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蒸気機関車の後部補機は他の地域でも見られたし、動態保存機でもC56が引退前に就いていましたが、ここ常紋の96だけは、何故か込み上げるものがあって涙が出そうになります。決して華やかではない老兵が、過酷な環境下でも、自分の仕事を一生懸命こなしている姿に胸打たれるんでしょうか…
ご視聴頂きましてありがとうございます。もう50年以上前の映像になりますが、秘境ともいえる常紋信号場を目指して登ってくる9600の姿は、けなげに美しいものであり、今でも記憶に鮮明に残っています。
SL現役引退の頃は、移動式の簡易ホームを設置して仮乗降場としていた時期もあったそうで…
ご視聴いただきましてありがとうございます。元々ここは信号所で客扱いしていませんでしたが、当時はSLファン用として仮設のプラットホームが設置されていました。
蒸気機関車はやはりかっこいいですね‼️
ご視聴とコメントをありがとうございます。もう50年前の映像になりますが、昨日のように懐かしく思い出されます。
いい動画ですねありがとうございました
三山さま、コメントをいただきましてありがとうございます。もう50年前の映像ですが、昨日のように懐かしく思い出されます。
@@shihou_railway さんへ蒸気機関車時代の常紋を見たかったので良かったですありがとうございました
@@三山明彦 さま当時私は関西に住んでましたので、高校生の夏休みに撮影したこの常紋信号所の映像が、最初で最後の記録となりました。
@@shihou_railwayさんへそうだったのですね峠越えの蒸気機関車勇壮でかっこいいです。
貴重な常紋信号場の動画をありがとうございました。これだけ長時間の動画は初めてで感動しますね。私は録音専門で全国を巡っていましたが、常紋信号場には1969年8月に初めて訪れて深夜から明け方の録音の魅力にのめり込んで、9600の後補機が廃止になると連絡もらい1971年12月に厳冬の録音が最後になりました。もう52年前の話ですが、。
コメントを頂きましてありがとうございます。あの秘境感にあふれた常紋信号場で、深夜に及ぶ録音をされていたとは、きっと素晴らしい貴重な音の風景が記録されていることでしょうね。
今から50年も前の貴重な映像ありがとうございました。冬期に真っ白な煙を出して上っていく蒸気機関車の勇姿は感動ものでした。
naopayaさま、コメントをいただきましてありがとうございます。
貴重な映像ありがとうございます。ここでDLは撮影しましたが、やはりSLの迫力はすごいです。
Hiroyuki Hさま、コメントをいただきましてありがとうございます。この映像は1971年に撮影しましたが、当時は全ての貨物列車がSLの牽引でした。今では常紋信号場も無くなってしまい、時代の変化を感じます。
常紋信号所にはSLの魅力を伝えるすべてがありました。25‰の勾配を補機を従えて全力で登るブラストの迫力、スイッチバックを往復する絶気と後退の合図。今では廃止された信号所のかつての賑わいがなつかしく思い出されます。
nyan pecoさま、コメントをいただきましてありがとうございます。もう50年前の映像になりますが、当時の常紋信号所の風景が昨日のように思い出されます。
網走刑務所の囚人たち「みーつけた👻積み荷はなんだ?教えろ」
迫力満点です。「撮り鉄」が結構居ましたね。
本田さま、コメントをいただきましてありがとうございます。もう50年前になりますが、当時の常紋信号所はSLファンのメッカでもあり、多くの撮り鉄で賑わっていました。
懐かしい映像、どうもありがとうございます。蒸気機関車追っ駆けて日本全国うろついた大学時代が蘇りました。
ご視聴頂きましてありがとうございます。私がこの動画を撮影したのは高校生の時でしたが、今でも昨日の様に懐かしく思い出されます。
貴重な映像ありがとうございます。リアルタイムで見ることができなかった世代ですが、蒸気機関車が大好きです。現役時代の姿をこうして見ることができるのは、当時苦労されて映像を残してくれた方たちのおかげです。なんだか匂いまで感じられるような映像です。
プラモデル走る機関車さま、コメントをいただきましてありがとうございます。この映像を撮影したのは、私が高校2年生の夏休みでした。もう50年前になりますが、この様なありがたいコメントをいただきまして、嬉しく思います。
9600+D51の貨物列車カッコイイ!
