ビートルズって何で解散したの!?
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みのミュージック宛 - เพลง
ジョージ・マーティン曰く
「4人は本当に仲が良かった。とくにジョンとポールはお互いが好きだった。二人は少年の夢を実現するため協力し競い合い梯子を上り、とてつもない高見に達した。」
若いファンの方が誤解しないように、捕捉させていただきますと、解散時色々争いはあったけど4人はそんな時でも固い絆で結ばれた家族のようなものであり続けたという事。「つまり僕達は兄弟だった」(リンゴ)のです。
最近ビートルズの解散とアルバムがどう作られたかいろいろ調べてました。詳しいみのさんの解説待ってました。
結局、弟分だったポールが音楽的にどえらい成長したから、もはや弟分じゃなくなったのもあると思う。
友達だった奴が進学校行くから塾とか生きだして疎遠になるみたいな
ポール・マッカートニーのライブTシャツかっこいい
ビートルズが何故解散したより4人の天才が10年間も一緒にバンドを組んでいた事が凄いと思う
Bonn Czech ジョージは努力の人だよね
まあ、リンゴはあんまり天才扱いされてないけど、、、😭
@@波波迦ははか 解散後、ヒット曲書いたりもしてるんだけどねw
リンゴの場合は、三人の天才の背後にいて、バラけないようにまとめる役回り
8年間、不動のメンバーで活動し得たのはまさに彼の功績
ほんとだよ。昨今はボーイバンドですら5年持てばいい方だもんね。こんなクリエイティブな人たちが10年近く続いたのは奇跡。
リンゴは一回脱退してるから(笑)
解散してからもメンバー全員と仲良かったリンゴ好き
あいつバリかわええ
タバコ吸いながらドラムたたくのがカッコいい
ジョンは残念ながらジョージの自伝に自分が出てこないことやヨーコを受け入れてもらえないことに怒ったりして険悪になったまま死んじゃった。。だからジョージはそれを死ぬまで後悔してたみたい。
リンゴは自身のコンサートにポールを呼んでいないですよ。
@@yottodesu8723 さん リンゴのコンサートにサプライズでポールが登場したことならありますよ その逆はもう5回くらいありますし
オノ・ヨーコだいすき
ペニーレインでは一位取ったってのはどーゆうことですか?両a面なのに記録は別々なんですか?
中1の英語でビートルズの曲習うよね
みのミュージック 彼女の芸術はすき
@@ペヤングアンガス アメリカではストロベリーはb面だったんだよ
私も大好き〜
ジョージが後期にかけて頭角表す過程が好き
次回「カリスマブラザーズって何で解散したの!?」
ジョンはスランプって言うか、やる気なくしました感があるよね笑
高く跳ぶためにしゃがんでた時期って表現すごい良い
小僧 確かジョー・ストラマーが“誰よりも高く飛びたいなら誰よりも低く身構えるのさ”と言う名言がありますね。
ビートルズのタラレバは想像すると面白いけど、ビートルズは全てに於いてあれ以上何か足したり何か引いたりしてはいけないんだと思います。あのままが奇跡そのものなんだと思います。
若い人がビートルズを深く考えて語っていることが 素晴らしいと思います!
応援📣させて頂きます!
やっぱり、ジョンレノン今も生きてポール・マッカートニーとビートルズ時代のこと話したり、今の音楽シーンについて話したり、そういう今の時代を生きるジョンを私は見てみたかった。
ロンドンオリンピックもスクリーンじゃなくて実物が出て欲しかった
Alice 0613 いつの時代にも天才はいるよ。
ポールが主導権を取ろうとエゴイスティックになったことは解散の要因だろうけど、でもGet Back Sessionの必死にビートルズを繋ごうとするポールを見ると泣けてくるのは私だけでしょうか……やっぱりポールにとってジョンは対等ではあるけども憧れの存在だったと思うし、ビートルズを最後まで愛したのはポールだった。
だからこそ、脱退宣言によって誰でもないポール自身の手でビートルズを終わらせようとしたのではないでしょうか?
