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もう30数年前、亡くなる前年くらいだったと思いますが、生きてるシンザンに会いに谷川牧場を訪れたのを思い出しました。片目が白内障で見えなくなってると牧場の方に聞いた気がします。隣の放牧地にはミホシンザンもいて、自ら近寄ってきて馬柵から顔を出してくれ記念写真を一緒に撮った覚えがあります。
シンザンとミホシンザンに会ったんて羨ましいです😆
いつの時代にも「英雄」のような競走馬っているんですね
貴重な映像!名前しか知らなかった馬です。ぜひ大好きなブエナビスタもやってほしい!
ブエナビスタ🏇🎉今後、作りたいと思っています✨
貴重な動画を有り難うございます。“ナタの切れ味”シンザン🏇「シンザンを超えろ」というフレーズがありましたね。代表産駒はミナガワマンナ、ミホシンザン。そのミホシンザンをシンボリルドルフが有馬記念で破り、真の最強馬に。あの頃が懐かしい・・・。
50年前に飼っていた秋田犬の名前がシンザンでした。馬好きの父が名付けて展覧会では賞をとっていました。天国で本物のシンザンに会っているかな😊
うわぁ!シンザン🐎この馬を紹介してくださるとは嬉しいです。シンザンはライブで見ていませんが、父からその活躍素晴らしさを聞いています。貴重な映像をありがとうございます!優しい顔をしていますね😊それにしても、この時代は何頭立て?沢山走っていますね。
たくさん走るしコースが狭いせいか馬達が観客に近いですよね😆
1973年のハイセイコーが出た時のダービーは28頭でした、勝ったタケホープは21番、多頭数で競馬の展開の綾が多く、運の強い馬が勝つと言われた時代です、この後も暫く28頭でやっていたようです
@@一白80 教えてくださりありがとうございます。30頭近くでレースをしていたのですね。位置取りとか難しかったでしょうね。確かに運もとてもあるように思います。
セントサイモン系の直系で英ダービー馬の孫であり、戦後初の3冠馬。19連続連対の記録もあった偉大な馬。
シンザンが皐月賞からダービーへ直行せず、ダービーの前にオープン競争に出走させたのは、武田文吾調教師が騎手時代にゼネラルという馬で調教を軽くした結果ダービーで負けたという苦い経験からきているらしい。因みにゼネラルが出走したダービーには、ミスターシービー(初代)や牝馬として、そして関西馬として初のダービー馬となるヒサトモ(トウカイテイオーの六代前母)も出走していた。
足の力が強すぎるから鉄下駄みたいな蹄鉄はかされてトレーニングしたというw
このシリーズ、編集センスが素晴らしいですね。カッコイイです。ディープインパクト待ってます。
お褒め頂きありがとうございます✨ディープ作ろうと思ってますので頑張ります🎉
19戦15勝、2着4回の連帯率100%。この後、いろんな強い馬が出てきたけど、当時の条件下なら、今でもシンザンが最強馬と思ってる。
同感です✨凄すぎますよね👀
昭和の馬さん達、何か、すごくすごく、力強さを感じる!!
その日の朝、新聞の一面に「昭和の名馬シンザン逝く!」という見出しを見た。朝刊に馬の名前が一面に載ったのを初めて見ました。
特番が組まれたり、愛されていたんだなぁと思います☺️
豪脚に相応しい走り。いかにもトモが強い馬体〜シンザンの競馬を見た世代ではありませんが、シンザン記念で名前は知っていました。それぞれの時代を駆け抜けた名馬たちをご紹介いただき感謝いたします。馬好きの私には、とても嬉しいです。😊
こちらこそご覧頂きありがとうございます✨
やはり、早世した栗田勝騎手が3冠達成時に言った『辛抱は金の棒なり』やね。
動いてるシンザン初めて見ました。
産まれて始めて覚えた競走馬の名前が「シンザン」だった。何かの映画でシンザンが走るシーンが有って主役の男の人が「行けー。」とか叫んでるシーン。綺麗でカッコいいなぁ~と思った。生きている間に会いたかったな。ミニスカートの女子が来ると自分から写真撮りに来てくれたらしいから思いっきりの超ミニで行ったのに。。
現在、ウマ娘を楽しんでる俺ですが、シンザンが死亡した頃はダービースタリオン3でシンザン(神山)という英雄を知りました。実際の競馬に関する知識はほぼありませんが、会ってみたい一頭ではありました。しかし28年前の7月13日、もう会えない存在となりました。本葬の方は関係者の間で密葬という形で行われたので一般向けの告別式に献花のみの参列を家族でさせて頂きました。ライスもインパクトも小柄でシンザンも産まれた時は小柄だったとの事。種牡馬として活躍されてたって事は大きく育ったんですかね?ライスに関しては小柄なあまり生きたまま引退したとしても種牡馬としての道も望めなかったそうで(凄く頑張ったのに)後に安楽死させられたレース観てて可哀想過ぎて(悔し過ぎて)涙が止まりませんでした。•••シンザンの動画なのに「小柄」というワードからライスの話になってしまい、すみませんでした。
有馬記念史上コースの一番外側を走って勝ったのはシンザンです!ちなみに二番目はガーネットだと思います(このレースは見ていませんが)
19戦15勝2着4回は、かなり、優秀‼️ましてG1を全勝しているのが素晴らしいです‼️もし海外のレースに、出走していたら?と思います‼️
ナタの切味。まさにナタの用な、すごかったけどな。シンザンを今の人は知らないかもね。
もう30数年前、亡くなる前年くらいだったと思いますが、生きてるシンザンに会いに谷川牧場を訪れたのを思い出しました。
片目が白内障で見えなくなってると牧場の方に聞いた気がします。
隣の放牧地にはミホシンザンもいて、自ら近寄ってきて馬柵から顔を出してくれ記念写真を一緒に撮った覚えがあります。
シンザンとミホシンザンに会ったんて羨ましいです😆
いつの時代にも「英雄」のような競走馬っているんですね
貴重な映像!名前しか知らなかった馬です。ぜひ大好きなブエナビスタもやってほしい!
