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昨日、父親が余命一か月位だと医師より宣告を受けましてこちらの動画にたどり着きました。解説された通り食事の量が極端に減ったり会話が難しかったりします。全くどうしたらわからなかったのですがおかげ様で覚悟はでき、本人の希望を叶えて最期を看取ろうと思いました。ありがとうございました。
高悪性の悪性リンパ腫の終末期で見つかった父の病状は、急激に体調が悪化し、食べられず、歩けず、吐き気がして、覆水が溜まってお腹がパンパンに腫れ、足にむくみがありました。検査の結果、余命3日と宣告された時は絶望感と早く見つけてあげられなかった後悔で涙が止まりませんでした。しかし、無理を言って治療をしてもらい、今余命3日宣告の日から4ヶ月が経過しようとしています。今も抗がん剤治療を続けており、お見舞いに行くと輸血をしながらスタスタと歩いて面会場まで来ます。先月から食事が出来るようになり、弾丸トークが出来るまで回復し、一時退院も出来ました。終末期で余命宣告されても、一部の希があるなら諦めずに治療して下さい。 父は87歳になりましたが米寿の祝まで生きると宣言してます。
まだ私は1ヶ月以上生きられそうです。ありがとうございます。
先日母を亡くしました。コロナ罹患で検査している際に見つかったという流れです。ステージ4、末期がんですべての治療は無理とのことでした。兄弟で相談の上、自宅介護に決めました。緩和ケアも考えましたが、母が早く家に帰りたいという言葉を言ってたので、それを尊重し、また宣告することは避けたいという思いでの決断でした。自宅に移ったその日の夜に私がコロナに罹ってしまい、結局10日も会えませんでした。やっと会えた日に、それまでに書いた感謝の手紙を読み聞かせました。目を開けようとしてくれました。何もできないでゴメンねと言ったら首を横に振ってくれました。手も握ってくれました。翌日は私が担当する日ではなかったのですが、兄から電話があり駆け付けましたが間に合いませんでした…兄が母を看取ってくれたのがせめてもの救い。そして私がコロナが治るまで待ってくれてたと思ってます。母は恐らく最期まで耳は聞こえてたと思います。だから、例え意識が薄れていても話しかけること、感謝を伝えること、それだけは絶対すべきだと思いました。まだ立ち直れないですが、今なお母に感謝、そばに居続ける、思い続けることを続けていきたいと思います。
私は4月から末期になりましたが、まだ大丈夫そうです。息苦しさが多くなり活動範囲の減少は起きてますね。緩和ケアに杖で行ってるのでいざという準備は備えてあります。親も脳梗塞で半分麻痺してるので、私を介護するのは無理なので、私の体が動かなくなったら緩和ケアに入ることにしてます。亡くなった。話しは4月からしてます。それは、私から積極的に話してます。私は、余命宣告1年ぐらいと言われて3ヶ月経過しようとしてます。
本人が終活に向き合おうとしてないのでなかなか切り出せませんむずかしいですね...切り出すと死を急かしてるように思われるんじゃないかと言えてないです
ありがとうございます心の準備できました
私は3回がんに罹患。その間に姉がこの立場、死後の話ができなくて困ってます。治療したらよくなると本人が思っているのでどうしようもない。私は今度がんになったら治療はしないでそのままにします、動けるうちにきちんと整理をしたいです。がんの治療に関しては西洋医学ができることは少ししかありません。それ以外は治療しようがないですよね
課長が癌が見つかったとき、肝臓癌、肺転移のステージ4で余命1か月でした一か月ではなく、半年生きられました
私の息子も入院したら良くなるものと勘違いしていました。
今、検査結果待ちですが、父親が恐らく末期の胃癌。母親も寝たきりの胃ろうで、私だけでは在宅は無理なので、周りに恵まれ、同じ病院で看て貰えることになり、急激に体調悪化したので、まだ心の整理が出来ずにいます。私に出来るのは、出来るだけ母親と会わせてあげたいという事。それしか出来ないかなと思ってます。
もう少し字を大きくしてもらえると助かります。
緩和ケアという意味を間違えていました… 苦しまずに天国に逝くと…
高齢の母、ステージⅣです、普通に生活しています怖がりなので告知していません告知をしたとたんに、生きる力を無くしてしまいそうです治療もしてない、胸水を1回抜いたら、楽になったと喜んでます自宅介護にしたいです余命半年と言われて2ヶ月経ちました毎日、横にならず、椅子に座ってますご飯も洗濯もしています緩和医療とかいずれ受けるのでしょうか?
