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源五郎丸洋の件について江本孟紀は「体もできあがっていないのに有料紅白戦の客寄せパンダに使って、逸材を壊してしまった」「無理させず基礎トレーニングを積ませておけば良かった」と当時の阪神首脳陣を批判している。
安達さんに関しては2016年に肝不全で41歳の若さで亡くなったとのこと。肝不全か、怖いなあ。
安達は打撃投手になった際に当時の野村監督が現役復帰を示唆したこともあったな。
交渉不成立になるくらいだったら交渉権をトレードに出せるほうがいいわなあ。ただしくじ引きで獲得しておいてトレードに出すのはえげつないので、ウェーバー制で。
1980年代生まれの主力は鳥谷を除けば殆ど皆無。惜しかったのは上本と大和だが、上本はスペ体質で大和は打力と好調が持続しなかったからレギュラーを複数年保持出来なかった。マー君世代の主力を生み出させなかったツケはあまりにも大きかった。ただ、その反省か大谷世代の選手を厚くしているフシがある。
最初に紹介した選手の所属チームは現在のコスモ石油です。あと、2006年から2011年にかけてのドラフトは散々で特に、2011年のドラ1の伊藤隼太が阪神の4番で活躍する姿は見たかったです。
パナソニックの専務にまでなったから鍛冶舎は勝ち組
そこから秀岳館で甲子園に出場してるし普通に勝ち組
75年のドラフト。数少ない入団したうちの深沢投手は移籍したロッテで花開いたんですが、その時交換トレードで阪神に来たのが、松下電器出身の福間納投手(ロッテの江川卓ハズレ1位)と言うエピソードもありました…。
阪神は安達智次郎さんがドラフト一位で指名しました高校生投手野手は萩原誠さんも育成出来ませんでしたこのドラフト会議で失敗しましたので藤浪晋太郎さんまでドラフト会議で当たりを引いてません
昔はプロ経験者はアマチュアの指導者になれなかったし、生涯収入もアマの方が良かったぐらいだから、プロ入りしなかった選手は賢明といえば賢明だった。
74・75年は下手にタイガースが強かったのも有って、特に社会人選手だと「活躍できるかな?」って疑心暗鬼になっていたのかなと思います。あくまでも結果論だけど、足立・鍛治舎という超即戦力が拒否った影響も少なくは無いけど、江夏・望月の交換相手が投手の江本孟紀・池内豊・長谷川に外野手の島野育夫が交換相手になったし、村上雅則出して日ハムの東田外野手を交換して、五月女・鈴木出して片岡捕手に加藤博一外野手を取るし、金銭で近鉄から清俊彦投手・南海から上田卓三投手、更には外国人選手をブリーデン・ラインバックを取るし…結果的に新人はダメだった怪我の功名で良い選手を集める事が出来た皮肉な結果こういう状態だから特に足立投手は入団しても活躍できそうな下地はあったものの、同じ社会人から3位の宮田投手がそんなに活躍は出来なかったのを見ると本当にどっちに転んだか解らないし、鍛治舎さんは「阪神だったから」逆にプレッシャーがあったのではないかとも推測できますもしかしたら、同じ外野手の薄かった中日やヤクルトだったらもう少し考える余地があったんではないかと推測されます古賀投手にしても同様で、江夏投手や古沢投手や上田二郎投手が居るから「付け入れないな」と感じ、翌年太平洋に指名されたときは当時の太平洋が、加藤初・東尾修の二枚看板は居たものの、後は木原・石井茂雄両投手位だったし、阪神よりやりやすいと思ったとしても不思議ではないかな?当時のドラフトにはプロ志望届が無かったのも有って結構強行指名は多かったけど、特に社会人選手は「条件やチーム状況によっては行っても良いかな?」という心中が有ったとも思われますね。