確かに。当時としてはGet Backに関してはジョンも、ジョージも乗り気じゃなかったっていう記実があるぐらいだしな。ただ解散はなるべくしてなってしまったと思う。芸術家って独走的って言うか、独創的もあるんだけど、自分の思う通りにならなきゃ嫌って部分があるし、関わる人間もある程度、自分の色を出したいって部分があるから、そこの衝突が続いて疲弊してしまったんじゃないかな?って思う。何しろメンバー全員が才能に満ちていたなら尚更だと思う。何より1969年に解散してしまったんだから、どうしようもない。ただ様々な書籍があるから色々と読み耽って自分なりに考察してみるのもありじゃないかな?って思うね。
高校時代、学校の図書室にあったビートルズ本に赤ちゃん時代のポールの写真が載っていたけど、これほど顔が変わらない人は珍しい。
イエスタディで歳をとったジョンが出てきた所は泣きそうになった。
もし、ジョンが生きていたらってビートルズやジョンのファンなら誰もが思っていた事だから不意を突かれた感じだった。
ジョンがビートルズをやっていなかったら、あの日あの場所で銃弾に倒れることはなかった。
運命とは本当に皮肉なものです。
@@どっきー-o5y 全てはマーク・チャップマンのせい!
ジョンがリーダーだったからポールも伸び伸びと才能を開花させられたんじゃないかと思う
Don’t let me down のあの4人の楽しそうな姿が、本当に好きです。いつまでも一緒にやって欲しかった。
そう、活動中にポールが巨大になりすぎた
で、尊大になってしまったのがジョンとジョージの鼻についたんだろう
とはいえポールも当時は20代、責めることはできないよ
解散したっていいじゃないか
ビートルズだって解散したんだから
↑この言葉好きです
僕は70歳代の爺さんです。ビートルズと共に青春時代を送って来ました。彼らは解散したのは、するべきして解散したと思います。一人一人が成長して自分の道を見つけたんだと思います。10代からバンドを組んで来たのだから、ジョンがポールがジョージがリンゴーが好きと個々のアーティストのファンでも良いけれど、僕は4人で一つの個であったと思う!
色々あっても、やっぱり友達っていうのが、すてきだし、感動なんだな。しびれます。
僕のお爺さんはアメリカ人でビートルズとなんだかの関係があります😮
@@danaacch2000誰も聞いてないよ
向こうでのオノ・ヨーコの嫌われ方って、人種差別も入ってると思うけど、ある種ワイドショー的というか、まぁ一般の人の(一部か多数か知らないけど)見方であって、実際のビートルズ・ファン、音楽ファンって本当はどう見てたのかなって思ってたけど、みのさんの話聞いてホッとしました。
まぁ自分もやっぱり日本人なのでどこかオノヨーコに肩入れしてる所あると思うけど。結局そういうことですよね。ポールの存在は大きかった。
・・やっぱり、80年代、90年代のジョンの音楽聴きたかったし、音楽シーン以外でのジョンの姿も見ていたかった(ジョージ派)
カリブラの解散理由も解説してほしい…
価値観の不一致だろ テキトー
コンビニ店員のありがとうございました〜
ありがとうございましたー
これは草
ジョンレノン 、スランプでもカムトゥゲザーやらオールユーニードイズラブやらアクロスザユニバースやら、名作はキッチリ残すのが凄い。
確かCome togetherは盗作だとチャック・ベリーに訴えられたり、Becauseはベートーベンの曲の盗作だと揶揄されていたような?
becauseは盗作というより、参考って感じがする笑
つーか自分で言ってなかった?w
そうなんだ!
Don't Let Me DownもHey BulldogもI Am The Walrusもある
特にCome Togetherは過去の遺物扱いしてたビートルズ曲の中でも気に入っててソロライブに持ち出すほどだしね
世界を変えた四人だけど、やっぱりまだ若かったからいろんな抱えなくて良い問題を抱えちゃったんだな。
でも、もしジョンが生きてたらきっとまた再結成してたと思います。
再結成したビートルズの妄想したらニヤニヤが止まらない
ジョージも忘れないでね、、、
@@酢米尿意野馬位 もちろん!
