我が家の『家紋』知っていますか?知られざる家紋の世界 「研究」して「新たに生み出す」男性の思いとは(2019年12月20日)
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- เผยแพร่เมื่อ 21 ส.ค. 2024
- お墓や着物、時代劇などで目にする家紋。動物や植物など様々なものがモチーフになっていて、様々な種類があり、日本人のほとんどの家に家紋があるといわれています。しかし近年、自分の家の家紋を知らない人が増えていて、このままでは消えてしまう恐れもあるといいます。
家紋を守ろうと奔走する男性の活動を追いました。
(2019年12月20日放送 MBSテレビ「Newsミント!」内『特集』より)
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#MBSニュース #毎日放送 #家紋
実家は本家のため渡辺星の中に3つ矢が入ってます。女性にも嫁ぐのも良いですが、自分の家紋を守ってほしいと心底思います。
家紋で思い出すのは、戦中孤児としてうちで中卒(旧制中学)まで預り育て、卒業を期に関東圏の知人宅に移り生涯独身で過ごされた方
あえて結婚しなかった理由が「私は生まれ親を知らない孤児、育て親の家紋を背負って生きたいから」だったと聞いた。
その方にとって家紋は名字名前以上に自分自身でもあったようだ。
孤児ゆえに本名は誰も知らず、うちの名字を名乗り名付け親は曾祖父という、戦時中ならではの出来事だが、命を助けてもらった恩をうちの家紋に被せ人生を過ごした故人の思いは、育て親のご先祖様も知ってたのか知らなかったのか…
(´;ω;`)ウッ………
人は心の持ちようなんだね…。
優しい人に育ったんですね。
恩の返し方は人夫々ですな
コレ見て気になって自分の家の家紋を調べてみたら、「丸に蔦」というオーソドックスなものでした。
早速、家族のグループLINEのトップ画にしました!
蔦は子孫繁栄という意味があり、非常に縁起がいいとされています。有名どころでは伊賀上野藩主の藤堂家です。東京の上野公園には寛永寺があります。徳川の鬼門封じの寺ですが、それができるまでは藤堂家の屋敷があったのと起伏が伊賀上野に似ているということで、上野という地名になったそうです。寛永寺を作るために藤堂家の屋敷を移動させたときに、蔦を抜いて葵を植えるとかいう川柳が流行ったとか。蔦は繁殖が良いので子孫繁栄ということで、徳川家でも裏紋として蔦はよく使われましたし、武家でも流行しました。
青森県南部地方ですが、丸に中陰蔦です。
ウチは下がり藤です
先祖は武士らしいですが、自分的には農民だと思ってます。
長い棒を持つと無性に耕したくなるので
江戸時代 半農藩士が多かったそうです
こういう人がいるだけで人間国宝!
家紋や名字って自分のルーツを知る手掛かりなので本当に興味深いですよね✨皆さんも自分のルーツを知りご先祖様を知って命の尊さ大事さ生かされている命に感謝しみんなご先祖様がいてお互い尊重し合い大事にして思いやり持って助け合う優しい世の中に✨😄
核家族化が進んで家の概念が無くなりつつあり家族親戚の縁が浅くなった現在、家紋が祖先との縁を繋いでくれるのなら良い事だと思います。
@@user-dt6zd9be9l そうなんですか!僕のところは分家なので本家と違う家紋を裏紋として作って持つのもいいかもしれませんね!
@@user-dt6zd9be9l 簡単に変えられるけど、変えちゃいけないものと思うんです。先祖代々受け継いだものを総領の甚六である自分でも思います。先祖を敬う気持ちもあり抵抗があります。感情論ですが…
それは、お彼岸には必ずお墓参りして、常日頃の安行について、御先祖様に、感謝しております(焦燥
@@bluebanana8777 僕もそう思います!家紋は先祖代々受け継いできたものであり歴史伝統がつまっていますからね!うちの家紋は違い鷹の羽ですが、土皇帝さんの家紋はなんでしょうか!?
両親の「紋付き」を初めてみたときに 聞いてみたんですが 忘れてしまいましたね… 笑い
家紋、名字のルーツを探るとなかなか奥深い‼
アイコンが家門
@@user-wg9kd4yb9j おーい、お茶
うちの家紋と同じだー!