こう見ると近年の阪神はよくやってるんやなあ。まあ2014組はほぼ全員失敗、2017組もちょっと怪しいところがある(馬場は期待外れ、遥人はスぺすぎる)が。あと高校野球でおなじみの鍛治舎がプロ指名拒否は知らんかった。
今の阪神の最年長が西勇輝と二保旭という1990年生まれの外様選手という若さだもんな。
そう考えると、バースの再来と言われても、選手全員産まれる前の出来事ですから、遥か昔の話題なのでしょう
最近の阪神はドラフト上手く行って生え抜きの選手ばっかりやし、年齢も若いから強い。
丸善石油といえば小川ローザのOH!モーレツですねw
懐かしいなー。
源五郎丸はやらんでもいい紅白戦に出場させて怪我させたらしいね槙原は阪神ファンだったらしいけどね
スポーツ新聞で、確か植村義信さんの投稿だったと思うけど、「尾崎以来。二桁を挙げて新人王!」なんて書いていたけど、全く外れたね。 2023.08.29 22:03
古賀は阪神蹴って太平洋って、どうだったんだろう?当時の太平洋は財政面や待遇も、阪神とは雲泥の差がある斜陽球団だった。そう考えると渋々でも妥協して阪神に入った田淵は正解だったと思う。
東京ヤクルトスワローズ編宜しくお願い致します。
92年阪神ドラフト一位の安達智次郎投手は入団直後からベンツを購入し遊び回ったそうだ、肝心な野球には身が入らず一軍出場もないまま退団、ドラフト一位指名で大金を手にした結果のぼせ上がってしまった失敗例だね。因みにオリックス一位指名の川口知哉投手も入団直後ベンツを購入、のぼせ上がり発言の割に何も成果を出せずあっさり退団したけどね。
入団直後にベンツ買うのは草(笑)。
丸善石油は現在のコスモ石油の前身会社ですね。
今はその野球チームは無くなりましたね。
@@森敬斗世代森田ひかる 廃部になったんですね。
@@櫃本賢治 うん、だいぶ前に廃部になりました。
3大失敗よりも、こう云うテンコ盛りな失敗史のほうが好きだな。尺の問題もあって3大のほうが作り易いのかもだけど
古賀投手って巨人にも居た確かプロ初の12球団から勝ち星挙げた人だった気がしたけどプロ入り拒否もしてたのね🙄
それも以外でしたね。
@@森敬斗世代森田ひかる阪神初の入団拒否だから中々に変わった初物づくしの選手でしたね😅
ヤクルト戦で大杉の背中にぶつけ、当然(?)大杉がマウンドに突進していった場面が印象深い。 2023.08.29 21:56
@@haouseiso1683 そんな事あったんですね🙄大杉氏は暴れん坊東映でも中心でしたし気性も激しかったらしいですからね😅
関西の独立リーグのチームが阪神の二軍と試合した時見に行ったんだけど小嶋は野次にキレて四球連発するわ、一二三はナックル姫をボールを何とか当ててライト前にポテンヒット打ってたからこりゃダメだなって思ったの思い出したわ
追記78年は球団史上2度目ではなく、初の最下位じゃなかったっけ?
正解⭕1978年が阪神初の最下位。二回目が日本一になって二年後の1987年ですね。
@@森敬斗世代森田ひかる2回目の87年は、球団史上ワーストの勝率.331でしたね…
あれ、社会人はプロ志望届は出さないはず…
失敗ではないにしても78年PL卒 木戸捕手79年箕島卒 嶋田捕手を大学社会人経由で続けて獲得したり97年智弁和歌山卒 中谷捕手と桐蔭学園 浅井捕手をこれまた大学経由で獲得したのは如何なものだろうか?
