大変解りやすいご説明の動画をどうもありがとうございます。 コメント欄を拝見していたら、動画の内容を十分理解されないうちに「動物食 vs. 植物食」の討論が展開されているようですが、そういうことではないですよね?現代生物学を学んでいて興味深いことは、生態系の物質循環と輪廻転生など、最新の科学で判明した事実と仏教の本質的指摘の間に多々親和性が見つかって来ることです。その現代生物学では、生物全体を大きく古細菌・細菌・真核生物の3系統に分け、そのうちの真核生物は一昔前まで4系統(動物、植物、菌類=キノコやカビ、原生生物=アメーバやゾウリムシ等)に分けられていて、現在はもっと細分化されていますが、その動物・植物・菌類・原生生物の細胞の構造やDNAの基本構造は驚くほどに共通性が高く、動物とそれ以外で二分するということにはほとんど合理性が見当たらないというのが実態です。今回の動画を自分なりに理解したところでは、生命を持って生きている生物を殺して食べることは、地球上の多くの生物種と同様、人類に宿命づけられた罪であって、その罪をきちんと認識して食事をすることが重要(認識しないで食事をしていると、やがて大きな過ちを犯しかねない)ということであり、仏教上の“動物”というのは現代の”生物”に当たる用語と捉えて差し支えないのではないかと受け止めました。
ずっと心に引っかかっていたテーマでした
わたしが漠然と思っていたことを、はっきりと教えていただき、すっきりしました
「感謝して食べる」のと「罪を自覚して食べる」は違う、ということがよくわかりました
ありがとうございます
2年程前、ある動画をキッカケに殺生罪に気付き、動物の肉を食べるのをやめました。それまで見て見ぬふりをしていた自分にやっと目を向けられる時が急にきた感じです。仏教の教えとガイヤの知性がもっと広まりますように。
代替肉技術が発達して屠殺される動物が無くなる事を期待したい。
菊谷先生、ありがとうございました。人間の恐ろしい罪悪の深さを知らされます。このおびただしい罪悪を造る私が生きる意味、目的を詳しく聞かせていただきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
仏教は本当に素晴らしいなと、改めて思いました。ありがとうございます。
仕方ないことと、
罪でないこととは
違うんですよね、。
ガツンときました!
今日は眠れないかもしれません。
日頃気づかなかった事、忘れがちだった事を改めて勉強になってとても有難いです。菊谷先生に感謝しています。🙇♀️
本当にその通りだと思います。素晴らしい教えと、解説を有難うございます。
とても良いお話をありがとうございます。
よく、感謝して食べればよいという話も聞きますが、果たして食べる時感謝などしているのかなと。身を呈してくれた動物達のことを少しでも考えているのかなと。
大体は、肉が柔らかいだのジューシーで美味いだのそんなことしか考えないのかなと思います。
家畜の工業化が進みすぎて怖くなります。
今回のお話は特に奥深い良い話なので、何度か見せて理解しようと思います。
野菜工場というものもあります。
感謝して食べるのと感謝しないで食べるのとは大して変わらんと思う。
双方とも動物の命を奪ってるからね。
食べるなら、感謝しつつ骨の髄まで頂く。ごちそうさまでした。
フードロスを抑制するためにはその姿勢こそ、尊重されるべきこと。
菊谷先生、大切なお話しわかりやすく説明有り難うございました。感謝申し上げます。
菊谷先生、ありがとうございます
ため息…
自己嫌悪…
でも、
肉食べるし…
答えが見つかりません
大丈夫
親鸞聖人は肉食妻帯
それが答え
いつも心にあったお話でした
動物達が殺されていく姿を目の当たりにすれば店頭に並んだお肉達は食べれないと思います、私も殺生罪、他殺を犯しているのです 死にたくなかった動物達の念も一緒に体に摂取すれば人の体も悲しみに包まれますね、
いつか動物を食べない世が来ることを
願ってやみません、貴重なお話を有難うございました。
何々供養というのは(ずるい)日本人らしい偽善だと思いますよ。
(真言宗なので阿弥陀様に抱き取られませんし)地獄に落ちても仕方がないと思います。でも、子孫の追善供養で浮びあがれる程度の、浅い地獄に落ちたいものです。
