「東京物語」1953年/日本映画の最高峰/小津安二郎の世界/ネタバレあり/「シネマプロムナード 」 クラシック映画チャンネル
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- เผยแพร่เมื่อ 10 ก.พ. 2025
- <参考・引用図書、サイト >
「小津安二郎集成」 キネマ旬報社 1989
佐藤忠男「小津安二郎の芸術」 朝日新聞社 朝日選書127 1978
「小津安二郎を読む」 フィルムアート社 1982
中野翠「小津ごのみ」 ちくま文庫 2011
伊藤弘了「教養としての映画」PHP研究所 2021
「現代に甦る小津安二郎の世界」 • 現代に甦る小津安二郎の世界【有馬稲子、岡田茉...
「public domain channel」 • 東京物語(1953)
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初めて東京物語見た時、涙が、止まりませんでした、永遠に語り継がれるべき名作です。
その通りだと思います。コメントありがとうございました。
そうかな?
夏目漱石は、人間関係の理想は親子でも夫婦でも恋人でも友情なく自己の内なる師弟関係と表現してましたよ
紀子三部作どれもいい映画です。この映画の元ネタというかシノプシスになったのが、レオ・マッケリーの「明日は来らず」ですが、もとよりも
いい映画になっていますね「東京物語」は
私は、初めて尾道市長江一丁目の「タイル小路」を訪問した時、目の前に「福善寺」があることに驚きました。
私が「タイル小路」を訪問した理由は、原田知世さんが「時をかける少女」で演じた芳山和子の通学路を見てみたかったからです。
大坂志郎さんが演じた平山敬三が母の突然の死を嘆いた「福善寺の縁側」を意図せずに見ることになったのですから、たいへん新鮮で大きな驚きでした。
オープニングシーンで平山京子は「行って参ります」を連続3回家族に告げた上、同市東久保町の市立筒湯小学校へ出勤しています。
その時、尾美としのりさんが「時をかける少女」で演じた堀川悟朗がどうして3回も「俺、ションベンに行って来る」と告げたのかようやく納得できました。
葬儀の後の食事の席を外して小便に行ったのは平山周吉でしたから、大林監督は、「香川京子さんのセリフ」と「笠智衆さんの演技」を足し合わせてパロディー化していたのです。
芳山和子が悟朗にハンカチを返すために出かける場面で「芳山和子の家」の庭に「物干し竿」と「洗濯物」が映り込むシーンについて、私は、初めて映画を見た時からずっと変だなと思っていたのです。
「東京物語」は今の時代と何ら変わらない家族の姿を表していますね!
ご感想ありがとうございました。世紀の名画ですよね。
1982年4月17日劇場公開の映画「転校生」のラストシーン、小林聡美さんが演じた斉藤一美がトラックを追って海岸通りを走る場面のロケ地を訪問してみてください。
驚きますよ。
だって、一美は、映画「東京物語」のオープニングシーンのロケ地となった「栗吉材木店の倉庫」の前から駆け出して、つい先ほどトラックが出発したはずの「斉藤一夫の家」へ向かって走っていたのですから。
それは、大林宣彦監督とそのスタッフによって仕込まれていたことであり、「時間と空間の無限ループ」を表すものだったのです。
尾美としのりさんが演じた斉藤一夫の背後に「浄土寺山」が映り込み、また、小林聡美さんが演じた斉藤一美の背後に「仁井時計店の看板」が映り込んでいることは偶然などではありません。
ファーストシーンとラストシーンの高橋とよ演ずる隣人が覗き込むところからの一人の人物だけ欠けている以外まったく
同じ構図で再度繰り返される輪廻や無常を彷彿とさせるシーンは印象的ですね。その後の笠智衆の人生を悟り達観したかのような深いため息。原節子が形見で貰った懐中時計に呼応するような時を刻むポンポン船の音。そして一人の人物の死と物語の終焉を告げる汽笛。何度見ても鳥肌が立つような素晴らしいラストシーンです。
コメントありがとうございました。本当に印象的なシーンですね。
そのシーンのロケ地は、映画「転校生」と「ふたり」のロケ地でもあります。
特に、1991年劇場公開の映画「ふたり」で、神永青年が学校帰りの実加と真子に出会う場面においては、三人の背後に「平山周吉の家」とされた戸田邸が中央に映り込んでいます。
しかも、その2階バルコニーには「大量の洗濯物」が「物干し竿」に吊り下げられています。
これは、原節子さんが演じた平山紀子が東京へ帰る日の朝、出勤前の平山京子と語り合う場面のオマージュです。
