、いくらなんでもお二人が竹内さんに引っ張られすぎてたと思いました。あと、スケート関係者が身内にいるので申し上げますが、有名コーチのリンク貸し切りでの個人レッスンは実際かなりの金額になりますよ。1人分でだけでコーチが生活できるかどうかは知りませんが。
横入り、失礼いたします。もしサクラちゃんをメインとするなら、家族、主に母親がもっと出て来てもいいと思います。
竹内さん、珍しく激昂してる?いつも普段から感想はそれぞれ、でよい。としてる竹内さん、ラストシーンの落とし方がモヤモヤしてるようですね。タクヤくんから話かけてるのは自分的によくて、余白あるエンディング。いろいろ意見あって善しじゃないのかな?緩やかな暖かみのある優しい作品だと自分は感じてます。中学生の頃は明確な答も見つからずモヤってませんでしたか?だいたいの中学生はほぼそうだったと自分はおもいます。良作だし奥山さんの出現は今後に期待しますよ。
ぼくのお日さまきっかけがあったら人は変わることができる。そんな瑞々しい成長感溢れる物語でした。とても僅かひと冬に起きたこととは感じられない豊かさが本作にはあります。先ず「ぼくのお日さま」という楽曲に刺激を受けた奥山監督がこの脚本と撮影と編集もこなしています。フィギュアスケートの映画の鑑賞って初めてでした。彼女に恋して始めたフィギュアスケートがだんだん上手くなってゆくその成長譚で終わるのかなと思いきやでした。ラストの台詞がないのも淡いですね、
荒川に関しては竹内さんの、荒川がそもそもの北海道に来た経緯を間違えている所から主な仕事、コーチとして生徒が何故さくら1人(と、タクヤ)なのか、そして何故北海道を離れたのか、勘違いの連鎖が起きていると思います。脚本が甘く伝わらないと言われればそれまでですが。五十嵐とのベッドでの会話も重要なのは「俺(五十嵐)にはもうここしかない。でも永士(荒川)は違うんじゃない?」ざっくりとですがこのような内容のセリフの方だと思っています。食卓で以前は全然話さなかったスケートの話を、タクヤと出会ったことによって嬉しそうに話したり、ペアのメニューを夢中で考えたりと徐々にスケートへの情熱を取り戻していく姿を見ています。教える生徒がいなくなった話を出すのもその気持ちを汲んで荒川の今後の後押しだと自分は思いました。愛すればこそだと感じます。そして大前提ですがこの映画の主役はタクヤ、さくら、荒川の3人だと思います。タクヤのお日さまはさくらさくらのお日さまは荒川荒川のお日さまはタクヤ竹内さんの主役はさくらという見方はそれこそトリッキーに感じました。エンディングも含め自分にはとても大切な映画になりました。ちなみに撮影はデジタルだそうです。邪推、駄文長文失礼しました。
オープニングが、たくやのシーンでしたよね。だから、たくやの映画だと思って鑑賞していました。大人になったたくやが、昔を思い出しているような雰囲気を感じました。美しいシーンが沢山ありましたね。
竹内さんの鑑賞眼はふだんはとても参考にさせていただいていて好きなのですが、今回ばかりはいただけなかったです。酒匂さんとのかけあいもほほえましく捉えたいですが、今回はなぜか攻撃的で排他的にみえてしまって残念です...(本作は個人的には粗をかんじつつfavoriteだったからかなぁでも歯に衣着せぬ講評スタイルは好きで今後も続けてほしいので悩ましい😂
そういう事もありますね💦
竹内さんがこの映画の監督でなくて本当に良かった。この映画はタクヤの物語だと思う。タクヤがさくらに語りかけるシーンは必須だったと思う。タクヤが自分からさくらに語りかけるのは初めてだったと思うので、それがタクヤの成長だと思う。
私も 今回見るの途中で やめました。竹内さんが 必死になればなるほど 疲れてきました。この 映画は 詩的な美しさを 鑑賞する映画だと 思います。人 それぞれ 見方は 違うと思いますが それほど そこに こだわる映画では ないと思います。エンディングは 若い人の感性だと思いますし 若い監督の出現に期待しました。
うーん、この映画で語るべきポイントが、自分が感じていることとまったく違うような気がしました。じゃあなんだって、上手く言えないですが。私はこれを聞いてもラストはあれでよかったと思いました。最後までがんばって聞こうとおもったけれど、今回のTH-cam途中離脱します。
私も竹内さんの見方に驚きました。まあ、そういう事もありますね。
映画素人の私は「えー?これで終わり?」と思ってしまいました。エンディングを見て、吃音の話だから仕方ないのかな?と思い。皆さまの感想を聞いて、ようやく分かりましたが。。。竹内さんのおっしゃるとおり、私も脚本に満足感が無かったんだと思います😓吃音の話だとはいえ、普通に話せる大人達の会話がソレ?と思ってしまいました😓あと、昨日TOHOシネマズシャンテで観ましたが、スクリーンが小さくて、映像の綺麗さがあまり伝わってこなかったのもあると思います💦映画界では期待の星の監督なのかもしれませんが、一般客の私としては2000円の満足感は得られなかったです😓
コメントありがとうございます!おっしゃることわかります。人それぞれですからご自身のスタンスでご覧になれば良いと思います!
9/13山形フォーラムで「ぼくのお日さま」を観てきました。途中までの心の中が優しく暖かくふわふわとする感じがとても気持ちよくとてもいい映画でした。タクヤとさくらと荒川の心の移り変わりがとても気持ちよく描かれていて、湖での3人の練習めいた絡みはお日様の淡い光も相まってとても素敵なシーンになっていました。タクヤはさくらに淡い恋心を抱き、さくらは荒川に淡い恋心を抱いていて、そのことでこういう別れがやってきたのかと思います。さくらは荒川が同性愛者だということを知り心をかき乱されて「気持ち悪い」と言ってしまったのでしょう。最後タクヤとさくらが会ったことでこの後3人はどんな人生を歩いていくのでしょう。もしかしてアイスダンスをまたやってくれないかなあなんて思いました。最後のハンバートハンバートの「ぼくのお日さま」がこの映画を噛み締めるように歌われていてとても素晴らしい鑑賞後感でした。
ここにこの動画自体に否定的な感想を送る人ほど、自分の価値観を押し付けている気がする。解釈はそれぞれでいいじゃないか。思う分には。それが表現の芳醇さだと思う。
コメントありがとうございます!おっしゃる通り映画の感想は人それぞれですね。
時々思うんですが、説明がないイコールプロットホールだと誤解しているようです。映画が描く現実で納得できないのはプロットホールです。そういうところについての指摘が長くなると正直疲れます。そして、今回ちゃんと見てたら大体の指摘は映像などで説明されていたってわかります。 たまに監督や制作スタッフを過小評価しているような気がします。あえて説明していない場合も多いと思います。
酒匂さん、竹内さんの見解に引かずによく頑張って反論してくれました。自分もあのラストが好きです。吃音のたくやが言葉を発しようとするにはそれなりの覚悟がいるでしょうし、あそこで発せられる言葉は思いのこもったものだろうなと想像すると身もだえします。(劇中、たくやとさくらが交わした言葉って「通しでやってみる?」「食べる?」くらいしかなかったような記憶です。)まあ、二人が今後付き合うなんという妄想はまったくしませんでしたが、もう一回ペアでスケートをする未来があるといいなあと思いました。
応援ありがとうございます!
