女だけの監獄『女牢』に入るとどうなるのか【ゆっくり解説】
ฝัง
- เผยแพร่เมื่อ 5 ก.พ. 2025
- ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
にっぽんぽんTwitter 【制作の裏話など】
ni...
にっぽんぽんInstagram【偉人の名言】
www.instagram....
歴史は何のために学ぶのか。この疑問を持ったことがある方は少なくないでしょう。仕事では直接使うことはほとんどないですよね。
過去を学ぶことで未来に活かせると私は考えています。教養という意味でも社会で必要な知識でしょう。
先人たちはどのような暮らしでなぜそのような文化が形成されたのか。面白いことばかりです。
こういった考えから、このチャンネルでは社会人の方が、ゆっくり楽しく歴史上の偉人のことを学べ、更に、そこから日常でも役立てられるような動画を作っています。
このチャンネルを通して学び、役立てられる人が1人でも多くなるようにチャンネル運営を頑張っていきます。応援してもらえると嬉しいです。
ほぼ毎日17時に動画を配信中 にっぽんぽん 運営 山本陽太
※動画内の素材はすべて引用であり、著作権や肖像権を侵害する目的はございません。
著作権などに関するお問い合わせはこちらのアドレスまでお願いします。
osigotoiraihakotira@gmail.com
#ゆっくり #ゆっくり日本史 #ゆっくり解説
階級のピラミッドのとこの一番上
牢獄の牢ではなく老人の老になってます♪ 6:37
独断の切り放ちで逃げられたら切腹は免れなかったでしょう。
江戸時代は懲役(刑務所入り)の刑は無かった
だから牢に入るの未決犯、判決が決まれば死刑や島送り、むち打ち等の刑に服した
吉村昭の『長英逃亡』は、ほんと〜に脱獄者を地の果てまでも探しているので怖かった。捕まったのは地の果てならぬ青山だったけど。
牢屋の中まで身分制度があるなんて、ヤダヤダ😖。
2:48 ただし山田家は世襲と言っても剣術の達人の必要があるから基本的に弟子を養子にして後を継がせた。だから実子が継いだ例は少ない。
横暴な牢名主にクーデターとかなかったのかな?
女だけの牢マジハーレムじゃん
囚人に飯くわすのも大変だったのでは?
真実かどうかはさておき、八百屋お七は、まだ若く美しい娘が火刑になるのを哀れんだ役人が「15歳以下は罪一等を減ずる」という当時の法律を利用してなんとかお七を15歳だと認めさせようとしたけど、お七は初宮参りの証明書まで持ち出して自分は16歳だと言い張ったのでお役人一同「あちゃー」となってしまった、という話を落語かなにかで聞いたことがある。それがお七の贖罪の気持ちだったのか、それともただの天然ボケだったのかはわからない。
浅田次郎の「赤猫異聞」も明治初年の解き放ちを舞台とする感動作です。
現代もこれくらいしないと。今の時代は犯罪者にやさしすぎる。
伝馬町って火事になって回向院に逃げると罪が軽くなるって
聞いた事があるぞ
そうなの
江戸時代の火付けは重罪だったからね。火あぶりの刑の残酷なところは、火刑場は海岸にあったんだよね。
お七の火事は、小火といっても「羽目板を二枚焦がした程度」だったらしい。
そして小娘1人が思い付いたこととは思われぬ。と、唆したのではと疑われた寺小姓は、知らぬ存ぜぬと言い張り、お七との恋人関係も否定。
それもあり、哀れに思った牢役人や介添え女が「取調べの与力に年を聞かれたら満で15と言え。」と言い含めたという。
それで年を聞かれ「あい!明けて正月で17になります」と答えたので死刑が確定したとか(満で答えていたら、火炙りにはならなかった)
満で言え。と言われたその意味すら解らない程幼かった少女は、刑場の露と消えた(寺小姓は陰間上がりも多く、参詣に来たり避難してきた女を落として、金をせびったり強請ったり。と悪さを働く者も多かったそう)
女牢の帝王になりてえ〜
やったのか?
ーコメです
そうなの