清少納言と紫式部の関係性とは?!
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- เผยแพร่เมื่อ 5 ก.พ. 2025
- 今回のテーマは
「本当にライバル? 紫式部と清少納言」
2024年NHK大河ドラマ『光る君へ』の主人公・紫式部。
彼女は日本が誇る不朽の名作『源氏物語』の
著者として知られていますが、彼女と同時代には
並び称される女流作家が存在しています。
二人は教科書でも一緒に紹介されることが多く
ライバル関係にあったという話もありますが
実際のところは、どうやら違うようです…。
※本動画は「光る君へ」のネタバレを一部含みます
※使用している背景映像はフリー画像・映像素材・ライセンス取得済みの素材を使用しています
※BGM提供bgm.taiyakioji...
#光る君へ
#清少納言
#紫式部
#ライバル関係
#平安時代
このチャンネルの説明は丁寧でわかりやすかったです。これから歴史を学ぶ子供たちが大河ドラマを見てこれが真実の歴史なんだと思いこまないことを願います。
良くまとまっていて分かりやすく、ナレーションも聞きやすかったです
嬉しいコメントありがとうございます✨今後もそう言っていただけるよう頑張っていきます!
道長の、このよをば、の歌は決してジャイアニズムな歌ではなく、十六夜の月を愛でながら同僚の大臣を慰労するための宴を開いた際に、「月は満月を過ぎて今夜から欠け始めるが、みなの結束がなければ政など上手くいくはずがないのだから、われわれ4人の結束はこれからも決して欠けることはなく、共に天皇様の治世を支えていこう」と言う意味を込めた、どちらかというと他の大臣のご機嫌を取るのが目的の歌だったようです。
へえ、そういう解釈もあるのか、と興味深く思いました。
紫式部は勝ち組、清少納言は負け組、でも、彰子と定子だけど、そんな、悲運の定子に使えて支えて、暗くなく、明るく描いたのが好きですね。何かで読んだけど、彼女は癖毛だった為、不美人と表されてた。今なら、美人だったのにね。
どちらも日本の長い歴史に名前のこしているだけで勝ち組^^
清少納言に、むちゃくちゃもて女のイメージ持ってまあす。
中宮定子の不遇さが切ないです😢じっとりした感じの紫式部より清少納言が好きだし、妄想小説っぽい源氏物語より枕草子が好き❤
私はリアルの男にはからっとしたものを求める分、2次元やドラマの女性向けにはじっとりしたもの求めます。
作品的には紫式部派です。
人格的には、清少納言の方が根がいい子だったのかな?と思います、去年の西軍もだけど
負け側は八割増しで性格良く見えるよねー。
直接面識こそなくとも狭い宮中でたった数年のブランクしかないのだから才女として名の通った
清少納言の事を知らないわけないわな。我が強い紫式部は自分は負けはしないと思うのは自然なこと。
それにしても赤染衛門や和泉式部など百人一首に載ってる女流歌人とも面識あるのか。すごい時代。
とても面白い解説でした
嬉しいコメントありがとうございます!今後もそう言っていただけるよう頑張っていきますので応援よろしくお願いします✨
清少納言に対するちょっとしたディスりが千年後も語り継がれているなんて、当人達が聞いたらビックリでしょうね。
僕は定子推しです。
定子様~俳優さんもピッタリ嵌ってる!麗しいわ~
ライバルというには、仕えていた時期も年代が違い、お互いに顔すら見た事が無かったというのが事実。
それにしても、平安時代を代表する二人が平安時代400年のほぼほぼ同時期に、しかも、かなり近しい職場😅に存在、ニアミスしてたとは、驚きです!
