ขนาดวิดีโอ: 1280 X 720853 X 480640 X 360
แสดงแผงควบคุมโปรแกรมเล่น
เล่นอัตโนมัติ
เล่นใหม่
まじでこのチャンネル好き相当疲れると思うけど本当に価値ある動画をつくってくれているありがとう
ゴールデンカムイが好きなので、最後まで見入ってしまいました😄
まさに死闘だったんですね先人たちに敬意を😭今回も素晴らしい動画ありがとうございました
「1つの砲台を占領しても周囲の砲台からの反撃で撃退された」と言うのが理屈では理解できてもイメージが出来にくかったのが、この動画を見てすごくわかりやすかった。ありがとうございます。
これね。海軍の閉塞作戦の時から解ってたはず‥‥乃木、伊地知を無能と罵ってるが日本海海戦と蔚山沖海戦以外の海軍の体たらくがハッキリする。最初に二百三高地の攻略を進言したと言うが地形図見たまんまの憶測に過ぎん‥‥それが解る動画だよ
白襷隊など歩兵の突撃と乃木の作戦指導に注目が集まりがちだが、こうしてみると砲兵火力の大切さがよく分かる。そしてこれだけ撃ちまくるためには補給もしっかりしていないといけない。明治日本の国力でほんとよくやったわ・・・。
砲兵は戦場の女神と呼ばれ、事実ウクライナ侵攻で最も効果を発揮しています。世界初の近代戦、第零次大戦と言われるのも納得です。
この旅順要塞攻略戦で日本陸軍が取った予備砲撃後の歩兵突撃の戦術が、米欧の観戦武官に強く意識付けられて、後の欧州塹壕戦で繰り返された、とよくいわれますね。
今、大連に滞在しています。先日は203高地等を見に行きました。この動画を見てから行けばよかった。凄くわかりやすくてよく理解できました。203高地多くの人が亡くなったんですね。先入観のせいか空気が重く感じられました。
ささやかだけど一升瓶お供えして英霊に感謝したい気持ですね。動画始まって…ハラハラドキドキしてきて自分でもビックリしました。
沖縄の空気が重く感じるのは気のせいですか?
以前大連に旅行したときは軍事訓練中とかで203高地行きのツアーは参加出来ませんでした
素晴らしい動画です。メチャクチャ勉強になります。歴史の授業や、戦史も、こうやって土地のイメージを映像化しながらやってくれたらものすごく分かりやすいし、実感できる。ありがとうございます。
同感。
沢山の資料を読んできましたがこれほどわかりやすい資料はありませんでした。防衛大学の資料にしていいレベルだと思います。ありがとうございました。
すごく分かり易い!!ありがとうございます!!👍🏼を203回押したい気持ちです。
今回もとてもわかりやすく楽しめました
GoogleEarthでの解説ムッチャ分かりやすいです!。こういうのを見るといかに航空戦力が大事かが分かります。
それな
この時代の黄海海戦や日本海海戦での圧倒的な勝利が40年後の太平洋戦争時にいつまでも大艦巨砲主義の考えを捨てきれなく無用の長物になっていた戦艦武蔵や大和などを多額の国費を費やし建造してしまった昭和の海軍軍令部の時代を読めない爪の甘さの責任は大きかっただろうね。山本五十六の戦艦大和など造る金があれば飛行機1000機作れは有名だよな。
いまならドローンもそのなかにはいるかとおもいます
機関銃に対して肉弾戦が唯一無二の作戦のなかで死を覚悟して闘った先人には頭が上がらない…
いざとなったら我々も覚悟して戦わないといけませんね。
@@Ma-dt9tx 俺は無理だから頑張ってくれよ
@@にきしひちみ わしも無理❗
@@にきしひちみ 先に逝ってるぜ
唯一無二でもなかったんじゃないかな。砲撃と坑道作戦で。
起伏見ながらの解説が分かりやすくて最高
戦闘経路がわかりやすく、勉強になります。
このチャンネルものすごく丁寧に作り込まれていて大好きです、過去の動画も何度も見ています頑張ってください
旅順要塞は望台が陥落して降伏していることから、帝国陸軍の当初の作戦計画は妥当なものと考えられる。203高地は、帝国軍全体の戦争計画上必要になったもの。機関銃というゲームチェンジャーな兵器を前に奮戦した将兵の皆様に感謝と黙祷を。
地形図から見られるのはかなり分かりやすく良かったです。他にも沢山観たいです!
動画の図では解りにくいですが、突撃した兵が落ちる壕内の側面下に更にべトンに囲まれた壕があり機関銃座があります。要するに壕は障害物というよりキルゾーンとして設けられていて、1904年でこの設計は驚きです。要塞の補充兵に水兵を用いたので、艦隊を沈めるまでもなく旅順艦隊が無力化してるのを知ったのは戦後になってから。
映画でここに落ちた日本兵が逆茂木と機関銃で全滅するシーンをみましたこれでトラウマになった日本人も相当多いとおもいますなお壕内の機関銃座を含む構造物はカポニエール(caponniere(仏))とよばれますがおそらくは中世~近世フランス由来の築城技術をそのままもってきたのかなと推測されます
あと既に黄海海戦で港外に出て行ける余裕のある船はほとんどなかった。なので結果的に203無理に取らなくてもよかった。そんなの当時はわかるはずないけどね。
昔のNHK「その時歴史は動いた」で、日本陸軍が、山越えで、旅順港のロシア軍艦に、目視できないまま砲撃したものが、目論み通りロシア軍艦を大きく損傷させていたが、日本海軍は、ロシア軍艦の損害を直接確認できないならば、やはり要塞を陥落させてくれ、と要請したので、乃木将軍は無理攻めを強いられた、と言ってた。現代ウクライナの観測機器や、無人の攻撃方法で、ロシア軍艦が損傷したのと状況は少し似てますね。
@user-of9in2ri9nまあ一度諦めたら次のチャンスはグッと減りますから、また出て行ける状態ならその場で無理して通ろうとしますよね。突破も無理して全滅もしなかったのは、それだけ選択肢が無くなっていたんでしょう。まあ戦闘中にそこまで確認できるわけじゃないとしても、袋小路に逃げ帰るってのはよっぽどですよね。
水兵だけじゃなく艦載砲や装甲も陸揚げしたようです。二百三高地が防備を強化したのは天蓋防御に陸揚げした装甲を使ったかららしいですね。あんな山のてっぺんまでクソ重い鉄板運んだロシアも相当死に物狂いかと思われる
勉強になりました。文献ばかりでいまいち地図上の動画がなかったので面白かったです。ありがとうございます。日露戦争戦争の他の動画も待ってます。あと、中々動画が無い、日清戦争もお願い致します。
立体図を使用していて、大変わかりやすかったです❗
地図にイラスト追加してあるのが、本当にわかりやすいです
203高地よりも、その前段階で結構な被害が出てるのね………そして思ってたよりチカラ押しだなぁ。前回のインパールでもそう思ったけど、陣地を構築して準備万端で待ち構えている敵を突き崩すのは、中々難儀なコトですな………
まだ空から爆弾は落とせないからな。
航空支援と艦砲射撃がなければ、後はライフルと銃剣しかないからな。
映画の「二百三高地」では死者がたくさん出てみるのも辛い作品でしたが 休戦シーンがあってここで両軍が仲間の遺体を回収するシーンが良かったですね 日本人とロシア人が同じ場所で平和に作業をこなす このあとまたこの人たちが死闘をくりひろげるんだなと感じた
武士道と騎士道精神がまだ残っていた時期の最後の戦争・・・
小説「坂の上の雲」での停戦後に日本兵とロシア兵が一緒に仲良く酒を飲みに行く場面も映画では描いてほしかったですね。
実際に現地に行きましたが、この動画は本当によくできています!分かりやすくていいですね!
