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建築家は芸術家である前に技術者でなければならない。エンジニアでない建築家はペテンだ。
仰る通りだと思います。技術や知識、経験があるのは当然。素材の性質や自然現象について、教科書暗記しているレベルではなく感覚レベルで理解していることは、第一線で活躍する建築家である以上、当然の前提ということで、動画内で言及しませんでしたがやはりすべきだったかもしれません。
@@Yoshiyuki-Y そもそも建築物は人の命、安全、健康、生活、財産を守るためにあります。それが「砂上の楼閣」「子供のお絵描き」であっていい筈がありません。したがってその設計は建築士という技術者のみに許され、かつ全ての責任を負わなければなりません。もちろん意匠・芸術といえども最低限これらを踏まえた上でのものであるべきですが、そこに疑念を生じさせるのでは本末転倒です。
まったくもって、仰る通りかと存じます。そういうことができた上で、と言っても、意匠や哲学に重きを置いていない実務家的建築士であっても、完璧にやるのは並大抵のことではありませんので、少なくともそうあらんと努力しているその上で、それ以上のなにかを実現せんとしてこそなのだろうと思います。
現状で「建築家」の顧客は富裕層か公共事業に限られてるのでは?一般庶民が注文住宅を購入するのは困難、メーカー製の出来合いから選択する程度集合住宅でもデザインや素材にこだわっていれば当然高額になります日本での建築家はビルダーでなくアーティストの位置付けだと思いますアーティストが作品を作り、発信したいなら自腹を切るかスポンサーに頼る必要があります半年間で解体撤去が前提の万博をアーティストの登竜門にするのを否定はしませんが、公金によるイベントでSDGs、省エネなどを掲げてる以上は素人目で無駄使いと批判される作品を提案するのは間違いだと思います
材質の特性見てないからね何度かデザイナーに関わったが、一人以外まともな完成図面が書けない絵はキレイだったけど
10年も経たずに腐ってゆく建物なんて詐欺だろ!
福島県玉川村に先月オープンした隈研吾氏デザイン「乙な駅」に行ってきました。レストランへ降りて行く階段の手摺が径3ミリの鋼ワイヤーてす。年寄りや足の不自由な手摺が必要な人には使えません! 奇をてらう が デザインではない❢
コメントありがとうございます。こうした声が、責任ある人たちに届くことを願います。
もう建築家以前に人としての問題とも思えてくるデザインや見栄えばかり考えていると、手すりの役割すら無視できてしまうんだろうな自分が手足不自由になってから気づくのかな…
@@seawin2593 人としての問題は失礼すぎるだろ 問題になってるけど手を抜いてるわけじゃない
隈研吾氏デザイン「乙な駅」に向かわせたのが、賛否両論含め、隈研吾さんのアート(もはや建築というよりアート)なのかな。そのアート建築を選んだのは、その企業や自治体です。その贅沢さを享受できることを賛否両論で楽しんでいいのかもと。わたしも皆様のメッセージを読んで楽しんです(^^)湧口さんは俯瞰しつつ本気でサステナブルを提案している方です。ただ、木造建築の日本で、何世代までどうやって続けたいと思っているかは知りたいところです。ベースは、本気で取り組んでいる様々な意見を聞くことで、きっと人生は楽しくなると思います。
隈研吾氏の建築に関して動画ありがとうございます。私自身米国にて45年以上建築意匠での実践実務に従事して来ました。彼自身の設計者倫理に疑問を抱いて来ました〜意匠重視で本来の機能性やメインテの機能性などが無視しされて来ました。防腐剤の性能が良くなかったとか、メインテは施主の問題とか等々、本来我々設計者としてのプロ意識に欠けるものです。彼自身が著名であるから、特に日本では問題提議しない風潮ですが、その点敢えて取り上げていただきありがとうございます。
コメントありがとうございます。私は最近、遠慮忖度や「問題提議しない風潮」ではなく、そもそも問題があると感じていない、のではないかと思い始めています。一般の人はそうであっても当然ですが、木の活用だの木造建築だのという話を世の中の「上の方」でしている先生たちが、、、
立憲もさぁ万博批判もいいけど、じゃ"税金チューチュー"隈研吾の新兵庫県庁計画もとめろよ…
隈研吾だけはやめとけ。
建築家を先生と呼ぶのを辞めませんか。これは問題の本質の一部だとも思っています。
お気持ち、だけでなく問題の本質の一部、ということも理解いたします。私自身、悩みながら、人の仕事や作品への批判にもなってしまう情報発信をはじめてみて、仲間内で話すように話して良いものか、いくらか慎重にするべきか、敬称もそのひとつですが悩ましく思いながら話しています。その上で、個人的に本当にお世話になったり、それだけでなく尊敬もしている自分にとっての「先生」がいて、また実際にお会いしたことがない人でも、この人はすごい!と感銘を受けた人もいます。一方で、いま自分に見えている範囲においてですが、現時点で到底「先生」などと呼びたくない人もいるわけですが、そういう方でも別の作品を見るとまた評価が変わったりしないとも限りません。そうしたことから、一律で「先生」と呼ぶことにした次第です。ですが、改めて、難しいですね。同年代や後輩の、まだまだこれからという自称建築家もいるわけですし。このことについては、これからも考えて参ります。
安藤忠雄は無名の頃は設計料無料でやってました。コンクリート打ちっ放しで大開口窓のワンルームみたいな住宅は夏はサウナ、冬は冷凍庫でカビや結露だらけで本当に体調おかしくなってクレームだらけだからです、そこそこ売れてきたら成金社長みたいな連中が顧客になりましたが、やはり住めたモノではないので近くに普通のマンション買ってパーティールームにしたり、直ぐに売りに出したりばっかりだったらしいです。僕は某建築家事務所で働いてましたが、清濁合わせたような意味合いで安藤くんの建築は物凄い建築だって語ってました。まぁ建築家とはいったい何者なんでしょうね。
それをこうして、一緒に考えていけることが嬉しいです。
ちなみに、オリンピックの国際競技場で巨大なカブトガニみたいなザハのデザインを猛プッシュしたのも安藤忠雄でして、コレに猛反発したのが代官山ヒルサイドテラスなどを手掛けた槙文彦であります。結果的にやはり大衆はあのようなゲテモノを嫌い隈さんの割り切りデザインで落ち着きました。コレで良く分かったのは普通の人はやはりSF映画みたいな極端なデザインなどは求めておらず常識的でリーズナブルでメンテナンスフリーみたいな建築を希望するという当たり前の事実でありました。
安藤は隈以上の・・・です。打ち放しRCやってる時点でアウト。安藤を建築家と呼ばないで、ただのデザイナーさんです
奈良の寺社から何も学ばない現代の建築家、、わずか20年で朽ちたって何なの。
奈良の寺社から学んでいないどころか、崖から落ちたら怪我をする、レベルの当たり前の道理さえ無視したものさえ罷り通っている現状に問題意識を持っています
自称建築家の[お絵描き]を物理的・法規的に成立させているのは構造設計の人々。日本の法規に適合した建築物として成立させるために場合によっては新しい技術・工法の開発を予算と納期に追われてブラック労働をやらざるを得なくなる(某競技場などの建設費が高騰した一因でもあります)。某ゼネコンで構造設計やってたときに隈研吾の物件の担当したときの経験からくる実感でした。
コメントありがとうございます。関わってこられたお仕事で、技術者として「お絵描き」を支える甲斐があると感じられたものはどの程度ありましたでしょうか?
@Yoshiyuki-Y 返信書いていただきありがとうございます。設計デザインや設計意図がなんであれ、自身の感想や好嫌の是非はともかく建築物として使用に耐えうるものを全力で取組ます。安全性に関わる事なので手抜きなんてできません。ご質問の回答になっているかわかりませんが、構造設計は建築家や意匠設計と違い注目(メディア露出)される事はほとんどありません。個別のプロジェクトとは無関係に人々の暮らしを支える[縁の下の力持ち]を自負し仕事をしておりました。姉歯及び同類銭ゲバ以外の構造設計に携わっている人々は同じような誇りを持って仕事されていると思います。
ありがとうございます。意匠設計に強みがある、自分の思想哲学に価値がある、と主張する者は、プロジェクトに関わる施主や建物等の使用者はもちろん、一緒に取り組む技術者や施工者にも、価値があると認められるようでなければと思います。
「東大寺」なり、法隆寺なり此処を残して行こう。残さねばならない。そんな建築物なら、人は文句は言わない。進んで寄付するし、補修もされよう。隈健吾の作品、人が使いやすいか?未来も使い続けていきたいか?建築家の「夢」が「エゴ」であってはならないと思う。
建築家に限らず素材を知らずにモノを作るいわゆるデザイナーという肩書きの人達が大勢います。特にグラフィック分野でちょっと名が売れて片手間でプロダクトデザインをするような輩は困り物です。木材加工の技術が進歩して意図した形をほとんど実現できるようになったのは良いが木材の特性を無視したような造りが散見されモヤモヤした気持ちになります。
まったくもって、同感です。
建築についての率直なお話をありがとうございます。私は電子制御のエンジニアですが、スタートアップでの製品・サービス開発と立ち上げも手がけましたので、「制作者・開発者としての満足」よりも「お客様の満足と納得、ベネフィット」が絶対的に優先だと思っており、それだけに先生のご意見には大いに賛同しました。建築の世界にもこういった課題があることを知ったのは大きな収穫でした。同様の話は工業製品の世界にも大いに存在します。私もそんな世界の中で、少しでも世の中の役に立つ製品とサービスを如何に形にするか、更に悩んでいこうと思います。
ありがとうございます。いただいたお言葉に、とても勇気づけられました。
隈研吾氏の手がけた鍋島松濤公園のトイレを見た時、霊園墓地の塔婆のようだと思いました。観光寺院では石仏に小さな経木を奉納する風景が見られますが、あの対比の方が美しく思えました。
私は建築科について、全然わかりません。でも隈先生の国立競技場😊草が所々でていてみすぼらしくてどこがよいのかわかりません。絵画館の方が素敵。万博は見に行く予定はありませんが。あの丸円形はどうなるのかな?
独自の哲学を持って、作品を制作するというのはファッションデザイナーも同じだと思うけれど、その作品を受け入れて、身に着けるのは個人の判断。だから尖がったコンセプトでもきちんとその価値がある。でも建築家が手がける公共物は、さまざまな価値観や身体的特性を持つ人々が利用「せざるを得ない」ものですから、利用者全員に最低限の納得感を提供しなければいけないのだと思います。個人宅ならお好きにどうぞ、なんですけれど。
仰る通りかと。公共事業における建物、道路、広場や公園など、ハードウエアが人々の暮らしに及ぼす影響は甚大で、多くの場合そのことは過小評価されているのではないかと思っています。あまりにも無関心で、たまに関心を集めて批判されるとすればお金がかかりすぎ、くらいの言葉しか出ないようではまずいのではないかと。
今回も有意義でした。ありがとうございます♪建築家さんだけの事ではなくてその場に関わるいろいろな人達がそれぞれの見識を交換しながらその場を作っていけたら楽しいし、活きた場になりますね。ただ、今ってそういうやり取りがめんどくさいと言う流れが大勢を占めてるようにみえますね。僕は、建築家からは程遠いところにいる街歩きが好きなおじさんですが、動線とか景観とかみんなの想いとかそんなモノたちを感じながら歩き回ってます。これからも沢山教えてくださいませね。😊
こちらこそありがとうございます。そう、めんどうくさいことを省いて、スマートにお金を稼いで、それが子供の頃にこうありたいと願った自分の姿なのかどうなのか、なにか良いことがあるのでしょうかしらと思います。
群馬・富岡市庁舎の件、軒先水切の唐草が短いから横殴りの雨で木口断面が剥き出しの野路板の合板に毛細管現象で吸水してる。伝統的な木造のディティールなら広小舞で野地板の木口断面を守る納まりにするし、垂木の木口断面も鼻隠しで守るようにする。そういう長年の歴史に研鑽されて機能が裏打ちされた納まりを無視してヘンテコな納まりにしているが、そもそも知識や知恵のない者がそれを無視して思い上がりが過ぎる。結局は無能なのに自分が万能と勘違いしてるから、伝統的な納まりを無視して腐食促進するような稚拙な設計に躊躇しない。これだけ素人以下で木造の知識が無い者を木を使った建築の第一人者みたいな扱いでメディアがもてはやすのは社会悪でしかない。こんな無能に税金を預けている事を国民は怒らなければならない。
政治家のレベルが国民のレベル、と言われることがありますが、建築などあらゆることにそれは言えるのではないかと思っています。料理もファッションも世界的に見てレベルが高い。アニメや漫画は言うに及ばず。ではなぜ、国が予算をつけて振興してきた木のことは、これほどまでに地盤沈下しているのだろうかと思うのであります。
@@Yoshiyuki-Y建築設計は一生勉強しても終わらないほどの膨大な知識量が本来は必要な仕事と思います。ですが、その知識は奇抜な意匠性に対するブレーキとして働き、遊び心のないデザインへ収束して行く事になり、むしろ建築知識ある方が真実が見えるので不合理なものに対する罪悪感が生まれてクリエイティブな仕事に向かない人間になって行きます。そこで隈研吾のような考えが浅い表面的な見える部分しか理解できない人間が重宝されていると思っています。結局はクライアント側もある程度の知識が必要で、見抜く目を養っていなければ己の器以上のものは手に入らない事になります。意匠性、機能性、安全性あらゆる要素をバランスさせる事ができる者が最強です。隈研吾は疑うことを知らない人間なのか、考えがあまりに浅すぎて結果的に無責任な人間と評されます。こうなる事は何年も前から分かりきっていた事です。CLTの万博リングなんて危険すぎて残せるはずはありません。まともな知識ある人間なら議論の余地すら無いです。
自分は自動車が専門で建築はDIYレベルですが、デザインを重視して機能性だったり、耐久性や整備性を無視したような建築よりも、その土地の人々の暮らしに基づいた、使いやすい建築のほうが好きですね。ほったらかしていても、その土地の気候にあっているから、ずっと存在し続けられるような建築。車で言うとデザイン的にはアウディが一番好きなんですが、整備性が非常に悪いので嫌いです。ちょっとした部品を交換するためにエンジンを降ろさなきゃいけないとか。金持ちになって、整備を他人に丸投げできるようになるまではあんまり乗りたいとは思えません。設計した人が、整備士の立場になって考えられないんだなあと思ってしまうと、いくらデザインが良くてもその車に失望してしまう。
コメントありがとうございます。私は車は自分でいじれませんが、車の話も大好きです。アウディのデザインが好きだけれども整備性が、でも整備性のネガを乗り越えるだけの魅力がちゃんとあって、でも失望する部分もあって、という愛憎ないまぜ感は、ハマると離れられなくなるのかもしれませんね。建築でもそうですが、ある面から見ての不合理はあってもいいと思うのですが、そのネガを上回る魅力やメリットがどこかしらにあり、それにユーザーが、建築の場合であれば個人ばかりでなく社会が、ハマって離れられなくなるようなものであったらと思います。
施主も有名建築家を有難がるんじゃなく、よく検討して注文付ける所は付けないと外装に木材使われてボロボロになってから慌てる。税金使うなら尚更。国立競技場、何年持つのかな?
