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朝四時ごろ、1人黙々と畑を耕す桑の音が聞こえるので、不審に思った歩哨兵が声をかけると、なんと今村司令官だったそうです。「私が進んで仕事をしないと、部下は動いてくれませんからね」と優しく言われて感激したとのこと。正に率先垂範と情の将です。その大きな力で、ラバウルからは1人の落伍者も出さずに、10万人の部下を日本に帰還させました。こんな偉人がひっそりと歴史に埋もれていくのは、本当に残念でなりません。最高の男前のの生き様の 映画化を希望します。
激しく同意します。こんなに素晴らしい人がクローズアップされずに、表面だけ勇ましい旧軍人や戦国武将ばかりがもてはやされ、TVなどで喧伝される。今の日本を象徴していますよね。
@@星空旅芸人 返信ありがとうございます。無謀なインパール作戦で、家庭も未来もある兵隊さん達 を2万人以上も餓死病死させ、自分達は後方で芸者同行で酒池肉林贅沢三昧を味わい、戦後は全く責任を取らず弁明ばかりして、果ては自分の葬式の弔問客に、ご丁寧な弁明文まで配らせた無茶口とは、真逆の別世界の偉人ですね。情の将と同時に、戦いをさせたら負けたことがない戦上手でもありました。こんな方が、これからの国難にも登場してくれる事を望みます。※耕す桑→耕す鍬 訂正します。
@@星空旅芸人 返信ありがとうございます。インパール作戦で、家庭も将来もある兵隊さん達を2万人も餓死病死させながら、自分達は遥か後方で芸者同行で連日酒池肉林で贅沢三昧をし、終戦後も自己弁護を繰り返し、挙げ句の果てには自分の葬儀の弔問客に弁明書を配りまくらせた無茶口とは、全く別次元のお方です。情の将と同時に、いざ戦いとなったら絶対負けない戦上手でもありました。これからの国難の時代にこそに、この様な大人物が現れる事を切に希望します。※耕す桑→耕す鍬 訂正
かつてNHKの大河ドラマで大東亜戦争を扱った『山河燃ゆ』があったが、この軍人をモチーフにした大河ドラマは、今のNHKには作れないやろな。
彼が陸軍大臣だったならばなと夢想したくなります。東條よりも遥かに適切な軍政を行えた事でしょう。陸軍大臣でなく教育総監に就任していても適材適所ではなかったかなと。
今村氏のように生きたいものだ。
水木しげるも今村大将に話しかけられて、あった中で一番温かい人だったと回想してた逸話があるね。戦記漫画にもモデルと思われる穏やかな上官が描かれてる。
私の祖父も今村均将軍の隷下の部隊に居て、軍の技能の通信と家業の木材の製材で師団の本部によく派遣されてた影響なのかあまり上の悪口は言わなかったそうで、上の判断のお陰でこの命があったと一回だけ言ったそうです。祖父の墓に所属部隊の通信号と簡単な記録がが彫ってあるんで相当思い入れが有ったんだなと今になって思います。
「決して無理はせんことだな」今村司令官はこの言葉を口ぐせのように言っていたそうです。
今村均陸軍大将。旧日本軍の中で私が最も尊敬する人です。軍人としての作戦遂行能力はもちろんですが、その高邁な人格、人間愛、幅広い知見、どれをとっても間違いなく当時の世界の将軍の中でもトップレベルでしょう。戦後の、あまりにも見事な行動は、敵国であった米国からも非常に高く評価されています。この人が陸軍のトップだったら、日本の戦況はもっと良い方向に進んだに違いない。少なくともあれほどひどい状況で敗戦を迎えることはなかったのではないかと思います。これほど優れた人物が、日本では今までなぜ大々的に取り上げられないのかいつも疑問に思っていました。動画をupして頂いたことに感謝いたします。
同感
そういう日本軍人がいたというのが嫌な人が沢山いたんやろな…。
警告をしに来たのに「今村さんのいうことは最もだ。」とすぐに考えを改めた武藤章も惜しい存在でしたね。
武藤は野戦の指揮官としては疑問符がありですが政治が判る軍人ですからね。
ありがとうございました。 勉強になりました。
今村氏は第5師団長時代に2万5千人率いて日中戦争に出陣して中国軍約30万に包囲されて食糧や弾薬が不足で各陣地から玉砕覚悟の出撃など危ない状態だったが1ヶ月間戦い抜き味方の増援2個師団が到着すると先頭を切って追撃して作戦を成功させている。この過程は陸大の教材に使われた
一応書いておくが、今村大将は仙台で生まれたが実際には裁判官だった父上の転勤で物心ついた時には山梨に住んでいた。教会に通い始めたのも甲府。そして入学した甲府中学は当時クラーク博士の教え子で「少年よ大志を抱け」の言葉を広めた大島正健が校長、地下鉄の父早川徳次、かの石橋湛山、東京タワー・通天閣の設計者内藤多仲など錚々たる面々がおりました。途中で新潟・新発田中に転校してしまったため、山梨でも今村大将がここで育ったことが知られていなくて残念です。そして戦後、閣下が蟄居した3畳の小屋は山梨県内に移築され遺されています。
統制派が人事を牛耳っていた時代に派閥に属さないで大将になってるのは本物の証。栗林中将といい今村均といい陸軍にもこんな優秀な人がいたのに皇道派と統制派が全てをぶち壊してしまったのは本当に残念。
おっしゃる通りです。当時の状況は今の日本にもあてはまりそうですね。
中国とアメリカと戦ってるのに、海軍と戦ってる陸軍、その陸軍の中でも派閥争いって、ドイツに攻められる前のフランス内閣かな?
