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推しは作るものではなく落ちるものなんですよ・・・まさか・・・まさか私がアイドルに沼るなんて・・・の葛藤から始まるものなのです
てけさんもおっしゃってましたがやはり分散投資が大事だと思ってます。最推しは別格としても他界隈にもゆる推しを置いて視野を狭めない。依存しない。推し活してる人を見てると本人の恋愛傾向と推し方って直結するところがあると感じますね。
バランスの良い推し活と言われても考えてしまうのは経済的な事柄で、例えばこのチャンネルでも触れられていたように現在音楽産業の売上は過去最高となっていて、そこに寄与しているのはやはり推し活だと考えています(タワレコが最高益を出したという記事でも「推し活応援」が強調されていた)。企業やメディアが「推し活」というフレーズで消費社会への参加を煽っている状態があって、ここに大規模な経済効果があるとわかった現在、ますます推し活にのめり込ませて大量消費を促す流れは止まらないと思います。
推しという言葉が安易に使われ、推し活が「良きこと」として手放しに賞賛される昨今の風潮にはずっと疑問を抱いていましたヒトだろうとモノだろうとコトだろうと、何か一つの存在だけに依存して生きるのは全くもって健全ではないと思います動画内で投資の例えがありましたが、それこそ推しも分散投資したほうが身のためですよね
私は真逆で人との距離を取りすぎるため、人の心理について考えさせられる内容でした。投資(投機)の例えは素晴らしくちょっとの傷が大きな痛みをもたらします。きっとファンで同じ位好きでも、個々人で感覚が大きく異なるのでしょう。唯一の推し活はサマソニのクラファン位かな?フェスが無くなったら生きていけないかもしれないです。アジカン後藤さんのクラファンなど、また推し活のやり方も時代で変わってきていますね。
75点のものが120点に見える、というかファンダムの力で120点ということにしてしまおう、間違いも正しいことにしよう、みたいな推し活が多いので怖いなと思います
初めてコメントします。個人的にとてもタイムリーでありがたく思いました。とあるアーティストがTH-camでファン個人の悩み相談をする様になったのを知った時に、私達から見て「あちら側」が距離感を無視して境界線を曖昧にしている様に感じました。アーティスト側にとってはただのサービス精神なのか戦略なのかは判りませんが、少なからずアーティスト側が個人を緩やかに支配し依存させていこうとする欲求を感じ、ちょっと怖いなと思っていたところです。良くも悪くも人の心を動かすことそのものがお金になりやすくなった今、ファン側も色々な視点で学びと気付きを深めていく必要がありますね。
コメントありがとうございます。まさにこの記事もそうなのですが、これまではファン側ばかり指摘されていましたが、実際は両者のせめぎ合い+社会やSNSシステムなんですよね。
システム型がこじれて指摘したくなり、ケアしてるつもりがアンチに化けてしまうパターンも沢山ありそうですね。共感型じゃないからこそ相手の負担に気づかず余計に暴走してしまうという
いわゆるアイドル推し、を人生初めてしました。気づけば5年。歌とか音楽、映像、インタビューなどを通してアーティストに魅せられたり、尊敬したりするシンプルでSNSがまだ発達してなかった頃の楽しみ方でいいかな、と思います。アイドルが愛想振り撒いてるの見ると、大変だなー、て冷めて見ちゃいます😂
推しという言葉が使われすぎていると思う。アニメの話をしている時に「どのキャラが推し?」と言われると一瞬モヤッとする。「好きなキャラは?」でいいのにと思う。アニメのキャラでさえ推しという言葉を使うのにためらいがある人間からすると、現実の人間のグループですぐ推しの話になるのについていけない。
人間関係は非対称な場合があるので、学校、職場、趣味の仲間でも、非対称な関係であることに気がつかず不適切なコミュニケーションをしたり、果ては暴走してストーカーになったりしますよね。推し活の暴走はその極端なケースかも。
非対称というのは、例えば一方からみたら多数のうちの一人に過ぎなくて距離があるのに、もう一方からみると特別な存在で距離を近く感じているケースなど。