odoriko55さま、コメントをいただきましてありがとうございます。9600は大正生まれの古い機関車ですが、D51との重連はここでしか見られなかったと思います。
よいしょよいしょ💦
貴重な動画ありがとうございました9600形とD51の貨物列車今ではみられませんね主さんも暑いので体に気をつけて過ごしてください
@@権平楓 さんへ9600「D51遠軽でおごるから」D51「ありがとうございます」
すごいとしか言いようがありませんね。これだけの重量貨物を引いて登るのですから。しかも後部補機は9600ですからね☺D51はすごいです。玉ねぎ列車のレッドベアは後部補機もレッドベアでかなり苦しそうですから、D51と乗務員の方に拍手👏です。
ご視聴いただきましてありがとうございます。D51もそうですが、大正生まれの9600が最後まで残ったのは、それなりに信頼できる性能を有していたからではないかと思います。
いや素晴らしい記録映像ですね、感動です。映像にフィットしたピアノ&フルートのBGMもまた非常に合ってますね。
石井ポコたんさん、コメントをいただきましてありがとうございます。もう50年前の映像ですが、原生林の中の常紋信号場は素晴らしかったです。
何回も見にきています!ずっとこの動画残して欲しいです!個人的に野鳥の鳴き声のする所が好きです!この動画は、雪の無い季節ですが!砂をまきながら、蒸気の圧力を落とさずに峠越えは大変だったでしょうね!この動画を見るとDD51のやはり石北本線の貨物の動画出てくるのですが、大変ですね空転しながら夜の峠越えしている動画なんですけど、蒸気機関車の時代はもっと大変だったでしょうね!
津崎さま、何度も見ていただいているようで、ありがとうございます。とても嬉しいです。DD51の動画は、NHKが撮影した雪の北見峠をプッシュプルで越えて行く貨物列車の動画ですよね。私も何回か見ました。蒸気機関車の時代は、登り坂の途中で停車してしまうと引き出しができず、一旦平坦なところまでバックして登り直したのでしょうね。
@@shihou_railway DD51も優秀ですがどうしても空転に弱いです。速度が遅くてもトルクのある9600なら止まっても押し上げると思いますが。DD51も止まったら最後でしょうね
私も大雪6号で行きました。懐かしい。当時はムービーは高値の花でした。9600の力闘に大感激。天の9600をなけなしの貯金をはたいて購入した思い出があります。本当に貴重な動画ありがとうございます。
鈴木さま、コメントをいただきましてありがとうございます。大雪6号に乗られましたか。当時は北海道にも多くの夜行列車が走っており、とても懐かしく思い出されます。
汽笛、幼い頃の記憶が甦ります。若くないってバレますね(笑)
あいちゃなおみさま、SLの汽笛って、いいですよね。この動画は私が高校生の時に撮影したものですが、50年前が懐かしく思い出されます。
音声同録だと臨場感が違いますね。シッカリ撮影された映像をありがとうございます。👏我が家にもP300で撮影した ”70sec” 程の断片映像がありました・・・恐らく、同時期くらいだと思います。
コメントをいただきましてありがとうございます。この映像は私が高校2年生の夏休みに撮影したもので、もう50年前になりますが、昨日のことのように懐かしく思い出されます。
9600型蒸気機関車が補機を務めていた頃の貴重な映像ですね!1972年3月には補機がDE10型になったそうなので、その前に訪れていたとは羨ましい限りです。
コメントをいただきましてありがとうございます。もう50年前になりますが、北海道らしい原生林の中を登ってくる9600の雄姿が昨日のように懐かしく思い出されます。
貴重な動画をありがとうございました。数年に1回、石北本線の特急を利用します。あの山道をSLが走っていく様は非常に感動的です。ところで、私は最近「幌内線」に興味があるのですが、もし「幌内線」の動画をお持ちでしたら、またupしていただけますとありがたいです。
朝比奈さま、コメントをいただきましてありがとうございます。幌内線も9600が活躍していたのですよね。残念ながら幌内線は訪れたことがなく、動画も撮っておりませんでした。
蒸気に余裕はないと思うのに安全弁が吹き気味。不思議だ。
今まで気づきませんでしたが、確かに不思議ですね。
補機がDE10の映像は何度も見ましたが、9600形の映像は初めて見ました! 昔の月刊誌で写真では見たことがあり知ってはいましたが。確かこの頃の常紋は臨時駅で乗降ができたように記憶しています。映像に映っているファンの方々も高齢になられたことでしょう(*´ω`)
