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2:29〜校歌北内の萌ゆるみどりに大いなる陽は輝けりみよ建学の理想も高く悔ゆるなき今日を励めばああ青春の日々新たなり誇りあり わが伊野商高
優勝の校歌斉唱の際、球場全体から手拍子が沸き起こっているのが良い。
この時の高知県は、レベルの高い学校が複数あったね
週刊誌もテレビ放送もスポーツ新聞でもPLばかり。地方のチームの情報はほぼなかったから渡辺投手みて鳥肌たった。
当時小学4年になる春、伊野商業の快進撃で高校野球が大好きになりました。
清原を抑えたのも凄いけど、それは大会屈指のエースなのでわからんでもない。それよりさほど評価されてなかった打線にも関わらず桑田から3点奪ったのが凄い。
PLは過信して伊野商業戦前から優勝旗、優勝杯を受け取るリハーサルをしていたとか。鉄壁を誇るPLの守りが初回に失策を連発して2失点。桑田には不運だった。僅かな隙を逃さなかった伊野商業の気迫勝ちと思う。
海南(徳島)伊野商(高知)宇和島東(愛媛)観音寺中央(香川)済美(愛媛)・・過去、四国の学校は選抜初出場初優勝をよく達成してますね。久しぶりにまたそろそろそういう学校が出てきてほしいものです。
優勝こそ逃したものの1974年の池田(徳島)、1977年の中村(高知)、1990年の新田(愛媛)も初出場で決勝まで勝ち進んでますからね昔の四国はセンバツに滅法強かった
強烈な印象を残した優勝でした。これだから甲子園はいい。
伊野商業の監督の顔好き「え、まじで優勝しちゃったよ…」って顔だったw
今でも、感動で涙が出る‼初出場で初優勝👌もちろん渡辺は凄いが、一人では勝てない‼一緒に戦った選手も、素晴らしかったと思う。
ホントそうですよね。どの試合も3点以上取って勝っているので打線も申し分ない。打順5番の福本選手はPL戦で桑田から打ちまくってるし、キャプテンの中妻選手の俊足は守備でも攻撃でも大活躍だったし。ショートの笹岡選手の守備も素晴らしかった。とにかくバランスの良い、皆で渡辺投手を盛り立てて勝った素晴らしいチームだったんだと思います。
3戦目から3試合で僅か1失点。大会終盤になって、実力と勢いも加わって優勝をつかみ取った。決勝の前半は押されまくったが、ホームは踏ませず、自らのホームランもあり本領を発揮した。2年生の柳野捕手もエースを盛り上げた。
高知の田舎の高校が、PL、帝京をバッタバッタとなぎ倒して、甲子園で初優勝。なのに優勝した瞬間はニッコリ笑顔と控えめなガッツポーズだけで淡々と整列。すごく印象的で、今も鮮やかに覚えてます。当時の新聞によると「優勝しても騒がないようにしよう、そのほうがかえって目立つから」とチームみんなで話し合っていたそうです。この大会で渡辺投手を知り、大ファンになりました。甲子園史に残るスーパー投手だと思ってます。
初戦で東の有力校だった東海大浦安と相対しエース渡辺のバックスクリーン弾などで快勝。伊野商ナインもこれでイケる!と自信と勢いを得たかも知れませんね。
何かの雑誌で読んだのですが、渡辺いわく「試合前に浦安の選手に挨拶に行ったら、「よろしく〜」と舐めたような対応だった。「このチームに負けてなるか」と躍起になった。2回戦以降はどうでも良いが、初戦、浦安にだけは勝ちたい」と思ったとか。
ほんとに高校生なのかよ、渡辺。プロみたいな受け答えじゃねーか。
ホント投球フォーム同様にゆったり自然体でしたね。夏への抱負を聞かれて、“暑いですから優勝は1回でもういいです。。“と何かの雑誌に書かれていた気が。
@@岡田康弘-e7p さんへ高知県民はあの抱負を知って、「渡辺智男はバカだから優勝出来たんだ、だから余計なプレッシャーも感じなかったんだなW」と一同納得させられましたねW(^_^;)それだけ心臓に毛が生えたメンタルの強さを持ってたんですね。(良く解釈すればの注釈付きで)