しかも、「ふたり」のラストシーンで石田ひかりさんが演じた実加が尾道市東久保町の坂道の坂下から現れた地点は、小津安二郎監督が1953年8月に同市立筒湯小学校の旧木造校舎を撮影するためカメラをセットしたポジションそのものです。
中嶋朋子さんの「顔」でなく、その「お尻」がスクリーンに映し出された時、あれっ?って思いませんでしたか。
千津子を演じた中嶋朋子さんの背後にあったもの、それが「筒湯小学校」です。
「輪廻」という日本語には宗教的な考えが含まれているので、私は「無限ループ」という日本語を用います。
映画「転校生」のラストシーンで、トラックを追い駆ける斉藤一美を演じた小林聡美さんは、映画「東京物語」のオープニングシーンのロケ地となった「栗吉材木店の倉庫」の前から駆け出して、つい先ほどトラックが出発したはずの「斉藤一夫の家」へ向かって走っていたのです。
それは、大林宣彦監督とそのスタッフによって仕込まれていたことであり、「時間と空間の無限ループ」を表すものだったのです。
そのロケ地を訪問してみてください、本当に驚きますから。
ちなみに、私は初めて尾道市長江一丁目の「タイル小路」を訪問した時、そのわずか10メートル先に「福善寺」があることを知った時、思わず声をあげて驚いてしまいました。
「福善寺」は、1953年7月に平山とみの葬儀が執り行われた寺院であり、「タイル小路」は、1983年4月に芳山和子が元気に高校へ通った道です。
両者は、なんと隣り合う敷地だったのです。
関係ないかもしれないが定年後郵便局でアルバイトをした。写真付き年賀状を仕分けしていた時みんな笑って旅行先の思い出や一家団欒の写真を多く載せていた。その時思ったのは小津映画の思い。その一瞬は儚く消え去って行く悲しさを思った。
様々なエピソードを呼び覚ます映画ですね。コメントいただき、ありがとうございました。
個人的に大変秀逸な考察動画です。
何度も見返してこの映画の魅力を噛み締めています。
お言葉ありがとうございました。今後ともよろしくお願いします。
「東京物語」は映画館で観たことはありませんが、70歳を超えた今、この映画の親子関係
や年を重ねた夫婦間の思いが身に染みてよくわかります。キャストとして笠智衆、東山千恵子、杉村春子、中村伸郎さんが好演だと思います。
コメントいただき、ありがとうございました。
香川京子さんのことも忘れないでくださいね。
香川京子さんが演じた平山京子は、勤務先である尾道市立筒湯小学校へ出勤する前に必ず「行って参ります」と家族に告げるのですが、そのセリフは、1983年劇場公開の映画「時をかける少女」で大林宣彦監督によってパロディー化された上で模倣されています。
尾美としのりさんが演じた堀川悟朗が映画の中で不自然に3回も「俺、ションベンに行って来る」と言い放つのは、「(3場面での)香川京子さんのセリフ」と「笠智衆さんの演技」の複合系のオマージュだったのです。
また、1991年劇場公開の映画「ふたり」のラスシーンで、実加を演じた石田ひかりさんが坂下から現れた場面のロケ地は、小津安二郎監督が「筒湯小学校の木造校舎」を撮影するためカメラをセットしたポジションそのものです。
その現場は尾道市東久保町です。
現在、尾道市長江一丁目の「タイル小路」の敷地内には「私有地です」の看板があって部外者が立ち入ることはできません。
しかし、私が初めて「タイル小路」を訪問した時は本当に驚きました。
だって、その10メートル先には「福善寺」があり、そこから「福善寺の境内墓地」までわずか徒歩20歩の距離だったからです。
1953年7月に亡くなった母の突然死を嘆いた平山敬三に紀子が声を掛けた「福善寺」と、1983年4月に芳山和子が元気に高校へ通った「タイル小路」とは、なななんと隣り合う敷地だったのです。
もう三度観ていますが、2回は外国での上映でした。いずれも監督へのオマージュ上映でした。
作品を取り巻く様々なエピソード紹介と卓越な解説をありがとうございました。お陰様で再度観たいと思いました。
映画館で3度みられたのですね。しかも外国とは。貴重な体験ですね。観客はどんな反応だったのか気になります。
あらすじ見てるだけで泣けてくるシーンがいっぱいでした
終盤の紀子の「ホント、いやなことばっかり」のシーンも入れてほしかったです
コメントいただき、ありがとうございました。
小津安二郎さん映画チョイ見です御免なさい。「二羽の鳥」の静寂整頓格好のポーズ!
滑稽諧謔を上品に、格調さえ佇む形骸化。秀逸にして是非に及ばずの世界は人身の魂にふれた!