映画の感想は人それぞれなのに正解はひとつだと自分の価値観を押し付ける風潮がちょっと怖いです💦
竹内さんの主張が気になったので鑑賞予定じゃなかったけど、さっき観てきました!うーん、なんかずっとインスタの美しい写真をめくってるようで、薄汚れた心を持つ私には眩しすぎました💦私の父親が吃音なのでどうしてもお芝居にしか見えなくて集中出来ませんでした。。父は一度どもると「あー」とか「うー」しか言えなくなるし、ひどいと空気の「ひゅー」みたいな音しか出なくなるので。。私も竹内さんの言う「監督の頭の中で考えたストーリー」がしっくりきます。でも90分でさらっと美しい映像体験が出来たのは良かったです❤ ラストは特に、、あれでいいような気がしますが。 同じ映画なのにいろんな見方があって面白いです!忖度なしに語る竹内さん、これからも応援します❣️
ラストは吃音の子が勇気を出してしゃべったところでエンディングソングの歌詞に繋がるので、これで良かったのだと思います監督はリトルダンサーをやりたいとのことでホッケーとフィギアスケートが同じリングで練習しているシーンや、先生のボルボが似ていると感じました
私はこのラストしか無いと思います。この映画、アングルからテンポも含めて始めから終わりまで1本の線で繋がっているため、途中で展開を変える選択は難しいと思います。むしろ、ラストからこの映画を着想したのではないか、と思っています。好みの問題はあると思いますが、このラストは私にとっては必然でした。監督がもしも50歳を過ぎてこの映画を見直したら違う演出を考えるかもしれませんが、この若さこそがこの監督の個性だと思います。
『ぼくのお日さま』は、公開初日に鑑賞し、映画というより、美しい作品が続々と鑑賞できた写真展のような印象が強く。そのため、映画としての印象、余韻は、意外にも淡いものに。で、本動画を視聴し、その解釈、評価が予想以上に分かれる作品なんだ、という見方を僕は。で、今観終えたばかりの『石がある』の方が、『ぼくのお日さま』より、僕のお気に入りかなぁ✨
さくらが先生とあのまま別れて終わるのは残念だけれど、ラストでさくらとたくやが話しをするのは2人の成長を感じて良かったなぁ。竹内さんは否定する時、反対の時、圧が強いですねぇ。
ここのコメントを見ていると、私は半分も理解できていないと思いました。(セリフを聞き落しているせいかもしれませんが。)まだまだ未熟者です。映画自体は素晴らしいと思いました。
映画は人それぞれですからご自身のペースでいいのではないでしょうか。
@@cinemasalon 様ありがとうございます!でも同じ見るのであれば「良く分からない」で通りすぎるのではなく「こういうことか!」と気付く方が楽しいですし料金を払った甲斐がありますので・・・(笑)
哀愁のあるラストはあのキャスト2人の年代的に選べないのではないかなあ。監督はホワイトな善い人なんでしょうしね。裏設定はたしかにいろいろあるはずなので聞いてみたいですね。ファンタジックで愛がある本編の画の作りが素敵でした。成長した2人の新しい物語も見たいですね。
あのエンディングがトリッキー?ラストシーンは、少年が両手でかかえている「かばん」に注目。あれは何が入っているか。どうしたって、スケート靴。少女はスケート場から帰ってくる。少年はスケート場へ向かっている。それがポイント。一番最後のシーンで少年がスケート靴をもっていることを見落としてませんか?少年はフィギュアスケートを目指している。(だから、そこで少女も救われる)すばらしく美しい場面なのに、まったく逆にとらえていると思います。少女はスケート場から帰ってくる。少年はスケート場へ向かっている。少年は再びスケート(フィギュア・スケート)を始める気持ちになったのだ。そして、初めてその気持ちとなったときと同じように少女に出会ったのだ。少年は少女を、少年が初めて少女を見たときの目で見ている。そして、そこで「初めてのことば」を交わすのだ。これ以上に美しいハッピーエンドはないです。
本動画はなかなか否寄りの賛否両論ですね😅まあただ、結論を1つに集約しようというストーリでなく、主役三者三様の視点があるというところに茫洋さがあるのかなと。竹内Pのさくら視点というのも、1つの考え方であり、たくや、荒川視点を推す声があるのも分かります。自分の鑑賞感としては、本作が歌にインスパイアされたことを踏まえると、表のテーマにたくやを掲げつつ、荒川を裏に潜ませたのかと感じました。吃音でうまく意思伝達できないというディスコミュニケーションを、荒川が抱く、何かしらの負い目と重ね合わせたのかな、と。キャッチボールのシーンは、たくやのほうがむしろ雄弁でしたし。ただ…同性愛への嫌悪という役割をさくらに負わせたのは少し悲しいかな。小児性愛と錯視したとしても、挽回の余地がありませんでしたし。そういう点では、竹内Pのラストに対するモヤモヤも理解できます。ただそういう部分はさておき、見せ方はいっぱしのセンスを感じました。たしか終盤でさくらが滑りたくやが鼻歌を歌ってたのは「月の光」で、さくらの成長、たくやの成長、それぞれを言葉に頼らず見せていました。他も構図の決め方など、土地の雰囲気を感じられるのが良かったです😊
竹内さんはサクラの物語としてご覧になられたようですが、やはりこれはタクヤの物語。だから映画のオープニングショットとラストカットがタクヤなのだと。そしてタクヤにとっての「ぼくのお日さま」それがサクラであり、荒川との3人の多幸感溢れる束の間の時間なのだと見ました。そして一度喪われたお日さまをタクヤが取り戻す期待感を余韻とする、あのラストカットが正解だと思います。傑作というより、なんとなく大切に鑑賞の余韻を胸にしまっておきたい、そんな愛おしい作品で、素晴らしい作品と思いました。
途中の竹内さんの圧が、聞いていて不快な気持ちになり、脱落。
主役の男の子が、後半のホッケーシーンで、集合の際にスケーティングが上達したことが分かるシーンに泣けました😊
フィギュアスケートを描いた映画がなかったということが監督がこの映画を作った一番の理由だったとか スケートとその練習の映像をひたすら撮る、そこに存在意義があるのかな?と 少年が吃音という設定もアクションが言葉より雄弁ということかと そして口から出てしまった「気持ち悪い」の一言がすべてをぶちこわすのも一応整合性は取れてるように思いました
竹内さんは最近、ダメ出しおじさんに見えてきました。
タクヤの物語りだと思っています。一見バラバラになったような3人が、荒川の努力が無駄になったわけでなく、まだ実を結ぶ可能性があることを示しているのだなと思いました。タクヤが中学生になって徐々に成長していることも示していると思います。
いつも楽しく観ています。今回はネタバレ前で離脱しました。この作品の印象が聞き続けると壊れる気がしたので。わたしはエンディングはあれで良い派です。本当に映画は観る人それぞれですね。
ひなたぼっこしながら、ビターチョコレート食べてる…みたいな鑑賞後感でした。ラストは私もコレで良かったと感じました。好みなので、竹内さんのご意見は拝聴いたしますが…。タクヤ側から話しかけるーというのでタクヤがひとつ階段登ったと思いました。そして、数年後に荒川と再会してほしい!その時さくらの隣りにはタクヤに居てほしいなぁと思いました!個人的には荒川と五十嵐の結末に納得いかなくて…モヤモヤしました。タクヤの友達のコウセイくんがとても良い子でホッとする存在でした。ワンコがお外…っていうのは私も大丈夫なの?北海道ではそれがデフォルト?と気になりました。モヤった部分もあったけれど、エンドロールの曲ですべて解消!でした。ちなみにタクヤ役の越山敬達くんは天狗の台所のオンちゃんです。シーズン1から出てます。主役です♪
私はタクヤの物語が軸と思って観てたので、ラストはこれでよかったと思います。竹内さん案はちょっとビターで悲しいかなぁと。前向きに終わるのが主題歌のイメージにもあってるかなぁと思います。犬の外飼いは…「南極物語」で、南極屋外でもタロとジロが生き残ってたので、大丈夫じゃないのかな?
