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昔、亡くなったおばあちゃんがこのB29の空爆の話をしてました。日本では負のイメージが強いB29ですが、与圧や脚、様々な構造や技術が旅客機に転用され世界一の旅客機会社ボーイング社があるのです。まさに戦争から平和利用と言う典型だと思います!
のりりんCWCさんそうなんですよね、戦いに利用された乗りもの、でも現代は沢山の人達に夢を与えてくれる乗りもの、どちらもあのボーイング社が造り出しているんですよね。これからも世界平和の為に素晴らしいものを開発していただきたいと強く願います。
B29を見てると当時のアメリカ工業力の凄まじさを思い知らされる。高度12000mを零戦より速い560㎞で飛翔し、7トンものペイロードで6000㎞の航続距離、与圧キャビンにエアコン装備、リモートコントロールで追撃機を攻撃できる銃座。どれをとっても一級の装備を誇っていた。
とどろきパワーさんご視聴ありがとうございます。そうですね、ですが、この機体がこんなにも悲惨な歴史の象徴かのようになってしまっているのが悲しくて仕方ありません。
爆撃する際は300㌔程まで速度を落としていたらしいです。
今の時代この高度と速度になるとターボプロップになりますからレシプロ機でこの性能は現代ではありませんねまぁ作る必要もないのですけど
でも実際は途中で与圧はされなくなったんじゃ? 戦闘が始まれば空気は漏れて実際高度と同等で体調不良になったとどこかでジェット気流のせいで高高度爆撃が中止 低空になった
荒巻義夫の戦史シュミレーション小説、『紺碧の艦隊』その中での、「巨人、米国の工業力恐るべし...」と言うナレーションを思い出しました。
私の家内の伯父がWW2でB-17の機銃手としてヨーロッパ戦線へ出征(対ドイツ爆撃)していたそうですが、お見せ頂いた爆弾の投下ラック(B-17ですが )は当時、あまり信用のできない代物で、落下できないでそのままラックに装填されたままの物が数発残っているのが普通だったそうですが、爆撃時に敵機がまだ迎撃に来ていない時は、その置き去りの爆弾の腹の部分をかかとで思いっ切りキックして投下させたそうです。機銃手はそれも大変重要な任務だったと言っていました。彼はドイツ降伏後、アメリカに復員し、一時休暇の後に日本本土爆撃に出征する予定(B-29)だったそうですが、終戦を迎え日本に飛行することは一度も無かったそうです。伯父からそういう話を聞き、またこうやって動体保存の本物B-29から機内・窓越しに見える風景を見せて頂くと、考え深い心境に成りますね。
現在80代後半の私の父が戦時中にB29 の空襲に遭って防空壕の中から街の炎に映し出されたB29 を見たそうです。私が「怖かったでしょ」と聞くと、「もちろん怖かったけどなぜか格好良いという思いもした。」と言っていました。自分達を殺しに来ている道具に他ならないわけですが、当時の世界の中で最先端で最高性能、最強の飛行機を見ているという興奮を幼い子供であった父が感じたということも偽らざる思いだったのだろうなと妙に納得しました。
海鷲さんご視聴ありがとうございます。お話していただきありがとうございます。
@@RyokoAlansFlyingWorld こちらこそ、貴重な映像をお見せいただきありがとうございました。
アメリカ人でも零戦に対して複雑な気持ちがありながらも、その技術を評価してくれる人もいるからいいと思った。原爆とか真珠湾とか色々あるけど、今こうしてお互いの当時の技術を評価し合う事はいい事だと思う。
零戦に技術?また欠陥機零戦を神格化してるアンポンタンがあるわ(笑)。バカ穴あけまくって、防弾装備なくて、600kちょっとで空中分解、当たらない20ミリ、使えない無線、航続距離だってパイロットの負担を考えたら欠陥やで。この欠陥機から何を学ぶの?(笑)
@太郎 さん君はアホか?都市を無差別爆撃して原発を落とした事実を失敗は先人の知恵と?生きたまま丸焼きにされた女性や子供、焼けて蒸発した人々が失敗の先人と?君は日本人やないのか?その腐ってる根性は日本人としてホンマに情けないし、こんなコメントをする人間に育てた君の両親を心底軽蔑するわ。因みに私は人の子の親やけど、子供達はアメリカが都市を無差別に焼き払い原発を落とした事実については絶対に許してないし、仕方なかったとは思ってないそうや。それを実行した飛行機も許されへんと言うとる。当然私だって同じや。君は日本国民を無差別に焼き払った飛行機に乗り、笑顔で動画を配信しとる奴を支持して、しかも失敗は先人の知恵とか抜かしとる始末。この異常さを理解できないのかな?
@@まーくん-x6y 釣りコメか?
@@まーくん-x6y なんかどこかの半島みたいな思想ですね…お気持ちはわかりますが、いつまでも根に持っていては前に進めないと多くの人は考えています。もちろん無差別爆撃や原爆の正当性は認めたくありませんが、日本も戦時は同じことをしたはずです。そういった過去を乗り越えて形はどうあれとりあえずの同盟国なのですからお互いの技術を賞賛しあうことは素晴らしいと私は思います。許す許さないは個人の自由ですが、わざわざ素晴らしいコメントに対して論ずるような内容でもないかと。
@@まーくん-x6y 欠陥の無いものから学べる事の方が少ないですよ
すんごい‼くっきり画像で内部まで初めて見ました。悲しい時代の爆撃機ですけど、今は平和の空を飛んでいるんですね。
戦争の為に造られた兵器が、時を経て記念品に。かつて戦った国の人間同士が、和やかに談笑。歴史の積み重ねに不思議な感慨が湧きます。牙を抜かれながら、今も本来の機能を有するジュラルミンの猛獣。
日本人を皆殺し可能な機体としてある意味記念ですよね
高高度を飛行する為の予圧システムがあるとは驚愕です。良く出来た機体だと思います。
アメリカは戦前から既に与圧システムを開発してましたし売ってました。日本も買おうと検討した様ですが、与圧システムを組み込む程の余裕が無いと言う事で買わなかったのですが、高高度での戦いに為って苦しむ事に為りました。ドイツもメッサーシュミット109に途中から与圧システムを組み込んで高高度での戦いをしました。当然ですがアメリカは戦闘機にも与圧システムを組み込んでいました。そしてB-17やB-29と共に高高度を飛び護衛任務に当たりました。B-17だけはチョッと間に合わず与圧システムを組み込む事が出来ませんでした。B-17のクルー達はドイツの猛烈な高射砲の射撃とドイツ機の迎撃に晒されながら極寒の高高度で生死の間を本当に彷徨ったのです。
なお、一部の作戦ではさほど高くは飛ばない模様
一部と言うより6000mで日本軍機はアップアップでしたので日本軍の防空網が欧米に比べてですが手薄だったので大体6000m前後で飛んでた様ですね。ですが、流石に6000m前後だと日本軍も十分反撃出来たので結構痛手を被ってますが、猛爆撃で日本全土を叩き潰したので最終的には本当に手も足も出なく為ってますね。
いいですね〜b29 100万人以上の日本人を無差別にころした無敵爆撃機!もっと日本人をころせたと思うんですけど、日本人が土下座して命乞いして降参したから叶わなかったですね(TдT)原爆もあと5発くらい落とせばまだ面白くなってたのに主さんもそんなB29を見れてさぞかし嬉しかったでしょうね?(*^^*)アメリカ万歳!
Ryokoさん、とても素晴らしい取材動画です!ありがとうございます。
私は縁があって米国のミュージアムでB-17の前から後ろまで体験したことがあります。そりゃ機械だから故障や不具合はあっても作りやすい、整備しやすい、装備を増やしバージョンアップするスペースがある、基地に戻ることをちゃんと考えている、道具として本当に良くできています。日本で開発された機体は、近年のものでもその辺りが欠けているような気がしてなりません。航空機って米国では普通に使う道具、日本では超特別な道具、なんか違いが大き過ぎますね。
私の母は戦時中、上空を飛行機雲をサーッと引いて飛ぶB29の大編隊を見て、わあ綺麗だと見惚れていた話をよくしてました。奈良なんかに爆弾落とすわけは無いと思って安心して見ていたとの事です。
正和今中さんそうでしたか。もう2度と悲惨な事が起こらないよう心から願うだけです。ご視聴ありがとうございました。
私の叔母も淡路島でB-29が編隊を組んで飛んでいたと言っていました。近くの海に空母がいてそこから零戦が飛んで必死に撃墜しようとしていたみたいです。すごく怖かったと言っていました
強大で有力な敵B29に立ち向かった日本の兵隊さんに敬意を表します。
鮮明な機内映像をありがとうございます。それにしてもアメリカ軍のハイテクノロジーは凄いですね、当時の日本の5年いや10年は進んでいた様に思わざるをえないです。
日本人パイロットもアメリカ製の航空機と自国の戦闘機との品質から装備の余りの違いにビックリしてアメリカ製の航空機にと戦う度に羨ましいと思ってた様です。
そりゃ勝てる訳が無い。しかしあそこまでよくやったと思います。当時の日本人に敬意を表します。
本当にそうですよね色んな意見がありますが、とりあえずは歴史を知り、考え、感謝する何も知ろうとせず非難だけは一丁前な人が多いですが、まずは敬意を評し感謝しないとだと思います
敬意・感謝と言いつつガダルカナルやビルマで死んだ兵の遺骨は戦後になっても放置されてますこれが英霊とされる人の現実
@@akibanokitune さん、うちの爺さんは餓島の奇跡の生還者。その臨終の言葉は「待たせたな、迎えに来たぞ」
日本人感情的には複雑な心境だけど、洗練されたデザインで最も美しいレシプロ機の一つだと思う
いいね押したいけど29だからやめとく
偽物だ
自分が現在住んでいるところでは、もう一機の方のB29 “DOC” がたまに飛んできます:) 良い音を響かせながら、機体が太陽の光に反射したりして、飛ぶ姿がとてもカッコよくて美しい飛行機です!
戦後、日本が旅客機としてボーイング社を導入しなかったのは日本を焦土にしたB29を製造したメーカーというのもあったみたいですね。
1967Akr さんご視聴ありがとうございます。なるほど、確かにそうなってしまったのは仕方のない事だと思います。ボーイング社の機体が日本で活躍できるまでは色々なプロセスがあったのだと想像します。
コクピットからの眺めはミレニアムファルコンみたいですね。
B29と聞いただけで日本人には恐怖だが。航空機としてはなかなかカッコいい。
B29?何それって人も居てしまう......