紀州のけんちゃん923さま、コメントをいただきましてありがとうございます。常紋信号場付近には民家は全くありませんので、鉄道ファンのために乗降させてもらうことができました。
本来ならクリーム色のホキ2200が真っ黒けなのは常紋トンネルで燻されてるからやろなカマもそやけど貨物の編成も冷蔵車が連結されてたりコンテナが混じってたりいかにも蒸気末期の北海道の貨物らしい感じ2段リンク車とボギー車のジョイント音が変わるのが懐かしい
コメントをいただきましてありがとうございます。石北本線には、常紋峠の他に北見峠もありますので、蒸気の煙に燻されて真黒になるのでしょうね。
いいねぇ。 これが正しく勇者。
寅吉NKSKさま、コメントをいただきましてありがとうございます。もう50年前の映像になりますが、昨日のことのように懐かしく思い出されます。
石北本線は北見峠、常紋峠、この二つの難所があります。
そうですね。この動画を撮影した時、大雪6号という夜行急行で行きましたが、北見峠ではD51が後補機だったのを思い出します。
懐かしい映像ありがとうございますこの当時カラーで動画なんてありえない私はようやく買った35㎜一眼レフフィルムは当然ネオパン100でした
chi poさま、この動画にもコメントをいただきましてありがとうございます。当時は富士フィルムから8mmのシングル8が発売され、これを持って各地のSLを撮影に行きました。音声は別途カセットテープで録音しましたが、今となっては懐かしい思い出です。
9600の後補機の映像は初めてですね😀DE10も粘りのあるカマですが9600の時の方が、本務機に余裕があるような気がします。
Pu Poさま、コメントをいただきましてありがとうございます。DE10になってから様子は知らないのですが、9600はそれなりに信頼性があったのでしょうね。
速度はたしかにノロいんですが、ドラフトのピッチはずっと崩れませんね。現在高崎→横川を走るD51が、上り坂で息も絶え絶えになってるのを見るにつけなんだかなあという思いです。
三丁目分隊員さま、コメントをいただきましてありがとうございます。9600型蒸気機関車の動輪の直径はD51より小さかったので、速度は遅いでしたが粘りがあるため、勾配区間では重宝されたものと思われます。
常紋トンネルは凄惨なタコ部屋労働で建設されたことでも有名である。本州から集められた「タコ」とよばれた労働者は、わずかな食事と過酷な労働から、1914年10月の工事完了までの間に100人を超える死者を出した[1]。施工当時、重労働と栄養不足による脚気から労働者は次々と倒れ、倒れた労働者は治療されることもなく暴行を受け、遺体は隧道や現場近くの山林に埋められたといわれる[1]。これについては、山菜取りに来た近隣の住民が、人間の手や足の骨を拾ったという話もある[2]。開通後、トンネル内でしばしば急停車事故が起こったこともあり、日本国有鉄道(国鉄)中湧別保線区は当時の町長の協力を得て、1959年(昭和34年)に常紋トンネルから留辺蘂町側へ約1キロメートル進んだ箇所に慰霊目的として歓和地蔵尊(かんわじぞうそん)を作った。その地蔵尊の裏側にある空き地からは、これまでおよそ50体の遺骨が国鉄職員の家族らによって発掘されており、毎年6月に供養祭を行っている[1]。監督の指示に従わなかったためにスコップなどで撲殺されたタコ労働者が、見せしめのためにトンネル内に人柱として立てられたという話が言い伝えられていた[1]が、1968年(昭和43年)の十勝沖地震での壁面損傷に伴う改修工事を行ったところ、1970年(昭和45年)9月、常紋駅口から3つ目の待避所の拡張工事中に、レンガ壁から60センチメートルほど奥の玉砂利の中から、頭蓋骨に損傷のある人骨が発見され、人柱の伝説は事実であったことが明らかとなった[1]。ある保線区員は「みんなが『人柱』だといってました」「ほかにも埋まってる可能性があると思います」と語っている[3]。その後の発掘調査で、さらに10体の遺体が発見収容
二宮金次郎さま、常紋トンネル建設時のお話をありがとうございます。人里離れた原生林の中にある常紋信号場で、私もこの動画の撮影で初めて訪れましたが、幽霊が出ると聞いていた常紋トンネルを通り抜ける時には緊張したことを思い出しました。
常紋トンネルは、霊感のある方なら相当やばい所と聞きましたが大丈夫でしたか?いまでも、現役のトンネルなんですよね?
