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居島さんと井上さんのサムネでソッコーで見に来ました😊
「日本は真珠湾攻撃で戦果を上げたにも関わらず、巨大な戦艦大和を造った」と、時代背景や時系列には触れない批判はよく聞かされました。今ほど便利な電動工具などもない時代に、多くの職人さん達が心をひとつにして、驚異的な早さで造られたのが戦艦大和だったんですね。井上さんの話はいつも目頭が熱くなります。今日もありがとうございました。
素晴らしい教養ありがとぅございます。井上さんの発言には敬意を払います。
戦艦大和を題材として、戦前日本のモノづくりに対する意識や考え方を具現化したのが大和だと思います。更に戦後のモノづくり特にここ数十年における製造の空洞化に対する井上さんの危惧を端的にお話しされている様に思います。
戦艦ヤマトについて語られるのって戦闘力や航空機に沈められたことが多いけど、納期が前倒しで完成したこと、技術の凄さが戦後の日本の産業へ受け継がれ発展してきたことを教えてくれる人はいませんでした。井上さんは素晴らしく熱いですね。
こんにちは。ニコニコ会員にもなってます!井上さんのお話は、中学一年の息子にも、教えてあげたいです。歴史の真実を知る事。日本人が素晴らしいのだと、誇りを持ってもらいたいです。母、未来の子育てに井上さんのお話、役立てますー!
戦艦大和、カッコいいだけの話ではなく背景、製造、後世への影響など勉強になりました。そして製造に携わった方々に感謝。 エピソードで涙・・・。
井上さんの解説、すごく良かったです。
とても勉強になる回でした。教科書とか本だとなかなか自分から読もうとは思えない事もこういった動画でやっていただくとスッと入ってくるので良いですね👍居島さんは虎ノ門ニュースでの司会はもちろん良かったのですが闇鍋ジャーナルになって雑談とか大きな笑い声が聞けるようになったのが、とても嬉しいです😊これからも楽しみに拝見させていただきます。
大和ですら沈んだ海戦で残った雪風はやばいくらい凄いよね
戦後の護衛艦「ゆきかぜ」もいい船でした。たしかに事故もありましたが。なぜ、新造艦にこの誉れ高い名前を復活させないのか。
坊ノ岬での防空陣形である輪形陣形態で沖縄側(前方配置)であったか本土側(後方配置)であったかも見逃してはいけません。前方配置の左舷側にいた軽巡矢矧、駆逐艦浜風等は海戦戦闘中に轟沈しましたが、後方配置側の雪風、冬月、初霜は被弾数も少なく自力航行でき、戦闘後に轟沈した艦艇人員救助も手掛けてます。どこにいたか、何をなしたかなせえたかはそこも見ておくべきかと思います。生き残ったのにもある程度理由はありますよ…
@@rr4453 戦闘で生き残るというもはそういうことだよ。強い運、ほんの少しの位置や時間のずれが偶然の生死を分かち、勝敗を支配することもあるんだから。強いから勝つ、弱いから負けるだけではないんだよ。その武運をたたえ、あやかることを重んじることはよい。
井上さん、よく説明してくれました。そして、これからは航空機が主役、だといっても当時の日本の国力、技術力、生産能力で太平洋戦争を航空機で戦いぬくこと自体が非現実的でした。成立しないifを後知恵で論じても何の戦訓にもなりませんね。対艦巨砲主義の是非ではなく、これも温存せず最大限に活用できる戦い方も必須だった。それとあいまって限られた航空戦力を有効に利用すべきだったのに、中途半端かつ投機的に限られた航空戦力を投入して壊滅させてしまったんですね。
大和ミュージアムに行くと、身が引き締まります❕修学旅行でも広島を外さないで欲しいです。🇯🇵の周りは海なので、造船技術は凄いのでは🤔瀬戸内海には造船業が多い~🚢
今日のお話は、戦艦大和の製造システムに見る「ものづくりの国=日本」✨
国家存亡の危機に当時の軍人は危険な作戦を百も承知で引き受けたくだりは泣ける。😢
戦艦大和の作られた ドッグで 今は 護衛艦「かが」が 空母に改装中です‼️今現在 加賀 甲板は 耐熱塗装 工事が 4月中に終わる予定です‼️ このままの進み具合なら 加賀改装は 5月中に終わるかもしれません⁉️大変楽しみにしています‼️🤪😜😛😋😝
素晴らしい逸話ですね🙇だけど教育現場では読書しないからこのような素晴らしい知識を知る教師は居ませんなぁ😢
以前艦これやってたから、より専門用語が理解出来る令和の「やまと」は、46cm主砲の代わりに日本が開発したレールガンを搭載した戦艦になると予想しております。大和はやっぱり主砲ですよね!