先生 ありがとうございます!感謝しております。
人工肉、バイオ肉、本物よりも、安くて美味ければ… 挑戦、開発、投資、あきらめるな。
菊谷先生素晴らしいお話しをありがとうございました。
煩悩具足の凡夫ですが、心して生きて参ります。
牛さんぶたさん、魚さん鶏さん、生きる権利だけは人間さんは声高に叫ぶのに、すんだ瞳を見たら、牛さんぶたさん、魚さん鶏さん、どんだけ優しくてすんだ心の持ち主かわかるたと思います
先生のお話しが勉強になります。ありがとうございます。また繰り返しいろいろ動画を拝見しています。
スーパーで買うのも他殺、おいしく食べていることも罪を犯してるんですね。殺生罪、痛切に感じました。お話ありがとうございます。
勉強になりました。ありがとうございます。これは本当に多くの人に観てもらいたい動画!!!!
すごく罪の意識を感じます。
これからは、スーパーに売っている
動物の肉や魚など買わないようにします
タンパク質なら豆腐や納豆から取れるし
ここに来てこの菊谷先生の動画で目が覚めました。長年ペットを飼っているし
今はプードル2人います。
主人は代の肉好き買うのをためらいます。私だけでも実行していきます。今日は貴重なお話本当にありがとうございました😊
そういうことをするから肉がだぶつき、フードロスを増やして廃棄による環境負荷がかかるのです。ヴィーガンなどの方々は、環境問題に無頓着なのが問題です。中には逆に環境を名目にしているケースもありますが、やっていることが逆で失笑ものです。
犬の餌は何でできているのでしょうか?植物だけでできているのでしょうか?たぶんちがいますよね。貴方が肉食をやめても、貴方のかわいがっている、家族同然の犬には、
、、、
届かないかもしれませんが、まず食肉から控える貴方のお気持ちを遠くから応援しております。
わかりやすい例えなので動物が出てきてましたが、草木だって基本生きています。
なので枯れる事で生涯を終える事になりますのでヴィーガンも殺生から逃れられません。
なので聖人なんて存在は生存自体が基本不可能ですので、目指すのはオススメしません。
ですが、別に食べなくても生きてるものは死に腐り自然に帰るので、
食べようが食べまいがどちらでも変わりませんから、食べる事をオススメします。
この世の存在に不要なものが無いように誰かの役に立ってますからねぇ。
罪だろうが悪だろうが、人が滅んだとしても生命なら微生物でもしてる事なので、
終わる事が無い事象だと思いますし。
この世界に産まれた意味は「死ぬまで生きろ」という事ですから、
自由すぎて何をしていいかわからない人が多すぎて困ってるんでしょうねぇ。
普通は食べて生きる事が難しくて人生を終えるのが動物では普通なんですが、
食べる事に困らなくなった人間は余計な事をいろいろ詮索するんでしょうねぇ。
最近はこの世界の主人公は「時間」であって、
それを表現する為の「モブ」が自分なんだろうなぁと思っていますが、
あぁ・・・死ぬまで食っちゃ寝してゲームしてアホみたいに楽しく過ごせたらなぁ
金が無い・・・
深いです
この動画を見て、また最近ペットが死んでしまったこともあり、ビーガンなどにならなければならないのかと思いましたが、生きてるものは自然に腐り元に帰るとか、死ぬまで生きるためにこの世に生きているなど、正直で根本性のある解釈を聞くとそれもまた然りと感心いたしました
ありがとうございました
お肉食べます
大変、ありがたく、また良いお話しを聞きました。
これからも、よろしくお願いします。
真に心に響くご説明をこの年頭にくださりありがとうございました。
勉強になります。ありがとうございました。😆👍️
私たち人間は、たくさんの殺生罪という業を作りながら生きている悲しい恐ろしい存在であるというお話は、今までほとんど罪の自覚がないまま肉を食べていた自分にとっては衝撃的でした。しっかりと殺生罪の自覚を持ち、これからどのように生きていくべきなのか考えていきたいと思いました。ありがとうございました。