ナンチャッテ御免なさい(92歳ポンコツ爺)シンプルの最骨頂で美しく綺麗ですホントに。
人間について色々と教えて貰った映画。本当に色々と思うことが尽きることなくどんどん出てくるストーリー。
コメントいただき、ありがとうございました。
いっも「楽しみ」にしています😮🎉「一人息子の」「飯田カアやんの「頭下げ」シーン」と「重なります😅😢」
昨晩、「12回」目で観ました「何度観ても」「小津ワールド」ですね😅😢
「世界一」の「名作」だけに「色いろ「考えさせられる」小津監督の「無常感「ものの「あはれ」に「涙」です「石佛「2体」のさりげない「描写」は、将に「世界の「名作」でした🎉❤
麦秋は戦死した人たちへの鎮魂歌であり、東京物語は遺族がまた新しい人生に勇気を持って踏み出して欲しいという、小津監督の応援歌だと思います。
近い親戚より遠い他人、嫁は義父母に仕えるべきなんていっちゃいませんよ。この系譜は戦災孤児の支援を訴えた、長屋紳士録から続くものです。
11:29
京子先生の背後に映り込んでいる暦を見てください。
それは「1953年7月の暦」ですが、その「12日」は何曜日でしょうか。
映画「転校生」で小林聡美さんが演じた斉藤一美の15歳の誕生日はいつだったでしょうか。
そうです、「1953年7月の暦」と「1981年7月の暦」は曜日配列が同一だったのです。
信じられないことですが、大林宣彦監督は、こんなに小さなことも見逃さなかったのです。
大林監督のオマージュだったのですね。
小津映画独特の映画手法は変わりませんが、紀子三部作など全盛期の作品の中でもこの映画は特に「移動」のダイナミズムがあります。いかにも日本の風景美が凝縮されたような海と寺院が織りなす尾道の光景から始まって、東京の長男の家、長女宅、熱海、紀子のアパート、大阪、そして最後はまた汽車、バス、船舶が行き交う瀬戸内の尾道へと移り変わりゆく。このテンポよい移動とが外国人の専門家の目に無意識にある種の変化の妙とエキゾチズムを抱かせ、これが高い評価の一助になっているのではないかと思っています。また、これとは全く逆の設定であり、一漁村という狭い空間だけで展開される「浮草」が国際的に評価が高いのは、宮川一夫と小津のぶつかり合いが生み出す映像美と小津映画の常連とは全く違う京マチ子、中村雁治郎の「血のたぎった」演技に負うところが大きいと思います。
詳細なコメントいただき、ありがとうございました。
血の継った子供より、子供の嫁が心が通った様が、この時代を表すようで、世情も判るし見ておくべき一つですね!
コメントいただきありがとうございました。
この名作は、戦争とは、何の関わりもない。下手な評論に惑わされてはいけない。人生の不条理を、さりげなく描いている、それに尽きる。
戦勝国の評論家達が、世界№1、と評価する所以。
10:42
紀子と京子の二人が語り合う場面の背後に「物干し竿」と「洗濯物」が映り込んでいますよね。
理由がよくわからないのですが、この場面だけでなく「物干し竿」と「洗濯物」は東京下町の場面も含めて頻繁に現れます。
実は1983年劇場公開の映画「時をかける少女」の中にこの場面のオマージュがあります、気づきましたか。
それは、原田知世さんが演じた芳山和子が前日に借りたハンカチを堀川悟朗へ返しに行く場面です。
入江若葉さんが演じた母が「寝てた方がいいんじゃないの?」と和子に告げる場面ですから確認してみてください。
また、1991年劇場公開の映画「ふたり」の中にもオマージュがあります。
それは、神永青年が学校帰りの実加と真子に会い、万里子がやったことを謝罪する場面です。
三人の背後に映り込む「平山周吉の家」とされた尾道市東久保町の戸田邸2階バルコニーに注目してください。
素晴らしい解説その他、有り難いものです、🍃
コメントいただき、ありがとうございました。
志げたちに精一杯世話になってるのに文句垂れてる平山に全く感情移入できなかった…
コメントいただき、ありがとうございました。
一番の驚きは撮影時、笠智衆が49歳な事
「麦秋」では原節子の兄役、「晩春」では父親役ですからね。
原田知世さんは65歳になった時、1983年7月16日劇場公開の映画「時をかける少女」の続編映画(又は事実上の続編風映画)に出演してくださるはずです。
人類の映画史において、半世紀の時間を隔てた続編映画が公開された例は過去に一度もありません。
その時、知世さんは、「猿の惑星」の主役を演じたチャールトン・ヘストンさんのことを超えるのです。
