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1985年、あの日、私はあの国立で和司さんのFKを生で観ました。ドーハの悲劇も現地観戦してますが、あの時の興奮は今でも忘れません。
今でも語り草になっているのが、実況のNHK山本アナの名台詞。「東京国立競技場。」「曇り空の向こうにメキシコの青い空が近づいて来た気がします」。
アジアの壁を破れずにいたって言う、韓国と日本今となってはワールドカップ常連になっているだけあって、すごい進化だよなあ。しかし都並さん昔からキャラ変わってないなあ笑
あと勝ち1つでワールドカップ初出場だった1985年の日本代表、あと一歩だった。しかしプロサッカーの韓国代表と社会人サッカーの日本代表の差は決定的だった。日本代表のワールドカップは遠く及ばないものだった。
試合後、森監督が日本にもプロサッカーが必要です。とインタビューで話していたのを覚えています。
@@kazurainbow5670 敗戦後、森さんや川淵さんをはじめ、日本サッカー協会は日本の現状にかなり危機感を持っていたようですね。
@@totsugeki2428 全くその通りです。
当時はマイナースポーツでしたけど熱烈なサッカーファンは確実にいてテレビ、競技場で日本サッカーを応援してましたね。
確か日本では、阪神西武日本シリーズ一色。ただ、サッカー好きなまわりの五十代の大概がこの試合国立で観たと言っている。
木村和司自信に満ち溢れたFKカッコいいな
和司さんのフリーキック、天才的
そして、そのフリーキックに憧れてキッカーを目指したのは、当時日産ジュニアユースにいた中村俊輔であった。中村俊輔は木村和司さんのフリーキックをとにかく研究したと言う。そして天才は、後の天才を生むことになる。
当時韓国が間違いなく地力が上なのに相手チームを研究しているのがよく分かる。負けは必然だったのだろう。
選手も韓国の方が一枚も二枚も上だと認めてました。
韓国はプロで日本は完全な企業選手それは勝てる要素はないよね
日本人のこういうところ好き。シュールに相手を認めるって簡単そうで、簡単じゃないんですよね。
今じゃ日本を意識してるのは韓国で、日本は全く意識してない。
あの日、満員の国立で見てました。木村和司のFKには感動しました👍でも、攻めが、、、あの時、ジョージ与那城もスタメンで,奥寺もドイツから呼び戻していたらどうだったろうか?あの試合の記憶が今でもあります🤔
木村上手いな〜
ワールドカップメキシコ大会予選での韓国戦は、サッカーの日本リーグのプロ化への道筋を作ったと言っても過言ではない❗️
冬の時代って言われてるけど昭和の日本サッカーも味があって面白いな
このサッカー冬の時代は日本自体はオイルショックのとき以外は希望あふれる、好景気の時代だったけど。もしかしたらこの時代の闇の部分はサッカー界が引き受けていたのかも。
@@杉田竜馬 アホが何か言ってるよ。今日はWBCとかいう日本のマスコミとおバカな野球ファンだけが盛り上がってる大会の試合ですね。
ほんとに日本サッカー成長したなー
韓国がメキシコワールドカップ予選で、日本に対してした作戦は、10月15日、タジキスタンで行われたワールドカップカタール大会予選で、日本がタジキスタンを相手にした戦いかたに引き継がれている…
86年大会の韓国の成績 アルゼンチン 1-3で負けブルガリア 1-1の引き分けイタリア 2-3で負け3試合すべてでゴールを奪う・勝点1を獲得するなど健闘してたんだな
1994年のアメリカ大会でサウジが勝つまでアジア唯一の勝利国は北朝鮮だけだったという現実
韓国ですら98年まで1勝も出来なかった。
@@かんちゃん-r4e韓国のW杯初勝利は2002年ですね。ポーランド戦
日本がワールドカップ初の勝点を取ったその日に韓国は初勝利を上げました。
この頃数少ないテレビ放映を観ながら、絶望的な差を感じていたっけ、、、ワールドカップなんて夢のまた夢だと思ってたな、、、それが今じゃ常連みたいになって。
レベル以前に枠数の少なさこの時は東アジアで1枠だから厳しいはずだよ
日本は24の枠の時に出られなかったからね。
82年大会まではアジア・オセアニアで1枠でしたからね。その前はアジアにイスラエルがいたし。
当時、韓国サッカーの戦力は強大でした。ブンデスリーガー最高のゴールゲッターだった車範根(チャ·ボムグン)、アイントホーヘンのエース許丁茂(ホ·ジョンム)、ユベントスに入団することはできたが、軍隊のため入団が取り消された崔淳鎬(チェ·スンホ)など立派な選手が多かったです。本大会でもイタリアと前半まで1対1のスコアでした。
まさに!日本サッカーの夜明けはこの試合から……本当に良い時代になりもうした〜〜
1979年の日本開催のワールドユースのために育成された若手選手が、成長した。そして、それに悔しさを覚えた少し上の世代が奮起。競争が激化した。そして、史上最強の日本代表が出来上がった。1982年のワールドカップを捨ててまで1986年のワールドカップ出場に拘った。残念な結果に終わってしまったが、若手育成の大切さは学べた。育成に関してはここから様々な改革がなされ、その1期生達がマイアミの地で奇跡を起こすこととなる。
森孝慈とキム・ジョンナム(金正男、北朝鮮のあの方とは関係ない)とは、現役時代からの囲碁仲間だったらしい。
水沼さんと木村さんとの連携の重要性を気づいて、ワールドカップの予選では韓国代表チームが2人を上手く絶つことができたのかな、と改めて分かりました。
当時は知らなかったけど、韓国はプロリーグが既に存在してたり、ヨーロッパで活躍している選手がいたり、日本より10年先を行ってたんだな。
1984年9月30日の日韓定期戦の次に日本が韓国に勝ったのが四半世紀前の一昨日でした。ニッポン放送で解説していた水沼さんが2ゴール目を「右のゴールすみに叩き込みました」とコメントしていました。
この頃が一番よくサッカー見ていたな。
当時小学5年生でした、少年サッカーは「キャプテン翼」のおかげで凄く活性化して、この最終予選とももろ被りだったと思います、確かキャプ翼の小学生編が85年で終わりました、私たち少年もいつかサッカー選手になりたいと思っていましたが「プロ」というものを具体的にイメージすることなど皆無で、むしろ頂点は冬に行われる「高校サッカー選手権」でしたね、今はJリーグが完全に定着し、子供たちも大いに夢を広げることができるのが本当に嬉しく思いますね
アウェイで韓国に負けた後に森監督は、日本がW杯に出るにはプロ化するしかないとコメントしたんだよね?