とても分かりやすくお話に感動しました。ありがとうございます。私も45年菜食で6年前から動物愛護の為ほとんどヴィーガンになりました。この話をコピーして広めたいです。でもまだ仏教のお坊さんはほとんどの人が当たり前のように何か理由を作って動物食をしています。菊谷先生がおっしゃ多様に感謝すれば罪がなくなると言うことないのに、何故でしょうか。推して知るべしで、そのようなお坊さんは金儲けの見かけだけにしか見えません。動物を食べる事は仕方ない、生きる為にとか言うのは全くの間違えだと思います。食べなくても人間は死なないし、より健康になれるのは科学的にも証明されています。でもそれでも食べると言うのはただ自分の強欲、舌を満足させるだけにしかすぎません。(昔のエスキモーやあの最後の日本兵小野田兵士さんのように食べなければ死ぬ、その時だけ許されるのではないかと個人的に思います。)
それと近代は工場で動物を食べる為に産ませて肉やミルクを作っています。それも、ただ殺す以上に大罪だと思います。
むしろ、「肉食べたくない。野菜食べたい」という極度の偏食の方が自分の強欲の表れです。なぜなら、自分の嫌いなものは完全に忌避し、好きなものばかりバクバク食べているからです。健康問題にしても、一長一短、諸説あれど。菜食でなく雑食だって問題ありません。生命倫理からしても、食材は満遍なく求めた方が人道的です。
菊谷先生の話を、誤解している!
動物だけではなく、植物も、含めて、罪を自覚しなさい。と
言っているいるのです、どなたかが、コメントしてましたが、菊谷先生も動物、植物で別けているのではなく、生物として考えているとおもいます。
本当に良い話しでした。
嫌味ではなく本州にもヒグマがいて、人間に危害を与えるようになれば、もう少しは皆、謙虚になれるのかなと思ってしまいます。
むしろ、ヒグマに対する敵対感、警戒感が増すのでは?謙虚にはなれないと思う。
菊谷先生いつも本当にありがとうございます。心より深く感謝申し上げます。今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。三戸拝
聞かせて頂きました。有難うございました。
生物は進化によって分岐、変異を繰り返しているだけで同じ起源を持つことも知られていますから、まさに同根ですね
本来は平等であり、神の賜物などではないことを痛切に説かれているのも
また弱肉強食と言うように、相互の力関係によって成り立っているのも、仏教がいかに徹底されて現実を説いているものであるかを痛感します
生殺与奪と言って、人間は愛情を見いだし愛護や保護、一方で駆除にも尽力しますが、それはライオンが他のオスの子や、他のライバル肉食獣を駆除するように、人間のみならず、この世界の衆生に課せられた殺生罪という業に他ならないですね
ありがとうございました🙌
エイリアン対人間の描写は、かつてよく観ていた『トワイライトゾーン』の一エピソードのようで、聞きながらちょっとゾクゾクしてしまいました。自分は本当にとんでもない悪人であり、動物好きと言いながら浦島太郎顔負けの偽善者ではないかと考えさせられました。同時に、そんな人間を救うという弥陀の本願に対する思いを強く致しました。有難うございました。
私は菜食者で、非菜食の人達からこのことを言われるたびにしんどい思いをしてきました。
どう説明しても、否定したい相手には納得してもらえないテーマですよね。でも菊谷さんのこのお話はとてもわかりやすくて、説得力がありました。
この動画をたくさんの人に見てほしい…でも、菜食の私がシェアすると主義主張の押しつけのようになってしまうし、なかなか難しいです。
また、「じゃあ植物は?植物も生きてるけど?」というのは併せてよく受ける責め言葉なので、もし仏教にそこを解説できる教えがあるならぜひ聞きたいです。
まりりさん、初めまして。
自分も今現在菜食なんですが(但し乳製品も食します)そうですね、難しいですよね。自分の場合は動物性由来を抜く事のメリット(体重・体調管理や影響力のある有名人も実践している)の話は極くたまにしますが、宗教的な話や肉食者との議論は避ける様にしています。「僕は肉を食べない方が調子が良いから」と云った、軽い感じです。余り参考にならないかもですが、お互い楽しくやっていきましょう(^◇^)。
@TM 1974 初めまして!