ぁあ、、親が全ての項目に該当してます、、もう近いのかもしれません
義母が現在肺がんで、3月末〜4月頭にかけて呼吸がしづらくなり、あっという間に呼吸器をつけることになり、そしたら家の中を歩き回るのも辛くなったりと、どんどん日常生活が不自由になってきてます。もともと、両足の股関節が悪く、要支援だったのですが、今日、介護認定調査の方がみえて、介護認定になるだろうとのことでした。随分前にこの書類はここにある。葬式の写真はこれ使って❕って話をされたのですが、そのときはまだ元気だったし、とりあえず聞くけどたぶん私すぐ忘れちゃうよー(笑)なんて言っていて、本当に忘れてます…かといって、こんな話はしづらいし…息苦しいから、必要最低限話はしないようにしているのでなおさらです…現在3と5以外は当てはまっているのですが、もうちかいのでしょうか?もちろん見たわけじゃないので一概には言えないのでしょうが…
小西美樹さまコメントをありがとうございます。終末期になると、速度は違っても体の状態は右肩下がりとなります。息苦しさが出てきているとのことですが現在、鎮痛薬を使用している状態であれば、量が増えていくことが考えられますし、近いうち、終末期せん妄を発症する可能性が高いと思います。病気の進行度、身体の状態によって、残された時間がどの位なのか、というのは個人個人異なりますが、今日より明日、明日より明後日…と日々、体の状態は悪くなっていくので、終末期では『今日が一番いい日』になります。コメントを拝見すると、お義母様は「最期が近づいている」ことを認識され、準備をされていたのではないか、また葬儀に関しても「このようにしてほしい」と希望があるのではないか…と思います。確認事項があれば、ご本人様に伺う前に質問内容を端的にまとめ、お義母様と意思疎通ができるうちに確認して差し上げた方が良いかと思います。ご家族様もとてもお辛い状況の中にいらっしゃると思いますが、ご本人の意思に沿えるよう配慮していただけると、義母様もとても嬉しく思うのではないか…と、思います。
@@ナースあきやさしい終末期がん教 お返事ありがとうございます。14日の早朝に、旅立ちました。夜中、お腹が空いたとバナナを食べていたりしていたようですが、朝6時頃、仕事の準備で下に降りたらすでに息を引き取っていたようです。その日はケアパートナーの方がいらしてくれる予定でした。本当にあっという間の出来事でした。コロナ禍での葬儀&母の意志&みんな高齢ということで家族葬で葬儀もすませました。なんたかあっという間で、実感わかないのが現状ですが、体がやわらかいので?この世に未練はなく、旅立たれたと思いますよ!と言っていただき、義母らしいな。と思っていました。実の両親はまだ健在ですので、義母のことを教訓に、その時がきたら準備をしようと思いました。ありがとうございました!
