厳島の戦い 思いがけない奇襲。
ฝัง
- เผยแพร่เมื่อ 28 พ.ย. 2024
- 厳島の戦い・・・天文24年(1555年)10月1日に、厳島で毛利元就と陶晴賢との間で行れた戦い。
抜け目のない老狐・毛利元就4000が、主君殺しの才人・陶晴賢2万を奇襲でもって殲滅した。
戦争は長引かせるより、短期間で終わらせる方がいい。
戦争は数々の不確実性や錯誤が介在し、多くのリスクがあるから。
毛利元就は、自国領に陶晴賢を引きずり込んで、長期戦になるよりも、奇襲でもって短期間で決着したほうがリスクが低いとふんだのだった。
参考文献:
万代記
吉田物語
陰徳太平記
山陰・山陽の戦国史 (地域から見た戦国150年 渡邊 大門
毛利元就の生涯
戦国群雄伝
毛利元就 岸田祐之
西国の戦国合戦 山本浩樹
▼音声
VOICEVOX:波音リツ
VOICEVOX:玄野武宏
VOICEVOX:白上虎太郎
VOICEVOX:青山龍星
VOICEVOX:剣崎雌雄
▼Amazonほしいものリスト
ご支援してくださると嬉しいです。
www.amazon.jp/...
「勝てば天才、負ければ愚将、そこの境は運、不運」
このセリフ、感銘を受けました。
いわゆる勝てば官軍、負ければ賊軍ですね~。
まさに戦国の世そのもの表していますよね
元就の村上水軍がなかなか来ないと下衆とディスておきながら、来たらありがとうと手のひら返しぶりがなかなか人間味があって好きだな。
21:50の来島への感謝が0.1秒しか無くて笑った
このシリーズの中国地方は本当に好きw
外道と外道達による、外道な戦いと、外道な心理描写と、外道な行動を、お互いに腐れ外道と罵り合う外道さ加減が好きw
広島出身だから厳島の戦いは何となく知ってたけど、背景からその時々の状況まで詳しく解説してくれて面白かったです。
家臣「(大殿はなぜ議論の度に鼻水と涎を白目向いて垂れ流すんだろう…)」
ぶべら!!
漫画太郎画伯に多大なる影響を受けとるんよ
みんなも白目むいて鼻水よだれだらだらで
あはーん
うろつこう
ゾンビごっこ
ゾンビごっこ
必死なのよ❤
いや草
ほんまに考え事する時こうなるよな
毛利もアヘ顔で軍議に望むほど、ギリギリの戦いだったのですね
めっちゃ良くできてて面白い笑
厳島の戦いにおいて元就がいかに謀略を練って練って練りまくって戦ったかがよくわかりますね
腐れ外道の言葉が頭に焼き付いて離れない。
何故「博奕尾」って地名がついたのかは不明らしいですが、
毛利元就一世一代の大博奕の奇襲を仕掛けたってのが趣深いですね。
桶狭間に続く新テイストの白目よだれシリーズw
今回も面白かった。
毛利元就という善人イメージが強い悪逆非道の英雄
それもイメージという
毛利元就善人説は長州史観の根幹
この一戦だけで映画一本作れそう
毎度駆け引きが手に汗握る
いつも楽しみに拝見させていただいております、ありがとうございます。
前回の桶狭間の話は、今川(優秀)> 織田(リスクテイカーやや無謀) という感じでしたが、今回は、
陶(優秀)< 毛利(相手の優秀さを逆手に取れる程のバケモノ) という感じで、あまりに毛利の策略がうまく機能しすぎ、漫画の主人公の様でした。
落城寸前の宮尾城の城兵は援軍来て山と海から挟み撃ちに合う陶軍見て興奮しただろうな。
苦しい籠城戦の最中に、毛利軍が陶軍を襲撃して脳汁が出る展開w
おお、久しぶりの投稿感動!
しかもレベル上がっている。
厳島の合戦にかてたのは、毛利元就の知謀知略だけでなく隆元、元春、隆景と三人の有能な後継者に恵まれたのも大きい。
さすが3本の矢の教えが後世に伝えられただけはある
秀秋「(゚д゚)」
隆元って何かしたん?
