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くじ引き将軍足利義教とバトった鎌倉公方は「足利持氏」でした。失礼しました。持氏滅亡後、結城合戦を経て、持氏の遺児「足利成氏」が鎌倉公方に就任します。その後、幕府と対立した成氏が古河公方に、幕府から派遣されたくじ引きの子「足利政知」が堀越公方となります。この政知の子が、「茶々丸」と11代将軍「足利義澄」です。
この辺りに、上杉氏(山内、扇谷、越後)、長尾氏(山内、越後上杉氏それぞれの家宰)の動きを交えて、且つ畿内の動きも併せて全体を連動させた流れを把握するのが本当に難しい・・・
足利成氏が鎌倉公方になるのは嘉吉の乱より後。1454年に享徳の乱が始まって古河に本拠地が移る。足利政知が鎌倉公方として堀越に入るのは足利義政が将軍になった後1458年。足利成氏の「成」は足利義成の偏諱で、足利政知の「政」は足利義政の偏諱ですから物事の順番はわかりやすいはずです。
持氏対立!→政知vs成氏!→上杉禅宗の乱!→長尾景春の乱!→上杉内分裂:扇谷vs山内。
くれがしさんの所で出てくる義成と義政は同一人物です!
@@lx1125 義成が義政の前名なのはここを見ている半分は知っていると思うし、知らなくても知らない名前が出てくれば調べるのを習慣にしないとね。
あれ?たつおうまるじゃなかったでしたっけ?
牧之原台地南部、遠州と信州をつないでいた塩の道にある「塩買坂」。今川義忠は遠州の横地・勝間田両一族を討伐後に、ここで残党に討たれました。
小鹿範満は義忠の従兄弟で扇ヶ谷上杉から奥さん貰っていたので薄い庶流と言う訳では無い。そもそも義忠の方が庶流筋ではなかったか?
茶々丸さんの事を語っている時は正に見て来ているかの様な感じでヤバイ奴だってのが物凄く伝わって来ました。
茶々丸、義教よりヤバい可能性浮上してて草
伊勢宗瑞は稀代の英雄と言われているけど、確かにそれに相応しい別格の傑物
早雲さんが晩年過ごした韮山城跡、本丸跡から富士山がキレイに見えて小田原城に本拠地を移しても残った気持ちよくわかります。
改めて見ると良いですね。独特な髪型も良きです。内容ももちろん面白いです。
ゆうきまさみ好きなんだよね、情報ありがとう読んでみるかなw😊
足利茶々丸のヤバさは、世界史レベルだと皇帝ネロよりも悪質と言われる位と思えば理解できると思います✨
13:26⁇?「俺は長男だぞ!」
北条早雲地元の英雄だから大河になって欲しいけど、資料が少ないから難しいんだろうなぁ。
富樫倫太郎氏の「北条早雲」や北条シリーズ(北条サーガ)がオススメです
今や高校の日本史Bの教科書にも「伊勢宗瑞」の名を伴って記されてますね
そうか、やっとそういう時代が来たか!私がまだ学生の頃はまだ北条早雲だった。ずっと待ってたよ!嬉しいね!!
どっかでぜひ尼子経久、毛利元就を取り上げてください!
ゆうきまさみさん好きなので『新九郎、奔る!』を紹介していただいて嬉しいです!