するかな してほしいけどめっちゃ
再結成はしないかもだけどそれぞれのライブに参加するぐらいはするだろうね。
4名全員の才能が、それぞれ違う方向性に行っていて、「ビートルズ」というスーパーバンドでも囲いきれなくなってしまったのかなと思います。
いずれにしても、まだまだビルボードで1位を連発できるときに解散したからこそ、史上最強の伝説的名バンドに君臨しているのですね。
あんなにエゴの強い天才が互いに我慢し合うのも無理があるというか、遅かれ早かれ解散は不可避だったでしょう。
矢沢栄吉と小田和正がコンビ組んで、チームワーク成立してたようなものだと思ってます。
普通はあり得ないチーム。その水と油にあって、界面活性剤の役割を果たしてたのがリンゴかと。
実はシャツがwingsなのほんとに好き。
Silly love songs大好き
MrSugomori ポールやん
ビートルズはサージェントペパーズで絶頂期を迎えてしまったから、もう必然的にそれを超えたり維持することは不可能だったのじゃなかろうか。彼らが賢明だったのは、下降する前に最大の名作アビーロードを作って解散したことである。ズルズル延命して落ち目を見せなかったことが、彼等にとって最大の功績である。それで永遠のビートルズに成れたのだから。
同意!同意!(^○^)
生きる伝説❗️ストーンズのが好きです。ライヴをやって、なんぼでしょう⁉️
田中豊 ここで言う必要ないですよ。ストーンズについての動画で投稿すべきです
下降する前に? 解散後に彼らが出したアルバム聴いたことない人かな。あの作品群から曲を選りすぐって全員で演奏して年1枚のアルバムを出し続けてたら、アビーロードクラスのアルバムが何枚も出てた筈だと思います。
統計的な分析から精神的な分析に移行させていく視点は 結果的な要素、事実が絡んできてるから的確すぎる。みのさんすごい
ポールが一番好きなんですが、ジョンもなかなかギターうまいと思います。最近どの曲で弾いてたかを知ったんだけどw
映画「Nowhere Boy」を見たポールは感想を聞かれて、
「よく出来てたよ。大体あのとおりだけど決定的に違うところがある。
僕たちは殴り合いのケンカなんてしなかった。ジョンは決して僕に手を上げることなんて無かったよ。」
と語ったのがしんみりしました。
解散はしてもそれほど仲は悪くなかったと思いたい。子供の頃からの親友ですからね。
まあ、そんなとこでしょうね。初期でもAll my lovingあたりでジョンはポールの作曲能力はヤバいと感じていたみたいですね。
mac hazard そういうのってどこで知れますか?
@@ck-dq1nz たとえば、ウィキとか。 ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%B0
みのさんってどうやってロック勉強したのか気になる
解散の真意は当事者しか分かりませんが、ポールが脱退表明してソロアルバムを出した時は何となく納得していました。
脱退をほのめかしていたのはジョンで実際に脱退してしまったのはポールが先であったと思いますが、時系列を追ってみると実際に脱退表明していたのはジョージが先であると…
つまりビートルズのソングライター全員が脱退したかったんですね。
まあ解散の理由は四人とも別々にあると思いますし、四人中二人は既に天に召されていますから
解散してもジョンとポールは仲良かったみたいですよ。
ダコダハウスに何度もポールは遊びに行っていたみたいですし。
「ジョンとヨーコのバラード」なんてポールと二人きりでのレコーディングでしたし、ポール作の「レットイットビー」のサビの部分はジョンの手によるものみたいですしね。
言葉選びにすごくビートルズ愛、音楽家へのリスペクトを感じます。
ブライアン・エプスタインの死も大きかったですね
タックスマンのポールのベース凄い!初期のロールオーバーベートーベンもベース弾きまくってる。ポールは自分がボーカルとらない時は弾きまくる
特にジョージの曲とかね
そしてジョージがキレる
ミノ様、私もビートルズマニアです。が、ファンは深読みが好きなんです。またビートルズネタ上げてください!!!!!
友達とイエスタデイを見に行こうとしたら上映してる映画館なかった…
ビートルズ解散の理由はいろいろな要因も含め、ポールのワンマンぶりに周りのメンバーが嫌気がさしてついていけない状況などが、かなり大きな要因だったのかもしれませんね?映画レットイットビーでリンゴの曲オクトパスガーデンをジョージがリンゴにピアノでコードを教えていて、そのあとにジョンがスタジオに入って来てドラムの椅子に座りジョンがドラムを叩き出して軽いセッション状態になって和気あいあいとしているときにポールがスタジオに入ってきたら急にセッションをやめてしまうシーンがあって、その部分が印象的でした(いくらかフィルムの編集はされてるかもしれませんが?)。メンバーはバンド(ビートルズ)として継続していく気力や必要性もなくなって、最後の一旗、力を振り絞って完成させたアビーロードで結果を出してピリオドを打ったって感じですかね?
