【兵器解説】レーサーから爆撃機、雷撃機となったサボイア・マルケティSM.79スパルビエーロ|「いまいましいせむし」というあだ名で呼ばれ、エースパイロットも活躍した。

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  • เผยแพร่เมื่อ 8 ก.พ. 2025

ความคิดเห็น • 15

  • @pingubrutish4127
    @pingubrutish4127 8 หลายเดือนก่อน +5

    面白かったです。普通にスペイン内乱から飛び続けて戦後も活躍できるのは凄いですね。設計図引いた人が優秀だったんでしょうね。

  • @CannaregioAutomobili
    @CannaregioAutomobili 8 หลายเดือนก่อน +3

    アルファロメオは戦前レーシングカーと高級スポーツカーを手掛けていましたが、大戦中は軍用車も手掛けていました。 ピアッジオは航空機でもおなじみですがスクーターやモペッドのメーカーとしても知られていますね。

  • @伊藤近平
    @伊藤近平 7 หลายเดือนก่อน

    オヤジ(主にイタリアの美術史の研究家)が大好きな機体だったなぁ。

  • @penpen草
    @penpen草 5 หลายเดือนก่อน +1

    三発機は好きです。日本も大馬力エンジンが無かったので、三発爆撃機/輸送機を開発していたらどうだったかなと時々空想しています。

    • @TH-ul4gd
      @TH-ul4gd 4 หลายเดือนก่อน

      寿(ハ1)しか手に入らない状態だったらそうなっていたかも

  • @mejispacewolf8560
    @mejispacewolf8560 8 หลายเดือนก่อน

    望月三起也先生の漫画「最前線」に独軍で使用されたSM79が出てくる話があった。

  • @eh3063
    @eh3063 8 หลายเดือนก่อน +3

    日本陸軍もフィアットBR20買うならこっち買った方が良かったような?カタログ数値はフィアットの方が優れてますけど。
    どっちも同じかな?笑

    • @ませあきたつ
      @ませあきたつ 8 หลายเดือนก่อน +2

      フィアットBR20はデビューしたばかりの新鋭機だったから。
      それに機体がイタリア仕様だった為、使い勝手が悪く、短期間の訓練で使いこなせる代物では無かった。
      おまけにイタリアから購入した爆弾や部品がすぐに消耗し、日本製の爆弾や部品が規格が合わない為に使えなかった。

    • @のえる-n6l
      @のえる-n6l 8 หลายเดือนก่อน +1

      @@ませあきたつ イタ車は壊れる呪いはここからか。

  • @サテュロスはぽろぽろ涙が止まらない
    @サテュロスはぽろぽろ涙が止まらない 8 หลายเดือนก่อน

    あんまりイタリアの軍用機体や戦車とかの説明は少ないからね~面白いかも・・

  • @暇時郎戯言翁
    @暇時郎戯言翁 8 หลายเดือนก่อน +2

    この機体日本へ飛んで来たのでは?
    中央アジア辺りから満州、朝鮮半島日本本土へと。
    飛んで来たパイロットやイタリア大使館は大冒険成功の欧州日本飛行で大歓迎式典を期待したが日本側な受け入れが冷淡?でガッカリ、不満だったとか?
    日本は飛行ルートで英国ソ連を刺激するとしてオープンにしたくなかった?と言われてると聞くが?
    実態はどうだったのかな?

    • @広史大舘
      @広史大舘 4 หลายเดือนก่อน +1

      同じメーカーのSM75の長距離輸送機型でした。

  • @のえる-n6l
    @のえる-n6l 8 หลายเดือนก่อน +1

    尾翼がジブリ臭いぞ。赤豚爆撃機
    爆撃照準はどこでしたんだろう?機首はエンジンあるし、操縦席から望遠鏡伸ばしてやったとか?

    • @広史大舘
      @広史大舘 4 หลายเดือนก่อน +1

      胴体下に張り出したゴンドラ内に爆撃手が入って照準しました。