初めて自分の家に家紋があること知った
家紋を変えるのは歴史の改ざんとおなじや
自家の家紋を知らない家庭も増えているのですね。
戦後にかなり衰退したようですね。今では、そもそも家紋自体イイトコのウチしか持ち得ないモノと思っている人も多いようです。
まあ知った所で上級国民でもないのに家紋が何だ、って感じかもしれません。夫婦別姓だ何だと唱える時代ですから…。
核家族よりももっと独立・分裂していこうとする時代にあって、家紋なんて継承しようとするはずないですね。
そのうち全てが消え去るのかもしれません。
私も家紋について凄く興味があり、これからの時代にも大切にしていきたいと思う日本の歴史です。
アナウンサーさんと私の実家は
同じですわ
私の先祖は浪人と聞いてます
とっても有意義なレポートでした
ありがとうございました😺
母親の葬儀の手続きの時、葬儀社の職員さんに『お家の家紋、わかりますか?』と訊かれ、『丸に四つ目菱です』と即答したら、驚かれた。
『お若いのによくご存知ですね。年配の方でも、家紋の名前まではなかなか答えられないのに…』って。
違う。中1の時に亡くなった父親の葬儀で、提灯に書かれた一族の家紋を初めて見て『地味で面白くねぇな~』って思い、後日、某有名落語家の着物に書かれた紋や、某有名相撲取り一族の家紋がたまたまうちのと同じだったから、調べて知っただけなんだけど…
私の家の家紋は、五三の桐です。
私の両親は、神奈川県内出身です。
私の父方の両親(祖父祖母)は、新潟の出身です。
母方の父(祖父)は、ハッキリと分かりませんが、千葉県流山市の出身の様です。
友達ん家の家紋が北条のトライフォースでカッコ良かった。
留め袖や喪服[着物]に家紋を入れる事を知り、嫁に来る前の実家の母親の家紋を入れました。代々繋がれていくものだそうで、
家紋の本を買いました。
大体墓に掘られてますもんね。私もすごく興味があります。
日本人で自分の家の家紋を知らない人がいる事に驚きました😲 我が家の家紋は丸に下がり藤です。先祖代々伝わる日本刀二振りと甲冑、裃も大切に取ってあります。家紋を新しく作る考えには反対です。そんなことをしたら昔からの家紋が滅茶苦茶になるのではないでしょうか?
素晴らしいことです💕
真っ当な日本人なら、家紋は在ります。
背乗り、されて居なければ。
🇯🇵🇯🇵🇯🇵
丸に五三桐の家紋の実家は、先祖が平将門の家臣で苗字と家紋を授かったと、祖父が菩提寺の和尚様から教わったそう。祖父の実家は名主だったそうで、遊びに行くといつも祖父の兄は着物を着て、床の間の前に座り、兄弟同士で手を着いて挨拶をしていたので時代劇みたいと思っていました。今は普通〜〜の庶民ですが、誇りを持って生きた祖父の気持ちを尊重して子供達に伝えていこうと思います。
自分は父から家紋を教わっていましたが、集合住宅なので家には家紋の印がありませんでした。一方、近所の古い民家の屋根の直ぐ下の壁横に、家のシンボルとして家紋が付いているのを昔、良く見かけた覚えがあります。
父が亡くなった時、親戚一同から家紋の話になり、丸に立ちオモダカと言う事を初めて知りました。
それ以来、家紋ってたくさん種類があることがわかり、ちょっと勉強していきたい分野になりました。
スゥエーデン出身の村雨さんて庭師さんが
とても素敵な家紋を創りましたね。
家紋は代々伝わる御家の印!ってCMありましたねえ。
懐かしい。
うちは父方が本家じゃないので裏ですが
母方が菊池水軍で違い鷹の羽。
うちは父方も母方もメジャーな家紋なので後世につけたんだろうなぁって思います
父方丸に立沢潟、母方丸に違い鷹の羽
メジャーな家紋の使用例、歴史ある名家(公家、殿様)の家紋としても使われていますね
先祖との繋がりは大切にしたいものです。
車紋から発生したとすると、ナンバープレートが家の印になった感じ⁉️面白い。
紺地に白抜きにしたら、かっこいいと思います。
うちの家紋は世界でうちだけの模様。武家なので戦国時代に分家する際に作られたらしいです。なので冠婚葬祭のときに、あらかじめ書き写した家紋の型を業者に渡さないと他の似た家紋を誤用されてしまいます。
我が家は丸に違い鷹の羽でした。
好きな動物がオオタカなのでちょっとうれしい(笑)
特に南九州で多く見られるとのこと。(関東に住んでるんだけどなぁ)
当家も同じ紋です。父方が弓矢に因む姓なので
元は武家だろうと推測しています。