Te
人の解散理由を話す前に自分の解散理由を言え
君の解散を解説しろ
同年代でビートルズ好きな人あんまりいないからみのの動画のコメ欄でビートルズ論交わせるのすげー嬉しいw
やる気のないメンバーをなんとかまとめようとして空回りしているポールは映画「let it be 」観れば解る。
不仲な箇所を選んで編集していたのが今度のゲットバックを観ると解るそうです。
@@onsomasayuki ポールは映画版もアルバムのフィルスペクター版も嫌ってるから以前リリースしたアルバム「Let it be Naked」と「GETBACK」でリベンジしたいんでしょうね。自分はフィルスペクター版も画質が悪くて暗い感じの映画「Let it be」も好きだけど高画質で当時が甦る「GETBACK」も楽しみです!
ビートルズの音楽たくさん知ってても、誰が作曲してるとかそういうとこ気にしてなかったから新鮮な話だった | ᐕ)⁾⁾ジョンレノン圧倒的作曲数。
ポールのギターってやっぱすごい。
ジョージも本当に天才でしたね。
ジョン、ポール、ジョージ、リンゴが同じバンドにいたってのがズルすぎると言うか。似たような事を、キースリチャーズも言ってましたね。
ジョンはアーティスト、ポールはミュージシャン。
ジョンはシンガー、ポールはヴォーカリスト。
勝手な推測ですけど。
例えが上手い、わかってらっしゃる。
ジョンはロック、ポールは音楽家。
ポールはロックの狭い範囲の人ではない。
ジョンはロックだけでなく、レゲエありブラックありの何でもありです。フレディマーキュリーがジョンレノンは天才だと言っていました。
それぞれに「史上最高の」を付けて下さい。
ちょっと前ビートルズの面々がアビイ・ロードの次のアルバムについて話し合ってるテープが公開されましたって記事見て驚いた
着々と解散に向かってた状況でも直前まで彼らの頭の中にビートルズとしての次の活動があったことがちょっと嬉しかった
1986年にフォーク・クルセダーズのメンバーで精神科医の北山修(きたやまおさむ)が講談社現代新書で『ビートルズ』という小品を出しておられて
グループ内での力関係については北山が考察していたこととみのさんの考察とがほとんど一致しています。
「心の問題」は北山が詳しく論じているので、それを読むのも面白いと思います。
「リバプールで出会ったときは、まだみんな少年だった。それが4人とも大人になった。だから少年たちの互助共同体であったビートルズは、メンバー各々にとって自然に役割を終えた」
というのが、北山の考察の要旨です。
そして、世界がこの「少年たちの互助共同体」に心を魅かれたことを精神科医ならではの筆致で明かそうとしました。
あまり取り上げられることのない論考ですが、ビートルズを深く考えるためのバイブルになった本です。
カリスマブラザーズって何で解散したのぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉォォォォ????おっ??
いるインス 言おうと思ったら先に言ってる人いてなぜか安心した(?)
ビートルズファンの血が騒ぐ😇
ビートルズの動画もっと上げて欲しい
私にとってのBeatles教科書は、昔FMでやっていた”軽音楽をあなたに”で
カセットテープに録音して、何度も聞きなおしました。
旧ビートルズシネクラブ会員のわたしは、この動画の会見に深く同調しました。
まず作曲・編曲できる人がバンドに3人いるのはかなり特殊ですよね。
大抵の場合バンド内に一人いればいい方で編曲に関してはバンド内に一人もできない人も多いですし。(編曲は豊富な知識と経験が必要なので当然といえば当然ですが)
下積み時代に超ハードスケジュールをこなしていたのが功を奏したのじゃないのでしょうかねえ。
そうですね。そう思います。他にイーグルスを思い浮かべます。
アレンジと云えばジョージ・マーティンの存在もデカいっすよ。
ハンブルク時代の武者修業の時代が、奏功しました。
流石に同意出来ないなぁ
特に才能のピークという言葉がね。ジョン・レノンは最後まで『負けた』という感覚は無かったんではないですかね?