人間味のある将官。
このような人格者がいらしたとは、大変勉強になりました。
これだけ知情意を兼ね備えた方は、昭和はもちろん、日本の歴史全体で見ても、なかなか居ませんね。回顧録を少し拝見しましたが、まぁ自分の至らなさを本当に痛感しました(笑)心から尊敬し、一度お会いしてみたい方ですね。
本チャンよりも、傍流の方が見識が広いような気がする。今村大将の、名刺を持っています。名刺には、防諜のためか簡素に「今村部隊 今村均」と印刷されています。
蘭印攻略中、最上の魚雷の流れ弾で乗船していた輸送船が沈没してしまう最上が油まみれの兵士を1人1人救助していく中に今村中将がいたが、我先に助かろうともせず、また救助された後もその後も最上の艦長を怒ることは無かった.戦後のオランダによる裁判にかかる前、助けてもらったスカルノが拘留場所から今村を脱出させようと進言したが、今村は、自分1人だけが助かる訳にはいかない、とそれをその場で断っている.戦後は田舎に建てた小さな自宅で食べる分の農業をしながら、死なせてしまった部下を思って表には出ず、責任を自らに課した生活を恩給のみで過ごしたまったくの偶然なのだが、今村が戦後住んだ家から遠くない場所に小沢治三郎の家があり、何度となく交流をしたそうだ小沢も小沢で人が好いため、戦争で家を無くした赤の他人を助けたが、庇を貸して、の言葉通りとなり、晩年は自宅の縁側の1部屋だけで生活していたそうだ
山本五十六とも交流があり、ポーカー仲間でなかったっけ。山本さんが戦死する前にも再会し、忌憚なく意見交換をしたってどこかに書いてあった。
@@ケワタガモv9f今村将軍は航空機で視察した時に敵機と遭遇したのでラバウルで山本五十六に航空機での視察は危険だから注意した方が良いと話した。
一方的な裁判にもかかわらず死刑を免れたのは無茶苦茶すごい。本物だわ
大変勉強になりました。ありがとうございました。
今村均みたいな将校がたくさんいれば、喧伝していた通りの内容の大東亜共栄圏もできたかもしれませんね。
本当にそう思います。
大東亜共栄圏なんて名称だけが喧伝されて、ほとんど内容を伴っていなかったよ。一応、日本の侵攻の大義名分としたから、開戦後の1942年2月から大東亜建設審議会を作って内容を具体的に詰めようとした。しかし、参加者の思い描く構想がバラバラで結局、内容を決定することが出来ず、戦局の方が悪化して、それどころではなくなった。
@@やまちゃん-j6m その通りですね。
どうかな…?物質や生産力で圧倒的にアジアが劣っていた以上、今村が善政で徴発を控えた足りない分の皺寄せはどこかに出てただろうからね…。沢山いれば誤魔化しが効かなくなってただろうよ…。しかも今村が甘かったおかげか、インドネシアの現地兵は異常なまでに太ってた映像が残ってたしな…。その現地で集められた兵が管理してるロームシャはガリガリだったのにね…。
hoi4でも今村さんはめっちゃ有能だからな……。上陸戦でいつもお世話になってます
この様な方はもう現れないだろう。戦争なえなければ…
まぁ今村さんも戦前は統制派として辣腕を振るったけど、軍人としては本物の力量があった。武藤さんは今村を説得出来なかったので、東条閥から外され飛ばされた。これが武藤さんの命運を分ける事になった。
今村均、山梨勝之進、多田駿と、旧仙台藩士出身の軍人に良識的な人が多いのは、戊辰戦争で賊軍にされた側であり、武力で屈服させる事の不条理さ、悲惨さを身を以て知っていたからでないかと思う。
今村大将は娘の高校の英雄です。彼女は知らないが(これが戦後日本の象徴だが)東條、板垣、石原もまた賊軍藩出身、いろいろだね。
(´-`).。oOほぉ、その視点は面白い。
戦前の陸海軍を作ったのは、薩摩・長州、戦争回避や終戦に動いたのは、賊軍とされた?旧幕府軍側出身の軍人たち。日本の近代化を推進した明治維新、その恩恵をうけて生きる私たち現代世代は先人に感謝。