井上和彦さんの解説は非常に良かったです。ありがとうございました🎉🎶
日本人のチーム連携の緻密さは、列車の緻密で安全な運行にも見ることができますね。外国なら、ヒトでは無理なのでITに置き換える(逃げる)ところでしょうが、それはむしろ莫大な費用がかかるように思います。
こういう事も学校で教えるべき
大東亜共栄圏。11宮家。君が代の意味。男系で世界最古の国。2683年続いた国。最近知りました‼️全く知らない。学校は🇯🇵の誇りある歴史を教えていない‼️
製造業では本当に苦労する納期前倒しで、半年早めるって材料確保も大変な時代だったろうに凄いですね。
井上さんと居島さんだいすきです🌷
大和の、最後の艦長有賀幸作さんと、同郷です。子供の頃から、有賀艦長の話を聞いていました。
開発設計、生産管理、製造現場、材料メーカーなど、現場を束ねるリーダーも凄かったんだろうな。
大和型戦艦 は ロマン !
戦艦大和のラムネ製造機は艦内消火装置の炭酸ガスを利用したものですね。アイスクリームも戦闘艦には不釣り合いに思えますが、長い外洋航海が続く戦艦では甘い物は乗員に大変好評だったそうで給糧艦 間宮という特務艦がトラック諸島などの日本海軍の停泊地に赴くと大歓迎されたそうです。生憎、日本では兵站は重視されなかったため間宮のような特務艦は二隻しか造られず、あとは輸送船の改造などに留まりましたが、アメリカなどでは当時からそういった食品製造、冷蔵装置が多くの艦に完備されていたそうです。
現在、艦船の製作はコンピューターですが、当時は何を使ったのでしょうか?ちなみに、聞いた話では、東京タワーは、計算尺であると!
莫大な費用がかかるだろうけど 大和引き上げて この国の多くの人に見て欲しい😃
大和の船体は三つに割れ艦橋の部分は爆発で粉々に為り悲惨な状態で海底に眠っています大和引き上げは艦と運命を共にした英霊の皆様の墓標を荒らし冒涜する行為に思えますYou Tubeで昔テレビ朝日が放送した沈没している大和の動画を視て頂くと手を触れてはいけないと思うでしょう
上部甲板を防弾強化した大和級のアーセナルシップがあったらいいな!
まあねえ、「あんな時代遅れなもの」をなんてよく言われるよね。そうじゃなく「なんで大和を上手く使いこなせなかったんだ」って言われるのなら頷くんだけどねえ。技術は全部、昔から延々と今につながって来ているんだって分かってほしいよなあ。戦後すぐに造船大国になったし、戦闘機とか作ってた技師が自動車や鉄道技術の方に流れて行って今があるんだけどねえ。でも理解してくれない人は理解してくれねえやなあ。「安けりゃいい」の一言で終わっちまう。
今の日本人、特に左巻きの方々は過去の歴史を見る時にその当時の状況やその当時の考え方を無視して、今の状況、今の考え方を過去に当てはめて裁断する誤りをおかしていることが非常に多い。左巻きの方々の大東亜戦争批判は過去を現在の基準で裁く愚をおかしています。その誤りを明確に指摘された解説でした。
大和の慶良間諸島乗り上げた戦法は戦国時代の九鬼水軍の大砲備えた浅瀬に乗り上げた安宅船の長島願証寺攻めの戦法に似てる
ミリオタ大興奮😂❤
居島さんの「巨大な産業遺産なんですね」に感服
❤️
覚えてる 田舎の村の国民学校二年生の時だ 学校から帰ると母が教えてくれた・・・父は戦争に往ってた 母と二人の暮らしだった日本゛誇る戦艦大和 全国は悲しみにくれた あれから八十年近くなった 井上さん日本の最高技術の傑作だった
凝りてぞ成れる浮きつ城日本人の知恵の結集凝固物であります😄
戦艦大和がなければ宇宙戦艦ヤマトという名作は生まれなかった。
自分の大叔父は戦艦大和の乗組員で通信兵でした。
数年前のTVから(記憶の範囲で)1964年オリンピックに向け首都高を建設。難工事の一つが江戸橋ジャンクション、従来構造では100本以上の橋脚が狭いエリアに密集、それを解決するアイデアが大きな横長門型の橋脚に上に複数の道路を載せる新構造。問題は大きな横長門型橋脚を作れるのか。戦艦大和の主砲を製作したのが日本製鋼、主砲の長尺かつ強靭な鉄鋼の製造技術を無くさず受け継いできた。その技術を応用して横長門型橋脚の製造を請け負い、新構造を採用した首都高の完成に至った。
当時海軍に残っていた最大最強の戦力である大和は、シブヤン海海戦の武蔵が見せた防御力によって沖縄を救う一縷の望みがあったと思います。本土決戦のため温存してもおかしくない大和を出撃させたは、沖縄を見捨てない覚悟だったのではないでしょうか?