今までいちばん感銘を受けたのはパリの新凱旋門です 夜の10時過ぎに訪れたので誰もおらず建築を満喫しました 真下に立つと建物が少し漏斗状になっていてビル風が背後から吹いていました 振り向くとパリの市街地のネオンと熱気が目に飛び込み前を向くと開発予定の土地の暗がりが広がっていました そのとき「この建物は旧市街地の熱気を新しい地へと流す気の入口の役割を持っている」と感じました 日本の建築であれだけの思想性と主張を持つ建築物を見たことはありません 日本の建築思想は具現化においてまだ練り込みが足りないと思います
お言葉ありがとうございます! それだよそれ!そういうのだよ!!!と思いました!
素人でよく分からないんですが、建築家ってのは建築の強度とか耐久性みたいな事も計算して設計してるのでしょうか?デザインだけ投げて後は建築会社に投げて終わりでしょうか?
人によって、カバーしている範囲は様々です。お医者さんでも、人体のこと全てを探究しようとする人がいたり、さらには病院や医療システムを成立させる社会の仕組み全体をも視野に入れて取り組む(政治や経営も範囲に入ってくる)人がいますし、外科や内科など専門に分かれて限られた範囲以外はあまり知らないという人もいるのだろうと思いますが、建築家、と名乗る人々も様々です。もちろん、強度や耐久性、デザイン、その他、総合的に高いレベルを目指している人が多いとは思います。その上で、構造設計や設備設計を専門に担当する建築士や事務所もあります。
隈研吾は建築家ではありません。
團伊玖磨さんの「パイプのけむり」の中で、海岸に面した崖に自宅を建てる話がありました。團伊玖磨さんは、その当時の土木、建築技術を礼賛し私も同じ気分の時代でした。このチャンネルを聞いているうちに、團さんのお父さんは伊玖磨さんだろうと直感しました。
そうですね、海沿いの崖の上。
建築当時も木材の防腐剤として「越井プレザービング」の防腐剤加圧注入という工法が有りましたし利用も可能でした。しかし防腐効果が強力で木材が腐りにくい分だけ相反して薬剤的に強く、土中埋設しても10年以上も腐らない程でした。その防腐木材を屋根装飾材に利用すれば、木材表面の焼けは有っても木材は腐っていなかったと思います。(シックハウスという概念が少しづつ浸透し始めた当時の時代です。)その為、当時なるべくケミカル的ではなく自然に近い素材で(今でいうエコ的発想で)木材の防腐加工が無いか?と試行錯誤していた過渡期の時代です。現在の農業でいえば虫のつかない強力な農薬(毒性薬物)ではなく、木酢液や柿渋を農薬の代わりに利用する発想と同じ考えでの事です。公共建築と農業は違うとはいえ、現在その試行錯誤する事を悪く言う人は少ないのではと思いますが。。。当時も有った腐らない強い防腐薬剤(当時の許可薬剤では有りますが)を経済合理性の優先だから何も考えず使え!!というのと同じ事に成るので。。。結果として自然に近いエコな薬剤を採用して防腐効力が減退し、20年弱で劣化したことは非常に残念だしメンテコストが掛かる事に違いは無いのですが、、、。その当時に現在のエコ的な価値観でより安全な木材防腐を目指し、実験しながら試行錯誤をしていた事を、結果だけ見て否定だけするのは簡単な事かも知れないですね。。。??
詳しい情報、ありがとうございます!
試行錯誤を税金でやるのはやめてほしいですね。あ、国の研究所とかでやるのは別にいいんですが、実際の公共施設建築でやるのは・・・ということね。 それをやるなら、私は「何様だよ?傲慢な奴」と思っちゃいますね。
現地の美術館のチャンネルから参りました。傷みがいいあんばいに京町家のような寂が出てます。ならば最初から黒防食仕上げで良かったのではと感じました。隈博士のお好みが素木ならアウトです。近所の大工さんに頼んで少しずつ端から交換メンテナンスすればいいと思います。
雪国の公共施設の維持管理をしたことがある、落雪を考慮しないアホな設計のために追加設備が必要になったり、デザイン偏重なため後々の維持管理費が増えたり、凝った建物は碌なことがない自分の経験から構造屋は信用するが建築家は信用しない、それだけです
コメントありがとうございます。そのていたらくでなぜ次の仕事が来るのでしょうか、、、なぜ多くの人や自治体が、そう言う人に仕事を頼むのか、全く理解ができません。
雪国と言っても海沿いから山寄りまであり雪の降り方もさまざまです発注組織は大体が海よりの都市にあって大して降らない地域で仕事をしており本当の雪の降り方を知りません情報交換の仕組みも不十分なため出来てみたらあららとなります以前に比べて最近の建物は良くはなっていますが一度建てると40〜50年は保ちますから不出来な施設は罪深いですね
建築家には、見る力、聴く力、知る力、が必要とされますね。たとえば中古家購入などで、湿気が多くてすぐカビだらけになる土地と知らずに買ってしまったり、そういう経験をしていれば、土地を見る目、シビアさが増して、そういう経験をしていない人としている人とでは、同じ時間、現場実見を行っても成果が全然異なりますよね。土地を見る専門家であるはずの建築家、ですが、その目の多くが節穴ではないと自信をもって言えないのだから残念です。土地の見方については大事なことなので、大学の建築学科に期待するよりも、中学校あたりで全員必修にしても良いかもと思いました。
ムリムリに設計された建築の配管は嫌なもんです。必ず酷い足場掛けがあって鳶さんらが泣いてました。わたしら設備がたは負傷が怖くてみんな萎縮してました。ミケランジェロやシナンの建て方らもそうだったんなと思って、建築監督さんらと心を合わせて労災ゼロで頑張りました。ソ連のフルシチョフアパートみたいな建屋の冷暖房衛生配管ならいいなって、ほかの職人らと一服の時にいつも話してました。
@@Yoshiyuki-Y さま:英国などでは、本人が選べば中学校2年生くらいから職業訓練がありますね。我が国や北米型の全人教育に由来する職場見学なんぞとは目指すところがぜんぜん違う。 ビートルズやブリティッシュロックを支えた人らは、ペンキ塗りや、石工など職業中学(高等小学校職業科)の出身ばかりです。ポールマッカトーニーの普通科だって珍しくて、大学進学した人は天才ブライアンメイくらい。
なぜに隈研吾さんが建築された建物に問題があるのか正しく正直に伝えて下さいな。応援してますね。
ありがとうございます。木はダメだ、と一般の方々に誤解されることのないよう、できることをしていきたいと思います。
1月前の隈研吾さんの美術館の動画の時にコメントした。建築金物工房のモノです。今回も良かったです。お話の途中で紹介された。万博のリングの対決も観ました。こちらも面白かった。書いてて思ったけど、リングって、格闘技でもリングですね。やはり、戦うべき話なのかも。ってそんな事はどうでもいいけど、私は山本理顕さん側ですね。あまりにも不透明で時代にそぐわない、古き土建屋的(同業者の一部と自覚しながらも)貧しい発想の政治の力でのみ動いているとしか思えません。今、日本がやるべき事とは到底思えません。 因みに、私はどんな現場でも建築家を先生なんて呼びません。バカにする時くらい。なんで、そんな慣習なのか理解不能です。なんか、その辺からおかしいんとちゃうと。大阪市民辞めた人間としても思います。
ありがとうございます。政治家も建築家も、トップのレベルにおいては、単なる実務家や技術者であるだけではまったく足りず、知識技術経験があった上で、発想力も人を動かす力も当然必要、その上で良識、そして覚悟、苦しい場面であっても自分や歴史やお天道様に恥じない選択ができる強さが必要ですよね。そのくらい責任が大きいので「先生」と呼ばれるに相応しくあれ、という思いを込められて、「先生」と呼ばれているのではいないでしょうか。
建築家・藤本壮介氏デザイン、飛騨高山の新設大学COIUの画像を見てきました。美しいすり鉢状の登れる丘になる大屋根。「オープンスペースと中庭のイメージ」ですが、冬の飛騨を考えると、冬はどう使うのだろうか? 一見すると、美しいが冬は使えないデッドスペースに見える。雪国で暮らすものからすれば、冬の姿を見せてほしい。なんて感じました。すり鉢状の登れる丘になる大屋根は、雪が積もれば、スキーやそり遊びが出来そうだが。屋根から落ちたら大変だなあ。
私も高山には年に何回も仕事で訪れておりますが、雪の期間がながいですよね。大学の建物は、きっと良いところもそうでもないことも、あるのだろうと思います。実際、どう評価できるものなのか、これから率直な意見や使用レポートが、これから建物をつくろうという人たちに届くようであればと願います。
政治家を喜ばせる派手な建築物は庶民にとっては税金の無駄遣いなので、建築家として成功するためには庶民から反感を買うようなこともあるでしょうね
建築家は、浮世の評価ばかりでなく、歴史の評価をもっと意識すべきなのかもしれませんね。
このTH-camで紹介されている、東さんをモデレーターとして藤本さんと山本さんの論議番組を拝聴しました。私は、なぜ、万博がアウトレットモールのような簡易な建物と広場で、各国のコンテンツ重視で実施されないのかが不思議でなりませんでした。紹介されている議論を拝聴して、今回の大阪万博では、例えば「建築」が万博のコンテンツとしてどうかかわるべきなのか、意思決定プロセスや負うべき責任関係について明示されずに進めてられてきたのではないか、と感じました。賛否両論の大阪万博ですが、万人がぼんやりと、何かがおかしいと思う背景には、それなりの理由があるのだな、と感じた次第です。
コメントありがとうございます。そうですね、志も、政治も、建築も、皆地盤沈下しているのかもしれません。
私が思うに、意思決定プロセスはそんなに簡単なことではないのが当たり前なのに、建築家は批判だけする。山本理顕さんにとっては自分のパトロン発注者が理想なんでしょうけど、あまりにも世間知らずです。
@@ggc03517 おっしゃることに同意します。ただ、私は大阪万博賛成の立場にあるので残念でした。私は建築の世界のことには素人なので、藤本さんの本心は計り知れませんが、討論内の発言は少し残念に感じました。藤本さんがあたかも組織の立場を代弁しているように聞こえ、プロとしての情熱や信念が伝わらなかったからです。そうした会社組織と同様に、原因が万博推進母体にあるのか、建築責任者の藤本さんにあるのかは不明ですが、万博にかける意義を伝えてほしかった。藤本さんが第三者を敵に回してでも大阪万博で成し遂げようとしていることを、もっと上手に伝えられたらよかったと思います。東さんは大阪万博反対の立場ですから、モデレーターとして助け舟を出すことはありませんでした。
コメントありがとうございます。私も万博の開催自体には反対ではなく、また、藤本先生が、「クライアント」から期待された役割を全うしていないとも思いません。ただ、もっと心底からワクワクする、自分が子供時代であったら是が非でも行ってみたい!と思えるようななにかがあればとは思いました。子供がそう感じるためには、大人たちが、心底から熱くなって取り組んでいてこそ、と思います。
クマ被害 拡大中自然にも人間にも 優しくナシ
建築家、建築デザイナーからのプランをどれだけ練って現場が動いてるのか気になります。注文住宅でない限り住宅はブロックの様に組み立てる設計プランがあるのではないかと思うのですが、特殊なデザインや施設を建設する時現場の人間はどう思うのかなと。こんな所にこんな部材を使って良いのかとか、ここの設計このままじゃすぐダメになるだろうとか現場の人もプロなので、違和感や疑問など持つ事もあるのではないかと思います。大切なのはその疑問や違和感をちゃんと伝えてからじゃないかな。相手が大御所だろうと金持ちだろうと、建てた後すぐにダメになるのでは部材となる木が可哀想です。理想を追った上で、しっかりしたものを造る。ものを作る人はどの職業もそうでなければいけないと思います。
簡単な事です。木材は、外部では、やがて腐ることは、子供でもわかります。原則、外部、雨がかかるところに、木を使ってはいけません😂伝統的な建築はそうならないようにちゃんとなっていますよ😂
でもその、簡単なこと、を理解していないのかもしれないところが、、、
木造の大規模建築って日本ではこれまでの建築の人が感じるものとは違うと思います。なぜなら誰もやったことがないからです。海外の事例しかなく、日本でそこを語れる建築家はいないと思います。そこを実現し、というか実現しようと一歩を踏み出した建築家としては評価されるべきだと思います。