「武力で屈伏させる事の不条理」なんて『アプレゲール』みたいな感想を持つくらいなら、そもそも軍人に志願せんのではないのか?(笑)それこそ戊辰の生き残りの高野貞吉(長岡藩士。山本五十六の実父)は、西南戦争の折に「今度は戊辰の敵討ちだ」と大いに勇んで志願出征したという。これなんかアナタ的にはどういうことになるの?「賊にされた悲惨さを身を以て知った」のか?息子の山本五十六は「サムライの子供だから当たり前だ」と海軍に志願したというが、これもアナタ的には「不条理さを身を以て知っていたから」なのか?それとも、長岡と仙台は違うのか?それこそ「悲惨さを身を以て知っていた」日露戦争当時の「賊藩」出身者なんかどういうことになるの?奥保鞏(小倉。長州により街ごと城を焼かれた)や梅沢道治(仙台)、東條英教(南部盛岡)、松岡敏胤(仙台)なんかは、他より「良識的な人」だったのか?この「良識的な人」という言い方にもかなり違和感があるのだが、宇垣(岡山)や渡辺錠太郎(尾張。長州閥)なんか、あなた的にはどういう分類になるの?世代をウンと後ろにズラしてのこんな話をするんなら、板垣征四郎(南部盛岡藩)や東条英機(父親が南部盛岡藩)、石原莞爾(庄内)なんてどういうことになるのだ?同じ負けでも仙台だけ特別なのか?板垣・石原の「賊藩コンビ」などは「どうせ賊藩出で出世は頭打ちだとの逆バネから満州事変なんぞ起こした」と極論する人(例えば兵頭二十八さん)までいるが、あなたによればこの二人は「賊藩にされたから、武力で屈服させる事の不条理を知っていた」ことになるのか?事実群から都合よく一部切り取って言うてみるだけなら、どんな突飛な話でもできるわな(笑)結局、個人的な属性だろうよ。
日本の将軍でもこんな立派な人物がいたのか。
今村さん樋口さんは道徳の授業で語られるべき。
この方のように現地人に敬意を持って接したものの一部の兵隊の私利私欲な行動で戦後戦犯となり囚われの身となった方も少なくない。何が道を左右したのか…?
生存性バイアスみたいなものかもね。それが上手くいった結果生き残れたから、こうして話が詳しく残ってるし、取り上げてもらえる。
この動画みてとてもそうとは思えませんが、短気な性格と自らを戒めていたみたいですね
今村 安達 山下 栗林 阿南 畑。陸軍良心四天王。
宮崎繁三郎
本間雅晴、森赳、田中静壱も忘れずに
山下はシンガポール華僑の件知って「えぇ・・・」ってなった
多田さん忘れてますよ。
樋口季一郎将軍も忘れてる
今村氏は草創期の日本陸軍の良心かつ律義のある軍人たちの姿勢を反映した方なのではと推測します。かのクーデター以降の過激な空気が一斉に軍人たちを奮い立たせ、本来の国際法を軽視しだした暗い時代において彼はその風情に飲まれなかったから善き人物として評価されたのではないかと思います。
宮城出身
良識の有る人物に、私はなりたい
“国家”のためではなく、“ヒト”のために戦ったんだな。と感じました。
オランダ人からも弁護があり職を賭したという話すら聞いた事があります。
今村と並んで書かれる河辺正三に異常な違和感
今村氏は英国駐在武官を経験している。そこで英国の植民地経営を学んだはずである。というのも占領地政策が英国方式に近いからである。他の日本軍のやったことは現地の人々を逆なでするだけである。
英国式植民地経営は植民地に華僑と印僑等を連れて来て間接支配してましたね。今村均将軍はやってないですが…
注目点がずれてますね。占領地政策がどうあるべきかは二千年以上前にヘロドトスが論じている。そして英国はその通りにやっている。
19世紀末にはイギリスの植民地経営が「赤字」に転落していたといわれます。
海軍は植民地維持にために存在する。海軍コストを含めると赤字という計算でしょう。それなら日本は大赤字。
陸軍悪玉論が多い中、戦史をよく調べてみると圧倒的に海軍のやらかしが陸軍よりも多い上に内容が酷くて個人的には海軍悪玉論になっちゃってますね…
政治的に悪玉なのが陸軍軍事的に悪玉なのが海軍こんなクソ2つを消滅させるために大量の犠牲が必要だった・・・・・
まあ…海空軍最強の米軍とまともにやり合う羽目になった以上、海軍のやらかしが目立つというのはあるかもしれない…。
アメリカの謀略だ!とか、山本五十六は無能など・・歴史に善悪を求める人は思考が偏っています。
3年ほど前の時点で、今村氏のご子息が102歳でご存命でした。今はどうなんでしょうか?