字は同じなのに、北条(ほうじょう)と北条(きたじょう)があったりしてすごく混乱したことがあります
氏綱の正妻が執権北条氏の末裔だかなんだかで、関東での武家の家格(両上杉だの乱立公方との関係上)を上げる必要性から時の室町幕府のお歴々に根回ししまくって、途絶えていた北条姓を名乗る許しを得て名乗り出したってのが近年の研究から言われてますよね。勝手に名乗ったはちょっと時代遅れな解釈かと思ったので。
コメントありがとうございます。氏綱の正妻とは養珠院のことですよね?黒田基樹先生の北条五代(2019年)では「出自は不明」とされていて、鎌倉北条の末裔であることは後世の創作とされていますが、氏綱の正妻が北条の末裔であることを裏付ける資料や論文があれば教えていただければ助かります。
@@sengokubanashi今話題の逃げ上手の若君こと北条時行の子孫の女性が氏綱の正妻になったから北条姓を名乗る理由にしたって説も有るそうです。
僕は司馬遼太郎の箱根の坂で北条早雲を知りました。
漫画「新九郎~」は確かにいいね。人物の姓名、官職名にディテールがあって好き。個別の戦国大名紹介なら、おらがムラの毛利元就公もいつか取り上げてほしいです。早雲とほぼ同時期で大器晩成。一国人→西国最大は結構な下克上と思うのですが。また三英傑以外で唯一、正一位の戦国大名です(明治追贈:長州藩閥のごり押しw)。
なんだかんだ言っても、北條早雲の姉は今川。同族ですね。武田に破れた今川氏真も北條氏を頼ってます。
唐澤義弘 更に加えて、後年の桶狭間の戦いで織田信長に討たれる事になる、あの義元(氏真の父親)から見ても早雲は、大叔父様に当たる人でもあるからね。
というか今川と伊勢氏・後北条は近親婚を繰り返して近交係数がかなり上がっていると思います。
解説動画ありがとうございます。茶々丸は元服する前に北条早雲に滅ぼされた悲劇の人物かと思っていましたが、とんでもない悪ガキだったのですね。それから、北条早雲と太田道灌に接点があったことも初めて知りました。北条早雲を大河ドラマで取り上げてほしいです。
北条早雲👍かっこいい泥臭さが良い🙆
戦記物としての北条早雲と実在する伊勢 宗瑞はあまりにも違い過ぎるけど架空の北条早雲も面白いので、三国志演義のように必要であるよな
早口で聞き取りにくいだからもうちょっとゆっくりにしてほしい
解説を聞くとかなり複雑な一族であることが分かった。伊勢新九郎は意図した訳でないけど幸運な生き残りなのだな、そういう幸運な人には逆らえない。例えば、渋沢栄一が農民から幕臣になり、徳川に使えて外国に行き、国内の戦乱にまきこまれることなく帰国して、何故か行政の中心に座り、実業の中心に押し上げられて、それ相当の地位に座らされる、これらは運命の成せる業としか言い様がない。歌手でもお笑い芸人でもアスリートにも同じようなことが起きる。何故奴が人気になるのか、何故彼女が長く続くのか理由が分からない人間がいるのも確かだ。戦国武将でも、理由なく生き延びる人間がいるのだろう。人の運命は分からないものだ。逆に努力を続けても、生涯目が出なくていつの間にか消えてしまう者もいるのは事実だ。太閤秀吉も、徳川家康も、小室圭も、それぞれ運命なのだろう。
新九郎奔るは、登場人物が横文字入り混じりで普通に会話してたり、小ネタをガツガツ挿してコメディ要素も入れてくるから時代劇感覚で読むと面をくらうでも面白いからオススメ
字きれいだね
北条早雲は最近は88才死亡説よりも64才死亡説の方が有力になっていますね。
意外ではない マイナー武将
伊勢宗瑞公は一度も北條を名乗ったこと無いと思うんだけど。名乗るのは氏綱公の代。
普通は「たつおうまる」じゃない?
どう森の 茶々丸とは ちと違う性格なのですね
ふんふん!
北条早雲はそもそも北条家とは無縁本当の名は伊勢新九郎つまり正式には伊勢家なぜ名乗ったかと言うと関東を支配するため名家北条と名乗った
だから、後北条氏として、区別はあります。名族出も、無くはありませんし。
北条氏綱の奥さんが北条家の末裔だったから北条名乗ったのが始まりですよ
確かに茶々丸はヤバい気がします。しかし政知からしたら成人した茶々丸よりも孫に近いような歳の子供の方が可愛いのは、わかる気が(笑)若くキレイな後妻との間の幼い子供と前妻との成人した子供どちらを可愛がるか(笑)少し違いますが秀次と秀頼にも通じるところがあると思います(笑)ただ茶々丸は滅ぼされた側なので悪く書かれている可能性もあるかも。伊東潤さんの【疾きこと風の如く】がこの事を題材にした小説です。今回の動画で興味持ったら是非呼んでみてください!
