ドストエフスキーは読まれるけどトルストイは読まれない?|トルストイは永遠です
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- เผยแพร่เมื่อ 9 พ.ย. 2021
- *訂正。動画中にサントヴィクトワール山の画家をゴーギャンと言いましたが正しくはセザンヌでした、すみません。
トルストイは現代ではあまり読まれない、と言われています。
ドストエフスキーは現代でもブームになったりする。
なぜか?
トルストイはもう古いのか?
そんなことをお話しています
トルストイは永遠です
#トルストイとドストエフスキー #アンナカレーニナ #復活 #ナターシャ
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この動画を毎日 1日に何度も何度も繰り返し再生しているほど トルストイが好きで アンナカレーニナはなぜかトルストイの自伝のような気がし、全翻訳版も通読し今では聖書のように日々再読し続けています。 ぜひ トルストイを熱く語る動画を増やしてほしいです。ありがとうございました。
ありがとうございます😊光栄です。そして!
それは凄い!ファンの中のファンですね。
戦争と平和が突出してるので、今後アンナ・カレーニナや、ハジムラートなど、増やして行きたいと思います
私はモスクワ勤務になったのを機に、戦争と平和を、何とか通読した、というレベルです。まだ、消化しきれていないのですが、何とか、あなた様のようなところまで理解を進めたいと思います。
このご時世にモスクワ勤務になったのを機に、戦争と平和全編通読しました。浅読です。正直、しんどかったです。特に前半が読みずらかったです。貴族社会、文化のような不倫、戦争そしてその全ての参加者の詳細な心理などを通して、結局何がトルストイの言わんとしたことなのか、まだ整理できていない状態で、この動画を拝見し、大きなヒントを頂いた気がします。先月は、ボロジノに行き、小説の場面を15km歩きつくし、堪能しました。先週はヤースナヤ・パリャーナに。今月から、罪と罰を読み始めました。読みやすいです。いずれの書も、繰り返し、読んでみようと思います。すでに64才。もうすぐ定年で、時間ができますので。重ねて、動画有り難うございます。興味深かったです。
ありがとうございます。
ヤースナヤポリャーナにボロジノ、うらやましいお話です
ドストエフスキーは神学哲学のテーマを持って書きますが
トルストイはただホメロス的叙事詩を意識したのだと考えています。
つまり人間が生きていて色々やって死んでいく、寄せ返す波のようにただそれが繰り返されていく そこには進歩も正邪もなく、ただ海のように繰り返し 生命が在る、という感じですね。
@@user-no8qk4pf4j ご返信有り難うございます。仏軍との戦いの際に、Andrey伯爵でしたでしょうか、高揚しての戦いの中で、怯え切った敵の若者をなぜ殺すのか?と冷め切って自問する心理描写があったように記憶しており、印象に残っています。なるほど、コメントいただいた“つまり、人間が・・・・ただ海のように繰り返し、生命がある“ですか。今月末からサラリーマン生活最後の長期休暇。シベリア鉄道モスクワーウラジオストク間、乗ってみます。その有り余る時間のある旅の中で、戦争と平和、罪と罰を、今回頂いたコメントを反芻しながら、ゆっくり読み返してみたいと思います。重ねて、有り難うございます。
@@user-fz7xh4he9j シベリア鉄道ですね!素晴らしい旅をお祈りします!