我が国における大規模木造の世界を切り拓いてきた方々は、もちろん評価されるべきだと思います。「木造でできるのであれば木造で」と言った人ではなく、できなかったことをできるようにするために、地道に研究し、試行錯誤し、技術的法律的その他様々な壁を乗り越えてきた方々の努力は大変なものであったと思います。
大阪万博について開催はどっちでもいいんだけど、モニュメントと建屋の区別ついてない気がする。太陽の像で耐用年数がどうのうこうのいいだすのはつまらん。同じく円形の木造云々で耐用年数云々はつまらん議論に感じる。
特殊技能かつ需要の大きいコンテンツはこうなりがちな気もします。建築に芸術的な側面も大きいとすると、設計者のエゴが表出しやすいのかも知れないと思いましたね。建築に限らず、製作物に与える役割とその内容や、役割を果たせる機能を与えることが設計者の存在意義だと考えてます。
当然ですが建築家は自分の信じるものを具現化するのが仕事です。コスト、メンテナンス、寿命、省エネ、耐震性などの規制は国土交通省の役人のに任せればいいことでそれを無視する事建築家にしかできない通常では見ることのできないものを徹底してほしい。私たちの血税、税金を無駄にしないように頑張ってこれまでにみたことのない良いものを作ってほしい。
一ついえる事は…所さんの目がテンで何週も出てきた時に「しつこい」と、あの番組も見なくなった
正直な話、広重美術館とかあの規模の建物になってくるとエゴでも中二病でも出来上がったらそれだけで価値はでちゃいますよ前提として作る人たちがみんなプロの仕事してんですから当たり前です全盛期に行った人は満足できたでしょうし、別に二度三度行くような場所じゃなし、体験としては最高だったんじゃないですかね問題は、本当にそれで合意が取れていたのか、説明が十分だったのかって部分だけですよ木が朽ちない内だけの刹那的な体験です。公共建築なのに、その体験の継承は難しいかもしれません。それがいやなら毎年メンテナンスするか、ヤバくなった段階で大規模な工事が必要になり、どちらにせよ多額の税金使います。いいですか? って。それである程度住民と合意がとれてたなら何も言うことないですけど、絶対そうじゃなかったですよね。そんな面倒なことをやれる人が、あんなしょうもないデザインをするわけがない哲学だか中二病だかを表現したいという浅ましい欲求のままズルをして、悪くいうと騙して、それが今になって明るみに出ているから叩かれているこれじゃ「先生」どころか、気持ち良くなる為に自己を押さえられない露出狂と同じですよ
山本理顕さんもそこそこ酷い建築家だと思います。Twitterで論争しましたが、デベロッパーや役所をバカにして、建築家こそ偉いという立場でしか話をしようとしません。坂茂さんなども同様です。視野狭窄で世間知らず。それが建築家のイメージですね。いや、一緒に仕事してるからイメージではなく事実です。
ありがとうございます。動画内で私は山本先生のことを比較的ポジティブに話しておりますが、違った見方やエピソード、ご意見などを、率直にいただけることがとてもありがたいです。私自身も視野が広がります。
山本理顕さんと一緒に仕事をしているのですか?デベロッパー?下請け?役所?素晴らしい立場ですね
私はデベロッパーです。有名建築家とはいっぱい仕事してますけど、ムカつく連中ばかりですよ。本当は発注したくないけど上の命令で仕方がなく発注してフォローしてあげてます。他にもプリツカー賞建築家に会社から発注しているけど害悪でしかない。
@@ggc03517 なるほどです。ちなみに建築家が一番偉いと思ったのはどういうところですか?それから建築家が発注者になりますかね?
すみません。何を質問されているかよく理解できないです。私は建築家をディスってるので、建築家が偉いと思うところは皆無です。建築家が発注者になるのは自邸の設計だけでしょう。それも奥さんに怒られることがなければの事ですが。
絵空事を現実にしているかなりの数の人々の努力と尽力が裏であることを知って下さい。意匠構造設備実施設計者、施工図作成者、建築・設備施工者。
同じ思いです。
私欲的なんだよな。気を衒う事しかしないで。
私が一番胡散臭いと思っているのが、建築家・脳科学者・国際政治学者です。
講演会だと拍手しかされないが、youtubeだと批判も来て、「すごくTH-camって面白い」と言われたところで、笑いました。というのも工務店系のTH-camrさんで、(批判のコメントなんかを)そういうのは要らない、と言っていたからです。
ダメージはしっかり受けて傷つきますが、きっとリアルの場でも、正直わかりづらい、などと思っていても、周りのノリに合わせてくれていた人がいたのだろうなと反省した次第です。
ありがとうございます。少子高齢化で若さや青臭さや夢を全く感じない万博。ただ無事に終わって欲しいだけ、、、お金が動けばそれで良いのか?戦争でいのちが脅かされる世界情勢を踏まえ、万博の意義を深く議論をする必要があると思う。
目一杯の夢を描けて、はみ出してやらかすくらいにチャレンジして、戦争なんてなにやってんだとはっと気付かずにはいられないようなことをすることが、どう考えても一番楽しく、お得なんだと思うのですが、つまらないことをしてお金を手元に残して、それでなにをしたいのでしょうね。
@@Yoshiyuki-Y ご返信ありがとうございます。藤本壮介さんだけが悪いのではなく日本社会の問題だと思います。万博やIRの他に景気浮揚策が見つからない、、、やはり平和があってこその万博。
そうですね。そして景気浮揚を意図してなにかをしても、投資になる(みんなが本当に元気になれる)お金の使い方ができていなければ、結局は無駄なやりがいのない仕事やコストがかかり続ける「負債」になってしまうでしょうし、建築家やプロデューサー、頭になる人たちの責任は重大です。
@@Yoshiyuki-Y ご返信ありがとうございます。結局、経済規模が大きくなり過ぎて環境問題の本質を見失っていると思う。倒木問題のある今、都市林業は意外と本質を見ているかも、、、明治神宮でも日比谷公園でも新宿御苑でも浜離宮恩賜庭園でも、都市の木を活用して植林して循環させる事は良いと思いますね。
『建築家』と世間が言うからギクシャクするのであって、『建築デザイナー』と言えば良いのだよ。
クマ氏の話し中の画像で、この表情なら内面もよろしくない、と直感しました。ゆぐち先生は良い表情をされていますね、良い仕事をなさっていると感じました✨
あの万博の掘っ立て小屋は隙間だらけで冗談なんだろね?沖縄など訪れて考える事、人間の居住する建築物に限らず構築物は自然界のあらゆる状況を勘案しての対応と備えを考慮してこそ成立すると考えますし完成して終わりでなくメンテ迄計画に入れてこそ古来の歴史の中に存在し得るのではないでしょうか。
実物はどんななのか、確かめたい思いはあります。
メンテも何も万博会場は半年で解体して更地にするんだから関係ない
外壁に使う場合、樹脂を浸透させればいいんでないの?
役所に巻かれて金を方々にまき散らせる人が評価されるのはどこの業界でも同じですね
大きな流れはその通りですよね。でもそろそろ、そういう状況が変わる潮目に差し掛かっているのではないかと思うときが、ごくたまにではありますがあります。役所にも、どんな硬直した組織にも、好ましい自分でありたいともがいていたり、闘っている人がいたことで、私自身の取り組み(都市林業)は勇気づけられ、前進しました。
問題は建築家より発注者にあると思います。利用者の意見を的確に把握した発注者が建築家を活用すること、これで多くの人が納得することになる、そう思います。
詰まるところまで論じると、そうなりますよね
隈研吾の自宅はコンクリート建築だったと聞いてるが・・・・国立競技場や自治体の木造建築を作っては、あとは朽ちようが腐ろうがしたこっちゃないのは無責任。栃木の県北の自治体が懲りずに庁舎を隈研吾でやろうとしてますが、これな公金チューチュースキームの定番なのか。
個人的には「中途半端な(と言う事はつまり「批判に対する強度を持たないような」)デザイン・意匠」なら、箱を提供するだけにして、わざわざ”意匠”の設計などやらない方がマシ、だと思って設計しています。ところが建築(物)には、文化としての側面と、投機としての側面があるので、「投機的にok」なら「醜悪なタワマン」でも「とんでも意匠建築」でも有名化するし乱立もする。近似の問題として、建築物には(例えそれが個人の住宅であったとしても)、「施主にとって価値のある」フェーズと、「社会(空間)にとって価値のある」フェーズとがあって、昨今の問題は設計者の価値観が前者に偏り過ぎ・阿り過ぎた結果、「建築(ないし設計者)の社会性(社会という空間全体を見渡す能力)の欠如」の問題が大きいと思う。尚「社会という空間」はビジブルなものだけでなくインビジブルなもの(顕著には政治的潮流等)両方含むし、地球というスケールから地域というスケールまでの振れ幅がある、と思う。
コメントありがとうございます。いただいたお話、とても大事な議論だと思います。そしてそういう議論に、ごく一部の熱意ある建築関係者だけでなく、広くたくさんの人が、楽しく参加できるようになればと思います。
@@Yoshiyuki-Y 全く同感です。その意味で、湧口さんの理念・発信・活動大変意義深く思っていますし、建築は、衣・食と同レベルで人間が生きる上で必要とするものなので、一部マニアやエリートの占有課題にすべきではなく、広く民主化されるべきだと思っています、が、(ところが現実は。。。。)
@@tubesa6343 昔は民家と言えばだいたい同じような工法、意匠、素材で造るのが当たり前でした。山の上からこのような田んぼに囲まれた現存集落を見ると本当に美しくまさにのどかな日本の風景であります。また商人が変わったモノで一族の勢いを誇示したいとかの場合は数寄屋造りというのがありまして予算天井無しで面白いモノを画一的な町家の中にアクセントとして建てたりしました。こういった身の程を知った品格が元々の日本人にはありましたが、欧米型の個人主義が当たり前になるとやはりカオスな街並みになって差別化命みたいな奇橋なデザインが蔓延るようであります。
今回も楽しく拝見しました。山本さんと言えば、X上で見た、藤本氏を嘲笑うような投稿が非常に印象的でした。見るに堪えないと言いますか・・・。日本中の人が公に見れる場でそういった発言をしているのは、本質とは別のところで、大変なマイナスだなと感じました。少なくとも私みたいな素人からすると、近づきたくない人たち、という感想にしかなりません。
コメントありがとうございます。私もついこの間から、ようやっと建築の話を真正面からすることに踏み切りましたが、人の批判にならざるを得ない話をするのは難しいです。個人攻撃をしたいわけではなく、建築や都市づくりなどでは、まっとうな批評が効いていないと感じることが多く、これでは建築も街も良くならないという思いで、怖いと思いながらもはじめたわけですが、やはり私の発信も快く思わない人がいることと思います。自分の交友関係やメディアのなかだけでの内弁慶ではなく、動画の中で取り上げるどの建築家とも、リアルの場で自然体で話ができるよう、心がけていきたいと思います。
興味が無かったので、よく知らなかったが、大阪万博の巨大リング、いくつか画像見て来ました。これが未来へと続く建築物のモデルなのか?大断面集成材を使って和風建築の貫構造で木組み、世界最大の木造建築。おもしろいけど、機能を考えると、費用対効果が悪すぎると思う。また、軟弱地盤の埋め立て地なので、不当沈下が起きた時に、円周で繋がっていることで、修復が難しいように思える。この巨大リングの機能は、想像するに、「会場外周の結界」。「会場外周の屋根のある歩行通路兼広場、屋根の上の空中回廊」。結界ならこんな構造物は不要、なぜなら、日本古来の伝統では簡素に作るものだから。対談の中では「盆踊で、つなげたい、人の循環」、そのアイデア、毎週行ってください。人が動くかどうか見ものです。毎週人が集まり出来たら、すごいですから。伝統の「郡上おどり」が一か月以上踊られているのだから、毎週ぐらいできますよね・・・。なんて思いました。にわかで、あちこち見てきた感想です。
コメントありがとうございます。木造、貫構造、伝統、といった子供騙しの言説がまかり通っている背景には、多くの建築家や建築学科の学生も含めて、世間一般の我が国の伝統的な木造建築に関する無知があるように思います。なんだか、木造だからポジティブ評価、貫構造は伝統的だからポジティブ評価、みたいな。我が国の伝統的な木造がどれほどの高みにあるかを認識した上で、そんな調子なのだとしたら面の皮が厚いとしか、、。木造建築の高みがどこにあるのか、話してみたくなりました。