大丈夫だとは思うのですが、なんか可哀想で😢
さくらのお母様が荒川にもう近づかないでほしい、と談判するシーンが意外にいいなと思いました。お母様が少し暗めで映されているのが、何か効果的でいいなと思いました。
監督は若いけど、若ガキとは言わないでほしい😢とっても大好きな作品でした。
これは竹内語ですね。あまりお気になさらず。
脚本の話ですので「若書き」かと。
タクヤとさくらからすれば、荒川は東京から来て、ひと冬を共に過ごして去っていった存在ですよね。二人が成長したとき、「そういえば荒川先生いたね~」なんて語り合うのですかね。フィルムの質感からして、成長したタクヤの美しい思い出を観ているようでもありました。
観てきました!主役の男の子が素晴らしかったです。池松壮亮さんとの関係性、憧れの女の子との関係性、友だちの男の子とのやり取り、絵になりますね😊最後にあそこで切るところに余韻が残りましたね。劇中かかる洋楽も雰囲気でした🎶
元々フィギュアスケートファンなので、完全にコーチ視点メインで観てしまいました。(なので、竹内さんのさくら主役視点は考えもしませんでした😅)作中の年代が90年代くらいかな?と思いながら観てましたが、後から監督インタビューで2001年くらいと読んで納得。なんとなく高橋大輔・織田信成さんと同年代の少年の話のような気がしてましたが、ビンゴでした。まだフィギュアが「女のスポーツ」と言われて、アイスダンスを男がやるなんてもってのほかの頃。色々な多様性にも社会の理解が追いついてないし、アスリートのセカンドキャリア問題もまだ俎上にものってない。そんな閉塞感がうまく表れていたように思います。(ホッケーやるつもりがフィギュア…というのも高橋大輔さんと似たエピソードです)物語としては、三人それぞれが悪気はなくとも結果として他者を自己実現のツールとし て利用してしまったことから生じる軋轢…と読みました。特にコーチはたくみのまっすぐな初恋とスケートの喜びを、自分が失ったものの穴埋めに使ってしまったところがあり、結果としてさくらが「コーチの気持ちが自分に向いてない」とうっすら感じていたんだろうな…と思いました。とはいえ、似たような経験は誰もが多少はあるでしょうし、だからこそほろ苦い余韻がたなびきました😌
私も沁みました。そして、端的に言うと、この映画は竹内さんの映画じゃないってことですね。私はラストもこれでいいと思います。私も若いってことかな。それはそうと、私はもう随分とずれてしまったので、横断歩道が映れば、横から車が出てきて轢かれるんじゃないかとか、親友なほど、最後には裏切られるんじゃないかとかハラハラしてしまうようになってしまいました。なので、サクラとタクヤが練習してるのを見ていたコウセイが拍手した時に泣いてしまいました。いい映画でした。
もうすっかり忘れていたあの頃、親に泣きついて無理して買ってもらったホッケーのスケート靴をほんの1,2シーズン遊んだだけで止めてしまったダメな小学生の自分を思い出して、とにかく郷愁やら悔恨やら懺悔やらで最初からずっとウルウルしてました😭。あの、道の両脇に雪の積もった晴れた日の何でもない風景、スケート場でのカップヌードル、無言でも通じ合えるキャッチボール・・・時代も場所もハッキリしてなかったけど南樽市場が出て来て小樽とわかるし、アイスダンスのバッジテスト(?)会場はスケートだけでなく日米対抗ローラーゲームも見に行った真駒内アイスアリーナ!まさにあの頃の自分の育った環境😅。のみならず、荒川の部屋にさりげなく置かれてたユニオンジャックの小物入れ(?)、そして最もハッピーなシーン、あの凍った湖での練習に流れる音楽が大好きなゾンビーズ!と、もう俺に向けた映画か?と、ことごとく自分の弱点を突かれた気分でした😅(ちなみにカーステでかかったヴェルベットアンダーグラウンド風の曲なんだっけなぁ?と思ったらハンバートハンバートの佐藤良成のオリジナルって事でした。あれもGood)。ところでそんなハッピーな時間を過ごしていた三人、三人それぞれにそれぞれの愛が芽生え安定した状態が保たれてる、と思ったら・・・。さくらがある場面を見てしまった事でそれが次第に崩れて行く。ホントにただ単に受け入れ難かったのか?それとも子供ゆえの嫉妬の発露だったのか?大人の男同士のじゃれ合いも見る側によって変わるモンですね。あれ、タクヤが目撃したんだったら何の影響もなかっただろうに😅。いずれにせよ、事態は良くない方に転がり始める(にしてもドタキャンはないよなとは思うけど)。結果、諦めと言う選択をした荒川と五十嵐。そんな残酷な結果をもたらしたあの捨て台詞、果たしてさくらの心に後悔の念をもたらしたんだろうか?ラストシーン、彼女の表情にその兆しは見えなかった。でも、一瞬「第三の男」パターンを想像してしまった自分にとって、あのラストは何であれ救いになった感じがした。何か今の世界に足りないものが少しだけ垣間見えた気がしました。
道産子より。ちなみに時代感は最後までハッキリしなかったけど、昭和の時代はみんな犬小屋でした。きっと彼らは今の犬を見て草葉の陰から「軟弱な」と思ってる事でしょう😅。VOLVOは北欧車ですからまったく問題ないですよ。さすがにイタ車はかなり苦労してたヤツいたけど🤣
私も荒川がカセットで曲を流した時、「え?ルー・リード? こんな曲あったっけ?」と思いました佐藤さんのオリジナルの曲(A Friend Of Mine)だったんですね
@@tsutomukusaka6558 もろ”I’m waiting for the man”と”Sunday Morning”でしたけどね😅。たぶん権利関係上手く行かなかったのか、わかる人にはわかる系の苦労に思えて、大変よくできました、でした😆。
私も滲みました めちゃ良かったです3人の心の動きが感じ取れて 少年と少女のほろ苦い青春の思い出みたいな ほんと良かったです
あのエンディングを、頑なに「脚本の詰めがあまい」っていう解釈をしている。節穴だなー。がっかりすぎる笑
雪が降り始めて、雪が溶けるまでの話なので、私はラストはあれでよかったかと思います。4人の誰かをみる視線が印象的な映画でした。ドビュッシーの月の光が本当に切なくささりました。
これは憶測になるけどお客がいなくなったのはさくらの母親が他の人に変な悪評を広めた可能性もあるし、ありえるとは思いますけどね。実際に劇場にでてくるさくらの母親ならやりそうなので五十嵐のセリフはそこまで違和感を感じませんでした。後、竹内さんの反対すればするほどめんどくさいおっさん臭が強すぎる。
先日観ました。予告編のイメージと本編とは違ってうーーんとなりましたね。ほのぼのとしたイメージが有りましたがあの展開になるとは😑
2時間前後にまとめた映画にそこまで細かい突っ込み入れて、劇場の大きなスクリーンで観るアタリハズレのある映画を楽しめるのですか?