どんな素晴らしいゴールがこれから生まれようとも、自分の中で木村和司のあのゴールを超えるものはないだろう
この時間は日本代表のユニフォーム同じとキャプテン翼のユニフォームです
ドーハだけいうけどこの時もあと一歩だったんだなでも力の差は明らかだったけど
この頃から代表を応援していた狂会の方々って偉大。スタンドはがらがら、負けてばかり、Jができて韓国や中東と対等になれて狂会の方々は喜びも一塩ですよね。
8:06 1993年日本代表も、まさに都並さんが上がった後の左サイドが、最大の弱点でした
当時の日本代表は(個のレベルという観点において)若手育成が着実に進み、そこに読売の天才・戸塚、エース・与那城が加わり、まさに願っても叶わなかったドリームチームが完成してW杯最終予選を迎えました。しかし、チームとして熟成しているとは言えず、韓国の前に2敗。その4年後のW杯予選ではチームワーク不足から得点力不足を露呈してしまう。エース水沼の活躍でホームの北朝鮮戦は逆転勝ちを収めるもインドネシアと香港相手に1勝3分と勝ち点を上積み仕切れず、最終戦の北朝鮮戦に0-2で敗れ一次予選敗退。そこから3年後オフトを代表監督に召集しチーム力を高めて最終予選に臨むも、選手層の薄さが災いする。都並の怪我により代役に抜擢された三浦泰は攻守のバランスを取りきれず、イラン戦では執拗に裏を取られてしまう。そして3戦目にオフトジャパンのキーマンである高木が出場停止、また福田は最終予選では絶不調に陥ってしまう。そこでオフトは個人戦術に方向転換せざるを得ず、前線に長谷川と中山を起用し、都並の代役を守備に長けていた勝矢にシフト。その結果が土壇場での敗退。昨今の代表でも個の力が度々フォーカスされるが、やはり日本代表の生きる道はチームワークなんだと、歴史を振り返るたびに思います。
確かに攻撃面では,木村,水沼,原,戸塚と当時のドリームチームでした。この試合,出場停止の柱谷兄も加えて。守備的MFに奥寺と風間がいたら完璧かな。あとは,代表引退していた金田も。木村と戸塚のコンビがもう少し機能していたら,得点力もアップしたでしょうね。この試合の戸塚の貢献は,木村のFKのお膳立てをしたことくらいですからね。
当時は東地区で1枠だけだったからな。でも、名勝負だね。
でも、当時の東アジアは韓国の完全1強だったからね。東アジア1枠は当然だった。この後に出場したワールドカップでも、結構、善戦したし。そして、韓国はワールドカップを経験し、更に韓国1強に拍車がかかる形となる。やっぱりワールドカップで世界を経験すると目指すべき形が分かるのが大きいのだろう。ワールドカップに出場すれば、各大陸連盟の強豪を相手に最低でも3試合、ガチンコ勝負が出来るのが大きい。
実業団時代はほんと酷かったもんなぁ。ボールキープできないからライン際の攻防はすぐタッチライン割っちゃう。あまりにスローイングが多いから手でサッカーやれよと思った記憶。
この時代奥寺、木村、釜本いがい分かんない泣泣、、、
まあ奥寺も西ドイツに行っていて,今のメディアのように海外サッカーも報じられないから,知名度はいまいちだった。80年代前半~中盤は木村和司一強。加藤,戸塚,原あたりは野球少年だった私も知っていた。金田,風間,都並,水沼あたりも当時は知らなかったなあ。あくまでも私自身ですが。86年W杯後は,マラドーナ,ジーコ,ルンメニゲ,カレカ,リネカーは多くの人が知っていました。笑
この試合の前の時点で東アジア2チーム、西アジア2チームが決定していた。てことは計4チーム。今の制度ならワールドカップに出られていた。今のワールドカップのアジア枠、多過ぎです。
次の大会のアジア枠は8+1ですね。あからさまに中国マネーを狙っています。
82年大会まではアジアは2枠で78年大会はアジアとオセアニアを合わせて1枠ですからね。
1:26コロナ禍の今のスタジアム?9:14加藤久は韓国語でも「加藤きゅう」
9:13韓国選手が加藤久を「カトウキュウ」って言ってる。
taro jikken この時代は韓国でも漢字が流用されてたから向こう読みしたんだろう
結局、釜本みたいな強力なストライカーがいなかったから韓国には太刀打ちできなかった時代だね釜本がいた時は、韓国も2枚マークをつけたのは有名な話
3:16 韓国は1985年当時、プロサッカー スーパーリーグ成功を持って、アマチュア日本との地力差をハッキリ際立たせていました
ナレーションは、古谷徹?