津崎さま、コメントをいただきましてありがとうございます。常紋トンネルは、昔、過酷な労働者の犠牲を伴って掘ったトンネルとのことで、霊感のある方にはその人達の思いが伝わってくるようです。今も現役のトンネルとして列車が走っています。
道民としては痛ましいトンネルに哀悼と感謝を示さなければいけない場所ですが、機関車は美しいですね。オホーツクも今年変わりますね。時代ですが、寂しい限りです。貴重な映像をありがとうございます。
すずきさま、コメントをいただきましてありがとうございます。石北本線も時代とともに変化していきますが、もう50年前になるこの映像は、昨日のことのように懐かしく思い出されます。
音声は本物?
音声はカセットテープレコーダーで同時に録音したものですが、8mmカメラ撮影した動画とシンクロさせるため少し編集を加えております。
蒸気機関車の後部補機は他の地域でも見られたし、動態保存機でもC56が引退前に就いていましたが、
ここ常紋の96だけは、何故か込み上げるものがあって涙が出そうになります。
決して華やかではない老兵が、過酷な環境下でも、自分の仕事を一生懸命こなしている姿に胸打たれるんでしょうか…
ご視聴頂きましてありがとうございます。
もう50年以上前の映像になりますが、秘境ともいえる常紋信号場を目指して登ってくる9600の姿は、けなげに美しいものであり、今でも記憶に鮮明に残っています。
SL現役引退の頃は、移動式の簡易ホームを設置して仮乗降場としていた時期もあったそうで…
ご視聴いただきましてありがとうございます。
元々ここは信号所で客扱いしていませんでしたが、当時はSLファン用として仮設のプラットホームが設置されていました。
蒸気機関車はやはりかっこいいですね‼️
ご視聴とコメントをありがとうございます。
もう50年前の映像になりますが、昨日のように懐かしく思い出されます。
いい動画ですね
ありがとうございました
三山さま、コメントをいただきましてありがとうございます。
もう50年前の映像ですが、昨日のように懐かしく思い出されます。
@@shihou_railway さんへ
蒸気機関車時代の常紋を見たかったので良かったです
ありがとうございました
@@三山明彦 さま
当時私は関西に住んでましたので、高校生の夏休みに撮影したこの常紋信号所の映像が、最初で最後の記録となりました。
@@shihou_railwayさんへ
そうだったのですね
峠越えの蒸気機関車勇壮で
かっこいいです。
貴重な常紋信号場の動画をありがとうございました。これだけ長時間の動画は初めてで感動しますね。私は録音専門で全国を巡っていましたが、常紋信号場には1969年8月に初めて訪れて
深夜から明け方の録音の魅力にのめり込んで、9600の後補機が廃止になると連絡もらい1971年12月に厳冬の録音が最後になりました。もう52年前の話ですが、。
コメントを頂きましてありがとうございます。
あの秘境感にあふれた常紋信号場で、深夜に及ぶ録音をされていたとは、きっと素晴らしい貴重な音の風景が記録されていることでしょうね。
今から50年も前の貴重な映像ありがとうございました。冬期に真っ白な煙を出して上っていく蒸気機関車の勇姿は感動ものでした。
naopayaさま、コメントをいただきましてありがとうございます。
貴重な映像ありがとうございます。ここでDLは撮影しましたが、やはりSLの迫力はすごいです。
Hiroyuki Hさま、コメントをいただきましてありがとうございます。