とても良い映画でした、Tさんと同じで沁み渡りました。後悔も含め三人のこれからを想像したくなるような余白のある浸れる作品で好きです。タクヤとさくらのアイスダンスが美しすぎたー✨
シネヌーヴォの前で、🎬️『石がある』の上映開始までの時間に、10分間だけ視聴を。続きは、🏠️🚗💨しながら、先ずは音声を聴くことに➰👋😃
お疲れ様です。酒匂さん、シネプレでしたよ~佳作だと思いました。 光の演出が心に残りました。優しさで包まれている作品だけれど、あの頃だからこその心の残酷さもあったり。。。 さくらちゃんがずっと引きずる事は無いと思います。むしろ成長していく度に理解していくと思います。ラスト、自分はめちゃ余韻たなびきましたよ。吃音が生きてくる素敵なラスト!会場に来なかったさくらちゃんとタクヤを会わせなきゃダメなんですよ!前に進めないから!そしてエンドロール、めちゃほっこり可愛かったです!必見です!
私も鑑賞後にモヤモヤが残りました。竹内さんの解釈を聞いて納得しましたが終わり方は今のままので良い気がします。酒匂さんの付き合うエンディングはないですねw。
良い映画でした。ラストはあれでいいと思います。これはタクヤの映画ですから。この監督、Netflix 『舞妓さんちのまかないさん』数話の監督や、NHK『ユーミンストリートズ』の『春よ、来い』の演出などを手がけていたらしいですね。今後も要注目です。
とても良かったです切ないですけど時代なのか 年齢なのか美しい画面 センシティブな映画でしたね😊
監督の主張をほとんど抑えて、あとは余白で観客の想像力に委ねるという作りだと思いますが、もうちょっと語ってくれないと置いてけぼり感を感じました。私は竹内さんの意見と同じです。
竹内さんと同意見で、教える生徒が誰もいなくなった~的なセリフは悪手だと思いました。あのセリフのせいで「え!?教えてたの一人だけだったの!?」とか「どうやって生活したの?貯金切り崩してたのか?月謝がめちゃくちゃ高かったのか?」とか本筋とは関係ないところに思考が行ってしまいました。
たけうちさんと同じ感想です。終盤までが良かっただけに、もうちょっと掘り下げられてたら、カンヌでももっと評価されてたんじゃないかなと思いました。ほんとに世界観が素晴らしかっただけに、もっったぃなぃっっ。個人的には前作『僕はイエス様が嫌い』のほうが好きかもしれません。
遅れて見て、ちょっと感想が違ったのでコメントしてみます。
映画の中に荒川コーチが現役時代の1994年のカレンダーが出て来たので、おそらく映画の時代設定は2000年前後だと理解しました。
それで2000年前後の当時、仲間内ではきつ音のタクヤは受け入れられていましたが、同性愛者の荒川コーチは北海道の町では受け入れられなかったという、映画の前半後半での対比があったと思われました。
さくらは荒川コーチに淡い恋心を持っていると感じ、荒川コーチとの間にタクヤが入ることに初め違和感を持ちますが、タクヤとの美しいスケートのシンクロで、細々とした疑問は解消して行ったのだと思われます。
その後、さくらは、荒川コーチの同性愛を知って(本当の荒川コーチは、タクヤの真っすぐなさくらとスケートへの想いを守ろうとしただけで、さくらの思い込みは誤解なのですが)荒川コーチがタクヤを同性愛的にスケートに誘ったと合点し、荒川コーチへの淡い恋心も、タクヤとの私心ないスケートの美しい関係も、さくらは壊されたと感じ、荒川コーチやタクヤから離れます。
なので、さくら自身は最後まで罪悪感があったとは言えない(多少タクヤに申し訳ない気持ちはあっても、自分は裏切られ心情を壊された側だと考えている)とは思われました。
荒川コーチの教えていた生徒の人数ですが、私はさくら以外にも生徒はいて、さくらが同性愛の目撃後に荒川コーチと離れたいと母に相談した時に、その理由を聞かれたさくらは荒川コーチの同性愛の話を母に伝え、さくらの母が他の荒川コーチの生徒の父兄に伝達して、一斉に生徒がいなくなったというのが自然な解釈だと思われました。
つまり、この映画の後半で描きたかったのは、2000年前後の時代の(きつ音のタクヤが受け入れられているのとは対比して)同性愛者に対する町全体の無理解だったと思われました。
そして、映画の前半では、タクヤとさくらの美しいスケートによって3人の特にさくらの初めのわだかまりは解消され関係もどんどんと良好になって行きましたが、一方で映画の後半では、荒川コーチの同性愛の周りとのわだかまりを(前半の美しいスケートのように)解消する美しい解決策は示されませんでした。
その後、春にタクヤは中学生になって荒川コーチとは別れ、さくらとはその帰りの路の途中で再会するのですが、最後の本編のシーンはタクヤとさくらの正面でのカットバックでした。
本来であれば、最後の(さくらに会えてほっとした感じに)表情を崩したタクヤに対する、リアクションとしてのさくらの表情カットが必要だったと思われます。
(なぜなら、荒川コーチやタクヤから別れたさくらの本心を、観客含めてその表情からだけでも知りたいとみんなが思っているため)
しかしながら、映画はさくらの方のカットは向けられないまま終わってしまいます。
つまり、タクヤの正面ショット、タクヤが観客に向けた視線で映画は終わるのです。
この最後の(さくら側の次のカットがないためにそう解釈出来る)タクヤの観客に向けた視線の正面ショットの意味は、2000年前後の同性愛者に無理解な町のタクヤから、2024年の現在の観客に向けられた視線だと思われました。
そしてこのタクヤの最後の視線は、(もちろん、当時のさくら1人の責任には出来ない話ですが)当時のさくらでは不可能だった、荒川コーチの同性愛に対する偏見を(映画の前半の3人のわだかまりを解消させた美しいスケートのように)全体で美しく解決する策を、現在の観客の私達ならさくらに代わって(画面の中のさくらと共に)生み出すことが可能なのではないか?という、現在に向けての希望の問い掛けの視線だったように感じました。
なので、私はラストカットは非常に考えさせる表現であって、他で見た記憶がない素晴らしいラストカットになっていたと思われました。
このさくらを最後に映さない違和感もあるラストカットは、この映画が現在と希望で地続きであり、さくらを映さないことでかえってさくらを当時の時代ごと現在から救っているようにも感じました。
劇的さが更にあればもっと好みでしたが、作風としてはこれが正解で、前半の美しさと、後半の残酷さと、ラストの現在の私達への希望が表現された、素晴らしい映画だったと思われました。
(短く書くつもりが長くなりました。最後まで読んで下さりありがとうございました。)
ラストはアレで良かった
一冬越えて荒川が間に入らずともタクヤは自分から話しかけるって あの春の日差しとふたりが素敵でした。
本日、ようやくテアトル新宿で観てきました(14時の回、二十数名の観客)。
印象派音楽「月の光」に合った詩情のあるとても美しい映像だし、思春期の少年が美少女とコーチに出会って、成長する物語もよかったです。フィギュアスケート靴を抱えるタクヤがさくらと再会するところで終わるエンディングは、酒匂さん同様、将来に対する希望(おそらく、二人でまたアイスダンスを再開するのではないか)が想像できて、とてもよかったですね。
観る人は選ぶし、誰にも勧められるわけではないですが、私はとても好きな映画でした。
荒川コーチは「フィギュアスケート・コーチ」(=さくら以外にも女の子を何人か教えていた、さくらと一緒によくいた女の子も生徒の一人では)兼「スケートリンク管理人」(=製氷車を運転するなど製氷作業を任されている)として雇われていたし、住居は恋人のガソリンスタンド経営者のものだったので、移住当初(同性愛者であることが発覚する前まで)は経済的にも生活が成り立っていた、と私は考えていました。ですので、竹内さんの荒川コーチの経済面に関する突っ込みも、不可解に思いました。