U60代表サポです。長年予選を観てきましたが、韓国を叩いての本大会出場でなければ私の中では出場権獲得とはいえません。 予選の組み分けで双方ポット1(シード)が続く限り実現しませんが‥冥土の土産にしたいです(笑)
今大会から3グループ制になったのでより可能性が低くなってしまいましたね
初コメントします。この時、残念ながら、日本より韓国が上だったのは、事実ですね。ですが上から目線になって、特に2点を先制した後での試合運びは、注意が必要だと思いますね。サッカー⚽️はね。ではでは。
日本は 1994年のアメリカ大会(ドーハの悲劇)以外にも1954年スイス大会 と1986年メキシコ大会も出場逃してるんだよね(他もあるかも)
オールドサッカーファンは韓国絡みの動画でもヘイトすくないから好感や
キャプテン翼のワールドユース編のユニフォームカッコイイな
奥寺に出てほしかった。ブレーメンが手離さなかったのだろうけど。
tomobeer 奥寺の本職は左サイドアタッカー。確かにワールドクラスの左サイドアタッカーだった。でもね、奥寺が出ても日本の右サイドを攻めれば奥寺を孤立させて日本に勝てるのよ。日本の右サイドに良い選手がいなかったから。今では考えられない事態だが。
サイ サイ 右サイド攻撃は奥寺が出ていたオリンピック予選とかで日本対策で使われたやつですかね。ただ、確かに本職はそうだろうけど、奥寺はブンデスでボランチや右サイドの経験もある選手だったからね。そこら辺を埋めていればねぇ。あ、あと、勝矢ももう少しちゃんと使っていたらチャンスがあったかも。
それをいうと当時の韓国はブンデスリーガでもトップクラスのFWだった車範根を呼べなかったからね。
この当時の日本リーグは日産(現•マリノス)、読売(現•ヴェルディ)の2チームとそれ以外では力の差が大き過ぎた。唯一食いついていたのがヤマハ(現•ジュビロ)
なんなら大学の方が強かったからなあ
@@xxjuikl 日産、読売、ヤマハ以外は大学下手すりゃ高校の方が強かった
10:49 木村和司さん、伝説のFK‼️
都並のしゃべるときの、口の曲がった感じがいまとかわらねーなw
悔しいけど、この当時はすでに韓国はプロサッカーでしたね!
すでに35年前のことイネヨ🧐 小学生の頃に記憶する1986年のメキシコW杯アジア最終予選で韓国が日本に勝ち、1954年にスイスのワールドカップ以来、32年ぶりにワールドカップ出場を成し遂げた感激が昨日のことのように生き生きと感じられます🥰 今では、日本と韓国のW杯本大会進出が当たり前に感じられるかもしれません、それは様々な困難に打ち勝ってワールドカップに出場した感激に加え、ヨーロッパと南米の国々との試合を通じて、国際サッカー大会の高い障壁を感じ、様々な試行錯誤を 重ねたので2002年ワールドカップ共同開催と着実に成果を上げることができる貴重な基礎にドゥェトダゴと思います🤔 今、日本と韓国は、アジアを越えて世界最高の水準に近づけるよう、常に最善を尽くしております😍
1980年当時既に川淵のオッチャンはサッカー界を牛耳っていたのか。まさにサッカー界の皇帝だな。
たしか古河電工の子会社でサラリーマンやっていたのを代表強化のために協会が呼び戻したはず
まあ日本代表として1964年の東京オリンピックに出場して,アルゼンチン戦でシュートを決めていますからね。選手としてもある意味伝説です。
このときの韓国の戦術、良く考えるとエドワード黒太子や織田信長と同じ「モードアングレ」なんだよね。もっともイングランドフットボール界が長年得意として来た「キックアンドラッシュ」こそエドワード黒太子以来の伝統ではあるけど。
기무라 선수 프리킥이 1984년 한일정기전에서는 더 멋지게 잘 들어갔네요. 역시 일본 프리킥골 역사상 베스트 중 하나라고 해도 과언이 아닙니다.
저는 일본인입니다. 제 꿈은 일본과 대한민국이 월드컵 결승전에서 맞붙는 것입니다. 어느 쪽이든, 그것은 일어날 것입니다.
@@kazurainbow5670可能性が薄く見えますが、夢はできるだけ大きく持つほど良いと思います🙃
消極的な動きをすれば何時かは狙われるよ。どんな🌍️デモネ…。🇷🇺大会からは各ポジションの選手たちが代表チームを普段のCLUBチームだと思いちゃんと失敗を恐れずに自信を持ってプレーしていました。今思えば🇲🇽大会~🇧🇷大会迄、応援する側もそんな目で視て応援出来ていれば…何処まで行けたかな~と、思いました。其れでも🌍️Rank15位のlevelにまで上り誇りに想います。此れからも変わらない姿勢を継続して愉しく真剣な職人に成って活き続けて下さい。😊
한국이랑 일본은 항상 라이벌전 이라살벌했지 그런데 일본도 많이 발전해서결국 지금은 16강에도 가고 한국을 추월하는 현재로서 상황이 역전된듯
저당시 일본은 사회인이 주축이된 아마추어 팀이었음. 그에 반해 한국은 프로. 그런데 압도하지 못했음. 당시에도...이미 일본에 추월당할 조짐이 저때부터 보였던것은 아닌지 생각해봐야 됨.
加藤久さんのこと韓国人FWが「かとキュー」って呼んでいることに驚いた。
キムジョンナム監督は優秀ですな。
完全な作戦負け、だが日本はドーハより勢いあったんじゃないか?
4:05都並若すぎw
12:22この時飛び込んだディフェンス誰だよ。本当にまずい守備。
当時、外人用ストッパーと言われた越田です
確かに韓国の作戦が的中したのはあるけどそれも個の実力が韓国の方が上回ってたからであって仮に日本が先制しても逆転されてたと思う
この試合で韓国との差を痛感し、韓国のように国内リーグの改革を行うことになる。手始めに、各チームにプロ契約を認めた。それにより、読売クラブ、日産自動車がほぼプロサッカークラブになり、人気チームへと変貌を遂げた。しかし、この2チームが圧倒的な強さになり、この2チームに所属している選手ばかりがレベルアップすることになる。これではマズいと全体的なプロ化を決断した。何かタイと状況が似ているね。タイもアジアカップ2004で日本にコテンパン負け、日本のようにアジアトップレベルにまで行くには国内リーグをきちんとしたもの(当時タイにはプロリーグはあったが、資金が足りずにプロリーグと呼べるものではなかった。そのため、AFCから運営面に問題のあるリーグだと言われていた。)にする必要があると痛感したらしい。そしてお金持ちに頭を下げてスポンサーになってもらった。それが最近形になり始め、タイは強くなってきている。
日産が好きで読売が嫌いだった私にとっては木村和司さんはヒーローです。ドーハにも出てワールドカップに行って欲しかったです。
それでも読売クラブの都並や松木は高校の部活に所属せずにクラブで活動していたから.....すでに社員クラブではなく今のJリーグの体制になっていたのだから進んでいたのだと思う
私は、逆で、読売クが好きで、リーグでは、敵という感じだったけど、日本代表になったら、和司さんも水沼さんも応援してたし、和司さんは、リスペクトしてました。
@@ronniescot1649 おっしゃる通りです!戸塚さんもそうですし、その後、ジョージさんが、日本人に帰化して日本代表に選ばれた時も本当にうれしかったです。
これが、この時の日本の限界。
プロ化もしていたけど、この時は韓国もまだ民主化されていなかったから日本に負ける事など絶対に許されない時代だった
7:07 何事もためらうからつけこまれるんだな。
キャプテン翼ブームで観客増えなかったのかな?