石元さん御無沙汰です。長らく返信できすに申し訳ありません。今センバツも開幕まで1ケ月余。鳴門と久々の高知高校にも大いに期待しております(ー_ー)!!。
もちろんPLが優勝候補筆頭でしたが、伊野商もかなり評価が高かった。もしPLを止めるとすれば渡辺のいる伊野商か、これも好投手黒子を擁する西条高のいずれかだろうと言われてました。
近所の 普通の高校生が 優勝なんて テレビの前で不思議な感じで小学生の頃観てた記憶がありまする。
ここには映っていないが、帝京が準優勝旗を授与する際、実況が「伊野商業より大きな拍手かもしれません」と話していたのが印象深い。また、河田選手の初回の3塁打について「初回には3塁打を打ちました。先制のホームを踏むことができませんでした」と実況されてますね。
まだ当時は開校から20年余だったせいか校歌の歌詞も古くはなく歌いやすいですね。人口2万人の伊野町が沸き返った見事な初出場優勝でした。
伊野商強かった
伊野商対帝京🥎伊野商が4対0で帝京に勝って、選抜高校野球大会優勝だよ😃🏆
大阪東京の強豪を堂々と倒しての圧巻初陣V。やはり四国高知は強かったですね。
kokichisaotomeさんあけましておめでとうございます🌅🎍🧧よろしくお願いします🙇
kokichisaotomeさん伊野商が4対0で帝京に勝ちましたよ😃選抜高校野球大会優勝です🏆よく頑張りましたね
kokichisaotomeさんコロナウイルスに気をつけて下さい😷コロナウイルスなくなればいいですね無理しないで下さい
kokichisaotomeさん寒いですね😱体に気をつけて下さい
公立が優勝できた時代よかったね
佐賀北
こういう時代がまた来ないかと思う。池田、箕島しかり
野球越境入学のチームが優勝してもこの感動は沸き起こって来ないですからね。そんなおらが町の代表!が普通に活躍した昭和の高校野球はホントに最高の時代でした(¯―¯٥)。。🌸🌻⚾🌄🎶☆
金足農業惜しかったですよね
伊野商は昔、荒れてたとか言う噂があるが、県外から野球部員を入れてる私立よりかは好感もてる。
清原は、夏の大会で渡辺との再戦を望んでいたが、伊野商は高知県大会決勝で中山擁する高知商に敗れて出場ならなかったんだよね。
代理対決という形で清原(PL)が雪辱を果たした形となりました
確か県大会の初戦で打球が身体に直撃して、本調子ではなかったらしいね。
@@半田純一-f8l あのホームランすごかった
番長「夏は必ず打ったる!絶対に出てこい!」トミオさん「夏は暑いからいいです。」
渡辺投手は、清原との勝負で全打席、かすらせもしなかった。
結果的には伊野商も帝京も夏は甲子園に出て来れなかった。
78年センバツ初出場、2度の準優勝を果たすも帝京の夏初勝利は芝草投手の87年まで掛かりましたからね。以降は夏に2度優勝して全国有数の強豪校へとのし上がった印象です。一代で帝京の名を長らく知らしめた前田監督も勇退、令和での初登場が待たれますね。
渡辺(智)の他人事みたいな受け答えが良いな~
7:00 あたり山中監督の調子が悪くても死に物狂いで放らないかん。というところは時代を感じますね
なべとみの投球は好きだった
監督がまだ若い
山中監督は91年夏の高知予選の初戦、馬淵監督の明徳義塾と対戦。3点リードで9回2死まで追い込む。馬淵監督はこの試合が、夏の高校野球初采配で「社会人野球の経験があるので、高校野球を舐めていた。思ったより高校野球は難しい、と思った」と話していました。そこからホームラン→ヒット→四球→ホームランで逆転サヨナラ勝ち。
この当時の高知県のレベルの高さよ
明徳が不祥事で辞退しなければ、優勝候補の一角に上げられていたと思う。四国ではNo.1の評価だったのにもったいなかったですね。