今村軍政が批判されたのは、資源目的でインドネシアを攻略したのに、資源を地産地消して日本に全く見返りがなかったから。戦争で莫大な資源を消費していて、その問題で悩んでいる中央からしたら、何をやっているのだという話にはなるだろう。
このような中央の考えは非常に短絡的かつ独善的で、このような視野狭窄の思想では到底「大東亜共栄圏」の実現など無理な話。こういう者たちが中枢にいるから国がおかしくなるという反面教師にはなる。今村大将の、将来を見据えた長期的視点、優れた考えなどは、「井の中の蛙」の当時の陸軍参謀たちには到底理解不能だったことは想像に難くない。
おっかしいなぁ。日本のためではなくアジアのための戦争だったはずなのにな~
このような中央の考えは非常に短絡的かつ独善的で、このような視野狭窄の思想では到底「大東亜共栄圏」の実現など無理な話。 こういう者たちが中枢にいるから国がおかしくなるという反面教師にはなる。 今村大将の、将来を見据えた長期的視点、優れた考えなどは、「井の中の蛙」の当時の陸軍参謀たちには到底理解不能だったことは想像に難くない。
要するに今のインドネシアと同じってだけよな…。当時は大東亜共栄圏で日本軍、今はASEANでベトナムやフィリピンなどが大国を防ぐために負担をしてる。それなのに比較的規模が大きくて経済力があるインドネシアは今も昔も貢献しようとしない。
戦陣訓について通州事件然り、日本兵捕虜が中国兵に惨い殺され方されることが多かった為、東條英機は生きて虜囚の辱めを受けずを強調したのを忘れてはならないと思う。
山本長官のマブダチだっけ?
東條英機がいなければ敗戦は違ったものになっただろうな
今村が、中学出身者で、陸大27期の首席だというのだから、ビックリですよ。ただ、智謀のある陸軍大将ですね。もっと、陸軍中央で活躍してほしかった。転任地のラバウルでも必死に防衛したようですね。
夜尿症持ちで頻繁に起きてしまった影響で睡眠不足になり士官学校の時には講義中によく居眠りをしていたそうです。最初は頻繁に怒られたそうですが、色々と居眠り対策の努力をしていた上で試験の成績が良かったので教官達の間で「人に言えない病気か何かがあるに違いない」との事になって居眠りをしてても怒られることは無くなったそうです。陸大でも居眠りをよくしていたそうなんですが、士官学校から話が伝わっていたので陸大ではその件で怒られる事は無かったそうです。
@@ataki2642 イギリスのロンドンで、同期生の本間将軍が、奥さんが駆け落ちして、衝動的に飛び降り自殺しようとした時、「君には子供がいるじゃないか」と言って、助けたお話が感動的でしたね。
1.戦陣訓の作成に関与、主導した一事で、全ての功績に疑問を感じる。2.戦陣訓は、ノモンハン、太平洋での玉砕、捕虜虐待の遠因になったかも。3.今村氏は戦陣訓作成関与者として、責任をどのように考えていたのだろうか。4.話しは別だが、特攻機に乗った将軍は二人(一人は敗戦後)と聞く。
能力だけだったら永田鉄山とか石原莞爾も傑出していたが、人格と能力の両面で傑出した大人物と言う点で今村均は別格だった。ラバウルで二等兵として辛酸をなめた水木しげるもたまたま個人的に接触があって、今村だけは本当に立派な人として尊敬していた。オランダ当局は戦後どうにかして今村を戦犯として死刑にしようと画策したが、住民から今村を非難する証言をどうしても取りつけることができなかった。小学校や病院の建設を命令し、インドネシア国民の教育と厚生を優先した今村を恨む人などいなかったのだ。今のインドネシアでは中共のプロパガンダが効いて、日本軍は残虐行為ばかりやっていたと信じ込んでいる者が多いそうだが、情けないことだ。
今村氏は何の罪で、実刑判決を食らってしまったのでしょうか?例によって部下のつみの管理責任でしょうさ?
死んだ人間の実態を知らずに、無暗に持ち上げるなよ!
東條英機はどう考えても悪人以外に該当するだろうか。
悪人は言い過ぎですが、どこの組織にでもよくいるブラック上司。
@@てりえてりえ 東條英機も”敵”の石原莞爾と同じでベクトルは違いますが結構な部下想いの方ですよ。どの派閥やら部下に不公平が生じないように色々と配慮していましたし、樋口季一郎将軍が東條英機の部下だった時にドイツから逃亡してきたユダヤ人を助けたオトポール事件を起こしてドイツから猛抗議が来た時に司令部に出頭させた樋口季一郎将軍を問い詰め、樋口将軍の言い分に筋が通っていると思えばその意志を汲んで色々と尽力をして助けた上でドイツの抗議を一蹴してますからね。良くも悪くもクソ真面目過ぎたので評価が分かれる原因でしょう…個人的には石原莞爾よりかは東條英機の下の方が良いですけどね。
日本人には一種の民族的病があり、その症例の典型が東條英機だったと思う。現場の一将校だった頃は、割と常識的で善良な人間が、権力を持った途端、政敵や部下に平然と酷薄な命令をしだす。こういう人間は、役所や企業に結構居る。例の兵庫県知事もこの手の人間ではないかと想像する。
良くも悪くも高級官僚の役人タイプ「ザイム真理教」を頑なに通す、今の財務官僚を思い浮かべれば、その人物像に近いかも。
取りあえず算数は出来ないって聞いた