自分にも推しと言えるアーティストがいます。そのアーティストはアイドルグループ的な売り方をしている側面がある一方でここ数年は放送メディアへ出演することは稀です。SNSでも告知やライブの事後リポートがもっぱらで、自身のパーソナリティやプライベートはおろかオフショット等の発信もほとんどしていません。ファンとしては少し寂しい気もしますが、テレビタレント的に消費されてしまうことを抑制、ファンとの距離感を常に運営のコントロール下に置き、年若いメンバーに高いプロ意識を持たせる良い方針だと考えています。
コメントありがとうございます。露出とPR、それと消費や飽きなんかもまさに面裏関係ですよね。どこにポジションを取るのか、流動的にあるべきなのかもと現時点では感じています。
心掛けていることは「道草を楽しむ」ことです🙂↕️
推しを持ったことないんだけど片想いの恋愛の話みたい。
共感性(察する力、空気を読む…とも言える能力)と言うものは社会性と言う点も関係しているとも言えますよね?男性より女性の方が共感力があるし、日本人は他の民族より共感力が高いと言われています。それは国としての形(災害が多く、かつ島国)も影響しているから…とも。左右の脳の連動性が高いか?ということなので、共感性が低いとは言わない方が良いのかも(自己肯定感が高いか、低いか…とも言えますよね?自己肯定感が高い人は満足感を求めていく人達でもあるから。他人には鈍感とも言われていますし、ある意味で共感性が低いとは他人の感情に鈍感と言っているようなもの。そこは分析力、統計能力とはかけ離れたことですから。)客観性が高いことが共感性が低いことではないので…(理系、文系と言う視点で言えるものではないので…)まぁ…推し活をし、自分を”オタク””界隈”と区分している段階で、”mounting”が好きなんだろうと推察出来ますけどね。心理学的内容でも、その多くは脳内ホルモンに関係してもいるので、のめり込み易い人間としての特徴のようなモノと言えると思いますが?まぁ…アイドル適正としては”giver”であることでしょうねぇ。相手に対して物理的、心理的見返りを求めない。これに対して、”オタク”、”推し活”をしている人達(このVでの、のめり込みは精神的に良くない状態に陥ると言われたような人)の多くは”taker”だということです。常に”何かして欲しい、それに値する自分”という思考。大変だと…常々感心していますけどね。
リアルでも自他の境界が強固すぎるので、推しや推し活にのめり込めないタイプです。好きなアーティストはいるけれど推しという感じではないし、興味を持つと分析をしたくなるのでしゅんさん寄りでしょうか。推し活にのめり込み過ぎて経済的にヤバくなったり、SNSで他者攻撃を始める人をそれなりに見ていますが、怖くもあり、そこまで翻弄されてみたくもあったりします。
僕はしゅん君よりは熱狂型ですが、彼の気持ちもわかるし、どっちの楽しさもあるよなと。ある意味美味しいどころどりできてるのか?なんて楽観視したりもしてます😂
世代がバレてしまうけど、秋元康プロデュースのおニャン子クラブにクラス中の男子がハマってる時、ただ1人良さが分からずスルーしたのを手始めにその手のモノにハマらず来たが、乃木坂46の生田絵梨花さんに息子がハマり、彼が動画を見まくっているのを横目で見ていたら、橋本奈々未さんのキャラにヤられて静かに推してた。
対象に深くコミットすることがかっこいい、みたいな価値観が蔓延してるけど自然となってしまうものであって無理やりその状態に持っていこうとするのは不自然だし幸せにもなれない気がする 人間には可塑性があるので多少の背伸びは良いけど 他の財やサービスと同様に是々非々で判断すれば良いのにコンテンツ産業の場合は信仰のようになりがちなのが少し不健康に映る そのエネルギーがあるなら自分の身近な人間に労力を注げば良いのに でもこう思うのは自分の共感能力が乏しいからなのかもな〜
コメントありがとうございます。信仰といえば、ライブ会場にその度合いが強まってるのがすごく気になってます。ハマると盛り上がるけど、逆にちょっと興味ある程度の場所に行くと疎外感あったり。良くも悪くもですが。
