椰子の実 (歌詞つき) 鮫島有美子
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- เผยแพร่เมื่อ 18 ก.ย. 2024
- 鮫島有美子: • 鮫島有美子
唱歌・愛唱歌: • 唱歌 叙情歌 愛唱歌
作詞:島崎藤村、作曲:大中寅二
1 名も知らぬ遠き島より
流れ寄る椰子の実一つ
故郷(ふるさと)の岸を離れて
汝(なれ)はそも波に幾月
2 旧(もと)の木は生(お)いや茂れる
枝はなお影をやなせる
われもまた渚を枕
孤身(ひとりみ)の浮寝(うきね)の旅ぞ
3 実をとりて胸にあつれば
新(あらた)なり流離の憂い
海の日の沈むを見れば
激(たぎ)り落つ異郷の涙
思いやる八重の汐々(しおじお)
いずれの日にか国に帰らん
施設に入所していた母と一緒に歌った懐かしい歌です。母は学校の先生でした。初任地で先輩の先生が教えてくれたそうです、私は母から教わりました。歌うたびに涙が出ます。
今、この歌を聴いています。むかし、学校で習ったのですが、身にしみてこころに響きます。遠くに居る姉と歌ったこの歌を、姉にプレゼントとして送ります。🤗
昔の日本の唱歌や童謡の歌詞はなんとも言えない、清楚で誠実で心麗しい言葉ばかりがメロディーと供に流れています。
今の日本の若い方や私達の年代でも知らない言葉が奏でられています。でも、それは確かにこの平和な日本国の象徴とした証のようにも思われます。この美しい日本の言葉に日本人としての誇りを感じました。素晴らしい歌ばかりです。
私が敬愛する文豪島崎藤村。長編『夜明け前』は近代文学の最高峰と思っています。その籐村は詩人として出発しました。「若菜集」でしたか「まだあげ初めし前髪の 林檎のもとに見えしとき……」。ほんとに瑞々しいですね。わたしはこの詩を『夜明け前』の主人公青山半蔵の娘お粂の姿に重ねています。
「椰子の実」は、柳田國男から聞いた話に題材を得たというエピソードがのこっていますね。こころが洗われるような名曲です。鮫島さんの歌唱も清潔で、心に沁みます。
初恋ですね♥️
太平洋戦争で南方の島々に出兵された日本の兵隊たちが歌っていたという事を聞いたことがあります。サイパン、ガダルカナル、ラバウル、故郷の日本を思う望郷の歌でもありますね。
藤村の詞♥️🌴🌊
欠点の無い完璧な歌ですね👏👏👏崇高的でもあり
伊良湖岬に行って観たいです!
景色を😊🎶
浜辺に打ち上げられたヤシの実が、どこからきたのか定かではないが、永らく独り身でここまで人生を歩んできた自分が、今立っているこの浜辺で出会ったヤシの実を自分になぞらえて詠った名曲ですね。
その歌の背景には、望郷の念、日本人の起源、海辺に打ち上げられた、南方に憧れを持つ"椰子の実"に託した気持ちが込められています。黒潮の流れは、ロマンを誘いますね♪
私が住んでいるところは、私が子供の頃は、正午を知らせる放送で、椰子の実が毎日流れていました。
ちむどんどんでこの曲のタイトルを知りました。
放送がうるさいという苦情があったようで今は放送が廃止されてしまったので、久しぶりに聴いてとても懐かしさを感じました。
先年亡くなった父から聞きました。
父の姉(私の叔母)はこの歌の発表される1年前に病気で亡くなったそうです。子供の時です。
父はこの歌を聴き、大そう良い歌だと感動したそうですが、この歌がもう1年早く発表されていたら姉もこの歌を聴けたのに
とても残念だったと、ことあるごとにそう言っていました。戦災で写真もなく、顔も知らない叔母ですが
私も聴かせてあげたかったと思います。
コメントありがとうございました。ネットによると、この曲が作られたのは昭和11年のようですね。
duarbo.air-nifty.com/songs/2007/04/post_c769.html
晩年難病にかかった母と二人で古い唱歌を歌いました
でも椰の實はうっかり抜けてしまったなあと思い起こした途端、涙がポロポロ止めどなく溢れてきます
この動画で音痴の二人が高らかに歌っていたかもしれない
父の母国で、日本人の母と2人暮らしていた時代、寝る時によく子守唄で母が歌ってくれたこの曲の心地よさ…思い出して調べてみたら歌詞の意味が初めて分かりました。地球の裏側で、日本を恋しく思う気持ちで母はこの曲を歌ってくれていたのかも知れない、となんだか切なくなりました。 真相は明日聞いてみよーっと!☺️
川崎市の夕方には椰子の実が放送で流れます。綺麗なメロディーですよね
いつの間にか半生を他郷で費やしてしまいました。故郷は雪降らぬ南の島。海を眺めれば、望郷の念愈々強くなります。帰りたい、けれど東西南北雪深し、です。
椰子の実になって聴くととても楽しい。
どんな気持ちで故郷を離れたんだろう。
私には「故郷」はないが💐
좋습니다.