うちは大中黒で新田義貞と同じものです 先祖の名前も源〇〇と書かれているのでもしかしたら源氏の子孫かもって家紋を最初に見たときワクワクしました
嘘家系図だろうが何だろうが、結婚の際に実は家は由緒のある家計で・・・と見せると嫁実家に対して面目を保つことができるぞ。
@ホークちゃん2号 良家子弟と結婚したという満足感は両家の関係を良くすると思います。
私の曽祖父の兄が長男で跡取りだったのに両親の許可なく結婚して廃嫡されたのですが、相手が武士の娘だったそうで良家の娘と結婚したと伝わっています。
曽祖父の兄は廃嫡されたものの実家との関係は良好だったようです。
@ホークちゃん2号 実は明治時代に作られたものじゃなくて昭和時代にひいおじいちゃんが一生をかけて調べ上げて作ったというものでして・・・ 私も学生なので大人にならないと本格的には調べられないので今は何とも言えませんが・・・
家紋の話でおじいちゃんが昔は家紋の中の一本線の両端が丸にくっついていなかったらしんですよ 今の形になったのは明治の苗字登録の時にやったみたいです
ちなみに苗字は新田なのですが やはり疑った方がいいですよねー
@ホークちゃん2号 あっいえいえ お気にならないでください 私も家紋と家系図と苗字がつじつまが微妙にあっているというだけで確定しているわけではありませんし、隠蔽しようと思えばいくらでもできてしまうような気がしますし・・・
なにより本当でもとっくに没落しているのでいまさら何もないなーと思います
忠臣蔵の浅野氏も鷹の羽じゃなかったでしたっけ?私の家は軍配です。
そもそも家紋というものは自分に名前があるように、当たり前のようにあるもの。騒ぎ立てるような話ではない。それを忘れてしまう背景は色々あると思うが、自身のルーツを探る一つを喪失するということ。考え方は人それぞれでしょうが、知らないより知っていた方がよろしいのでは?余談ですが、私はここに示している通り。
当家の家紋はアイコンの「流れ牛車」という紋です。人によっては「流れ源氏」と言う人もいます。松江松平家から賜ったそうで、当家しか使用していないようです。
女紋も奥方から賜ったと言う「中陰光琳鶴の丸」だそうです。
当家の家紋の名前は判っていません。
形は、丸の中に「土」の旧字体のような漢字が入っています。
地元では有名な庄屋・旧家だったのですが、先日引越で壊されてしまったので、有力な資料は望めません。
江戸中期以前は諸事情で苗字が違ったので、恐らく江戸中期以降からその家紋を使っていると思われます。
面白い形
家紋知りたかったら戸籍で辿れる大元家の墓を探ればいいね。(葉脈や葉っぱ、花びらの数までしっかり記録するのを薦める)
家紋を安易に新しく作るってのは控えた方がいい。今の代は自己満足で良いかもしれないが、後の代になって容易く先祖辿れなくぞ。
メジャーな家紋以外の紋を入れちゃうと既製品が無くて、完全オーダーになって高額になったり、取扱なかったり面倒になるデメリットもお忘れなく。
我が家は丸に揚羽蝶です。
我が家の家紋はお鍋の蓋のような単純なニ引き紋。分かり易いけれどちょっと不満だった事もあります。
山中家も祖母が、家紋を
大切に、していました!!
うちは父方が沢潟、母方は橘です。
自分の家の家紋は「丸に菊一」です。
功績を挙げて天皇から貰ったというのはわかってるんですが、詳しい情報がわかりません( `・ω・) ウーム…
菊紋とは凄いですね…。誇り高き一族ではないですか。
@@user-dt6zd9be9l 時の天皇から下賜されたと分かってるんですから勝手に菊紋にしたということはないでしょう。
皇室に仕えていたとは、畏れ多いことで、ございます。(滝汗
菊の紋にしてはネットとかで調べても全然出てこないんですよね(ᯅ̈ )
我が家の家紋は父方が「丸に笹竜胆」、母方が「丸に四ツ目菱」です。姓は「篠田」。父方の祖先は近江を故地とする佐々木氏と聞いていますが詳細は調べても判りません。
我が家は下がり藤です。
昔、屋号で区別もしていましたよね。
母方の家の屋号は「油屋」
小5?小6?の図工で板に彫刻刀で家紋を彫るという授業がありました。
屋号の「油屋」は多いですよね。
ウチの近所にもありました(埼玉南部)。
「千と千尋の神隠し」の湯屋もたしかそうですよね。
両家の家門を
新しく作って欲しいって言うけど
もし
別れたら
新しく作った家門
どうするんだろうね!