スランプというより、ビートルズでのやる気を無くしたんだと思いますよ。
若いのに熱心にビートルズを聴いているのに感心しました!。ジョンがポールを一番褒めてるのもギターの演奏能力だから、このハナシはアリだと思います。あまり知られていないけど、ジョンが「イマジン」を完成させたとき、「やっと「イエスタデイ」や「ヘイ・ジュード」のような曲ができた!」と喜んだらしい。かなりポールの曲作りも意識していたと思う。ジョンの才能の開花は早熟過ぎたかもしれない。どんなアーチストでもピーク時ってのは確実にある。そんな中、ビートルズ後期を経て解散後「イマジン」を創れたのはかなり凄いことだと思います。でもジョンの才能をもってすれば当然できたという意見もあるし納得はしますね。
生きてたらもっと沢山の名曲が生まれてたのかもと考えるとほんとに惜しいですよね、、
月並みだけど、ジョンとポールが同じバンドにいたって言うのが奇跡、ジョンもそりゃ大変だったのかな?でもどっちも大天才だからね、ジョージもあの二人にコーラス付けてもらえたなんて、リンゴも、贅沢すぎる。
Nowhere man 大好き大学生です!
でもやっぱりHey judeも
ひとつの参考書物として、「GET BACK…NAKID」(藤本国彦・著)をお勧めします。かのGet Backセッションの間にメンバー+関係者の間で交わされていた会話が、映画で見えない部分まで微に入り細に亘ってテープ起こしされていてメッチャ面白いです。
この丁寧でビートルズへの愛もある解説には、面倒なビートルズオタクな私でもニッコリ
実は前衛もポールの方が詳しいという事実。
ポールには勝てないレノン。
ポールが主導権を取ろうとしたきっかけは、やっぱりブライアン・エプスタインの死だと思う。つまらないコメだろうけど。
ジョージはアレンジ面ではずば抜けてるよね ビコーズのコーラス インマイライフのイントロとかね
ジェフエメリックさんのインタビューを読むと、中期の政権交代論、あるなあと思います。
あと、本棚にある、マカロニほうれん荘、いいですね♪
みのさんは勿論ご存知でしょうが、コアなビートルズマニア、特にジョンのファンは、オノ・ヨーコについてどれだけ知っているのか気になる所です。ヨーコの最初の旦那は作曲家・一柳慧氏ですが、彼の作品を聴けば、ジョンが前衛志向に向かった背景と無関係では無いことが分かると思います。ヨーコと一緒になった70年代前期、一柳氏は早くもコンピュータによる作曲を手がけており、この系譜は数年後に(芸大の)後輩である坂本龍一のYMOへと繋がります。
一柳のピアノ曲は、達者なクラシックピアニストに人気があり、結構演奏されてます。
リンゴ...
さしみ 林檎
🍏
バナナ…
解散理由はオノヨーコでは無いとポールマッカートニーは明言してるよ。
アラン・クレインの存在も罪深いよね
更にメンバー内を悪化させてしまった
ま、ヤツはゼニが稼げれば良かったからネ(*´・ω-)b
ま、ポールは奴に騙されなかったね。ポールがしたたかでクレバーだって事かな。
にしてもあれだよね。
Paperback Writer/RainとPenny Rain/Strawberry Fields Forever のシングルは強烈だね。
なんでこれ、まとめて出しちゃったんだろう。
それぞれでNo.1を狙えただろうに。
お互いバチバチに対抗心を燃やして高め合ったソングライター集団だからね
同じシングルにしますって決まりがあることで「俺の方が凄い曲を作るんだ」という意気込みが生まれたからこそ名曲として昇華できたのかも
綴り間違え: Penny Rain >Penny Lane
@@木倉谷哲也 I'm solly.
yuzy0808 また綴り間違え:solly >sorry
I Saw Her Standing Thereで既に才能爆発しとる
ポールのボーカル最高‼️
ビートルズもただ神格化するだけじゃ無くて、その人間性に突っ込んでいくと面白いですね。
昔ビートルズの広報だったデレクテイラーが「ビートルズも人間だった」という邦題の本を出していて、結構面白かったな。また出して欲しい。(ジョンと売春婦の会話、ジョージが麻薬で逮捕された時の詳しい状況など、生々しい事が書いてあった)
You can’t do that のジョンレノンのギターソロで失禁
ジョンとポールの2台巨頭が在籍していながらも各々のピークにズレがあったからこそむしろ10年間神バンドでいられたのかなとも感じました。
解散の理由をジョンのポールへの嫉妬とするのはジョンを小さく見ているのではないかと思います。ジョンにとってビートルズの成功の次に新たな目標設定ができなかったことが大きな悩みだったのだと思います。
僕の考えでは、ポールが、ブライアン・エプスタインが急死した後の予想以上のビートルズ内の動揺を、なんとかしようと、リーダーシップを取り始めた事が原因だと思う。この後、ポールと他のメンバーの有名なトラブルがいくつもあるし、その不満への結果として、ジョンがヨーコをスタジオに連れてきて、”俺はお前の支持は受けない”という無言の抵抗を示したのだと思う。
アンソロジーの収録でポール、リンゴ、ジョージの三人が解散理由をヨーコに責任転嫁しているが、それが一番、角が立たないからじゃないかな?