自分はそんな恐怖とか関係なくカッコいいと思うけどなぁ
純粋に飛行機としてみたらイケメンですよね。姿形はカッコいいし性能も当時の最先端。ただ、日本人としてはB29と同じメーカーの機体が日航や全日空に使われて日本の空を飛び回っていることには複雑な気持ちになりますね😅…。
@@如月鮭 個人的にはFw 200の方が好き(そもそもアメリカじゃなくなってる)
でも故障で墜落することも多かった。
操縦席周りのスーパービュー感はたまらない! 戦闘抜きなら物凄く視界が素敵で楽しめそう すごいなあ
日本人として、最も心理的にいやなイメージのある航空機。こんなバケモノが500機も自分の街の上空にやってきて爆弾を投下したと思うと…。当時の日本の航空機とは次元が違うようにさえ思えます。それでも戦争で日本人は本当によく戦ってくださったと思います。平和に感謝
何故かそこまで古さを感じさせないのが不思議
現代でも古く見えないと言うことは大戦当時は世界から見れば超ハイテク機だったんでしょうね…勝てるはずがない。
色んな思いがある飛行機ですよね。
確か搭乗員は作業つなぎ程度やTシャツで過ごせるほど快適だったそう。本当に技術の固まり…
撃墜したB-29を調査した日本軍は、その搭乗員が薄着だったことから「見ろ!米軍は搭乗員に防寒着を支給する余裕すらないぞ!」と勘違いしたそうです。
1/72のB-29のプラモデルを作る予定です。実物の内部が見れるなんて、とても貴重な資料です‼️特に乗り込んでもらったことで大きさのイメージがつかみやすい❤日本では都市爆撃や原爆投下でイメージが悪いですが、飛行機としてはまっすぐな胴体とまっすぐな長い主翼で美しい機体ですね。乗員の安全や快適性も考えられていて素晴らしい飛行機だと思います。
Taiyaki No-engawa さんご視聴ありがとうございます。私も幼い頃からこの機体は恐いものとイメージづけられてきました。戦争体験はありませんが戦争は本当に大嫌いです。でも、純粋にこの機体は素晴らしい。とても複雑な気持ちでしたが、圧倒されました。人間がこんなもの造り上げるのだ。。。と。このデザインはまさに現代の旅客機の先駆けだと思いました。素晴らしいものを素晴らしいと言える時代に感謝です。
日本人からすれば忌々しさまで感じるが、恨み事無しに考えればとても素晴らし物だな。技術力の粋はどんな物でも賞賛されるべきだ。例え、国1つを焼け野原にしようと。
こんな凄い機体を何百機と飛ばしてきた。それに搭乗する乗組員の育成も出来ていたというアメリカがやはり凄いですね。模型とは言え、爆弾が恐ろしく見えました。ありがとうございました。
ご視聴ありがとうございます。この乗り物が悲しい歴史の象徴になってしまっているのはとても残念に感じます。人間の素晴らしい技術、能力を平和の為に使っていただきたい、、と常に願います。
1機1機の費用が凄まじいからねー日本は3192機くらい撃破したらしいけどb291機作るのに40億くらいかかるから結構損害やばかったらしい
@@いんきなこ さんご視聴ありがとうございます。そうなんですか。なるほど、、、情報ありがとうございます。
@@RyokoAlansFlyingWorld やっべ間違えました本土に空襲に来た航空機3万機のうち3192機を撃墜したらしいです。その中でb29は500機ほどだったらしいです。それでもすごい損害ですが
@@いんきなこ さん情報ありがとうございます。勉強になります。
大東亜戦争(第2次大戦)から朝鮮戦争に入るとものすごくソ連のミグ(Mig15)なんかに結構落とされたみたいだけど、B36やB52になるまでや朝鮮戦争の前までは新しいな規格の仕組みなのだな。
やはり米国はすごいですね。こんな国相手によく日本は戦ったと思います。戦争は技術開発を生みますが、出来ることなら平和に利用されることを願います。戦争はゲームの中だけで結構です。
日本が体育会系脳筋バカだったんです銃剣をオリャー!トリャーって振り回せば勝てるはずと思い込んでた野蛮人と成り下がってたから
よく戦争は必要悪とか科学を加速させるとか言いますがそれは比率で言うとかなり小さいです強いて言うなら戦争の準備はそこそこ科学を進歩させますが戦争そのものの行為はあまり進歩に寄与しませんでは科学の進歩はなぜ起きるのか、と言われれば正解は個々の科学者の日々の研鑽や努力の結果であってそれは戦争で表舞台に立ちましたが、その研鑽は戦争が無くてもかなりの確率で普通に世界に広がった科学技術でしょうまぁ一部例外はありますが戦争は科学技術を数年あるいは数ヶ月前に世界に広げる程度の誤差しか寄与せずその代償に万を超える命を消費する馬鹿げた行為なのですですがB29も大空に舞う今の平和の象徴と成って日本人としてはこれで良かったのだと思わずにはいられません
コクピットがスターウォーズみたいな映画の宇宙船みたいでカッコいい
まずこの規模の飛行機を当時飛ばしてた時点で相当凄いんですよね。
旧い飛行機の表面がほんのりとベコベコなの好き
あのベコベコのせいで強度が凄いんです。各構造材の間に引っ張りトラスを張った感じで。
@@APW_Manbow なるほど!トラスの役割だったとは。日本の航空兵が戦後、占領軍のグラマンに触れる機会があり、「日本の戦闘機の外皮をノックするとボコボコ鈍い音がするが、グラマンの外皮はコーンコーンといい音がした。」と言ったそうです。リベット打ちの女学生さんの腕が上がれば日本機も、ほんの少しは強度もアップしたのかな。
板厚の違いもあったでしょうね。厚くすると当然重くなるのでエンジンの出力も必要になりますし、その分燃料搭載量も増やす必要があります。日本は日本なりにそこらへんのバランスを考えた上で取捨選択したのでしょう。
ここに行って、実際に見てみたいです。
ちっちゃいツマミ類とか内部機器のほどよい塗装のハゲとかがよく見える、マニアほいほいの映像ですね。私はこういう大型機だとトイレ関係もどうなってるか興味がありますので次にもし余裕がおありでしたら紹介をお願いいたします。ハセガワの一式陸攻のプラモだとちゃんと洋式便器もついてます。
春峰あきらさんご視聴ありがとうございます。またいつかチャンスがあればご紹介させていただきます。この日は全く予期せぬ出来事で計画なしにとにかくビデオをまわしました。
圧倒的ビジュアルですね。2機モデルを持ってるのですが本物は圧巻です。
与圧されコーヒーも飲めるって同時代の日本の機体と比べてすげぇなぁ工業力が半端じゃない
B29.ホントにすごい機体です。それと同時にやはり恐怖を感じますね。
スミソニアンで見たことがあります。ゼロ戦も置いてあり不思議な感じでしたが、平和であるこそだと思いました。
良い方に取ればノーサイド。
私も小学生の時にスミソニアン博物館で見たことがあります。展示してある部屋が隣同士でしたね。工業製品(B29)とオモチャ(零戦)くらい違うと感じました。これは勝負にならなかっただろうなと実感、痛感しました。
@@yoshihiko3234 でも迎撃で一気に30機撃墜されたりもしてるみたいだね対空砲もあわせて合計で400機は落とされてるみたい
@@色々保存サブ 400機落としたところで、民家だけでも200万戸以上焼かれましたけどね。400機もあくまで延べ数で、出撃ごとの損失率考えると一方的にしか思えませんが。動画で触れられている与圧システム、GPSの前身のLORAN、真空管による弾道補正計算など、大人になってから改めて技術格差を知りました。小学生のとき感じた第一印象と違わないなと。あげくは空襲のついでにアイスクリーム缶をぶら下げて行って、高高度でキンキンに冷やしたアイスクリームをお土産に持ち帰っていたそうですが。
@@yoshihiko3234 もはや別次元ですねーさすが米帝
今は日本の一部の航空自衛隊でも飛行機にペイントをすることで隊員が飛行機に愛着がわき、飛行機を丁寧に長く使ってもらえるように工夫しているそうです。
フォケウルフとb29は普通に芸術品だと思う。
叔父が海軍航空隊でした戦後自衛隊行き生涯通じて好きな機体はF86。赤とんぼやらゼロ戦は作りは荒く言うほど良くないって昔聞いたし、米国製航空機に戦後接してこんなモンぎょうさん作る国に勝てるわけないとも。それでアメ車好きで死ぬ直前まで古いマスタングと左ハンドルのジープ持ってました。でもB29って結構対日戦では落とされているんだよね。日本と北朝鮮を焦土化させた優秀な航空機と言うのは厳然たる事実
どんぶりレンジャーさんご視聴ありがとうございます。叔父上様は海軍でいらっしゃいましたか。F86シブい機体お好きですね!とても魅力のあるデザインで私も好きです。素敵なお話しシェアしていただきありがとうございます。
こんな化け物爆撃機と戦った、勇敢な英霊に敬意を表します‼️‼️動体保存出来るアメリカも凄いです。
実際は故障の多い飛行機だったんだよなぁ。
@@ファンチャンネル-q6j まぁそれも織り込み済みの設計でエンジンなんてすぐに換えれたとか聞きますねたしかシャーマン戦車のエンジンもB29とコンパチだったとかしかしまさか動態保存が2機だけとは思いませんでしたね穿った見方をするなら米国もそれなりに日本に負い目を感じていたのかもしれませんねそれなら日本の戦後の復興もすこし納得がいきますね
@@漫画太郎-j2d 「日本万歳」大半は朝鮮上空でミグに撃墜されました。
こんな骨董品みたいな機体を実際に飛行させることができるとは!アメリカ人の凄まじさに感心します。。。
日本語の解説とてもありがたいです。Bー29はやっぱりカッコいい!😃銀色にキレイな円筒形の機体、ガラス貼りの丸い機首
東京大空襲のその時B29が3機東京から蔵王の麓不忘山に墜落した事もありましたね、知っている人も少ないと思いますが。
与圧システムがあるというのが凄いですよね。そしてジェラルミンの銀色がとても好きです。
80年前の飛行機とは思えない性能当時の日本人には恐怖でしかなかったと思いますが、1飛行機として惚れ惚れしますね
@@awizcd6472 撃墜含めた未帰還機、448でしたっけ?・・それぐらいいましたからね
そもそも、高高度爆撃機とはあるが実際は精度が劣悪で性能を生かしきれてなかった。なので実際よりも数千メートル下に降下して爆撃を行う、ので普通に被害は尋常じゃ無かった。
@@nineball9236あれ?でも精度が当時の爆撃機はみんな悪かったから絨毯爆撃というものが生まれたんじゃ…
@@ボット-k1r ある程度は降下する必要があります。そもそも、目標を見逃す可能性すらあるんですから。
日本人にこれほど有名な航空機はありませんね。88歳の母はこの大編隊がやってくるのを眺めた記憶を語っていました。太陽の光を反射して機体が輝いていたそうです。その母がもっと記憶に残っている航空機はP-38です。だって自転車で移動中の母めがけて急降下してきて機銃掃射したのですから…一生忘れるわけありませんね。
George M Hayami さんご視聴ありがとうございます。P-38 ですか。。。あの機体で急降下とは。デザイン的にも特に記憶に残るものだと思います。
P-38はデザインさせた格好いいですマ
小学生の頃(50年以上前)、プラモデル作りましたので、あ!、この部分こうだったよね~、と思い出し、理屈なしにジーンと来てます。コックピットを見たのは始めて!、この複雑で精密な機を人間が作ったとは信じられない思いです。Ryoko さん、Alan さん、 ありがとうございます。
cr enさんありがとうございます。自分は純粋に飛行機が大好きで素晴らしいものを人間が造り上げる事に感動しています。ですが、同時に人間は悲惨な歴史をもつくる。。このビデオで予想以上に色々な方々の複雑なコメントを沢山拝見し改めて世界平和を祈り続け考えていくべき事を学んでいます。
b29にわ日本軍にわないクーラー設備が搭載されていたとか聞いたことがあります。それほど重工業の技術が凄い国だとアメリカを改めて思いました。
ありがとうございますちなみに質問させていただきます。b51という爆撃機も存在していたのは事実なのですか。
B-29機体の大きさ性能は当時からするときれいで性能も優れている、日本が勝てない理由も理解出来る。でも当時は日本軍部は可能な限り撃墜に信念を集中して戦果も少しあげた。アメリカの経済や工業水準の高さは凄いと思いました。こうして保存されて入るのを敬意いたします。日本は負けて飛行機は破壊したので今完全な飛行機はない。でもアメリカに零戦など保管されているのいは嬉しいです。戦争はもういやであるがこうして当時を偲ぶのは嬉しいです。多くの人が犠牲になった歴史は悲しい。今ロシアが戦争を始めた、弱いものいじめはいけない。世界世論でウクライナを応援しょう。
マギー大佐まだご存命なのすごいですね笑長生きしてもらいたいです笑
The Quintessential Quintupletsさんマギー大佐はご高齢ですがご存命です。人種差別を受けていたとしても与えられた自分の任務というものに向き合う。。。数年前に素晴らし彼の講義を聞いて感動しました。
昔からB29のコクピットからどんな景色が見えるのか興味がありました。現代の大型機は鼻先にレーダーがあるので、上から外を見るのに対し、B29はやはりコクピットの前が全面ガラス張りなんですね。これは目標が見え易い。でも正面から機銃掃射されたら怖いですね。
WW2では最大クラスの爆撃機だけど、今見ると地方路線のターボプロップ旅客機ぐらいのサイズ感なんだなぁ
世界的プラモデルの一流メーカー、タミヤ模型の会長が機関紙で「全世界からリクエストがあるが、B29だけは絶対に発売しない」とおっしゃてます。会長いつまでもお元気で。
山本五十六が開戦派に「君たちはアメリカの工場や煙突の数を数えたことがあるかね?」と質問をしたらしい。百歩譲って日本でもB-29が造れたとしても、圧倒的な工業力には敵わなかったと思う。
WW2の頃の飛行機とは思えない完成度...