それ!
思いました‼
分家筋なら本家の家紋を丸や亀甲で囲うというのが一般的だと思います。
分かれても自分の家紋を使い続ければよい訳です。
私も森本ですが家紋は三階松で中が左よりです。祖父が染物を職業にしていたので紋帖は沢山ありました。珍しいものは鎖釜が交差したものとか。家紋は自分で作っていた方もいましたから苗字が同じでも同じ家紋を持つことは少ないと思います。
我が家は梅鉢紋です。
天満宮で使われてる紋と一緒だと教わりました。
家紋がどんな感じなのかは分からないけど、親父とお袋の苗字的に先祖が漁師と農民なんだろうなってのは分かる
家紋のセミナーがあれば参加したな
自分の祖母は旧姓が本多で家紋が立葵 祖父の方は明智の家紋だけど旧姓が明智ではないから直系じゃないと思う
明智だと桔梗ですが、桔梗紋土岐源氏の家がよく使っていて、菅沼氏はじめ、多治見氏、妻木氏、下石氏、肥田氏、小里氏、明智氏、久々利氏、石谷氏、土井氏、金森氏、蜂屋氏、乾氏、青木氏、原氏、浅野氏、深沢氏、饗庭氏、仙石氏、荻原氏、舟木氏、徳山氏、高井氏なども使っています。
@@rillakumao2473 自分の家も丸に桔梗ですが、松本市出身の友人や南アルプス市出身の友人の家も同じです。皆、上記の姓とは異なりますが、所領替えや、落ち延びた土地での生き残り等、全国に散らばっっていったのでは? と思います。
5:46 「丸に違い鷹の羽」は忠臣蔵で有名な浅野家の家紋。赤穂の浅野家が有名ですが、その本家広島藩の浅野家の家紋なんだよ。
明治まで広島では割と畏れ多い家紋だったんだよ(それが付いてるって事は広島藩主御用達って事だから)
ありふれてるとか言うんじゃねぇw
違うんよ
今は着物とかのレンタルとかで出回ってるんだよ
大抵の袴とか結婚式の奴がこれなんだよ
だから
ありふれた
になった
多分葬式のもそう
自分の家の家紋を知りたいなら墓か寺に聞くとわかる
違い鷹の羽は阿蘇家の紋ですが我が家の先祖のお墓に阿蘇家○代目、惟○の孫と記載され丸に揃い鷹の羽の家紋が彫ってありました。母の話では同じ紋では本家に申し訳ないので同じ鷹の羽で変えたのではと聞いています。
明治新姓で、それを使う人が増えたから、多いって言ってるんだと思う
我が家は丸に横木瓜。
家紋は自分のルーツと言いながら、結婚で両家の家紋を合体させた新種の家紋を作ってしまったら、子孫はルーツ探れなくなるよね。
そうですよ。まあ私的な紋としては好きにすればいいと思いますが、それはそれです。キッチリ区別して自分の家のいわば定紋というものは苗字とセットで大事にすべきだと思いますねえ。
@@user-dt6zd9be9l 先祖が決めたものだから、大事にしていくべきだと思うんですがね。平民階級においてはどこかの時点で「勝手に」決めたことでしょうが、一族の紋章として定めるに当たり、平民であっても子孫の繁栄や飛躍を願ったのではないかなと思うんです。まあテキトーな人も居たかもしれませんが笑
今の自分たちが生きているのは先祖あってのものですから、その人たちが確かに生きて継いできた証を継承するというのは先祖を敬うことであり、供養であり、またこれからの子孫に繋がることでもあるのかなと思います。
だから先祖代々の定紋はそれはそれで大事に継いでいくべきだろうと思いますね。自分の考えですが。
「ルーツ」とは必ずしも、どの血脈だとか家格がどうのではないんです。
good education. thank you for this video
40年数年前に見た古い系図で藤原秀郷を祖としますが我が家の家紋が丸に板屋貝です。
あまり世間では見た事ないですがどなたか詳細知りませんか?