宇宙がついた七文字も好物ですw
戦艦大和の命日と言う言葉、日本らしい考えでちょっと うるっとしました。
大和型の大型戦艦を作った技術、ノウハウは戦後の大型タンカーの開発、量産にも活かされてましたね。小型船舶しかつくってない国ではいきなり巨大な構造体であるタンカーなど造れるものではありません…
4月7日は大和の命日、自分の誕生日だわ大和は好きやで
「闇鍋」・・なので、夜の番組だと思っていました。08時からの放送だったのですね!
居島さんが名付け親なんです😊夜は、毎週ではありませんが、金曜にライブ「夜ナマ(視聴者とリモート飲み会)」✨
オジキって寂しがり屋さんなんですね😊
大和に乗艦した司令部の伊藤長官、森下参謀長、有賀艦長そして矢萩で第二艦隊を警護指揮した古村長官、原艦長等、現場は優秀な人材が最後まで全力で頑張りました。記録を見る度現場は優秀ということにつきますね😢
私の母方の従兄弟も学徒出陣の予備士官として大和に乗組、沖縄特攻作戦で戦死されたと母から聞かされていました。ですので大和に対する思い入れは強いと思いますね。やはり、男子として生まれたからにはケップとして大和の指揮を取りたいですね。これ時代遅れですかね?
後から前(先史)を批判する事は馬&鹿でも出来るが・・・当時に批判や賛同とか真面な判断が出来るが重要ですね。
h本編はニコニコで拝見しております🙏TH-camでも登録していますが一気に全部視聴したい‼️夜生もニコニコです。勿論有料会員です❤
日本のものつくりはいまでも世界一です。何故それを強みにできていないかが問題です。
戦艦大和の美しさとそれ自体の存在価値は時代を超えても語り継がれそれ時代の精神性や自己犠牲等も含め伝えてくれる。精神性を失った現代に於いては道しるべになるだろう。
地上波でやるべき内容
大和の遺した技術・データが、戦後日本の造船や鉄道や製鉄とかの基盤になった、らしい。
現在海自に全通甲板の護衛艦は「いずも」「かが」「いせ」を所有してます。この流れとして、少し大型化した「やまと」「むさし」が命名されるのではないかとドキドキしてます。現代の艦船の工程管理には当時無かった「ソフトウェア」の工程管理が必要になるわけです。ソフトの工程管理をハードウェア管理方法をそのまま適用とした時代(80から90年頃)でギクシャクした経緯が足を引っ張ってしまったような気がします。
また大和ミュージアムへ行きたくなりました(^_^)/
胸打つ話だ!