これを量産する力は…先の大戦時の日本にはなかったですね。連山すらマトモに作れなかった国…無謀とわかっていても開戦せざるを得なかった当時の日本人に思いを寄せることにします。世界が平和になりますように。海自にいる次男がヘリ空母で出撃する日が来ませんように。りょうこさん 貴重な動画をアップしていただきありがとうございます。感謝いたします。
いさちるきゃっとさんご視聴ありがとうございます。自分も世界平和を祈り考え続けていきたいと思います。ご次男様、海自にお勤めされていらっしゃるのですか。国そして平和の為にありがとうございます。心から感謝いたします。
@@RyokoAlansFlyingWorld ご多忙中、貴重な時間を割いてコメントを返していただきありがとうございます。感謝いたします。養母(実の祖母)が、満州時代(養父・実の祖父が満鉄勤務)に奉天近郊で墜落したB29を見学したことがあるそうです。満州では、映画館で風と共に去りぬも上映されていたとか。満州は内地よりおおらかな社会だったようです。そんな社会なので、祖母が英国人の1/4ということもあり、祖父が東京勤務から満州勤務にしたそうです。養母は、サイパン陥落時に、養父から日本は負けると聞かされていたとか。風と共に去りぬという総天然色の壮大な映画を作る国、こんな大きくて複雑な飛行機を作る国、それがアメリカ。そんな国と戦争して勝てるわけないと思ったそうです。この動画を見て「これは高度な技術で作られた航空機だなぁ」とか「日本で実用化に苦しんだ排気タービンを実用化するために10年以上の時間を費やしているけれど発動機のトラブルが多かった」などということを考えていました。機体先端のガラス張りの爆撃手席に座って怖いとおっしゃっていましたね。日本の防空戦闘機は、機銃弾が命中したとき、相対速度が高く効果が高くなるので、正対して攻撃したと聞きます。ですから、あの席からは銃口から火を吹きながら肉薄攻撃をかける日本防空軍機が見えたことでしょう。それはとても恐ろしいことだったと思います。そんなこわい思いをする人が世界から消えるように、コツコツと平和のためにできることを積み重ねるのみです。今後ともよろしくお願いします。
日本は爆撃機をまともに作れなかったのは資材不足もありますよ
連山は作れてはいましたよ、けど一機作るのに零戦10機分のコストが掛かるので戦争末期だったこともあり軍側から開発中止にされてしまったんです。
操縦席から一段下がった機首ののクルーは射撃手ではなく爆撃手だったと思います。
ありがとうございます。そうだと思います。銃のようなものが機体から突き出していなかったので、なんだろう??と思いました。私は大戦機の専門家でもなんでもないので皆様からのコメントで学んでおります。ありがとうございます。
私はどちらかと言うと、戦車など地上の兵器が好きなのですが、その私でもB29は良く知っています。動画では触れていませんが、確か、機関銃は連携して動くように作られていたと記憶しています。また、私でも、ゼロ戦やグラマンF6F、メッサーシュミットやスピットファイアなどのプラモデルは作った事があります。
貴重な動画ありがとうございます。兵器なのでどうしてもその運用された歴史を見てしまいますが、それ抜きにして見たら、B29は素晴らしい工業製品であり、兵器であることがよく分かりますね。特にコクピット周りの実際の映像が見られるのは感動です。コクピットからの眺めはスターウォーズのミレニアムファルコンみたいで見ていて面白かったです。与圧システムは現在の旅客機の原型ですし、航空機の技術革新に一役かった機体なのは間違いないですね。
与圧でしょ?抑圧って独裁者かよw
@@MrSuzuki0315 はいはいワロスワロス
@@kea3006 ワロスと言いつつしっかり訂正はするのねw
@@MrSuzuki0315 勿論よあおってきたけど、誤字ってんの指摘してくれたんやからな!ありがとな!
B29のような素晴らしい会話
コクピットとトンネルが凄いね。前がオープンな操縦席ってのは色々と凄そう。全く違う風景だろうね。それと上空では席から落ちそうな気になったりして。トンネル凄いアイデアだけど、そんな機内に10名以上のクルーが居たってのも別の意味で凄いかもね。
いつもご視聴ありがとうございます!戦争を直ぐに想像させてしまう機体ではありますが、純粋にこの機体の素晴らしさに感動しました!
@@RyokoAlansFlyingWorld 期待の素晴らしさ!・・・ここですよね。 機体には責任が無いんだけど、ふと。
80年くらい前にこんなすごい飛行機つくってたんだびっくり
やっぱ自由ですねアメリカは!
空の要塞が納得できるような機体
アリゾナで外から見た事あります。中からは視界良好なんですね。
本土を爆撃したB29のインタビューでなぜこんなに笑顔なんだ?
私は戦争についてドキュメントを作ってるプロでもなんでもありません。パイロットが純粋に飛行機を紹介してるものです。私の笑顔の裏に何を感じているかは理解を求める事はいたしません。
1945年当時小学生だったうちのオカンに、B29見た事ある?って聞いた事がある。あんな綺麗な飛行機見た事なかったわって言ってた。😅
ルーはーわーるどさんご視聴ありがとうございます。そうですか。。お母様B29を日本の上空でリアルにご覧なられたのですか!
@@RyokoAlansFlyingWorld 母は高校野球の開始サイレンは空襲警報を思い出すから嫌だって言ってるので、鮮明に覚えているんだと思います。😓 最寄り駅の地下道通ると何時もここは空襲で亡くなった人が並べられていて、生き残って人は先ず自分の家族がいないか捜しに来ていたと、いつも同じ話をします。😬
@@ルーはーわーるど さんこれからも命をいただけることが当然の事だと感じず生きていきたいと思います。ありがとうございます。
貴重な映像、ありがとうございます。B29は、思ったとおりよりも、大きい機体です。B29の機体が、よく残っていましたね。B29と言えば、悲しい戦争時代のイメージしかありませんが、約80年弱前の技術とすれば、凄い技術だったのでしょうね。約80年弱前の日本の技術とは比べ物にならなかった事に、納得です。それだけ日本の技術が、戦後の日本の技術を発展させたのですね。平和を学ぶ為には、是非保存してください!!最後に、戦争で亡くなった世界の皆さんに、ご冥福をお祈り申し上げます。皆さんの悲しい犠牲なしで、平和を語れない事を、忘れない様に....。
今見ても宇宙船みたいなフォルム、70年以上前の飛行機とは思えないです。最前席座って遊覧飛行できたら最高だろうな、、
B29が現存していて今だに飛行可能とか!操縦席付近も初めて内部を見ました。トンネルを這いつくばって後方へとか。巨大な爆撃機だと思っていましたが、爆弾室のしわよせで意外に狭く、想像して尚クルーは快適ではなかったのですね。後方の射撃席とかも見てみたかったです。
加藤博さんご視聴ありがとうございます。もしまた機会があればその時は後部も撮影できたらしたいと思います。
いち に ど くわとろw久しぶりにチャンネルに遊びにきたら、バズってましたね(汗)この動画は私も好きな動画でした。こんな機体が残っているなんてすごいですよね。エンジンにも名前をつけているところなんてアメリカらしいなと思っちゃいます。また動画楽しみにしていますね。
飛行機好きチェンネルさん、ありがとうございます。全く予想もしていませんでした。ちょっと複雑な気持ちです。私もまた飛行機好きチャンネルさんのところへお邪魔しにいきます。
@@RyokoAlansFlyingWorld はーい。お待ちしていますね〜♪ソロフライトの動画、恥ずかしいですが観てほしいですw
いやあ~~~‼本当に貴重ですよね~~😊でも、実際には何機も日本軍の高射砲で撃墜してるって聞きましたけど、良く、保存状態も申し分ない位綺麗ですよね。ありがとうございました‼チャンネル登録も、しましたのでよろしくお願いします😊
haruo 542さんご視聴ありがとうございます。とても貴重な体験でした!B29がいる事すらわかってなく慌ててiPhoneでカメラまわしました。ラッキーな1日でした。
本当に良く出来てる。B29は高高度爆撃機としてのパイオニアですね。他国ではすぐにはマネ出来なかっただろな。この高高度爆撃がコンセプトのせいでジェット気流に阻害されて前半は成果が出なかったという皮肉は有りますが、技術を具現化した功績は素晴らしいです。
綺麗だよなぁ
私のじいさんが子供の時、空襲で超低空を飛んでるB29を見て、アメリカが怖いと言う衝撃的なインパクトを受けたらしい。
山田 山田さん、ご視聴ありがとうございます。この機体を間近でじっくり見てもしこの機体が人を攻撃してくるものだと想像した時、正直体が震えました。二度と悲惨な歴史は起こしてはならないと心に刻みつけられます。
いやぁ〜りょうこさん、大した貴重な経験をしましたねー👍👍👍すごいと思いますよ。こんな飛行機を造れるとは、アメリカはやはりとんでもない国ですよ。ドイツも日本もターボチャージャー作れない時にすでにありましたからね。ドイツではスーパーチャージャーはいありましたが、B 29のライトサイクロンのターボには勝てません。
いつもご視聴いただきありがとうございます。そうですね、かなり貴重な経験をさせていただきました。純粋な気持ちで人間がこのような凄いものを造れるのかと感動致しました!と同時にこのような技術などを地球平和の為だけに使っていただきたいと感じました。
平和のための抑止力になれば幸いです。技術は人類の平和のために進歩して欲しいモノですね。
約80年近く前のテクノロジーに驚くばかりです。凄い科学技術にビックリです。また、この機体を一度に数百機を飛ばして作戦をしたアメリカの凄さにビックリですわ!機体整備に燃料補給、爆弾搭載、搭乗員の衣食住とか航空基地の規模を考えると恐ろしい運用能力と兵站に恐れ入ります。こんな国相手に戦争した日本は負けて当たり前だったかもしれません。
迎撃装置は確かアナログ式の電算機を搭載しているはず。ノルデン照準器といい、こんな戦闘機材ひとつひとつに最新技術を投入していた。勝つための貪欲な意欲が違う。
あそこまで沢山の機体があって飛べるのが2機しかないのか
あいうえおさんそうなのですとても希少価値が高いもので維持費もかなりの高額になるようです。CAFというアメリカの非営利団体が色々な昔の機体の保存に力を入れています。
@@RyokoAlansFlyingWorld やっぱり費用が1番の課題ですよね
私もレシプロ機が大好きで50年RC機,プラモデルで大戦機を200機程作製しました。RCでは、B17F,P51D, 零戦二一型〜五二型、F6Fコルセア、スピットファイヤ、Me109、と飛ばしてきました。でも、B29だけは作る気も飛ばす気もおきません。おそらく、これからもそうでしょう。私がもっとも忌み嫌う機体です。
防御機銃の照準装置を見たかった
ご視聴ありがとうございます。自分のような一般の人間が簡単に入って撮影できるようなものではないので全てをご覧いただけず、すみません。英語になりますが、アメリカの撮影クルーが収録したものをTH-camにあげていますのでもしよろしければ、、、。th-cam.com/video/7EJQhXsN_bY/w-d-xo.html
おばあちゃんが、戦時中この飛行機のゴォーっていう飛行音がものすごく怖かった、って言ってました。
7:55これって、爆撃用のノルディン照準器じゃないですか?詳しい人居たら教えて下さい
山本五十六さんご視聴ありがとうございます。色々な設備に詳しくないのでお答えできず申し訳ありません。とても詳しい方々から少しずつ情報いただいて学んでいる次第です。。。
めっちゃかっこいい
第二次世界大戦時のアメリカの桁違いの科学技術・工業技術力の結晶。
スターウォーズのミレニアムファルコン号のモデルとなった操縦席や銃座ですね。
貴重な映像ありがとうございます
m2848989 さんご視聴ありがとうございました。
飛行機は当時の最先端を行く技術が注ぎ込まれているのがよく分かります。この時代にターボとスーパーチャージャー搭載のエンジンと与圧装置を搭載。この時点で日本は負けています。B29は美しさとかっこよさを感じると同時に複雑な気持ちになる機体ですね。
「日本万歳」スーパーチャージャーとは機械式過給機の意味では?この爆撃機に使われたのは排気タービン過給機だ、と思う。通称ターボ。
大きな機体は大好きです///(←ナウシカのバカガラスに惚れた幼児の慣れの果て)
このB-29を撃墜した雷電てやばすぎる
こちらの方が多く撃墜されてますよ
@@Drizzle_United そういう話ではなくないか
@@特別支援学校卒投資家 いやそういう話じゃね?
