炭平コーポレーション(信州の百年企業・2019年12月22日)
ฝัง
- เผยแพร่เมื่อ 17 ม.ค. 2025
- 建設資材販売などの炭平コーポレーション(長野市)は1614(慶長19)年、長野市の善光寺に近い西之門町の一角で創業した。当初扱っていた炭を門前の刀鍛冶に収めたことで財を成した。屋号は「炭屋平六」で炭平の名はここから来ている。家業は親から子へ、子から孫へと引き継がれてきた。大きな転換点は14代目・鷲澤平六がセメント販売の特約店契約を結んだ1893(明治26)年。長野に近代化の波を呼び込む動きだった。この平六は、長野市の冬の風物詩として定着した「えびす講煙火大会」の仕掛け人、資金集めに奔走した記録が残る。「セメントだけでは生き残れない」と業態を広げたのが16代目・鷲澤正一氏(現在同社相談役で前長野市長)。生コン、住宅器具、運送からコンピューター販売など関連会社を設立、この選択が長野冬季五輪後の建設不況に影を落とした。長野市長選に出馬することになった正一氏は「俺が会社を去ることが炭平の最大のリストラ」という言葉を残して社長を退任する。後を託された息子の幸一氏(現社長)は待ったなしの改革に取り組むことになる。