この映像は1971年に撮影しましたが、当時は全ての貨物列車がSLの牽引でした。今では常紋信号場も無くなってしまい、時代の変化を感じます。
常紋信号所にはSLの魅力を伝えるすべてがありました。25‰の勾配を補機を従えて全力で登るブラストの迫力、スイッチバックを往復する絶気と後退の合図。今では廃止された信号所のかつての賑わいがなつかしく思い出されます。
nyan pecoさま、コメントをいただきましてありがとうございます。
もう50年前の映像になりますが、当時の常紋信号所の風景が昨日のように思い出されます。
網走刑務所の囚人たち「みーつけた👻積み荷はなんだ?教えろ」
迫力満点です。「撮り鉄」が結構居ましたね。
本田さま、コメントをいただきましてありがとうございます。
もう50年前になりますが、当時の常紋信号所はSLファンのメッカでもあり、多くの撮り鉄で賑わっていました。
懐かしい映像、どうもありがとうございます。蒸気機関車追っ駆けて日本全国うろついた大学時代が蘇りました。
ご視聴頂きましてありがとうございます。私がこの動画を撮影したのは高校生の時でしたが、今でも昨日の様に懐かしく思い出されます。
貴重な映像ありがとうございます。
リアルタイムで見ることができなかった世代ですが、蒸気機関車が大好きです。現役時代の姿をこうして見ることができるのは、当時苦労されて映像を残してくれた方たちのおかげです。
なんだか匂いまで感じられるような映像です。
プラモデル走る機関車さま、コメントをいただきましてありがとうございます。
この映像を撮影したのは、私が高校2年生の夏休みでした。もう50年前になりますが、この様なありがたいコメントをいただきまして、嬉しく思います。
9600+D51の貨物列車カッコイイ!
odoriko55さま、コメントをいただきましてありがとうございます。9600は大正生まれの古い機関車ですが、D51との重連はここでしか見られなかったと思います。
よいしょよいしょ💦
貴重な動画ありがとうございました
9600形とD51の
貨物列車
今ではみられませんね
主さんも暑いので体に気をつけて過ごしてください
@@権平楓 さんへ
9600「D51遠軽でおごるから」
D51「ありがとうございます」
すごいとしか言いようがありませんね。これだけの重量貨物を引いて登るのですから。しかも後部補機は9600ですからね☺D51はすごいです。玉ねぎ列車のレッドベアは後部補機もレッドベアでかなり苦しそうですから、D51と乗務員の方に拍手👏です。
ご視聴いただきましてありがとうございます。D51もそうですが、大正生まれの9600が最後まで残ったのは、それなりに信頼できる性能を有していたからではないかと思います。
いや素晴らしい記録映像ですね、感動です。
映像にフィットしたピアノ&フルートのBGMもまた非常に合ってますね。
石井ポコたんさん、コメントをいただきましてありがとうございます。
もう50年前の映像ですが、原生林の中の常紋信号場は素晴らしかったです。
何回も見にきています!ずっとこの動画残して欲しいです!個人的に野鳥の鳴き声のする所が好きです!この動画は、雪の無い季節ですが!砂をまきながら、蒸気の圧力を落とさずに峠越えは大変だったでしょうね!この動画を見るとDD51のやはり石北本線の貨物の動画出てくるのですが、大変ですね空転しながら夜の峠越えしている動画なんですけど、蒸気機関車の時代はもっと大変だったでしょうね!