@@22型零戦 数じゃなくて撃墜したことを言ってるのではないでしょか?間違えてたらすみません
@@きみず-c8g それな
祖父はB29が家の上空をよく飛んで空爆してきたという話をよくしてくれます。祖父にしては恐怖だと思いますが、どんなスペックを持っていたとか色々知りたいと思いました。
8:00前後に写っているのは爆撃用ノルデン照準器ではないでしょうか。爆撃時には機体のコントロールは照準器で行えたと聞いてます。
当時の日本の爆撃機が2トン程度しか爆弾搭載できなかったのが10トン近く積めたのが凄いが3月10日東京爆撃、広島、長崎原爆投下の主役、複雑な心境ですね。
俺の祖母は、川崎生まれで、東京、川崎空襲に被害受け、15歳時に北海道に避難。祖母の両親は北海道生まれだったため北海道へ。祖母の話では、空襲で生まれた時写真と子供時写真及び家族写真とか住んでいた家の写真〈どんな家の姿は、不明〉も全部燃えて消えたっと言っていました。
斉藤さんご視聴ありがとうございます。これからも世界の平和を強く願い続けます。
凄いですね!脱出装置とかあるんでしょうか?
どうでしょうか、装置となると詳しくはわかりません。
一昨年96で亡くなった父親は太平洋戦争開戦前までは立川飛行機で中島から委託を受けた一式隼を製造する一工員で、海軍の暴走で始まった太平洋戦争が開戦して間もなく陸軍に招集されてモールス通信の訓練を受けて海軍も進駐していた台湾の高雄に陸軍第62対空無線部隊の一通信兵として配属されました。立川飛行時代の一式戦隼には操縦席背面の防弾鋼板、燃料タンクにはゴム引きのアウターシーリングが施されていたの〇式戦には何の防弾もなくとてもとても兵器とは思えない貧弱さだったそうです。台湾沖海戦、空戦、連合艦隊最後の組織だった戦闘で合った菊水作戦で南無妙法蓮華経のおぞましいマントラで狂い切った海軍の将校が未来のあった若者、妻子のいた若者に薬物さえ投与して腐れ外道日蓮の邪義である特攻を始めて、陸軍でも日蓮系のクズ将校、クズ上官が陸軍では禁手であった投稿の命令を下したために、本土から実践どころか飛行経験もわずかな子供同然の飛行兵に自分の棺桶になる信頼性の無い4式戦疾風をヨタヨタとフェリーするのを父親のモールス信号で誘導して、米軍の火力を恐れて月明かりの夜に子供の飛行兵に特効の訓練を行うのを父親がオペレートした際に父親がレーダーを装備したF6Fの夜間型又は、日本が敗戦後に初めて存在を知ったP61ブラックウイドウと思われる爆音を聴知して、翌端灯を消せと緊急の平文で打電するやいなや曳光弾が子供の飛行兵の人体と訓練機を砕いて爆発炎上して墜落したそうで御座います。運よく?生き残った子供の飛行兵が特攻を開始して既に連合艦隊をはるかに上回る絶望的に強大な米機動部隊を発見して、敵艦艦隊発見、突入とモールスを打電してモールスのキーを押し続けてツー音を発信してその信号が途絶えた時に戦果など誰も解らないままに日蓮系のクズ上官に子供の飛行兵が戦死したことを報告する日々もあったそうです。日本の敗戦と同時に蒋介石軍に武装解除されて引き上げ戦で本土に帰還するときにモールス信号の暗号が打ち手がわるいのか?受信する父親が悪いのか?全くわからないのに殴りつける日蓮系のクズ上官を武闘派の戦友が夜陰に紛れて東シナ海の魚のえさにしようと持ち掛けられたそうですが父親が生きて帰れたし人殺しはもうたくさんだろ?勝慎太郎の兵隊やくざで有田上等兵を演じた田村高廣のように返答して殺しはしなかったようですが、本土の港に付いた際に他の部隊の仲間に聞いたところその舞台でも自分は正しいの日蓮特有のコケの一念で殴る上官を夜陰に紛れて東シナ海の魚のえさにしたと即答したそうで御座います。敗戦後の混乱を生き抜くためと日蓮系のクズどもが自分たちが薬物さえ投与して殺害したも同然な若者、妻子のあった若者を英霊?などと祀りあげて自分たちの戦争責任も敗戦処理もおざなりにした為に、立川に進駐したアメリカ空軍で陸軍航空技術研究所に捨て置かれた子供達と順国家公務員の立場で表向きはMACの輸送機の整備、修理を行ってはいましたが、実際は朝鮮戦争中にMIG15と世界初のジェット戦闘機同士の空戦を行ったF86の修理、整備、B29をパワーアップしたB50の整備、修理も各パートごとに分かれて行った際に旧日本陸海軍機には発想すら全くないリレー、タイマー、シーケンスで構成された現在のデジタルコンピュターより複雑なアナログコンピュターの半自動のFCSが搭載されて機体担当の父親には理解不能で、そのほかのアビオニックスは専門の担当員が米軍の指示を受けたり、NECや富士通にも教えて修理、整備していたようで御座います。またこれらの電子機器の全てがビニールコードで結線されて信頼性も高く、ほとんどすべての危機がラック式で現在のジェット戦闘機、旅客に装備されているJ1、J2コネクターで接続されていて故障の際は既にリビルトされた機器と入替えて短時間で稼働できる優れもので、すべてが半田の直付けで修理に時間が係り唯でさえエンジンオイルの耐久性が無くオイルが駄々洩れでニッケルを含まない粗悪な部品で構成されたエンジンはポンコツで電子機器もポンコツで稼働率が低い日本軍機と全く違う信頼性があったそうです。日本気象庁も敗戦と共に壊滅したので米軍が横田基地からパワーアップしたB50でグアム、サイパンまで往復して気象情報を収集していた際にはB29と殆ど同じ機体構造のB50にも実戦で使われた旧日本陸海軍機には装備されない、現代のジェット旅客機と同様な与圧キャビンがあり、与圧の漏れをチェックするキャビンプレッシャーリーケージインスペクションシートが父親の死後出てきましたが、ボーイングの与圧隔壁の修理ミスで日航123便が墜落した際も父親が整備にかかわっていた爆撃機B50と同じでボーイングから指示されたインスペクションで点検していた日航の整備士が事前に気が付くことはなかったのかも知れないと語っておりました。
B29改造型気象観測機は確かBW50だったと記憶しています。爆弾倉にはキャンバス製の増加燃料タンクが置かれ、長時間のフライトが可能だったようです。戦後すぐに気象観測が米軍の手にゆだねられていたころ貴重なデータを日本側にも提供していたようです。実機を横田基地で見たことがあります。あと余計な事ですが誤字のチェックをなさったほうが良いかと・・・・
『残念ながら立派です』を思い出した
エンジンに名前をつけるところや例えばFedExの機体にクルーの子供さんの名前?などを付けるのはアメリカの慣習ですかね?
たぬきちくん さんありがとうございます。そうですね、特に愛する人の名前をつけたりするオーナーをたまに見掛けます。このFIFIというのもB29を最初に見つけオーナーになった方の奥様のニックネームだったようです。
空襲の事とは別に、B29が実際に飛んでいるところを見てみたいです。プロペラが4つ付いている飛行機を見ると注目してしまいます。現代の4プロペラ機はP3-Cがありますね。
私がまだ幼稚園に行く前に、朝鮮戦争のことですが爆撃に向かう編隊を見た見た記憶があります。かなり高いところを飛んでいたのですが、何か、お腹の底に響く爆音を轟かせていたのを今でも記憶してます。3月10日の東京大空襲の時は、これが延べ数百機で爆撃してきたんですからね、生きた心地はしなかったでしょうね。
昔、亡くなったおばあちゃんがこのB29の空爆の話をしてました。日本では負のイメージが強いB29ですが、与圧や脚、様々な構造や技術が旅客機に転用され世界一の旅客機会社ボーイング社があるのです。まさに戦争から平和利用と言う典型だと思います!