아름다운 목소리.
「椰子の実」 は、島 崎 藤 村 の作詞なのですね。太古の日本民族に思いを馳せるのです。屹度自分の祖先達は、小舟で漕ぎ付き土着したのに違いないと思うのです。我々の子孫達は、恐らく海の遥か遠くを帰って行くのでは、あるまいかと、心細く想像して、思いに沈むのです。
擱 筆
私がマニラに遠征し今、子供達のいるフィリピンと往復する様になった原因ともなる歌です。
60年前母に教わったのが昨日の事のようです。歌は残りますね。
あつこお姉さん、横山だいすけさん、はいだしょうこさん、
つのだりょうこさん、茂森あゆみさん、神崎ゆう子さん、
坂田おさむさん、上原りささん、いとうまゆさんの9人で歌ってもいいかな。
Слушаю и плачу!
今、NHK連続テレビ小説「ちむどんどん」で使用されてますね。
TH-camにいろんな歌手の動画がありますが、鮫島有美子さんの右に出る人はありません😄
私のふるさとです。今年は、この曲にトランペットで 挑戦します。
昔、仕事で愛知に行った時の話。車で移動中に、現地の方が “珍しい所へ案内してあげましょう”と言って連れて行ってくれたのが、「椰子の実」の流れ着いたと言われる場所(田原市日出町)でした。てっきり、作詞者:島崎藤村が関わる場所だと思いましたら、意外にも話は 之の提供者:柳田国男が登場するので、やっかいです。 別件、更に昔の話。マレーシア国・ペナン島に行ったとき、ホテルの人が、“椰子の木の下には止まらないように”との注意がありました。時々、椰子の実が落下し危険だからとの理由。その時、この島の椰子の実が海を漂流して、その挙句渥美半島にまで流れて行ったのではと、ツイ想像をしてみました。事実は判りませんが・・・。雑談で済みません。
以前二木紘三さんの「うた物語」で読んだことがありましたが、その現場に行かれたとはよかったですね。
duarbo.air-nifty.com/songs/2007/04/post_c769.html
@@werden240berg3 何から何までご教示賜り恐縮に存じます。鮫島さんの曲の幾つかは、音声のみのCDで持ってはいますが、こんなに大量に動画でご送信いただきまして感謝に堪えません。
@@shonan_k3869 ご丁重なコメントを頂戴し恐縮です。ペナン島には一度だけ、1986年に行ったことがありました。バンコックからクアラルンプールに向かう途中の土・日の2日間、砂浜に面したホテルに泊まり、ゴルフとバーベキューでのんびりしました。
@@werden240berg3 私が、仕事(観光?)でペナンに行ったのは 1977年のことでした。島よりシンガポール(メイン出張先)への帰途、マレーシア航空便だったと思いますが、酷い乱気流に巻き込まれとても怖い思いをしました。後で聞くと、航空距離が短いので、燃料節約のため社内規定の高さまで上昇せずに 低空飛行をすることが時々あって、運悪ければそうしたことも起こり得るとのことでした。因みに、その日は13日の金曜日のことでした。でも、今となってはいい想い出です。
@@shonan_k3869 燃料節約云々の話は初めて聞きました。私も1981年、マレーシア航空でクッチンからマニラに飛んだ際、途中で激しい乱気流に巻き込まれた事がありました。常習犯ですね。
シンガポール航空のスチュワーデスの制服は魅惑的でしたね。
まさにリリアンヌが本当に椰子の実みたいな存在ですね
小学生の頃歌った!!!
きみの瞳が問いかけているから来た人いません?
BGMで聴きながら ノベライズ読んでいます 涙が滲んで進みません この曲は知っていますが 思いを想像して聞いていなかったなぁと 今更ですが きちんと感じる 想うと言う事は大切だと知りました
00:17始まり
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終戦のローレライから
俺ゴンザーレス 仲間!
てて
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