映画「時をかける少女」で尾美としのりさんが演じた堀川悟朗は、どうして3回も「俺、ションベンに行って来る」と不自然に言ったのでしょうか。
家族との食事の席を外し、用を足したのは笠智衆さんが演じた平山周吉でしたが、その回数は1度限りであって、しかも周吉は無言で席を立ったのです。
では、同じセリフを繰り返し言ったのはいったい誰なのでしょうか。
信じられないかもしれませんが、それは香川京子さんが演じた平山京子でした。
京子は、勤務先である尾道市立筒湯小学校へ出勤するたびに家族に向かって「行って参ります」と告げていたのです。
「行って参ります」の場面は、合計で3度あるので確認してみてください。
そのうち1度目の場面では、京子は3回連続で「行って参ります」と両親に告げています。
1953年8月の尾道ロケに参加したのは、笠智衆さん、香川京子さん、原節子さんの三人です。
ということは、合理的に考えると原節子さん登場場面のオマージュも「時かけ少女」の中のどこかに隠されているはずです。
引用の選択が絶妙です。
評価いただき、ありがとうございます。これでまたしばらく頑張れそうです。
伝説の女優 原節子さんは
出川哲朗の母親側の親戚です。
コメントいただき、ありがとうございました
あー
犭に交の漢字
狡い が読めなかった😅
あちこち調べてやっと分かったよ。
故 坂本龍一氏が「東京物語」はいい映画なんだけど音楽がよくないと言ってました。私もそのように感じました。小津監督の映画その他の作品もいい映画なんだけど音楽があまりよくないように思います。
坂本龍一氏ならどんな音楽をつけるのでしょうね。聞いてみたい気がします。
東京物語はイマイチですね。わたしは伊藤宣ニさんの、風の中の雌鶏、麦秋が好きですし、早春もいいなと思う。しかし、東京暮色は実験的な曲かもしれませんが、いいとは思いません。
坂本龍一さんは、中国的なややオーバーな曲、ガムランを思わせる曲で成功してますけど、小津映画を担当したらどうなりますかね。小津監督の世界は、いわば、もののあはれですから、ストーリーにしたがうしかない。物質的なものが何も無い、いわば虚空の中に人は無常を感じるから、本来音はつけようが無いと思います。
恐れ入ります。
この動画は再投稿されたものですか?
5月頃に東京物語の動画を投稿されませんでしたか?
申し訳ありません。版権の関係で再アップさせていただいております。
わたしは小津人が言うほどよくはないと思います。技法のうちクローズアップの繰り返しの対話シーンは非常に不自然だし、撮影現場を考えるとじっさいに対話するのは不可能。交互にカメラに向かってセリフを言うということ。自然な流れを作る方が無理で、それは二人の姿をミドルショットでとらえる溝口なんかに明らかに劣っている。脚本の男あるいは父目線、原節子は男目線の理想像、男から見たお人形、なにがあっても常に笑いながらセリフを言うというなかば白痴的な女性。溝口、成瀬を見習ってほしい。構図のみはなかなか面白いと思う。移動撮影を嫌うのも単に好き嫌いのみ。移動撮影で素晴らしいものもたくさんある(溝口〜スコセッシ)。脚本もけっきょく三文小説のようにだれもがうんうんなるほどお涙頂戴である。言ってみればさだまさしの歌。特異で意外ないい話というのはいっさいない。いかにもというものしかない。そろそろ映画好きは小津崇拝から逃れるべきだ。是枝も自作の小津の影響を聞かれて小津よりも成瀬だと言っている。大賛成。
東京物語についていえば徹頭徹尾親の側からの話。子供側からはほんとうになんにもない、その状況があるのみ。
双葉十三郎に関しては、舐め回すようにみたり、一連の違った画面をワンショットで撮ることにより物語が生まれることもあるということ。それを断じて取らないのは別に褒めるほどではない、ただの好き嫌い。
深読みすれば隠された意味があるのはちょっとした監督は誰でもやることだ。映画の基本だ。
しかしすべての映画に戦争が現れるのは従軍後のかれの特徴である。
ご丁寧なコメントをいただきありがとうございました。
わたしもそう思う事が多々あります。シンプルに彼の映画は全体的に面白くないし甘い。山田洋次監督と似ている。(山田洋次は小津の跡を追ってきたけど)紀子は他人だから優しくできるのでは?親子は近い関係だけに遠慮がない。
微に入り細に穿つ小津さんのこだわりも、評論家でない一般大衆の観客にはほとんど認識されないでしょう。。