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私は1960年生。20歳前後に少しはまり[イエスの生涯][死海のほとり]など読みました。踏み絵を踏む時イエスは[さあ 踏むがいい。お前の足の裏の痛さは私が一番知っている。]と語り、自分がこの世に産まれた理由として 苦しみや辛さを共有するためと遠藤は言いました。遠藤が伝えたかったイエス象は教会にとって不都合。奇跡が起きないから。私は思うのです。クリスチャンであった遠藤はやっぱり日本人であるのだと言うこと。日本人は2千数百年前から天皇の元で公平な歴史を送ってきました。私が親になって強く知った事は、我が子が苦しみもがいているとき、親であっても何もできない。ただひたすら祈ったり共に苦しむ事しかできない。天皇陛下もこのような親の気持ちと同じように祈って下さっているのだと身をもって知りました。遠藤の描いているイエスは全くもって天皇陛下であると思ってしまいます。三浦綾子[塩狩峠]また同じ気がします。日本人クリスチャンが心に描いているイエスはじつは天皇陛下の事に思えてしょうがありません。私達は戦後いろいろな組織から洗脳され続けていますが、私の心の中には私が生まれる遥か遠くからの記憶があって日本人に生まれてよかったと痛感してます。非常に長くなってすみませんでした。
おっしゃるとおり、日本に皇室があること、それは長い目で見れば、プラスでした。日本にキリスト教が全く広まらなかった理由も、天皇がいらっしゃれば、必要なかった、ということでしょう。
@@DreamRadio3 さん 九州ではかなり ひろがりました あのまま ほっておいたら 我が国もフィリピン化した 可能性ありました 豊臣秀吉公が 弾圧始めたのは慧眼でした!
キリコ、「沈黙」を考えると沈黙してしまいます。なぜこの世にはこんな解決できぬテーマがあるのでしょう。取り上げてくださって感謝。
名作です。
映画舞台挨拶でキチジロー役の役者さんが出る舞台挨拶観たんですが、神父と牧師の違いもわからずに訳知り顔で間違えて話されていましたw多分言い間違えただけじゃなくて、分かって無かったんだろうなと。私の3席前の席から急にサプライズ登壇するドッキリは面白かったですが。
思い出の書でした。ン十年も前、高校1年生の時、国語M先生のお勧めでした。表紙も思い出しました。感激。①最後だけは覚えていたこと。②ふとわたしが大東亜戦争でソ連の捕虜になったら、そして共産主義への転向を強いられたらと思ったり。③時の流れは機械的に刻々と、しかしまた一瞬、この不思議。
今の高校生にも読んでほしいですね。
映画観られましたか?私は原作は読んでませんキチジロが裏切者ユダを重ねた姿であり、またもう1人の弱き人間イエスの様でも有ります。多分原作にそんな所ないし、あくまで映画を見た私の感じ方ですが。また別の映画『ミッション』がもう1つの『沈黙』であると感じます。遠藤が描きたい主題と関係ないから全く描かなかったキリスト教の暗黒面の数々も指摘されておりますがミッションも命懸けの尊い殉教ストーリーでは有るんですが、聖地を捨て信者の命を救わずにある意味で殉教させて死地に追いやってしまう厚い信仰と背中合わせの狂信面も同時に感じるのです。信仰の情熱の危うさや独善性です。日本の場合も踏み絵はただの板だから信仰が守られるのならば(信仰捨てる事になっても)気にせず踏んで良いとか、村人の命を1番大切に考えて救ってやれなかったのかとかいろんな考えが巡ります尊い殉教伝説を作り長年讃え続ける美談作りがそんなに大事だったんだろうか?とも思えるのです。遠藤は神の不在問題を焦点に当てそこにこだわって、脱線したくないでしょうがどうしてもその事を考えずにはおれないし別の作品で遠藤に暗黒面と背中合わせの中世~大航海時代の信仰問題にメスを入れて欲しかった気もします。キリスト教信者以外目線からしたら1番肝心な部分に目を背けた感じも有ります。映画版の監督のスコセッシはイタリア系アメリカ人達のコミュニティーで生まれ育ちマフィアになるか神父になるかの環境で、身体が弱く映画監督になった人でマフィアとキリスト教とその両方ばかりを描きます。他にも人間イエスを描いた映画で伝統派クリスチャンから激しい波紋を呼んだりもしています。