旅順のまわりの要塞は、203高地だけかと思ってました。様々な山頂に砲台があったんですね。大砲の射程の短さも驚きです。飛行機による偵察や無線通信は、この後の話か・・・
無線はすでに実用化されていました。日本海海戦前の「敵艦見ユトノ警報ニ接シ、聯合艦隊ハ直チニ出動、コレヲ撃滅セントス。本日天気晴朗ナレドモ波高シ」に出てくる「警報」も、この電文自体も無線です。ただしバルチック艦隊は、ドイツ人技師がマダガスカルで逃げ出したので、無線なしでやって来ました。
小説で203高地が有名になりました( ̄▽ ̄;)その前の東鶏冠山とかバンリュウ山❓奪取してたのですでに観測射撃してたのですが司馬遼太郎氏の表現で少々史実と違う旅順戦になったようです 最近の戦史研究系の本でよく書かれてます 自分も最近読んで知りました。
ドラマ「坂の上の雲」も映画「203高地」もどちらも大好きです。地図がわかりやすくて理解しやすいです。ありがとうございます。😊
攻撃されながら 穴堀😨 解説ありがとうございました 先人様の努力に感謝
祖父が203高地の戦闘に乃木希典大将麾下の部隊の一員として参加した。子供の頃毎日のごとく武勇伝を聞かされた。
実際のところ、バルチック艦隊よりも旅順艦隊の方が新鋭艦が多く戦闘力も高かったそうですね。(一時は)マカロフさんもいたし。約10年後の大戦では平地でも塹壕戦になったのに、よく山の上の要塞を陥とせたな~、と思います。いずれは黒溝台会戦なども扱って頂けたら嬉しいです。秋山お兄ちゃんの活躍とか・・・?(笑)
@weakoctopus9419ロシアが防衛しきれなかったのは山の上ゆえに孤立している事や、塹壕線の後方から補給が届かない事が原因でしょうか。
そして孤立した要塞の戦闘員の数には限りがあるからでしょう。第一次大戦の西部戦線での「ファルケンハインの吸血ポンプ」が10年以上前に極東で出現していたのです。どこから攻めるとか、そういう問題ではなかった。
最後にしっかりオチを入れてるのが良い。
良いオチだよな
4:27 開戦前に参謀本部が作成した地図をもとに攻勢案を立てたんだけど水師営の前進陣地すら記載がなかったり、あろうことか旅順に施されているのは永久要塞ではなくてその場しのぎの野戦築城程度扱いされる程度にガバガバ内容で、こんなもん渡されていた第三軍は苦戦不可避だったんですよね
日航よど号事件でテログループから小学校レベルの地図を渡されて北朝鮮渡航を指図されたパイロットと似たような心細さを感じます
水師営に行った時、ガイドの韓国人女性が、ステッセルと乃木希典氏との写真を説明してくれた時「ノギサンワラッテル、ステッセルウカナイカオ、オシテシルベシ」って言った。かたことの日本語で推して知るべしは笑ってしまいました。日本人を笑わすコツを知ってますね。
新作待ってましたありがとう御座います。
日曜アカデミーさん素晴らしい動画ありがとうございます。大変勉強になりました。
リクエストしようと思ってた203高地!ゆっくり拝視聴させてもらいます。日本の他の近代戦争もお願いします♪
実際の地形を見ながらの解説、位置関係が分かりやすかったです。乃木将軍は後世の作家によって事実以上に評価を落とされてると思います。三国志における三国志演義によって赤壁の戦功のほとんどを孔明に持っていかれた周瑜みたいに。乃木将軍が決断したことの一部が他の人の手柄みたいになってる気がしてなりません。
乃木希典の評価が低くなったの第二次世界大戦後の敗戦後だと思います航空支援の無かった時代の203高地戦時代と近大戦争の、空爆+砲撃後に敵陣地を戦車と兵士で制圧するセオリーと比較して、乃木希典の戦略は、無謀だったって!第1次前の攻略法を知らない人が(混同)し、乃木希典の功績を否定しだしたのだと思います。。この旅順攻略戦は、映画203高地に描写されてる様に、日露戦争に勝つか?負けるか?の天下分け目の、攻略戦だったと思います。。この旅順港が陥落してないと、日露戦争は泥沼化し、日本の形式的な勝利は無かったでしょうね。。当時軍事先進国ロシアを打ち負かしたのに、世界の先進国は日本に驚いてますからね。
@@norimaki0517 日露戦争までは、幕末の侍、侍の子孫、戊辰戦争、西南戦争を経験した軍人が多かった。覚悟が違ったと思います。第ニ次世界大戦、太平洋戦争では経験したひとがほとんどいなかったのではないのかなと思いました。それと、飛行機。飛行機での戦いを賢い日本人はものにしていましたが、まさか巨大な飛行機でより高くとべる飛行機まで用意されているとは。それと資源。戦線がのびきっていたのではと思ってしまいました。中国大陸から東南アジアまで戦線を拡大して、二大国(アメリカ、中国)相手にどうやって立ち振る舞うのか。同盟国も、ドイツ、イタリア。遠くの国では援軍は望めないと思います。大和魂だけは見せつけることができましたが、どうやっても無謀すぎたと思いました。まずは中国戦線を撤退してから東南アジアをやるべきであると思いました。英霊に申し訳ないですが、満州での権益を破棄してでも、アメリカのいいなりになるしかなかった。満州で暮らす日本人の保証をお願いするなど外交が得意な人がいればよかったと思いました。
乃木将軍は力押しで兵を無駄に殺した訳ではない 当時の状況でやれるだけのことはやったと思う息子さんをこの戦場で亡くし、自身は無事に帰ってはいるがそれでも責任を取って戦後に夫妻で共に自害した無能というのはインパールで兵を置き去りにして飛行機で逃げかえりのうのうと生き恥さらした奴をいう
司馬遼太郎史観の弊害ですからね...
@@マキシマム-u2b 正確には日露戦争終結後、時の明治天皇に対して多数の将校を犠牲にした罪として自身を処刑するよう嘆願しています。それが認められなかった為、明治天皇崩御の際に夫妻共に自決した次第ですね日露戦争帰還後の凱旋パレードを拒否し、自らを懺悔の気持ちを述べた詩『凱旋』は『爾霊山(読み:203)』『金州城下の作』と並び乃木三作と呼ばれ、戦勝の栄光を誇ることは一切せず、激戦の戦闘で多数の死傷者を出したことへの懺悔や責任を自らの自壊として綴られたものです現在の政治家に乃木希典の心情を理解し国家存亡の危機に対して忠実に師事できる人はどれぐらいいるのでしょうか?考えさせられますね...
陸地戦がこれほど激しかったとは知らなかった。素晴らしい動画ありがとう。
陸戦の中でも一つの作戦のみの旅順港攻略作戦ですよw
地図、地形図があるととても想像しやすいです。大変な作業、ご苦労様です。
ちょうど配信されていた二百三高地を見たところだったので、今回の動画でどのような動き方をしていたかとても分かりやすかったです
分かりやすい解説で助かります
これは見てみたかった動画です。ありがとうございます。
20年くらい前に203高地に登りました。春になると満開の桜で、とても激戦区だったとは思えない場所です。日本人なら一度は行くべき場所です。
「坂の上の雲」だけでなく、映画「二百三高地」の方もかなりいい映画なので見てみるのおすすめ。(ただし3時間ぐらいある映画なのが難点)児玉源太郎役の丹波哲郎が、いろいろと八方塞がりの状況で「貧すれば鈍するじゃのぉ」って涙を流すシーンはマジで名シーン。
佐藤允が、「俺らは使い捨てですから」と言ったときの仲代達矢演じる乃木大将の表情が好き
凄いね、知識垂れ流しのチャンネル多数あるけれど地形図から見るとまた見方が違う
203高地の陥落も重要っちゃ重要なんだけど、要塞側にとって一番の降伏要因は日本軍の白兵突撃や攻城砲撃、坑道戦によって要塞側の兵力が極端に減ったことっていうね…
艦隊は事実上壊滅状態だったロシア側にとって、203高地はあくまで外郭陣地の一つに過ぎなかったわけですからね。その外郭陣地での消耗戦が命取りになったわけで。
映画二百三高地に出演した寺島大尉役の北村晃一さんは、新宿の高級焼き鳥屋でバイトをしていた時の先輩でした。二百三高地の撮影直後に、撮影の時のみやげ話などいろいろと聞かせて頂いた事を思い出します。その後も数々の時代劇やミナミの帝王などの映画でも活躍されてました。色んな意味で、思い出に残ってた映画ですね。
あえてロシア側の気持ちに立ってみると…全力で戦った100日以上補給も無く、目の前で旅順艦隊が沈んだときの絶望感はどんなだっただろう。
これすげぇ分かりやすいですね
地形図シリーズ楽しみ待ってました!これからもよろしくお願いします。
第零次世界大戦とも称され、ミニ世界大戦の様相を呈していた日露戦争
第0次世界大戦は規模でいうナポレオン戦争技術でいう日露戦争
数え切れないほど多くの苦難と犠牲を払って占領した爾霊山、万感の思いで涙を流しながら旅順港を見下ろす兵士の様が目に浮かびます
この戦争では機関銃や砲弾の嵐を塹壕に潜ってかわすのもやってましたね。第一次世界大戦でも同じ事が西部戦線で起きました。
経過説明に地球儀か世界全図を要した最初の戦争・・・?(バルチック艦隊の回航が無ければ単なる局地戦で片付けられていたのでしょう)
今年縁あって大連に行くことになり念願の203高地行ってきました!高台から旅順の港を見下ろして胸が熱くなりました!