素晴らしい。これだけ分かりやすい動画にするのは、大変なはず
腐れ外道に中毒性があるんだよなぁ…
何度も観てしまうwww
ゲームではなく現実で詰将棋のように相手を仕留める謀略、恐ろしい・・・
めちゃくちゃ重厚な内容なのにたまにアホになるの好き
今回、メチャ面白かった!
元就にはあの三人の息子達が
いたからこそでしょうね
しかも当時には?珍しく
全員母(正室)は同じで
そしてこの三人の息子達は
一生涯側室は持たなかった
いや、元就は隠れて持っていたという話があった。
生まれた子は毛利の家臣、二宮就辰
正室が在命中は持たないだけ出て亡くなってからは持ってますね。
側室や継室の子は三兄弟と差をつけて「虫けら共」と呼んでますし。意外と子供たくさんいますよ。
晴賢だけの反逆だと思ってたら毛利が絡んでいたんだそれまで毛利の反逆者を討つのもあると思ったら、やはり裏では駆け引きがあったのだね。
厳島の直前までは、晴賢そこまで悪い手は打ってないよな・・・?って思っちゃう。
お互いに謀略、調略が飛び交いすぎて疲れて、先に音をあげたのが晴賢側だったとか、案外そんなノリだったのかな。
1貫は2石ぐらいなので300貫は600石の加増の価値がある
なお現在の価格に換算すると1貫=6万なので約1800万円ぐらいの金額になる
小早川が正面から上陸して、堂々と敵軍に紛れ込むのワロタw
あの時まじでヒヤッとしたわぁ〜
出陣前に地元で必勝祈願して良かったよまじで…
隆元が抗戦派筆頭になるのが熱いのよね 重臣や隆景にも協力を仰ぎ、各々から元就に決起を促す書状を出させたり
厳島の戦いが勃発する以前より宮尾城は存在してたらしく新設というより改築?とか、元就自身署名の感状がないから実質村上水軍対陶だったのか?って論もあったり未だ謎が多い…
こうしてみると勝つべくして勝ったと思った戦もこんな風にトラブルだらけで負けててもおかしくなかった
そんなものも多いんですね
大河ドラマ毛利元就「人生には3つのさかがある、上り坂、下り坂、まさかじゃ」
すげえクオリティ!かんどうした!
毛利元就が一番のゲス野郎だと知りました…🤣。しかしそのゲスっぷりが神技ですね。
主役が調略を仕掛けるだけでなく、相手も同様に色々仕掛けてきて、読み合いが面白いですね。勝とうとするのはどちらも同じ。
※前回も思ったのですが、主役の口調ウシジマくんみがあってじわじわきますね…
激昂する隆元様を見れる貴重なチャンネル
主君も参謀も賢いな。
知将といわれている毛利元就も、厳島の戦いはかなり運次第だったんですね。。。知らなかった。
ノッブの桶狭間もそうだけど、歴史に名をはせた武将は、1度は博打を打ってきたんですね。。。以後、博打みたいな戦いはしなかったけど。
悪口がだいたい腐れ外道というのがおもろいw
去年の今頃行った美しい厳島神社へまた行きたくなった。
大軍を率いたならば、身動きがとりずらい狭い戦場に展開することはほんの少しの時間といえども、絶対にしてはいけないんですね。
熱田と同様、中世の神社は流通の拠点にあったりするんですねえ。
神社=太古の時代の統治者の拠点と考えたら、あながち変な話でもない。
毛利元就もなかなかやるねぇ👍️ Good-job🖐️