のりりんCWCさん
そうなんですよね、
戦いに利用された乗りもの、でも現代は沢山の人達に夢を与えてくれる乗りもの、どちらもあのボーイング社が造り出しているんですよね。
これからも世界平和の為に素晴らしいものを開発していただきたいと強く願います。
B29を見てると当時のアメリカ工業力の凄まじさを思い知らされる。高度12000mを零戦より速い560㎞で飛翔し、7トンものペイロードで6000㎞の航続距離、与圧キャビンにエアコン装備、リモートコントロールで追撃機を攻撃できる銃座。どれをとっても一級の装備を誇っていた。
とどろきパワーさん
ご視聴ありがとうございます。
そうですね、ですが、この機体がこんなにも悲惨な歴史の象徴かのようになってしまっているのが悲しくて仕方ありません。
爆撃する際は300㌔程まで速度を落としていたらしいです。
今の時代この高度と速度になると
ターボプロップになりますから
レシプロ機でこの性能は現代ではありませんね
まぁ作る必要もないのですけど
でも実際は途中で与圧はされなくなったんじゃ? 戦闘が始まれば空気は漏れて実際高度と同等で体調不良になったとどこかで
ジェット気流のせいで高高度爆撃が中止 低空になった
荒巻義夫の戦史シュミレーション小説、『紺碧の艦隊』その中での、「巨人、米国の工業力恐るべし...」と言うナレーションを思い出しました。
私の家内の伯父がWW2でB-17の機銃手としてヨーロッパ戦線へ出征(対ドイツ爆撃)していたそうですが、お見せ頂いた爆弾の投下ラック(B-17ですが )は当時、あまり信用のできない代物で、落下できないでそのままラックに装填されたままの物が数発残っているのが普通だったそうですが、爆撃時に敵機がまだ迎撃に来ていない時は、その置き去りの爆弾の腹の部分をかかとで思いっ切りキックして投下させたそうです。機銃手はそれも大変重要な任務だったと言っていました。彼はドイツ降伏後、アメリカに復員し、一時休暇の後に日本本土爆撃に出征する予定(B-29)だったそうですが、終戦を迎え日本に飛行することは一度も無かったそうです。伯父からそういう話を聞き、またこうやって動体保存の本物B-29から機内・窓越しに見える風景を見せて頂くと、考え深い心境に成りますね。
現在80代後半の私の父が戦時中にB29 の空襲に遭って防空壕の中から街の炎に映し出された
B29 を見たそうです。私が「怖かったでしょ」と聞くと、「もちろん怖かったけどなぜか格好良いという
思いもした。」と言っていました。自分達を殺しに来ている道具に他ならないわけですが、当時の
世界の中で最先端で最高性能、最強の飛行機を見ているという興奮を幼い子供であった父が感じたという
ことも偽らざる思いだったのだろうなと妙に納得しました。
海鷲さん
ご視聴ありがとうございます。
お話していただきありがとうございます。
@@RyokoAlansFlyingWorld こちらこそ、貴重な映像をお見せいただきありがとうございました。
アメリカ人でも零戦に対して複雑な気持ちがありながらも、その技術を評価してくれる人もいるからいいと思った。原爆とか真珠湾とか色々あるけど、今こうしてお互いの当時の技術を評価し合う事はいい事だと思う。
零戦に技術?
また欠陥機零戦を神格化してるアンポンタンがあるわ(笑)。
バカ穴あけまくって、防弾装備なくて、600kちょっとで空中分解、当たらない20ミリ、使えない無線、航続距離だってパイロットの負担を考えたら欠陥やで。
この欠陥機から何を学ぶの?(笑)
@太郎 さん
君はアホか?
都市を無差別爆撃して原発を落とした事実を失敗は先人の知恵と?
生きたまま丸焼きにされた女性や子供、焼けて蒸発した人々が失敗の先人と?
君は日本人やないのか?その腐ってる根性は日本人としてホンマに情けないし、こんなコメントをする人間に育てた君の両親を心底軽蔑するわ。
因みに私は人の子の親やけど、子供達はアメリカが都市を無差別に焼き払い原発を落とした事実については絶対に許してないし、仕方なかったとは思ってないそうや。
それを実行した飛行機も許されへんと言うとる。
当然私だって同じや。
君は日本国民を無差別に焼き払った飛行機に乗り、笑顔で動画を配信しとる奴を支持して、しかも失敗は先人の知恵とか抜かしとる始末。
この異常さを理解できないのかな?
@@まーくん-x6y 釣りコメか?
@@まーくん-x6y
なんかどこかの半島みたいな思想ですね…
お気持ちはわかりますが、いつまでも根に持っていては前に進めないと多くの人は考えています。
もちろん無差別爆撃や原爆の正当性は認めたくありませんが、日本も戦時は同じことをしたはずです。
そういった過去を乗り越えて形はどうあれとりあえずの同盟国なのですからお互いの技術を賞賛しあうことは素晴らしいと私は思います。
許す許さないは個人の自由ですが、わざわざ素晴らしいコメントに対して論ずるような内容でもないかと。
@@まーくん-x6y 欠陥の無いものから学べる事の方が少ないですよ
すんごい‼くっきり画像で内部まで初めて見ました。悲しい時代の爆撃機ですけど、今は平和の空を飛んでいるんですね。
戦争の為に造られた兵器が、時を経て記念品に。かつて戦った国の人間同士が、和やかに談笑。歴史の積み重ねに不思議な感慨が湧きます。牙を抜かれながら、今も本来の機能を有するジュラルミンの猛獣。
日本人を皆殺し可能な機体としてある意味記念ですよね
高高度を飛行する為の予圧システムがあるとは驚愕です。良く出来た機体だと思います。
アメリカは戦前から既に与圧システムを開発してましたし売ってました。日本も買おうと検討した様ですが、与圧システムを組み込む程の余裕が無いと言う事で買わなかったのですが、高高度での戦いに為って苦しむ事に為りました。ドイツもメッサーシュミット109に途中から与圧システムを組み込んで高高度での戦いをしました。当然ですがアメリカは戦闘機にも与圧システムを組み込んでいました。そしてB-17やB-29と共に高高度を飛び護衛任務に当たりました。B-17だけはチョッと間に合わず与圧システムを組み込む事が出来ませんでした。B-17のクルー達はドイツの猛烈な高射砲の射撃とドイツ機の迎撃に晒されながら極寒の高高度で生死の間を本当に彷徨ったのです。
なお、一部の作戦ではさほど高くは飛ばない模様
一部と言うより6000mで日本軍機はアップアップでしたので日本軍の防空網が欧米に比べてですが手薄だったので大体6000m前後で飛んでた様ですね。ですが、流石に6000m前後だと日本軍も十分反撃出来たので結構痛手を被ってますが、猛爆撃で日本全土を叩き潰したので最終的には本当に手も足も出なく為ってますね。
いいですね〜
b29 100万人以上の日本人を無差別にころした無敵爆撃機!
もっと日本人をころせたと思うんですけど、日本人が土下座して命乞いして降参したから叶わなかったですね(TдT)
原爆もあと5発くらい落とせばまだ面白くなってたのに
主さんもそんなB29を見れてさぞかし嬉しかったでしょうね?(*^^*)
アメリカ万歳!
Ryokoさん、とても素晴らしい取材動画です!ありがとうございます。
私は縁があって米国のミュージアムでB-17の前から後ろまで体験したことがあります。
そりゃ機械だから故障や不具合はあっても作りやすい、整備しやすい、装備を増やしバージョンアップするスペースがある、基地に戻ることをちゃんと考えている、道具として本当に良くできています。
日本で開発された機体は、近年のものでもその辺りが欠けているような気がしてなりません。
航空機って米国では普通に使う道具、日本では超特別な道具、なんか違いが大き過ぎますね。
私の母は戦時中、上空を飛行機雲をサーッと引いて飛ぶB29の大編隊を見て、わあ綺麗だと見惚れていた話をよくしてました。奈良なんかに爆弾落とすわけは無いと思って安心して見ていたとの事です。
正和今中さん
そうでしたか。もう2度と悲惨な事が起こらないよう心から願うだけです。
ご視聴ありがとうございました。
私の叔母も淡路島でB-29が編隊を組んで飛んでいたと言っていました。近くの海に空母がいてそこから零戦が飛んで必死に撃墜しようとしていたみたいです。すごく怖かったと言っていました
強大で有力な敵B29に立ち向かった日本の兵隊さんに敬意を表します。
鮮明な機内映像をありがとうございます。それにしてもアメリカ軍のハイテクノロジーは凄いですね、当時の日本の5年いや10年は進んでいた様に思わざるをえないです。
日本人パイロットもアメリカ製の航空機と自国の戦闘機との品質から装備の余りの違いにビックリしてアメリカ製の航空機にと戦う度に羨ましいと思ってた様です。
そりゃ勝てる訳が無い。
しかしあそこまでよくやったと思います。当時の日本人に敬意を表します。
本当にそうですよね
色んな意見がありますが、とりあえずは歴史を知り、考え、感謝する
何も知ろうとせず非難だけは一丁前な人が多いですが、まずは敬意を評し感謝しないとだと思います
敬意・感謝と言いつつガダルカナルやビルマで死んだ兵の遺骨は戦後になっても放置されてます
これが英霊とされる人の現実
@@akibanokitune さん、うちの爺さんは餓島の奇跡の生還者。その臨終の言葉は「待たせたな、迎えに来たぞ」
日本人感情的には複雑な心境だけど、洗練されたデザインで最も美しいレシプロ機の一つだと思う
いいね押したいけど29だからやめとく
偽物だ
いいですね〜
b29 100万人以上の日本人を無差別にころした無敵爆撃機!
もっと日本人をころせたと思うんですけど、日本人が土下座して命乞いして降参したから叶わなかったですね(TдT)
原爆もあと5発くらい落とせばまだ面白くなってたのに
主さんもそんなB29を見れてさぞかし嬉しかったでしょうね?(*^^*)
アメリカ万歳!
自分が現在住んでいるところでは、もう一機の方のB29 “DOC” がたまに飛んできます:) 良い音を響かせながら、機体が太陽の光に反射したりして、飛ぶ姿がとてもカッコよくて美しい飛行機です!
戦後、日本が旅客機としてボーイング社を導入しなかったのは日本を焦土にしたB29を製造したメーカーというのもあったみたいですね。
1967Akr さん
ご視聴ありがとうございます。
なるほど、確かにそうなってしまったのは仕方のない事だと思います。
ボーイング社の機体が日本で活躍できるまでは色々なプロセスがあったのだと想像します。
コクピットからの眺めはミレニアムファルコンみたいですね。
B29と聞いただけで日本人には恐怖だが。航空機としてはなかなかカッコいい。
B29?何それ
って人も居てしまう......