キャプテン翼、自分にサッカー選手になる事を諦めさせた漫画。
1985년 10월26일 일본 도오쿄 국립경기장1986년 월드컵 아시아 최종예선전정용환의 선취점 1:0리드최순호의 추가골 2:0리드곧바로 일본 기무라의 골 2:1결국 한국이 일본을 2:1로 물리치고11월3일 잠실 올림픽 주경기장에서 일본에 1:0승한국 1954년 스위스 월드컵이후 32년만에 1986년 멕시코 월드컵출전 ..
あらーきちょうなn映像ですね
日韓定期戦ね。この日韓定期戦が馴れ合いの試合になっていたのでは。
5:59 김정남 감독 interview
油断させて弱いと見せかけてか
한국🥰
日本より10年早くプロできてたのか
日本は韓国の監督の作戦にはまっただけ。この時の韓国代表は久々のワールドカップ出場を1986年に定め、前々から緻密に強化策を練り上げた結果、強くなったチーム。多額の強化費を投下しただけあって、韓国内では史上最強との呼び声が高かった。日本と同じく1970年代は冬の時代を迎えたが、それに終止符を打つべく若手時代から鍛え上げられていた。当時の日本が敵う相手ではなかった。ちなみに、ここでワールドカップ出場による強化に味をしめた韓国代表は、次の世代も徹底的に育成。次は多少谷間の世代になってしまったが、その次はかなり良く、1994年のワールドカップでスペイン、ボリビア、ドイツを相手に善戦する黄金世代が来た。
ナレーションはアムロ・レイか
ナレーター古谷さん
まさか3年後にこうなるなんて思って無かったろうなぁw
生まれてないよー日韓定期って、昔から争いなの?なぜ定期って政治も絡んでるのかよ、反日とか。メキシコ杯予選は6万人は超満員だね、すごい
日本の序盤での攻勢は韓国にボールを持たされていただけ。韓国はスカウティングの内容のすり合わせを試合の序盤でしていた。その整合が取れたと判断して一気に逆襲に出てきた。そして当初の目論見通り「都並が上がった裏のスペースを突け、そうすれば日本のディフェンスラインは糸が解れるように簡単に崩れる。」その思惑通り都並が攻めあがった裏のスペースを突かれてあっという間の2失点となった。日本の得点は左サイドバックの都並の攻撃参加が起点になってることが多い。しかし当時の日本は都並が攻めあがった後の裏のスパースをどう埋めるかというような基本的なことがまるで出来ていない組織としてどう戦うかという概念がまるでない幼稚なチームだった。正直言って負けて当然のチームだった。1点差の敗戦で済んだのも韓国が慎重な試合運びに終始していたからだった。そして翌年20年ぶりに来日したかつての日本サッカーの恩師のクラマーさんは日本リーグの試合を数試合視察した後に「なぜこんなに基本が出来ていないチームばかりなんだ!!」とかつての教え子たちに対して声を荒げたというし、その数年後代表監督に就任したオフト監督(当時)は代表合宿でヨーロッパなら少年サッカーレベルでやるような練習メニューを選手達に課していた。選手たちはそれに対し憤りをみせたがきちんと基本戦術を理解していたのは森保だけだったという。代表選手でさえそんなレベルだから他は推して知るべしだった。しかし逆に言えば基本的なことがろくに出来てなくてもワールドカップやオリンピックであと一歩まで行けたということもあったことは事実であり、問題はいろいろと抱えているが日本サッカーのポテンシャルの高さを評価する外国人の指導者や選手がそれなりにいたのも事実。ジーコなんかもその一人だった。
韓国は先にプロリーグができてたのか
田嶋、森保がのうのうと居座る限り日本サッカーがこの時代に逆戻りしかねないと思うのは私だけだろうか。
ないないぞ
@@oresamakatigumi 今回は出場権を確保したけど出場できるかどうか紙一重だったし、アウェイ戦の地上波放送もなくなったし。もし今回本大会出場を逃し、なお田嶋森保体制が続いていたらと思うとこの時期に逆戻りしていてもおかしくなかったと思うのは私だけだろうか。
@@杉田竜馬 地上波は高騰で買えなくなるのは必然 あとそれは杞憂
ドイツ・スペインを撃破してグループリーグ1位で決勝トーナメント進出!!
戻るどころかワールドカップの出場枠が広がり、最早出る出ないの問題になることは当分なさそうかと。世界との差を縮める部分で問題があるのかもしれません。
客席でタバコ・・・
Korea 🇰🇷 victory ✌
松木がいた
初戦のホームの1失点目だね。それがなければ勝っていたかもね。
同点に追いついたわけでもない1点返しただけで大喜びしちゃうのがこの時の実力差を物語ってる。
降谷零
ナレーション アムロ徹
1인당 국민소득 5천달러대 2만달러의 대결이었다
한국은 프로, 일본은 사회인 아마추어. 그런데 한국이 압도하지 못했다는건 무엇을 의미하는걸까.일본이 각잡고 j리그 출범시키니까 지금은 일본에게 밀리잖아. 애초에 일본에게 역전당할 수밖에 없었던거야.