墓参り行った時よそのお墓の紋見るの好きだったよ
我が家は九枚笹でなんかつまんなーいって思ってて
なんかカッコいいのがよかったーとか思ってたけど
伊達政宗のとこに笹が入ってたからおぉーってなった(語彙力)
桐の紋の着物は誰でも着ていいって言われてなんでだろーって思ってたけど
日本人なら納得だな
良い仕事をしていますね。是非、後続者を見付けて代々続けて欲しい仕事です。
我が家は丸に大。払いの無い大。
記述としては700年代に天皇さまから戴いた紋で正一位の紋でした。
明治以降の紋も苗字も…ましてや新しい紋等…考えられない発想です💦
家紋も苗字も、名前も大事に受け継ぐ事に文化としての意味があると思うのですが…。
信用ならぬ時代に突入した事に唖然😑
家の家紋は
王に丸の家紋です
自分の家は、九曜紋です❗
細川の流れで、赤穂の母方
そして大垣城主の末永です❗
我が一族の桓武平氏三浦氏流三つ引両はシンプルでいいんだけど、植物紋や器物紋もおしゃれですごいいいですよね。
うちは、丸に“霧”? っぽい家紋があります。
桐では?。
すんごく珍しい家紋だから情報提供したい...
うちもこの記者さんと同じ丸に鷹の羽で戦時中の鉄の供出まで両手に抱えるほどの日本刀の束と甲冑と火縄銃があったって祖父が言ってた。参勤交代にもついていってたらしい
小学生の祖父以外の男性は出征したり亡くなってたから本当は隠しておいたりできたけどおとなしく差し出しちゃったらしい
母方の実家が庄屋だったのだけど、鉄の供出を免れた槍を数本縁の下に隠していたら、終戦間もない頃に全て盗まれたそうです。
刀剣をいくつか残しても結局は失われる事になったかもしれないので、供出して良かったのではないかと思います。
@@user-qs6xv9id8n 確かに危ないですしね、、
それより似たようなエピソードが聞けてよかったです!祖父から聞いただけの話だったけど、当たり前だけどやっぱり鉄の供出とかあったんだなーって思いました笑笑
私の実家の家紋は、三つ梶葉の抱き合わせ。京都の古い呉服屋の家紋帳に残ってたと聞いた事があります。出来れば現物を見てみたい。
うちは、丸に剣片喰です
私の家と同じですね。
先祖は武士だったのかな?
うちは、丸に剣片喰の白と黒が反転している裏紋です
私の家も丸に剣片喰です。苗字と併せて歴史知りたいですね。
同じです
同じだ!
山中家 祖母が家紋の話大事に
していました!!
松で三階松左よろけです。北斗七星を型取り海外から九州に着き、水軍師で、代々権力者に、丁重に養護され。栄えたとこの当たり迄おぼろげながら聴きています。何処まで真実かは、定かではありません。
ウチは丸に三井です。
簡単に描けるし、シンプルで簡単なので良く使ってますw
家紋見たい人カモン☺️
ご葬儀のときのお写真ですが お寺さまの本堂の前で 撮られたものでしたら あの布地の家紋は お寺さまの家紋かもしれませんね。。 我が家の菩提寺さまの本堂にも 家紋の入った幕が かけられています。
いい~🍀ですね☀️😃❗
僕も家紋を
作りたいと思って
ますよ🎵
家紋集というのがあります。実用新案、商標登録されるものがあります。家紋自体は5000種はあるそうです。一般使用は300から500種程度だそうです。権利関係が発生する場合は掲載は不可となりますから。気おつける場合が出ます。
父方が丸に橘。
先祖は高野山の僧侶だとか?
母方が三階菱。
三菱創業の岩崎家と同じと曾祖父から聴かされたが?