自分はそんな恐怖とか関係なくカッコいいと思うけどなぁ
純粋に飛行機としてみたらイケメンですよね。姿形はカッコいいし性能も当時の最先端。ただ、日本人としてはB29と同じメーカーの機体が日航や全日空に使われて日本の空を飛び回っていることには複雑な気持ちになりますね😅…。
@@如月鮭 個人的にはFw 200の方が好き(そもそもアメリカじゃなくなってる)
でも故障で墜落することも多かった。
操縦席周りのスーパービュー感はたまらない! 戦闘抜きなら物凄く視界が素敵で楽しめそう すごいなあ
日本人として、最も心理的にいやなイメージのある航空機。
こんなバケモノが500機も自分の街の上空にやってきて爆弾を投下したと思うと…。
当時の日本の航空機とは次元が違うようにさえ思えます。
それでも戦争で日本人は本当によく戦ってくださったと思います。
平和に感謝
何故かそこまで古さを感じさせないのが不思議
現代でも古く見えないと言うことは
大戦当時は世界から見れば超ハイテク機だったんでしょうね…
勝てるはずがない。
色んな思いがある飛行機ですよね。
確か搭乗員は作業つなぎ程度やTシャツで過ごせるほど快適だったそう。本当に技術の固まり…
撃墜したB-29を調査した日本軍は、その搭乗員が薄着だったことから「見ろ!米軍は搭乗員に防寒着を支給する余裕すらないぞ!」と勘違いしたそうです。
1/72のB-29のプラモデルを作る予定です。実物の内部が見れるなんて、とても貴重な資料です‼️特に乗り込んでもらったことで大きさのイメージがつかみやすい❤
日本では都市爆撃や原爆投下でイメージが悪いですが、飛行機としてはまっすぐな胴体とまっすぐな長い主翼で美しい機体ですね。乗員の安全や快適性も考えられていて素晴らしい飛行機だと思います。
Taiyaki No-engawa さん
ご視聴ありがとうございます。
私も幼い頃からこの機体は恐いものとイメージづけられてきました。戦争体験はありませんが戦争は本当に大嫌いです。
でも、純粋にこの機体は素晴らしい。とても複雑な気持ちでしたが、圧倒されました。
人間がこんなもの造り上げるのだ。。。と。
このデザインはまさに現代の旅客機の先駆けだと思いました。
素晴らしいものを素晴らしいと言える時代に感謝です。
日本人からすれば忌々しさまで感じるが、恨み事無しに考えればとても素晴らし物だな。
技術力の粋はどんな物でも賞賛されるべきだ。
例え、国1つを焼け野原にしようと。
こんな凄い機体を何百機と飛ばしてきた。それに搭乗する乗組員の育成も出来ていたというアメリカが
やはり凄いですね。
模型とは言え、爆弾が恐ろしく見えました。
ありがとうございました。
ご視聴ありがとうございます。
この乗り物が悲しい歴史の象徴になってしまっているのはとても残念に感じます。
人間の素晴らしい技術、能力を平和の為に使っていただきたい、、と常に願います。
1機1機の費用が凄まじいからねー
日本は3192機くらい撃破したらしいけどb291機作るのに40億くらいかかるから結構損害やばかったらしい
@@いんきなこ さん
ご視聴ありがとうございます。
そうなんですか。なるほど、、、
情報ありがとうございます。
@@RyokoAlansFlyingWorld やっべ間違えました
本土に空襲に来た航空機3万機のうち3192機を撃墜したらしいです。その中でb29は500機ほどだったらしいです。それでもすごい損害ですが
@@いんきなこ さん
情報ありがとうございます。
勉強になります。
大東亜戦争(第2次大戦)から朝鮮戦争に入るとものすごくソ連のミグ(Mig15)なんかに結構落とされたみたいだけど、B36やB52になるまでや朝鮮戦争の前までは新しいな規格の仕組みなのだな。
やはり米国はすごいですね。
こんな国相手によく日本は戦ったと思います。
戦争は技術開発を生みますが、出来ることなら平和に利用されることを願います。
戦争はゲームの中だけで結構です。
日本が体育会系脳筋バカだったんです
銃剣をオリャー!トリャーって振り回せば勝てるはずと思い込んでた野蛮人と成り下がってたから
よく戦争は必要悪とか科学を加速させるとか言いますがそれは比率で言うとかなり小さいです
強いて言うなら戦争の準備はそこそこ科学を進歩させますが戦争そのものの行為はあまり進歩に寄与しません
では科学の進歩はなぜ起きるのか、と言われれば正解は個々の科学者の日々の研鑽や努力の結果であって
それは戦争で表舞台に立ちましたが、その研鑽は戦争が無くてもかなりの確率で普通に世界に広がった科学技術でしょう
まぁ一部例外はありますが戦争は科学技術を数年あるいは数ヶ月前に世界に広げる程度の誤差しか寄与せず
その代償に万を超える命を消費する馬鹿げた行為なのです
ですがB29も大空に舞う今の平和の象徴と成って日本人としてはこれで良かったのだと思わずにはいられません
コクピットがスターウォーズみたいな映画の宇宙船みたいでカッコいい
まずこの規模の飛行機を当時飛ばしてた時点で相当凄いんですよね。
旧い飛行機の表面がほんのりとベコベコなの好き
あのベコベコのせいで強度が凄いんです。
各構造材の間に引っ張りトラスを張った感じで。
@@APW_Manbow なるほど!トラスの役割だったとは。
日本の航空兵が戦後、占領軍のグラマンに触れる機会があり、「日本の戦闘機の外皮をノックするとボコボコ鈍い音がするが、グラマンの外皮はコーンコーンといい音がした。」と言ったそうです。リベット打ちの女学生さんの腕が上がれば日本機も、ほんの少しは強度もアップしたのかな。
板厚の違いもあったでしょうね。
厚くすると当然重くなるのでエンジンの出力も必要になりますし、その分燃料搭載量も増やす必要があります。
日本は日本なりにそこらへんのバランスを考えた上で取捨選択したのでしょう。
ここに行って、実際に見てみたいです。
ちっちゃいツマミ類とか内部機器のほどよい塗装のハゲとかがよく見える、マニアほいほいの映像ですね。私はこういう大型機だとトイレ関係もどうなってるか興味がありますので次にもし余裕がおありでしたら紹介をお願いいたします。ハセガワの一式陸攻のプラモだとちゃんと洋式便器もついてます。
春峰あきらさん
ご視聴ありがとうございます。
またいつかチャンスがあればご紹介させていただきます。
この日は全く予期せぬ出来事で計画なしにとにかくビデオをまわしました。
圧倒的ビジュアルですね。2機モデルを持ってるのですが本物は圧巻です。
与圧されコーヒーも飲めるって同時代の日本の機体と比べてすげぇなぁ
工業力が半端じゃない
B29.ホントにすごい機体です。
それと同時にやはり恐怖を感じますね。
スミソニアンで見たことがあります。ゼロ戦も置いてあり不思議な感じでしたが、平和であるこそだと思いました。
良い方に取ればノーサイド。
私も小学生の時にスミソニアン博物館で見たことがあります。展示してある部屋が隣同士でしたね。
工業製品(B29)とオモチャ(零戦)くらい違うと感じました。
これは勝負にならなかっただろうなと実感、痛感しました。
@@yoshihiko3234 でも迎撃で一気に30機撃墜されたりもしてるみたいだね対空砲もあわせて合計で400機は落とされてるみたい
@@色々保存サブ
400機落としたところで、民家だけでも200万戸以上焼かれましたけどね。
400機もあくまで延べ数で、出撃ごとの損失率考えると一方的にしか思えませんが。
動画で触れられている与圧システム、GPSの前身のLORAN、真空管による弾道補正計算など、大人になってから改めて技術格差を知りました。小学生のとき感じた第一印象と違わないなと。
あげくは空襲のついでにアイスクリーム缶をぶら下げて行って、高高度でキンキンに冷やしたアイスクリームをお土産に持ち帰っていたそうですが。
@@yoshihiko3234 もはや別次元ですねーさすが米帝
今は日本の一部の航空自衛隊でも飛行機にペイントをすることで隊員が飛行機に愛着がわき、飛行機を丁寧に長く使ってもらえるように工夫しているそうです。
フォケウルフとb29は普通に芸術品だと思う。
叔父が海軍航空隊でした戦後自衛隊行き生涯通じて好きな機体はF86。赤とんぼやらゼロ戦は作りは荒く言うほど良くないって昔聞いたし、米国製航空機に戦後接してこんなモンぎょうさん作る国に勝てるわけないとも。それでアメ車好きで死ぬ直前まで古いマスタングと左ハンドルのジープ持ってました。でもB29って結構対日戦では落とされているんだよね。日本と北朝鮮を焦土化させた優秀な航空機と言うのは厳然たる事実
どんぶりレンジャーさん
ご視聴ありがとうございます。
叔父上様は海軍でいらっしゃいましたか。
F86シブい機体お好きですね!
とても魅力のあるデザインで私も好きです。
素敵なお話しシェアしていただきありがとうございます。
こんな化け物爆撃機と戦った、勇敢な英霊に敬意を表します‼️‼️
動体保存出来るアメリカも凄いです。
実際は故障の多い飛行機だったんだよなぁ。
@@ファンチャンネル-q6j まぁそれも織り込み済みの設計でエンジンなんてすぐに換えれたとか聞きますね
たしかシャーマン戦車のエンジンもB29とコンパチだったとか
しかしまさか動態保存が2機だけとは思いませんでしたね
穿った見方をするなら米国もそれなりに日本に負い目を感じていたのかもしれませんね
それなら日本の戦後の復興もすこし納得がいきますね
@@漫画太郎-j2d 「日本万歳」
大半は朝鮮上空でミグに撃墜されました。
こんな骨董品みたいな機体を実際に飛行させることができるとは!
アメリカ人の凄まじさに感心します。。。
日本語の解説とてもありがたいです。
Bー29はやっぱりカッコいい!😃銀色にキレイな円筒形の機体、ガラス貼りの丸い機首
東京大空襲のその時B29が3機東京から蔵王の麓不忘山に墜落した事もありましたね、知っている人も少ないと思いますが。
与圧システムがあるというのが凄いですよね。そしてジェラルミンの銀色がとても好きです。
80年前の飛行機とは思えない性能
当時の日本人には恐怖でしかなかったと思いますが、1飛行機として惚れ惚れしますね
でも故障で墜落することも多かった。
@@awizcd6472 撃墜含めた未帰還機、448でしたっけ?・・それぐらいいましたからね
そもそも、高高度爆撃機とはあるが実際は精度が劣悪で性能を生かしきれてなかった。
なので実際よりも数千メートル下に降下して爆撃を行う、ので普通に被害は尋常じゃ無かった。
@@nineball9236あれ?でも精度が当時の爆撃機はみんな悪かったから絨毯爆撃というものが生まれたんじゃ…
@@ボット-k1r
ある程度は降下する必要があります。
そもそも、目標を見逃す可能性すらあるんですから。
日本人にこれほど有名な航空機はありませんね。88歳の母はこの大編隊がやってくるのを眺めた記憶を語っていました。太陽の光を反射して機体が輝いていたそうです。その母がもっと記憶に残っている航空機はP-38です。だって自転車で移動中の母めがけて急降下してきて機銃掃射したのですから…一生忘れるわけありませんね。
George M Hayami さん
ご視聴ありがとうございます。
P-38 ですか。。。あの機体で急降下とは。デザイン的にも特に記憶に残るものだと思います。
P-38はデザインさせた格好いいですマ
小学生の頃(50年以上前)、プラモデル作りましたので、あ!、この部分こうだったよね~、と思い出し、理屈なしにジーンと来てます。
コックピットを見たのは始めて!、この複雑で精密な機を人間が作ったとは信じられない思いです。
Ryoko さん、Alan さん、 ありがとうございます。
cr enさん
ありがとうございます。自分は純粋に飛行機が大好きで素晴らしいものを人間が造り上げる事に感動しています。
ですが、同時に人間は悲惨な歴史をもつくる。。
このビデオで予想以上に色々な方々の複雑なコメントを沢山拝見し改めて世界平和を祈り続け考えていくべき事を学んでいます。
b29にわ日本軍にわないクーラー設備が搭載されていたとか聞いたことがあります。それほど重工業の技術が凄い国だとアメリカを改めて思いました。
ありがとうございますちなみに質問させていただきます。b51という爆撃機も存在していたのは事実なのですか。
B-29機体の大きさ性能は当時からするときれいで性能も優れている、日本が勝てない理由も理解出来る。でも当時は日本軍部は可能な限り撃墜に信念を集中して戦果も少しあげた。アメリカの経済や工業水準の高さは凄いと思いました。こうして保存されて入るのを敬意いたします。日本は負けて飛行機は破壊したので今完全な飛行機はない。でもアメリカに零戦など保管されているのいは嬉しいです。戦争はもういやであるがこうして当時を偲ぶのは嬉しいです。多くの人が犠牲になった歴史は悲しい。今ロシアが戦争を始めた、弱いものいじめはいけない。世界世論でウクライナを応援しょう。
マギー大佐まだご存命なのすごいですね笑
長生きしてもらいたいです笑
The Quintessential Quintupletsさん
マギー大佐はご高齢ですがご存命です。
人種差別を受けていたとしても与えられた自分の任務というものに向き合う。。。
数年前に素晴らし彼の講義を聞いて感動しました。
昔からB29のコクピットからどんな景色が見えるのか興味がありました。現代の大型機は鼻先にレーダーがあるので、上から外を見るのに対し、B29はやはりコクピットの前が全面ガラス張りなんですね。これは目標が見え易い。でも正面から機銃掃射されたら怖いですね。
WW2では最大クラスの爆撃機だけど、今見ると地方路線のターボプロップ旅客機ぐらいのサイズ感なんだなぁ
世界的プラモデルの一流メーカー、タミヤ模型の会長が機関紙で「全世界からリクエストがあるが、B29だけは絶対に発売しない」とおっしゃてます。会長いつまでもお元気で。
山本五十六が開戦派に「君たちはアメリカの工場や煙突の数を数えたことがあるかね?」と質問をしたらしい。
百歩譲って日本でもB-29が造れたとしても、圧倒的な工業力には敵わなかったと思う。
WW2の頃の飛行機とは思えない完成度...