明徳の初期は春の活躍から全国区にのし上がっただけに私的にセンバツ初制覇をそろそろ達成してもらいたい思いです(*^^)v🐟🍺🎶☆
リアルタイムで注目してました。明徳、山本、高知商、中山、伊野商、渡辺、の3人の投手とチーム。その他、秋優勝した明徳を苦しめた、高知、2年生エース和田、この年の高知県大会予選は、甲子園で勝ち進むより難しいと言われてました。
当時は四国がレベル高かったですよね、平成初期までは‥
リアルタイムで見てました、優勝したのにこんなに落ち着いたチーム、監督のインタビューは初めて見ました、夏もう一度出てきてほしかったですねぇ❗
県大会決勝で中山投手率いる高知商業にやぶれました。
清原が渡辺に「次は必ず打ってやるから、夏は絶対出てこい!」それをマスコミから伝え聞いた渡辺智男は「夏は暑いからもう良いです」とマスコミに答えた実話はあまりにも有名。
春から夏に掛けては高知商ら常連名門校の方が半端なく猛練習を積んでいただろうからね。本番の夏まで新参校に行かせてたまるか!の意地とプライドが渡辺打倒へと繋がったのでしょう。
渡辺富最高の投球‼️素晴らしい優勝でした😁西武ライオンズでも大活躍しました☺️
なべとみ 良いですね!
渡辺投手、インタビュー受ける時、帽子をちゃんと取って答えてるけど、何でメガネ外してるんだろう(笑)。
メガネかけたままだとダサく見られるのがイヤで、とにかく外したそうですねWインタビュー前の校歌斉唱の時から自分の顔がupで全国に映されるのを見越してメガネは外してますね(^_^;)
雨で水滴が付くのも嫌だったのだろう。まぁ年頃の高校新3年生らしい普通の?感覚だよね。
監督、選手のひょうひょうとした方言での受け答え・・・いいな^^
郷土色に溢れ地元との結び付きが強かった昭和の高校野球。まさにそれを象徴する見事な初出場優勝でしたね。
球速いなあ、今の伊野商ってどうなんかな?
懐かしいなぁー。この校歌。
55年の高知商業以来5年ぶり?!?!?!
75年の高知、80年の高知商、そしてこの伊野商と5年毎に優勝。90年の高知は初戦大敗に終わりジンクスも尽きましたね。
@@岡田康弘-e7p さん 1975年高知高の相手東海大相模の3番バッターは巨人原監督。
@@山田市之助-q8lさん、ここでもお会いしましたね(^^)。やはり昭和50年代の高校野球は独特のロマンみたいなものをお互いに感じるのでしょうか。。。 原辰徳選手、イケメンで当時からスターのオーラが出まくっていましたね。動画でアップされている豊見城との一戦を見ても存在感が違うんですよ。今更こんな感想を言うのもなんですが、赤嶺投手から三振を喫しただけでも絵になっている(^^)。。高知との決勝も彼の先制3ランで早くも勝った!のムードでしたが、村中投手が疲れからか捕まってしまい延長13回、3時間半の大熱戦の末に敗れてしまいました。中西太二世だったかの異名が付いた高知杉村選手の打球の速さに度肝を抜かされた当時小学2年の私です。それにしてもセンバツのない桜の季節はホントに寂しく残念な限り。。。一日も早いコロナの終息を祈るとともに高校球児達の不屈の挑戦を心から応援するばかりです📣☆
@@岡田康弘-e7p さん 実は1976年夏開幕試合で我が北北海道代表釧路江南高が原・津末コンビの東海大相模に7ー1の大差で破れているのです。この当時原選手はアイドルでどこかヘラヘラした感(完全に自分の見誤り)があって非常にムカついたのですが、最近観たある動画で「優勝する為に甲子園に来た」とのコメントを寄せながら、アイドル視される事にへの不快感をハッキリと表に現しているのが有り、実は大変硬派な人だったんだなと原監督に対し懺悔の気持ちで一杯です(笑)。