それにしても、当該合戦について「感状があまり出ていない」説との関連付けはどうなんだろ。毛利側もあまりにも複雑な状況で後始末等でご多忙だったから出せなかったのか、それとも神社側の方がが多少話を盛って作っちゃったのかな😊 まぁこれだから益々歴史はなかなか面白いよね✨
0:34頃「たぶん」が出てきた
自信まではなかったか
陶も毛利も腐れ外道を連発してて草
まぁ、毛利の先祖は鬼畜外道の大江広元やし。
白目ヨダレ垂らし好き
鬼でも畜生でも武士は勝たねばならぬを地でいく
義隆『討つものも、討たるる人も、諸共に、如露亦如電応作如是観』
個人的に義隆は好きな武将だが、彼の辞世の句の通りになったな
毛利元就は強敵に対する驚異的な勝率が知られていない事が残念なので広まってほしいです
デビュー戦で三倍の安芸武田に圧勝、10倍の尼子軍を籠城線で退ける、今回の5倍の陶晴賢を壊滅させる。
上杉武田や三英傑もこんな数的不利な戦いは生涯に1回程度で、秀吉は無かった
毛利は幕末にも大軍相手に戦い、勝利している。
慶長の役再開待ってます😊
10年ぐらい前に厳島神社行ったな。
ちょうどフェリーの発着所辺りが陶の本陣で、そこから神社に向かう道筋辺りが1番の激戦地だったんだね。
フェリーの発着所から神社まで歩いて10分くらいと記憶してるけど、そんな場所に2万もの大人数が固まってたら、そりゃ身動き取れねーわな。しかも平な地形じゃなく山がちな島だし、神社からすぐ上の高い場所に塔みたいな建物が見えたくらい急峻な地形だったと記憶してる。
それにしても、毛利元就の知略と運の良さは半端ねーわな。
めちゃくちゃ面白い!!
助かります!🥹
待ってました
陶晴賢もキレキレの謀略家だったが、隣に自分よりはるかに天才謀略家がいたのが不運…
よりにもよって、謀聖と呼ばれることになる男が相手とは・・・陶の不運は同情に値するな・・・
それにしてもこの時代の中国地方は謀略家の宝庫だよな。尼子経久、宇喜多直家といい。
@@nekosakura393939
不思議なものだな。
世界で最も謀略的な政治文化を持つ欧州に似た形の中国地方で、日本史上最も謀略的な武将が活躍したとは、・・・歴史の神の冗談という奴かな?
@@tevalleyluckman8746
そして、微妙に世代がずれてるのも面白い。謀略家の世代交代を見てる感じ。
そして、黒田 官兵衛も最後の大物として入れるべきだよね。
@@nekosakura393939 確かに官兵衛はその系統に入る男だね。
毛利元就と真田昌幸の対決は凄そうだ。
その為には、まず昌幸に万の軍勢を預けねばならないよ。
いくらなんでも中国の覇者としての元就と、ギリギリ大名な昌幸ではねぇ。
珍遊記みたいな表情になるところがいいわ。後、くされ外道ってのが気に入ったぞ。
軍数優利に軍を率いているものは、やはり陸路でじっくり攻めこむが定石ですね。赤壁しかり。
兜被った元就可愛い笑
陶晴賢方に毛利元就の作戦を読んでいた奴がいたのにな
この奇襲から後々の長州藩による討幕から近代化につながるのか…
元号の読み方で 「天文」は「てんぶん」では無いでしょうか?
一応 携帯でも確認して見ました。
腐れ外道のオンパレード😊
いいね!