でも故障で墜落することも多かった。
これを量産する力は…先の大戦時の日本にはなかったですね。
連山すらマトモに作れなかった国…
無謀とわかっていても開戦せざるを得なかった当時の日本人に思いを寄せることにします。
世界が平和になりますように。
海自にいる次男がヘリ空母で出撃する日が来ませんように。
りょうこさん 貴重な動画をアップしていただきありがとうございます。感謝いたします。
いさちるきゃっとさん
ご視聴ありがとうございます。
自分も世界平和を祈り考え続けていきたいと思います。
ご次男様、海自にお勤めされていらっしゃるのですか。
国そして平和の為にありがとうございます。心から感謝いたします。
@@RyokoAlansFlyingWorld ご多忙中、貴重な時間を割いてコメントを返していただきありがとうございます。感謝いたします。
養母(実の祖母)が、満州時代(養父・実の祖父が満鉄勤務)に奉天近郊で墜落したB29を見学したことがあるそうです。
満州では、映画館で風と共に去りぬも上映されていたとか。
満州は内地よりおおらかな社会だったようです。
そんな社会なので、祖母が英国人の1/4ということもあり、祖父が東京勤務から満州勤務にしたそうです。
養母は、サイパン陥落時に、養父から日本は負けると聞かされていたとか。
風と共に去りぬという総天然色の壮大な映画を作る国、こんな大きくて複雑な飛行機を作る国、それがアメリカ。
そんな国と戦争して勝てるわけないと思ったそうです。
この動画を見て「これは高度な技術で作られた航空機だなぁ」とか「日本で実用化に苦しんだ排気タービンを実用化するために10年以上の時間を費やしているけれど発動機のトラブルが多かった」などということを考えていました。
機体先端のガラス張りの爆撃手席に座って怖いとおっしゃっていましたね。
日本の防空戦闘機は、機銃弾が命中したとき、相対速度が高く効果が高くなるので、正対して攻撃したと聞きます。
ですから、あの席からは銃口から火を吹きながら肉薄攻撃をかける日本防空軍機が見えたことでしょう。
それはとても恐ろしいことだったと思います。
そんなこわい思いをする人が世界から消えるように、コツコツと平和のためにできることを積み重ねるのみです。
今後ともよろしくお願いします。
日本は爆撃機をまともに作れなかったのは資材不足もありますよ
連山は作れてはいましたよ、けど一機作るのに零戦10機分のコストが掛かるので戦争末期だったこともあり軍側から開発中止にされてしまったんです。
操縦席から一段下がった機首ののクルーは射撃手ではなく爆撃手だったと思います。
ありがとうございます。そうだと思います。銃のようなものが機体から突き出していなかったので、なんだろう??と思いました。私は大戦機の専門家でもなんでもないので皆様からのコメントで学んでおります。ありがとうございます。
私はどちらかと言うと、戦車など地上の兵器が好きなのですが、その私でもB29は良く知っています。動画では触れていませんが、確か、機関銃は連携して動くように作られていたと記憶しています。また、私でも、ゼロ戦やグラマンF6F、メッサーシュミットやスピットファイアなどのプラモデルは作った事があります。
貴重な動画ありがとうございます。
兵器なのでどうしてもその運用された歴史を見てしまいますが、それ抜きにして見たら、B29は素晴らしい工業製品であり、兵器であることがよく分かりますね。
特にコクピット周りの実際の映像が見られるのは感動です。
コクピットからの眺めはスターウォーズのミレニアムファルコンみたいで見ていて面白かったです。
与圧システムは現在の旅客機の原型ですし、航空機の技術革新に一役かった機体なのは間違いないですね。
与圧でしょ?抑圧って独裁者かよw
@@MrSuzuki0315
はいはいワロスワロス
@@kea3006 ワロスと言いつつしっかり訂正はするのねw
@@MrSuzuki0315
勿論よ
あおってきたけど、誤字ってんの指摘してくれたんやからな!
ありがとな!
B29のような素晴らしい会話
コクピットとトンネルが凄いね。前がオープンな操縦席ってのは色々と凄そう。全く違う風景だろうね。それと上空では席から落ちそうな気になったりして。トンネル凄いアイデアだけど、そんな機内に10名以上のクルーが居たってのも別の意味で凄いかもね。
いつもご視聴ありがとうございます!
戦争を直ぐに想像させてしまう機体ではありますが、純粋にこの機体の素晴らしさに感動しました!
@@RyokoAlansFlyingWorld 期待の素晴らしさ!・・・ここですよね。 機体には責任が無いんだけど、ふと。
80年くらい前にこんなすごい飛行機つくってたんだ
びっくり
やっぱ自由ですねアメリカは!
空の要塞が納得できるような機体
アリゾナで外から見た事あります。
中からは視界良好なんですね。
本土を爆撃したB29のインタビューでなぜこんなに笑顔なんだ?
私は戦争についてドキュメントを作ってるプロでもなんでもありません。パイロットが純粋に飛行機を紹介してるものです。
私の笑顔の裏に何を感じているかは理解を求める事はいたしません。
1945年当時小学生だったうちのオカンに、B29見た事ある?って聞いた事がある。あんな綺麗な飛行機見た事なかったわって言ってた。😅
ルーはーわーるどさん
ご視聴ありがとうございます。
そうですか。。お母様B29を日本の上空でリアルにご覧なられたのですか!
@@RyokoAlansFlyingWorld 母は高校野球の開始サイレンは空襲警報を思い出すから嫌だって言ってるので、鮮明に覚えているんだと思います。😓 最寄り駅の地下道通ると何時もここは空襲で亡くなった人が並べられていて、生き残って人は先ず自分の家族がいないか捜しに来ていたと、いつも同じ話をします。😬
@@ルーはーわーるど さん
これからも命をいただけることが当然の事だと感じず生きていきたいと思います。
ありがとうございます。
貴重な映像、ありがとうございます。
B29は、思ったとおりよりも、大きい機体です。
B29の機体が、よく残っていましたね。
B29と言えば、悲しい戦争時代のイメージしかありませんが、約80年弱前の技術とすれば、凄い技術だったのでしょうね。
約80年弱前の日本の技術とは比べ物にならなかった事に、納得です。
それだけ日本の技術が、戦後の日本の技術を発展させたのですね。
平和を学ぶ為には、是非保存してください!!
最後に、戦争で亡くなった世界の皆さんに、ご冥福をお祈り申し上げます。
皆さんの悲しい犠牲なしで、平和を語れない事を、忘れない様に....。
今見ても宇宙船みたいなフォルム、70年以上前の飛行機とは思えないです。
最前席座って遊覧飛行できたら最高だろうな、、
B29が現存していて今だに飛行可能とか!操縦席付近も初めて内部を見ました。トンネルを這いつくばって後方へとか。
巨大な爆撃機だと思っていましたが、爆弾室のしわよせで意外に狭く、想像して尚クルーは快適ではなかったのですね。
後方の射撃席とかも見てみたかったです。
加藤博さん
ご視聴ありがとうございます。
もしまた機会があればその時は後部も撮影できたらしたいと思います。
いち に ど くわとろw
久しぶりにチャンネルに遊びにきたら、バズってましたね(汗)
この動画は私も好きな動画でした。こんな機体が残っているなんてすごいですよね。
エンジンにも名前をつけているところなんてアメリカらしいなと思っちゃいます。
また動画楽しみにしていますね。
飛行機好きチェンネルさん、
ありがとうございます。全く予想もしていませんでした。ちょっと複雑な気持ちです。
私もまた飛行機好きチャンネルさんのところへお邪魔しにいきます。
@@RyokoAlansFlyingWorld
はーい。お待ちしていますね〜♪ソロフライトの動画、恥ずかしいですが観てほしいですw
いやあ~~~‼本当に貴重ですよね~~😊
でも、実際には何機も日本軍の高射砲で撃墜してるって聞きましたけど、
良く、保存状態も申し分ない位綺麗ですよね。ありがとうございました‼
チャンネル登録も、しましたのでよろしくお願いします😊
haruo 542さん
ご視聴ありがとうございます。
とても貴重な体験でした!
B29がいる事すらわかってなく慌ててiPhoneでカメラまわしました。
ラッキーな1日でした。
本当に良く出来てる。B29は高高度爆撃機としてのパイオニアですね。他国ではすぐにはマネ出来なかっただろな。この高高度爆撃がコンセプトのせいでジェット気流に阻害されて前半は成果が出なかったという皮肉は有りますが、技術を具現化した功績は素晴らしいです。
綺麗だよなぁ
私のじいさんが子供の時、空襲で超低空を飛んでるB29を見て、アメリカが怖いと言う衝撃的なインパクトを受けたらしい。
山田 山田さん、
ご視聴ありがとうございます。
この機体を間近でじっくり見て
もしこの機体が人を攻撃してくるものだと想像した時、正直体が震えました。二度と悲惨な歴史は起こしてはならないと心に刻みつけられます。
いやぁ〜りょうこさん、大した貴重な経験をしましたねー👍👍👍すごいと思いますよ。こんな飛行機を造れるとは、アメリカはやはりとんでもない国ですよ。ドイツも日本もターボチャージャー作れない時にすでにありましたからね。ドイツではスーパーチャージャーはいありましたが、B 29のライトサイクロンのターボには勝てません。
いつもご視聴いただきありがとうございます。
そうですね、かなり貴重な経験をさせていただきました。
純粋な気持ちで人間がこのような凄いものを造れるのかと感動致しました!