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朝四時ごろ、1人黙々と畑を耕す桑の音が聞こえるので、不審に思った歩哨兵が声をかけると、なんと今村司令官だったそうです。「私が進んで仕事をしないと、部下は動いてくれませんからね」と優しく言われて感激したとのこと。正に率先垂範と情の将です。その大きな力で、ラバウルからは1人の落伍者も出さずに、10万人の部下を日本に帰還させました。こんな偉人がひっそりと歴史に埋もれていくのは、本当に残念でなりません。最高の男前のの生き様の 映画化を希望します。
激しく同意します。
こんなに素晴らしい人がクローズアップされずに、表面だけ勇ましい旧軍人や戦国武将ばかりがもてはやされ、TVなどで喧伝される。
今の日本を象徴していますよね。
@@星空旅芸人
返信ありがとうございます。
無謀なインパール作戦で、家庭も未来もある兵隊さん達 を2万人以上も餓死病死させ、自分達は後方で芸者同行で酒池肉林贅沢三昧を味わい、戦後は全く責任を取らず弁明ばかりして、果ては自分の葬式の弔問客に、ご丁寧な弁明文まで配らせた無茶口とは、真逆の別世界の偉人ですね。情の将と同時に、戦いをさせたら負けたことがない戦上手でもありました。こんな方が、これからの国難にも登場してくれる事を望みます。※耕す桑→耕す鍬 訂正します。
@@星空旅芸人
返信ありがとうございます。インパール作戦で、家庭も将来もある兵隊さん達を2万人も餓死病死させながら、自分達は遥か後方で芸者同行で連日酒池肉林で贅沢三昧をし、終戦後も自己弁護を繰り返し、挙げ句の果てには自分の葬儀の弔問客に弁明書を配りまくらせた無茶口とは、全く別次元のお方です。情の将と同時に、いざ戦いとなったら絶対負けない戦上手でもありました。これからの国難の時代にこそに、この様な大人物が現れる事を切に希望します。※耕す桑→耕す鍬 訂正
かつてNHKの大河ドラマで大東亜戦争を扱った『山河燃ゆ』があったが、この軍人をモチーフにした大河ドラマは、今のNHKには作れないやろな。
彼が陸軍大臣だったならばなと夢想したくなります。
東條よりも遥かに適切な軍政を行えた事でしょう。
陸軍大臣でなく教育総監に就任していても適材適所ではなかったかなと。
今村氏のように生きたいものだ。
水木しげるも今村大将に話しかけられて、あった中で一番温かい人だったと回想してた逸話があるね。
戦記漫画にもモデルと思われる穏やかな上官が描かれてる。
私の祖父も今村均将軍の隷下の部隊に居て、軍の技能の通信と家業の木材の製材で師団の本部によく派遣されてた影響なのかあまり上の悪口は言わなかったそうで、上の判断のお陰でこの命があったと一回だけ言ったそうです。
祖父の墓に所属部隊の通信号と簡単な記録がが彫ってあるんで相当思い入れが有ったんだなと今になって思います。
「決して無理はせんことだな」
今村司令官はこの言葉を口ぐせのように言っていたそうです。
今村均陸軍大将。
旧日本軍の中で私が最も尊敬する人です。
軍人としての作戦遂行能力はもちろんですが、その高邁な人格、人間愛、幅広い知見、どれをとっても間違いなく当時の世界の将軍の中でもトップレベルでしょう。
戦後の、あまりにも見事な行動は、敵国であった米国からも非常に高く評価されています。
この人が陸軍のトップだったら、日本の戦況はもっと良い方向に進んだに違いない。
少なくともあれほどひどい状況で敗戦を迎えることはなかったのではないかと思います。
これほど優れた人物が、日本では今までなぜ大々的に取り上げられないのかいつも疑問に思っていました。
動画をupして頂いたことに感謝いたします。
同感
そういう日本軍人がいたというのが嫌な人が沢山いたんやろな…。
警告をしに来たのに「今村さんのいうことは最もだ。」とすぐに考えを改めた武藤章も惜しい存在でしたね。
武藤は野戦の指揮官としては疑問符がありですが政治が判る軍人ですからね。
ありがとうございました。
勉強になりました。
今村氏は第5師団長時代に2万5千人率いて日中戦争に出陣して中国軍約30万に包囲されて食糧や弾薬が不足で各陣地から玉砕覚悟の出撃など危ない状態だったが1ヶ月間戦い抜き味方の増援2個師団が到着すると先頭を切って追撃して作戦を成功させている。この過程は陸大の教材に使われた
一応書いておくが、今村大将は仙台で生まれたが実際には裁判官だった父上の転勤で物心ついた時には山梨に住んでいた。
教会に通い始めたのも甲府。そして入学した甲府中学は当時クラーク博士の教え子で「少年よ大志を抱け」の言葉を広めた大島正健が校長、
地下鉄の父早川徳次、かの石橋湛山、東京タワー・通天閣の設計者内藤多仲など錚々たる面々がおりました。
途中で新潟・新発田中に転校してしまったため、山梨でも今村大将がここで育ったことが知られていなくて残念です。
そして戦後、閣下が蟄居した3畳の小屋は山梨県内に移築され遺されています。
統制派が人事を牛耳っていた時代に派閥に属さないで大将になってるのは本物の証。栗林中将といい今村均といい陸軍にもこんな優秀な人がいたのに皇道派と統制派が全てをぶち壊してしまったのは本当に残念。
おっしゃる通りです。
当時の状況は今の日本にもあてはまりそうですね。
中国とアメリカと戦ってるのに、海軍と戦ってる陸軍、その陸軍の中でも派閥争いって、ドイツに攻められる前のフランス内閣かな?