この動画を視返し、視返しです。もし、どこかの大学か、それ以外の何かで講座をお持ちでしたら教えてください。来年5月帰国・定年後、文学の学び直しをしたいと思います。(入試に受かるかどうかは分かりませんが)。もし、それがあれば、定年後に光が見えます。
膨大な知識の中から、非常に凝縮感があり、かつ、分かりやすく、興味を惹く話され方をされておられ、敬服しています。このレベルは、素人ができるものではなさそうに思います。
学生時代に日本の本は純文学からさまざま読み漁りましたが、外国文学は初めてが、トルストイで、打ちのめされました。
ありがとうございます いえいえい私は素人ですよ(笑)
しかしながら光栄のいたりでございます
講座などはありませんので この文学チャンネルでライブを月2回くらいやるのが講座代わりのようなものでしょうか。
文学的経歴としてプロフィールに書いてるように高樹のぶ子が芥川賞受賞作品を初出し、片山恭一も執筆していた「らんぷ」という文芸誌で10年ほど小説修行したことと 高校の頃から40代まで年に4回パルナシウスの会という詩誌で詩を書いていたことです。
あとは勝手読みです。大学も文学部ですらありません。
たぶん何か見るべきものがあるとすれば 私は気に入った本はあちこち何百回も読み 折に触れて通読の再読をすることです。普通に通読するのは 車で街を走るようなものです。再読は自転車で街を探索するようなものです。あちこちを頻繁に拾い読みし続けることは歩いてくまなく街を体験するようなものです
私は徒歩旅行の体験を話しているんだろうと思います
貴殿の説明に感銘を受けました。文学の感動を考えます。思想でも美学でも倫理でも、まして哲学でもありません。45年前の大学生のとき、ドストエフスキー作品から受けた体の震える震撼は今も忘れられません。UPに感謝。
ありがとうございます。光栄です。文学する、という行為は読者側にも能動的な関係性を求めますね。そこにあるのはとてつもない精神の豊饒さだと思います
イワンイリッチの死という小説を最近読みました。
凄く記憶に残って、たびたび思い出します。ああいう作品はトルストイの作品の中でも、普遍性を持った現在でも通用する作品では無いかと思いました。
あれも死んだことのないトルストイがまるで体験したかのように緻密に細かく書いていきますよね、すごい話でした
いやあ本当に、あの才能大きさと言ったら…感心するしかありません
ドストエフスキー、トルストイ、世界文学解説などでは同列で名前が上がったりするものの、結局日本ではドストエフスキーしか読まれてない風潮に違和感を覚えましたがスッキリしました。いわゆる今風の言い方だとドストエフスキーが纏う深淵を見つめる厨二感が日本で受けているのではと思いました。
ありがとうございます。
おっしゃる通りだと思います。
真にドストエフスキーを味わうにはキリストの神の概念が明瞭でないと無理とも思いますし、雑駁としたドストエフスキーが読み物として面白いということかと思います
でもトルストイ脳ができたらこれほど面白いものはめったにありませんね
はじめまして。
私にとっては、ドストエフスキーもトルストイも同じくらい面白く、
好きな作家です。最近、「アンナ・カレーニナ」を読み返しました。
通読は3回目です。古荘さんのおっしゃる、神は細部に宿るというのが
頷けました。レーヴィンが最初のプロポーズに失敗して農業経営を
一生懸命やる、その農業経営をどうすればいいのかという箇所と、
後半のウロンスキーやレーヴィンがある地方の政治についての箇所が
やや分かりにくいかなと思われましたが、あとは概ね楽しめました。
私は若いころ、鬱やひきこもりに悩み、すがっていたのが文学で、
特にロシア文学でした。若いころはレーヴィンの部分が胸に痛いほど
迫ってきました。今読み返すと、アンナの部分も楽しめました。
息子のセリョージャに強引に会いに行く場面や、ペテルブルクで
オペラを見に行って、上流階級から締め出されるシーンは圧巻でした。
キティとレーヴィンの家庭で、ジャムを作る場面があり、レーヴィンに
昔からつかえている、アガーフィアがシチェルバツキー家の方法で
ジャムを作るのに不満で、いっそのこと失敗してしまえばいいと思う
場面は笑えるなど、数多い印象的なシーンを楽しみました。
いきなりフランス語を話し始めるのはなぜだろうなどいろいろ疑問は
残りますが、これからも、「アンナ・カレーニナ」を読み返したいな
と思いました。ドストエフスキーの「罪と罰」は毎年7月に読み返す
ことにしています。ラズミーヒンのようななんでも良く受け取ってくれる
友だちがほしいなとか思いながら読んでいます。
古荘先生のチャンネルは世界文学好きの私には非常に興味深いです。
これからも私たちに刺激を与え続けてください。
長文、失礼しました。
ありがとうございました。
アンナ・カレーニナはホントに素晴らしいですね。
タイプの違うトルストイとドストエフスキー。二人の友として最高です。
最後に私は一般人なので先生はやめて下さい(笑)
とある紹介ショートでトルストイの物語にピンポイントで引かれ、購入する所です。
TH-camの解説を見回し、彼の人生や作品を通して知りたいこと、考えたい事がふつふつと湧き上がりました。
解説動画では、哲学的思想的な面での解説が多かったため、作品としての面白さを感じるポイントと作品の面白いところをこの動画で知り、読むのがとても楽しみになっています。