若い人は知らないかもしれないけど、このころの日本サッカーなんてアジアでもお荷物だったのよ。
お荷物は言い過ぎだなこれだって北朝鮮、香港とのホームアンドアウェーに勝って最終韓国戦にきたわけだから
ヤムチャ
いやあ、昔の日本代表は、今の高校代表とやっても負けると思う。それくらい基礎ができていない。
1985年、あの日、私はあの国立で和司さんのFKを生で観ました。ドーハの悲劇も現地観戦してますが、あの時の興奮は今でも忘れません。
今でも語り草になっているのが、実況のNHK山本アナの名台詞。「東京国立競技場。」「曇り空の向こうにメキシコの青い空が近づいて来た気がします」。
アジアの壁を破れずにいたって言う、韓国と日本
今となってはワールドカップ常連になっているだけあって、すごい進化だよなあ。
しかし都並さん昔からキャラ変わってないなあ笑
あと勝ち1つでワールドカップ初出場だった1985年の日本代表、あと一歩だった。
しかしプロサッカーの韓国代表と社会人サッカーの日本代表の差は決定的だった。
日本代表のワールドカップは遠く及ばないものだった。
試合後、森監督が日本にもプロサッカーが必要です。とインタビューで話していたのを覚えています。
@@kazurainbow5670
敗戦後、森さんや川淵さんをはじめ、日本サッカー協会は日本の現状にかなり危機感を持っていたようですね。
@@totsugeki2428 全くその通りです。
当時はマイナースポーツでしたけど熱烈なサッカーファンは確実にいて
テレビ、競技場で日本サッカーを応援してましたね。
確か日本では、阪神西武日本シリーズ一色。ただ、サッカー好きなまわりの五十代の大概がこの試合国立で観たと言っている。
木村和司自信に満ち溢れたFKカッコいいな
和司さんのフリーキック、天才的
そして、そのフリーキックに憧れてキッカーを目指したのは、当時日産ジュニアユースにいた中村俊輔であった。中村俊輔は木村和司さんのフリーキックをとにかく研究したと言う。そして天才は、後の天才を生むことになる。
当時韓国が間違いなく地力が上なのに相手チームを研究しているのがよく分かる。負けは必然だったのだろう。
選手も韓国の方が一枚も二枚も上だと認めてました。
韓国はプロで日本は完全な企業選手
それは勝てる要素はないよね
日本人のこういうところ好き。シュールに相手を認めるって簡単そうで、簡単じゃないんですよね。
今じゃ日本を意識してるのは韓国で、日本は全く意識してない。
あの日、満員の国立で見てました。木村和司のFKには感動しました👍でも、攻めが、、、あの時、ジョージ与那城もスタメンで,奥寺もドイツから呼び戻していたらどうだったろうか?あの試合の記憶が今でもあります🤔
木村上手いな〜
ワールドカップメキシコ大会予選での韓国戦は、サッカーの日本リーグのプロ化への道筋を作ったと言っても過言ではない❗️
冬の時代って言われてるけど昭和の日本サッカーも味があって面白いな
このサッカー冬の時代は日本自体はオイルショックのとき以外は希望あふれる、好景気の時代だったけど。もしかしたらこの時代の闇の部分はサッカー界が引き受けていたのかも。
@@杉田竜馬
アホが何か言ってるよ。
今日はWBCとかいう日本のマスコミとおバカな野球ファンだけが盛り上がってる大会の試合ですね。
ほんとに日本サッカー成長したなー
韓国がメキシコワールドカップ予選で、日本に対してした作戦は、10月15日、タジキスタンで行われたワールドカップカタール大会予選で、日本がタジキスタンを相手にした戦いかたに引き継がれている…
86年大会の韓国の成績
アルゼンチン 1-3で負け
ブルガリア 1-1の引き分け
イタリア 2-3で負け
3試合すべてでゴールを奪う・勝点1を獲得するなど健闘してたんだな
1994年のアメリカ大会でサウジが勝つまでアジア唯一の勝利国は北朝鮮だけだったという現実
韓国ですら98年まで1勝も出来なかった。
@@かんちゃん-r4e
韓国のW杯初勝利は2002年ですね。ポーランド戦
日本がワールドカップ初の勝点を取ったその日に韓国は初勝利を上げました。
この頃数少ないテレビ放映を観ながら、絶望的な差を感じていたっけ、、、ワールドカップなんて夢のまた夢だと思ってたな、、、それが今じゃ常連みたいになって。
レベル以前に枠数の少なさ
この時は東アジアで1枠だから厳しいはずだよ
日本は24の枠の時に出られなかったからね。
82年大会まではアジア・オセアニアで1枠でしたからね。その前はアジアにイスラエルがいたし。
当時、韓国サッカーの戦力は強大でした。ブンデスリーガー最高のゴールゲッターだった車範根(チャ·ボムグン)、アイントホーヘンのエース許丁茂(ホ·ジョンム)、ユベントスに入団することはできたが、軍隊のため入団が取り消された崔淳鎬(チェ·スンホ)など立派な選手が多かったです。本大会でもイタリアと前半まで1対1のスコアでした。
まさに!日本サッカーの夜明けはこの試合から……本当に良い時代になりもうした〜〜
1979年の日本開催のワールドユースのために育成された若手選手が、成長した。そして、それに悔しさを覚えた少し上の世代が奮起。競争が激化した。そして、史上最強の日本代表が出来上がった。1982年のワールドカップを捨ててまで1986年のワールドカップ出場に拘った。残念な結果に終わってしまったが、若手育成の大切さは学べた。育成に関してはここから様々な改革がなされ、その1期生達がマイアミの地で奇跡を起こすこととなる。
森孝慈とキム・ジョンナム(金正男、北朝鮮のあの方とは関係ない)とは、現役時代からの囲碁仲間だったらしい。
水沼さんと木村さんとの連携の重要性を気づいて、ワールドカップの予選では韓国代表チームが2人を上手く絶つことができたのかな、と改めて分かりました。
当時は知らなかったけど、韓国はプロリーグが既に存在してたり、ヨーロッパで活躍している選手がいたり、日本より10年先を行ってたんだな。
1984年9月30日の日韓定期戦の次に日本が韓国に勝ったのが四半世紀前の一昨日でした。ニッポン放送で解説していた水沼さんが2ゴール目を「右のゴールすみに叩き込みました」とコメントしていました。
この頃が一番よくサッカー見ていたな。
当時小学5年生でした、少年サッカーは「キャプテン翼」のおかげで凄く活性化して、この最終予選とももろ被りだったと思います、確かキャプ翼の小学生編が85年で終わりました、私たち少年もいつかサッカー選手になりたいと思っていましたが「プロ」というものを具体的にイメージすることなど皆無で、むしろ頂点は冬に行われる「高校サッカー選手権」でしたね、今はJリーグが完全に定着し、子供たちも大いに夢を広げることができるのが本当に嬉しく思いますね
アウェイで韓国に負けた後に森監督は、日本がW杯に出るにはプロ化するしかないとコメントしたんだよね?