日本史の先生が紫式部が清少納言は頭が良いのをはなにかけて中宮定子様に気に入れられようとしていると悪口を言っていると習いましたがもう40年くらい前の高校時代のことですから事実はどうでしょうか❓
これは言うまでもなく知られていた話ですね。
女としては清少納言の方が幸せだったのでは チョット美人だった
1000年前の女流文学が残っていることは素晴らしいと思いつつ、紫式部も清少納言も名前が分かっていない。蜻蛉日記の著者も藤原道隆の母。名前が分かっているのはファーストレディー級の定子と彰子。彼女たちだって、どう発音するのか、たぶん不明だと思う。
しかし、日本が凄いと思うのは、活版印刷がなかった当時、書き写しで後世に作品を伝えていること。きっと、メソポタミア文明のイラクにも、エジプト文明のエジプトにも、インダス文明のインドにも、黄河文明の中国にも、紫式部・清少納言級の作家はいたはず。日本以外では、同年代(A.D.1000頃)の女流文学は残っていない。
まあ、人間、得意・不得意はあるもので、日本人は明治時代までパンツを作ることができず、男はふんどし、女はすっぽんぽんだった。
下着については公家の服装の下着として犢鼻褌(タブサキ)という短い袴形式のショートパンツ形式の物があった。女性も平安時代初期までは裳(スカート)の下は同じ様なの穿いていた。男性の下着が褌に集約されたのは戦国時代から。あれは鎧を着ていても下着の交換や大小便しやすいから。女性の場合スカートがエプロン形状や後に引きづる飾りだけになった時にショートパンツが又の分かれた女性用袴になったが、小袖の裾が長くなってから袴が省略される様になって初めて腰巻が女性下着の主流になった。だから、腰巻きが下着化したのは江戸時代から。古墳時代の格好で褌や腰巻きが下着だったら大事なところがまだ細くてズボン形式の袴の股で部分で擦れてしまうし、簡単な釣鐘型スカートの女性も腰巻きが下着のだったら冬場は下半身が冷えてしまう。
そうだったのですね。ご教示、ありがとうございます。確か、日本橋の百貨店火災で、当時の百貨店の女給さん達が着物の下に何も履いていなかったのを恥ずかしがって建物から飛び降りられなかったという話を聞いたことがあったので、私はてっきり昔の日本の女性はすっぽんぽんだと思い込んでいました。犢鼻褌はパンツほどの機能性はなかったんでしょうね。その意味では、歴史学者の本郷和人先生がご指摘のとおり、『日本人は明治時代までパンツを作ることが出来なかった』のだと思います。
ちょっと発音についてよろしいでしょうか❓
「 清少納言』の読み方は、
「セイショウ・ナゴン」に非らずして
「セイ・ショウナゴン」」と読んで戴けますでしょうか❓
ご指摘のコメントありがとうございます!
次回以降読み方には気をつけてまいります!
まあ、中高の授業でも教師が『せいしょう・なごん』って感じで教える事が多いので、多くの視聴者には、その方が分かりやすいのかも知れません。
そう言う私も「豊臣秀吉」の「豊臣」は”苗字”では無く”氏”なので、『とよとみ の ひでよし』と読むのでは無いかと何時も気に成っちゃいますけれど。。。
@@アサヤス-w8v大河ドラマの「真田丸」で登場の初っ端で「とよとみ の ひでよし である。」とやってたな。
他の人も書いていますが「清少 納言」ではなく「清 少納言」です。清少納言は宮中の女房名(女官の名前)。
「少納言」が役職名で「清」が父親「清原元輔(きよはらのもとすけ)」の「清」だから「清 少納言」
『枕草子』280段でも「少納言よ。香炉峰の雪いかならむ」
ドンキ・ホーテではなくドン・キホーテです
「少納言」がどこから来たのかはよくわからない。普通は父親か夫の官位だが、身内に少納言はいない。
流してる歌は、どんどんどんドンキ、ドンキ、ホーテって言ってる。正式名称ではない渾名・愛称のようなものは、人々が言い易い様に言い習わすのが日本語の風習。私が習った数十年前の古文の教師も、せいしょう なごんと言ってましたよ。
清少納言が、紫式部の旦那の悪口を言っていた点は・・・。
いや、好意的に評価してますよ。悪口というよりツッコミという感じ。これで式部が怒ってやり返したとか言ってる人は枕草子読んでないと思う。
「清 少納言」ですよね。
「清少 納言」に聞こえるのは私だけ?
アリオリハベリイマソカリケレ
おたがいの存在は知ってたから普通にライバルだろ
そもそも大河ドラマから日本史を学べる?創作時代劇なんだけど。せいぜい何年に何が起きましたくらいかな。子供とか日本史に興味がなかった人が日本史を学ぼうと思うトリガーになれば程度のドラマです。
今回の大河ぜんぜん面白く無い
いやいや、政権争い面白いじゃありませんか。鎌倉殿の平安版みたいな。
今回の大河ドラマだたスベリだね