捕手は簡単にコンバート、とかできませんから。ヤクルトも4年で秦飯田中西と一軍で使った捕手三人獲り、更に2年後古田でしたから(秦飯田は古田獲得によりコンバート)
今でも社会人はプロ志望届けは出しません。
終盤にも話題になってたが、FA市場に有力選手が出なくなり戦力維持に苦労している、まぁ事実として、FA制度(特に国内)ってどういう時に使うのが正解なんだろ、って正直思う。
一番最初の古賀投手は、一番有名なのが「交流戦が無かった時代の12球団相手に勝ち星を挙げた投手」で有名です(せめて取り上げて欲しかった)で、さり気無い珍記録が、古賀投手通算は9年間プロで活動したが、その間に4球団渡り歩き…■76~78年:太平洋(クラウンライター)■79年:ロッテ■80年:巨人■81~84年:大洋以上のように、79~81年で3年連続トレードと言う、しかも、78年は4勝8敗・79年は4勝3敗2セーブ・防御率2.84・80年は6勝5敗2セーブとそんなに悪い成績ではない(谷間の先発・ロングリリーフ・セットアッパー何でもやってた)。トレード相手も、太平洋からは倉持明と共に相手は山崎裕之・成重春生、ロッテの時は小川清一と共に相手は庄司智久・田村勲・小俣進、巨人の時は松原誠と交換と交換相手も結構良い相手(山崎選手は兎も角、巨人で燻ぶってた庄司選手がブレイクしたし、松原選手の最晩年の一年を巨人で…等)、短い現役生活で濃い内容を送りました個人的な意見ですが、私はプロを拒否する理由で「このまま野球だけの生活で良いのか?」と鍛治舎さんは仰ってたと言いますが、結果的にずっと野球に携わって来たじゃねえかよ!!って突っ込みを入れずにいられません。プロに入る度胸が無かったチキン野郎だと思います
古賀選手、11球団から勝ち星を上げてリーチがかかったところで残る巨人戦での勝ち星をなかなかあげられずに同チームの野村収投手に先に達成されてしまいましたね
プロ野球はある意味、化け物の集まりだからね。本人の自己評価が高くなければ、プロ入りは躊躇するのでは?アマチュア野球はその後も、鍛治舎巧以上にアマチュア野球で結果を出した杉浦正則や西郷泰之などオリンピックで活躍し、プロ野球に行けば活躍出来そうと言われながら、プロ野球に行かなった、だけど、野球には携わるという人もいたのだから。杉浦や西郷がチキン野郎!と言われたら、そうではないと思うし、人それぞれの選択や考え方だと思いますが?
@@カラウリリネコ 古賀投手と野村投手は同リーグ。同チームではないですね。共に83年に達成していますが、当時の所属は古賀投手が大洋、野村投手は阪神です。
当時はプロ入りするとアマチュア野球に一切関われなかったし、鍛冶舎氏は社業で実績を上げたのだから決して「野球だけの人生」では無かったですよ。度胸が無かったとかそういう話じゃないと思います。プロ野球がすべてではないし、結局阪神タイガースがアマチュア球界をすべて捨て去る覚悟ができる程の魅力的な球団では無かったということが現実だったのでしょう。
上から目線で草
中谷()
6:45このころは勿論リアルで知らないけど、金田監督とブレイザー監督はクソ監督ってイメージあったけどそんなに成績は悪くなかったな!18:58直近でどべになった2018年!打者酷かったな!
槙原は94年に福岡ドームの広島戦で完全試合を達成しましたねえ。
安達亡くなってたんか・・・ロケットボールて言われてたな~ご冥福を祈ります
ドラフトで指名した選手がのぴるか駄目になるかは本人の努力もありますが、その選手の能力を見抜くのも首脳人の役目です
2010年の2位の一二三って、あの松ちゃんが「おい一二三❗一二三‼️一二三❗‼️んっお前外人やんかꉂ🤣𐤔」と、どんでん岡田監督のモノマネでネタにする、あの一二三かな?