建築家と建築士(資格)は関係ない建築家と学歴も全く関係ない世界の最高受賞評価されたものが、良い建築とは限らない芸術家も同様な関係性であり、個人の主義や世界観を表現すればいい誰でも建築科や芸術家になれるし名乗っていい 表現する自由があるしねでも、職人や技術者になり相手から報酬を得るのは簡単ではない顧客がお金を払うことで、生業になる(個人や公共)<商人や政治力が重要になり表現の質や思想なんて関係ない 経済的合理性で動く公共建築家としてのマーケティングとブランディングやコネクションには、賞や権威や派閥が一番大事個人住宅と公共建築は全く、求められることがちがくないですか?大きなGデザイン賞、P賞受賞を盲目的に信じる姿勢は、マスゴミ情報を鵜呑みにするB層と同じでは??隈研吾さんは、顧客が契約時に納得してお金を支払ったんだから1ミリも非難される筋合いはない、経年変化による腐食や汚れは役所の建築課や主事だって理解できる同じ知性と審美眼を持つ似たもの同士しか、発注側と請負側になり意気投合したんでしょwwww個性的な服を紙で作り引き渡して、使用を重ねてたら破けた(隈研吾) 寒かった、汗でべとべと(禿げボクサー)民度が生んだ、建築家です有名とか輝ける受賞歴なんて求めて建物建てたいなら、 1馬鹿を洗脳して夢をみさせ勘違いさせる 2自分の金で建てる しかないからさwwwww
そう、民度、一般の専門家でない人々のリテラシー、かと存じます。
@@Yoshiyuki-Y 僕の個人的な持論で愚痴なんだけど 民度の象徴が、多数決で決まる政治家(岸田のスーツ姿) 設計事務所の人間のファッションセンス(薄っぺらい系)(奇抜系) 自動車会社勤務のサラリーマンが、高級車は理解も設計もできないし 最近 洋服を着て、草履から靴を履き始めた、5、6頭身くらいの人間が西洋建築を使いこなすなんて無理でしょwwww 日本人になんで近代建築が馴染みやすかったのか? 印象派好きな国民性 歴史を軽視して壊し立て替える精神性 スカスカの家畜奴隷(社畜)は、新しいも好きなんじゃね? 歴史がある家系の邸宅は結構多くあるし、大事に使ってることも多いでしょ? (個人邸宅) 彼らは、隈研吾や安藤なんて興味ないけど、いい腕の大工や植木屋を大事にしてるよ そこに、建築家は存在しないし無用なんだよね害悪でしかない 自分の山を持ち、材木を選び、製材し乾燥し 10年単位で普請を計画する 成金は、建築家と相性がいいし 勤め人は、建売かメーカーかマンションがお似合い 好きな気が合う相手の仕事してるのが幸せ
デザインと実用を兼ね備えた者が建築家を名乗るべき!! メンテに頼る建築家は本当に建築家か?
著名な設計事務所は震災復興とかそういう事業にも顔を出してとんでもない金額持って行きますからね金額聞いた時は正直ぶっ飛びました、一戸当たりの単価は普通の倍以上に跳ね上がっています電気や機械設備に関しても基本意匠優先でメンテナンスとかどうするの?という指示が来ましたね低効率になろうが違和感出ようがメンテに金が掛かろうが意匠優先ですねでもそういうもののほうが業界誌でも取り上げられやすいので・・・もうやりたくないですけどね
そうなのですね。いったいどこで、おかしくなってしまったのでしょうか、、
@@Yoshiyuki-Y さん そういうのが設計事務所の草刈り場になっているんでしょうね公営住宅の玄関がガラスとか玄関が南向きで洗濯物が通路に干すようになっているとか何を考えて作ったんですか?作っていてもおかしさしか感じなかったです、住宅って個人の空間としてプライバシーは重要だと思っているのですが通路側の窓に座るスペースを設けてそこに窓に防犯対策を施していなかったり触れ合いのある住宅とかほざいていましたw他の部分も温かみを感じるとかの理由でアルミではなく溶融亜鉛メッキの使ったり、加工や調整が大変になるばかりで公共の建物に汎用性のある資材を使わない理由が全く分からなかったです内覧の時は本当にしんどかったです、定型の説明をしても受けたほうも?の顔をしていました
私は建築ファンで、山本理顕氏の建築はかなり好きですが、氏はいまだに「御堂筋万博」とか言ってて、引きます。彼が万博絡みでやってる事は政治活動であって、「建築家として云々」という言は立場論を利用した口実です。さて、建築家悪玉論は色々言われますが、そのプロジェクトで建築家が求められている役割次第だと思います。アーティストとしての役割か、デザイナーか。前者であれば傲慢さが必要ですし、後者であれば美観機能やブランディング機能を含めた各種機能をバランスさせる解決策の提示(=設計)です。建築家という言葉にはアーティストとデザイナーの両義性があるので、ここに問題が生じるのだろうと思います
コメントありがとうございます。大事なご指摘と思います。
最近の建物はデザイン優先で材料の素材特性や日本の気象を無視した設計が増えていますよね。私も昔設計をしていましたがまずは安全性、雨仕舞、耐久性、メンテナンスを含め複合的に設計を進めていました。でないと施工会社の現場監督から必ず指摘されましたね。現場の監督さんはレベル高かったしなんでも知ってました。今は設計屋さんを指導できる人いません。VEで施工費用は抑える方が熱心かな(笑)そもそも建築確認申請でデザイン優先の場合、安全ではないと指導されることも多かったです。よくケンカしましたが皆真剣に勉強していました。それを民間委託した結果が姉歯事件。結局は設計、施工、審査含めてレベルがダダ下がり。この業界は本当にどうなっていくんでしょうか結論 私にとってデザインというのは機能美!!!
住み心地や耐久性も考えましょうよ。見た目ばかり優先。
建築家(設計)というステージと、それを建てる匠というステージの狭間が気になりますね。例えば、木の匠といえば「大工の正やん」さんが思い浮かびますね。数多くの木材屋さんと知り合いで様々な木材の研究もされていますね。設計家でそこまで、素材の研究している人はいるのでしょうかね。話題に出た、くま氏に対するお考えとかも聴いてみたい所ですね。
コメントありがとうございます。正やんさんのような大工さんや職人さんに、コイツいる意味ね〜って言われないように、あの人の仕事は面白い、アイツがいないとこういうものはできなかった、やりがいがある、って思われるようでありたいと思い続けています。
@@Yoshiyuki-Y 仰る通りですね。まるで、建築の専門学校に入りたての、建築の右も左も分からない生徒さんの、最初の授業に学校から与えられた課題に提出する自分の思いをぶつけたような設計図の大阪万博の数々の代物が、【建築のド素人の維新関係者だけにもてはやされる】だけの世界という非常に閉じた世界。むなしいですね。
お話ありがとうございました。大きな構造物を自分以外のために作る建築家の先生たちってきっと気も狂わんばかりに色々を考え抜いているでしょうから、出来たものを提供される私たちも賢くならないとなって思います。段ボールで椅子を作れ と言われただけで鼻血か出る程考えられますものね。皆で賛成した最初のコンセプト通りに、造られたあとも機能させ続けないと寂しく死んでいくだけですね。だから愛着って必要だと思います。ゲンロン、TH-camのだけは拝聴しました。涌口さんもテロップで書かれていますが藤本さんは一般の人たちに向けて難しいお話は避けたのかなと思いました。でも、もうちょっとだけ難しくても良かったかな😅オリンピックの基本理念とか開会の言葉を聴いているようでした。第2部(シラス?)の方は観れていませんが、もっと突っ込んだ、とりわけ責任の話を交わされたのかと想像しております。プロメテウスは不死でしたね。人間は死なない訳にはいきませんから、順番に、役割を同じくして絶えず入れ代わるしかないです。涌口さんの講義、絵がたくさん出てきて嬉しいです。稚拙な文章ですみません。次回も楽しみにしおります。😊
プロメテウスに言及していただけて、嬉しいです。人間に火をもたらそうとして耐え難い苦しみを味わうプロメテウスの姿は、人のために良かれと思って色々やって、結局自分のやってきたことなんなんだろう、と気付く建築家の姿と被るんじゃないかと思ったんですよね。
イイもの貰うと人間はすぐ調子に乗りますからね。涌口さんが長寿であることを願います。
建築家と言う名の詐欺師、、、25年で壊れる家など家とは言えない。
面白い面白くないお気になさらずご自分の考えをこれからも語って頂きたいです。
お言葉ありがとうございます。救われました。
やたら『出世』って使う人やねぇ。Artって芸術と日本人は訳してしまうけど技術という意味もある。機能美は建築の最低条件だと思うんだけど、ものすごく勘違いしている人だらけ。例えば、『パッシブ』という言葉に酔ってしまう建築家は多い。こんなん春秋にしか役に立たない。もっと合理性を磨けよって思うよ。
タイトルと、トークの内容が違う。釣りですか?善人そうな見た目だけど、残念
建築について、建築家について考える、調べる一助となりました。何故その建築家が選ばれたのかは、ブランド力の強さなどもあるのでしょうね。国を挙げての事業には国民を始め多くの方々に支持されなければならないのと、支持する関係者の利害関係もあり、誰を選ぶかには、三方から観て失敗のない無難な建築家を選ばざるを得ないのかなぁと思いました。特に先般の東京五輪🗼は、エンブレム問題で最初から不公平感とケチが付いてしまいましたので、その後の市松模様のエンブレムデザイン決定から、より日本的なデザインを希求されました。従って、隈研吾氏のデザインに行き着くのは自然な流れでもあった様に思います。木材、木工関係のお仕事は、年々先細りしていると聞いておりますので、大胆にも屋根にも屋根に木材を沢山使用するのは、その関連の方々を潤す為にもなるのかなぁ?と、勝手な解釈をしていました。しかし、次に改修される場合には、別の素材を使用して頂きたいなと誰もが思う内容でした。問題提起をありがとうございました。対策の方法として、木材に墨を塗ることにより、腐敗をかなり抑えることが出来ると伺っております。実際に自宅の外壁にそのような措置を施した黒い木材を使用した住宅が近所にありまして、持ち主の方は問題なく維持されていると話されていました。但しあくまでも外壁ですので、屋根はどう考えても確かにあり得ない使い方ですね。最後に、そのあり得ない使い方に、芸術的な価値を付与されたのが隈研吾氏なのでしょう。ロシアが行ったかつての農業改革などよりは遥かに害が少ないかもしれないと勝手に達観しています。木を大切に扱う事業、素晴らしいですね❤
コメントありがとうございます。芸術的な価値とはなにか? 木材あるいは建築の上手な使い方、活かし方ももちろんですが、実用を超えた「なにか」とは「なにか」、そんな議論も追々していきたいと思っております。
お返事ありがとうございます。哲学的な領域に挑戦なさっていらっしゃるのですね。是非追求されて行って下さいませ。成果をお待ちしております❤
くまさんは、前衛芸術家だから問題ない。私は絶対依頼したくないけど。
人が長年使う物なんだ工芸品の意識で設計してないのかな
なんやかんや言って、また、言えるほど好きな道いってるから羨ましいです。色々放射砲的に突き詰めてってください。
隈研吾から日本を守れ
神戸不燃板工業とかいう利権塗れの会社。
もっとゆっくり話しなさい。今様の独りよがりな話し方
TH-camの動画って速度変えられるんだから、再生速度0.75にしたら?否定の前に努力しようね。
建築家は芸術家である前に技術者でなければならない。エンジニアでない建築家はペテンだ。
仰る通りだと思います。技術や知識、経験があるのは当然。素材の性質や自然現象について、教科書暗記しているレベルではなく感覚レベルで理解していることは、第一線で活躍する建築家である以上、当然の前提ということで、動画内で言及しませんでしたがやはりすべきだったかもしれません。
@@Yoshiyuki-Y そもそも建築物は人の命、安全、健康、生活、財産を守るためにあります。それが「砂上の楼閣」「子供のお絵描き」であっていい筈がありません。したがってその設計は建築士という技術者のみに許され、かつ全ての責任を負わなければなりません。もちろん意匠・芸術といえども最低限これらを踏まえた上でのものであるべきですが、そこに疑念を生じさせるのでは本末転倒です。
まったくもって、仰る通りかと存じます。そういうことができた上で、と言っても、意匠や哲学に重きを置いていない実務家的建築士であっても、完璧にやるのは並大抵のことではありませんので、少なくともそうあらんと努力しているその上で、それ以上のなにかを実現せんとしてこそなのだろうと思います。
現状で「建築家」の顧客は富裕層か公共事業に限られてるのでは?