病院へ行け!。。。突然思い出した。きょうは行かないとダメだな。行くのを忘れる。。。しょうがないわな。認知症だもの。
良い発言をありがとう 応援します
このコメントと返信がシュール過ぎる…
お大事に
アニメ決断第24話「連合艦隊の最期」でスプルーアンスの葛藤が見れます。ナレーションの「大和を飛行機の餌食にしたくない」が全てを物語っています。😢
大和を沖縄に出撃させた本当の理由大和は停泊中でも一日あたり50トンの燃料を消費する。昭和20年4月に大和に与えられた燃料は2000トン。40日足らずで動けなくなるよりは沖縄に行った方がいいという案が浮上した。
須田さんは、お忙しいですね。
たしかに MRJの断念は残念でした。計画が持ち上がった時から報道を追っていたので,がっかりしました。ただ,断念した原因が,製造業としての地力が落ちたからだとするのは,どうですかね。というのは,いずれ米国での型式を取れることは確実だったので。ただし,型式をとる上での情報収集に欠陥があったのではないか。そのために,何度も設計変更をせざるを得なかった。同じようなことが,じつはその何年の前の豪華客船の建造でもありました。これも断念も追い込まれたわけですが。同じような失敗をやっているんですよね。
漫画アルキメデスの大戦で戦艦大和を対戦艦ではなく対地攻撃に使用するアイディアは面白かった。米海軍のように艦砲射撃で対地攻撃に使用するシチュエーションに恵まれていたら歴史の評価が変わったのかな。
素人の意見ですが、旧日本軍の戦艦、戦闘機はデザインも性能も世界的レベルなのに戦車は何故、地味だったんだろう。
船に乗せて外地へ運ばなきゃいけないから大きなものは無理とか
須田さんが不機嫌そう。しっかりして~!!!(笑)
特急あじあまで飛び出てくるか。
井上さんは🎞️GODZILLA➖1は当然鑑賞しているでしょう!
須田さんの否定的なものいいはNGのテーマ。
大和クラスのアイオワ級戦艦を4隻保有していたアメリカの力って…大和よりアイオワ級が大好きな私。
武蔵も語って。
井上さんが専門的知識に酔いしれて、一人で語り続けるのは良いのですが、須田さんが、しらけさせないよう周囲に気遣いしているのがよくわかります。須田さんが合間に入れるジョークを、井上さんが話の中に挿入できればもう少し聞きやすいとは思います。
居島一平氏の芸名「大本営八俵」の由来を知りたい。
井上さんの言われるとうりだと思います❗が運用を考えできなかった❗トラック島から輸送船をおいてきた結果沖縄の無ぶうな結果になったのでしょうか⁉️士官のみが実費でフルコースです!あまり盛らないでください⁉️
大和・武蔵は見事な船でしたが三番艦の信濃は数本の魚雷で沈みました。
副砲は軽巡最上(もがみ)級を改装して重巡にする時、余った元の主砲の再利用です。装甲防御が軽巡基準なので、他の部分とは不釣り合いに弱かったと言われています。
製造業を軽んじてきたというのは、船を作ることに関してでしょうかね。名誉を守りたいし、私も製造業にいたことがあるので言いますが、「トヨタの品質管理」というのは、ものすごい技術ですけどね。ポカヨケ対策だったり、工程内の不良を見分けるのは誰だろうと思ったら、年配のご婦人ですよ。井上さんが嘆くのも分かるけど、脈々と日本らしさは生きているのは、いろんな製造業を回ればわかると思います。軍事に特化するのもいいけど、そういう足りないところは、他のエンジニアやご婦人に聞いてみるのもいいですよ。
乗り上げて少しでも傾斜すると正確な射撃ができない。横に傾くのと前後に傾くのも同様。浮砲台は図上の空論!