どんな素晴らしいゴールがこれから生まれようとも、自分の中で木村和司のあのゴールを超えるものはないだろう
この時間は日本代表のユニフォーム同じとキャプテン翼のユニフォームです
ドーハだけいうけどこの時もあと一歩だったんだな
でも力の差は明らかだったけど
この頃から代表を応援していた狂会の方々って偉大。スタンドはがらがら、負けてばかり、Jができて韓国や中東と対等になれて狂会の方々は喜びも一塩ですよね。
8:06 1993年日本代表も、まさに都並さんが上がった後の左サイドが、最大の弱点でした
当時の日本代表は(個のレベルという観点において)若手育成が着実に進み、そこに読売の天才・戸塚、エース・与那城が加わり、まさに願っても叶わなかったドリームチームが完成してW杯最終予選を迎えました。
しかし、チームとして熟成しているとは言えず、韓国の前に2敗。
その4年後のW杯予選ではチームワーク不足から得点力不足を露呈してしまう。
エース水沼の活躍でホームの北朝鮮戦は逆転勝ちを収めるもインドネシアと香港相手に1勝3分と勝ち点を上積み仕切れず、最終戦の北朝鮮戦に0-2で敗れ一次予選敗退。
そこから3年後オフトを代表監督に召集しチーム力を高めて最終予選に臨むも、選手層の薄さが災いする。
都並の怪我により代役に抜擢された三浦泰は攻守のバランスを取りきれず、イラン戦では執拗に裏を取られてしまう。
そして3戦目にオフトジャパンのキーマンである高木が出場停止、また福田は最終予選では絶不調に陥ってしまう。
そこでオフトは個人戦術に方向転換せざるを得ず、前線に長谷川と中山を起用し、都並の代役を守備に長けていた勝矢にシフト。
その結果が土壇場での敗退。
昨今の代表でも個の力が度々フォーカスされるが、やはり日本代表の生きる道はチームワークなんだと、歴史を振り返るたびに思います。
確かに攻撃面では,木村,水沼,原,戸塚と当時のドリームチームでした。この試合,出場停止の柱谷兄も加えて。守備的MFに奥寺と風間がいたら完璧かな。あとは,代表引退していた金田も。
木村と戸塚のコンビがもう少し機能していたら,得点力もアップしたでしょうね。
この試合の戸塚の貢献は,木村のFKのお膳立てをしたことくらいですからね。
当時は東地区で1枠だけだったからな。でも、名勝負だね。
でも、当時の東アジアは韓国の完全1強だったからね。東アジア1枠は当然だった。この後に出場したワールドカップでも、結構、善戦したし。
そして、韓国はワールドカップを経験し、更に韓国1強に拍車がかかる形となる。やっぱりワールドカップで世界を経験すると目指すべき形が分かるのが大きいのだろう。ワールドカップに出場すれば、各大陸連盟の強豪を相手に最低でも3試合、ガチンコ勝負が出来るのが大きい。
実業団時代はほんと酷かったもんなぁ。
ボールキープできないからライン際の攻防はすぐタッチライン割っちゃう。
あまりにスローイングが多いから手でサッカーやれよと思った記憶。
この時代奥寺、木村、釜本いがい分かんない泣泣、、、
まあ奥寺も西ドイツに行っていて,今のメディアのように海外サッカーも報じられないから,知名度はいまいちだった。80年代前半~中盤は木村和司一強。加藤,戸塚,原あたりは野球少年だった私も知っていた。金田,風間,都並,水沼あたりも当時は知らなかったなあ。あくまでも私自身ですが。86年W杯後は,マラドーナ,ジーコ,ルンメニゲ,カレカ,リネカーは多くの人が知っていました。笑
この試合の前の時点で東アジア2チーム、西アジア2チームが決定していた。てことは計4チーム。今の制度ならワールドカップに出られていた。今のワールドカップのアジア枠、多過ぎです。
次の大会のアジア枠は8+1ですね。
あからさまに中国マネーを狙っています。
82年大会まではアジアは2枠で78年大会はアジアとオセアニアを合わせて1枠ですからね。
1:26コロナ禍の今のスタジアム?9:14加藤久は韓国語でも「加藤きゅう」
9:13
韓国選手が加藤久を「カトウキュウ」って言ってる。
taro jikken
この時代は韓国でも漢字が流用されてたから向こう読みしたんだろう
結局、釜本みたいな強力なストライカーがいなかったから韓国には太刀打ちできなかった時代だね
釜本がいた時は、韓国も2枚マークをつけたのは有名な話
3:16 韓国は1985年当時、プロサッカー スーパーリーグ成功を持って、アマチュア日本との地力差をハッキリ際立たせていました
ナレーションは、古谷徹?