難しい本は苦手ですが、物語として気になるものから読んでみたいと思います。
ありがとうございます。
古典の解説をするとき、歴史的背景や時代思想、宗教哲学をものさしに解説するのは実はとても簡単。人間が生きていればそれらのものの影響を受けないわけがないからです。
でも文学作品として、物語でも思想でもない、文学することの見地から解説紹介するのはむずかしい、なぜなら、そのためには解説する人もその作品で文学しないといけないからです。
そして文学したら、それを解説したいとは思わなくなる(笑)
トルストイは小説というカテゴリーのなかで、人類の生んだ5本指に入ります
読まなくちゃいけないと思って読み続けようとすることがほとんどなのに──つまり、わたしは文学好き、小説好きというのとは少し違うのかも知れません──、トルストイの本は珍しく次読みたいと思わせるのです。こう書くと、トルストイを色々読んだように聞こえますが、違います。著名な大作に比べたら、少しは短い『復活』をまず読んでみようとし、まだほんの最初のところを読んでいる全くのトルストイ初心者にすぎません。でも、なぜそう思うのかと不思議に思って、古荘さんの動画を見たという訳です。
そこで出てきたのが、神々の視点です。これ、何か分かります。古荘さんの仰ろうとしている神々の視点という理解と同じなのかどうか分からないのですが、神々の視点のような位置にトルストイの作者がいて、細かいところを見ている。たしかに細かいところまで書いているのですが、その書き方がくどくなく素っ気ないというか、着飾ったようにごてごてしているのでなく、飾り気なく無頓着にというか、そこでLPレコードの比喩です。粒子感というか、遠近ではない或る全体性、細部に神が宿る的な統一感です。その内がちゃんと動いている統一感です。でも、肩肘張ったところが感じられませんので──神々が人びとを見るのに肩肘を張る必要はないのでしょう。そう流れていくのを見ればいいのでしょう。これに比べれば、わたしが僅かに読んだ作家は誰も肩肘張って一所懸命書いているものに思えます。ということで──次読みたい気持ちになるのでしょうか。
『復活』もまだほんの最初なので読むうちに変わってくるかも知れません。とりとめのないものになってしまいました。失礼しました。
ありがとうございます。「神々が人びとを見るのに肩肘を張る必要はない」至言ですね
たいていの人は文学作品を書くとき肩肘はるので見苦しくて読めたもんじゃない(笑)対象を自分の色眼鏡なしにそのまま書くと詩になり普遍化するという感じでしょうか、でもトルストイのように書いたのはトルストイだけという気もするくらい突出した天才だと思います
神が見ているからLPレコードまで 圧倒的説得力でした!
思えば高校の始めドストエフスキーの白痴に憧れ 数冊読みましたが トルストイの幼年時代 少年青年 アンナカレーニナなどなど いつのまにか私の本棚に並んでいたのはトルストイでした。戦争と平和は ソ連映画の四部作も素晴らしく ロシアの原風景の美しさに魅了されました。荘厳なオーラを放つトルストイ。作品の全ての物も人もが主人公という以前の動画も感動しました。何故トルストイが好きなのか 今日はっきりわかりました。ありがとうございました。
ありがとうございます
トルストイを好きな人とそうでもない人
人間はこの二つに分かれる!
まあ!そうなのですか!
小西増太郎氏の「トルストイを語る」を読んで ヤースナヤのトルストイ邸に行ってみたかったです。
トルストイは若い頃戦争と平和を読み始めましたがあまりにも長編なので途中で断念しました。しかし定年退職してからコロナで外出も儘ならないときに暇を持て余し、再度戦争と平和を読み始め最後まで読み通しました。そこからトルストイに目覚めアンナカレーニナ他多数の作品を読みました。今はドストエフスキーの作品を読んでいる最中です。ロシア文学は癖になる。
ありがとうございます
トルストイ的な世界は年を取って初めて楽しめるのかもしれませんね
昔読んだ長編が最近とても面白く感じます
@@user-no8qk4pf4j
ドストエフスキーの方が厨二っぽくてかっこいい
「木を見て森を見ず」や「 重箱の隅を楊枝でほじくる」など
些末なことに拘ることを美徳としない価値観が蔓延する中で
この言葉を聞いた時「本当にそれでいいの?」っていうのが
正直な感想だった
ありがとうございます
対象によって、時期によって俯瞰する目が大事であり、細部を見つめる目が大事ですね
@@user-no8qk4pf4j
対立する概念を説いた言葉のように見えたんですが
矛盾しているわけではないと思うんです
次元の違う話ですし、なにを対象にどういう状況使われているかによっても価値の基準が違ってきますよね。用途の違う物差しを持ってきてどちらが道具として優れているとか言えないですよね。それぞれなんらかの真理をついているからこそ受け継がれてきた人類の知恵なんだと思います。心が宿る場所が心臓だとか脳だとか、末端の細胞だとかいわれて議論が分かれていると聞いて、この言葉が咄嗟に浮かんだんですが、そういう次元の話でもなさそうですよね。
@@user-no8qk4pf4j
高校時代、美術の期末試験が毎回論述問題オンリーで、ロダンのこの言葉の意味を説明せよみたいな問題で、読むだけでなく書いてみないと理解できないことってあるんだよって言われた気がしました。
@@lyricospinto8940 それは確かに。言語化した時始めて気づくことはたくさんありますよね!