博奕を打つの語源は、この戦いの「博奕を討つ」じゃ無いか、と思ってしまう
包ヶ浦から博奕尾の尾根を脱落者なく出てこれたのは、あらかじめ元就が厳島神主家を取り込んでいないとできないでしょうね
陶晴賢は自害したとき35歳と若かったとは
この動画の名言目的の為に手段を選ばずならぬ・目的と手段は釣り合わなければならぬ・勉強になりました。しかし首に鞭打つ・元就は何処かの拷問ソムリエですね。
すげいー❤❤😢
この元就の二股外交の例にならって、毛利輝元は関ヶ原合戦で沈黙したんだろうなぁ。
小早川隆景が厳島へ上陸するときの緊迫感は相当だっただろうな。
あの時はほんまにチビりそうやったよ…出陣する前に神社で必勝祈願して良かったと思うよ
@@Erika0900
中納言殿、チビる手前で止まって良かったです。
三河の誰かは大きいのが出ちゃいましたからね。
@@Q-Finch しかしながら彼も中々の曲者でござるよ
@@Q-Finch
大きいのを出しちゃった方の末裔と毛利は幕末にやりあうけど。
3:38 元就は大内尼子当主よりだいぶご老体だったのか。
老獪なやつよ。
宍戸は幕末の下関での階段で出てくる家老。一部では高杉晋作と言われているが、実際の毛利の家老だとこれで判る。
広中氏は今でも広中平祐さんの名前が有る様に、子孫はいるのだろう。私の母方の親戚に広中姓が有るのだが、私自身は何処かの馬の骨だけどね。
しかし見事に戦国武将は一人残らず狸か狐だな、まさに下克上。
高杉が宍戸と名乗ったのは、四国艦隊との戦いで毛利軍の全権交渉人に抜擢されたその時だけです。 高杉が交渉に最適人と決定されますが、高杉の身分では交渉に不適格と判断され急遽毛利家で最も権威ある家老職の宍戸の名を名乗り交渉に当たらせました。 高杉の交渉は見事で戦いで毛利軍を圧倒していたにも関わらず四国艦隊は、何も得る事なく去ることになり毛利家の窮地を救ったのです。因みに元就にとって宍戸家はもともと争い合う敵でしたが、お互いを認め合う仲となり以来宍戸家は格で言えば、毛利本家で当主に次ぐナンバー2の序列であり、吉川、小早川同等以上の格でした。
よだれ垂らしている元就の顔が良かったです
弱い方が強いなんて、不思議だなあと思います…でも、よくある話だと思う。
元就の変顔 イメージが崩れる(笑)
大寧寺の変に関しては
大内家内部の争いであり
他国人である毛利元就は悪くないのでは?
と大内家に忠誠を誓いつつ毛利元就が
大好きな自分は都合良く考えてます。
いつの間にか動画のスタイル変わったな~
元就は風邪をひいておるのか
小早川隆景の声が小さすぎる
24:39
船酔いでずんだもんみたいな声になってる小早川隆景...大時化だったんかなあ?
死後「私が死んだら毛利家はどうなるんだ」と嘆いた父親。息子も「私は父と違い腹黒い謀略を使った戦争ができないから当主は無理」と引きこもり寸前になった。戦国とはつらいよね。
@@飲んだくれ-d8e 隆景が長男だったならなあ・・・
@@飲んだくれ-d8e 少なくとも毛利本貫の地であった安芸は保てたかもしれないね。
来島の村上ではなく村上武吉が総大将の能島村上が来島村上や因島村上と合同で毛利元就に加勢して勝利したのです。その後ずっと毛利氏は村上に対して恩義を忘れていなくて戦前迄重臣達の集まりにはかならず招待され私の父は若輩であったにも関わらずそういった席では必ず家老の次の席に座っていたと話していました。
元就の顔が怖いw
白虎隊の皆さん「何じゃ長州の藩祖は、鼻水垂らして見苦しいヤツだな。我等が藩祖保科正之公とは大違いじゃ!」
この動画を本人たちが見せたらどうなるのか気になる
白虎隊の皆さん「泳げ、泳ぐのじゃ陶殿っ。憎き毛利めを討て!」
桶狭間の戦いの時にそっくり
この時の毛利の手口を参考にして秀吉が本能寺の変を誘導したという説もありそう
👍👍👍
カエサル戦記のBGM
先見の明のある武将は常識に囚われない
干殺しのような非道なこと・・・
鳥取城攻めへのフラグやなw
やられたのは毛利側だけど。
金の話になるとウシジマくんみたいになってて笑う
これ厳島いかないで、陸路でいったらどうなったんだろう
流れ的に次は河越夜戦かな?
よだれ、白目が笑える😂
「よだれ」がいい
結局の所、吉川広家が1番お祖父様に似て腹黒かったから、あの結果に成ったのかも
厳島を気にしすぎた時点で陶の負け。
この動画は最新の研究では否定されている厳島の戦いの通説だね
学術的には厳島の戦いは奇襲じゃないらしいですがね。
元就から隆景への手紙は水軍なんかあてにしてないから、お前だけですぐさま草津に来いって内容だし
弘中隆兼は正妻と娘にあてて遺書を送ってますし
毛利の上陸も陶軍は確認してますし
人数も6000対8000くらいらしいですよ
随分昔の説ですね。元就は陶のクーデターに同意していますよ。