U60代表サポです。
長年予選を観てきましたが、韓国を叩いての本大会出場でなければ私の中では出場権獲得とはいえません。
予選の組み分けで双方ポット1(シード)が続く限り実現しませんが‥
冥土の土産にしたいです(笑)
今大会から3グループ制になったのでより可能性が低くなってしまいましたね
初コメントします。
この時、残念ながら、日本より韓国が上だったのは、事実ですね。ですが上から目線になって、特に2点を先制した後での試合運びは、注意が必要だと思いますね。
サッカー⚽️はね。
ではでは。
日本は 1994年のアメリカ大会(ドーハの悲劇)以外にも1954年スイス大会 と1986年メキシコ大会も出場逃してるんだよね(他もあるかも)
オールドサッカーファンは韓国絡みの動画でもヘイトすくないから好感や
キャプテン翼のワールドユース編のユニフォームカッコイイな
奥寺に出てほしかった。ブレーメンが手離さなかったのだろうけど。
tomobeer
奥寺の本職は左サイドアタッカー。確かにワールドクラスの左サイドアタッカーだった。でもね、奥寺が出ても日本の右サイドを攻めれば奥寺を孤立させて日本に勝てるのよ。日本の右サイドに良い選手がいなかったから。今では考えられない事態だが。
サイ サイ 右サイド攻撃は奥寺が出ていたオリンピック予選とかで日本対策で使われたやつですかね。ただ、確かに本職はそうだろうけど、奥寺はブンデスでボランチや右サイドの経験もある選手だったからね。そこら辺を埋めていればねぇ。あ、あと、勝矢ももう少しちゃんと使っていたらチャンスがあったかも。
それをいうと当時の韓国はブンデスリーガでもトップクラスのFWだった車範根を呼べなかったからね。
この当時の日本リーグは日産(現•マリノス)、読売(現•ヴェルディ)の2チームとそれ以外では力の差が大き過ぎた。
唯一食いついていたのがヤマハ(現•ジュビロ)
なんなら大学の方が強かったからなあ
@@xxjuikl 日産、読売、ヤマハ以外は大学下手すりゃ高校の方が強かった
10:49 木村和司さん、伝説のFK‼️
都並のしゃべるときの、口の曲がった感じがいまとかわらねーなw
悔しいけど、この当時はすでに韓国はプロサッカーでしたね!
すでに35年前のことイネヨ🧐 小学生の頃に記憶する1986年のメキシコW杯アジア最終予選で韓国が日本に勝ち、1954年にスイスのワールドカップ以来、32年ぶりにワールドカップ出場を成し遂げた感激が昨日のことのように生き生きと感じられます🥰 今では、日本と韓国のW杯本大会進出が当たり前に感じられるかもしれません、それは様々な困難に打ち勝ってワールドカップに出場した感激に加え、ヨーロッパと南米の国々との試合を通じて、国際サッカー大会の高い障壁を感じ、様々な試行錯誤を 重ねたので2002年ワールドカップ共同開催と着実に成果を上げることができる貴重な基礎にドゥェトダゴと思います🤔 今、日本と韓国は、アジアを越えて世界最高の水準に近づけるよう、常に最善を尽くしております😍
1980年当時既に川淵のオッチャンはサッカー界を牛耳っていたのか。まさにサッカー界の皇帝だな。
たしか古河電工の子会社でサラリーマンやっていたのを代表強化のために協会が呼び戻したはず
まあ日本代表として1964年の東京オリンピックに出場して,アルゼンチン戦でシュートを決めていますからね。選手としてもある意味伝説です。
このときの韓国の戦術、良く考えるとエドワード黒太子や織田信長と同じ「モードアングレ」なんだよね。もっともイングランドフットボール界が長年得意として来た「キックアンドラッシュ」こそエドワード黒太子以来の伝統ではあるけど。
기무라 선수 프리킥이 1984년 한일정기전에서는 더 멋지게 잘 들어갔네요. 역시 일본 프리킥골 역사상 베스트 중 하나라고 해도 과언이 아닙니다.
저는 일본인입니다. 제 꿈은 일본과 대한민국이 월드컵 결승전에서 맞붙는 것입니다. 어느 쪽이든, 그것은 일어날 것입니다.
@@kazurainbow5670可能性が薄く見えますが、夢はできるだけ大きく持つほど良いと思います🙃
消極的な動きをすれば
何時かは狙われるよ。
どんな🌍️デモネ…。
🇷🇺大会からは
各ポジションの
選手たちが代表チームを
普段のCLUBチームだと思い
ちゃんと失敗を恐れずに
自信を持って
プレーしていました。
今思えば🇲🇽大会~🇧🇷大会迄、
応援する側もそんな
目で視て応援出来ていれば…
何処まで行けたかな~と、
思いました。
其れでも🌍️Rank15位の
levelにまで上り誇りに
想います。
此れからも変わらない
姿勢を継続して
愉しく真剣な職人に
成って活き続けて下さい。😊
한국이랑 일본은 항상 라이벌전 이라
살벌했지 그런데 일본도 많이 발전해서
결국 지금은 16강에도 가고 한국을 추월하는 현재로서 상황이 역전된듯
저당시 일본은 사회인이 주축이된 아마추어 팀이었음. 그에 반해 한국은 프로. 그런데 압도하지 못했음. 당시에도...
이미 일본에 추월당할 조짐이 저때부터 보였던것은 아닌지 생각해봐야 됨.
加藤久さんのこと韓国人FWが「かとキュー」って呼んでいることに驚いた。
キムジョンナム監督は優秀ですな。
完全な作戦負け、だが日本はドーハより勢いあったんじゃないか?
4:05
都並若すぎw
12:22この時飛び込んだディフェンス誰だよ。本当にまずい守備。
当時、外人用ストッパーと言われた越田です
確かに韓国の作戦が的中したのはあるけどそれも個の実力が韓国の方が上回ってたからであって仮に日本が先制しても逆転されてたと思う
この試合で韓国との差を痛感し、韓国のように国内リーグの改革を行うことになる。手始めに、各チームにプロ契約を認めた。それにより、読売クラブ、日産自動車がほぼプロサッカークラブになり、人気チームへと変貌を遂げた。
しかし、この2チームが圧倒的な強さになり、この2チームに所属している選手ばかりがレベルアップすることになる。これではマズいと全体的なプロ化を決断した。
何かタイと状況が似ているね。タイもアジアカップ2004で日本にコテンパン負け、日本のようにアジアトップレベルにまで行くには国内リーグをきちんとしたもの(当時タイにはプロリーグはあったが、資金が足りずにプロリーグと呼べるものではなかった。そのため、AFCから運営面に問題のあるリーグだと言われていた。)にする必要があると痛感したらしい。そしてお金持ちに頭を下げてスポンサーになってもらった。それが最近形になり始め、タイは強くなってきている。
日産が好きで読売が嫌いだった私にとっては木村和司さんはヒーローです。
ドーハにも出てワールドカップに行って欲しかったです。
それでも読売クラブの都並や松木は高校の部活に所属せずにクラブで活動していたから.....