他にどの一二三がいるんだよ
村山実と呼び捨て
源五郎丸洋の件について江本孟紀は「体もできあがっていないのに有料紅白戦の客寄せパンダに使って、逸材を壊してしまった」「無理させず基礎トレーニングを積ませておけば良かった」と当時の阪神首脳陣を批判している。
安達さんに関しては2016年に肝不全で41歳の若さで亡くなったとのこと。肝不全か、怖いなあ。
安達は打撃投手になった際に当時の野村監督が現役復帰を示唆したこともあったな。
交渉不成立になるくらいだったら交渉権をトレードに出せるほうがいいわなあ。
ただしくじ引きで獲得しておいてトレードに出すのはえげつないので、ウェーバー制で。
1980年代生まれの主力は鳥谷を除けば殆ど皆無。
惜しかったのは上本と大和だが、上本はスペ体質で大和は打力と好調が持続しなかったからレギュラーを複数年保持出来なかった。
マー君世代の主力を生み出させなかったツケはあまりにも大きかった。
ただ、その反省か大谷世代の選手を厚くしているフシがある。
最初に紹介した選手の所属チームは現在のコスモ石油です。あと、2006年から2011年にかけてのドラフトは散々で特に、2011年のドラ1の伊藤隼太が阪神の4番で活躍する姿は見たかったです。
パナソニックの専務にまでなったから鍛冶舎は勝ち組
そこから秀岳館で甲子園に出場してるし普通に勝ち組
75年のドラフト。数少ない入団したうちの深沢投手は移籍したロッテで花開いたんですが、その時交換トレードで
阪神に来たのが、松下電器出身の福間納投手(ロッテの江川卓ハズレ1位)と言うエピソードもありました…。
阪神は安達智次郎さんがドラフト一位で指名しました高校生投手野手は萩原誠さんも育成出来ませんでしたこのドラフト会議で失敗しましたので藤浪晋太郎さんまでドラフト会議で当たりを引いてません
昔はプロ経験者はアマチュアの指導者になれなかったし、生涯収入もアマの方が良かったぐらいだから、プロ入りしなかった選手は賢明といえば賢明だった。
74・75年は下手にタイガースが強かったのも有って、特に社会人選手だと「活躍できるかな?」って疑心暗鬼になっていたのかなと思います。
あくまでも結果論だけど、足立・鍛治舎という超即戦力が拒否った影響も少なくは無いけど、江夏・望月の交換相手が投手の江本孟紀・池内豊・長谷川に外野手の島野育夫が交換相手になったし、村上雅則出して日ハムの東田外野手を交換して、五月女・鈴木出して片岡捕手に加藤博一外野手を取るし、金銭で近鉄から清俊彦投手・南海から上田卓三投手、更には外国人選手をブリーデン・ラインバックを取るし…
結果的に新人はダメだった怪我の功名で良い選手を集める事が出来た皮肉な結果
こういう状態だから特に足立投手は入団しても活躍できそうな下地はあったものの、同じ社会人から3位の宮田投手がそんなに活躍は出来なかったのを見ると本当にどっちに転んだか解らないし、鍛治舎さんは「阪神だったから」逆にプレッシャーがあったのではないかとも推測できます
もしかしたら、同じ外野手の薄かった中日やヤクルトだったらもう少し考える余地があったんではないかと推測されます
古賀投手にしても同様で、江夏投手や古沢投手や上田二郎投手が居るから「付け入れないな」と感じ、翌年太平洋に指名されたときは当時の太平洋が、加藤初・東尾修の二枚看板は居たものの、後は木原・石井茂雄両投手位だったし、阪神よりやりやすいと思ったとしても不思議ではないかな?