@@山田市之助-q8lさん。なるほど、北海道の方ならではの感想ですね。そう、あの開幕戦の爆発を見て原、津末、村中のラストサマー。投打に充実しきった相模が今度こそ優勝するだろうと信じたファンは結構いたと思います。対抗馬は崇徳か、小山か、柳川商か、豊見城か、サッシーの海星かetc。。とシミュレーションしましたが以降は強豪同士の潰し合いが続き、決勝は東京大阪のほぼノーマーク対決。桜美林がPLを降しての初出場優勝で大会は幕を降ろしました。 仰る通り、原選手の人気は野球関連の本だけに留まらず小学館の学習雑誌のピンナップ付録などまさに別格の扱いでした。なので原や相模のファンは喜んでも対戦相手(の地元)などは面白くなくて当たり前。最後の甲子園でのインタビューを私も聞いていましたが、原って骨っぽい男気のあるヤツ(^^)と印象付けられたのは事実です。ただ爆発試合のあとに有りがちな打線不発。。。小山との試合で彼が最終打者となり涙で甲子園を去ることになりましたが、もう少し見たかった。プロ野球でまた溌剌プレーを見せて欲しいな、。。と心にポッカリ穴が空いたのも懐かしく思い出されます。釧路江南は翌夏も出場しましたが三谷投手の今治西に初戦敗退。。。当時を知る我々からすれば是非また甲子園への復活を期待したいですよね。
インハイ三振優勝。
まぐろ
キャプテンなんか口悪くない?
まあ田舎ですからね
@@一山秀一 でも、今の高校球児はこんな喋り方しないと思いますよ。
受け応え自体はそんなに悪いとは自分は思いません。36年も前だから訛りというか喋り方の地域特性が出てるんだと思います。今はテレビの影響で標準語もだいぶ浸透してると思いますが。
口調は確かに宜しくないね。が、郷土色の濃かった昭和の高校野球を象徴しているかのようで何とも味わい深い受け答えです(*^^)v。
インタビュー慣れしてないし照れもあるから表情固いけど、純朴な方言でちゃんと「ですます」で受け応えしてるし、全然問題ないと思いますね。
2:29〜校歌
北内の萌ゆるみどりに
大いなる陽は輝けり
みよ建学の理想も高く
悔ゆるなき今日を励めば
ああ青春の日々新たなり
誇りあり わが伊野商高
優勝の校歌斉唱の際、球場全体から手拍子が沸き起こっているのが良い。
この時の高知県は、レベルの高い学校が複数あったね
週刊誌もテレビ放送もスポーツ新聞でもPLばかり。地方のチームの情報はほぼなかったから渡辺投手みて鳥肌たった。
当時小学4年になる春、伊野商業の快進撃で高校野球が大好きになりました。
清原を抑えたのも凄いけど、それは大会屈指のエースなのでわからんでもない。
それよりさほど評価されてなかった打線にも関わらず桑田から3点奪ったのが凄い。
PLは過信して伊野商業戦前から優勝旗、優勝杯を受け取るリハーサルをしていたとか。鉄壁を誇るPLの守りが初回に失策を連発して2失点。桑田には不運だった。僅かな隙を逃さなかった伊野商業の気迫勝ちと思う。
海南(徳島)伊野商(高知)宇和島東(愛媛)観音寺中央(香川)済美(愛媛)・・過去、四国の学校は選抜初出場初優勝
をよく達成してますね。久しぶりにまたそろそろそういう学校が出てきてほしいものです。
優勝こそ逃したものの1974年の池田(徳島)、1977年の中村(高知)、1990年の新田(愛媛)も初出場で決勝まで勝ち進んでますからね
昔の四国はセンバツに滅法強かった
強烈な印象を残した優勝でした。これだから甲子園はいい。
伊野商業の監督の顔好き
「え、まじで優勝しちゃったよ…」って顔だったw
今でも、感動で涙が出る‼初出場で初優勝👌
もちろん渡辺は凄いが、一人では勝てない‼
一緒に戦った選手も、素晴らしかったと思う。
ホントそうですよね。
どの試合も3点以上取って勝っているので打線も申し分ない。
打順5番の福本選手はPL戦で桑田から打ちまくってるし、キャプテンの中妻選手の俊足は守備でも攻撃でも大活躍だったし。