人間味のある将官。
このような人格者がいらしたとは、大変勉強になりました。
これだけ知情意を兼ね備えた方は、昭和はもちろん、日本の歴史全体で見ても、なかなか居ませんね。
回顧録を少し拝見しましたが、まぁ自分の至らなさを本当に痛感しました(笑)
心から尊敬し、一度お会いしてみたい方ですね。
本チャンよりも、傍流の方が見識が広いような気がする。
今村大将の、名刺を持っています。名刺には、防諜のためか簡素に「今村部隊 今村均」と印刷されています。
蘭印攻略中、最上の魚雷の流れ弾で乗船していた輸送船が沈没してしまう
最上が油まみれの兵士を1人1人救助していく中に今村中将がいた
が、我先に助かろうともせず、また救助された後もその後も最上の艦長を怒ることは無かった
.
戦後のオランダによる裁判にかかる前、助けてもらったスカルノが拘留場所から今村を脱出させようと進言したが、今村は、自分1人だけが助かる訳にはいかない、とそれをその場で断っている
.
戦後は田舎に建てた小さな自宅で食べる分の農業をしながら、死なせてしまった部下を思って表には出ず、責任を自らに課した生活を恩給のみで過ごした
まったくの偶然なのだが、今村が戦後住んだ家から遠くない場所に小沢治三郎の家があり、何度となく交流をしたそうだ
小沢も小沢で人が好いため、戦争で家を無くした赤の他人を助けたが、庇を貸して、の言葉通りとなり、晩年は自宅の縁側の1部屋だけで生活していたそうだ
山本五十六とも交流があり、ポーカー仲間でなかったっけ。山本さんが戦死する前にも再会し、忌憚なく意見交換をしたってどこかに書いてあった。
@@ケワタガモv9f今村将軍は航空機で視察した時に敵機と遭遇したのでラバウルで山本五十六に航空機での視察は危険だから注意した方が良いと話した。
一方的な裁判にもかかわらず死刑を免れたのは無茶苦茶すごい。本物だわ
大変勉強になりました。ありがとうございました。
今村均みたいな将校がたくさんいれば、喧伝していた通りの内容の大東亜共栄圏もできたかもしれませんね。
本当にそう思います。
大東亜共栄圏なんて名称だけが喧伝されて、ほとんど内容を伴っていなかったよ。
一応、日本の侵攻の大義名分としたから、開戦後の1942年2月から大東亜建設審議会を作って内容を具体的に詰めようとした。
しかし、参加者の思い描く構想がバラバラで結局、内容を決定することが出来ず、戦局の方が悪化して、それどころではなくなった。
@@やまちゃん-j6m その通りですね。
どうかな…?
物質や生産力で圧倒的にアジアが劣っていた以上、今村が善政で徴発を控えた足りない分の皺寄せはどこかに出てただろうからね…。
沢山いれば誤魔化しが効かなくなってただろうよ…。
しかも今村が甘かったおかげか、インドネシアの現地兵は異常なまでに太ってた映像が残ってたしな…。
その現地で集められた兵が管理してるロームシャはガリガリだったのにね…。
hoi4でも今村さんはめっちゃ有能だからな……。
上陸戦でいつもお世話になってます
この様な方はもう現れないだろう。
戦争なえなければ…
まぁ今村さんも戦前は統制派として辣腕を振るったけど、
軍人としては本物の力量があった。
武藤さんは今村を説得出来なかったので、東条閥から外され飛ばされた。
これが武藤さんの命運を分ける事になった。
今村均、山梨勝之進、多田駿と、旧仙台藩士出身の軍人に良識的な人が多いのは、戊辰戦争で賊軍にされた側であり、武力で屈服させる事の不条理さ、悲惨さを身を以て知っていたからでないかと思う。
今村大将は娘の高校の英雄です。彼女は知らないが(これが戦後日本の象徴だが)
東條、板垣、石原もまた賊軍藩出身、いろいろだね。
(´-`).。oOほぉ、その視点は面白い。
戦前の陸海軍を作ったのは、薩摩・長州、戦争回避や終戦に動いたのは、賊軍とされた?旧幕府軍側出身の軍人たち。
日本の近代化を推進した明治維新、その恩恵をうけて生きる私たち現代世代は先人に感謝。
「武力で屈伏させる事の不条理」なんて『アプレゲール』みたいな感想を持つくらいなら、そもそも軍人に志願せんのではないのか?(笑)
それこそ戊辰の生き残りの高野貞吉(長岡藩士。山本五十六の実父)は、西南戦争の折に
「今度は戊辰の敵討ちだ」
と大いに勇んで志願出征したという。
これなんかアナタ的にはどういうことになるの?