少数者の立場を大事にした映画だとも思います。(町の人の理解は得られていないのですが)荒川コーチが同性愛者であることも、田舎の小学校6年生の男の子がフィギュアスケートを始めることも、映画の視点では肯定されるように、観客を誘導しています。ですので、竹内さんの言うような「野球をするタクヤをみつめるさくら」で終わるエンディングなんて、私には考えられないです。
このチャンネルって互いの考察のズレをちゃんと議論するのが凄いなと思います。
喧嘩が始まりそうでたまにハラハラする(笑)
この映画、ここからどう展開するのかと思ったらさくらちゃんがああなって、最後どうやってまとめるのかと思ったら冬を越えた2人が再会して✨
自然と思いました🌸
映画全般通して絵画を観ているような美しく情緒的な時間で好きでした。
絶妙に時代が古くて、今よりももっと性的志向に偏見が強かった時代だったと思います。
現代にしてしまうと差別意識強いってなるけど、25年くらい前はあんな感じでしたよね。
楽しんでいただけてますか?
今ちょうどみてきたんですが、この年代の子供(ジュブナイルものというんですかね)ならではの感覚が出ていてすごくよかった。あと、VOLVOですね。かぞかぞでもちょうどVOLVO240だった(自分にとってVOLVOといえばこの形なので古い気はあんまりせず。けど30年前の車ですよね。)ですね。池松壮亮はベイビーわるきゅーれにも出ていて肉体派なんですね。すごくギャップがあって。。
旧車のVOLVO大人気ですね!
今見てきたところです。タクヤの成長がさくらを救ったいいラストだと私は思いました。
今のところ今年1番好きな映画です。
まず、この映画の主人公はタクヤだと思います。それはこの映画の元になった「ぼくのお日さま」の歌詞からタクヤというキャラクターが生まれてると感じられるからです。
そう考えると、この一冬の出来事を経て、吃音を乗り越えて本音を言えるか、タクヤは成長したのかという部分こそが本作の主題だと考えられるし、ラストの余白も含めて、「僕のおひさま」を聴いた後の悲しさ、優しさを感じさせる素晴らしいラストだと思います!
私はこの映画は竹内さんとは違って、サクラではなくタクヤを軸に置いた物語だと思いました。
タクヤの物語なので、ラストシーンはタクヤが吃音を乗り越えようとして「何かを話そうとする」覚悟が垣間見れたので、あのエンディングは必要だったし、そこまでトリッキーではなかったと思います。
話の内容は何でもいいのです。想像すらしなくてもいい。彼が自らの意思でサクラに「何かを話すこと」自体が大事なのだから。
今回に関しては、竹内さんのサクラに対する思い入れとご自身の決め打ちが強すぎるのではないかと感じましたし、いくらなんでもお二人が竹内さんに引っ張られすぎてたと思いました。
あと、スケート関係者が身内にいるので申し上げますが、有名コーチのリンク貸し切りでの個人レッスンは実際かなりの金額になりますよ。
1人分でだけでコーチが生活できるかどうかは知りませんが。
横入り、失礼いたします。
もしサクラちゃんをメインとするなら、家族、主に母親がもっと出て来てもいいと思います。
竹内さん、珍しく激昂してる?
いつも普段から感想はそれぞれ、でよい。
としてる竹内さん、ラストシーンの落とし方がモヤモヤしてるようですね。
タクヤくんから話かけてるのは自分的によくて、余白あるエンディング。
いろいろ意見あって善しじゃないのかな?
緩やかな暖かみのある優しい作品だと自分は感じてます。
中学生の頃は明確な答も見つからずモヤってませんでしたか?だいたいの中学生はほぼそうだったと自分はおもいます。良作だし奥山さんの出現は今後に期待しますよ。
ぼくのお日さま
きっかけがあったら人は変わることができる。そんな瑞々しい成長感溢れる物語でした。とても僅かひと冬に起きたこととは感じられない豊かさが本作にはあります。
先ず「ぼくのお日さま」という楽曲に刺激を受けた奥山監督がこの脚本と撮影と編集もこなしています。フィギュアスケートの映画の鑑賞って初めてでした。彼女に恋して始めたフィギュアスケートがだんだん上手くなってゆくその成長譚で終わるのかなと思いきやでした。
ラストの台詞がないのも淡いですね、
荒川に関しては竹内さんの、荒川がそもそもの北海道に来た経緯を間違えている所から主な仕事、コーチとして生徒が何故さくら1人(と、タクヤ)なのか、そして何故北海道を離れたのか、勘違いの連鎖が起きていると思います。
脚本が甘く伝わらないと言われればそれまでですが。
五十嵐とのベッドでの会話も重要なのは「俺(五十嵐)にはもうここしかない。でも永士(荒川)は違うんじゃない?」
ざっくりとですがこのような内容のセリフの方だと思っています。
食卓で以前は全然話さなかったスケートの話を、タクヤと出会ったことによって嬉しそうに話したり、ペアのメニューを夢中で考えたりと徐々にスケートへの情熱を取り戻していく姿を見ています。
教える生徒がいなくなった話を出すのもその気持ちを汲んで荒川の今後の後押しだと自分は思いました。
愛すればこそだと感じます。
そして大前提ですがこの映画の主役はタクヤ、さくら、荒川の3人だと思います。
タクヤのお日さまはさくら
さくらのお日さまは荒川
荒川のお日さまはタクヤ
竹内さんの主役はさくらという見方はそれこそトリッキーに感じました。
エンディングも含め自分にはとても大切な映画になりました。
ちなみに撮影はデジタルだそうです。
邪推、駄文長文失礼しました。
オープニングが、たくやのシーンでしたよね。だから、たくやの映画だと思って鑑賞していました。
大人になったたくやが、昔を思い出しているような雰囲気を感じました。
美しいシーンが沢山ありましたね。
竹内さんの鑑賞眼はふだんはとても参考にさせていただいていて好きなのですが、今回ばかりはいただけなかったです。
酒匂さんとのかけあいもほほえましく捉えたいですが、今回はなぜか攻撃的で排他的にみえてしまって残念です...(本作は個人的には粗をかんじつつfavoriteだったからかなぁ
でも歯に衣着せぬ講評スタイルは好きで今後も続けてほしいので悩ましい😂
そういう事もありますね💦
竹内さんがこの映画の監督でなくて本当に良かった。この映画はタクヤの物語だと思う。タクヤがさくらに語りかけるシーンは必須だったと思う。タクヤが自分からさくらに語りかけるのは初めてだったと思うので、それがタクヤの成長だと思う。
私も 今回見るの途中で やめました。竹内さんが 必死になればなるほど 疲れてきました。
この 映画は 詩的な美しさを 鑑賞する映画だと 思います。
人 それぞれ 見方は 違うと思いますが それほど そこに こだわる映画では ないと思います。
エンディングは 若い人の感性だと思いますし 若い監督の出現に期待しました。
うーん、この映画で語るべきポイントが、自分が感じていることとまったく違うような気がしました。じゃあなんだって、上手く言えないですが。私はこれを聞いてもラストはあれでよかったと思いました。最後までがんばって聞こうとおもったけれど、今回のTH-cam途中離脱します。
私も竹内さんの見方に驚きました。
まあ、そういう事もありますね。
映画素人の私は「えー?これで終わり?」と思ってしまいました。
エンディングを見て、吃音の話だから仕方ないのかな?と思い。
皆さまの感想を聞いて、ようやく分かりましたが。。。
竹内さんのおっしゃるとおり、
私も脚本に満足感が無かったんだと思います😓
吃音の話だとはいえ、
普通に話せる大人達の会話がソレ?と思ってしまいました😓
あと、昨日TOHOシネマズシャンテで観ましたが、スクリーンが小さくて、
映像の綺麗さがあまり伝わってこなかったのもあると思います💦
映画界では期待の星の監督なのかもしれませんが、一般客の私としては2000円の満足感は得られなかったです😓
コメントありがとうございます!