決め手はGet Backセッションでのフィルスペクターによるポール曲を勝手にアレンジした事。これで激怒したポールがマネージャーの件も含めての解散すべくの提訴。*ジェフエマリック著より
ああ、たしかに映画だとジョージにギターのことでああだこうだ言っていたな。
そう考えるとアイミーマインのサビのギターは面白い。
ビートルズの解散解説でWingsのTシャツ着てるの草。
ポールがハードでギターヒーロー的な曲に強かったっていうのはまさにですね。
それは今のポールのliveみても思います。
70年代他のメンバーのソロが低迷期に入るなかポールはWingsでビートルズに迫る成功を納めたり。
当時Wingsのファンの間で「ビートルズってなに?」っていうジョークがあったくらいに。
ジョンって精神というか存在がロックって感じなんだけど、ポールは音楽敵にすごくロックなんですよね。
なのにかわいいポップソングもピアノバラードも作っちゃうちょっと卑怯すぎる器用天才だから、不器用な天才のジョンとはウマが合うときはガッチリだけど、すこしズレるともう修復きかないんでしょうね。
Tシャツいいなぁ。。。
WingsだとLet ‘em Inとか
とても良い意見だと思います。何でもかんでもオノヨーコに押し付けるのは短絡的すぎます。物事が終わる時の要素として大きのは、失意です。みのさんのお考えから、ポールを見てジョンの中で失意が湧き上がっても不思議はないでしょう。
ジョンは巨大になり過ぎたビートルズという虚像を打ち壊したかった。だからヨーコと組んで戦った。ロックンローラーの本質、挑戦・超克を実践した…。それが解散の理由のひとつかと。
アフロ版吉沢亮
このコメント1億個ある
最近ポールがギター1番うまかった説知った
エリッククラプトンも、While My Guitar Gently Weeps のレコーディングでポールの演奏が最高だと絶賛してました。ジョージのプレイには言及してませんが。
ジョンはRevolution 1をシングルにしたかったけれど、ポールたちが許さなかったのでRevolutionにしたエピソードとかを聞くと、ジョンは売れ筋の曲を書けなくなったのではなく、書かなくなっただけなのではないかと個人的には思います。卵が先か鶏が先か、の様な話ですが。
アビーロードのリミックスの感想も聞きたいです。
いずれ解散したにせよ、時期を早めたのは、やはりオノ・ヨーコの出現だと思う。べつに悪口ではないですよ。
いや今なら褒め言葉になるよ。
世界一のグループを解散させるなんて、ヨーコやるな!
個人的には、最初期にジョンがリーダーだったというのは少し意義があるんですよ。
彼はリーダーだったというより「センター」だったんだと思うんです。彼らに目をつけ、売り出そうとした大人たちから見て、ロックスターのムードを身にまとって見えたのはジョンだった。だから彼はマネージメント的にも強く推されていたんじゃないかと思うんです。一方のポールは、特にデビュー時期、まだ子供のような緊張感のない顔をしていて、声も甘く、とてもロックスターには見えませんでした。あとから考えれば、べつに問題ではなかったのですが、大人たちが考えていたロック像はビートルズより少し古かったんでしょう。
そんなわけでポールは、ナンバー2に据えられていたけれども、じつは最初から彼は才能に溢れ、ジョンと拮抗するミュージシャンだった。ジョージが常に低いポジションに苦しんだ話は有名ですが、じつはポールもそうだったというわけです。
中期以降、ジョンのテンションが下がり、必然的にポールが前に出たのは当たり前で、そこからリーダー的な動きを見せたのも当然だったのです。まあそうした動きによってバンドのパワーバランスが変化し、最終的に解散に至ったという流れは同意ですが。
ジョンは天才だったけど、ポールは宇宙人だったからしょうがないよね笑。
ジョージファンの私としては、ビートルズ内でもっとジョージの活躍がみたかったです
なんで解散しちゃったの?って考えが不自然だよね。
アマチュアも含めて10年近くも同じメンバーのみで活動出来るバンドなんてそうそういないし、セールス面で成功したオリジナルアルバムをデビューから解散までに10枚以上コンスタントに出せたバンドなんて逆に珍しい。
こんなに才能が集まるバンドがいずれ解散するのは必然でしょ。
ヨーコのせいではない。
アルバム『Help』は、“yesterday”の余韻で終わるのが最高の構成だと思ってるんだけど、その余韻をかき消す様に“Dizzy Miss Lizzy”でシャウトするジョンのヴォーカルで締めくくられている。これはやっぱりジョンのポールの才能に対する嫉妬とか焦燥だったのかな?