宗教と作品の関係、難しい問題です。
私は1960年生。20歳前後に少しはまり[イエスの生涯][死海のほとり]など読みました。踏み絵を踏む時イエスは[さあ 踏むがいい。お前の足の裏の痛さは私が一番知っている。]と語り、自分がこの世に産まれた理由として 苦しみや辛さを共有するためと遠藤は言いました。遠藤が伝えたかったイエス象は教会にとって不都合。奇跡が起きないから。私は思うのです。クリスチャンであった遠藤はやっぱり日本人であるのだと言うこと。日本人は2千数百年前から天皇の元で公平な歴史を送ってきました。私が親になって強く知った事は、我が子が苦しみもがいているとき、親であっても何もできない。ただひたすら祈ったり共に苦しむ事しかできない。天皇陛下もこのような親の気持ちと同じように祈って下さっているのだと身をもって知りました。遠藤の描いているイエスは全くもって天皇陛下であると思ってしまいます。三浦綾子[塩狩峠]また同じ気がします。日本人クリスチャンが心に描いているイエスはじつは天皇陛下の事に思えてしょうがありません。私達は戦後いろいろな組織から洗脳され続けていますが、私の心の中には私が生まれる遥か遠くからの記憶があって日本人に生まれてよかったと痛感してます。非常に長くなってすみませんでした。
おっしゃるとおり、日本に皇室があること、それは長い目で見れば、プラスでした。日本にキリスト教が全く広まらなかった理由も、天皇がいらっしゃれば、必要なかった、ということでしょう。
@@DreamRadio3 さん 九州ではかなり ひろがりました あのまま ほっておいたら 我が国もフィリピン化した 可能性ありました 豊臣秀吉公が 弾圧始めたのは慧眼でした!
キリコ、「沈黙」を考えると沈黙してしまいます。なぜこの世にはこんな解決できぬテーマがあるのでしょう。取り上げてくださって感謝。
名作です。
映画舞台挨拶でキチジロー役の役者さんが出る舞台挨拶観たんですが、神父と牧師の違いもわからずに訳知り顔で間違えて話されていましたw
多分言い間違えただけじゃなくて、分かって無かったんだろうなと。
私の3席前の席から急にサプライズ登壇するドッキリは面白かったですが。
思い出の書でした。ン十年も前、高校1年生の時、国語M先生のお勧めでした。表紙も思い出しました。感激。
①最後だけは覚えていたこと。
②ふとわたしが大東亜戦争でソ連の捕虜になったら、そして共産主義への転向を強いられたらと思ったり。
③時の流れは機械的に刻々と、しかしまた一瞬、この不思議。
今の高校生にも読んでほしいですね。
映画観られましたか?私は原作は読んでません
キチジロが裏切者ユダを重ねた姿であり、またもう1人の弱き人間イエスの様でも有ります。
多分原作にそんな所ないし、あくまで映画を見た私の感じ方ですが。
また別の映画『ミッション』がもう1つの『沈黙』であると感じます。
遠藤が描きたい主題と関係ないから全く描かなかったキリスト教の暗黒面の数々も指摘されておりますが
ミッションも命懸けの尊い殉教ストーリーでは有るんですが、聖地を捨て信者の命を救わずにある意味で殉教させて死地に追いやってしまう厚い信仰と背中合わせの狂信面も同時に感じるのです。
信仰の情熱の危うさや独善性です。
日本の場合も踏み絵はただの板だから信仰が守られるのならば(信仰捨てる事になっても)気にせず踏んで良いとか、村人の命を1番大切に考えて救ってやれなかったのかとかいろんな考えが巡ります
尊い殉教伝説を作り長年讃え続ける美談作りがそんなに大事だったんだろうか?とも思えるのです。
遠藤は神の不在問題を焦点に当てそこにこだわって、脱線したくないでしょうが
どうしてもその事を考えずにはおれないし
別の作品で遠藤に暗黒面と背中合わせの中世~大航海時代の信仰問題にメスを入れて欲しかった気もします。
キリスト教信者以外目線からしたら1番肝心な部分に目を背けた感じも有ります。
映画版の監督のスコセッシはイタリア系アメリカ人達のコミュニティーで生まれ育ち
マフィアになるか神父になるかの環境で、身体が弱く映画監督になった人でマフィアとキリスト教とその両方ばかりを描きます。
他にも人間イエスを描いた映画で伝統派クリスチャンから激しい波紋を呼んだりもしています。
宗教と作品の関係、難しい問題です。