おっしゃることわかります。
人それぞれですからご自身のスタンスでご覧になれば良いと思います!
9/13山形フォーラムで「ぼくのお日さま」を観てきました。
途中までの心の中が優しく暖かくふわふわとする感じがとても気持ちよくとてもいい映画でした。タクヤとさくらと荒川の心の移り変わりがとても気持ちよく描かれていて、湖での3人の練習めいた絡みはお日様の淡い光も相まってとても素敵なシーンになっていました。タクヤはさくらに淡い恋心を抱き、さくらは荒川に淡い恋心を抱いていて、そのことでこういう別れがやってきたのかと思います。さくらは荒川が同性愛者だということを知り心をかき乱されて「気持ち悪い」と言ってしまったのでしょう。最後タクヤとさくらが会ったことでこの後3人はどんな人生を歩いていくのでしょう。もしかしてアイスダンスをまたやってくれないかなあなんて思いました。最後のハンバートハンバートの「ぼくのお日さま」がこの映画を噛み締めるように歌われていてとても素晴らしい鑑賞後感でした。
ここにこの動画自体に否定的な感想を送る人ほど、自分の価値観を押し付けている気がする。解釈はそれぞれでいいじゃないか。思う分には。それが表現の芳醇さだと思う。
コメントありがとうございます!
おっしゃる通り映画の感想は人それぞれですね。
時々思うんですが、説明がないイコールプロットホールだと誤解しているようです。映画が描く現実で納得できないのはプロットホールです。そういうところについての指摘が長くなると正直疲れます。そして、今回ちゃんと見てたら大体の指摘は映像などで説明されていたってわかります。 たまに監督や制作スタッフを過小評価しているような気がします。あえて説明していない場合も多いと思います。
酒匂さん、竹内さんの見解に引かずによく頑張って反論してくれました。自分もあのラストが好きです。吃音のたくやが言葉を発しようとするにはそれなりの覚悟がいるでしょうし、あそこで発せられる言葉は思いのこもったものだろうなと想像すると身もだえします。(劇中、たくやとさくらが交わした言葉って「通しでやってみる?」「食べる?」くらいしかなかったような記憶です。)まあ、二人が今後付き合うなんという妄想はまったくしませんでしたが、もう一回ペアでスケートをする未来があるといいなあと思いました。
応援ありがとうございます!
映画の感想は人それぞれなのに正解はひとつだと自分の価値観を押し付ける風潮がちょっと怖いです💦
竹内さんの主張が気になったので鑑賞予定じゃなかったけど、さっき観てきました!
うーん、なんかずっとインスタの美しい写真をめくってるようで、薄汚れた心を持つ私には眩しすぎました💦
私の父親が吃音なのでどうしてもお芝居にしか見えなくて集中出来ませんでした。。父は一度どもると「あー」とか「うー」しか言えなくなるし、ひどいと空気の「ひゅー」みたいな音しか出なくなるので。。私も竹内さんの言う「監督の頭の中で考えたストーリー」がしっくりきます。でも90分でさらっと美しい映像体験が出来たのは良かったです❤ ラストは特に、、あれでいいような気がしますが。
同じ映画なのにいろんな見方があって面白いです!忖度なしに語る竹内さん、これからも応援します❣️
応援ありがとうございます!
ラストは吃音の子が勇気を出してしゃべったところでエンディングソングの歌詞に繋がるので、これで良かったのだと思います
監督はリトルダンサーをやりたいとのことでホッケーとフィギアスケートが同じリングで練習しているシーンや、先生のボルボが似ていると感じました
私はこのラストしか無いと思います。
この映画、アングルからテンポも含めて始めから終わりまで1本の線で繋がっているため、途中で展開を変える選択は難しいと思います。
むしろ、ラストからこの映画を着想したのではないか、と思っています。
好みの問題はあると思いますが、このラストは私にとっては必然でした。
監督がもしも50歳を過ぎてこの映画を見直したら違う演出を考えるかもしれませんが、この若さこそがこの監督の個性だと思います。
『ぼくのお日さま』は、公開初日に鑑賞し、映画というより、美しい作品が続々と鑑賞できた写真展のような印象が強く。
そのため、映画としての印象、余韻は、意外にも淡いものに。で、本動画を視聴し、その解釈、評価が予想以上に分かれる作品なんだ、という見方を僕は。
で、今観終えたばかりの『石がある』の方が、『ぼくのお日さま』より、僕のお気に入りかなぁ✨
さくらが先生とあのまま別れて終わるのは残念だけれど、ラストでさくらとたくやが話しをするのは2人の成長を感じて良かったなぁ。
竹内さんは否定する時、反対の時、圧が強いですねぇ。
ここのコメントを見ていると、私は半分も理解できていないと思いました。(セリフを聞き落しているせいかもしれませんが。)
まだまだ未熟者です。
映画自体は素晴らしいと思いました。
映画は人それぞれですからご自身のペースでいいのではないでしょうか。
@@cinemasalon 様
ありがとうございます!
でも同じ見るのであれば
「良く分からない」で通りすぎるのではなく
「こういうことか!」と気付く方が楽しいですし料金を払った甲斐がありますので・・・(笑)
哀愁のあるラストはあのキャスト2人の年代的に選べないのではないかなあ。監督はホワイトな善い人なんでしょうしね。
裏設定はたしかにいろいろあるはずなので聞いてみたいですね。ファンタジックで愛がある本編の画の作りが素敵でした。成長した2人の新しい物語も見たいですね。
あのエンディングがトリッキー?