衛星の素晴らしさを感じる
近代戦は第一次世界大戦からとよく言われてるけど、日露戦争からだよなあ。オチも秀逸だわ。
ドラマ版坂の上の雲の松村第一師団長と大迫第七師団長が高崎山から203高地を眺めて「おい達が皆死ねば、なんとか取れるじゃろかいなぁ。」って座り込むシーンがめっちゃすき
ありがとうございます!
映画の203高地では戦況が分かりにくかったですがこの動画でスッキリしました、ありがとうございます♪
まあ、1980年代の技術ではあれで精いっぱいだったとおもいます
昔の戦争映画は、地図が出てこないから知識がない観客には位置関係すら分からないからな。
見たかった。😄有り難うございました。
25年ほど前に203高地を訪ねたことがあります。なんて言うことも無い小山(丘陵地帯)だと思った印象があります。今でも土を掘ると当時の弾丸が出てくると聞きました。てっぺんに登ると、旅順港方面が望めました。
私が行った時(15年くらい前)は頂上近くの売店の窓に「坂の上の雲」のポスターが貼ってありました。旅順港を眺めた後、何故か手を合わせてしまいました。
こう見ると近代陸戦の基本形(相互に支援可能な鉄条網、障害物を用いた防御陣地を構築+機関銃や火砲射撃)はすでにこの段階で作られていたようにも思える
仕事で大連滞在中に旅順へ10回くらい行きました。今は緑が生い茂っていて様相が一変していますが203高地(砲弾で頂上が削られて今は202メートルです)のてっぺんでは「坂の上の雲」の読者ならだれでも「見えます!港が一望のもとに見渡せます!」とのセリフを心の中で諳んじたくなるでしょう。広瀬中尉が閉塞作戦で戦死された湾のくびれた部分も近くの丘の上からまるで映画のセットのようによく見えます。そりゃ敵船があんな狭い場所めがけて近づいてくれば集中攻撃されて生還できるほうが奇跡と思えます。ちなみに21世紀はやっぱり暖かいんでしょうね。小説や映画では日本軍兵士が携帯していたおにぎりが真冬にカチンコチンに凍って食べられなくなる場面がありますが私は冬でもそれほど寒いとは感じませんでした。
昔は平面の地図でしか理解しようが無かったけど、こうやって立体で地形が見えると戦略、作戦が分かり易い。
この辺の話を知ると鶴見中尉がただの悪人ではないとより思うよね…
鶴見中尉の部隊が存続してれば、むしろ太平洋戦争回避ルートあったかもしれないと思う
地形や距離感が良く解ります!素晴らしい!ありがとうございます!
今回も分かりやすかったです。
旅順関連の動画で過去一分かりやすい動画でした!、坂の上の雲は2回目に読んだ時に乃木将軍の凄さが始めて理解できて驚きましたね
勉強になりました。ちなみに、大連出身なんですけど日露戦争で、今の大連(その時は旅順または旅大)はまだまだロシアと日本文化が交じりあって、地下鉄でロシア語と日本語のアナまでがある。小さい頃、何でって思ったことがあるが、やはり日露戦争が一大原因だね。
大連の人々はなんだかんだ言っても日本とご縁がありますね。いつか行ってみたいところです。水餃子が食べたいな。
@@ogikubo15 ぜひ来てみてください。ウニの水餃子は有名です。
@@kazakiri7315 おおー。ウニの水餃子っておいしそうですね! 私は中国東北出身の知り合いがたくさんいるんですが、みんな上手に水餃作りますよねー。いつか東北縦断水餃子の旅に行きたいです。
司馬遼の所為でてっきり児玉が目標変えさせたのかと思ったら乃木本人が先に203に変更してたのね史実の戦闘の根幹場面でここまで改ざんするのはチョット歴史小説とは違うなぁ 架空戦記ですな
戦争映画見ると多くは地図を全く出さないので何処でやってるのかさっぱりなのですが、とてもわかりやすかったです。
旅順に閉じ込められたロシア軍、兵站ルートも細かったどころか無い状況だったろうし、極東に嫌々飛ばされてまさかこんな目にあうとか
ロシアの首都から見ればほぼ地球の裏側。ロシアとはいえ、ここを戦いの場に選んだのは間違いです。現にバルチック艦隊も既にヘトヘトでした。
@@藤岡山之上 ロシア「よし!もっと本土に近い海上で日本軍を迎え撃つz…こ、凍ってる!?!?(不凍港願望の目覚め)」
ドラマだと「ここが制圧されました」とか言われても海外の地理なんてわかんないし このほうがすごくよくわかりやすい こーゆーの教材にしてほしいねw
司馬遼太郎さんの作品や発言はかなり史実と異なるっていうのたまに見聞きしますね。
実に長期間、無能とレッテルを貼られた乃木閣下の子孫は、名誉毀損で司馬遼太郎を訴えてしかるべきだった。酷い話ですわ。
この関係で言えば、秋山好古の最期の言葉が「奉天へ」だったというのは創作です。実際は「馬を引け」で中学の校長を務めていた秋山好古は馬で通っていて、日常のように職場へ行こうという意味です。この方が名利に恬淡とした人柄にふさわしいと思います。
@@竜涎香-g9o確か最後の言葉は「鉄嶺へ」だったはず。
三国志演義みたいなもんで、史実を基にしたフィクションとして楽しんでます。
あくまで小説だからね
坂の上の雲や映画203高地を観てました。動画ありがとうございました。
司馬遼太郎が「この作品はフィクションは排している」とか嘯いたが、実際はフィクションだらけ。日本の大きな変わり目の歴史にフィクションを刷り込むのは、日本の為に戦った方の名誉を貶めており如何なものかと思う。
正直物書き如きが自分の思想で真実を捻じ曲げようとするなとは思う
クリミア戦争のセバストポリを超える難攻不落の大要塞を、たった4ヶ月で攻略した日本軍…
第一次大戦のベルダンの戦いでは、要塞攻略に10ヵ月余りも費やして攻略できなかったしなぁ。
同じ人が同じ業績を挙げても見る人によって評価は真逆となる好例旬日のうちに攻略を急ぐ日本「半年もかかりやがって、無為無能が!」攻略に10年かかるとみた欧州の軍事専門家「たった半年で、凄い!!」
@@第四軍道 外野はそんなもんですよね。いざ、自分達がソンムやヴェルダンで戦ってみたら、どれだけ凄い事かわかります。後、日本史しか見ていないと、そうなっちゃいますよね。日露戦争は間違いなく、当時、日本史上最も犠牲者が出た戦争ですから。
セヴァストポリ要塞は第二次世界大戦でも戦場になって、80cm列車砲グスタフや60cm自走臼砲カールなどが投入されて、ようやっと攻略されたな。そして現在、ロシアによるウクライナ侵攻でみたび戦場になる可能性がある。問題は、この要塞には現在もガングート級戦艦から移設された口径30.8cmの要塞砲があるという事。本来なら2017年に要塞ごとウクライナに譲渡されて解体される予定だったのだが、2014年にロシアがクリミアを併合してオジャン。砲弾がどれだけあるかは判らないけど、この巨砲が再び火を吐く時は近いかもしれない。
@@satootto 要塞なんて、今やハイマースやネプチューン、その他ドローン爆撃機の的ですよ。ロシアは守りきれますかね。ナポレオン『要塞なんて必要無い。全て勝てる。』
最後が、強烈な皮肉になっていますね。
乃木の攻め方は非難される内容ではない。要塞戦に対して当時の日本陸軍が出来うる方法など限られていた。
情報量が少なすぎた。それが証拠にある程度分かった状態での第一次世界大戦もっと悲惨な事をやらかしているから。本当に、最後のは皮肉だ。
1:40 バルチック艦隊の動きはイギリスさんが逐一教えてくれてましたよ確かに当時衛星はないけど陸からは見えそれを伝える通信網はありました
ステッセリと乃木のその後の交流とか、なかなか胸熱。
非常に分かりやすかったです。動画ありがとうございます。あと、その時点、その時点での攻撃時の日本軍の犠牲者数が分かれば、良かったかな。
西暦2022年にもなってもいまだに膨大な死傷者がでる戦争がつづいてるんだな…
よく考えてみれば、我らの祖先はみんな戦争大好きでした。どこの国のどんな民族にも、ヒトである以上戦いの血は流れているのでしょう。
人間が人を殺せるから、人間から戦争がなくならない。昔も今も!