やはり推し活の時代なのでしょうね ファンが必要不可欠な存在なのは大前提として盲目的にならず是々非々で判断するライト層からの評価が長期的に音楽文化を盛り上げるためには重要だと思っています 今は曲そのものより人に価値が紐づいている状態で楽曲のクオリティを追求するインセンティブが弱い気がします
私は音楽に限らず何か趣味娯楽を楽しむ時は、「拘らず、偏らず、マニアックにならず、執着しない」ようにしています。趣味娯楽は「適度な距離感でゆるくライトに楽しむ」のが健全な楽しみ方だと思っています。何事も度が過ぎるのはよろしくない。まさに「過ぎたるは及ばざるが如し」です。余談ですが、X(旧twitter)でこんな投稿を見つけました。推し活の3大原則は①要求しない②期待しない③観察しないである。これが「ヲタ活」との違いである。
「推し活」の果ての暴走ってSNS時代の遥か以前のビートルズ時代から聞くような...私の「推し」ですか?とある仙台の女子プロレスラーにハマって、わざわざ仙台まで行って現地観戦したりとかグッズを身につけたりしてますが...(笑)まぁこれはこれで凄く楽しいです。お金は飛ぶけれど
ついでに言うと、その選手だけでなく所謂「箱推し」の状態になっていて団体そのものを推していると言う(笑)他団体のリングに所属選手が参戦するってだけで応援行くとかやってるもんなぁさらに言えば「スター○ム?、マリー○ールド?、東⚪︎女子?、そんなのより仙女が最高だろ!」と他団体を見下すという良くないヲタの思考に陥っていると言う
大好きなTH-camrさんがいるのですが、いつも距離感を間違えてしまいます。時々イベント等で会えるのですが、変な発言をしてしまい反省することが多いです。次に会えたら、謝ろう。とか、前言撤回しよう!とかそんな事を考える毎日です😭
以前ダンス&ボーカル・グループをメインに取り上げているあるTH-camrさんが「推しをすると人間は少しバカになる。」っておっしゃっていて、その通りだと思いました。アーティストのIGのコメント欄とか「それ私生活でも友達に対して言える?」みたいな発言結構ありますよね。これは国を問わずですが。
推しは作るものではなく落ちるものなんですよ・・・まさか・・・まさか私がアイドルに沼るなんて・・・の葛藤から始まるものなのです
てけさんもおっしゃってましたがやはり分散投資が大事だと思ってます。最推しは別格としても他界隈にもゆる推しを置いて視野を狭めない。依存しない。
推し活してる人を見てると本人の恋愛傾向と推し方って直結するところがあると感じますね。
バランスの良い推し活と言われても考えてしまうのは経済的な事柄で、例えばこのチャンネルでも触れられていたように現在音楽産業の売上は過去最高となっていて、そこに寄与しているのはやはり推し活だと考えています(タワレコが最高益を出したという記事でも「推し活応援」が強調されていた)。
企業やメディアが「推し活」というフレーズで消費社会への参加を煽っている状態があって、ここに大規模な経済効果があるとわかった現在、ますます推し活にのめり込ませて大量消費を促す流れは止まらないと思います。
推しという言葉が安易に使われ、推し活が「良きこと」として手放しに賞賛される昨今の風潮にはずっと疑問を抱いていました
ヒトだろうとモノだろうとコトだろうと、何か一つの存在だけに依存して生きるのは全くもって健全ではないと思います
動画内で投資の例えがありましたが、それこそ推しも分散投資したほうが身のためですよね
私は真逆で人との距離を取りすぎるため、人の心理について考えさせられる内容でした。投資(投機)の例えは素晴らしくちょっとの傷が大きな痛みをもたらします。きっとファンで同じ位好きでも、個々人で感覚が大きく異なるのでしょう。唯一の推し活はサマソニのクラファン位かな?フェスが無くなったら生きていけないかもしれないです。アジカン後藤さんのクラファンなど、また推し活のやり方も時代で変わってきていますね。
75点のものが120点に見える、というかファンダムの力で120点ということにしてしまおう、間違いも正しいことにしよう、みたいな推し活が多いので怖いなと思います