津崎さま、何度も見ていただいているようで、ありがとうございます。とても嬉しいです。
DD51の動画は、NHKが撮影した雪の北見峠をプッシュプルで越えて行く貨物列車の動画ですよね。私も何回か見ました。蒸気機関車の時代は、登り坂の途中で停車してしまうと引き出しができず、一旦平坦なところまでバックして登り直したのでしょうね。
@@shihou_railway DD51も優秀ですがどうしても空転に弱いです。速度が遅くてもトルクのある9600なら止まっても押し上げると思いますが。DD51も止まったら最後でしょうね
私も大雪6号で行きました。懐かしい。当時はムービーは高値の花でした。9600の力闘に大感激。天の9600をなけなしの貯金をはたいて購入した思い出があります。本当に貴重な動画ありがとうございます。
鈴木さま、コメントをいただきましてありがとうございます。
大雪6号に乗られましたか。当時は北海道にも多くの夜行列車が走っており、とても懐かしく思い出されます。
汽笛、幼い頃の記憶が甦ります。
若くないってバレますね(笑)
あいちゃなおみさま、SLの汽笛って、いいですよね。この動画は私が高校生の時に撮影したものですが、50年前が懐かしく思い出されます。
音声同録だと臨場感が違いますね。シッカリ撮影された映像をありがとうございます。👏
我が家にもP300で撮影した ”70sec” 程の断片映像がありました・・・恐らく、同時期くらいだと思います。
コメントをいただきましてありがとうございます。
この映像は私が高校2年生の夏休みに撮影したもので、もう50年前になりますが、昨日のことのように懐かしく思い出されます。
9600型蒸気機関車が補機を務めていた頃の貴重な映像ですね!1972年3月には補機がDE10型になったそうなので、その前に訪れていたとは羨ましい限りです。
コメントをいただきましてありがとうございます。
もう50年前になりますが、北海道らしい原生林の中を登ってくる9600の雄姿が昨日のように懐かしく思い出されます。
貴重な動画をありがとうございました。数年に1回、石北本線の特急を利用します。あの山道をSLが走っていく様は非常に感動的です。ところで、私は最近「幌内線」に興味があるのですが、もし「幌内線」の動画をお持ちでしたら、またupしていただけますとありがたいです。
朝比奈さま、コメントをいただきましてありがとうございます。
幌内線も9600が活躍していたのですよね。残念ながら幌内線は訪れたことがなく、動画も撮っておりませんでした。
蒸気に余裕はないと思うのに安全弁が吹き気味。不思議だ。
今まで気づきませんでしたが、確かに不思議ですね。
補機がDE10の映像は何度も見ましたが、9600形の映像は初めて見ました! 昔の月刊誌で写真では見たことがあり知ってはいましたが。確かこの頃の常紋は臨時駅で乗降ができたように記憶しています。映像に映っているファンの方々も高齢になられたことでしょう(*´ω`)
紀州のけんちゃん923さま、コメントをいただきましてありがとうございます。常紋信号場付近には民家は全くありませんので、鉄道ファンのために乗降させてもらうことができました。
本来ならクリーム色のホキ2200が真っ黒けなのは
常紋トンネルで燻されてるからやろな
カマもそやけど貨物の編成も冷蔵車が連結されてたり
コンテナが混じってたりいかにも蒸気末期の北海道の貨物らしい感じ
2段リンク車とボギー車のジョイント音が変わるのが懐かしい
コメントをいただきましてありがとうございます。
石北本線には、常紋峠の他に北見峠もありますので、蒸気の煙に燻されて真黒になるのでしょうね。
いいねぇ。 これが正しく勇者。
寅吉NKSKさま、コメントをいただきましてありがとうございます。
もう50年前の映像になりますが、昨日のことのように懐かしく思い出されます。
石北本線は北見峠、常紋峠、この二つの難所があります。
そうですね。この動画を撮影した時、大雪6号という夜行急行で行きましたが、北見峠ではD51が後補機だったのを思い出します。
懐かしい映像
ありがとうございます
この当時カラーで動画なんてありえない