すでに社員クラブではなく今のJリーグの体制になっていたのだから進んでいたのだと思う
私は、逆で、読売クが好きで、リーグでは、敵という感じだったけど、日本代表になったら、和司さんも水沼さんも応援してたし、和司さんは、リスペクトしてました。
@@ronniescot1649 おっしゃる通りです!
戸塚さんもそうですし、その後、ジョージさんが、日本人に帰化して日本代表に選ばれた時も本当にうれしかったです。
これが、この時の日本の限界。
プロ化もしていたけど、この時は韓国もまだ民主化されていなかったから日本に負ける事など絶対に許されない時代だった
7:07 何事もためらうからつけこまれるんだな。
キャプテン翼ブームで観客増えなかったのかな?
キャプテン翼、自分にサッカー選手になる事を諦めさせた漫画。
1985년 10월26일 일본 도오쿄 국립경기장
1986년 월드컵 아시아 최종예선전
정용환의 선취점 1:0리드
최순호의 추가골 2:0리드
곧바로 일본 기무라의 골 2:1
결국 한국이 일본을 2:1로 물리치고
11월3일 잠실 올림픽 주경기장에서 일본에 1:0승
한국 1954년 스위스 월드컵이후 32년만에 1986년 멕시코 월드컵출전 ..
あらー
きちょうなn映像ですね
日韓定期戦ね。この日韓定期戦が馴れ合いの試合になっていたのでは。
5:59 김정남 감독 interview
油断させて弱いと見せかけてか
한국🥰
日本より10年早くプロできてたのか
日本は韓国の監督の作戦にはまっただけ。この時の韓国代表は久々のワールドカップ出場を1986年に定め、前々から緻密に強化策を練り上げた結果、強くなったチーム。多額の強化費を投下しただけあって、韓国内では史上最強との呼び声が高かった。日本と同じく1970年代は冬の時代を迎えたが、それに終止符を打つべく若手時代から鍛え上げられていた。当時の日本が敵う相手ではなかった。
ちなみに、ここでワールドカップ出場による強化に味をしめた韓国代表は、次の世代も徹底的に育成。次は多少谷間の世代になってしまったが、その次はかなり良く、1994年のワールドカップでスペイン、ボリビア、ドイツを相手に善戦する黄金世代が来た。
ナレーションはアムロ・レイか
ナレーター古谷さん
まさか3年後にこうなるなんて思って無かったろうなぁw
生まれてないよー
日韓定期って、昔から争いなの?なぜ定期って政治も絡んでるのかよ、反日とか。メキシコ杯予選は6万人は超満員だね、すごい
日本の序盤での攻勢は韓国にボールを持たされていただけ。韓国はスカウティングの内容のすり合わせを試合の序盤でしていた。その整合が取れたと判断して一気に逆襲に出てきた。そして当初の目論見通り「都並が上がった裏のスペースを突け、そうすれば日本のディフェンスラインは糸が解れるように簡単に崩れる。」その思惑通り都並が攻めあがった裏のスペースを突かれてあっという間の2失点となった。日本の得点は左サイドバックの都並の攻撃参加が起点になってることが多い。しかし当時の日本は都並が攻めあがった後の裏のスパースをどう埋めるかというような基本的なことがまるで出来ていない組織としてどう戦うかという概念がまるでない幼稚なチームだった。正直言って負けて当然のチームだった。1点差の敗戦で済んだのも韓国が慎重な試合運びに終始していたからだった。そして翌年20年ぶりに来日したかつての日本サッカーの恩師のクラマーさんは日本リーグの試合を数試合視察した後に「なぜこんなに基本が出来ていないチームばかりなんだ!!」とかつての教え子たちに対して声を荒げたというし、その数年後代表監督に就任したオフト監督(当時)は代表合宿でヨーロッパなら少年サッカーレベルでやるような練習メニューを選手達に課していた。選手たちはそれに対し憤りをみせたがきちんと基本戦術を理解していたのは森保だけだったという。代表選手でさえそんなレベルだから他は推して知るべしだった。しかし逆に言えば基本的なことがろくに出来てなくてもワールドカップやオリンピックであと一歩まで行けたということもあったことは事実であり、問題はいろいろと抱えているが日本サッカーのポテンシャルの高さを評価する外国人の指導者や選手がそれなりにいたのも事実。ジーコなんかもその一人だった。
韓国は先にプロリーグができてたのか
田嶋、森保がのうのうと居座る限り日本サッカーがこの時代に逆戻りしかねないと思うのは私だけだろうか。
ないないぞ
@@oresamakatigumi
今回は出場権を確保したけど出場できるかどうか紙一重だったし、アウェイ戦の地上波放送もなくなったし。もし今回本大会出場を逃し、なお田嶋森保体制が続いていたらと思うとこの時期に逆戻りしていてもおかしくなかったと思うのは私だけだろうか。
@@杉田竜馬 地上波は高騰で買えなくなるのは必然 あとそれは杞憂
ドイツ・スペインを撃破してグループリーグ1位で決勝トーナメント進出!!
戻るどころかワールドカップの出場枠が広がり、最早出る出ないの問題になることは当分なさそうかと。
世界との差を縮める部分で問題があるのかもしれません。
客席でタバコ・・・
Korea 🇰🇷 victory ✌
松木がいた
初戦のホームの1失点目だね。それがなければ勝っていたかもね。
同点に追いついたわけでもない1点返しただけで大喜びしちゃうのがこの時の実力差を物語ってる。
降谷零
ナレーション アムロ徹
1인당 국민소득 5천달러대 2만달러의 대결이었다
한국은 프로, 일본은 사회인 아마추어. 그런데 한국이 압도하지 못했다는건 무엇을 의미하는걸까.
일본이 각잡고 j리그 출범시키니까 지금은 일본에게 밀리잖아. 애초에 일본에게 역전당할 수밖에 없었던거야.
若い人は知らないかもしれないけど、このころの日本サッカーなんてアジアでもお荷物だったのよ。
お荷物は言い過ぎだな
これだって北朝鮮、香港とのホームアンドアウェーに勝って最終韓国戦にきたわけだから
ヤムチャ
いやあ、昔の日本代表は、今の高校代表とやっても負けると思う。それくらい基礎ができていない。