読んだ本はいずれも、龍王丸(たつおうまる)って書いてましたけど、昔の人名の読み方って何が正しいのか分かんないですよね…
少なくとも概要欄の参考文献での振り仮名は「たつおうまる」でした。
色々、気まずいことやらかす人ほど、たんびに名前変える説を唯一覆した人。ところで、小田原の早雲像は、火牛の計ですが、さすがにそれはないですよね。福祉や遺族年金の先駆けだった位有能な長なのは、間違いないでしょう。こどもを歴ヲタにしたいお父さんに、お奨めのデビュー城です。私は、会津若松城という血まみれ城に、連れて行かれトラウマを抱えました。
首狩る行為、鼻耳そぐ行為自体が実質、黒魔術やがな。歴史興味も子供の頃はほどほどにせんと…。
武士道さん ご講義ありがとうございます_(._.)_恐ろしき者は身内なり…💦今も昔も変わらないかも知れませんねWAO!!私は小田原城から2~30分の所に住んでいますが 近すぎて子供の頃しか小田原城へ入ったことはありません。北条五代祭りとか大名行列みたいな華やかな祭りが有名で 北条早雲の名前もあちこちで目にするのに勿体ないはなしですよね😅隣町内には頼朝の宍戸の岩やがあったり そんな中で生活しているのにw改めて 地元巡りもすべきだなぁと考えました。
この人の説明聞いてて、いつも思うんだけどさ。この説明じゃ、小学1年生は理解できないと思うよ。小学生でもわかるって言ってるけどさ。
北川殿は姉か妹かどっちかまだ分かっていないですよ
とっくに大河ドラマになっていてもおかしくない人物だが、NHK は何を考えているの?この時代の大河は 花の乱 だけだね❗️ NHK は視聴率ばかりにこだわって。国民の多くは戦国後期に関心度が高いが、そもそも、なぜこういう時代になったのかにもっと関心を持たなければね❗️この国の歴史なんだから。
財務省に忖度しているような気がします。北条早雲の統治を語ろうとすると、減税の話をする必要があるからです。現在でも小田原の英雄として人気が高いですが、それは減税をして領民を味方につけ、人口を増やして小田原を発展させたからです。彼と彼の子孫は財務省と真逆の政策を遂行して成功しているのです。本能寺の変で空白域になった甲斐の争奪戦になったとき、約5万の兵力を投入できるほどの大勢力になっていました。
伊勢宗瑞の出自については「最近の研究で」とおっしゃっていますが小和田哲男先生の6月27日の動画はご覧になったと思いますが1956年から研究検証がおこなわれていますね。今川義忠と小鹿範満はいとこですし「範」は今川家の通字ですから今川家内での力がなかったとは思えません。黒田基樹先生の「戦国北条五代」は面白い本ですがいかがですか?時系列でいうと1473年今川氏親誕生、1474年足利義尚将軍就任、1476年今川義忠戦死、1479年前将軍足利義政の御内書、1487年今川氏親家督継承ですね。
伊勢宗瑞は1483年から申次衆、1487年から伊豆侵攻まで奉公衆。今川義忠は斯波氏領国の遠江に侵攻しての戦死。1487年には斯波義寛は義尚のもとで六角征伐の主力となっている。義尚は義政・細川政元・伊勢貞宗らと関係が良好と言い切れない等々、「義政の御内書」については政治状況は微妙なところです。
そこはあえてちやんと伊勢宗瑞と書して欲しかったんね!
