雲海富士絶景 「大菩薩領」百名山

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  • เผยแพร่เมื่อ 19 ต.ค. 2024
  • 初めての大菩薩嶺登山、運よく雲海と富士山を見ることができました。
    雲海が消えた後、気温が上がるとともに新たに雲が発生し、雲の中に富士山は隠れてしまいました。
    早起きしてよかった(^-^)
    大菩薩領を登るのをきっかけに、中里介山の「大菩薩峠」を読みました。( さすがに41巻すべては読んでいませんが (^-^; )
    100年以上前の作品にもかかわらす、読みやすかったので
    動画の中で紹介している冒頭+αをルビ付きで紹介します。
    青空文庫で読めます。興味のある方は是非読んで下さい。
    また、深田久弥が『日本百名山』において、大菩薩峠について書かれている文も紹介します。
    青空文庫
    www.aozora.gr.jp/
    青空文庫 中里介山
    www.aozora.gr....
    ■『大菩薩峠(だいぼさつとうげ)』第1巻 甲源一刀流の巻 冒頭 ≪ ≫ルビ付き
    大菩薩峠《だいぼさつとうげ》は江戸を西に距《さ》る三十里、甲州裏街道が甲斐国《かいのくに》東山梨郡|萩原《はぎわら》村に入って、その最も高く最も険《けわ》しきところ、上下八里にまたがる難所がそれです。
    標高六千四百尺、昔、貴き聖《ひじり》が、この嶺《みね》の頂《いただき》に立って、東に落つる水も清かれ、西に落つる水も清かれと祈って、菩薩の像を埋《う》めて置いた、それから東に落つる水は多摩川となり、西に流るるは笛吹《ふえふき》川となり、いずれも流れの末永く人を湿《うる》おし田を実《みの》らすと申し伝えられてあります。
    江戸を出て、武州八王子の宿《しゅく》から小仏、笹子の険を越えて甲府へ出る、それがいわゆる甲州街道で、一方に新宿の追分《おいわけ》を右にとって往《ゆ》くこと十三里、武州|青梅《おうめ》の宿へ出て、それから山の中を甲斐の石和《いさわ》へ出る、これがいわゆる甲州裏街道(一名は青梅街道)であります。
    青梅から十六里、その甲州裏街道第一の難所たる大菩薩峠は、記録によれば、古代に日本武尊《やまとたけるのみこと》、中世に日蓮上人の遊跡《ゆうせき》があり、降《くだ》って慶応の頃、海老蔵《えびぞう》、小団次《こだんじ》などの役者が甲府へ乗り込む時、本街道の郡内《ぐんない》あたりは人気が悪く、ゆすられることを怖《おそ》れてワザワザこの峠へ廻ったということです。人気の険悪は山道の険悪よりなお悪いと見える。それで人の上《のぼ》り煩《わずら》う所は春もまた上り煩うと見え、峠の上はいま新緑の中に桜の花が真盛りです。
    ■深田久弥『日本百名山』より
    大菩薩峠の名が文学に現れたのは、中里介山より遥か以前に樋口一葉がある。
    その「ゆく雲」の中に、「我が養家は大藤村の中萩原とて、見わたす限りは天目山、大菩薩峠の山々峰々垣をつくりて、、、」とある。
    一葉の両親は峠の下の萩原村の農家出身で若い時東京へ出た。
    そして一葉が東京で生まれたが、おそらく両親から土地の風景を聞かされていたのであろう。
    大菩薩峠が大勢の人に親しまれるようになったのは、その文学的魅力だけではない。
    初心者にとってまことに恰好な山だからである。

ความคิดเห็น • 2

  • @渡辺薫-y2c
    @渡辺薫-y2c 3 ปีที่แล้ว +1

    拝見いたしました
    大菩薩は大好きな山で、毎年、夫と登っています
    昨年はコロナで行ってませんが、綺麗な画像で早く行きたくなりました
    本当に富士山が綺麗で、同じ(笑)岩の上で息子が万歳した写真があります。ありがとうございました🏔️🤗

    • @s.fukagawa
      @s.fukagawa  3 ปีที่แล้ว +1

      大菩薩、初めて訪れましたが、とてもいい山ですね。また登りたいです。息子さんと同じ場所で撮影できて光栄です(≧▽≦)