当時のドラフトにはプロ志望届が無かったのも有って結構強行指名は多かったけど、特に社会人選手は「条件やチーム状況によっては行っても良いかな?」という心中が有ったとも思われますね。
こう見ると近年の阪神はよくやってるんやなあ。まあ2014組はほぼ全員失敗、2017組もちょっと怪しいところがある(馬場は期待外れ、遥人はスぺすぎる)が。
あと高校野球でおなじみの鍛治舎がプロ指名拒否は知らんかった。
今の阪神の最年長が西勇輝と二保旭という1990年生まれの外様選手という若さだもんな。
そう考えると、バースの再来と言われても、選手全員産まれる前の出来事ですから、遥か昔の話題なのでしょう
最近の阪神はドラフト上手く行って生え抜きの選手ばっかりやし、年齢も若いから強い。
丸善石油といえば小川ローザのOH!モーレツですねw
懐かしいなー。
源五郎丸はやらんでもいい紅白戦に出場させて怪我させたらしいね
槙原は阪神ファンだったらしいけどね
スポーツ新聞で、確か植村義信さんの投稿だったと思うけど、「尾崎以来。二桁を挙げて新人王!」なんて書いていたけど、全く外れたね。 2023.08.29 22:03
古賀は阪神蹴って太平洋って、どうだったんだろう?
当時の太平洋は財政面や待遇も、阪神とは雲泥の差がある斜陽球団だった。
そう考えると渋々でも妥協して阪神に入った田淵は正解だったと思う。
東京ヤクルトスワローズ編宜しくお願い致します。
92年阪神ドラフト一位の安達智次郎投手は入団直後からベンツを購入し遊び回ったそうだ、肝心な野球には身が入らず一軍出場もないまま退団、ドラフト一位指名で大金を手にした結果のぼせ上がってしまった失敗例だね。因みにオリックス一位指名の川口知哉投手も入団直後ベンツを購入、のぼせ上がり発言の割に何も成果を出せずあっさり退団したけどね。
入団直後にベンツ買うのは草(笑)。
丸善石油は現在のコスモ石油の前身会社ですね。
今はその野球チームは無くなりましたね。
@@森敬斗世代森田ひかる 廃部になったんですね。
@@櫃本賢治 うん、だいぶ前に廃部になりました。
3大失敗よりも、こう云うテンコ盛りな失敗史のほうが好きだな。
尺の問題もあって3大のほうが作り易いのかもだけど
古賀投手って巨人にも居た確かプロ初の12球団から勝ち星挙げた人だった気がしたけどプロ入り拒否もしてたのね🙄
それも以外でしたね。
@@森敬斗世代森田ひかる阪神初の入団拒否だから中々に変わった初物づくしの選手でしたね😅
ヤクルト戦で大杉の背中にぶつけ、当然(?)大杉がマウンドに突進していった場面が印象深い。 2023.08.29 21:56
@@haouseiso1683 そんな事あったんですね🙄
大杉氏は暴れん坊東映でも中心でしたし気性も激しかったらしいですからね😅
関西の独立リーグのチームが阪神の二軍と試合した時見に行ったんだけど
小嶋は野次にキレて四球連発するわ、一二三はナックル姫をボールを何とか当ててライト前にポテンヒット打ってたから
こりゃダメだなって思ったの思い出したわ
追記
78年は球団史上2度目ではなく、初の最下位じゃなかったっけ?
正解⭕1978年が阪神初の最下位。二回目が日本一になって二年後の1987年ですね。
@@森敬斗世代森田ひかる
2回目の87年は、球団史上ワーストの勝率.331でしたね…
あれ、社会人はプロ志望届は出さないはず…
失敗ではないにしても
78年PL卒 木戸捕手
79年箕島卒 嶋田捕手を大学社会人経由で続けて獲得したり
97年智弁和歌山卒 中谷捕手と
桐蔭学園 浅井捕手を
これまた大学経由で
獲得したのは如何なものだろうか?