ドストエフスキーとの比較の話が多かったので私の意見を述べると、トルがドスより読まれないのは、読者が「アンナ」の力量を引き出せていないからに尽きる、と思う。トルはショーペンハウエル、カントに相当大きな影響を受けておりそれを当然「アンナ」に表現しているが、ロシア文学者ですらちゃんとそれを認識していない。トルの宗教との関連は知られているがトルは宗教より哲学の方が数段素養は上と思う。ロシア文学者の「アンナ」の評論はどれも浅いが、哲学の素養のある方と議論すると、非常に解釈が深くこちらがびっくりする。当時の読者はカントだとかをちゃんと認識していたので感動できたのであろうが、現代ではそれができていないのであろう。勿論貴君の言うように思想を抜かした芸術的なものも「アンナ」は凄い。私的にはダントツの一位どころか神域に達する作品と思いますよ。あと、トルは独特の上から目線があり、これが苦手な人は多いと思う。なぜそうなのかというと、元々トルは教師であり、弾圧されて活動できなくなって小説活動をする(トルは生涯作家を名乗ったことはなく本職は小説家でなく「農地経営者」あくまで小説は余技なのですよ)ことになったから。それをわかって読むと上から目線も許せると思う。
戦争と平和はまさに不滅の傑作です!ロシア語原文でも読みました。ロシアでは戦争と平和こそロシア文学史上最高傑作と見なされています。もちろん旧ソ連国でも同様です♪( ´▽`)
ありがとうございます。
ロシア語原文で!すごいですね、サーシャさん
ロシア、アメリカではドストエフスキーよりトルストイが好まれている。Timeで文学ランキング1位「アンナカレーニナ」2位「戦争と平和」になっている。
トルストイの宗教論を持ってるけど本棚の飾りになっている。とても読み通せるものではない。もっと思想をまとめてから短く書いてくれって感じです。
戦争と平和だって、特に論文調の部分はもっとまとめればまとめられる内容のように思う。
クロイツェルソナタは、本文そのものは批判的には思わなかったけど、本人の書いた補足説明みたいな「あとがき」などはまったく噴飯ものだと思いました。チェーホフが以下のように批判してますが(スヴォーリン宛1891年9月8日手紙)私も全く同感です。
私(チェーホフ)は一昨日彼(=トルストイ)の(クロイツェルソナタの)「あとがき」を読みました。殺されたっていい、あれは私が軽蔑している(ゴーゴリの)「県知事夫人への手紙」より、もっと愚かしく、もっと息が詰まりそうです。現世の偉人の哲学なんてくたばっちまえばいいんです!偉大なる賢人は全員、将軍みたいに暴虐で、将軍みたいに無礼でデリカシーがありません。なぜなら、処罰されないことを確信しているからです。ディオゲネスは、罰せられないことを知っていて、顎髭たちに唾を吐きかけました。
トルストイは医者を悪党だと罵り、極めて大きな問題に対して無礼に振舞っています。なぜなら彼は決して警察に連行されたり新聞で叩かれたりしないディオゲネスと同じだからです。だから現世の賢人の哲学なんか糞食らえなのです!佯狂じみたあとがきや県知事夫人への手紙全部と共に、そんな哲学は全部(トルストイの)「去勢馬ホルストメール」にでてくる牝馬一頭ほどの価値もありません。(チェーホフからの引用は以上)
トルストイの「思想」は彼の激しい気性そのもので、常に揺れるんで、そういう意味で読みにくいです。彼の「思想」は哲学者的な扱いをするよりも、むしろ芸術家の揺れる心ととらえたほうがいいと思う。
アンナカレーニナにはすごい力がある。これは完璧な作品だと思います。本人は貴族文学として後年この自作を批判していたと思うけど。
戦争と平和も部分部分が素晴らしく、名作に違いない。・・・復活はまだ読んでいません。
ところでツルゲーネフも日本では不当に読まれない。「新訳」とかいっても初恋ばっかり。これは彼の家庭で実際に起こったことで、彼のもっと重要な作品は別にあるのに。時代の背景がわからないと読みにくいからか、初恋以外は日本ではほとんど読まれてないように思います。ツルゲーネフはロシア本国ではド翁やト翁とならぶ文豪扱いだと思うのだが。
長文、ありがとうございます!
今度、ゴーゴリをやつて下さい。
ありがとうございます
ちょっと読み返さないと、話せないです!再読しますね
逆にトルストイ以外読む必要あるのか?
その考えもありですね
小林秀雄は「戦争と平和」だけ読め、それ以外はむしろ読むな、といっているそうな
池田大作 やってほしい