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3年程前に尾道で「ふたり」が上映されて、舞台挨拶の時に来ていた石田ひかりさんが、この映画の象徴たる坂道の家の前を訪れていますね。
0:18実加の譜面台は、現在も茶房「こもん」の店内で使用されています。
傑作です❤🎉
世間の人々によって語られることがほとんどないので、この私が解説します。「実加」が入浴中、姉の「千津子」が突然現れる場面は、三原市糸崎8丁目交差点すぐそばにかつて存在したミカン倉庫の中で1990年に撮影されました。私は、大林宣彦監督がどうして「糸崎のミカン倉庫」の中に北尾家のセットを組んだのか30年以上まったく理解することが出来ませんでした。私は、映画「東京物語」の劇場公開から70年目に当たる2023年11月に「糸崎のミカン倉庫」跡地へ行ってみて気づいたのですが、なんと「糸崎のミカン倉庫」と瀬戸内海の孤島「宿禰島」は対岸の位置関係にあったのです。信じられないと思いますが、1990年に大林監督が撮影した「石田ひかりさんの入浴シーン」は、1960年に新藤兼人監督が宿禰島で撮影した「乙羽信子さんのドラム缶風呂入浴シーン」のオマージュだったのです。私は、JR山陽本線で尾道駅と糸崎駅の間を何度も往復していたのですが、このことにまったく気づきませんでした。
「ふたり」の続編赤川次郎の「いもうと」を読みました。周りの不倫、離婚の渦に巻き込まれながらの27歳の実加が成長していきます。中々 面白いですよ。
尾道6作品観て、もうこういう映画はつくられないなと痛感します😢
それがですね、そうでもないのですよ。塚本連平監督は、原田知世さん主演の「35年目のラブレター」のクランクインを2024年2月17日(土曜日)9:87にセットしていましたよ。私は、その現場を目の当たりにしてたいへん驚きました。映画「時をかける少女」の9:87というのは、とんでもない規模の「オマージュ嵐」の開始時刻だったのですから。気づく人はごく少数ですが、小津安二郎監督の「東京物語」、木下惠介監督の「二十四の瞳」、新藤兼人監督の「裸の島」のオマージュ嵐が吹き荒れています。一例を挙げると「時をかける少女」のエンディングの知世さんのNGシーンですが、これは、大石久子先生のクラスの12人の児童によるNG連発事件のオマージュでした。
映画「ふたり」のラストシーンは、1990年に尾道市東久保町の坂道で撮影されました。坂下から現れる女子高生は「実加」を演じた石田ひかりさんです。吉田邸の玄関木戸の前を通り過ぎた辺りでその女子高生は「千津子」を演じた中嶋朋子さんに替わります。その場面で大林宣彦監督は、中嶋朋子さんの「顔」でなく「お尻」を撮影しています。「あれっ、どうして顔でなくお尻なの?」って思いませんでしたか。信じられないと思いますが、大林監督が彼女のお尻を撮影したことには理由があったのです。スクリーンの中には映し込まれていませんが、中嶋朋子さんの背後にあるものは「筒湯小学校」なのです。なんと坂下から石田ひかりさんが現れた地点は、1953年8月に小津安二郎監督が映画「東京物語」のラストシーンに現れる「筒湯小学校の旧木造校舎」を撮影するためカメラをセットしたポジションだったのです。
あの坂道の上がったところあたりに筒湯小学校があったのでしょうか?
@@ayrton2460 いいえ、坂の手前です。校庭として使うためには「平らな土地」が確保できなくてはならないからです。地図で見るとはっきりします。「筒湯小学校」は、2000年3月限りで廃校になり、現在は「おのみち生涯学習センター」という施設になっています。ところで、石田ひかりさんが演じた実加の背後に「松本病院」が映り込んでいることに気づきましたか。「松本病院」の正面玄関辺りは、実は1953年8月に「小津安二郎監督と東京物語撮影クルー」がカメラを構えていた場所なのです。映画「東京物語」の冒頭5カットのうち3番目の映像に「浄土寺」と「山陽本線を走行する蒸気機関車」が出てきますが、その映像を撮影するためカメラがセットされた地点です。つまり、大林監督は、目には見えない「東京物語撮影クルーの姿」も撮影していたことになります。実は、映画「転校生」のラストシーンも同様でした。一美を演じた小林聡美さんが海岸通りを走る場面の背後には目には見えない「東京物語撮影クルーの姿」がありました。
大林宣彦監督は、どうして尾道市東久保町の坂道で中嶋朋子さんの「顔」でなく、その「お尻」を撮影したのでしょうか。映画「ふたり」のラストシーンを見て違和感を覚えませんでしたか、疑問に感じませんでしたか。実は、これには明確な意図があったのです。映画のスクリーンには一切映し込まれませんが、中嶋朋子さんの背後にあるものに注目してほしかったから、彼女の「お尻」を意図的に撮影しているのです。世間の人々によって語られることが極めて少ないため、この私が解説します。中嶋朋子さんの背後にあるものは、「尾道市立筒湯小学校」です。同校は、久保小学校と統合されて2000年3月に廃校になってしまいましたが、1953年11月3日劇場公開の映画「東京物語」では、香川京子さんが演じた「平山京子先生の勤務先」とされた学校だったのです。制服姿の石田ひかりさんが坂下から現れた地点は、実は、1953年8月の尾道ロケの際、小津安二郎監督が同校の木造校舎を撮影するためにカメラをセットしたポジションそのものでした。東久保町の吉田多美重さんが大林組スタッフの一員として加わったことによって実現されました。