捕手は簡単にコンバート、とかできませんから。ヤクルトも4年で秦飯田中西と一軍で使った捕手三人獲り、更に2年後古田でしたから(秦飯田は古田獲得によりコンバート)
今でも社会人はプロ志望届けは出しません。
終盤にも話題になってたが、FA市場に有力選手が出なくなり戦力維持に苦労している、まぁ事実として、FA制度(特に国内)ってどういう時に使うのが正解なんだろ、って正直思う。
一番最初の古賀投手は、一番有名なのが「交流戦が無かった時代の12球団相手に勝ち星を挙げた投手」で有名です(せめて取り上げて欲しかった)
で、さり気無い珍記録が、古賀投手通算は9年間プロで活動したが、その間に4球団渡り歩き…
■76~78年:太平洋(クラウンライター)
■79年:ロッテ
■80年:巨人
■81~84年:大洋
以上のように、79~81年で3年連続トレードと言う、しかも、78年は4勝8敗・79年は4勝3敗2セーブ・防御率2.84・80年は6勝5敗2セーブとそんなに悪い成績ではない(谷間の先発・ロングリリーフ・セットアッパー何でもやってた)。
トレード相手も、太平洋からは倉持明と共に相手は山崎裕之・成重春生、ロッテの時は小川清一と共に相手は庄司智久・田村勲・小俣進、巨人の時は松原誠と交換と交換相手も結構良い相手(山崎選手は兎も角、巨人で燻ぶってた庄司選手がブレイクしたし、松原選手の最晩年の一年を巨人で…等)、短い現役生活で濃い内容を送りました
個人的な意見ですが、私はプロを拒否する理由で「このまま野球だけの生活で良いのか?」と鍛治舎さんは仰ってたと言いますが、結果的にずっと野球に携わって来たじゃねえかよ!!って突っ込みを入れずにいられません。プロに入る度胸が無かったチキン野郎だと思います
古賀選手、11球団から勝ち星を上げてリーチがかかったところで残る巨人戦での勝ち星をなかなかあげられずに同チームの野村収投手に先に達成されてしまいましたね
プロ野球はある意味、化け物の集まりだからね。
本人の自己評価が高くなければ、プロ入りは躊躇するのでは?
アマチュア野球はその後も、鍛治舎巧以上にアマチュア野球で結果を出した杉浦正則や西郷泰之などオリンピックで活躍し、プロ野球に行けば活躍出来そうと言われながら、プロ野球に行かなった、だけど、野球には携わるという人もいたのだから。
杉浦や西郷がチキン野郎!と言われたら、そうではないと思うし、人それぞれの選択や考え方だと思いますが?
@@カラウリリネコ 古賀投手と野村投手は同リーグ。
同チームではないですね。
共に83年に達成していますが、当時の所属は古賀投手が大洋、野村投手は阪神です。
当時はプロ入りするとアマチュア野球に一切関われなかったし、
鍛冶舎氏は社業で実績を上げたのだから
決して「野球だけの人生」では無かったですよ。
度胸が無かったとかそういう話じゃないと思います。
プロ野球がすべてではないし、
結局阪神タイガースがアマチュア球界をすべて捨て去る覚悟ができる程の
魅力的な球団では無かったということが現実だったのでしょう。
上から目線で草
中谷()
6:45このころは勿論リアルで知らないけど、金田監督とブレイザー監督はクソ監督ってイメージあったけどそんなに成績は悪くなかったな!
18:58直近でどべになった2018年!打者酷かったな!
槙原は94年に福岡ドームの広島戦で完全試合を達成しましたねえ。
安達亡くなってたんか・・・
ロケットボールて言われてたな~
ご冥福を祈ります
ドラフトで指名した選手がのぴるか駄目になるかは本人の努力もありますが、その選手の能力を見抜くのも首脳人の役目です
2010年の2位の一二三って、あの松ちゃんが
「おい一二三❗一二三‼️一二三❗‼️んっお前外人やんかꉂ🤣𐤔」と、どんでん岡田監督のモノマネでネタにする、あの一二三かな?
他にどの一二三がいるんだよ
村山実と呼び捨て