好きねぇ。
何も活躍せずに沈んでしまった理由がわかったような気がします。
大変面白く拝見させていただきましたが、それ以上にどうにも釈然としない物を感じています。昨今、「物事を経済活動の面から解説する」というのが流行りで、それが聴視者からも歓迎を受けているようですが、「こちらの動画もその部類に入るように感じる。」というのが「釈然としない」事の主な理由なんだと思います。私は最近、 ・経済活動的に優れていれば必ず評価されて然るべきなんでしょうか。 ・人にとって、一番大切なものは経済活動なのでしょうか。という事をよく考えるのですが、この動画を見ている時にも、ずっとそのことを考えていました。と言いますか、解説している方にこれを質問したくて仕方ありませんでした。※ 上のように書くと、 「動画の最後の方でレイモンド・スプルーアンス氏の話もあったではないか? あれは経済活動の話ではなくて、人として、という話だったのでは?」 と思われる方もいるのではないかと思いますが、武士道精神のために何百、何千という兵士を 犠牲にされたのではたまらないと私は感じてしまいました。 中には不本意ながら徴兵されてその場にいた方もいたでしょうし、 その方たちが「武士道のために死傷することも止む無し」というのは 人として正しいとはどうしても思えませんし、美しいとも思えません。
のちの零戦は開発名「十二試艦上戦闘機」つまり昭和12年です。制式採用は昭和15年。実戦デビューも同年。大和を沈めたのと同じ、魚雷を積む九七艦攻の採用はその名の通り、零戦の3年前ですよ。「当時ロクな航空機がない」ですって?大和擁護は否定しませんが、事実を捻じ曲げてはいけません。
月曜日の切り分けだけと、金曜日には完全にニュース色なくなりますね・・・残念。
月曜日のライブの切り分け、土曜日にも配信してますよ☺️(日曜日は完全にお休み)
…で、結局、負けてしまったわけね。技術も大事だが、策も大事ってわけで。しかし、現在は技術も策も崩壊しかかっている…
大艦巨砲主義批判への反論なんてまだやっているんですね。実際は運用面や人材面での批判が主流だと思いますが、山本五十六批判は最近も門田隆将さんや河野克次さん、竹田恒泰さんなんかもよくされています。レイテで駆逐艦1隻、特攻で戦闘機3機でしたか。大和の戦果は。
井上の話は、長いよ!
居島さんと井上さんのサムネでソッコーで見に来ました😊
「日本は真珠湾攻撃で戦果を上げたにも関わらず、巨大な戦艦大和を造った」と、時代背景や時系列には触れない批判はよく聞かされました。
今ほど便利な電動工具などもない時代に、多くの職人さん達が心をひとつにして、驚異的な早さで造られたのが戦艦大和だったんですね。
井上さんの話はいつも目頭が熱くなります。今日もありがとうございました。
素晴らしい教養ありがとぅございます。井上さんの発言には敬意を払います。
戦艦大和を題材として、戦前日本のモノづくりに対する意識や考え方を具現化したのが大和だと思います。更に戦後のモノづくり特にここ数十年における製造の空洞化に対する井上さんの危惧を端的にお話しされている様に思います。
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こんにちは。
ニコニコ会員にもなってます!
井上さんのお話は、中学一年の息子にも、教えてあげたいです。
歴史の真実を知る事。
日本人が素晴らしいのだと、誇りを持ってもらいたいです。
母、未来の子育てに井上さんのお話、役立てますー!
戦艦大和、カッコいいだけの話ではなく背景、製造、後世への影響など勉強になりました。そして製造に携わった方々に感謝。
エピソードで涙・・・。
井上さんの解説、すごく良かったです。
とても勉強になる回でした。教科書とか本だとなかなか自分から読もうとは思えない事も
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居島さんは虎ノ門ニュースでの司会はもちろん良かったのですが
闇鍋ジャーナルになって雑談とか大きな笑い声が聞けるようになったのが、とても嬉しいです😊
これからも楽しみに拝見させていただきます。
大和ですら沈んだ海戦で残った雪風はやばいくらい凄いよね
戦後の護衛艦「ゆきかぜ」もいい船でした。たしかに事故もありましたが。
なぜ、新造艦にこの誉れ高い名前を復活させないのか。
坊ノ岬での防空陣形である輪形陣形態で沖縄側(前方配置)であったか本土側(後方配置)であったかも見逃してはいけません。前方配置の左舷側にいた軽巡矢矧、駆逐艦浜風等は海戦戦闘中に轟沈しましたが、後方配置側の雪風、冬月、初霜は被弾数も少なく自力航行でき、戦闘後に轟沈した艦艇人員救助も手掛けてます。どこにいたか、何をなしたかなせえたかはそこも見ておくべきかと思います。生き残ったのにもある程度理由はありますよ…
@@rr4453 戦闘で生き残るというもはそういうことだよ。強い運、ほんの少しの位置や時間のずれが偶然の生死を分かち、勝敗を支配することもあるんだから。
強いから勝つ、弱いから負けるだけではないんだよ。
その武運をたたえ、あやかることを重んじることはよい。
井上さん、よく説明してくれました。
そして、これからは航空機が主役、だといっても当時の日本の国力、技術力、生産能力で太平洋戦争を航空機で戦いぬくこと自体が非現実的でした。成立しないifを後知恵で論じても何の戦訓にもなりませんね。
対艦巨砲主義の是非ではなく、これも温存せず最大限に活用できる戦い方も必須だった。それとあいまって限られた航空戦力を有効に利用すべきだったのに、中途半端かつ投機的に限られた航空戦力を投入して壊滅させてしまったんですね。
大和ミュージアムに行くと、身が引き締まります❕修学旅行でも広島を外さないで欲しいです。🇯🇵の周りは海なので、造船技術は凄いのでは🤔瀬戸内海には造船業が多い~🚢
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国家存亡の危機に当時の軍人は危険な作戦を百も承知で引き受けたくだりは泣ける。😢
戦艦大和の作られた ドッグで
今は 護衛艦「かが」が 空母に改装中です‼️
今現在 加賀 甲板は 耐熱塗装 工事が 4月中に終わる予定です‼️ このままの進み具合なら 加賀改装は 5月中に終わるかもしれません⁉️
大変楽しみにしています‼️🤪😜😛😋😝
素晴らしい逸話ですね🙇
だけど教育現場では読書しないからこのような素晴らしい知識を知る教師は居ませんなぁ😢
以前艦これやってたから、より専門用語が理解出来る
令和の「やまと」は、46cm主砲の代わりに日本が開発したレールガンを搭載した戦艦になると予想しております。大和はやっぱり主砲ですよね!