乃木は愚将と言われるけどWW1でヴェルダンの戦い(独仏ともに70万近くの死人)とか触れると乃木って実はすっごい名将だったのでは?なんて思うようにもなった司馬遼太郎先生はとにかくこき下ろしてるけど当時は航空戦力も無いから遮二無二進むしかない時代背景ってのも考慮に入れないといけない…19,20世紀はとにかく戦争の手探り時代(何したら被害そんな出ないか、この兵器は自分らも巻き添えにならないかとか)…
乃木は銃剣突撃と真逆の合理主義者だったんです。司馬さん押しが実は銃剣突撃で「乃木は突撃精神が足りん」という批判になっています。第一回総攻撃、死傷1万5000第二回総攻撃、死傷4000第三回総攻撃正面、死傷2000203高地攻撃、死傷1万6000と正面攻撃は驚くほど損害が少ない。迂回攻撃というのは重火器が機動できず補給も不利になるので、則ち銃剣突撃になる。また乃木は総攻撃と称したが第三軍司令部では望台占領を指向せず総攻撃をやっていない。要塞外郭を削って奪回に来たロシア軍を火砲と機関銃で消耗させる戦術を採用していた。この戦術ってヴェルダンの吸血ポンプの先取りなんですよね。乃木は第一回総攻撃の経験から、あの地獄を守備側のロシア兵に味合わせる策を立てていた。
学生時代に「何で飛行機で爆撃しなかったのかな。203高地の要塞なんか簡単に爆弾で潰せたろうに」と言った奴がいたので「ライト兄弟が世界初の有人動力飛行に成功したのが1903年」「日露戦争が始まったのが1904年」と教えてやった。
わかりやすいです。 映画【203高地】だと、状況がよくわからないんですよ。ところで聞いた話。バルチック艦隊は、日本海に近づいた頃、艦内で病気が蔓延していたそうです。通常、長距離航行する船には、ネズミ駆除に小型犬・猫を乗せるそうです。ロシアはそれをしなかった。古代では、地中海を航行する帆船には、猫を乗せてネズミ駆除していました。猫は守り神バステトです。イギリスの軍艦にも小型犬・猫が乗っています。ポルトガル・スペインイギリスなど、植民地を持っていて、遠洋航海する船には、必ず犬猫を乗せます。ロシアは植民地を持っていないので、それをしなかった。赤道を超える頃には、艦内でネズミが大量発生し、病気が発生。何度も港に停泊しながら、日本を目指す。航行はどんどん遅れる。訓練の余裕もない。乗員にも病気が蔓延。ようやく日本に近づいた頃には、乗員の多くが病気でフラフラの状態でした。そこに練度の高い、休息も十分にとった元気はつらつの連合艦隊と鉢合わせ。日本海海戦で、ロシア側の艦砲射撃が当たらなかったのには、そういう事情もあったのではと思います。
最初の説明で、バルチック艦隊が「ささっ」と移動してくるとき、島の上とか普通に素早く通り過ぎてて、なんか可愛い(^^)
毎年クリスマスイブの日に行われる「Google サンタを追いかけよう」キャンペーンをおもいだしました
東海道中膝栗毛とか奥の細道、古代の東征、古代欧州の叙事詩、古典文学、大峠菩薩、などなど地図シリーズでやったら楽しそうなもの、まだまだありますね。
良いですね。(^^)d
この戦が、後の第一次世界大戦の塹壕戦へと引き継がれる…たったの十年数年後には航空機と潜水艦が登場し、別次元の戦になっていく
行くとわかるがメチャクチャ急で、こんな所を弾飛んで来る中、良く登り攻略したと明治人の胆力に驚いた。今の私らにそんな真似出来るか?
日本が他国に攻められたら戦いますか?というアンケートで日本の若者で「戦う」と答えたのは僅か17%で70数ヶ国中最下位だったそう。
@@TO-eq5im 「ダントツの」が抜けています…(哀
坂の上の雲もそうだが八甲田山と白虎隊も作り話がすごいね。
小4の頃、「二百三高地・愛は死にますか」を毎週観ていた。1980年夏にヒットした映画のドラマ版だったけど、永島敏行?演じるロシア語のわかる乃木さんの息子が、ロシア兵から手紙を渡されて妻に出しておいてくれというエピソードが印象的だった。休戦日に日本兵とロシア兵が酒を酌み交わしたりとか、残酷な戦闘シーンがたくさんある中でほっこり話もあった。ニポサエル?要塞の堀の中にたくさんの日本兵が滑落して、鋭利な丸太で血まみれになったり、さらにロシアの機関銃で蜂の巣にされたり、五目ご飯に見えたのが血まみれのご飯だったりと、なかなか残酷なシーン多数だった。主人公は学校の先生で美人の恋人がいたが、濃厚なラブシーンも。火曜日は炎の犬、木曜日?はトミーとマツ、何曜日か忘れたけど毎週二百三高地だったな。しかし、突撃~の掛け声で銃剣を持って機関銃に向かう戦法はさすがにまずいかと。このドラマを観ていた時期はガンダムブーム夜明け前。当時ガンプラが新発売されて私は狂喜乱舞して飛び付いて買ったな。
坂の上の雲、自分も大好きです。本木雅弘さんと阿部寛さんが演じた秋山兄弟の実話、最高でしたし歴史の勉強にもなりますね。
司馬遼太郎はただの小説家であって断じて歴史家ではない。史実をベースにフィクション小説を書いてるに過ぎない。リアルタイムで楽しんだ人達には酷かもしれないが、あの人を歴史家の様な目で見るのは本当に大きな間違い。
坂の上の雲は好きでよく読んだが、自分で戦史など漁るようになっておかしいと思うようになった。特に乃木軍を無能としてこき下ろしている事について。乃木軍が無能なら第一次大戦における欧州の軍人たちは乃木軍に輪をかけた無能だなと。旅順という先例があって、それに学ばなかったのだから。そもそも機関銃というものは軍隊の装備品ではなく、東インド会社等が外国人居留地の監視哨に据えつけて現地人が暴動を起こした時に、それに向かって撃ちまくるモノだったそうです。アジアの最果ての蛮族が起こした、組織された暴動が日露戦争だった。そこで機関銃が大規模に使われたワケです。乃木軍に関しては、世界戦史上先例のない事態に対して手探りでよく対処したと思います。そう考えると司馬遼は本当に罪深い。
非常にスピーディな導入。素晴らしい。
良く203高地戦で乃木希典を愚将と言う方が居ますが、半年以内に制圧しないといけない。当時榴弾砲も無い状態でした。弾薬は人力で運び、砲弾は無いに等しい状態です。後旅順要塞はアジア最新鋭の要塞、オマケに山と言うよりも崖を登りながら機関銃が霰の様に降って来ます。。映画では弾薬を破棄して突撃します。理由は敵の弾薬切れを起こすか?機関銃の銃身を焼きつかせる為です。非人道的作戦ですが、これをしないと203高地は落ちなかった。バルチック艦隊が到着すると日本海軍は、旅順港から挟み撃ちになるのと、バルチック艦隊も旅順港で補給をするので、日露戦争は長引いたと思います。。英霊さん達に感謝です。
オチがいい小説の最後の一文みたい
2017.10に哈爾濱から南下してきて最後に大連から此処へ観光に来ました、非常に懐かしく、詳しい解説ありがとうございました。
海軍と陸軍の連携あってこその日本軍の強さだったんだなぁと。
むねがすくおもいでした。地図上で説明すると、とてもわかりやすいですね。偉大な乃木将軍が、司馬遼太郎の妄想に基づいた空想小説のせいで、無能と呼ばれていた無念を晴らしてくれました。感謝しかありません。
後の講演で司馬遼太郎は「乃木さんを扱うにはまだ死体が温かった(亡くなってそんな時間は経ってないから評価に困った)」と扱いについて反省してた希ガス。その後の講演会等で乃木を扱う時にはそんな悪い評価をして無いのも。
戦術研究も無い、時間も無い状況で強襲いがいの選択肢が無いのに、乃木大将や伊地知参謀長が責められるのはイマイチ納得がいかないです。司馬遼太郎程の人が、戦闘詳報とかを読み込んで無いはずはないと思いたいのですが
まじでこのチャンネル好き
相当疲れると思うけど本当に価値ある動画をつくってくれている
ありがとう
ゴールデンカムイが好きなので、最後まで見入ってしまいました😄
まさに死闘だったんですね
先人たちに敬意を😭
今回も素晴らしい動画ありがとうございました
「1つの砲台を占領しても周囲の砲台からの反撃で撃退された」と言うのが理屈では理解できてもイメージが出来にくかったのが、この動画を見てすごくわかりやすかった。ありがとうございます。
これね。海軍の閉塞作戦の時から解ってたはず‥‥乃木、伊地知を無能と罵ってるが日本海海戦と蔚山沖海戦以外の海軍の体たらくがハッキリする。
最初に二百三高地の攻略を進言したと言うが地形図見たまんまの憶測に過ぎん‥‥それが解る動画だよ
白襷隊など歩兵の突撃と乃木の作戦指導に注目が集まりがちだが、こうしてみると砲兵火力の大切さがよく分かる。
そしてこれだけ撃ちまくるためには補給もしっかりしていないといけない。明治日本の国力でほんとよくやったわ・・・。
砲兵は戦場の女神と呼ばれ、事実ウクライナ侵攻で最も効果を発揮しています。世界初の近代戦、第零次大戦と言われるのも納得です。
この旅順要塞攻略戦で日本陸軍が取った予備砲撃後の歩兵突撃の戦術が、米欧の観戦武官に強く意識付けられて、
後の欧州塹壕戦で繰り返された、とよくいわれますね。
今、大連に滞在しています。先日は203高地等を見に行きました。この動画を見てから行けばよかった。凄くわかりやすくてよく理解できました。203高地多くの人が亡くなったんですね。先入観のせいか空気が重く感じられました。
ささやかだけど一升瓶お供えして英霊に感謝したい気持ですね。動画始まって…ハラハラドキドキしてきて自分でもビックリしました。
沖縄の空気が重く感じるのは気のせいですか?