いや、どうも違うみたいですよ。
どこかで聞いた話ですが、彼らは、バラード系のしっとりしすぎるものは自分たちのイメージに合わない、ということで Dizzy Miss Rizzyがラスト曲になったらしいです。
イギリスで活動中シングルにならなかったのもそのせいみたいです。
さらに言えば、同じようにRubber Soulでも、In My Lifeをラストに持って来る案があったようですが、Yesterdayと同じ理由で、最終的に11曲目になったらしいです。
突然の長文、失礼しました。
最高傑作とされるストロベリーズが1位じゃなかったのが意外です。
ということは、マッカートニーの作品の方が自分は好きなんだなぁって…🤔☺️✨
余談ですが、PPコンビの解散理由がマジで知りたいです!🤣🤣🤣やっぱり、PDRさんは…色々すぎたんですかね…めーん🤣🤣🤣
面白い解説ありがとうございます。ホワイトアルバムのころジョンとポールの仲が最悪でレコーディング中にリンゴが出て行ったり、ジョージの話ではビートルズだけでレコーディングしているととっても暗かった。それで他のミュージシャンを参加させると突然二人が余所行きの態度になるので、クラプトンに演奏をしてもらったとどこかで話していましたね。ジョンのスランプにも成程!と思いますが、やはりヨーコがレコーディングにでしゃばるのも嫌だった、みたいな話聞いたことあります。最後アビーロード前に撮影したlet it beではかなり険悪な雰囲気が看られましたし、ポールが他のメンバーにあれこれ指示をするのも面白くなかったと。ただ後にだれか忘れましたがメンバーが映画ほど雰囲気は悪く無かったとも話していましたよね。まぁ、原因は色々合わさって、ですよね。先ほどのリンゴ同様ジョージも途中で放棄したりしましたが、決定的なのはポールが対外的に脱会!としゃべってしまったことで完璧に解散となったみたいです。
メンバー4人でバンドをコントロール出来なくなって来たところに
アランクレインの存在も見逃せないと思います
なんで解散になったのかはリアルタイムのときは解らなかったけどいろんな視点からの文献や資料を読んでみたらジョンの気持ちポールの気持ちがわかったよ。解散後のジョンのイマジンに収録されてるHow do you sleepって言う曲がジョンがポールに対する気持ちをぶちまけてるけどどうしてそんなにポールの悪口を言ってるのかも理解できるんだな。単にどっちがリーダーとしての力関係が逆転したとか書く曲の数が多い少ないなんて単純な原因ではないことだけははっきり言えます。ジョンとポールはお互いを尊敬しあってます。Let it beのアルバム作成の時もジョンの曲が少ないのを気にしてでポールは自分の曲Get backのリードギターをジョンに弾いてもらって目立つようにさせてます。しかしその当時ジョンはもうビートルズでやっていくことに全く興味がなくてヨーコさんと二人で世界を平和にするために行動を起こそうとしていたのです。ジョンの気持ちを見抜いてしまったポールはもうジョンをビートルズに無理やり繋いでやって行くのは無理だと察して一人でこそっと他のメンバーに極秘で自分だけで作ったアルバムを作っていたのです。これが1970年4月17日に発売されたポールのソロデビューアルバムMcCartneyです。ジョンは969年9月にビートルズ脱退の意志をポールに伝えていたがそれだけはしないでくれと哀願するポールの気持ちを尊重して脱退をしないで約束を守っていたのにいきなり1970年4月9日にポールはジョンに電話でバンドを辞めると伝えその直後に自分のアルバムを発売したことにジョンは狂わんばかりに激怒したって事です。要するにポールは解散後の初アルバムだったらまず売り上げはすごいだろうと目論んで引き留めても無理だと確信したポールは先に脱退したいけどしないでいた気持ちを裏切って解散を利用して商売したというポールの人間性に激怒した内容がイマジンでのHow do you sleepなのです。この事実はビートルズを愛する僕としてはあまり触れたくないのですがジョンはなんと言ってもヨーコさんと二人になりたかったのです。