井上和彦さんの解説は非常に良かったです。ありがとうございました🎉🎶
日本人のチーム連携の緻密さは、列車の緻密で安全な運行にも見ることができますね。外国なら、ヒトでは無理なのでITに置き換える(逃げる)ところでしょうが、それはむしろ莫大な費用がかかるように思います。
こういう事も学校で教えるべき
大東亜共栄圏。11宮家。君が代の意味。男系で世界最古の国。2683年続いた国。
最近知りました‼️
全く知らない。
学校は🇯🇵の誇りある歴史を教えていない‼️
製造業では本当に苦労する納期前倒しで、半年早めるって材料確保も大変な時代だったろうに凄いですね。
井上さんと居島さんだいすきです🌷
大和の、最後の艦長有賀幸作さんと、同郷です。
子供の頃から、有賀艦長の話を聞いていました。
開発設計、生産管理、製造現場、材料メーカーなど、現場を束ねるリーダーも凄かったんだろうな。
大和型戦艦 は ロマン !
戦艦大和のラムネ製造機は艦内消火装置の炭酸ガスを利用したものですね。
アイスクリームも戦闘艦には不釣り合いに思えますが、長い外洋航海が続く戦艦では甘い物は乗員に大変好評だったそうで給糧艦 間宮という特務艦がトラック諸島などの日本海軍の停泊地に赴くと大歓迎されたそうです。
生憎、日本では兵站は重視されなかったため間宮のような特務艦は二隻しか造られず、あとは輸送船の改造などに留まりましたが、アメリカなどでは当時からそういった食品製造、冷蔵装置が多くの艦に完備されていたそうです。
現在、艦船の製作はコンピューターですが、当時は何を使ったのでしょうか?
ちなみに、聞いた話では、東京タワーは、計算尺であると!
莫大な費用がかかるだろうけど 大和引き上げて この国の多くの人に見て欲しい😃
大和の船体は三つに割れ艦橋の部分は爆発で粉々に為り
悲惨な状態で海底に眠っています
大和引き上げは艦と運命を共にした英霊の皆様の墓標を荒らし冒涜する行為に思えます
You Tubeで昔テレビ朝日が放送した沈没している大和の動画を視て頂くと
手を触れてはいけないと思うでしょう
上部甲板を防弾強化した大和級のアーセナルシップがあったらいいな!