私はようやく買った35㎜一眼レフフィルムは当然ネオパン100でした
chi poさま、この動画にもコメントをいただきましてありがとうございます。
当時は富士フィルムから8mmのシングル8が発売され、これを持って各地のSLを撮影に行きました。音声は別途カセットテープで録音しましたが、今となっては懐かしい思い出です。
9600の後補機の映像は初めてですね😀DE10も粘りのあるカマですが9600の時の方が、本務機に余裕があるような気がします。
Pu Poさま、コメントをいただきましてありがとうございます。
DE10になってから様子は知らないのですが、9600はそれなりに信頼性があったのでしょうね。
速度はたしかにノロいんですが、ドラフトのピッチはずっと崩れませんね。
現在高崎→横川を走るD51が、上り坂で息も絶え絶えになってるのを見るにつけなんだかなあという思いです。
三丁目分隊員さま、コメントをいただきましてありがとうございます。
9600型蒸気機関車の動輪の直径はD51より小さかったので、速度は遅いでしたが粘りがあるため、勾配区間では重宝されたものと思われます。
常紋トンネルは凄惨なタコ部屋労働で建設されたことでも有名である。本州から集められた「タコ」とよばれた労働者は、わずかな食事と過酷な労働から、1914年10月の工事完了までの間に100人を超える死者を出した[1]。
施工当時、重労働と栄養不足による脚気から労働者は次々と倒れ、倒れた労働者は治療されることもなく暴行を受け、遺体は隧道や現場近くの山林に埋められたといわれる[1]。これについては、山菜取りに来た近隣の住民が、人間の手や足の骨を拾ったという話もある[2]。
開通後、トンネル内でしばしば急停車事故が起こったこともあり、日本国有鉄道(国鉄)中湧別保線区は当時の町長の協力を得て、1959年(昭和34年)に常紋トンネルから留辺蘂町側へ約1キロメートル進んだ箇所に慰霊目的として歓和地蔵尊(かんわじぞうそん)を作った。
その地蔵尊の裏側にある空き地からは、これまでおよそ50体の遺骨が国鉄職員の家族らによって発掘されており、毎年6月に供養祭を行っている[1]。
監督の指示に従わなかったためにスコップなどで撲殺されたタコ労働者が、見せしめのためにトンネル内に人柱として立てられたという話が言い伝えられていた[1]が、1968年(昭和43年)の十勝沖地震での壁面損傷に伴う改修工事を行ったところ、1970年(昭和45年)9月、常紋駅口から3つ目の待避所の拡張工事中に、レンガ壁から60センチメートルほど奥の玉砂利の中から、頭蓋骨に損傷のある人骨が発見され、人柱の伝説は事実であったことが明らかとなった[1]。
ある保線区員は「みんなが『人柱』だといってました」「ほかにも埋まってる可能性があると思います」と語っている[3]。
その後の発掘調査で、さらに10体の遺体が発見収容
二宮金次郎さま、常紋トンネル建設時のお話をありがとうございます。人里離れた原生林の中にある常紋信号場で、私もこの動画の撮影で初めて訪れましたが、幽霊が出ると聞いていた常紋トンネルを通り抜ける時には緊張したことを思い出しました。
常紋トンネルは、霊感のある方なら相当やばい所と聞きましたが大丈夫でしたか?いまでも、現役のトンネルなんですよね?
津崎さま、コメントをいただきましてありがとうございます。
常紋トンネルは、昔、過酷な労働者の犠牲を伴って掘ったトンネルとのことで、霊感のある方にはその人達の思いが伝わってくるようです。今も現役のトンネルとして列車が走っています。
道民としては痛ましいトンネルに哀悼と感謝を示さなければいけない場所ですが、
機関車は美しいですね。
オホーツクも今年変わりますね。時代ですが、寂しい限りです。
貴重な映像をありがとうございます。
すずきさま、コメントをいただきましてありがとうございます。
石北本線も時代とともに変化していきますが、もう50年前になるこの映像は、昨日のことのように懐かしく思い出されます。
音声は本物?
音声はカセットテープレコーダーで同時に録音したものですが、8mmカメラ撮影した動画とシンクロさせるため少し編集を加えております。