と同時にこのような技術などを地球平和の為だけに使っていただきたいと感じました。
平和のための抑止力になれば幸いです。技術は人類の平和のために進歩して欲しいモノですね。
約80年近く前のテクノロジーに驚くばかりです。凄い科学技術にビックリです。また、
この機体を一度に数百機を飛ばして作戦をしたアメリカの凄さにビックリですわ!
機体整備に燃料補給、爆弾搭載、搭乗員の衣食住とか
航空基地の規模を考えると恐ろしい運用能力と兵站に恐れ入ります。こんな国相手に戦争した日本は負けて当たり前だったかもしれません。
迎撃装置は確かアナログ式の電算機を搭載しているはず。ノルデン照準器といい、こんな戦闘機材ひとつひとつに最新技術を投入していた。勝つための貪欲な意欲が違う。
あそこまで沢山の機体があって飛べるのが2機しかないのか
あいうえおさん
そうなのですとても希少価値が高いもので
維持費もかなりの高額になるようです。
CAFというアメリカの非営利団体が色々な昔の機体の保存に力を入れています。
@@RyokoAlansFlyingWorld やっぱり費用が1番の課題ですよね
私もレシプロ機が大好きで50年RC機,プラモデルで大戦機を200機程作製しました。RCでは、B17F,P51D, 零戦二一型〜五二型、
F6Fコルセア、スピットファイヤ、Me109、と飛ばしてきました。
でも、B29だけは作る気も飛ばす気もおきません。
おそらく、これからもそうでしょう。
私がもっとも忌み嫌う機体です。
防御機銃の照準装置を見たかった
ご視聴ありがとうございます。
自分のような一般の人間が簡単に入って撮影できるようなものではないので全てをご覧いただけず、すみません。
英語になりますが、アメリカの撮影クルーが収録したものをTH-camにあげていますのでもしよろしければ、、、。
th-cam.com/video/7EJQhXsN_bY/w-d-xo.html
おばあちゃんが、戦時中この飛行機のゴォーっていう飛行音がものすごく怖かった、って言ってました。
7:55これって、爆撃用のノルディン照準器じゃないですか?
詳しい人居たら教えて下さい
山本五十六さん
ご視聴ありがとうございます。
色々な設備に詳しくないのでお答えできず
申し訳ありません。
とても詳しい方々から少しずつ情報いただいて学んでいる次第です。。。
めっちゃかっこいい
第二次世界大戦時のアメリカの桁違いの科学技術・工業技術力の結晶。
スターウォーズのミレニアムファルコン号のモデルとなった操縦席や銃座ですね。
貴重な映像ありがとうございます
m2848989 さん
ご視聴ありがとうございました。
飛行機は当時の最先端を行く技術が注ぎ込まれているのがよく分かります。
この時代にターボとスーパーチャージャー搭載のエンジンと与圧装置を搭載。この時点で日本は負けています。
B29は美しさとかっこよさを感じると同時に複雑な気持ちになる機体ですね。
「日本万歳」
スーパーチャージャーとは機械式過給機の意味では?
この爆撃機に使われたのは排気タービン過給機だ、と思う。通称ターボ。
大きな機体は大好きです///(←ナウシカのバカガラスに惚れた幼児の慣れの果て)
このB-29を撃墜した雷電てやばすぎる
こちらの方が多く撃墜されてますよ
@@Drizzle_United そういう話ではなくないか
@@特別支援学校卒投資家 いやそういう話じゃね?
@@22型零戦 数じゃなくて撃墜したことを言ってるのではないでしょか?
間違えてたらすみません
@@きみず-c8g それな
祖父はB29が家の上空をよく飛んで空爆してきたという話をよくしてくれます。祖父にしては恐怖だと思いますが、どんなスペックを持っていたとか色々知りたいと思いました。
8:00前後に写っているのは爆撃用ノルデン照準器ではないでしょうか。爆撃時には機体のコントロールは照準器で行えたと聞いてます。
当時の日本の爆撃機が2トン程度しか爆弾搭載できなかったのが10トン近く積めたのが凄いが3月10日東京爆撃、広島、長崎原爆投下の主役、複雑な心境ですね。
俺の祖母は、川崎生まれで、東京、川崎空襲に被害受け、15歳時に北海道に避難。祖母の両親は北海道生まれだったため北海道へ。
祖母の話では、空襲で生まれた時写真と子供時写真及び家族写真とか住んでいた家の写真〈どんな家の姿は、不明〉も全部燃えて消えたっと言っていました。
斉藤さん
ご視聴ありがとうございます。
これからも世界の平和を強く願い続けます。
凄いですね!
脱出装置とかあるんでしょうか?
どうでしょうか、装置となると詳しくはわかりません。
一昨年96で亡くなった父親は太平洋戦争開戦前までは立川飛行機で中島から委託を受けた一式隼を製造する一工員で、海軍の暴走で始まった太平洋戦争が開戦して間もなく陸軍に招集されてモールス通信の訓練を受けて海軍も進駐していた台湾の高雄に陸軍第62対空無線部隊の一通信兵として配属されました。
立川飛行時代の一式戦隼には操縦席背面の防弾鋼板、燃料タンクにはゴム引きのアウターシーリングが施されていたの〇式戦には何の防弾もなくとてもとても兵器とは思えない貧弱さだったそうです。
台湾沖海戦、空戦、連合艦隊最後の組織だった戦闘で合った菊水作戦で南無妙法蓮華経のおぞましいマントラで狂い切った海軍の将校が未来のあった若者、妻子のいた若者に薬物さえ投与して腐れ外道日蓮の邪義である特攻を始めて、
陸軍でも日蓮系のクズ将校、クズ上官が陸軍では禁手であった投稿の命令を下したために、本土から実践どころか飛行経験もわずかな子供同然の飛行兵に自分の棺桶になる信頼性の無い4式戦疾風をヨタヨタとフェリーするのを父親のモールス信号で誘導して、
米軍の火力を恐れて月明かりの夜に子供の飛行兵に特効の訓練を行うのを父親がオペレートした際に父親がレーダーを装備したF6Fの夜間型又は、日本が敗戦後に初めて存在を知ったP61ブラックウイドウと思われる爆音を聴知して、
翌端灯を消せと緊急の平文で打電するやいなや曳光弾が子供の飛行兵の人体と訓練機を砕いて爆発炎上して墜落したそうで御座います。
運よく?生き残った子供の飛行兵が特攻を開始して既に連合艦隊をはるかに上回る絶望的に強大な米機動部隊を発見して、敵艦艦隊発見、突入とモールスを打電してモールスのキーを押し続けてツー音を発信してその信号が途絶えた時に戦果など誰も解らないままに日蓮系のクズ上官に子供の飛行兵が戦死したことを報告する日々もあったそうです。
日本の敗戦と同時に蒋介石軍に武装解除されて引き上げ戦で本土に帰還するときにモールス信号の暗号が打ち手がわるいのか?受信する父親が悪いのか?全くわからないのに殴りつける日蓮系のクズ上官を武闘派の戦友が夜陰に紛れて東シナ海の魚のえさにしようと持ち掛けられたそうですが父親が生きて帰れたし人殺しはもうたくさんだろ?勝慎太郎の兵隊やくざで有田上等兵を演じた田村高廣のように返答して殺しはしなかったようですが、
本土の港に付いた際に他の部隊の仲間に聞いたところその舞台でも自分は正しいの日蓮特有のコケの一念で殴る上官を夜陰に紛れて東シナ海の魚のえさにしたと即答したそうで御座います。
敗戦後の混乱を生き抜くためと日蓮系のクズどもが自分たちが薬物さえ投与して殺害したも同然な若者、妻子のあった若者を英霊?などと祀りあげて自分たちの戦争責任も敗戦処理もおざなりにした為に、立川に進駐したアメリカ空軍で陸軍航空技術研究所に捨て置かれた子供達と順国家公務員の立場で表向きはMACの輸送機の整備、修理を行ってはいましたが、
実際は朝鮮戦争中にMIG15と世界初のジェット戦闘機同士の空戦を行ったF86の修理、整備、B29をパワーアップしたB50の整備、修理も各パートごとに分かれて行った際に旧日本陸海軍機には発想すら全くないリレー、タイマー、シーケンスで構成された現在のデジタルコンピュターより複雑なアナログコンピュターの半自動のFCSが搭載されて機体担当の父親には理解不能で、そのほかのアビオニックスは専門の担当員が米軍の指示を受けたり、NECや富士通にも教えて修理、整備していたようで御座います。
またこれらの電子機器の全てがビニールコードで結線されて信頼性も高く、ほとんどすべての危機がラック式で現在のジェット戦闘機、旅客に装備されているJ1、J2コネクターで接続されていて故障の際は既にリビルトされた機器と入替えて短時間で稼働できる優れもので、すべてが半田の直付けで修理に時間が係り唯でさえエンジンオイルの耐久性が無くオイルが駄々洩れでニッケルを含まない粗悪な部品で構成されたエンジンはポンコツで電子機器もポンコツで稼働率が低い日本軍機と全く違う信頼性があったそうです。
日本気象庁も敗戦と共に壊滅したので米軍が横田基地からパワーアップしたB50でグアム、サイパンまで往復して気象情報を収集していた際にはB29と殆ど同じ機体構造のB50にも実戦で使われた旧日本陸海軍機には装備されない、現代のジェット旅客機と同様な与圧キャビンがあり、
与圧の漏れをチェックするキャビンプレッシャーリーケージインスペクションシートが父親の死後出てきましたが、ボーイングの与圧隔壁の修理ミスで日航123便が墜落した際も父親が整備にかかわっていた爆撃機B50と同じでボーイングから指示されたインスペクションで点検していた日航の整備士が事前に気が付くことはなかったのかも知れないと語っておりました。
B29改造型気象観測機は確かBW50だったと記憶しています。爆弾倉にはキャンバス製の増加燃料タンクが置かれ、長時間のフライト
が可能だったようです。戦後すぐに気象観測が米軍の手にゆだねられていたころ貴重なデータを日本側にも提供していたようです。
実機を横田基地で見たことがあります。あと余計な事ですが誤字のチェックをなさったほうが良いかと・・・・
『残念ながら立派です』を思い出した
エンジンに名前をつけるところや例えばFedExの機体にクルーの子供さんの名前?などを付けるのはアメリカの慣習ですかね?
たぬきちくん さん
ありがとうございます。
そうですね、特に愛する人の名前をつけたりするオーナーをたまに見掛けます。
このFIFIというのもB29を最初に見つけオーナーになった方の奥様のニックネームだったようです。
空襲の事とは別に、B29が実際に飛んでいるところを見てみたいです。プロペラが4つ付いている飛行機を見ると注目してしまいます。現代の4プロペラ機はP3-Cがありますね。
私がまだ幼稚園に行く前に、朝鮮戦争のことですが爆撃に向かう編隊を見た見た記憶があります。
かなり高いところを飛んでいたのですが、何か、お腹の底に響く爆音を轟かせていたのを今でも
記憶してます。3月10日の東京大空襲の時は、これが延べ数百機で爆撃してきたんですからね、
生きた心地はしなかったでしょうね。