早雲と道灌いるとか,当時の今川家無双やん(信長の野望的には)
そら、今川から見たら、現在のヒーローは、皆どこの馬の骨です。
北川殿は妹だよ。
いや、以前は伊勢宗瑞の生年は1432年となっていて北川殿は妹とされていたが、現在では伊勢宗瑞は1456年生まれで北川殿も姉とするのがほぼ定説になっています。
次の総裁選に北条早雲出てくれないかなぁ私が応援します。
私は鳩山さんオシメンです👏
かみひこうき夢工房 同担拒否
@@fficialyoutubechannel1715 😂
@@リボーンドールかみひこうき夢工房 こんなおっさんあかんやろ~。
早雲が最初なん?てっきり畠山義就かと思ってたわ
くじ引き将軍足利義教とバトった鎌倉公方は「足利持氏」でした。失礼しました。
持氏滅亡後、結城合戦を経て、持氏の遺児「足利成氏」が鎌倉公方に就任します。
その後、幕府と対立した成氏が古河公方に、幕府から派遣されたくじ引きの子「足利政知」が堀越公方となります。
この政知の子が、「茶々丸」と11代将軍「足利義澄」です。
この辺りに、
上杉氏(山内、扇谷、越後)、
長尾氏(山内、越後上杉氏それぞれの家宰)の動きを交えて、
且つ畿内の動きも併せて全体を連動させた流れを把握するのが本当に難しい・・・
足利成氏が鎌倉公方になるのは嘉吉の乱より後。1454年に享徳の乱が始まって古河に本拠地が移る。
足利政知が鎌倉公方として堀越に入るのは足利義政が将軍になった後1458年。
足利成氏の「成」は足利義成の偏諱で、足利政知の「政」は足利義政の偏諱ですから
物事の順番はわかりやすいはずです。
持氏対立!→政知vs成氏!→上杉禅宗の乱!→長尾景春の乱!→上杉内分裂:扇谷vs山内。
くれがしさんの所で出てくる義成と義政は同一人物です!
@@lx1125 義成が義政の前名なのはここを見ている半分は知っていると思うし、
知らなくても知らない名前が出てくれば調べるのを習慣にしないとね。
あれ?たつおうまるじゃなかったでしたっけ?
牧之原台地南部、遠州と信州をつないでいた塩の道にある「塩買坂」。
今川義忠は遠州の横地・勝間田両一族を討伐後に、ここで残党に討たれました。
小鹿範満は義忠の従兄弟で扇ヶ谷上杉から奥さん貰っていたので
薄い庶流と言う訳では無い。
そもそも義忠の方が庶流筋ではなかったか?
茶々丸さんの事を語っている時は正に見て来ているかの様な感じでヤバイ奴だってのが物凄く伝わって来ました。
茶々丸、義教よりヤバい可能性浮上してて草
くじ引き将軍足利義教とバトった鎌倉公方は「足利持氏」でした。失礼しました。
持氏滅亡後、結城合戦を経て、持氏の遺児「足利成氏」が鎌倉公方に就任します。
その後、幕府と対立した成氏が古河公方に、幕府から派遣されたくじ引きの子「足利政知」が堀越公方となります。
この政知の子が、「茶々丸」と11代将軍「足利義澄」です。
伊勢宗瑞は稀代の英雄と言われているけど、確かにそれに相応しい別格の傑物
早雲さんが晩年過ごした韮山城跡、本丸跡から富士山がキレイに見えて小田原城に本拠地を移しても残った気持ちよくわかります。
改めて見ると良いですね。
独特な髪型も良きです。
内容ももちろん面白いです。
ゆうきまさみ
好きなんだよね、情報ありがとう
読んでみるかなw😊
足利茶々丸のヤバさは、
世界史レベルだと皇帝ネロよりも悪質と言われる位と思えば理解できると思います✨
13:26⁇?「俺は長男だぞ!」
北条早雲地元の英雄だから大河になって欲しいけど、資料が少ないから難しいんだろうなぁ。
富樫倫太郎氏の「北条早雲」や北条シリーズ(北条サーガ)がオススメです
今や高校の日本史Bの教科書にも「伊勢宗瑞」の名を伴って記されてますね
そうか、やっとそういう時代が来たか!私がまだ学生の頃はまだ北条早雲だった。ずっと待ってたよ!嬉しいね!!
どっかでぜひ尼子経久、毛利元就を取り上げてください!
ゆうきまさみさん好きなので『新九郎、奔る!』を紹介していただいて嬉しいです!