一般庶民が注文住宅を購入するのは困難、メーカー製の出来合いから選択する程度
集合住宅でもデザインや素材にこだわっていれば当然高額になります
日本での建築家はビルダーでなくアーティストの位置付けだと思います
アーティストが作品を作り、発信したいなら自腹を切るかスポンサーに頼る必要があります
半年間で解体撤去が前提の万博をアーティストの登竜門にするのを否定はしませんが、公金によるイベントでSDGs、省エネなどを掲げてる以上は素人目で無駄使いと批判される作品を提案するのは間違いだと思います
材質の特性見てないからね
何度かデザイナーに関わったが、一人以外まともな完成図面が書けない
絵はキレイだったけど
10年も経たずに腐ってゆく建物なんて詐欺だろ!
福島県玉川村に先月オープンした隈研吾氏デザイン「乙な駅」に行ってきました。レストランへ降りて行く階段の手摺が径3ミリの鋼ワイヤーてす。年寄りや足の不自由な手摺が必要な人には使えません! 奇をてらう が デザインではない❢
コメントありがとうございます。こうした声が、責任ある人たちに届くことを願います。
もう建築家以前に人としての問題とも思えてくる
デザインや見栄えばかり考えていると、手すりの役割すら無視できてしまうんだろうな
自分が手足不自由になってから気づくのかな…
@@seawin2593 人としての問題は失礼すぎるだろ 問題になってるけど手を抜いてるわけじゃない
隈研吾氏デザイン「乙な駅」に向かわせたのが、賛否両論含め、隈研吾さんのアート(もはや建築というよりアート)なのかな。
そのアート建築を選んだのは、その企業や自治体です。
その贅沢さを享受できることを賛否両論で楽しんでいいのかもと。
わたしも皆様のメッセージを読んで楽しんです(^^)
湧口さんは俯瞰しつつ本気でサステナブルを提案している方です。
ただ、木造建築の日本で、何世代までどうやって続けたいと思っているかは知りたいところです。
ベースは、本気で取り組んでいる様々な意見を聞くことで、
きっと
人生は楽しくなると思います。
隈研吾氏の建築に関して動画ありがとうございます。私自身米国にて45年以上建築意匠での実践実務に従事して来ました。彼自身の設計者倫理に疑問を抱いて来ました〜意匠重視で本来の機能性やメインテの機能性などが無視しされて来ました。防腐剤の性能が良くなかったとか、メインテは施主の問題とか等々、本来我々設計者としてのプロ意識に欠けるものです。彼自身が著名であるから、特に日本では問題提議しない風潮ですが、その点敢えて取り上げていただきありがとうございます。
コメントありがとうございます。私は最近、遠慮忖度や「問題提議しない風潮」ではなく、そもそも問題があると感じていない、のではないかと思い始めています。一般の人はそうであっても当然ですが、木の活用だの木造建築だのという話を世の中の「上の方」でしている先生たちが、、、
立憲もさぁ万博批判もいいけど、じゃ"税金チューチュー"隈研吾の新兵庫県庁計画もとめろよ…
隈研吾だけはやめとけ。
建築家を先生と呼ぶのを辞めませんか。
これは問題の本質の一部だとも思っています。
お気持ち、だけでなく問題の本質の一部、ということも理解いたします。私自身、悩みながら、人の仕事や作品への批判にもなってしまう情報発信をはじめてみて、仲間内で話すように話して良いものか、いくらか慎重にするべきか、敬称もそのひとつですが悩ましく思いながら話しています。その上で、個人的に本当にお世話になったり、それだけでなく尊敬もしている自分にとっての「先生」がいて、また実際にお会いしたことがない人でも、この人はすごい!と感銘を受けた人もいます。一方で、いま自分に見えている範囲においてですが、現時点で到底「先生」などと呼びたくない人もいるわけですが、そういう方でも別の作品を見るとまた評価が変わったりしないとも限りません。そうしたことから、一律で「先生」と呼ぶことにした次第です。ですが、改めて、難しいですね。同年代や後輩の、まだまだこれからという自称建築家もいるわけですし。このことについては、これからも考えて参ります。
安藤忠雄は無名の頃は設計料無料でやってました。コンクリート打ちっ放しで大開口窓のワンルームみたいな住宅は夏はサウナ、冬は冷凍庫でカビや結露だらけで本当に体調おかしくなってクレームだらけだからです、そこそこ売れてきたら成金社長みたいな連中が顧客になりましたが、やはり住めたモノではないので近くに普通のマンション買ってパーティールームにしたり、直ぐに売りに出したりばっかりだったらしいです。僕は某建築家事務所で働いてましたが、清濁合わせたような意味合いで安藤くんの建築は物凄い建築だって語ってました。まぁ建築家とはいったい何者なんでしょうね。
それをこうして、一緒に考えていけることが嬉しいです。
ちなみに、オリンピックの国際競技場で巨大なカブトガニみたいなザハのデザインを猛プッシュしたのも安藤忠雄でして、コレに猛反発したのが代官山ヒルサイドテラスなどを手掛けた槙文彦であります。結果的にやはり大衆はあのようなゲテモノを嫌い隈さんの割り切りデザインで落ち着きました。コレで良く分かったのは普通の人はやはりSF映画みたいな極端なデザインなどは求めておらず常識的でリーズナブルでメンテナンスフリーみたいな建築を希望するという当たり前の事実でありました。
安藤は隈以上の・・・です。打ち放しRCやってる時点でアウト。安藤を建築家と呼ばないで、ただのデザイナーさんです
奈良の寺社から何も学ばない現代の建築家、、わずか20年で朽ちたって何なの。
奈良の寺社から学んでいないどころか、崖から落ちたら怪我をする、レベルの当たり前の道理さえ無視したものさえ罷り通っている現状に問題意識を持っています
自称建築家の[お絵描き]を物理的・法規的に成立させているのは構造設計の人々。
日本の法規に適合した建築物として成立させるために場合によっては新しい技術・工法の開発を予算と納期に追われてブラック労働をやらざるを得なくなる(某競技場などの建設費が高騰した一因でもあります)。
某ゼネコンで構造設計やってたときに隈研吾の物件の担当したときの経験からくる実感でした。
コメントありがとうございます。関わってこられたお仕事で、技術者として「お絵描き」を支える甲斐があると感じられたものはどの程度ありましたでしょうか?
@Yoshiyuki-Y
返信書いていただきありがとうございます。設計デザインや設計意図がなんであれ、自身の感想や好嫌の是非はともかく建築物として使用に耐えうるものを全力で取組ます。安全性に関わる事なので手抜きなんてできません。
ご質問の回答になっているかわかりませんが、構造設計は建築家や意匠設計と違い注目(メディア露出)される事はほとんどありません。個別のプロジェクトとは無関係に人々の暮らしを支える[縁の下の力持ち]を自負し仕事をしておりました。姉歯及び同類銭ゲバ以外の構造設計に携わっている人々は同じような誇りを持って仕事されていると思います。
ありがとうございます。意匠設計に強みがある、自分の思想哲学に価値がある、と主張する者は、プロジェクトに関わる施主や建物等の使用者はもちろん、一緒に取り組む技術者や施工者にも、価値があると認められるようでなければと思います。
「東大寺」なり、法隆寺なり
此処を残して行こう。残さねばならない。
そんな建築物なら、人は文句は言わない。進んで寄付するし、補修もされよう。
隈健吾の作品、人が使いやすいか?未来も使い続けていきたいか?
建築家の「夢」が「エゴ」であってはならないと思う。
建築家に限らず素材を知らずにモノを作るいわゆるデザイナーという肩書きの人達が大勢います。特にグラフィック分野でちょっと名が売れて片手間でプロダクトデザインをするような輩は困り物です。木材加工の技術が進歩して意図した形をほとんど実現できるようになったのは良いが木材の特性を無視したような造りが散見されモヤモヤした気持ちになります。
まったくもって、同感です。
建築についての率直なお話をありがとうございます。
私は電子制御のエンジニアですが、スタートアップでの製品・サービス開発と立ち上げも手がけましたので、「制作者・開発者としての満足」よりも「お客様の満足と納得、ベネフィット」が絶対的に優先だと思っており、それだけに先生のご意見には大いに賛同しました。
建築の世界にもこういった課題があることを知ったのは大きな収穫でした。同様の話は工業製品の世界にも大いに存在します。私もそんな世界の中で、少しでも世の中の役に立つ製品とサービスを如何に形にするか、更に悩んでいこうと思います。
ありがとうございます。いただいたお言葉に、とても勇気づけられました。
隈研吾氏の手がけた鍋島松濤公園のトイレを見た時、霊園墓地の塔婆のようだと思いました。
観光寺院では石仏に小さな経木を奉納する風景が見られますが、あの対比の方が美しく思えました。
私は建築科について、全然わかりません。でも隈先生の国立競技場😊草が所々でていてみすぼらしくてどこがよいのかわかりません。絵画館の方が素敵。
万博は見に行く予定はありませんが。あの丸円形はどうなるのかな?
独自の哲学を持って、作品を制作するというのはファッションデザイナーも同じだと思うけれど、その作品を受け入れて、身に着けるのは個人の判断。だから尖がったコンセプトでもきちんとその価値がある。
でも建築家が手がける公共物は、さまざまな価値観や身体的特性を持つ人々が利用「せざるを得ない」ものですから、利用者全員に最低限の納得感を提供しなければいけないのだと思います。個人宅ならお好きにどうぞ、なんですけれど。
仰る通りかと。公共事業における建物、道路、広場や公園など、ハードウエアが人々の暮らしに及ぼす影響は甚大で、多くの場合そのことは過小評価されているのではないかと思っています。あまりにも無関心で、たまに関心を集めて批判されるとすればお金がかかりすぎ、くらいの言葉しか出ないようではまずいのではないかと。
今回も有意義でした。
ありがとうございます♪
建築家さんだけの事ではなくてその場に関わるいろいろな人達がそれぞれの見識を交換しながらその場を作っていけたら楽しいし、活きた場になりますね。
ただ、今ってそういうやり取りがめんどくさいと言う流れが大勢を占めてるようにみえますね。
僕は、建築家からは程遠いところにいる街歩きが好きなおじさんですが、動線とか景観とかみんなの想いとかそんなモノたちを感じながら歩き回ってます。
これからも沢山教えてくださいませね。
😊
こちらこそありがとうございます。そう、めんどうくさいことを省いて、スマートにお金を稼いで、それが子供の頃にこうありたいと願った自分の姿なのかどうなのか、なにか良いことがあるのでしょうかしらと思います。
群馬・富岡市庁舎の件、軒先水切の唐草が短いから横殴りの雨で木口断面が剥き出しの野路板の合板に毛細管現象で吸水してる。
伝統的な木造のディティールなら広小舞で野地板の木口断面を守る納まりにするし、垂木の木口断面も鼻隠しで守るようにする。
そういう長年の歴史に研鑽されて機能が裏打ちされた納まりを無視してヘンテコな納まりにしているが、そもそも知識や知恵のない者がそれを無視して思い上がりが過ぎる。
結局は無能なのに自分が万能と勘違いしてるから、伝統的な納まりを無視して腐食促進するような稚拙な設計に躊躇しない。
これだけ素人以下で木造の知識が無い者を木を使った建築の第一人者みたいな扱いでメディアがもてはやすのは社会悪でしかない。
こんな無能に税金を預けている事を国民は怒らなければならない。
政治家のレベルが国民のレベル、と言われることがありますが、建築などあらゆることにそれは言えるのではないかと思っています。料理もファッションも世界的に見てレベルが高い。アニメや漫画は言うに及ばず。ではなぜ、国が予算をつけて振興してきた木のことは、これほどまでに地盤沈下しているのだろうかと思うのであります。
@@Yoshiyuki-Y
建築設計は一生勉強しても終わらないほどの膨大な知識量が本来は必要な仕事と思います。
ですが、その知識は奇抜な意匠性に対するブレーキとして働き、遊び心のないデザインへ収束して行く事になり、むしろ建築知識ある方が真実が見えるので不合理なものに対する罪悪感が生まれてクリエイティブな仕事に向かない人間になって行きます。
そこで隈研吾のような考えが浅い表面的な見える部分しか理解できない人間が重宝されていると思っています。
結局はクライアント側もある程度の知識が必要で、見抜く目を養っていなければ己の器以上のものは手に入らない事になります。
意匠性、機能性、安全性あらゆる要素をバランスさせる事ができる者が最強です。
隈研吾は疑うことを知らない人間なのか、考えがあまりに浅すぎて結果的に無責任な人間と評されます。
こうなる事は何年も前から分かりきっていた事です。
CLTの万博リングなんて危険すぎて残せるはずはありません。
まともな知識ある人間なら議論の余地すら無いです。
自分は自動車が専門で建築はDIYレベルですが、デザインを重視して機能性だったり、耐久性や整備性を無視したような建築よりも、その土地の人々の暮らしに基づいた、使いやすい建築のほうが好きですね。ほったらかしていても、その土地の気候にあっているから、ずっと存在し続けられるような建築。
車で言うとデザイン的にはアウディが一番好きなんですが、整備性が非常に悪いので嫌いです。ちょっとした部品を交換するためにエンジンを降ろさなきゃいけないとか。
金持ちになって、整備を他人に丸投げできるようになるまではあんまり乗りたいとは思えません。設計した人が、整備士の立場になって考えられないんだなあと思ってしまうと、いくらデザインが良くてもその車に失望してしまう。
コメントありがとうございます。私は車は自分でいじれませんが、車の話も大好きです。アウディのデザインが好きだけれども整備性が、でも整備性のネガを乗り越えるだけの魅力がちゃんとあって、でも失望する部分もあって、という愛憎ないまぜ感は、ハマると離れられなくなるのかもしれませんね。建築でもそうですが、ある面から見ての不合理はあってもいいと思うのですが、そのネガを上回る魅力やメリットがどこかしらにあり、それにユーザーが、建築の場合であれば個人ばかりでなく社会が、ハマって離れられなくなるようなものであったらと思います。
施主も有名建築家を有難がるんじゃなく、よく検討して注文付ける所は付けないと外装に木材使われてボロボロになってから慌てる。
税金使うなら尚更。国立競技場、何年持つのかな?