@@user-dt6zd9be9l
良いじゃない。個人的に楽しんでるだけだから。マジで信じてる訳でも無くゲーム感覚ですよ。それを真に受けてる貴方も粋じゃ無い野暮ですよ。家紋などお遊びです。
家紋は変えれますからね。
おはようございます。もちろんです。家は丸に梅鉢です。御先祖は、薬売りで、長崎の隠れキリシタンの里五島列島から出て薬の行商をしていました。。中には五島列島の御殿医をしていた物もいます。あの有名な榎本武揚の紋も丸に梅鉢でした。
家の家紋は島根県にある素戔嗚命を祀る須佐神社の神紋と同じ。
最近知ったのだが、家紋について伝承は全く無い。
家紋は自由に選べるので先祖が適当に選んだだけかもしれませんが、問題は何故須佐神社の神紋を選んだのかその理由を知りたいですね。
素戔嗚命は蘇我氏の祖先ですから、皇国史観が教育されていた明治以降ならこの家紋は選ばないと思うのです。
家紋のデザイン自体、二重亀甲に蔓柏という他家の墓をみても同じ家紋は見つからない珍しいものです。
因みに私の祖先は武士で儒学の教育を生業としていたそうです。
@@user-dt6zd9be9l 素戔嗚命が出雲建てた宮殿が清地(スガ)でそれが須賀→ソガになったと日本書紀に記述があるそうです。
また蘇我入鹿を祀った入鹿神社には蘇我入鹿と素戔嗚命が祀られているとのこと。
上記のことから蘇我氏は出雲系で、素戔嗚命は蘇我氏の祖先だそうです。
関裕二の本にもその様な記述がありました。
@@user-dt6zd9be9l 藤原鎌足が豊璋とは関裕二はどこの国の手先だと私も思っているよ。
しかし関裕二の他にも地名と神社に誰が祀られているかを辿ることで、古代豪族のルーツを研究した本は読んだことがあり、蘇我氏と素戔嗚命には深い関係にあるのではと思っている。
蘇我入鹿が聖徳太子というのも荒唐無稽だと私も思うけど、蘇我氏のルーツが出雲と関係があるという説は一理あるのではないかと考えている。
私は古代史を深く勉強しているわけではないので、古代史に詳しい人がいつかコメントしてくれるのを待つことにするよ。
明治時代に作られた本家の墓にも須佐神社の神紋が描かれているので、家紋ができたのはそれ以前のことになる。
遠い祖先が出雲から出てきたとしたらその足どりを考えるだけでも面白い。
家の家紋は矢が交差しているので
違い矢と言うそうです
うちの家紋は四つ冠二つ巴です 呉服屋の紋帳にはありません 町史に載っていますが重たいです
うちの家紋かぁ…
わからんなぁ…
いつかおばあちゃんに聞いてみよ
お墓や紋付きの着物からも家紋について手がかりを得られると思います。
@@user-qs6xv9id8n
着物無いんですよね…
お墓はお盆に行けたら見てみようと思います!
我が家は丸に四方剣方喰でした。
我が家は「剣梅鉢」ですが、加賀前田家とは何のご縁もありません(笑)
うちの家系の家紋は上がり藤と下がり藤ですかね 土地もたくさんあったけど、戦争で没収。財産もね。
母方が下り藤です。藤原家の傍流らしいです。
@@user-dt6zd9be9l 間違ってました。バジリスク等で悪名高い会津藩主加藤家の系譜みたいです。流石に堂上では無いと思います
家紋が入った高張り提灯欲しい
家の家紋は笹竜胆で、源氏の家系ではよく使われている。
でも、明治以降家紋は自由に付けられると聞いてからあまりルーツとしての価値を感じなくなった。
父方は元々武士の家系で、祖母もかなりの資産家だったらしいが、戦後資産を失ったらしくルーツもはっきり聞いて無いうちに亡くなってしまった。
有名すぎる家紋からはルーツは辿れないなら、新しい家紋を作るのも良いのかもしれない。
紋章学は奥が深いから、みんなも本買ってねはーと
どこを探しても無いのです。
教えて下さい!!
梅鉢の外の丸が四角の菱形なんです。
真四角なんですが菱形で囲まれています。
ありますでしょうか?
“外の丸”と言うのは輪の部分のことですか?一瞬、梅鉢紋の外側の5つの丸のことかと思ったんですが違いますよね。
梅鉢紋を囲っている外側の紋が正方形かつ菱状になっているのは「隅立て角(すみたてかく)」だと思います。“隅立て角に梅鉢”ということになるのでは。
間違っていたらすみません。
大川周明
そうです😆👍
ありがとうございます🙇♀️
墓石屋さんにも行きましたが、誰も分からず…本当にありがとうございました🙇♀️✨✨✨
大川周明
何度も、すみません…
隅たて角に梅鉢の外枠の丸のない分なのですが、何で検索したらでてきますか?