初めてコメントします。個人的にとてもタイムリーでありがたく思いました。
とあるアーティストがTH-camでファン個人の悩み相談をする様になったのを知った時に、私達から見て「あちら側」が距離感を無視して境界線を曖昧にしている様に感じました。アーティスト側にとってはただのサービス精神なのか戦略なのかは判りませんが、少なからずアーティスト側が個人を緩やかに支配し依存させていこうとする欲求を感じ、ちょっと怖いなと思っていたところです。
良くも悪くも人の心を動かすことそのものがお金になりやすくなった今、ファン側も色々な視点で学びと気付きを深めていく必要がありますね。
コメントありがとうございます。まさにこの記事もそうなのですが、これまではファン側ばかり指摘されていましたが、実際は両者のせめぎ合い+社会やSNSシステムなんですよね。
システム型がこじれて指摘したくなり、ケアしてるつもりがアンチに化けてしまうパターンも沢山ありそうですね。共感型じゃないからこそ相手の負担に気づかず余計に暴走してしまうという
いわゆるアイドル推し、を人生初めてしました。気づけば5年。歌とか音楽、映像、インタビューなどを通してアーティストに魅せられたり、尊敬したりするシンプルでSNSがまだ発達してなかった頃の楽しみ方でいいかな、と思います。アイドルが愛想振り撒いてるの見ると、大変だなー、て冷めて見ちゃいます😂
推しという言葉が使われすぎていると思う。アニメの話をしている時に「どのキャラが推し?」と言われると一瞬モヤッとする。「好きなキャラは?」でいいのにと思う。アニメのキャラでさえ推しという言葉を使うのにためらいがある人間からすると、現実の人間のグループですぐ推しの話になるのについていけない。
人間関係は非対称な場合があるので、学校、職場、趣味の仲間でも、非対称な関係であることに気がつかず不適切なコミュニケーションをしたり、果ては暴走してストーカーになったりしますよね。推し活の暴走はその極端なケースかも。
非対称というのは、例えば一方からみたら多数のうちの一人に過ぎなくて距離があるのに、もう一方からみると特別な存在で距離を近く感じているケースなど。
自分にも推しと言えるアーティストがいます。そのアーティストはアイドルグループ的な売り方をしている側面がある一方でここ数年は放送メディアへ出演することは稀です。SNSでも告知やライブの事後リポートがもっぱらで、自身のパーソナリティやプライベートはおろかオフショット等の発信もほとんどしていません。
ファンとしては少し寂しい気もしますが、テレビタレント的に消費されてしまうことを抑制、ファンとの距離感を常に運営のコントロール下に置き、年若いメンバーに高いプロ意識を持たせる良い方針だと考えています。
コメントありがとうございます。露出とPR、それと消費や飽きなんかもまさに面裏関係ですよね。どこにポジションを取るのか、流動的にあるべきなのかもと現時点では感じています。
心掛けていることは「道草を楽しむ」ことです🙂↕️
推しを持ったことないんだけど片想いの恋愛の話みたい。
共感性(察する力、空気を読む…とも言える能力)と言うものは社会性と言う点も関係しているとも言えますよね?男性より女性の方が共感力があるし、日本人は他の民族より共感力が高いと言われています。それは国としての形(災害が多く、かつ島国)も影響しているから…とも。
左右の脳の連動性が高いか?ということなので、共感性が低いとは言わない方が良いのかも
(自己肯定感が高いか、低いか…とも言えますよね?自己肯定感が高い人は満足感を求めていく人達でもあるから。他人には鈍感とも言われていますし、ある意味で共感性が低いとは他人の感情に鈍感と言っているようなもの。そこは分析力、統計能力とはかけ離れたことですから。)
客観性が高いことが共感性が低いことではないので…(理系、文系と言う視点で言えるものではないので…)
まぁ…推し活をし、自分を”オタク””界隈”と区分している段階で、”mounting”が好きなんだろうと推察出来ますけどね。
心理学的内容でも、その多くは脳内ホルモンに関係してもいるので、のめり込み易い人間としての特徴のようなモノと言えると思いますが?