3年程前に尾道で「ふたり」が上映されて、舞台挨拶の時に来ていた石田ひかりさんが、この映画の象徴たる坂道の家の前を訪れていますね。
0:18
実加の譜面台は、現在も茶房「こもん」の店内で使用されています。
傑作です❤🎉
世間の人々によって語られることがほとんどないので、この私が解説します。
「実加」が入浴中、姉の「千津子」が突然現れる場面は、三原市糸崎8丁目交差点すぐそばにかつて存在したミカン倉庫の中で1990年に撮影されました。
私は、大林宣彦監督がどうして「糸崎のミカン倉庫」の中に北尾家のセットを組んだのか30年以上まったく理解することが出来ませんでした。
私は、映画「東京物語」の劇場公開から70年目に当たる2023年11月に「糸崎のミカン倉庫」跡地へ行ってみて気づいたのですが、なんと「糸崎のミカン倉庫」と瀬戸内海の孤島「宿禰島」は対岸の位置関係にあったのです。
信じられないと思いますが、1990年に大林監督が撮影した「石田ひかりさんの入浴シーン」は、1960年に新藤兼人監督が宿禰島で撮影した「乙羽信子さんのドラム缶風呂入浴シーン」のオマージュだったのです。
私は、JR山陽本線で尾道駅と糸崎駅の間を何度も往復していたのですが、このことにまったく気づきませんでした。
「ふたり」の続編
赤川次郎の「いもうと」を読みました。周りの不倫、離婚の渦に巻き込まれながらの27歳の実加が成長していきます。中々 面白いですよ。
尾道6作品観て、もうこういう映画はつくられないなと痛感します😢
それがですね、そうでもないのですよ。
塚本連平監督は、原田知世さん主演の「35年目のラブレター」のクランクインを2024年2月17日(土曜日)9:87にセットしていましたよ。
私は、その現場を目の当たりにしてたいへん驚きました。
映画「時をかける少女」の9:87というのは、とんでもない規模の「オマージュ嵐」の開始時刻だったのですから。
気づく人はごく少数ですが、小津安二郎監督の「東京物語」、木下惠介監督の「二十四の瞳」、新藤兼人監督の「裸の島」のオマージュ嵐が吹き荒れています。
一例を挙げると「時をかける少女」のエンディングの知世さんのNGシーンですが、これは、大石久子先生のクラスの12人の児童によるNG連発事件のオマージュでした。
映画「ふたり」のラストシーンは、1990年に尾道市東久保町の坂道で撮影されました。
坂下から現れる女子高生は「実加」を演じた石田ひかりさんです。
吉田邸の玄関木戸の前を通り過ぎた辺りでその女子高生は「千津子」を演じた中嶋朋子さんに替わります。
その場面で大林宣彦監督は、中嶋朋子さんの「顔」でなく「お尻」を撮影しています。
「あれっ、どうして顔でなくお尻なの?」って思いませんでしたか。
信じられないと思いますが、大林監督が彼女のお尻を撮影したことには理由があったのです。
スクリーンの中には映し込まれていませんが、中嶋朋子さんの背後にあるものは「筒湯小学校」なのです。
なんと坂下から石田ひかりさんが現れた地点は、1953年8月に小津安二郎監督が映画「東京物語」のラストシーンに現れる「筒湯小学校の旧木造校舎」を撮影するためカメラをセットしたポジションだったのです。
あの坂道の上がったところあたりに筒湯小学校があったのでしょうか?
@@ayrton2460
いいえ、坂の手前です。
校庭として使うためには「平らな土地」が確保できなくてはならないからです。
地図で見るとはっきりします。
「筒湯小学校」は、2000年3月限りで廃校になり、現在は「おのみち生涯学習センター」という施設になっています。
ところで、石田ひかりさんが演じた実加の背後に「松本病院」が映り込んでいることに気づきましたか。
「松本病院」の正面玄関辺りは、実は1953年8月に「小津安二郎監督と東京物語撮影クルー」がカメラを構えていた場所なのです。
映画「東京物語」の冒頭5カットのうち3番目の映像に「浄土寺」と「山陽本線を走行する蒸気機関車」が出てきますが、その映像を撮影するためカメラがセットされた地点です。
つまり、大林監督は、目には見えない「東京物語撮影クルーの姿」も撮影していたことになります。
実は、映画「転校生」のラストシーンも同様でした。
一美を演じた小林聡美さんが海岸通りを走る場面の背後には目には見えない「東京物語撮影クルーの姿」がありました。
大林宣彦監督は、どうして尾道市東久保町の坂道で中嶋朋子さんの「顔」でなく、その「お尻」を撮影したのでしょうか。
映画「ふたり」のラストシーンを見て違和感を覚えませんでしたか、疑問に感じませんでしたか。
実は、これには明確な意図があったのです。
映画のスクリーンには一切映し込まれませんが、中嶋朋子さんの背後にあるものに注目してほしかったから、彼女の「お尻」を意図的に撮影しているのです。
世間の人々によって語られることが極めて少ないため、この私が解説します。
中嶋朋子さんの背後にあるものは、「尾道市立筒湯小学校」です。
同校は、久保小学校と統合されて2000年3月に廃校になってしまいましたが、1953年11月3日劇場公開の映画「東京物語」では、香川京子さんが演じた「平山京子先生の勤務先」とされた学校だったのです。
制服姿の石田ひかりさんが坂下から現れた地点は、実は、1953年8月の尾道ロケの際、小津安二郎監督が同校の木造校舎を撮影するためにカメラをセットしたポジションそのものでした。
東久保町の吉田多美重さんが大林組スタッフの一員として加わったことによって実現されました。