今までいちばん感銘を受けたのはパリの新凱旋門です 夜の10時過ぎに訪れたので誰もおらず建築を満喫しました 真下に立つと建物が少し漏斗状になっていてビル風が背後から吹いていました 振り向くとパリの市街地のネオンと熱気が目に飛び込み前を向くと開発予定の土地の暗がりが広がっていました そのとき「この建物は旧市街地の熱気を新しい地へと流す気の入口の役割を持っている」と感じました 日本の建築であれだけの思想性と主張を持つ建築物を見たことはありません 日本の建築思想は具現化においてまだ練り込みが足りないと思います
お言葉ありがとうございます! それだよそれ!そういうのだよ!!!と思いました!
素人でよく分からないんですが、建築家ってのは建築の強度とか耐久性みたいな事も計算して設計してるのでしょうか?デザインだけ投げて後は建築会社に投げて終わりでしょうか?
人によって、カバーしている範囲は様々です。お医者さんでも、人体のこと全てを探究しようとする人がいたり、さらには病院や医療システムを成立させる社会の仕組み全体をも視野に入れて取り組む(政治や経営も範囲に入ってくる)人がいますし、外科や内科など専門に分かれて限られた範囲以外はあまり知らないという人もいるのだろうと思いますが、建築家、と名乗る人々も様々です。もちろん、強度や耐久性、デザイン、その他、総合的に高いレベルを目指している人が多いとは思います。その上で、構造設計や設備設計を専門に担当する建築士や事務所もあります。
隈研吾は建築家ではありません。
團伊玖磨さんの「パイプのけむり」の中で、海岸に面した崖に自宅を建てる話がありました。
團伊玖磨さんは、その当時の土木、建築技術を礼賛し私も同じ気分の時代でした。
このチャンネルを聞いているうちに、團さんのお父さんは伊玖磨さんだろうと直感しました。
そうですね、海沿いの崖の上。
建築当時も木材の防腐剤として「越井プレザービング」の防腐剤加圧注入という工法が有りましたし利用も可能でした。しかし防腐効果が強力で木材が腐りにくい分だけ相反して薬剤的に強く、土中埋設しても10年以上も腐らない程でした。その防腐木材を屋根装飾材に利用すれば、木材表面の焼けは有っても木材は腐っていなかったと思います。(シックハウスという概念が少しづつ浸透し始めた当時の時代です。)その為、当時なるべくケミカル的ではなく自然に近い素材で(今でいうエコ的発想で)木材の防腐加工が無いか?と試行錯誤していた過渡期の時代です。
現在の農業でいえば虫のつかない強力な農薬(毒性薬物)ではなく、木酢液や柿渋を農薬の代わりに利用する発想と同じ考えでの事です。公共建築と農業は違うとはいえ、現在その試行錯誤する事を悪く言う人は少ないのではと思いますが。。。
当時も有った腐らない強い防腐薬剤(当時の許可薬剤では有りますが)を経済合理性の優先だから何も考えず使え!!というのと同じ事に成るので。。。
結果として自然に近いエコな薬剤を採用して防腐効力が減退し、20年弱で劣化したことは非常に残念だしメンテコストが掛かる事に違いは無いのですが、、、。
その当時に現在のエコ的な価値観でより安全な木材防腐を目指し、実験しながら試行錯誤をしていた事を、結果だけ見て否定だけするのは簡単な事かも知れないですね。。。??
詳しい情報、ありがとうございます!
試行錯誤を税金でやるのはやめてほしいですね。あ、国の研究所とかでやるのは別にいいんですが、実際の公共施設建築でやるのは・・・ということね。 それをやるなら、私は「何様だよ?傲慢な奴」と思っちゃいますね。
現地の美術館のチャンネルから参りました。傷みがいいあんばいに京町家のような寂が出てます。ならば最初から黒防食仕上げで良かったのではと感じました。隈博士のお好みが素木ならアウトです。近所の大工さんに頼んで少しずつ端から交換メンテナンスすればいいと思います。
雪国の公共施設の維持管理をしたことがある、落雪を考慮しないアホな設計のために追加設備が必要になったり、デザイン偏重なため後々の維持管理費が増えたり、凝った建物は碌なことがない
自分の経験から構造屋は信用するが建築家は信用しない、それだけです
コメントありがとうございます。そのていたらくでなぜ次の仕事が来るのでしょうか、、、なぜ多くの人や自治体が、そう言う人に仕事を頼むのか、全く理解ができません。
雪国と言っても海沿いから山寄りまであり雪の降り方もさまざまです
発注組織は大体が海よりの都市にあって大して降らない地域で仕事をしており本当の雪の降り方を知りません
情報交換の仕組みも不十分なため出来てみたらあららとなります
以前に比べて最近の建物は良くはなっていますが一度建てると40〜50年は保ちますから不出来な施設は罪深いですね
建築家には、見る力、聴く力、知る力、が必要とされますね。たとえば中古家購入などで、湿気が多くてすぐカビだらけになる土地と知らずに買ってしまったり、そういう経験をしていれば、土地を見る目、シビアさが増して、そういう経験をしていない人としている人とでは、同じ時間、現場実見を行っても成果が全然異なりますよね。土地を見る専門家であるはずの建築家、ですが、その目の多くが節穴ではないと自信をもって言えないのだから残念です。土地の見方については大事なことなので、大学の建築学科に期待するよりも、中学校あたりで全員必修にしても良いかもと思いました。
ムリムリに設計された建築の配管は嫌なもんです。必ず酷い足場掛けがあって鳶さんらが泣いてました。わたしら設備がたは負傷が怖くてみんな萎縮してました。ミケランジェロやシナンの建て方らもそうだったんなと思って、建築監督さんらと心を合わせて労災ゼロで頑張りました。ソ連のフルシチョフアパートみたいな建屋の冷暖房衛生配管ならいいなって、ほかの職人らと一服の時にいつも話してました。
@@Yoshiyuki-Y さま:英国などでは、本人が選べば中学校2年生くらいから職業訓練がありますね。我が国や北米型の全人教育に由来する職場見学なんぞとは目指すところがぜんぜん違う。
ビートルズやブリティッシュロックを支えた人らは、ペンキ塗りや、石工など職業中学(高等小学校職業科)の出身ばかりです。ポールマッカトーニーの普通科だって珍しくて、大学進学した人は天才ブライアンメイくらい。
なぜに隈研吾さんが建築された建物に問題があるのか正しく正直に伝えて下さいな。
応援してますね。
ありがとうございます。木はダメだ、と一般の方々に誤解されることのないよう、できることをしていきたいと思います。
1月前の隈研吾さんの美術館の動画の時にコメントした。建築金物工房のモノです。今回も良かったです。お話の途中で紹介された。万博のリングの対決も観ました。こちらも面白かった。書いてて思ったけど、リングって、格闘技でもリングですね。やはり、戦うべき話なのかも。
ってそんな事はどうでもいいけど、私は山本理顕さん側ですね。あまりにも不透明で時代にそぐわない、古き土建屋的(同業者の一部と自覚しながらも)貧しい発想の政治の力でのみ動いているとしか思えません。今、日本がやるべき事とは到底思えません。 因みに、私はどんな現場でも建築家を先生なんて呼びません。バカにする時くらい。なんで、そんな慣習なのか理解不能です。なんか、その辺からおかしいんとちゃうと。大阪市民辞めた人間としても思います。
ありがとうございます。政治家も建築家も、トップのレベルにおいては、単なる実務家や技術者であるだけではまったく足りず、知識技術経験があった上で、発想力も人を動かす力も当然必要、その上で良識、そして覚悟、苦しい場面であっても自分や歴史やお天道様に恥じない選択ができる強さが必要ですよね。そのくらい責任が大きいので「先生」と呼ばれるに相応しくあれ、という思いを込められて、「先生」と呼ばれているのではいないでしょうか。
建築家・藤本壮介氏デザイン、飛騨高山の新設大学COIUの画像を見てきました。美しいすり鉢状の登れる丘になる大屋根。
「オープンスペースと中庭のイメージ」ですが、冬の飛騨を考えると、冬はどう使うのだろうか? 一見すると、美しいが冬は使えないデッドスペースに見える。
雪国で暮らすものからすれば、冬の姿を見せてほしい。なんて感じました。
すり鉢状の登れる丘になる大屋根は、雪が積もれば、スキーやそり遊びが出来そうだが。屋根から落ちたら大変だなあ。
私も高山には年に何回も仕事で訪れておりますが、雪の期間がながいですよね。大学の建物は、きっと良いところもそうでもないことも、あるのだろうと思います。実際、どう評価できるものなのか、これから率直な意見や使用レポートが、これから建物をつくろうという人たちに届くようであればと願います。
政治家を喜ばせる派手な建築物は庶民にとっては税金の無駄遣いなので、建築家として成功するためには庶民から反感を買うようなこともあるでしょうね
建築家は、浮世の評価ばかりでなく、歴史の評価をもっと意識すべきなのかもしれませんね。
このTH-camで紹介されている、東さんをモデレーターとして藤本さんと山本さんの論議番組を拝聴しました。私は、なぜ、万博がアウトレットモールのような簡易な建物と広場で、各国のコンテンツ重視で実施されないのかが不思議でなりませんでした。紹介されている議論を拝聴して、今回の大阪万博では、例えば「建築」が万博のコンテンツとしてどうかかわるべきなのか、意思決定プロセスや負うべき責任関係について明示されずに進めてられてきたのではないか、と感じました。賛否両論の大阪万博ですが、万人がぼんやりと、何かがおかしいと思う背景には、それなりの理由があるのだな、と感じた次第です。
コメントありがとうございます。そうですね、志も、政治も、建築も、皆地盤沈下しているのかもしれません。
私が思うに、意思決定プロセスはそんなに簡単なことではないのが当たり前なのに、建築家は批判だけする。
山本理顕さんにとっては自分のパトロン発注者が理想なんでしょうけど、あまりにも世間知らずです。
@@ggc03517 おっしゃることに同意します。
ただ、私は大阪万博賛成の立場にあるので残念でした。
私は建築の世界のことには素人なので、藤本さんの本心は計り知れませんが、討論内の発言は少し残念に感じました。藤本さんがあたかも組織の立場を代弁しているように聞こえ、プロとしての情熱や信念が伝わらなかったからです。
そうした会社組織と同様に、原因が万博推進母体にあるのか、建築責任者の藤本さんにあるのかは不明ですが、万博にかける意義を伝えてほしかった。
藤本さんが第三者を敵に回してでも大阪万博で成し遂げようとしていることを、もっと上手に伝えられたらよかったと思います。東さんは大阪万博反対の立場ですから、モデレーターとして助け舟を出すことはありませんでした。
コメントありがとうございます。私も万博の開催自体には反対ではなく、また、藤本先生が、「クライアント」から期待された役割を全うしていないとも思いません。ただ、もっと心底からワクワクする、自分が子供時代であったら是が非でも行ってみたい!と思えるようななにかがあればとは思いました。子供がそう感じるためには、大人たちが、心底から熱くなって取り組んでいてこそ、と思います。
クマ被害 拡大中
自然にも人間にも 優しくナシ
建築家、建築デザイナーからのプランをどれだけ練って現場が動いてるのか気になります。
注文住宅でない限り住宅はブロックの様に組み立てる設計プランがあるのではないかと思うのですが、特殊なデザインや施設を建設する時現場の人間はどう思うのかなと。
こんな所にこんな部材を使って良いのかとか、ここの設計このままじゃすぐダメになるだろうとか現場の人もプロなので、違和感や疑問など持つ事もあるのではないかと思います。大切なのはその疑問や違和感をちゃんと伝えてからじゃないかな。相手が大御所だろうと金持ちだろうと、建てた後すぐにダメになるのでは部材となる木が可哀想です。理想を追った上で、しっかりしたものを造る。ものを作る人はどの職業もそうでなければいけないと思います。