ショートの笹岡選手の守備も素晴らしかった。
とにかくバランスの良い、皆で渡辺投手を盛り立てて勝った素晴らしいチームだったんだと思います。
3戦目から3試合で僅か1失点。大会終盤になって、実力と勢いも加わって優勝をつかみ取った。
決勝の前半は押されまくったが、ホームは踏ませず、自らのホームランもあり本領を発揮した。
2年生の柳野捕手もエースを盛り上げた。
高知の田舎の高校が、PL、帝京をバッタバッタとなぎ倒して、甲子園で初優勝。なのに優勝した瞬間はニッコリ笑顔と控えめなガッツポーズだけで淡々と整列。すごく印象的で、今も鮮やかに覚えてます。当時の新聞によると「優勝しても騒がないようにしよう、そのほうがかえって目立つから」とチームみんなで話し合っていたそうです。この大会で渡辺投手を知り、大ファンになりました。甲子園史に残るスーパー投手だと思ってます。
初戦で東の有力校だった東海大浦安と相対しエース渡辺のバックスクリーン弾などで快勝。伊野商ナインもこれでイケる!と自信と勢いを得たかも知れませんね。
何かの雑誌で読んだのですが、渡辺いわく「試合前に浦安の選手に挨拶に行ったら、「よろしく〜」と舐めたような対応だった。「このチームに負けてなるか」と躍起になった。2回戦以降はどうでも良いが、初戦、浦安にだけは勝ちたい」と思ったとか。
ほんとに高校生なのかよ、渡辺。プロみたいな受け答えじゃねーか。
ホント投球フォーム同様にゆったり自然体でしたね。夏への抱負を聞かれて、“暑いですから優勝は1回でもういいです。。“と何かの雑誌に書かれていた気が。
@@岡田康弘-e7p さんへ
高知県民はあの抱負を知って、「渡辺智男はバカだから優勝出来たんだ、だから余計なプレッシャーも感じなかったんだなW」と一同納得させられましたねW(^_^;)それだけ心臓に毛が生えたメンタルの強さを持ってたんですね。(良く解釈すればの注釈付きで)
石元さん御無沙汰です。長らく返信できすに申し訳ありません。今センバツも開幕まで1ケ月余。鳴門と久々の高知高校にも大いに期待しております(ー_ー)!!。
もちろんPLが優勝候補筆頭でしたが、伊野商もかなり評価が高かった。もしPLを止めるとすれば渡辺のいる伊野商か、これも好投手黒子を擁する西条高のいずれかだろうと言われてました。
近所の 普通の高校生が 優勝なんて テレビの前で不思議な感じで小学生の頃観てた記憶がありまする。
ここには映っていないが、帝京が準優勝旗を授与する際、実況が「伊野商業より大きな拍手かもしれません」と話していたのが印象深い。
また、河田選手の初回の3塁打について「初回には3塁打を打ちました。先制のホームを踏むことができませんでした」と実況されてますね。
まだ当時は開校から20年余だったせいか校歌の歌詞も古くはなく歌いやすいですね。人口2万人の伊野町が沸き返った見事な初出場優勝でした。
伊野商強かった
伊野商対帝京🥎
伊野商が4対0で帝京に勝って、選抜高校野球大会優勝だよ😃🏆
大阪東京の強豪を堂々と倒しての圧巻初陣V。やはり四国高知は強かったですね。
kokichisaotomeさん
あけましておめでとうございます🌅🎍🧧
よろしくお願いします🙇
kokichisaotomeさん
伊野商が4対0で帝京に勝ちましたよ😃
選抜高校野球大会優勝です🏆
よく頑張りましたね
kokichisaotomeさん
コロナウイルスに気をつけて下さい😷
コロナウイルスなくなればいいですね
無理しないで下さい
kokichisaotomeさん
寒いですね😱
体に気をつけて下さい
公立が優勝できた時代よかったね
佐賀北
こういう時代がまた来ないかと思う。池田、箕島しかり
野球越境入学のチームが優勝してもこの感動は沸き起こって来ないですからね。そんなおらが町の代表!が普通に活躍した昭和の高校野球はホントに最高の時代でした(¯―¯٥)。。🌸🌻⚾🌄🎶☆