😅😅 11:32
😊
お仕事忙しい中 、こんなにわかりやすくて、可愛い動画を作ってくださり、ありがとうございます。肺がん末期の父もあと1ヶ月 かもしれません もし この動画を見ていなかったら 一か月と気づかずに、後悔したかもしれません。本当にありがとうございます。
肺がんでした高齢でもありコロナ第一波の時なので最期の1ヶ月は全く会えませんでした食欲低下、点滴Onlyそこで悟りました悪あがきでガン封じのお寺とかにもお参りに行きました💦
私肺がん余命2ヵ月と言われもう2年過ぎました。痛み無し体重しっかり増えてます~長岡日赤どうなの今地元の病院に通知してます 😊
癌の余命を言われる前に自分の身体はわかりますよ。近くの病院に2ヶ月に一度通院してます~良い医師に巡り会い感謝してます。 0:00 0:00
もう少しゆっくり話した方が聞き易いかも
右上の機械の⚙️マークから、スピード調整が可能です✨
昨日、父親が余命一か月位だと医師より宣告を受けましてこちらの動画にたどり着きました。解説された通り食事の量が極端に減ったり会話が難しかったりします。全くどうしたらわからなかったのですがおかげ様で覚悟はでき、本人の希望を叶えて最期を看取ろうと思いました。ありがとうございました。
高悪性の悪性リンパ腫の終末期で見つかった父の病状は、急激に体調が悪化し、食べられず、歩けず、吐き気がして、覆水が溜まってお腹がパンパンに腫れ、足にむくみがありました。
検査の結果、余命3日と宣告された時は絶望感と早く見つけてあげられなかった後悔で涙が止まりませんでした。
しかし、無理を言って治療をしてもらい、今余命3日宣告の日から4ヶ月が経過しようとしています。
今も抗がん剤治療を続けており、お見舞いに行くと輸血をしながらスタスタと歩いて面会場まで来ます。
先月から食事が出来るようになり、弾丸トークが出来るまで回復し、一時退院も出来ました。
終末期で余命宣告されても、一部の希があるなら諦めずに治療して下さい。 父は87歳になりましたが米寿の祝まで生きると宣言してます。
まだ私は1ヶ月以上生きられそうです。ありがとうございます。
先日母を亡くしました。コロナ罹患で検査している際に見つかったという流れです。ステージ4、末期がんですべての治療は無理とのことでした。兄弟で相談の上、自宅介護に決めました。緩和ケアも考えましたが、母が早く家に帰りたいという言葉を言ってたので、それを尊重し、また宣告することは避けたいという思いでの決断でした。自宅に移ったその日の夜に私がコロナに罹ってしまい、結局10日も会えませんでした。やっと会えた日に、それまでに書いた感謝の手紙を読み聞かせました。目を開けようとしてくれました。何もできないでゴメンねと言ったら首を横に振ってくれました。手も握ってくれました。翌日は私が担当する日ではなかったのですが、兄から電話があり駆け付けましたが間に合いませんでした…兄が母を看取ってくれたのがせめてもの救い。そして私がコロナが治るまで待ってくれてたと思ってます。母は恐らく最期まで耳は聞こえてたと思います。だから、例え意識が薄れていても話しかけること、感謝を伝えること、それだけは絶対すべきだと思いました。まだ立ち直れないですが、今なお母に感謝、そばに居続ける、思い続けることを続けていきたいと思います。
私は4月から末期になりましたが、
まだ大丈夫そうです。
息苦しさが多くなり活動範囲の減少は起きてますね。
緩和ケアに杖で行ってるので
いざという準備は備えてあります。
親も脳梗塞で半分麻痺してるので、
私を介護するのは無理なので、
私の体が動かなくなったら緩和ケアに入ることにしてます。
亡くなった。話しは4月からしてます。
それは、私から積極的に話してます。
私は、余命宣告1年ぐらいと言われて3ヶ月経過しようとしてます。
本人が終活に向き合おうとしてないのでなかなか切り出せません
むずかしいですね...切り出すと死を急かしてるように思われるんじゃないかと言えてないです
ありがとうございます
心の準備できました
私は3回がんに罹患。その間に姉がこの立場、死後の話ができなくて困ってます。治療したらよくなると本人が思っているのでどうしようもない。私は今度がんになったら治療はしないでそのままにします、動けるうちにきちんと整理をしたいです。
がんの治療に関しては西洋医学ができることは少ししかありません。それ以外は治療しようがないですよね
課長が癌が見つかったとき、肝臓癌、肺転移のステージ4で余命1か月でした
一か月ではなく、半年生きられました
私の息子も入院したら良くなるものと勘違いしていました。
今、検査結果待ちですが、父親が恐らく末期の胃癌。
母親も寝たきりの胃ろうで、私だけでは在宅は無理なので、周りに恵まれ、同じ病院で看て貰えることになり、急激に体調悪化したので、まだ心の整理が出来ずにいます。
私に出来るのは、出来るだけ母親と会わせてあげたいという事。それしか出来ないかなと思ってます。
もう少し字を大きくしてもらえると助かります。
緩和ケアという意味を間違えていました… 苦しまずに天国に逝くと…
高齢の母、ステージⅣです、
普通に生活しています
怖がりなので
告知していません
告知をしたとたんに、生きる力を無くしてしまいそうです
治療もしてない、
胸水を1回抜いたら、楽になったと喜んでます
自宅介護にしたいです
余命半年と言われて
2ヶ月経ちました
毎日、横にならず、椅子に座ってます
ご飯も洗濯もしています
緩和医療とかいずれ受けるのでしょうか?