簡単な事です。木材は、外部では、やがて腐ることは、子供でもわかります。原則、外部、雨がかかるところに、木を使ってはいけません😂
伝統的な建築はそうならないようにちゃんとなっていますよ😂
でもその、簡単なこと、を理解していないのかもしれないところが、、、
木造の大規模建築って日本ではこれまでの建築の人が感じるものとは違うと思います。
なぜなら誰もやったことがないからです。
海外の事例しかなく、日本でそこを語れる建築家はいないと思います。
そこを実現し、というか実現しようと一歩を踏み出した建築家としては評価されるべきだと思います。
我が国における大規模木造の世界を切り拓いてきた方々は、もちろん評価されるべきだと思います。「木造でできるのであれば木造で」と言った人ではなく、できなかったことをできるようにするために、地道に研究し、試行錯誤し、技術的法律的その他様々な壁を乗り越えてきた方々の努力は大変なものであったと思います。
大阪万博について開催はどっちでもいいんだけど、モニュメントと建屋の区別ついてない気がする。
太陽の像で耐用年数がどうのうこうのいいだすのはつまらん。
同じく円形の木造云々で耐用年数云々はつまらん議論に感じる。
特殊技能かつ需要の大きいコンテンツはこうなりがちな気もします。
建築に芸術的な側面も大きいとすると、設計者のエゴが表出しやすいのかも知れないと思いましたね。建築に限らず、製作物に与える役割とその内容や、役割を果たせる機能を与えることが設計者の存在意義だと考えてます。
当然ですが建築家は自分の信じるものを具現化するのが仕事です。
コスト、メンテナンス、寿命、省エネ、耐震性などの規制は国土交通省の役人のに任せればいいことでそれを無視する事
建築家にしかできない通常では見ることのできないものを徹底してほしい。
私たちの血税、税金を無駄にしないように頑張ってこれまでにみたことのない良いものを作ってほしい。
一ついえる事は…所さんの目がテンで何週も出てきた時に「しつこい」と、あの番組も見なくなった
正直な話、広重美術館とかあの規模の建物になってくるとエゴでも中二病でも出来上がったらそれだけで価値はでちゃいますよ
前提として作る人たちがみんなプロの仕事してんですから当たり前です
全盛期に行った人は満足できたでしょうし、別に二度三度行くような場所じゃなし、体験としては最高だったんじゃないですかね
問題は、本当にそれで合意が取れていたのか、説明が十分だったのかって部分だけですよ
木が朽ちない内だけの刹那的な体験です。公共建築なのに、その体験の継承は難しいかもしれません。それがいやなら毎年メンテナンスするか、ヤバくなった段階で大規模な工事が必要になり、どちらにせよ多額の税金使います。いいですか? って。
それである程度住民と合意がとれてたなら何も言うことないですけど、絶対そうじゃなかったですよね。そんな面倒なことをやれる人が、あんなしょうもないデザインをするわけがない
哲学だか中二病だかを表現したいという浅ましい欲求のままズルをして、悪くいうと騙して、それが今になって明るみに出ているから叩かれている
これじゃ「先生」どころか、気持ち良くなる為に自己を押さえられない露出狂と同じですよ
山本理顕さんもそこそこ酷い建築家だと思います。
Twitterで論争しましたが、デベロッパーや役所をバカにして、建築家こそ偉いという立場でしか話をしようとしません。
坂茂さんなども同様です。
視野狭窄で世間知らず。
それが建築家のイメージですね。
いや、一緒に仕事してるからイメージではなく事実です。
ありがとうございます。動画内で私は山本先生のことを比較的ポジティブに話しておりますが、違った見方やエピソード、ご意見などを、率直にいただけることがとてもありがたいです。私自身も視野が広がります。
山本理顕さんと一緒に仕事をしているのですか?
デベロッパー?下請け?役所?
素晴らしい立場ですね
私はデベロッパーです。
有名建築家とはいっぱい仕事してますけど、ムカつく連中ばかりですよ。
本当は発注したくないけど上の命令で仕方がなく発注してフォローしてあげてます。
他にもプリツカー賞建築家に会社から発注しているけど害悪でしかない。
@@ggc03517
なるほどです。ちなみに建築家が一番偉いと思ったのはどういうところですか?それから建築家が発注者になりますかね?
すみません。
何を質問されているかよく理解できないです。
私は建築家をディスってるので、建築家が偉いと思うところは皆無です。
建築家が発注者になるのは自邸の設計だけでしょう。
それも奥さんに怒られることがなければの事ですが。
絵空事を現実にしているかなりの数の人々の努力と尽力が裏であることを知って下さい。意匠構造設備実施設計者、施工図作成者、建築・設備施工者。
同じ思いです。
私欲的なんだよな。気を衒う事しかしないで。
私が一番胡散臭いと思っているのが、建築家・脳科学者・国際政治学者です。
講演会だと拍手しかされないが、youtubeだと批判も来て、「すごくTH-camって面白い」と言われたところで、笑いました。というのも工務店系のTH-camrさんで、(批判のコメントなんかを)そういうのは要らない、と言っていたからです。
ダメージはしっかり受けて傷つきますが、きっとリアルの場でも、正直わかりづらい、などと思っていても、周りのノリに合わせてくれていた人がいたのだろうなと反省した次第です。
ありがとうございます。少子高齢化で若さや青臭さや夢を全く感じない万博。ただ無事に終わって欲しいだけ、、、お金が動けばそれで良いのか?戦争でいのちが脅かされる世界情勢を踏まえ、万博の意義を深く議論をする必要があると思う。
目一杯の夢を描けて、はみ出してやらかすくらいにチャレンジして、戦争なんてなにやってんだとはっと気付かずにはいられないようなことをすることが、どう考えても一番楽しく、お得なんだと思うのですが、つまらないことをしてお金を手元に残して、それでなにをしたいのでしょうね。
@@Yoshiyuki-Y ご返信ありがとうございます。藤本壮介さんだけが悪いのではなく日本社会の問題だと思います。万博やIRの他に景気浮揚策が見つからない、、、やはり平和があってこその万博。
そうですね。そして景気浮揚を意図してなにかをしても、投資になる(みんなが本当に元気になれる)お金の使い方ができていなければ、結局は無駄なやりがいのない仕事やコストがかかり続ける「負債」になってしまうでしょうし、建築家やプロデューサー、頭になる人たちの責任は重大です。
@@Yoshiyuki-Y ご返信ありがとうございます。結局、経済規模が大きくなり過ぎて環境問題の本質を見失っていると思う。倒木問題のある今、都市林業は意外と本質を見ているかも、、、明治神宮でも日比谷公園でも新宿御苑でも浜離宮恩賜庭園でも、都市の木を活用して植林して循環させる事は良いと思いますね。
『建築家』と世間が言うからギクシャクするのであって、『建築デザイナー』と言えば良いのだよ。
クマ氏の話し中の画像で、この表情なら内面もよろしくない、と直感しました。
ゆぐち先生は良い表情をされていますね、良い仕事をなさっていると感じました✨
あの万博の掘っ立て小屋は隙間だらけで冗談なんだろね?沖縄など訪れて考える事、人間の居住する建築物に限らず構築物は自然界のあらゆる状況を勘案し
ての対応と備えを考慮してこそ成立すると考えますし完成して終わりでなくメンテ迄計画に入れてこそ古来の歴史の中に存在し得るのではないでしょうか。
実物はどんななのか、確かめたい思いはあります。
メンテも何も万博会場は半年で解体して更地にするんだから関係ない
外壁に使う場合、樹脂を浸透させればいいんでないの?
役所に巻かれて金を方々にまき散らせる人が評価されるのはどこの業界でも同じですね
大きな流れはその通りですよね。でもそろそろ、そういう状況が変わる潮目に差し掛かっているのではないかと思うときが、ごくたまにではありますがあります。役所にも、どんな硬直した組織にも、好ましい自分でありたいともがいていたり、闘っている人がいたことで、私自身の取り組み(都市林業)は勇気づけられ、前進しました。
問題は建築家より発注者にあると思います。利用者の意見を的確に把握した発注者が建築家を活用すること、これで多くの人が納得することになる、そう思います。
詰まるところまで論じると、そうなりますよね
隈研吾の自宅はコンクリート建築だったと聞いてるが・・・・
国立競技場や自治体の木造建築を作っては、あとは朽ちようが腐ろうがしたこっちゃないのは無責任。
栃木の県北の自治体が懲りずに庁舎を隈研吾でやろうとしてますが、これな公金チューチュースキームの定番なのか。
個人的には「中途半端な(と言う事はつまり「批判に対する強度を持たないような」)デザイン・意匠」なら、箱を提供するだけにして、わざわざ”意匠”の設計などやらない方がマシ、だと思って設計しています。
ところが建築(物)には、文化としての側面と、投機としての側面があるので、「投機的にok」なら「醜悪なタワマン」でも「とんでも意匠建築」でも有名化するし乱立もする。
近似の問題として、建築物には(例えそれが個人の住宅であったとしても)、「施主にとって価値のある」フェーズと、「社会(空間)にとって価値のある」フェーズとがあって、昨今の問題は設計者の価値観が前者に偏り過ぎ・阿り過ぎた結果、「建築(ないし設計者)の社会性(社会という空間全体を見渡す能力)の欠如」の問題が大きいと思う。
尚「社会という空間」はビジブルなものだけでなくインビジブルなもの(顕著には政治的潮流等)両方含むし、地球というスケールから地域というスケールまでの振れ幅がある、と思う。
コメントありがとうございます。いただいたお話、とても大事な議論だと思います。そしてそういう議論に、ごく一部の熱意ある建築関係者だけでなく、広くたくさんの人が、楽しく参加できるようになればと思います。
@@Yoshiyuki-Y 全く同感です。その意味で、湧口さんの理念・発信・活動大変意義深く思っていますし、建築は、衣・食と同レベルで人間が生きる上で必要とするものなので、一部マニアやエリートの占有課題にすべきではなく、広く民主化されるべきだと思っています、が、(ところが現実は。。。。)
@@tubesa6343 昔は民家と言えばだいたい同じような工法、意匠、素材で造るのが当たり前でした。山の上からこのような田んぼに囲まれた現存集落を見ると本当に美しくまさにのどかな日本の風景であります。また商人が変わったモノで一族の勢いを誇示したいとかの場合は数寄屋造りというのがありまして予算天井無しで面白いモノを画一的な町家の中にアクセントとして建てたりしました。こういった身の程を知った品格が元々の日本人にはありましたが、欧米型の個人主義が当たり前になるとやはりカオスな街並みになって差別化命みたいな奇橋なデザインが蔓延るようであります。
今回も楽しく拝見しました。山本さんと言えば、X上で見た、藤本氏を嘲笑うような投稿が非常に印象的でした。見るに堪えないと言いますか・・・。日本中の人が公に見れる場でそういった発言をしているのは、本質とは別のところで、大変なマイナスだなと感じました。少なくとも私みたいな素人からすると、近づきたくない人たち、という感想にしかなりません。
コメントありがとうございます。私もついこの間から、ようやっと建築の話を真正面からすることに踏み切りましたが、人の批判にならざるを得ない話をするのは難しいです。個人攻撃をしたいわけではなく、建築や都市づくりなどでは、まっとうな批評が効いていないと感じることが多く、これでは建築も街も良くならないという思いで、怖いと思いながらもはじめたわけですが、やはり私の発信も快く思わない人がいることと思います。自分の交友関係やメディアのなかだけでの内弁慶ではなく、動画の中で取り上げるどの建築家とも、リアルの場で自然体で話ができるよう、心がけていきたいと思います。
興味が無かったので、よく知らなかったが、大阪万博の巨大リング、いくつか画像見て来ました。これが未来へと続く建築物のモデルなのか?