字は同じなのに、北条(ほうじょう)と北条(きたじょう)があったりしてすごく混乱したことがあります
氏綱の正妻が執権北条氏の末裔だかなんだかで、関東での武家の家格(両上杉だの乱立公方との関係上)を上げる必要性から時の室町幕府のお歴々に根回ししまくって、途絶えていた北条姓を名乗る許しを得て名乗り出したってのが近年の研究から言われてますよね。
勝手に名乗ったはちょっと時代遅れな解釈かと思ったので。
コメントありがとうございます。氏綱の正妻とは養珠院のことですよね?黒田基樹先生の北条五代(2019年)では「出自は不明」とされていて、鎌倉北条の末裔であることは後世の創作とされていますが、氏綱の正妻が北条の末裔であることを裏付ける資料や論文があれば教えていただければ助かります。
@@sengokubanashi今話題の逃げ上手の若君こと北条時行の子孫の女性が氏綱の正妻になったから北条姓を名乗る理由にしたって説も有るそうです。
僕は司馬遼太郎の箱根の坂で北条早雲を知りました。
漫画「新九郎~」は確かにいいね。人物の姓名、官職名にディテールがあって好き。
個別の戦国大名紹介なら、おらがムラの毛利元就公もいつか取り上げてほしいです。早雲とほぼ同時期で大器晩成。一国人→西国最大は結構な下克上と思うのですが。また三英傑以外で唯一、正一位の戦国大名です(明治追贈:長州藩閥のごり押しw)。
なんだかんだ言っても、北條早雲の姉は今川。同族ですね。武田に破れた今川氏真も北條氏を頼ってます。
唐澤義弘 更に加えて、後年の桶狭間の戦いで織田信長に討たれる事になる、あの義元(氏真の父親)から見ても早雲は、大叔父様に当たる人でもあるからね。
というか今川と伊勢氏・後北条は近親婚を繰り返して近交係数がかなり上がっていると思います。
解説動画ありがとうございます。
茶々丸は元服する前に北条早雲に滅ぼされた悲劇の人物かと思っていましたが、とんでもない悪ガキだったのですね。
それから、北条早雲と太田道灌に接点があったことも初めて知りました。
北条早雲を大河ドラマで取り上げてほしいです。
北条早雲👍かっこいい泥臭さが良い🙆
戦記物としての北条早雲と実在する伊勢 宗瑞はあまりにも違い過ぎるけど
架空の北条早雲も面白いので、三国志演義のように必要であるよな
早口で聞き取りにくいだからもうちょっとゆっくりにしてほしい
解説を聞くとかなり複雑な一族であることが分かった。伊勢新九郎は意図した訳でないけど幸運な生き残りなのだな、そういう幸運な人には逆らえない。例えば、渋沢栄一が農民から幕臣になり、徳川に使えて外国に行き、国内の戦乱にまきこまれることなく帰国して、何故か行政の中心に座り、実業の中心に押し上げられて、それ相当の地位に座らされる、これらは運命の成せる業としか言い様がない。歌手でもお笑い芸人でもアスリートにも同じようなことが起きる。何故奴が人気になるのか、何故彼女が長く続くのか理由が分からない人間がいるのも確かだ。戦国武将でも、理由なく生き延びる人間がいるのだろう。人の運命は分からないものだ。逆に努力を続けても、生涯目が出なくていつの間にか消えてしまう者もいるのは事実だ。太閤秀吉も、徳川家康も、小室圭も、それぞれ運命なのだろう。
新九郎奔るは、登場人物が横文字入り混じりで普通に会話してたり、小ネタをガツガツ挿してコメディ要素も入れてくるから時代劇感覚で読むと面をくらう
でも面白いからオススメ
字きれいだね
北条早雲は最近は88才死亡説よりも64才死亡説の方が有力になっていますね。
意外ではない マイナー武将
伊勢宗瑞公は一度も北條を名乗ったこと無いと思うんだけど。名乗るのは氏綱公の代。
普通は「たつおうまる」じゃない?
どう森の 茶々丸とは ちと違う性格なのですね
ふんふん!
北条早雲はそもそも北条家とは無縁
本当の名は伊勢新九郎つまり
正式には伊勢家
なぜ名乗ったかと言うと
関東を支配するため名家北条と
名乗った
だから、後北条氏として、区別はあります。
名族出も、無くはありませんし。
北条氏綱の奥さんが
北条家の末裔だったから
北条名乗ったのが始まりですよ
確かに茶々丸はヤバい気がします。
しかし政知からしたら成人した茶々丸よりも孫に近いような歳の子供の方が可愛いのは、わかる気が(笑)
若くキレイな後妻との間の幼い子供と
前妻との成人した子供
どちらを可愛がるか(笑)
少し違いますが
秀次と秀頼にも通じるところがあると思います(笑)
ただ茶々丸は滅ぼされた側なので悪く書かれている可能性もあるかも。
伊東潤さんの【疾きこと風の如く】がこの事を題材にした小説です。
今回の動画で興味持ったら是非呼んでみてください!