ラストシーンは、少年が両手でかかえている「かばん」に注目。あれは何が入っているか。どうしたって、スケート靴。
少女はスケート場から帰ってくる。少年はスケート場へ向かっている。
それがポイント。
一番最後のシーンで少年がスケート靴をもっていることを見落としてませんか?
少年はフィギュアスケートを目指している。(だから、そこで少女も救われる)
すばらしく美しい場面なのに、まったく逆にとらえていると思います。
少女はスケート場から帰ってくる。少年はスケート場へ向かっている。少年は再びスケート(フィギュア・スケート)を始める気持ちになったのだ。そして、初めてその気持ちとなったときと同じように少女に出会ったのだ。少年は少女を、少年が初めて少女を見たときの目で見ている。そして、そこで「初めてのことば」を交わすのだ。これ以上に美しいハッピーエンドはないです。
本動画はなかなか否寄りの賛否両論ですね😅
まあただ、結論を1つに集約しようというストーリでなく、
主役三者三様の視点があるというところに茫洋さがあるのかなと。
竹内Pのさくら視点というのも、1つの考え方であり、
たくや、荒川視点を推す声があるのも分かります。
自分の鑑賞感としては、本作が歌にインスパイアされたことを踏まえると、
表のテーマにたくやを掲げつつ、荒川を裏に潜ませたのかと感じました。
吃音でうまく意思伝達できないというディスコミュニケーションを、
荒川が抱く、何かしらの負い目と重ね合わせたのかな、と。
キャッチボールのシーンは、たくやのほうがむしろ雄弁でしたし。
ただ…同性愛への嫌悪という役割をさくらに負わせたのは少し悲しいかな。
小児性愛と錯視したとしても、挽回の余地がありませんでしたし。
そういう点では、竹内Pのラストに対するモヤモヤも理解できます。
ただそういう部分はさておき、見せ方はいっぱしのセンスを感じました。
たしか終盤でさくらが滑りたくやが鼻歌を歌ってたのは「月の光」で、
さくらの成長、たくやの成長、それぞれを言葉に頼らず見せていました。
他も構図の決め方など、土地の雰囲気を感じられるのが良かったです😊
竹内さんはサクラの物語としてご覧になられたようですが、やはりこれはタクヤの物語。
だから映画のオープニングショットとラストカットがタクヤなのだと。そしてタクヤにとっての「ぼくのお日さま」それがサクラであり、荒川との3人の多幸感溢れる束の間の時間なのだと見ました。
そして一度喪われたお日さまをタクヤが取り戻す期待感を余韻とする、あのラストカットが正解だと思います。
傑作というより、なんとなく大切に鑑賞の余韻を胸にしまっておきたい、そんな愛おしい作品で、素晴らしい作品と思いました。
途中の竹内さんの圧が、聞いていて不快な気持ちになり、脱落。
主役の男の子が、後半のホッケーシーンで、集合の際にスケーティングが上達したことが分かるシーンに泣けました😊
フィギュアスケートを描いた映画がなかったということが監督がこの映画を作った一番の理由だったとか スケートとその練習の映像をひたすら撮る、そこに存在意義があるのかな?と 少年が吃音という設定もアクションが言葉より雄弁ということかと そして口から出てしまった「気持ち悪い」の一言がすべてをぶちこわすのも一応整合性は取れてるように思いました
竹内さんは最近、ダメ出しおじさんに見えてきました。
タクヤの物語りだと思っています。一見バラバラになったような3人が、荒川の努力が無駄になったわけでなく、まだ実を結ぶ可能性があることを示しているのだなと思いました。タクヤが中学生になって徐々に成長していることも示していると思います。
いつも楽しく観ています。
今回はネタバレ前で離脱しました。この作品の印象が聞き続けると壊れる気がしたので。
わたしはエンディングはあれで良い派です。
本当に映画は観る人それぞれですね。
ひなたぼっこしながら、ビターチョコレート食べてる…みたいな鑑賞後感でした。ラストは私もコレで良かったと感じました。好みなので、竹内さんのご意見は拝聴いたしますが…。タクヤ側から話しかけるーというのでタクヤがひとつ階段登ったと思いました。そして、数年後に荒川と再会してほしい!その時さくらの隣りにはタクヤに居てほしいなぁと思いました!
個人的には荒川と五十嵐の結末に納得いかなくて…モヤモヤしました。
タクヤの友達のコウセイくんがとても良い子でホッとする存在でした。
ワンコがお外…っていうのは私も大丈夫なの?北海道ではそれがデフォルト?と気になりました。
モヤった部分もあったけれど、エンドロールの曲ですべて解消!でした。
ちなみにタクヤ役の越山敬達くんは天狗の台所のオンちゃんです。シーズン1から出てます。主役です♪
私はタクヤの物語が軸と思って観てたので、ラストはこれでよかったと思います。竹内さん案はちょっとビターで悲しいかなぁと。前向きに終わるのが主題歌のイメージにもあってるかなぁと思います。
犬の外飼いは…「南極物語」で、南極屋外でもタロとジロが生き残ってたので、大丈夫じゃないのかな?
大丈夫だとは思うのですが、なんか可哀想で😢
さくらのお母様が荒川にもう近づかないでほしい、と談判するシーンが意外にいいなと思いました。
お母様が少し暗めで映されているのが、何か効果的でいいなと思いました。
監督は若いけど、若ガキとは言わないでほしい😢
とっても大好きな作品でした。
これは竹内語ですね。
あまりお気になさらず。
脚本の話ですので「若書き」かと。
タクヤとさくらからすれば、荒川は東京から来て、ひと冬を共に過ごして去っていった存在ですよね。二人が成長したとき、「そういえば荒川先生いたね~」なんて語り合うのですかね。フィルムの質感からして、成長したタクヤの美しい思い出を観ているようでもありました。
観てきました!