金足農業惜しかったですよね
伊野商は昔、荒れてたとか言う噂があるが、県外から野球部員を入れてる私立よりかは好感もてる。
清原は、夏の大会で渡辺との再戦を望んでいたが、伊野商は高知県大会決勝で中山擁する高知商に敗れて出場ならなかったんだよね。
代理対決という形で清原(PL)が雪辱を果たした形となりました
確か県大会の初戦で打球が身体に直撃して、本調子ではなかったらしいね。
@@半田純一-f8l あのホームランすごかった
番長
「夏は必ず打ったる!絶対に出てこい!」
トミオさん
「夏は暑いからいいです。」
渡辺投手は、清原との勝負で全打席、かすらせもしなかった。
結果的には伊野商も帝京も夏は甲子園に出て来れなかった。
78年センバツ初出場、2度の準優勝を果たすも帝京の夏初勝利は芝草投手の87年まで掛かりましたからね。以降は夏に2度優勝して全国有数の強豪校へとのし上がった印象です。一代で帝京の名を長らく知らしめた前田監督も勇退、令和での初登場が待たれますね。
渡辺(智)の他人事みたいな受け答えが良いな~
7:00 あたり
山中監督の調子が悪くても死に物狂いで放らないかん。
というところは時代を感じますね
なべとみの投球は好きだった
監督がまだ若い
山中監督は91年夏の高知予選の初戦、馬淵監督の明徳義塾と対戦。3点リードで9回2死まで追い込む。
馬淵監督はこの試合が、夏の高校野球初采配で「社会人野球の経験があるので、高校野球を舐めていた。思ったより高校野球は難しい、と思った」と話していました。
そこからホームラン→ヒット→四球→ホームランで逆転サヨナラ勝ち。
この当時の高知県のレベルの高さよ
明徳が不祥事で辞退しなければ、優勝候補の一角に上げられていたと思う。四国ではNo.1の評価だったのにもったいなかったですね。
明徳の初期は春の活躍から全国区にのし上がっただけに私的にセンバツ初制覇をそろそろ達成してもらいたい思いです(*^^)v🐟🍺🎶☆
リアルタイムで注目してました。
明徳、山本、高知商、中山、伊野商、渡辺、の3人の投手とチーム。その他、秋優勝した明徳を苦しめた、高知、2年生エース和田、この年の高知県大会予選は、甲子園で勝ち進むより難しいと言われてました。
当時は四国がレベル高かったですよね、平成初期までは‥
リアルタイムで見てました、優勝したのにこんなに落ち着いたチーム、監督のインタビューは初めて見ました、夏もう一度出てきてほしかったですねぇ❗
県大会決勝で中山投手率いる高知商業にやぶれました。
清原が渡辺に「次は必ず打ってやるから、夏は絶対出てこい!」
それをマスコミから伝え聞いた渡辺智男は「夏は暑いからもう良いです」とマスコミに答えた実話はあまりにも有名。
春から夏に掛けては高知商ら常連名門校の方が半端なく猛練習を積んでいただろうからね。本番の夏まで新参校に行かせてたまるか!の意地とプライドが渡辺打倒へと繋がったのでしょう。
渡辺富最高の投球‼️素晴らしい優勝でした😁西武ライオンズでも大活躍しました☺️
なべとみ 良いですね!
渡辺投手、インタビュー受ける時、帽子をちゃんと取って答えてるけど、何でメガネ外してるんだろう(笑)。
メガネかけたままだとダサく見られるのがイヤで、とにかく外したそうですねWインタビュー前の校歌斉唱の時から自分の顔がupで全国に映されるのを見越してメガネは外してますね(^_^;)
雨で水滴が付くのも嫌だったのだろう。まぁ年頃の高校新3年生らしい普通の?感覚だよね。
監督、選手のひょうひょうとした方言での受け答え・・・いいな^^
郷土色に溢れ地元との結び付きが強かった昭和の高校野球。まさにそれを象徴する見事な初出場優勝でしたね。
球速いなあ、今の伊野商ってどうなんかな?