以前大連に旅行したときは軍事訓練中とかで203高地行きのツアーは参加出来ませんでした
素晴らしい動画です。メチャクチャ勉強になります。歴史の授業や、戦史も、こうやって土地のイメージを映像化しながらやってくれたらものすごく分かりやすいし、実感できる。ありがとうございます。
同感。
沢山の資料を読んできましたがこれほどわかりやすい資料はありませんでした。防衛大学の資料にしていいレベルだと思います。
ありがとうございました。
すごく分かり易い!!ありがとうございます!!👍🏼を203回押したい気持ちです。
今回もとてもわかりやすく楽しめました
GoogleEarthでの解説ムッチャ分かりやすいです!。こういうのを見るといかに航空戦力が大事かが分かります。
それな
それな
この時代の黄海海戦や日本海海戦での圧倒的な勝利が40年後の太平洋戦争時にいつまでも大艦巨砲主義の考えを捨てきれなく無用の長物になっていた戦艦武蔵や大和などを多額の国費を費やし建造してしまった昭和の海軍軍令部の時代を読めない爪の甘さの責任は大きかっただろうね。
山本五十六の戦艦大和など造る金があれば飛行機1000機作れは有名だよな。
いまならドローンもそのなかにはいるかとおもいます
機関銃に対して肉弾戦が唯一無二の作戦のなかで死を覚悟して闘った先人には頭が上がらない…
いざとなったら我々も覚悟して戦わないといけませんね。
@@Ma-dt9tx 俺は無理だから頑張ってくれよ
@@にきしひちみ
わしも無理❗
@@にきしひちみ 先に逝ってるぜ
唯一無二でもなかったんじゃないかな。
砲撃と坑道作戦で。
起伏見ながらの解説が分かりやすくて最高
戦闘経路がわかりやすく、勉強になります。
このチャンネルものすごく丁寧に作り込まれていて大好きです、過去の動画も何度も見ています
頑張ってください
旅順要塞は望台が陥落して降伏していることから、帝国陸軍の当初の作戦計画は妥当なものと考えられる。203高地は、帝国軍全体の戦争計画上必要になったもの。機関銃というゲームチェンジャーな兵器を前に奮戦した将兵の皆様に感謝と黙祷を。
地形図から見られるのはかなり分かりやすく良かったです。
他にも沢山観たいです!
動画の図では解りにくいですが、突撃した兵が落ちる壕内の側面下に更にべトンに囲まれた壕があり機関銃座があります。
要するに壕は障害物というよりキルゾーンとして設けられていて、1904年でこの設計は驚きです。
要塞の補充兵に水兵を用いたので、艦隊を沈めるまでもなく旅順艦隊が無力化してるのを知ったのは戦後になってから。
映画でここに落ちた日本兵が逆茂木と機関銃で全滅するシーンをみました
これでトラウマになった日本人も相当多いとおもいます
なお壕内の機関銃座を含む構造物はカポニエール(caponniere(仏))とよばれますが
おそらくは中世~近世フランス由来の築城技術をそのままもってきたのかなと推測されます
あと既に黄海海戦で港外に出て行ける余裕のある船はほとんどなかった。なので結果的に203無理に取らなくてもよかった。そんなの当時はわかるはずないけどね。
昔のNHK「その時歴史は動いた」で、日本陸軍が、山越えで、旅順港のロシア軍艦に、目視できないまま砲撃したものが、
目論み通りロシア軍艦を大きく損傷させていたが、
日本海軍は、ロシア軍艦の損害を直接確認できないならば、やはり要塞を陥落させてくれ、と要請したので、
乃木将軍は無理攻めを強いられた、と言ってた。
現代ウクライナの観測機器や、無人の攻撃方法で、ロシア軍艦が損傷したのと状況は少し似てますね。
@user-of9in2ri9n
まあ一度諦めたら次のチャンスはグッと減りますから、また出て行ける状態ならその場で無理して通ろうとしますよね。突破も無理して全滅もしなかったのは、それだけ選択肢が無くなっていたんでしょう。まあ戦闘中にそこまで確認できるわけじゃないとしても、袋小路に逃げ帰るってのはよっぽどですよね。
水兵だけじゃなく艦載砲や装甲も陸揚げしたようです。二百三高地が防備を強化したのは天蓋防御に陸揚げした装甲を使ったかららしいですね。あんな山のてっぺんまでクソ重い鉄板運んだロシアも相当死に物狂いかと思われる
勉強になりました。文献ばかりでいまいち地図上の動画がなかったので面白かったです。ありがとうございます。
日露戦争戦争の他の動画も待ってます。あと、中々動画が無い、日清戦争もお願い致します。
立体図を使用していて、大変わかりやすかったです❗
地図にイラスト追加してあるのが、本当にわかりやすいです
203高地よりも、その前段階で結構な被害が出てるのね………
そして思ってたよりチカラ押しだなぁ。
前回のインパールでもそう思ったけど、陣地を構築して準備万端で待ち構えている敵を突き崩すのは、中々難儀なコトですな………
まだ空から爆弾は落とせないからな。
航空支援と艦砲射撃がなければ、後はライフルと銃剣しかないからな。
映画の「二百三高地」では死者がたくさん出てみるのも辛い作品でしたが 休戦シーンがあってここで両軍が仲間の遺体を回収するシーンが良かったですね 日本人とロシア人が同じ場所で平和に作業をこなす このあとまたこの人たちが死闘をくりひろげるんだなと感じた
武士道と騎士道精神がまだ残っていた時期の最後の戦争・・・
小説「坂の上の雲」での停戦後に日本兵とロシア兵が一緒に仲良く酒を飲みに行く場面も映画では描いてほしかったですね。
実際に現地に行きましたが、この動画は本当によくできています!分かりやすくていいですね!