家は
丸に隅立て四つ目結。
戦国の剣豪
佐々木小次郎の家紋
なかなか、含蓄のあるお話しを、誠にありがとうございます。
さて、手前どもと致しましては、何故「農民」なのに、立派な「家紋」であるのかが、不思議に思った次第です。 明治時代の名字混乱期?には勝手に他者の「家紋」を使うと言う事があったのかも知れません。
秀吉に刀狩りをされる前の戦国時代に武功があったのではありませんか?
父方の家紋は違い柏ですが意味は知りません
曽祖父様迄(昭和30数年頃)は土地を農家に貸して生計を立てていたよう様です…由来などは聞いた事有りません
家紋は勝手に変えることができる
そんなことを聞いたことがあった
この動画で新しい家紋を作っているのを見て
それもアリなのかよと思った
本来は嫁いで旦那の姓になっても
家紋は嫁ぐ前ご実家の家紋のままで
生まれた子供は旦那さんの家の家紋になるはず
ちなみにウチの家紋は
「丸に笹竜胆」です
現在の日本に家紋を取り締まると言った法律は無いので比較的自由に出来ます。(さすがに皇室の菊の御紋は無理ですが・・・)
新規に創作するとか、既存の複数の家紋の一部を取って一つにする手法もあります。(例:松・竹・梅を合わせて松竹梅紋、富士山・鷹・茄子を合わせて一富士二鷹三茄子紋 など)
@@nakahara.2024 さん
教えてくださり
ありがとうございます(^-^)
我が家の家紋は下り藤です。
同じかもしれないです!
苗字ってなんて言いますか?
@@user-rq2rt5ne2s
喜多方ラーメンで有名な○内と同じです。
@@user-uq2sk9ek6i 家紋は一緒でも苗字は違うんですね!
浅野家🏠️の家紋も、あの紋所‼️
新婦が優しく包み込む…
が
いずれ
ガッチリと
羽交い締めに…とか
((( ;゚Д゚)))
家は、丸に剣片喰。雅楽頭酒井氏の端っこ分家だろうね。苗字も同じ酒井だし家紋も同じ。本家には以前、螺鈿細工の白柄の施された宝刀があったらしいけど。(曾祖父の葬儀で、関西の雅楽やってた叔父がもってったという話。)
我が家は、丸に三つ鱗ですね。
笑い飯の人かと思った
うちは、丸に隅立て四つ目です。
えぇ、うちは「丸に三石」ですわ。先祖代々雑兵の家系ですんでwww
あまり自分の家の家紋好きじゃないから結婚する時に変えたいけど、嫁の家の家紋と併せて作ったのに、万が一離婚したら超絶恥かく感じになるから覚悟がいるな。
それはそれで替紋やら私紋やらそういうので良いんじゃないですかね。気軽に使えるサブ紋ということで。
家紋(定紋)好きじゃないのかもしれませんが、それはそれとして置いておいたらどうでしょう。印鑑で言う所の実印みたいなものですよ。
お子さんやお孫さんはいつかそれを大切に思う時が来るかもしれません。
私は六文銭です。
うらやましいなぁ六文銭
家紋は「丸に違い鷹の羽」
苗字は「松尾」
両方とも珍しくないけど
先祖のルーツはどこだろう?
大元がある程度位のある家だと、分家でも言い伝えられている話があるでしょうから…分かりやすいと思いますが、普通の平民となってくるとルーツの特定というのは難しくなりますね。
今の自分たちの苗字は明治時代(M3年〜8年にかけて)の国の政策で平民も公式的に使えるようになったものです。当時届け出を出す時に新しく創作した可能性もある一方で、江戸時代やもっと前から私的に名乗ってきた苗字をそのまま、或いは少し変化させて登録した場合もあります。
後者の場合、平民階級であってもそれこそ元武家であったとか、そうでなくとも部落の有力者であった可能性があります。
家紋は置いておいて、まずはそういった所を調べる必要があるでしょうね。
自分の家の家紋くらい皆知っていると思ってました・・・。
冨永さんと同じ家紋や〜
うちの家紋…デザインが単純で分かりやすかった。
さては丸の中にじゅうじ
遠山の金さん❗