ブエナビスタ🏇🎉
今後、作りたいと思っています✨
貴重な動画を有り難うございます。“ナタの切れ味”シンザン🏇「シンザンを超えろ」というフレーズがありましたね。代表産駒はミナガワマンナ、ミホシンザン。そのミホシンザンをシンボリルドルフが有馬記念で破り、真の最強馬に。あの頃が懐かしい・・・。
50年前に飼っていた秋田犬の名前が
シンザンでした。馬好きの父が名付けて展覧会では賞をとっていました。天国で本物のシンザンに会っているかな😊
うわぁ!シンザン🐎この馬を紹介してくださるとは嬉しいです。
シンザンはライブで見ていませんが、父からその活躍素晴らしさを聞いています。
貴重な映像をありがとうございます!優しい顔をしていますね😊
それにしても、この時代は何頭立て?
沢山走っていますね。
たくさん走るしコースが狭いせいか馬達が観客に近いですよね😆
1973年のハイセイコーが出た時のダービーは28頭でした、勝ったタケホープは21番、多頭数で競馬の展開の綾が多く、運の強い馬が勝つと言われた時代です、この後も暫く28頭でやっていたようです
@@一白80
教えてくださりありがとうございます。
30頭近くでレースをしていたのですね。
位置取りとか難しかったでしょうね。
確かに運もとてもあるように思います。
セントサイモン系の直系で英ダービー馬の孫であり、戦後初の3冠馬。
19連続連対の記録もあった偉大な馬。
シンザンが皐月賞からダービーへ直行せず、ダービーの前にオープン競争に出走させたのは、
武田文吾調教師が騎手時代にゼネラルという馬で調教を軽くした結果ダービーで負けたという
苦い経験からきているらしい。
因みにゼネラルが出走したダービーには、ミスターシービー(初代)や
牝馬として、そして関西馬として初のダービー馬となる
ヒサトモ(トウカイテイオーの六代前母)も出走していた。
足の力が強すぎるから鉄下駄みたいな蹄鉄はかされてトレーニングしたというw
このシリーズ、編集センスが素晴らしいですね。カッコイイです。
ディープインパクト待ってます。
お褒め頂きありがとうございます✨
ディープ作ろうと思ってますので頑張ります🎉
19戦15勝、2着4回の連帯率100%。
この後、いろんな強い馬が出てきたけど、当時の条件下なら、今でもシンザンが最強馬と思ってる。
同感です✨
凄すぎますよね👀
昭和の馬さん達、何か、すごくすごく、力強さを感じる!!
その日の朝、新聞の一面に「昭和の名馬シンザン逝く!」という見出しを見た。
朝刊に馬の名前が一面に載ったのを初めて見ました。
特番が組まれたり、愛されていたんだなぁと思います☺️
豪脚に相応しい走り。いかにもトモが強い馬体〜シンザンの競馬を見た世代ではありませんが、シンザン記念で名前は知っていました。それぞれの時代を駆け抜けた名馬たちをご紹介いただき感謝いたします。
馬好きの私には、とても嬉しいです。😊
こちらこそご覧頂きありがとうございます✨
やはり、
早世した栗田勝騎手が
3冠達成時に言った
『辛抱は金の棒なり』やね。
動いてるシンザン初めて見ました。
産まれて始めて覚えた競走馬の名前が「シンザン」だった。
何かの映画でシンザンが走るシーンが有って主役の男の人が「行けー。」とか
叫んでるシーン。
綺麗でカッコいいなぁ~と思った。
生きている間に会いたかったな。
ミニスカートの女子が来ると自分から写真撮りに来てくれたらしいから
思いっきりの超ミニで行ったのに。。
現在、ウマ娘を楽しんでる俺ですが、
シンザンが死亡した頃はダービースタリオン3でシンザン(神山)という英雄を知りました。
実際の競馬に関する知識はほぼありませんが、会ってみたい一頭ではありました。
しかし28年前の7月13日、もう会えない存在となりました。
本葬の方は関係者の間で密葬という形で行われたので一般向けの告別式に献花のみの参列を家族でさせて頂きました。
ライスもインパクトも小柄でシンザンも産まれた時は小柄だったとの事。種牡馬として活躍されてたって事は大きく育ったんですかね?
ライスに関しては小柄なあまり生きたまま引退したとしても種牡馬としての道も望めなかったそうで(凄く頑張ったのに)後に安楽死させられたレース観てて可哀想過ぎて(悔し過ぎて)涙が止まりませんでした。
•••シンザンの動画なのに「小柄」というワードからライスの話になってしまい、すみませんでした。
有馬記念史上コースの一番外側を走って勝ったのはシンザンです!ちなみに二番目はガーネットだと思います(このレースは見ていませんが)
19戦15勝2着4回は、かなり、優秀‼️ましてG1を全勝しているのが素晴らしいです‼️もし海外のレースに、出走していたら?と思います‼️
ナタの切味。まさにナタの用な、すごかったけどな。シンザンを今の人は知らないかもね。