懐かしいなぁー。この校歌。
55年の高知商業以来5年ぶり?!?!?!
75年の高知、80年の高知商、そしてこの伊野商と5年毎に優勝。90年の高知は初戦大敗に終わりジンクスも尽きましたね。
@@岡田康弘-e7p さん 1975年高知高の相手東海大相模の3番バッターは巨人原監督。
@@山田市之助-q8lさん、ここでもお会いしましたね(^^)。やはり昭和50年代の高校野球は独特のロマンみたいなものをお互いに感じるのでしょうか。。。 原辰徳選手、イケメンで当時からスターのオーラが出まくっていましたね。動画でアップされている豊見城との一戦を見ても存在感が違うんですよ。今更こんな感想を言うのもなんですが、赤嶺投手から三振を喫しただけでも絵になっている(^^)。。高知との決勝も彼の先制3ランで早くも勝った!のムードでしたが、村中投手が疲れからか捕まってしまい延長13回、3時間半の大熱戦の末に敗れてしまいました。中西太二世だったかの異名が付いた高知杉村選手の打球の速さに度肝を抜かされた当時小学2年の私です。それにしてもセンバツのない桜の季節はホントに寂しく残念な限り。。。一日も早いコロナの終息を祈るとともに高校球児達の不屈の挑戦を心から応援するばかりです📣☆
@@岡田康弘-e7p さん 実は1976年夏開幕試合で我が北北海道代表釧路江南高が原・津末コンビの東海大相模に7ー1の大差で破れているのです。この当時原選手はアイドルでどこかヘラヘラした感(完全に自分の見誤り)があって非常にムカついたのですが、最近観たある動画で「優勝する為に甲子園に来た」とのコメントを寄せながら、アイドル視される事にへの不快感をハッキリと表に現しているのが有り、実は大変硬派な人だったんだなと原監督に対し懺悔の気持ちで一杯です(笑)。
@@山田市之助-q8lさん。なるほど、北海道の方ならではの感想ですね。そう、あの開幕戦の爆発を見て原、津末、村中のラストサマー。投打に充実しきった相模が今度こそ優勝するだろうと信じたファンは結構いたと思います。対抗馬は崇徳か、小山か、柳川商か、豊見城か、サッシーの海星かetc。。とシミュレーションしましたが以降は強豪同士の潰し合いが続き、決勝は東京大阪のほぼノーマーク対決。桜美林がPLを降しての初出場優勝で大会は幕を降ろしました。 仰る通り、原選手の人気は野球関連の本だけに留まらず小学館の学習雑誌のピンナップ付録などまさに別格の扱いでした。なので原や相模のファンは喜んでも対戦相手(の地元)などは面白くなくて当たり前。最後の甲子園でのインタビューを私も聞いていましたが、原って骨っぽい男気のあるヤツ(^^)と印象付けられたのは事実です。ただ爆発試合のあとに有りがちな打線不発。。。小山との試合で彼が最終打者となり涙で甲子園を去ることになりましたが、もう少し見たかった。プロ野球でまた溌剌プレーを見せて欲しいな、。。と心にポッカリ穴が空いたのも懐かしく思い出されます。釧路江南は翌夏も出場しましたが三谷投手の今治西に初戦敗退。。。当時を知る我々からすれば是非また甲子園への復活を期待したいですよね。
インハイ三振優勝。
まぐろ
キャプテンなんか口悪くない?
まあ田舎ですからね
@@一山秀一 でも、今の高校球児はこんな喋り方しないと思いますよ。
受け応え自体はそんなに悪いとは自分は思いません。
36年も前だから訛りというか喋り方の地域特性が出てるんだと思います。
今はテレビの影響で標準語もだいぶ浸透してると思いますが。
口調は確かに宜しくないね。が、郷土色の濃かった昭和の高校野球を象徴しているかのようで何とも味わい深い受け答えです(*^^)v。
インタビュー慣れしてないし照れもあるから表情固いけど、純朴な方言でちゃんと「ですます」で受け応えしてるし、全然問題ないと思いますね。