私もそんな感じです。あまり一般の感覚から離れた話をしても、やばいやつみたいになるだけですしね。
また、主義主張をする菜食者は私自身苦手でもあるので、そうはならないようにしたいです。
質問されると答えようとしてしまいますが、そもそも相手は納得いく答えを求めて質問しているのではないケースが多いですし、「ていうか単に体のためだから~」みたいに受け流すのがいいのかもですね。
ありがとうございます!
仏教の教えは、結局、動物、植物を問わずに、何かを食べることが罪、それを自覚して、人間の業を理解しなさい、と、いうことになるのでしょう。一方で、生命は、同根とも教えられているのだから、永い年月のなかで、すべては、平等がだということになりますよ、とも言って、教えられているのだとおもいます。空、の概念、教えも同じものではないでしょうか。
無抵抗の植物を食材化することには触れられておらず、はっきり言ってこの動画には、差別意識、弱い者いじめに通じるものを感じました。
弱者をいたわるというのなら、それなりに抵抗や意思表示ができる動物によりも、それが不可能な植物にこそ心を向けないとならないはずです。
その点が決定的に欠けています。
よって、この動画を拡散させることは多数の失望を生み、逆効果です。
釣ってきた魚を食用化のために捌くことよりも、花壇を踏み荒らすことの方が罪悪感を抱かないというのが仏教の教えなのかと勘繰ってしまいます。
僧侶は余り語らないけど罪には大小が有ります。
二つ足動物より四つ足動物を殺す方が罪が大きい。
野菜は罪が微弱。
生命が同根とは色即是空空即是色と言う事で同じモノが変化して様々な現象になってますと言う意味です。
同じ命ですが下は地獄から天界まで、とんでもない差が有ります。
仏教はこんなに素晴らしい教えだったんですね・・・感動です。
ヴィーガンになってよかったと改めて思いました。
植物だって、人間の耳には、聴こえなくても、悲鳴をあげているはずです。だから、ビーガンだから、罪を感じない、自覚しないという考え方は、おかしいと、わたしはかんがえています。
@@user-lx1mj7ux8p 様
そうなのです。自分の好物だけ食べていて「罪を感じない」なんてお気楽な人生ですよね。
@@user-lx1mj7ux8p
野菜を食うにも動物の犠牲は伴う。
畑を守る為に動物を駆除するからね。
他のあらゆる動物も他の生命を食らって生きる。
生きるという行為自体が罪作りなんですよね。
勉強になります。有難いです!
生命は同根ということをつい普段忘れがちですが、現代の科学にもビッグバン理論では宇宙の始まりから星や太陽や地球ができて、やがて生命が誕生して進化し様々な種に分岐していったことが理論的に分かっていますので、
元を辿れば人間も動物も魚や植物も果ては鉱物や岩石や水や空気、地球や星や太陽でさえも同根となりますね!