読んだ本はいずれも、龍王丸(たつおうまる)って書いてましたけど、昔の人名の読み方って何が正しいのか分かんないですよね…
少なくとも概要欄の参考文献での振り仮名は「たつおうまる」でした。
色々、気まずいことやらかす人ほど、たんびに名前変える説を唯一覆した人。
ところで、小田原の早雲像は、火牛の計ですが、さすがにそれはないですよね。
福祉や遺族年金の先駆けだった位有能な長なのは、間違いないでしょう。
こどもを歴ヲタにしたいお父さんに、お奨めのデビュー城です。
私は、会津若松城という血まみれ城に、連れて行かれトラウマを抱えました。
首狩る行為、鼻耳そぐ行為自体が実質、黒魔術やがな。歴史興味も子供の頃はほどほどにせんと…。
武士道さん ご講義ありがとうございます_(._.)_
恐ろしき者は身内なり…💦今も昔も変わらないかも知れませんねWAO!!
私は小田原城から2~30分の所に住んでいますが 近すぎて子供の頃しか小田原城へ入ったことはありません。
北条五代祭りとか大名行列みたいな華やかな祭りが有名で 北条早雲の名前もあちこちで目にするのに勿体ないはなしですよね😅
隣町内には頼朝の宍戸の岩やがあったり そんな中で生活しているのにw
改めて 地元巡りもすべきだなぁと考えました。
この人の説明聞いてて、いつも思うんだけどさ。
この説明じゃ、小学1年生は理解できないと思うよ。
小学生でもわかるって言ってるけどさ。
北川殿は姉か妹かどっちかまだ分かっていないですよ
とっくに大河ドラマになっていてもおかしくない人物だが、NHK は何を考えているの?
この時代の大河は 花の乱 だけだね❗️ NHK は視聴率ばかりにこだわって。
国民の多くは戦国後期に関心度が高いが、そもそも、なぜこういう時代になったのかにもっと関心を持たなければね❗️
この国の歴史なんだから。
財務省に忖度しているような気がします。北条早雲の統治を語ろうとすると、減税の話をする必要があるからです。現在でも小田原の英雄として人気が高いですが、それは減税をして領民を味方につけ、人口を増やして小田原を発展させたからです。彼と彼の子孫は財務省と真逆の政策を遂行して成功しているのです。本能寺の変で空白域になった甲斐の争奪戦になったとき、約5万の兵力を投入できるほどの大勢力になっていました。
伊勢宗瑞の出自については「最近の研究で」とおっしゃっていますが
小和田哲男先生の6月27日の動画はご覧になったと思いますが1956年から研究検証がおこなわれていますね。
今川義忠と小鹿範満はいとこですし「範」は今川家の通字ですから今川家内での力がなかったとは思えません。
黒田基樹先生の「戦国北条五代」は面白い本ですがいかがですか?
時系列でいうと1473年今川氏親誕生、1474年足利義尚将軍就任、1476年今川義忠戦死、1479年前将軍足利義政の御内書、1487年今川氏親家督継承ですね。
伊勢宗瑞は1483年から申次衆、1487年から伊豆侵攻まで奉公衆。
今川義忠は斯波氏領国の遠江に侵攻しての戦死。
1487年には斯波義寛は義尚のもとで六角征伐の主力となっている。
義尚は義政・細川政元・伊勢貞宗らと関係が良好と言い切れない等々、
「義政の御内書」については政治状況は微妙なところです。
そこはあえてちやんと伊勢宗瑞と書して欲しかったんね!
早雲と道灌いるとか,当時の今川家無双やん(信長の野望的には)
そら、今川から見たら、現在のヒーローは、皆どこの馬の骨です。
北川殿は妹だよ。
いや、以前は伊勢宗瑞の生年は1432年となっていて北川殿は妹とされていたが、現在では伊勢宗瑞は1456年生まれで北川殿も姉とするのがほぼ定説になっています。
次の総裁選に北条早雲出てくれないかなぁ
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私は鳩山さんオシメンです👏
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同担拒否
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早雲が最初なん?
てっきり畠山義就かと思ってたわ