ぁあ、、親が
全ての項目に該当してます、、もう近いのかもしれません
義母が現在肺がんで、3月末〜4月頭にかけて呼吸がしづらくなり、あっという間に呼吸器をつけることになり、そしたら家の中を歩き回るのも辛くなったりと、どんどん日常生活が不自由になってきてます。もともと、両足の股関節が悪く、要支援だったのですが、今日、介護認定調査の方がみえて、介護認定になるだろうとのことでした。
随分前にこの書類はここにある。葬式の写真はこれ使って❕って話をされたのですが、そのときはまだ元気だったし、とりあえず聞くけどたぶん私すぐ忘れちゃうよー(笑)なんて言っていて、本当に忘れてます…かといって、こんな話はしづらいし…息苦しいから、必要最低限話はしないようにしているのでなおさらです…
現在3と5以外は当てはまっているのですが、もうちかいのでしょうか?もちろん見たわけじゃないので一概には言えないのでしょうが…
小西美樹さま
コメントをありがとうございます。
終末期になると、速度は違っても体の状態は右肩下がりとなります。
息苦しさが出てきているとのことですが現在、鎮痛薬を使用している状態であれば、量が増えていくことが考えられますし、近いうち、終末期せん妄を発症する可能性が高いと思います。
病気の進行度、身体の状態によって、残された時間がどの位なのか、というのは個人個人異なりますが、
今日より明日、明日より明後日…と日々、体の状態は悪くなっていくので、終末期では『今日が一番いい日』になります。
コメントを拝見すると、お義母様は「最期が近づいている」ことを認識され、準備をされていたのではないか、また葬儀に関しても「このようにしてほしい」と希望があるのではないか…と思います。
確認事項があれば、ご本人様に伺う前に質問内容を端的にまとめ、お義母様と意思疎通ができるうちに確認して差し上げた方が良いかと思います。
ご家族様もとてもお辛い状況の中にいらっしゃると思いますが、ご本人の意思に沿えるよう配慮していただけると、義母様もとても嬉しく思うのではないか…と、思います。
@@ナースあきやさしい終末期がん教
お返事ありがとうございます。
14日の早朝に、旅立ちました。
夜中、お腹が空いたとバナナを食べていたりしていたようですが、朝6時頃、仕事の準備で下に降りたらすでに息を引き取っていたようです。
その日はケアパートナーの方がいらしてくれる予定でした。本当にあっという間の出来事でした。
コロナ禍での葬儀&母の意志&みんな高齢ということで家族葬で葬儀もすませました。
なんたかあっという間で、実感わかないのが現状ですが、体がやわらかいので?この世に未練はなく、旅立たれたと思いますよ!と言っていただき、義母らしいな。と思っていました。
実の両親はまだ健在ですので、義母のことを教訓に、その時がきたら準備をしようと思いました。
ありがとうございました!
😅😅 11:32
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お仕事忙しい中 、
こんなにわかりやすくて、可愛い動画を作ってくださり、ありがとうございます。
肺がん末期の父もあと1ヶ月 かもしれません
もし この動画を見ていなかったら 一か月と気づかずに、後悔したかもしれません。
本当にありがとうございます。
肺がんでした
高齢でもありコロナ第一波の時なので最期の1ヶ月は全く会えませんでした
食欲低下、点滴Onlyそこで悟りました
悪あがきでガン封じのお寺とかにもお参りに行きました💦
私肺がん余命2ヵ月と言われもう2年過ぎました。痛み無し体重しっかり増えてます~長岡日赤どうなの今地元の病院に通知してます 😊
癌の余命を言われる前に自分の身体はわかりますよ。近くの病院に2ヶ月に一度通院してます~良い医師に巡り会い感謝してます。 0:00 0:00
もう少しゆっくり話した方が聞き易いかも
右上の機械の⚙️マークから、スピード調整が可能です✨