人間にも体内に酸素や二酸化炭素、また血中には塩や鉄や亜鉛などのミネラルを持ち、爪や髪を鉱山のように生成させ、涙や汗や体液など身体の大部分は海洋のように水分で出来ており、大気のように空気を取り入れ循環させ、太陽のように心臓部は熱を発生させ、身体の表面や腸内に微生物を住まわせて…まるで星そのものの様な一面がありますね
一方でアミノ酸を生成して走ったり運動したりする動物のような側面や、水を飲み太陽を浴びて育つ植物のような側面、細胞にミトコンドリアを持ち増殖し細胞分裂して育つミクロの細胞生物のような側面…
人間といっても微細に鑑みれば、他の様々な生命活動の側面を合わせ持った生命の種の一つに過ぎず、根元を辿れば他の生命と同じ宇宙に同じように誕生して切磋琢磨して成長してきた共存体の仲間の一部という存在なのですね^ ^
鳥の描き方かわいい 他の動画でも思うけど絵心ありますね
植物も生命ですがこれは殺生にあたらないのでしょうか?
植物だって一生懸命生きていますよ
仏壇やお墓に花を供えますが、それらはどうなるのでしょうか?
なぜ動物だけを生命としているのかという疑問が湧いてくるのですが…
この動画から推測すると、差別意識が根底にあるのではと思います。これでは仏教に失望すらしてしまいます。
近い将来、人口肉が動物の肉に置き換えられることを願います。
動物(🐮、🐷、🐴など)の優しい目を思い出すと、とても食べられない。肉の需要があるから動物が殺される。
TVの釣りの番組で、釣った魚をみて喜んでいる人たちを見ると、残酷に思う。
小さい頃、田舎で父親や近所の人が鶏や山羊を殺すのを見たことがあります。
自分ならとてもできないが、スーパーで肉を買うのも同罪(他殺)ですね。
この事、小さい時によく考えまていました。鶏や豚や牛等はいったい何のために産まれてきたのだろうと。うちはペットで犬を飼っていました。殺して食べるなんて想像すらでません。残酷な仕事をしている人達がいるんだなと。うなぎを人前でさばいて、その場で販売しているのも見たことがありました。よくあんなことができるなと思いながら見るに耐えられませんでした。
カレーには肉を入れないでとお母さんにお願いした事もありました。野菜と果物だけで生きていきたいなかなと思ってみたりしていました。でも、生きていくにはどうしようもない事もあります。肉、特に油肉が嫌いなのは今でも変わりません。精進料理が一番合っているのかもしれません。ただ、植物にも生命がありますから殺生無しには生きていけません。それが生物です。人間だけではありません。この世の仕組みでもあるのでしょうか?
三世を貫く、永久の時間のなかで、わたくしたちの魂は、人間になったり、植物、動物、昆虫、魚、さらに、水、土、岩、風、雲、空気、、、、など色々なものに変化しながら、永久の時を存在しつづけているというのが、仏教の教えではないでしょうか。つまり三世のなかでは、平等だということだとおもいます。一方で、そんな業から逃れるためにも、輪廻からの抜け出しましょうと、いうことだとおもいます。諸行無常、諸法無我、空、などを色々勉強、思索してみたらどうでしょう、私も勉強し続けていきます。
「あれ食えない」「これ入れるな」という、偏食、好き嫌いは動物愛護の美名のものでも好印象は得られません。なぜなら、相手方が菜食主義者でもない限り「植物だって命があるのだぞ。それはムシャムシャ食べておきながら何を言っているのか。それよりも栄養バランス考えろ」と思われるだけだからです。
残酷な仕事をしている人々に、
むしろ、さらに、感謝しなければ、いけないとおもいます。
@@user-lx1mj7ux8p 同意です。そういう仕事をしてくださっている人々のおかげで自分たちはお気楽に生命を食らわせてもらってます。
それを、彼らは業が深いとか畜生道に落ちてるとか断罪する人々さえいることに深い憤りを覚えます。