「賊にされた悲惨さを身を以て知った」のか?
息子の山本五十六は「サムライの子供だから当たり前だ」と海軍に志願したというが、これもアナタ的には「不条理さを身を以て知っていたから」なのか?
それとも、長岡と仙台は違うのか?
それこそ「悲惨さを身を以て知っていた」日露戦争当時の「賊藩」出身者なんかどういうことになるの?
奥保鞏(小倉。長州により街ごと城を焼かれた)や梅沢道治(仙台)、東條英教(南部盛岡)、松岡敏胤(仙台)なんかは、他より「良識的な人」だったのか?
この「良識的な人」という言い方にもかなり違和感があるのだが、宇垣(岡山)や渡辺錠太郎(尾張。長州閥)なんか、あなた的にはどういう分類になるの?
世代をウンと後ろにズラしてのこんな話をするんなら、板垣征四郎(南部盛岡藩)や東条英機(父親が南部盛岡藩)、石原莞爾(庄内)なんてどういうことになるのだ?
同じ負けでも仙台だけ特別なのか?
板垣・石原の「賊藩コンビ」などは
「どうせ賊藩出で出世は頭打ちだとの逆バネから満州事変なんぞ起こした」
と極論する人(例えば兵頭二十八さん)までいるが、あなたによればこの二人は
「賊藩にされたから、武力で屈服させる事の不条理を知っていた」
ことになるのか?
事実群から都合よく一部切り取って言うてみるだけなら、どんな突飛な話でもできるわな(笑)
結局、個人的な属性だろうよ。
日本の将軍でもこんな立派な人物がいたのか。
今村さん樋口さんは道徳の授業で語られるべき。
この方のように現地人に敬意を持って接したものの一部の兵隊の私利私欲な行動で戦後戦犯となり囚われの身となった方も少なくない。何が道を左右したのか…?
生存性バイアスみたいなものかもね。
それが上手くいった結果生き残れたから、こうして話が詳しく残ってるし、取り上げてもらえる。
この動画みてとてもそうとは思えませんが、短気な性格と自らを戒めていたみたいですね
今村 安達 山下 栗林 阿南 畑。陸軍良心四天王。
宮崎繁三郎
本間雅晴、森赳、田中静壱も忘れずに
山下はシンガポール華僑の件知って「えぇ・・・」ってなった
多田さん忘れてますよ。
樋口季一郎将軍も忘れてる
今村氏は草創期の日本陸軍の良心かつ律義のある軍人たちの姿勢を反映した方なのではと推測します。かのクーデター以降の過激な空気が一斉に軍人たちを奮い立たせ、本来の国際法を軽視しだした暗い時代において彼はその風情に飲まれなかったから善き人物として評価されたのではないかと思います。
宮城出身
良識の有る人物に、私はなりたい
“国家”のためではなく、“ヒト”のために戦ったんだな。と感じました。
オランダ人からも弁護があり職を賭したという話すら聞いた事があります。
今村と並んで書かれる河辺正三に異常な違和感
今村氏は英国駐在武官を経験している。
そこで英国の植民地経営を学んだはずである。
というのも占領地政策が英国方式に近いからである。
他の日本軍のやったことは現地の人々を逆なでするだけである。
英国式植民地経営は植民地に華僑と印僑等を連れて来て間接支配してましたね。
今村均将軍はやってないですが…
注目点がずれてますね。
占領地政策がどうあるべきかは二千年以上前にヘロドトスが論じている。
そして英国はその通りにやっている。
19世紀末にはイギリスの植民地経営が「赤字」に転落していたといわれます。
海軍は植民地維持にために存在する。
海軍コストを含めると赤字という計算でしょう。それなら日本は大赤字。
陸軍悪玉論が多い中、戦史をよく調べてみると圧倒的に海軍のやらかしが陸軍よりも多い上に内容が酷くて個人的には海軍悪玉論になっちゃってますね…
政治的に悪玉なのが陸軍
軍事的に悪玉なのが海軍
こんなクソ2つを消滅させるために大量の犠牲が必要だった・・・・・
まあ…海空軍最強の米軍とまともにやり合う羽目になった以上、海軍のやらかしが目立つというのはあるかもしれない…。
アメリカの謀略だ!とか、山本五十六は無能など・・
歴史に善悪を求める人は思考が偏っています。
3年ほど前の時点で、今村氏のご子息が102歳でご存命でした。今はどうなんでしょうか?