まあねえ、「あんな時代遅れなもの」をなんてよく言われるよね。そうじゃなく「なんで大和を上手く使いこなせなかったんだ」って言われるのなら頷くんだけどねえ。
技術は全部、昔から延々と今につながって来ているんだって分かってほしいよなあ。
戦後すぐに造船大国になったし、戦闘機とか作ってた技師が自動車や鉄道技術の方に流れて行って今があるんだけどねえ。
でも理解してくれない人は理解してくれねえやなあ。「安けりゃいい」の一言で終わっちまう。
今の日本人、特に左巻きの方々は過去の歴史を見る時にその当時の状況やその当時の考え方を無視して、今の状況、今の考え方を過去に当てはめて裁断する誤りをおかしていることが非常に多い。左巻きの方々の大東亜戦争批判は過去を現在の基準で裁く愚をおかしています。
その誤りを明確に指摘された解説でした。
大和の慶良間諸島乗り上げた戦法は戦国時代の九鬼水軍の大砲備えた浅瀬に乗り上げた安宅船の長島願証寺攻めの戦法に似てる
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居島さんの「巨大な産業遺産なんですね」に感服
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覚えてる 田舎の村の国民学校二年生の時だ 学校から帰ると母が教えてくれた・・・父は戦争に往ってた 母と二人の暮らしだった
日本゛誇る戦艦大和 全国は悲しみにくれた あれから八十年近くなった 井上さん日本の最高技術の傑作だった
凝りてぞ成れる浮きつ城
日本人の知恵の結集凝固物であります😄
戦艦大和がなければ宇宙戦艦ヤマトという名作は生まれなかった。
自分の大叔父は戦艦大和の乗組員で通信兵でした。
数年前のTVから(記憶の範囲で)
1964年オリンピックに向け首都高を建設。難工事の一つが江戸橋ジャンクション、従来構造では100本以上の橋脚が狭いエリアに密集、それを解決するアイデアが大きな横長門型の橋脚に上に複数の道路を載せる新構造。問題は大きな横長門型橋脚を作れるのか。
戦艦大和の主砲を製作したのが日本製鋼、主砲の長尺かつ強靭な鉄鋼の製造技術を無くさず受け継いできた。その技術を応用して横長門型橋脚の製造を請け負い、新構造を採用した首都高の完成に至った。
当時海軍に残っていた最大最強の戦力である大和は、シブヤン海海戦の武蔵が見せた防御力によって沖縄を救う一縷の望みがあったと思います。
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宇宙がついた七文字も好物ですw
戦艦大和の命日と言う言葉、日本らしい考えでちょっと うるっとしました。
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小型船舶しかつくってない国ではいきなり巨大な構造体であるタンカーなど造れるものではありません…
4月7日は大和の命日、自分の誕生日だわ
大和は好きやで
「闇鍋」・・なので、夜の番組だと思っていました。08時からの放送だったのですね!
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夜は、毎週ではありませんが、金曜にライブ「夜ナマ(視聴者とリモート飲み会)」✨
オジキって寂しがり屋さんなんですね😊
大和に乗艦した司令部の伊藤長官、森下参謀長、有賀艦長そして矢萩で第二艦隊を警護指揮した古村長官、原艦長等、現場は優秀な人材が最後まで全力で頑張りました。記録を見る度現場は優秀ということにつきますね😢
私の母方の従兄弟も学徒出陣の予備士官として大和に乗組、沖縄特攻作戦で戦死されたと母から聞かされていました。ですので大和に対する思い入れは強いと
思いますね。やはり、男子として生まれたからにはケップとして大和の指揮を取りたいですね。これ時代遅れですかね?
後から前(先史)を批判する事は馬&鹿でも出来るが・・・当時に批判や賛同とか真面な判断が出来るが重要ですね。
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日本のものつくりはいまでも世界一です。何故それを強みにできていないかが問題です。
戦艦大和の美しさとそれ自体の存在価値は時代を超えても語り継がれそれ時代の精神性や自己犠牲等も含め伝えてくれる。精神性を失った現代に於いては道しるべになるだろう。
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大和の遺した技術・データが、戦後日本の造船や鉄道や製鉄とかの基盤になった、らしい。
現在海自に全通甲板の護衛艦は「いずも」「かが」「いせ」を所有してます。
この流れとして、少し大型化した「やまと」「むさし」が命名されるのではないかとドキドキしてます。
現代の艦船の工程管理には当時無かった「ソフトウェア」の工程管理が必要になるわけです。
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足を引っ張ってしまったような気がします。
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お大事に