主役の男の子が素晴らしかったです。池松壮亮さんとの関係性、憧れの女の子との関係性、友だちの男の子とのやり取り、絵になりますね😊最後にあそこで切るところに余韻が残りましたね。劇中かかる洋楽も雰囲気でした🎶
元々フィギュアスケートファンなので、完全にコーチ視点メインで観てしまいました。(なので、竹内さんのさくら主役視点は考えもしませんでした😅)
作中の年代が90年代くらいかな?と思いながら観てましたが、後から監督インタビューで2001年くらいと読んで納得。
なんとなく高橋大輔・織田信成さんと同年代の少年の話のような気がしてましたが、ビンゴでした。
まだフィギュアが「女のスポーツ」と言われて、アイスダンスを男がやるなんてもってのほかの頃。
色々な多様性にも社会の理解が追いついてないし、アスリートのセカンドキャリア問題もまだ俎上にものってない。
そんな閉塞感がうまく表れていたように思います。
(ホッケーやるつもりがフィギュア…というのも高橋大輔さんと似たエピソードです)
物語としては、三人それぞれが悪気はなくとも結果として他者を自己実現のツールとし て利用してしまったことから生じる軋轢…と読みました。
特にコーチはたくみのまっすぐな初恋とスケートの喜びを、自分が失ったものの穴埋めに使ってしまったところがあり、結果としてさくらが「コーチの気持ちが自分に向いてない」とうっすら感じていたんだろうな…と思いました。
とはいえ、似たような経験は誰もが多少はあるでしょうし、だからこそほろ苦い余韻がたなびきました😌
私も沁みました。
そして、端的に言うと、この映画は竹内さんの映画じゃないってことですね。私はラストもこれでいいと思います。私も若いってことかな。
それはそうと、私はもう随分とずれてしまったので、横断歩道が映れば、横から車が出てきて轢かれるんじゃないかとか、親友なほど、最後には裏切られるんじゃないかとかハラハラしてしまうようになってしまいました。なので、サクラとタクヤが練習してるのを見ていたコウセイが拍手した時に泣いてしまいました。
いい映画でした。
もうすっかり忘れていたあの頃、親に泣きついて無理して買ってもらったホッケーのスケート靴をほんの1,2シーズン遊んだだけで止めてしまったダメな小学生の自分を思い出して、とにかく郷愁やら悔恨やら懺悔やらで最初からずっとウルウルしてました😭。
あの、道の両脇に雪の積もった晴れた日の何でもない風景、スケート場でのカップヌードル、無言でも通じ合えるキャッチボール・・・時代も場所もハッキリしてなかったけど南樽市場が出て来て小樽とわかるし、アイスダンスのバッジテスト(?)会場はスケートだけでなく日米対抗ローラーゲームも見に行った真駒内アイスアリーナ!まさにあの頃の自分の育った環境😅。
のみならず、荒川の部屋にさりげなく置かれてたユニオンジャックの小物入れ(?)、そして最もハッピーなシーン、あの凍った湖での練習に流れる音楽が大好きなゾンビーズ!と、もう俺に向けた映画か?と、ことごとく自分の弱点を突かれた気分でした😅(ちなみにカーステでかかったヴェルベットアンダーグラウンド風の曲なんだっけなぁ?と思ったらハンバートハンバートの佐藤良成のオリジナルって事でした。あれもGood)。
ところでそんなハッピーな時間を過ごしていた三人、三人それぞれにそれぞれの愛が芽生え安定した状態が保たれてる、と思ったら・・・。さくらがある場面を見てしまった事でそれが次第に崩れて行く。ホントにただ単に受け入れ難かったのか?それとも子供ゆえの嫉妬の発露だったのか?大人の男同士のじゃれ合いも見る側によって変わるモンですね。あれ、タクヤが目撃したんだったら何の影響もなかっただろうに😅。
いずれにせよ、事態は良くない方に転がり始める(にしてもドタキャンはないよなとは思うけど)。結果、諦めと言う選択をした荒川と五十嵐。
そんな残酷な結果をもたらしたあの捨て台詞、果たしてさくらの心に後悔の念をもたらしたんだろうか?
ラストシーン、彼女の表情にその兆しは見えなかった。
でも、一瞬「第三の男」パターンを想像してしまった自分にとって、あのラストは何であれ救いになった感じがした。
何か今の世界に足りないものが少しだけ垣間見えた気がしました。
道産子より。
ちなみに時代感は最後までハッキリしなかったけど、昭和の時代はみんな犬小屋でした。きっと彼らは今の犬を見て草葉の陰から「軟弱な」と思ってる事でしょう😅。
VOLVOは北欧車ですからまったく問題ないですよ。さすがにイタ車はかなり苦労してたヤツいたけど🤣
私も荒川がカセットで曲を流した時、「え?ルー・リード? こんな曲あったっけ?」と思いました佐藤さんのオリジナルの曲(A Friend Of Mine)だったんですね
@@tsutomukusaka6558
もろ”I’m waiting for the man”と”Sunday Morning”でしたけどね😅。たぶん権利関係上手く行かなかったのか、わかる人にはわかる系の苦労に思えて、大変よくできました、でした😆。
私も滲みました めちゃ良かったです3人の心の動きが感じ取れて 少年と少女のほろ苦い青春の思い出みたいな ほんと良かったです
あのエンディングを、頑なに「脚本の詰めがあまい」っていう解釈をしている。節穴だなー。がっかりすぎる笑
雪が降り始めて、雪が溶けるまでの話なので、私はラストはあれでよかったかと思います。4人の誰かをみる視線が印象的な映画でした。ドビュッシーの月の光が本当に切なくささりました。
これは憶測になるけどお客がいなくなったのはさくらの母親が他の人に変な悪評を広めた可能性もあるし、ありえるとは思いますけどね。実際に劇場にでてくるさくらの母親ならやりそうなので五十嵐のセリフはそこまで違和感を感じませんでした。
後、竹内さんの反対すればするほどめんどくさいおっさん臭が強すぎる。
先日観ました。予告編のイメージと本編とは違ってうーーんとなりましたね。
ほのぼのとしたイメージが有りましたがあの展開になるとは😑
2時間前後にまとめた映画にそこまで細かい突っ込み入れて、劇場の大きなスクリーンで観るアタリハズレのある映画を楽しめるのですか?
とても良い映画でした、Tさんと同じで沁み渡りました。後悔も含め三人のこれからを想像したくなるような余白のある浸れる作品で好きです。タクヤとさくらのアイスダンスが美しすぎたー✨
シネヌーヴォの前で、🎬️『石がある』の上映開始までの時間に、10分間だけ視聴を。続きは、🏠️🚗💨しながら、先ずは音声を聴くことに➰👋😃
お疲れ様です。酒匂さん、シネプレでしたよ~佳作だと思いました。 光の演出が心に残りました。優しさで包まれている作品だけれど、あの頃だからこその心の残酷さもあったり。。。 さくらちゃんがずっと引きずる事は無いと思います。むしろ成長していく度に理解していくと思います。ラスト、自分はめちゃ余韻たなびきましたよ。吃音が生きてくる素敵なラスト!会場に来なかったさくらちゃんとタクヤを会わせなきゃダメなんですよ!前に進めないから!そしてエンドロール、めちゃほっこり可愛かったです!必見です!
私も鑑賞後にモヤモヤが残りました。竹内さんの解釈を聞いて納得しましたが終わり方は今のままので良い気がします。酒匂さんの付き合うエンディングはないですねw。
良い映画でした。
ラストはあれでいいと思います。
これはタクヤの映画ですから。
この監督、Netflix 『舞妓さんちのまかないさん』数話の監督や、NHK『ユーミンストリートズ』の『春よ、来い』の演出などを手がけていたらしいですね。今後も要注目です。
とても良かったです
切ないですけど
時代なのか 年齢なのか
美しい画面 センシティブな映画でしたね😊
監督の主張をほとんど抑えて、あとは余白で観客の想像力に委ねるという作りだと思いますが、もうちょっと語ってくれないと置いてけぼり感を感じました。
私は竹内さんの意見と同じです。
竹内さんと同意見で、教える生徒が誰もいなくなった~的なセリフは悪手だと思いました。あのセリフのせいで「え!?教えてたの一人だけだったの!?」とか「どうやって生活したの?貯金切り崩してたのか?月謝がめちゃくちゃ高かったのか?」とか本筋とは関係ないところに思考が行ってしまいました。
たけうちさんと同じ感想です。終盤までが良かっただけに、もうちょっと掘り下げられてたら、カンヌでももっと評価されてたんじゃないかなと思いました。
ほんとに世界観が素晴らしかっただけに、もっったぃなぃっっ。
個人的には前作『僕はイエス様が嫌い』のほうが好きかもしれません。