旅順のまわりの要塞は、203高地だけかと思ってました。様々な山頂に砲台があったんですね。大砲の射程の短さも驚きです。飛行機による偵察や無線通信は、この後の話か・・・
無線はすでに実用化されていました。日本海海戦前の「敵艦見ユトノ警報ニ接シ、聯合艦隊ハ直チニ出動、コレヲ撃滅セントス。本日天気晴朗ナレドモ波高シ」に出てくる「警報」も、この電文自体も無線です。
ただしバルチック艦隊は、ドイツ人技師がマダガスカルで逃げ出したので、無線なしでやって来ました。
小説で203高地が有名になりました( ̄▽ ̄;)その前の東鶏冠山とかバンリュウ山❓奪取してたのですでに観測射撃してたのですが司馬遼太郎氏の表現で少々史実と違う旅順戦になったようです 最近の戦史研究系の本でよく書かれてます 自分も最近読んで知りました。
ドラマ「坂の上の雲」も映画「203高地」もどちらも大好きです。
地図がわかりやすくて理解しやすいです。ありがとうございます。😊
攻撃されながら 穴堀😨 解説ありがとうございました 先人様の努力に感謝
祖父が203高地の戦闘に乃木希典大将麾下の部隊の一員として参加した。子供の頃毎日のごとく武勇伝を聞かされた。
実際のところ、バルチック艦隊よりも旅順艦隊の方が新鋭艦が多く戦闘力も高かったそうですね。(一時は)マカロフさんもいたし。
約10年後の大戦では平地でも塹壕戦になったのに、よく山の上の要塞を陥とせたな~、と思います。
いずれは黒溝台会戦なども扱って頂けたら嬉しいです。秋山お兄ちゃんの活躍とか・・・?(笑)
@weakoctopus9419
ロシアが防衛しきれなかったのは山の上ゆえに孤立している事や、塹壕線の後方から補給が届かない事が原因でしょうか。
そして孤立した要塞の戦闘員の数には限りがあるからでしょう。第一次大戦の西部戦線での「ファルケンハインの吸血ポンプ」が10年以上前に極東で出現していたのです。どこから攻めるとか、そういう問題ではなかった。
最後にしっかりオチを入れてるのが良い。
良いオチだよな
4:27 開戦前に参謀本部が作成した地図をもとに攻勢案を立てたんだけど水師営の前進陣地すら記載がなかったり、あろうことか旅順に施されているのは永久要塞ではなくてその場しのぎの野戦築城程度扱いされる程度にガバガバ内容で、こんなもん渡されていた第三軍は苦戦不可避だったんですよね
日航よど号事件でテログループから小学校レベルの地図を渡されて
北朝鮮渡航を指図されたパイロットと似たような心細さを感じます
水師営に行った時、ガイドの韓国人女性が、ステッセルと乃木希典氏との写真を説明してくれた時「ノギサンワラッテル、ステッセルウカナイカオ、オシテシルベシ」って言った。かたことの日本語で推して知るべしは笑ってしまいました。日本人を笑わすコツを知ってますね。
新作待ってました
ありがとう御座います。
日曜アカデミーさん素晴らしい動画ありがとうございます。大変勉強になりました。
リクエストしようと思ってた203高地!
ゆっくり拝視聴させてもらいます。
日本の他の近代戦争もお願いします♪
実際の地形を見ながらの解説、位置関係が分かりやすかったです。
乃木将軍は後世の作家によって事実以上に評価を落とされてると思います。
三国志における三国志演義によって赤壁の戦功のほとんどを孔明に持っていかれた周瑜みたいに。
乃木将軍が決断したことの一部が他の人の手柄みたいになってる気がしてなりません。
乃木希典の評価が低くなったの
第二次世界大戦後の敗戦後だと思います
航空支援の無かった時代の203高地戦時代と
近大戦争の、空爆+砲撃後に敵陣地を戦車と兵士で制圧するセオリーと比較して、乃木希典の戦略は、無謀だったって!第1次前の攻略法を知らない人が(混同)し、乃木希典の功績を否定しだしたのだと思います。。この旅順攻略戦は、映画203高地に描写されてる様に、日露戦争に勝つか?負けるか?の天下分け目の、攻略戦だったと思います。。この旅順港が陥落してないと、日露戦争は泥沼化し、日本の形式的な勝利は無かったでしょうね。。当時軍事先進国ロシアを打ち負かしたのに、世界の先進国は日本に驚いてますからね。
@@norimaki0517 日露戦争までは、幕末の侍、侍の子孫、戊辰戦争、西南戦争を経験した軍人が多かった。覚悟が違ったと思います。第ニ次世界大戦、太平洋戦争では経験したひとがほとんどいなかったのではないのかなと思いました。
それと、飛行機。飛行機での戦いを賢い日本人はものにしていましたが、まさか巨大な飛行機でより高くとべる飛行機まで用意されているとは。
それと資源。戦線がのびきっていたのではと思ってしまいました。中国大陸から東南アジアまで戦線を拡大して、二大国(アメリカ、中国)相手にどうやって立ち振る舞うのか。
同盟国も、ドイツ、イタリア。遠くの国では援軍は望めないと思います。大和魂だけは見せつけることができましたが、どうやっても無謀すぎたと思いました。
まずは中国戦線を撤退してから東南アジアをやるべきであると思いました。英霊に申し訳ないですが、満州での権益を破棄してでも、アメリカのいいなりになるしかなかった。満州で暮らす日本人の保証をお願いするなど外交が得意な人がいればよかったと思いました。
乃木将軍は力押しで兵を無駄に殺した訳ではない 当時の状況でやれるだけのことはやったと思う
息子さんをこの戦場で亡くし、自身は無事に帰ってはいるがそれでも責任を取って戦後に夫妻で共に自害した
無能というのはインパールで兵を置き去りにして飛行機で逃げかえりのうのうと生き恥さらした奴をいう
司馬遼太郎史観の弊害ですからね...
@@マキシマム-u2b 正確には日露戦争終結後、時の明治天皇に対して多数の将校を犠牲にした罪として自身を処刑するよう嘆願しています。それが認められなかった為、明治天皇崩御の際に夫妻共に自決した次第ですね
日露戦争帰還後の凱旋パレードを拒否し、自らを懺悔の気持ちを述べた詩『凱旋』は『爾霊山(読み:203)』『金州城下の作』と並び乃木三作と呼ばれ、戦勝の栄光を誇ることは一切せず、激戦の戦闘で多数の死傷者を出したことへの懺悔や責任を自らの自壊として綴られたものです
現在の政治家に乃木希典の心情を理解し国家存亡の危機に対して忠実に師事できる人はどれぐらいいるのでしょうか?考えさせられますね...
陸地戦がこれほど激しかったとは知らなかった。素晴らしい動画ありがとう。
陸戦の中でも一つの作戦のみの旅順港攻略作戦ですよw
地図、地形図があるととても想像しやすいです。大変な作業、ご苦労様です。
ちょうど配信されていた二百三高地を見たところだったので、今回の動画でどのような動き方をしていたかとても分かりやすかったです
分かりやすい解説で助かります
これは見てみたかった動画です。ありがとうございます。
20年くらい前に203高地に登りました。春になると満開の桜で、とても激戦区だったとは思えない場所です。日本人なら一度は行くべき場所です。
「坂の上の雲」だけでなく、映画「二百三高地」の方もかなりいい映画なので見てみるのおすすめ。(ただし3時間ぐらいある映画なのが難点)
児玉源太郎役の丹波哲郎が、いろいろと八方塞がりの状況で「貧すれば鈍するじゃのぉ」って涙を流すシーンはマジで名シーン。
佐藤允が、「俺らは使い捨てですから」と言ったときの仲代達矢演じる乃木大将の表情が好き
凄いね、知識垂れ流しのチャンネル多数あるけれど地形図から見るとまた見方が違う
203高地の陥落も重要っちゃ重要なんだけど、要塞側にとって一番の降伏要因は日本軍の白兵突撃や攻城砲撃、坑道戦によって要塞側の兵力が極端に減ったことっていうね…
艦隊は事実上壊滅状態だったロシア側にとって、203高地はあくまで外郭陣地の一つに過ぎなかったわけですからね。
その外郭陣地での消耗戦が命取りになったわけで。
映画二百三高地に出演した寺島大尉役の北村晃一さんは、新宿の高級焼き鳥屋でバイトをしていた時の先輩でした。二百三高地の撮影直後に、撮影の時のみやげ話などいろいろと聞かせて頂いた事を思い出します。その後も数々の時代劇やミナミの帝王などの映画でも活躍されてました。色んな意味で、思い出に残ってた映画ですね。
あえてロシア側の気持ちに立ってみると…
全力で戦った100日以上補給も無く、目の前で旅順艦隊が沈んだときの絶望感はどんなだっただろう。
これすげぇ分かりやすいですね
地形図シリーズ楽しみ待ってました!これからもよろしくお願いします。
第零次世界大戦とも称され、ミニ世界大戦の様相を呈していた日露戦争
第0次世界大戦は
規模でいうナポレオン戦争
技術でいう日露戦争
数え切れないほど多くの苦難と犠牲を払って占領した爾霊山、万感の思いで涙を流しながら旅順港を見下ろす兵士の様が目に浮かびます
この戦争では機関銃や砲弾の嵐を塹壕に潜ってかわすのもやってましたね。
第一次世界大戦でも同じ事が西部戦線で起きました。
経過説明に地球儀か世界全図を要した最初の戦争・・・?