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大和を沖縄に出撃させた本当の理由
大和は停泊中でも一日あたり50トンの燃料を消費する。
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40日足らずで動けなくなるよりは沖縄に行った方がいいという案が浮上した。
須田さんは、お忙しいですね。
たしかに MRJの断念は残念でした。計画が持ち上がった時から報道を追っていたので,がっかりしました。ただ,断念した原因が,製造業としての地力が落ちたからだとするのは,どうですかね。というのは,いずれ米国での型式を取れることは確実だったので。ただし,型式をとる上での情報収集に欠陥があったのではないか。そのために,何度も設計変更をせざるを得なかった。同じようなことが,じつはその何年の前の豪華客船の建造でもありました。これも断念も追い込まれたわけですが。同じような失敗をやっているんですよね。
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素人の意見ですが、旧日本軍の戦艦、戦闘機はデザインも性能も世界的レベルなのに戦車は何故、地味だったんだろう。
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須田さんが不機嫌そう。しっかりして~!!!(笑)
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大和よりアイオワ級が大好きな私。
武蔵も語って。
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井上さんの言われるとうりだと思います❗が運用を考えできなかった❗トラック島から輸送船をおいてきた結果沖縄の無ぶうな結果になったのでしょうか⁉️士官のみが実費でフルコースです!あまり盛らないでください⁉️
大和・武蔵は見事な船でしたが三番艦の信濃は数本の魚雷で沈みました。
副砲は軽巡最上(もがみ)級を改装して重巡にする時、余った元の主砲の再利用です。装甲防御が軽巡基準なので、他の部分とは不釣り合いに弱かったと言われています。
製造業を軽んじてきたというのは、船を作ることに関してでしょうかね。
名誉を守りたいし、私も製造業にいたことがあるので言いますが、「トヨタの品質管理」というのは、ものすごい技術ですけどね。
ポカヨケ対策だったり、工程内の不良を見分けるのは誰だろうと思ったら、年配のご婦人ですよ。
井上さんが嘆くのも分かるけど、脈々と日本らしさは生きているのは、いろんな製造業を回ればわかると思います。
軍事に特化するのもいいけど、そういう足りないところは、他のエンジニアやご婦人に聞いてみるのもいいですよ。
乗り上げて少しでも傾斜すると正確な射撃ができない。横に傾くのと前後に傾くのも同様。浮砲台は図上の空論!
好きねぇ。
何も活躍せずに沈んでしまった理由がわかったような気がします。
大変面白く拝見させていただきましたが、それ以上にどうにも釈然としない物を感じています。
昨今、「物事を経済活動の面から解説する」というのが流行りで、それが聴視者からも歓迎を受けているようですが、「こちらの動画もその部類に入るように感じる。」というのが「釈然としない」事の主な理由なんだと思います。
私は最近、
・経済活動的に優れていれば必ず評価されて然るべきなんでしょうか。
・人にとって、一番大切なものは経済活動なのでしょうか。
という事をよく考えるのですが、この動画を見ている時にも、ずっとそのことを考えていました。と言いますか、解説している方にこれを質問したくて仕方ありませんでした。
※ 上のように書くと、
「動画の最後の方でレイモンド・スプルーアンス氏の話もあったではないか?
あれは経済活動の話ではなくて、人として、という話だったのでは?」
と思われる方もいるのではないかと思いますが、武士道精神のために何百、何千という兵士を
犠牲にされたのではたまらないと私は感じてしまいました。
中には不本意ながら徴兵されてその場にいた方もいたでしょうし、
その方たちが「武士道のために死傷することも止む無し」というのは
人として正しいとはどうしても思えませんし、美しいとも思えません。
のちの零戦は開発名「十二試艦上戦闘機」つまり昭和12年です。制式採用は昭和15年。実戦デビューも同年。大和を沈めたのと同じ、魚雷を積む九七艦攻の採用はその名の通り、零戦の3年前ですよ。「当時ロクな航空機がない」ですって?大和擁護は否定しませんが、事実を捻じ曲げてはいけません。
月曜日の切り分けだけと、金曜日には完全にニュース色なくなりますね・・・残念。
月曜日のライブの切り分け、土曜日にも配信してますよ☺️
(日曜日は完全にお休み)
…で、結局、負けてしまったわけね。技術も大事だが、策も大事ってわけで。しかし、現在は技術も策も崩壊しかかっている…
大艦巨砲主義批判への反論なんてまだやっているんですね。
実際は運用面や人材面での批判が主流だと思いますが、山本五十六批判は最近も門田隆将さんや河野克次さん、竹田恒泰さんなんかもよくされています。
レイテで駆逐艦1隻、特攻で戦闘機3機でしたか。大和の戦果は。
井上の話は、長いよ!