大断面集成材を使って和風建築の貫構造で木組み、世界最大の木造建築。おもしろいけど、機能を考えると、費用対効果が悪すぎると思う。
また、軟弱地盤の埋め立て地なので、不当沈下が起きた時に、円周で繋がっていることで、修復が難しいように思える。
この巨大リングの機能は、想像するに、「会場外周の結界」。「会場外周の屋根のある歩行通路兼広場、屋根の上の空中回廊」。
結界ならこんな構造物は不要、なぜなら、日本古来の伝統では簡素に作るものだから。
対談の中では「盆踊で、つなげたい、人の循環」、そのアイデア、毎週行ってください。人が動くかどうか見ものです。毎週人が集まり出来たら、すごいですから。
伝統の「郡上おどり」が一か月以上踊られているのだから、毎週ぐらいできますよね・・・。なんて思いました。にわかで、あちこち見てきた感想です。
コメントありがとうございます。木造、貫構造、伝統、といった子供騙しの言説がまかり通っている背景には、多くの建築家や建築学科の学生も含めて、世間一般の我が国の伝統的な木造建築に関する無知があるように思います。なんだか、木造だからポジティブ評価、貫構造は伝統的だからポジティブ評価、みたいな。我が国の伝統的な木造がどれほどの高みにあるかを認識した上で、そんな調子なのだとしたら面の皮が厚いとしか、、。木造建築の高みがどこにあるのか、話してみたくなりました。
建築家と建築士(資格)は関係ない
建築家と学歴も全く関係ない
世界の最高受賞評価されたものが、良い建築とは限らない
芸術家も同様な関係性であり、個人の主義や世界観を表現すればいい
誰でも建築科や芸術家になれるし名乗っていい 表現する自由があるしね
でも、職人や技術者になり相手から報酬を得るのは簡単ではない
顧客がお金を払うことで、生業になる(個人や公共)<商人や政治力が重要になり表現の質や思想なんて関係ない 経済的合理性で動く
公共建築家としてのマーケティングとブランディングやコネクションには、賞や権威や派閥が一番大事
個人住宅と公共建築は全く、求められることがちがくないですか?
大きなGデザイン賞、P賞受賞を盲目的に信じる姿勢は、マスゴミ情報を鵜呑みにするB層と同じでは??
隈研吾さんは、顧客が契約時に納得してお金を支払ったんだから
1ミリも非難される筋合いはない、経年変化による腐食や汚れは役所の建築課や主事だって理解できる
同じ知性と審美眼を持つ似たもの同士しか、発注側と請負側になり意気投合したんでしょwwww
個性的な服を紙で作り引き渡して、使用を重ねてたら破けた(隈研吾)
寒かった、汗でべとべと(禿げボクサー)
民度が生んだ、建築家です
有名とか輝ける受賞歴なんて求めて建物建てたいなら、 1馬鹿を洗脳して夢をみさせ勘違いさせる 2自分の金で建てる しかないからさwwwww
そう、民度、一般の専門家でない人々のリテラシー、かと存じます。
@@Yoshiyuki-Y 僕の個人的な持論で愚痴なんだけど
民度の象徴が、多数決で決まる政治家(岸田のスーツ姿)
設計事務所の人間のファッションセンス(薄っぺらい系)(奇抜系)
自動車会社勤務のサラリーマンが、高級車は理解も設計もできないし
最近 洋服を着て、草履から靴を履き始めた、5、6頭身くらいの人間が西洋建築を使いこなすなんて無理でしょwwww
日本人になんで近代建築が馴染みやすかったのか? 印象派好きな国民性 歴史を軽視して壊し立て替える精神性
スカスカの家畜奴隷(社畜)は、新しいも好きなんじゃね?
歴史がある家系の邸宅は結構多くあるし、大事に使ってることも多いでしょ? (個人邸宅)
彼らは、隈研吾や安藤なんて興味ないけど、いい腕の大工や植木屋を大事にしてるよ
そこに、建築家は存在しないし無用なんだよね害悪でしかない
自分の山を持ち、材木を選び、製材し乾燥し 10年単位で普請を計画する
成金は、建築家と相性がいいし
勤め人は、建売かメーカーかマンションがお似合い
好きな気が合う相手の仕事してるのが幸せ
デザインと実用を兼ね備えた者が建築家を名乗るべき!! メンテに頼る建築家は本当に建築家か?
著名な設計事務所は震災復興とかそういう事業にも顔を出してとんでもない金額持って行きますからね
金額聞いた時は正直ぶっ飛びました、一戸当たりの単価は普通の倍以上に跳ね上がっています
電気や機械設備に関しても基本意匠優先でメンテナンスとかどうするの?という指示が来ましたね
低効率になろうが違和感出ようがメンテに金が掛かろうが意匠優先ですね
でもそういうもののほうが業界誌でも取り上げられやすいので・・・もうやりたくないですけどね
そうなのですね。いったいどこで、おかしくなってしまったのでしょうか、、
@@Yoshiyuki-Y さん そういうのが設計事務所の草刈り場になっているんでしょうね
公営住宅の玄関がガラスとか玄関が南向きで洗濯物が通路に干すようになっているとか何を考えて作ったんですか?
作っていてもおかしさしか感じなかったです、住宅って個人の空間としてプライバシーは重要だと思っているのですが通路側の窓に座るスペースを設けてそこに窓に防犯対策を施していなかったり触れ合いのある住宅とかほざいていましたw
他の部分も温かみを感じるとかの理由でアルミではなく溶融亜鉛メッキの使ったり、加工や調整が大変になるばかりで公共の建物に汎用性のある資材を使わない理由が全く分からなかったです
内覧の時は本当にしんどかったです、定型の説明をしても受けたほうも?の顔をしていました
私は建築ファンで、山本理顕氏の建築はかなり好きですが、氏はいまだに「御堂筋万博」とか言ってて、引きます。彼が万博絡みでやってる事は政治活動であって、「建築家として云々」という言は立場論を利用した口実です。
さて、建築家悪玉論は色々言われますが、そのプロジェクトで建築家が求められている役割次第だと思います。アーティストとしての役割か、デザイナーか。
前者であれば傲慢さが必要ですし、後者であれば美観機能やブランディング機能を含めた各種機能をバランスさせる解決策の提示(=設計)です。
建築家という言葉にはアーティストとデザイナーの両義性があるので、ここに問題が生じるのだろうと思います
コメントありがとうございます。大事なご指摘と思います。
最近の建物はデザイン優先で材料の素材特性や日本の気象を無視した設計が増えていますよね。
私も昔設計をしていましたがまずは安全性、雨仕舞、耐久性、メンテナンスを含め複合的に設計を進めていました。
でないと施工会社の現場監督から必ず指摘されましたね。
現場の監督さんはレベル高かったしなんでも知ってました。
今は設計屋さんを指導できる人いません。
VEで施工費用は抑える方が熱心かな(笑)
そもそも建築確認申請でデザイン優先の場合、安全ではないと指導されることも多かったです。
よくケンカしましたが皆真剣に勉強していました。
それを民間委託した結果が姉歯事件。
結局は設計、施工、審査含めてレベルがダダ下がり。
この業界は本当にどうなっていくんでしょうか
結論 私にとってデザインというのは機能美!!!
住み心地や耐久性も考えましょうよ。見た目ばかり優先。
建築家(設計)というステージと、それを建てる匠というステージの狭間が気になりますね。
例えば、木の匠といえば「大工の正やん」さんが思い浮かびますね。
数多くの木材屋さんと知り合いで様々な木材の研究もされていますね。
設計家でそこまで、素材の研究している人はいるのでしょうかね。
話題に出た、くま氏に対するお考えとかも聴いてみたい所ですね。
コメントありがとうございます。正やんさんのような大工さんや職人さんに、コイツいる意味ね〜って言われないように、あの人の仕事は面白い、アイツがいないとこういうものはできなかった、やりがいがある、って思われるようでありたいと思い続けています。
@@Yoshiyuki-Y 仰る通りですね。
まるで、建築の専門学校に入りたての、建築の右も左も分からない生徒さんの、最初の授業に学校から与えられた課題に提出する自分の思いをぶつけたような設計図の大阪万博の数々の代物が、【建築のド素人の維新関係者だけにもてはやされる】だけの世界という非常に閉じた世界。むなしいですね。
お話ありがとうございました。
大きな構造物を自分以外のために作る建築家の先生たちってきっと気も狂わんばかりに色々を考え抜いているでしょうから、出来たものを提供される私たちも賢くならないとなって思います。
段ボールで椅子を作れ と言われただけで鼻血か出る程考えられますものね。
皆で賛成した最初のコンセプト通りに、造られたあとも機能させ続けないと寂しく死んでいくだけですね。
だから愛着って必要だと思います。
ゲンロン、TH-camのだけは拝聴しました。
涌口さんもテロップで書かれていますが
藤本さんは一般の人たちに向けて難しいお話は避けたのかなと思いました。でも、もうちょっとだけ難しくても良かったかな😅
オリンピックの基本理念とか開会の言葉を聴いているようでした。
第2部(シラス?)の方は観れていませんが、もっと突っ込んだ、とりわけ責任の話を交わされたのかと想像しております。
プロメテウスは不死でしたね。
人間は死なない訳にはいきませんから、順番に、役割を同じくして絶えず入れ代わるしかないです。
涌口さんの講義、絵がたくさん出てきて嬉しいです。稚拙な文章ですみません。
次回も楽しみにしおります。😊
プロメテウスに言及していただけて、嬉しいです。人間に火をもたらそうとして耐え難い苦しみを味わうプロメテウスの姿は、人のために良かれと思って色々やって、結局自分のやってきたことなんなんだろう、と気付く建築家の姿と被るんじゃないかと思ったんですよね。
イイもの貰うと人間はすぐ調子に乗りますからね。
涌口さんが長寿であることを願います。
建築家と言う名の詐欺師、、、25年で壊れる家など家とは言えない。
面白い面白くないお気になさらずご自分の考えをこれからも語って頂きたいです。
お言葉ありがとうございます。救われました。
やたら『出世』って使う人やねぇ。Artって芸術と日本人は訳してしまうけど技術という意味もある。機能美は建築の最低条件だと思うんだけど、ものすごく勘違いしている人だらけ。例えば、『パッシブ』という言葉に酔ってしまう建築家は多い。こんなん春秋にしか役に立たない。もっと合理性を磨けよって思うよ。
タイトルと、トークの内容が違う。釣りですか?善人そうな見た目だけど、残念
建築について、建築家について考える、調べる一助となりました。
何故その建築家が選ばれたのかは、ブランド力の強さなどもあるのでしょうね。
国を挙げての事業には国民を始め多くの方々に支持されなければならないのと、支持する関係者の利害関係もあり、誰を選ぶかには、三方から観て失敗のない無難な建築家を選ばざるを得ないのかなぁと思いました。
特に先般の東京五輪🗼は、エンブレム問題で最初から不公平感とケチが付いてしまいましたので、その後の市松模様のエンブレムデザイン決定から、より日本的なデザインを希求されました。
従って、隈研吾氏のデザインに行き着くのは自然な流れでもあった様に思います。
木材、木工関係のお仕事は、年々先細りしていると聞いておりますので、大胆にも屋根にも屋根に木材を沢山使用するのは、その関連の方々を潤す為にもなるのかなぁ?と、勝手な解釈をしていました。
しかし、次に改修される場合には、別の素材を使用して頂きたいなと誰もが思う内容でした。
問題提起をありがとうございました。
対策の方法として、木材に墨を塗ることにより、腐敗をかなり抑えることが出来ると伺っております。
実際に自宅の外壁にそのような措置を施した黒い木材を使用した住宅が近所にありまして、持ち主の方は問題なく維持されていると話されていました。
但しあくまでも外壁ですので、屋根はどう考えても確かにあり得ない使い方ですね。
最後に、そのあり得ない使い方に、芸術的な価値を付与されたのが隈研吾氏なのでしょう。
ロシアが行ったかつての農業改革などよりは遥かに害が少ないかもしれないと勝手に達観しています。
木を大切に扱う事業、素晴らしいですね❤
コメントありがとうございます。芸術的な価値とはなにか? 木材あるいは建築の上手な使い方、活かし方ももちろんですが、実用を超えた「なにか」とは「なにか」、そんな議論も追々していきたいと思っております。
お返事ありがとうございます。
哲学的な領域に挑戦なさっていらっしゃるのですね。
是非追求されて行って下さいませ。
成果をお待ちしております❤
くまさんは、前衛芸術家だから問題ない。私は絶対依頼したくないけど。
人が長年使う物なんだ工芸品の意識で設計してないのかな
なんやかんや言って、また、言えるほど好きな道いってるから羨ましいです。
色々放射砲的に突き詰めてってください。
隈研吾から日本を守れ
神戸不燃板工業とかいう利権塗れの会社。
もっとゆっくり話しなさい。今様の独りよがりな話し方
TH-camの動画って速度変えられるんだから、再生速度0.75にしたら?
否定の前に努力しようね。