(バルチック艦隊の回航が無ければ単なる局地戦で片付けられていたのでしょう)
今年縁あって大連に行くことになり念願の203高地行ってきました!
高台から旅順の港を見下ろして胸が熱くなりました!
衛星の素晴らしさを感じる
近代戦は第一次世界大戦からとよく言われてるけど、日露戦争からだよなあ。
オチも秀逸だわ。
ドラマ版坂の上の雲の松村第一師団長と大迫第七師団長が高崎山から203高地を眺めて「おい達が皆死ねば、なんとか取れるじゃろかいなぁ。」って座り込むシーンがめっちゃすき
ありがとうございます!
映画の203高地では戦況が分かりにくかったですが
この動画でスッキリしました、ありがとうございます♪
まあ、1980年代の技術ではあれで精いっぱいだったとおもいます
昔の戦争映画は、地図が出てこないから知識がない観客には位置関係すら分からないからな。
見たかった。😄有り難うございました。
25年ほど前に203高地を訪ねたことがあります。なんて言うことも無い小山(丘陵地帯)だと思った印象があります。今でも土を掘ると当時の弾丸が出てくると聞きました。てっぺんに登ると、旅順港方面が望めました。
私が行った時(15年くらい前)は頂上近くの売店の窓に「坂の上の雲」のポスターが貼ってありました。
旅順港を眺めた後、何故か手を合わせてしまいました。
こう見ると近代陸戦の基本形(相互に支援可能な鉄条網、障害物を用いた防御陣地を構築+機関銃や火砲射撃)はすでにこの段階で作られていたようにも思える
仕事で大連滞在中に旅順へ10回くらい行きました。今は緑が生い茂っていて様相が一変していますが203高地(砲弾で頂上が削られて今は202メートルです)のてっぺんでは「坂の上の雲」の読者ならだれでも「見えます!港が一望のもとに見渡せます!」とのセリフを心の中で諳んじたくなるでしょう。
広瀬中尉が閉塞作戦で戦死された湾のくびれた部分も近くの丘の上からまるで映画のセットのようによく見えます。そりゃ敵船があんな狭い場所めがけて近づいてくれば集中攻撃されて生還できるほうが奇跡と思えます。
ちなみに21世紀はやっぱり暖かいんでしょうね。小説や映画では日本軍兵士が携帯していたおにぎりが真冬にカチンコチンに凍って食べられなくなる場面がありますが私は冬でもそれほど寒いとは感じませんでした。
昔は平面の地図でしか理解しようが無かったけど、こうやって立体で地形が見えると戦略、作戦が分かり易い。
この辺の話を知ると鶴見中尉がただの悪人ではないとより思うよね…
鶴見中尉の部隊が存続してれば、むしろ太平洋戦争回避ルートあったかもしれないと思う
地形や距離感が良く解ります!素晴らしい!ありがとうございます!
今回も分かりやすかったです。
旅順関連の動画で過去一分かりやすい動画でした!、坂の上の雲は2回目に読んだ時に乃木将軍の凄さが始めて理解できて驚きましたね
勉強になりました。
ちなみに、大連出身なんですけど
日露戦争で、今の大連(その時は旅順または旅大)はまだまだロシアと日本文化が交じりあって、地下鉄でロシア語と日本語のアナまでがある。小さい頃、何でって思ったことがあるが、やはり日露戦争が一大原因だね。
大連の人々はなんだかんだ言っても日本とご縁がありますね。いつか行ってみたいところです。水餃子が食べたいな。
@@ogikubo15 ぜひ来てみてください。ウニの水餃子は有名です。
@@kazakiri7315 おおー。ウニの水餃子っておいしそうですね!
私は中国東北出身の知り合いがたくさんいるんですが、みんな上手に水餃作りますよねー。
いつか東北縦断水餃子の旅に行きたいです。
司馬遼の所為でてっきり児玉が目標変えさせたのかと思ったら
乃木本人が先に203に変更してたのね
史実の戦闘の根幹場面でここまで改ざんするのはチョット歴史小説とは違うなぁ 架空戦記ですな
戦争映画見ると多くは地図を全く出さないので何処でやってるのかさっぱりなのですが、とてもわかりやすかったです。
旅順に閉じ込められたロシア軍、兵站ルートも細かったどころか無い状況だったろうし、極東に嫌々飛ばされてまさかこんな目にあうとか
ロシアの首都から見ればほぼ地球の裏側。ロシアとはいえ、ここを戦いの場に選んだのは間違いです。現にバルチック艦隊も既にヘトヘトでした。
@@藤岡山之上 ロシア「よし!もっと本土に近い海上で日本軍を迎え撃つz…こ、凍ってる!?!?(不凍港願望の目覚め)」
ドラマだと「ここが制圧されました」とか言われても海外の地理なんてわかんないし このほうがすごくよくわかりやすい こーゆーの教材にしてほしいねw
司馬遼太郎さんの作品や発言はかなり史実と異なるっていうのたまに見聞きしますね。
実に長期間、無能とレッテルを貼られた乃木閣下の子孫は、名誉毀損で司馬遼太郎を訴えてしかるべきだった。酷い話ですわ。
この関係で言えば、秋山好古の最期の言葉が「奉天へ」だったというのは創作です。実際は「馬を引け」で中学の校長を務めていた秋山好古は馬で通っていて、日常のように職場へ行こうという意味です。この方が名利に恬淡とした人柄にふさわしいと思います。
@@竜涎香-g9o
確か最後の言葉は
「鉄嶺へ」だったはず。
三国志演義みたいなもんで、史実を基にしたフィクションとして楽しんでます。
あくまで小説だからね
坂の上の雲や映画203高地を観てました。動画ありがとうございました。
司馬遼太郎が「この作品はフィクションは排している」とか嘯いたが、実際はフィクションだらけ。
日本の大きな変わり目の歴史にフィクションを刷り込むのは、日本の為に戦った方の名誉を貶めており如何なものかと思う。
正直物書き如きが自分の思想で真実を捻じ曲げようとするなとは思う
クリミア戦争のセバストポリを超える難攻不落の大要塞を、たった4ヶ月で攻略した日本軍…
第一次大戦のベルダンの戦いでは、要塞攻略に10ヵ月余りも費やして攻略できなかったしなぁ。
同じ人が同じ業績を挙げても見る人によって評価は真逆となる好例
旬日のうちに攻略を急ぐ日本「半年もかかりやがって、無為無能が!」
攻略に10年かかるとみた欧州の軍事専門家「たった半年で、凄い!!」
@@第四軍道 外野はそんなもんですよね。いざ、自分達がソンムやヴェルダンで戦ってみたら、どれだけ凄い事かわかります。後、日本史しか見ていないと、そうなっちゃいますよね。日露戦争は間違いなく、当時、日本史上最も犠牲者が出た戦争ですから。
セヴァストポリ要塞は第二次世界大戦でも戦場になって、80cm列車砲グスタフや60cm自走臼砲カールなどが投入されて、ようやっと攻略されたな。
そして現在、ロシアによるウクライナ侵攻でみたび戦場になる可能性がある。
問題は、この要塞には現在もガングート級戦艦から移設された口径30.8cmの要塞砲があるという事。本来なら2017年に要塞ごとウクライナに譲渡されて解体される予定だったのだが、2014年にロシアがクリミアを併合してオジャン。砲弾がどれだけあるかは判らないけど、この巨砲が再び火を吐く時は近いかもしれない。
@@satootto 要塞なんて、今やハイマースやネプチューン、その他ドローン爆撃機の的ですよ。ロシアは守りきれますかね。
ナポレオン『要塞なんて必要無い。全て勝てる。』
最後が、強烈な皮肉になっていますね。
乃木の攻め方は非難される内容ではない。要塞戦に対して当時の日本陸軍が出来うる方法など限られていた。
情報量が少なすぎた。それが証拠にある程度分かった状態での第一次世界大戦もっと悲惨な事をやらかしているから。
本当に、最後のは皮肉だ。
1:40 バルチック艦隊の動きはイギリスさんが逐一教えてくれてましたよ確かに当時衛星はないけど陸からは見えそれを伝える通信網はありました
ステッセリと乃木のその後の交流とか、なかなか胸熱。
非常に分かりやすかったです。動画ありがとうございます。あと、その時点、その時点での攻撃時の日本軍の犠牲者数が分かれば、良かったかな。
西暦2022年にもなってもいまだに膨大な死傷者がでる戦争がつづいてるんだな…
よく考えてみれば、我らの祖先はみんな戦争大好きでした。
どこの国のどんな民族にも、ヒトである以上戦いの血は流れているのでしょう。
人間が人を殺せるから、人間から戦争がなくならない。昔も今も!