今村軍政が批判されたのは、資源目的でインドネシアを攻略したのに、資源を地産地消して日本に全く見返りがなかったから。
戦争で莫大な資源を消費していて、その問題で悩んでいる中央からしたら、何をやっているのだという話にはなるだろう。
このような中央の考えは非常に短絡的かつ独善的で、このような視野狭窄の思想では到底「大東亜共栄圏」の実現など無理な話。
こういう者たちが中枢にいるから国がおかしくなるという反面教師にはなる。
今村大将の、将来を見据えた長期的視点、優れた考えなどは、「井の中の蛙」の当時の陸軍参謀たちには到底理解不能だったことは想像に難くない。
おっかしいなぁ。日本のためではなくアジアのための戦争だったはずなのにな~
このような中央の考えは非常に短絡的かつ独善的で、このような視野狭窄の思想では到底「大東亜共栄圏」の実現など無理な話。 こういう者たちが中枢にいるから国がおかしくなるという反面教師にはなる。 今村大将の、将来を見据えた長期的視点、優れた考えなどは、「井の中の蛙」の当時の陸軍参謀たちには到底理解不能だったことは想像に難くない。
要するに今のインドネシアと同じってだけよな…。
当時は大東亜共栄圏で日本軍、今はASEANでベトナムやフィリピンなどが大国を防ぐために負担をしてる。
それなのに比較的規模が大きくて経済力があるインドネシアは今も昔も貢献しようとしない。
戦陣訓について
通州事件然り、日本兵捕虜が中国兵に惨い殺され方されることが多かった為、東條英機は生きて虜囚の辱めを受けずを強調したのを忘れてはならないと思う。
山本長官のマブダチだっけ?
東條英機がいなければ敗戦は違ったものになっただろうな
今村が、中学出身者で、陸大27期の首席だというのだから、ビックリですよ。ただ、智謀のある陸軍大将ですね。もっと、陸軍中央で活躍してほしかった。転任地のラバウルでも必死に防衛したようですね。
夜尿症持ちで頻繁に起きてしまった影響で睡眠不足になり士官学校の時には講義中によく居眠りをしていたそうです。
最初は頻繁に怒られたそうですが、色々と居眠り対策の努力をしていた上で試験の成績が良かったので教官達の間で「人に言えない病気か何かがあるに違いない」との事になって居眠りをしてても怒られることは無くなったそうです。
陸大でも居眠りをよくしていたそうなんですが、士官学校から話が伝わっていたので陸大ではその件で怒られる事は無かったそうです。
@@ataki2642 イギリスのロンドンで、同期生の本間将軍が、奥さんが駆け落ちして、衝動的に飛び降り自殺しようとした時、「君には子供がいるじゃないか」と言って、助けたお話が感動的でしたね。
1.戦陣訓の作成に関与、主導した一事で、全ての功績に疑問を感じる。
2.戦陣訓は、ノモンハン、太平洋での玉砕、捕虜虐待の遠因になったかも。
3.今村氏は戦陣訓作成関与者として、責任をどのように考えていたのだろうか。
4.話しは別だが、特攻機に乗った将軍は二人(一人は敗戦後)と聞く。
能力だけだったら永田鉄山とか石原莞爾も傑出していたが、人格と能力の両面で傑出した大人物と言う点で今村均は別格だった。ラバウルで二等兵として辛酸をなめた水木しげるもたまたま個人的に接触があって、今村だけは本当に立派な人として尊敬していた。オランダ当局は戦後どうにかして今村を戦犯として死刑にしようと画策したが、住民から今村を非難する証言をどうしても取りつけることができなかった。小学校や病院の建設を命令し、インドネシア国民の教育と厚生を優先した今村を恨む人などいなかったのだ。今のインドネシアでは中共のプロパガンダが効いて、日本軍は残虐行為ばかりやっていたと信じ込んでいる者が多いそうだが、情けないことだ。
今村氏は何の罪で、実刑判決を食らってしまったのでしょうか?
例によって部下のつみの管理責任でしょうさ?
死んだ人間の実態を知らずに、無暗に持ち上げるなよ!
東條英機はどう考えても悪人以外に該当するだろうか。
悪人は言い過ぎですが、どこの組織にでもよくいるブラック上司。
@@てりえてりえ
東條英機も”敵”の石原莞爾と同じでベクトルは違いますが結構な部下想いの方ですよ。
どの派閥やら部下に不公平が生じないように色々と配慮していましたし、樋口季一郎将軍が東條英機の部下だった時にドイツから逃亡してきたユダヤ人を助けたオトポール事件を起こしてドイツから猛抗議が来た時に司令部に出頭させた樋口季一郎将軍を問い詰め、樋口将軍の言い分に筋が通っていると思えばその意志を汲んで色々と尽力をして助けた上でドイツの抗議を一蹴してますからね。
良くも悪くもクソ真面目過ぎたので評価が分かれる原因でしょう…
個人的には石原莞爾よりかは東條英機の下の方が良いですけどね。
日本人には一種の民族的病があり、その症例の典型が東條英機だったと思う。
現場の一将校だった頃は、割と常識的で善良な人間が、権力を持った途端、政敵や部下に平然と酷薄な命令をしだす。
こういう人間は、役所や企業に結構居る。
例の兵庫県知事もこの手の人間ではないかと想像する。
良くも悪くも高級官僚の役人タイプ
「ザイム真理教」を頑なに通す、今の財務官僚を思い浮かべれば、その人物像に近いかも。
取りあえず算数は出来ないって聞いた