そして本当に人間としての幸せを感ずる素晴らしい時期を軽井沢で親子3人で過ごし子育てに専念したってわけです。ヨーコさんとの子供ショーンが学校でビートルズを知りジョンにパパはビートルズだったの?って聞かれたときにショーンの為にそれを立証しようということでヨーコさんとアルバムを作ったのがスターティングオーヴァーです。このアルバムを聴くとジョンが如何にヨーコさんを愛していたかがわかります。そしてジョンは人生の中で本当の幸せを感じたのです。ヨーコさんは当時、世界中(僕もでした)のビートルズフリークスから解散させた人物として恨まれましたがジョンに真の幸せな時間を与えてくれた唯一の女性ですし日本人として誇りに思います。でもジョンが亡くなったときは2日間泣き明かしました。でもビートルズは永遠だと思います、スティッカムで知り合ってビートルズ演奏やってた20代の子がぼくよりビートルズの知識が上だったのにはやはりビートルズは凄いし永遠だなって思わされましたw
66年辺りからのジョンを「スランプ」と言ってしまうのは余りにも一面的な見方であり、軽率で浅薄過ぎる見解ではないでしょうか。むしろ65年の「Help!」以降のジョンの作品は、作品数こそ目に見えて少なくなりますが、その作品としての深化・進化は目を見張るものがあり、後期ビートルズの先鋭的かつ深淵で唯一無二なクリエイティヴィティが、ジョンの作品群に負う所が大きいのは否定し難い事実でしょう。具体的な楽曲名を挙げるまでもありませんよね。確かに、65年をピークに人気も名誉も財産も全て手に入れて頂点を極め、同時にディランの内省的で反体制的なクリエイティヴィティに大きく触発されたジョンは、ビートルズである事や自らのクリエイティブを見つめ直して深い内省期に入っていきます。一見すると「地味」にも見えるかもしれませんが、言ってみれば他メンバーより一足先にビートルズ離れを果たし、「大人」への階段を登り始めたとも言えるのではないでしょうか。ジョンが深く自分の内部を見つめ直し始め、ビートルズに興味を失い始めた時期とリンクして、年下のポールが才能を開花し始めます。エプスタイン死後の混迷期も、ジョンは「ビートルズを解散すれば簡単に解決する」とまで発言しており、一方でポールは、グループから心が離れ始めたリーダー・ジョンに代わって自分が強引にリーダーシップを握る事によってビートルズの存続を図ろうとします。しかし、いかんせん、ビートルズはそもそもジョンのカリスマ性の元にメンバーが集まってスタートしたグループです。ポールの元に集まったグループではありません。カリスマ的リーダーでありグループの父親的存在・精神的支柱であったジョンが、人生のパートナーとしてビートルズよりもヨーコを選び、音楽的才能は豊かだけれど人間的にビートルズのリーダー足るに相応しくないポールが強権を振るいグループを支配し始めた事が、他3人の心を一層グループから離れさせた、これがグループ崩壊の最も大きな要因であると僕は考えています。
2人とも多感な時期に最愛のお母さん亡くしていて、そんな2人が出会った。
喪失感がある時ってすごいもの生まれる。イエスタデイなんてまさにそう。ポールの処女作だってそう。
いつのまにか大人になってジョンが離れて行って、ポール悲しそうだった。しかも引きずる。でもそれがビートルズ解散後のポールのすごいもの生み出すパワーになったのかな。
ジョンからしたら、みのさんの言うとように、ポールの才能にびびってたとこもあり、ちょっと離れたかったのかな。
そこに現れたのがヨーコで、安らぎ見出したわけですね、きっと。前衛アートの刺激もあり、ビートルズとは
違った世界にのめり込んでいった。と、そんな感じでしょうか・・・ひと月も経ってから失礼しましたw
ごめんなさい、チャン登してるのに、久しぶりにみのさんの動画みました。
考察の説明や、編集が凄く分かりやすかったです!!
今まで正直興味無いジャンルだったけど、これから少しずつ知っていきたい.......
みのさんに共感です。俺がジョンだったらLET IT BE は作らないしポールへの嫉妬心でつぶれていたと思う。なんでかんで作り上げたポールの意地にも敬意を表しますが、解散したのはみんな天才ではなく「人間」だった気がします。