乃木は愚将と言われるけどWW1でヴェルダンの戦い(独仏ともに70万近くの死人)とか触れると乃木って実はすっごい名将だったのでは?なんて思うようにもなった
司馬遼太郎先生はとにかくこき下ろしてるけど当時は航空戦力も無いから遮二無二進むしかない時代背景ってのも考慮に入れないといけない…
19,20世紀はとにかく戦争の手探り時代(何したら被害そんな出ないか、この兵器は自分らも巻き添えにならないかとか)…
乃木は銃剣突撃と真逆の合理主義者だったんです。
司馬さん押しが実は銃剣突撃で「乃木は突撃精神が足りん」という批判になっています。
第一回総攻撃、死傷1万5000
第二回総攻撃、死傷4000
第三回総攻撃正面、死傷2000
203高地攻撃、死傷1万6000
と正面攻撃は驚くほど損害が少ない。
迂回攻撃というのは重火器が機動できず補給も不利になるので、則ち銃剣突撃になる。
また乃木は総攻撃と称したが第三軍司令部では望台占領を指向せず総攻撃をやっていない。
要塞外郭を削って奪回に来たロシア軍を火砲と機関銃で消耗させる戦術を採用していた。
この戦術ってヴェルダンの吸血ポンプの先取りなんですよね。
乃木は第一回総攻撃の経験から、あの地獄を守備側のロシア兵に味合わせる策を立てていた。
学生時代に「何で飛行機で爆撃しなかったのかな。203高地の要塞なんか簡単に爆弾で潰せたろうに」と言った奴がいたので
「ライト兄弟が世界初の有人動力飛行に成功したのが1903年」
「日露戦争が始まったのが1904年」
と教えてやった。
わかりやすいです。 映画【203高地】だと、状況がよくわからないんですよ。
ところで聞いた話。
バルチック艦隊は、日本海に近づいた頃、艦内で病気が蔓延していたそうです。
通常、長距離航行する船には、ネズミ駆除に小型犬・猫を乗せるそうです。ロシアはそれをしなかった。
古代では、地中海を航行する帆船には、猫を乗せてネズミ駆除していました。猫は守り神バステトです。
イギリスの軍艦にも小型犬・猫が乗っています。ポルトガル・スペインイギリスなど、植民地を持っていて、
遠洋航海する船には、必ず犬猫を乗せます。ロシアは植民地を持っていないので、それをしなかった。
赤道を超える頃には、艦内でネズミが大量発生し、病気が発生。何度も港に停泊しながら、日本を目指す。
航行はどんどん遅れる。訓練の余裕もない。乗員にも病気が蔓延。
ようやく日本に近づいた頃には、乗員の多くが病気でフラフラの状態でした。
そこに練度の高い、休息も十分にとった元気はつらつの連合艦隊と鉢合わせ。
日本海海戦で、ロシア側の艦砲射撃が当たらなかったのには、そういう事情もあったのではと思います。
最初の説明で、バルチック艦隊が「ささっ」と移動してくるとき、
島の上とか普通に素早く通り過ぎてて、なんか可愛い(^^)
毎年クリスマスイブの日に行われる「Google サンタを追いかけよう」キャンペーンをおもいだしました
東海道中膝栗毛とか奥の細道、古代の東征、古代欧州の叙事詩、古典文学、大峠菩薩、などなど地図シリーズでやったら楽しそうなもの、まだまだありますね。
良いですね。(^^)d
この戦が、後の第一次世界大戦の塹壕戦へと引き継がれる…
たったの十年数年後には航空機と潜水艦が登場し、別次元の戦になっていく
行くとわかるがメチャクチャ急で、こんな所を弾飛んで来る中、良く登り攻略したと明治人の胆力に驚いた。今の私らにそんな真似出来るか?
日本が他国に攻められたら戦いますか?というアンケートで日本の若者で「戦う」と答えたのは僅か17%で70数ヶ国中最下位だったそう。
@@TO-eq5im 「ダントツの」が抜けています…(哀
坂の上の雲もそうだが八甲田山と白虎隊も作り話がすごいね。
小4の頃、「二百三高地・愛は死にますか」を毎週観ていた。1980年夏にヒットした映画のドラマ版だったけど、永島敏行?演じるロシア語のわかる乃木さんの息子が、ロシア兵から手紙を渡されて妻に出しておいてくれというエピソードが印象的だった。
休戦日に日本兵とロシア兵が酒を酌み交わしたりとか、残酷な戦闘シーンがたくさんある中でほっこり話もあった。
ニポサエル?要塞の堀の中にたくさんの日本兵が滑落して、鋭利な丸太で血まみれになったり、さらにロシアの機関銃で蜂の巣にされたり、五目ご飯に見えたのが血まみれのご飯だったりと、なかなか残酷なシーン多数だった。主人公は学校の先生で美人の恋人がいたが、濃厚なラブシーンも。
火曜日は炎の犬、木曜日?はトミーとマツ、何曜日か忘れたけど毎週二百三高地だったな。
しかし、突撃~の掛け声で銃剣を持って機関銃に向かう戦法はさすがにまずいかと。
このドラマを観ていた時期はガンダムブーム夜明け前。当時ガンプラが新発売されて私は狂喜乱舞して飛び付いて買ったな。
坂の上の雲、自分も大好きです。本木雅弘さんと阿部寛さんが演じた秋山兄弟の実話、最高でしたし歴史の勉強にもなりますね。
司馬遼太郎はただの小説家であって断じて歴史家ではない。史実をベースにフィクション小説を書いてるに過ぎない。
リアルタイムで楽しんだ人達には酷かもしれないが、あの人を歴史家の様な目で見るのは本当に大きな間違い。
坂の上の雲は好きでよく読んだが、自分で戦史など漁るようになっておかしいと思うようになった。特に乃木軍を無能としてこき下ろしている事について。乃木軍が無能なら第一次大戦における欧州の軍人たちは乃木軍に輪をかけた無能だなと。旅順という先例があって、それに学ばなかったのだから。そもそも機関銃というものは軍隊の装備品ではなく、東インド会社等が外国人居留地の監視哨に据えつけて現地人が暴動を起こした時に、それに向かって撃ちまくるモノだったそうです。アジアの最果ての蛮族が起こした、組織された暴動が日露戦争だった。そこで機関銃が大規模に使われたワケです。
乃木軍に関しては、世界戦史上先例のない事態に対して手探りでよく対処したと思います。そう考えると司馬遼は本当に罪深い。
非常にスピーディな導入。素晴らしい。
良く203高地戦で乃木希典を愚将と言う方が居ますが、半年以内に制圧しないといけない。当時榴弾砲も無い状態でした。弾薬は人力で運び、砲弾は無いに等しい状態です。後旅順要塞はアジア最新鋭の要塞、オマケに山と言うよりも崖を登りながら機関銃が霰の様に降って来ます。。映画では弾薬を破棄して突撃します。理由は敵の弾薬切れを起こすか?機関銃の銃身を焼きつかせる為です。非人道的作戦ですが、これをしないと203高地は落ちなかった。バルチック艦隊が到着すると日本海軍は、旅順港から挟み撃ちになるのと、バルチック艦隊も旅順港で補給をするので、日露戦争は長引いたと思います。。英霊さん達に感謝です。
オチがいい
小説の最後の一文みたい
2017.10に哈爾濱から南下してきて最後に大連から此処へ観光に来ました、非常に懐かしく、詳しい解説ありがとうございました。
海軍と陸軍の連携あってこその日本軍の強さだったんだなぁと。
むねがすくおもいでした。地図上で説明すると、とてもわかりやすいですね。偉大な乃木将軍が、司馬遼太郎の妄想に基づいた空想小説のせいで、無能と呼ばれていた無念を晴らしてくれました。感謝しかありません。
後の講演で司馬遼太郎は「乃木さんを扱うにはまだ死体が温かった(亡くなってそんな時間は経ってないから評価に困った)」と扱いについて反省してた希ガス。その後の講演会等で乃木を扱う時にはそんな悪い評価をして無いのも。
戦術研究も無い、時間も無い状況で強襲いがいの選択肢が無いのに、乃木大将や伊地知参謀長が責められるのはイマイチ納得がいかないです。
司馬遼太郎程の人が、戦闘詳報とかを読み込んで無いはずはないと思いたいのですが