まぁ…アイドル適正としては”giver”であることでしょうねぇ。相手に対して物理的、心理的見返りを求めない。
これに対して、”オタク”、”推し活”をしている人達(このVでの、のめり込みは精神的に良くない状態に陥ると言われたような人)の多くは”taker”だということです。常に”何かして欲しい、それに値する自分”という思考。
大変だと…常々感心していますけどね。
リアルでも自他の境界が強固すぎるので、推しや推し活にのめり込めないタイプです。好きなアーティストはいるけれど推しという感じではないし、興味を持つと分析をしたくなるのでしゅんさん寄りでしょうか。
推し活にのめり込み過ぎて経済的にヤバくなったり、SNSで他者攻撃を始める人をそれなりに見ていますが、怖くもあり、そこまで翻弄されてみたくもあったりします。
僕はしゅん君よりは熱狂型ですが、彼の気持ちもわかるし、どっちの楽しさもあるよなと。ある意味美味しいどころどりできてるのか?なんて楽観視したりもしてます😂
世代がバレてしまうけど、
秋元康プロデュースの
おニャン子クラブに
クラス中の男子がハマってる時、
ただ1人良さが分からずスルー
したのを手始めに
その手のモノにハマらず来たが、
乃木坂46の生田絵梨花さんに
息子がハマり、
彼が動画を見まくっているのを
横目で見ていたら、
橋本奈々未さんのキャラに
ヤられて静かに推してた。
対象に深くコミットすることがかっこいい、みたいな価値観が蔓延してるけど自然となってしまうものであって無理やりその状態に持っていこうとするのは不自然だし幸せにもなれない気がする 人間には可塑性があるので多少の背伸びは良いけど 他の財やサービスと同様に是々非々で判断すれば良いのにコンテンツ産業の場合は信仰のようになりがちなのが少し不健康に映る そのエネルギーがあるなら自分の身近な人間に労力を注げば良いのに でもこう思うのは自分の共感能力が乏しいからなのかもな〜
コメントありがとうございます。信仰といえば、ライブ会場にその度合いが強まってるのがすごく気になってます。ハマると盛り上がるけど、逆にちょっと興味ある程度の場所に行くと疎外感あったり。良くも悪くもですが。
やはり推し活の時代なのでしょうね ファンが必要不可欠な存在なのは大前提として盲目的にならず是々非々で判断するライト層からの評価が長期的に音楽文化を盛り上げるためには重要だと思っています 今は曲そのものより人に価値が紐づいている状態で楽曲のクオリティを追求するインセンティブが弱い気がします
私は音楽に限らず何か趣味娯楽を楽しむ時は、「拘らず、偏らず、マニアックにならず、執着しない」ようにしています。趣味娯楽は「適度な距離感でゆるくライトに楽しむ」のが健全な楽しみ方だと思っています。何事も度が過ぎるのはよろしくない。まさに「過ぎたるは及ばざるが如し」です。
余談ですが、X(旧twitter)でこんな投稿を見つけました。
推し活の3大原則は
①要求しない
②期待しない
③観察しない
である。
これが「ヲタ活」との違いである。
「推し活」の果ての暴走ってSNS時代の遥か以前のビートルズ時代から聞くような...
私の「推し」ですか?とある仙台の女子プロレスラーにハマって、わざわざ仙台まで行って現地観戦したりとかグッズを身につけたりしてますが...(笑)
まぁこれはこれで凄く楽しいです。お金は飛ぶけれど
ついでに言うと、その選手だけでなく所謂「箱推し」の状態になっていて団体そのものを推していると言う(笑)
他団体のリングに所属選手が参戦するってだけで応援行くとかやってるもんなぁ
さらに言えば「スター○ム?、マリー○ールド?、東⚪︎女子?、そんなのより仙女が最高だろ!」と他団体を見下すという良くないヲタの思考に陥っていると言う
大好きなTH-camrさんがいるのですが、いつも距離感を間違えてしまいます。時々イベント等で会えるのですが、変な発言をしてしまい反省することが多いです。次に会えたら、謝ろう。とか、前言撤回しよう!とかそんな事を考える毎日です😭
以前ダンス&ボーカル・グループをメインに取り上げているあるTH-camrさんが「推しをすると人間は少しバカになる。」っておっしゃっていて、その通りだと思いました。
アーティストのIGのコメント欄とか「それ私生活でも友達に対して言える?」みたいな発言結構ありますよね。これは国を問わずですが。