@@mecat5220 気楽に食べるているほうが、罪の意識が薄い分、より罪は、重いかもしれませんね。ありがとうございました。
鳴き声さえでない本当の無念さをわかってください。果物でもごはん粒でも動物さんと人間さんの共存を心から思い描いてください。ワンちゃんを可愛がる家族のように思える人間さんたちならどれほど動物さんたちが言葉じゃなく心で私たち人間に答えようとしているか想いを馳せてください。子供さんを生んだことのあるお母さんなら、きっと命の重みを感じて伝えていっていただけると思います。牛さんも子供を産みます
難しい課題ですが科学も宗教も動物と植物は分けて理解されていると思います。
人は宗教も無い大昔から動物も植物も鉱物でさえ食料として食べて生きてきました。この事実を罪とするならば大変罪深いですが今の私達は存在しないでしょう。私たちは完璧です。生かされていることに感謝して堂々と生きましょう。
よく自己防衛の為に「植物も生きてる」説の人に会うたびに鬱になりそうな気分になりますが、猫の首を切るのといちご狩りの違いがわからない訳ないでしょ?といつも心に秘めて叫んでいます。英語「ドミニオン」が日本でも流行ってほしいなと思ってます。せめて真の仏教徒の方はこの真実に気づいて欲しいです🙏 素晴らしい講義でした🙇🏻♀️
他のコメントにも、記しまさたが、植物だって悲鳴をあげているはずです。どちらを食するにしても、罪を業を意識、その上で、だからこそ、輪廻から逃れることを目指しなさいということではないでしょうか。
猫の首を切るのは単なる動物虐待で、いちご狩りは食材確保の手段で、全然違います。要は、必要性の問題です。
そもそも、「植物も生きてる」説にぶつかったくらいで狼狽するというのもおかしな話で、菜食主義者だったらむしろ喜々として説明したくなるものではないのでしょうか。
猫の首を切ることを、イチゴに置き換えてくらべるなら、食べもしないのに、果実をもぎとり、種をふみつぶし、葉っぱ、茎を折り、根こそぎ引っこ抜く行為と、比較しなければ、おかしいとおもいます。ぎゃくに、食べるために、果実を摘むことを、動物に、(猫だとくらべにくいが)たとえば、牛の乳を搾り、ミルクや、チーズなどにして、飲食することと、比べるべきできではないでしょうか。
@@user-lx1mj7ux8p 様
「釣った魚を食べるために捌くのと、花壇を踏み荒らすのと、どちらが罪悪感ないでしょうか」というような愚かな比較ですよね。それともまさか仏教では後者だということなのでしょうか。
先行のレスと重複しますが、植物も生きている説をそこまで嫌う意図がわかりません。決定的な根拠があるから菜食主義を履行しているはずですし、それを説明すれば済むことです。聞かれたら、むしろ熱く語るくらいの姿勢はあってもいいのにと思います。それとも、実態は、動物愛護の名を借りた、好き嫌いの正当化に過ぎないのでしょうか。大の大人が好き嫌いでは子供にしめしがつかないから、こじつけで正当性を演出しているというのが本音だと感じます。そうでなければ、植物も生きている説に手を焼くはずがありません。
2005年.Sピルバーグ監督、トム.クルーズ主演のWar of the Worldの映画を思い出した、まさしくエイリアンが無差別に人間を捕獲しに地球を訪れた、目的はさておきその夜は興奮状態で眠れなかった。死にたくない、殺さないでと叫んでもエイリアンに理解されないこと確か。無慈悲だよね。
菊谷先生、ほぼ毎日動画を拝見させて頂いているものです。いつもわかりやすく解説されていて、自分はどんな書籍よりもこの動画のほうが仏教の教えが解りやすいと思っております。…ですが、今回のこの動画、とどのつまりは肉食をやめたほうがいいのでしょうか? それとも必要以下ならばいいのでしょうか? 私は中途半端な仏教の教えしか知らないもので…極端な発想は中道には外れるような気がして、どうにも私には判断がつきかねます。先生の見解を頂ければと幸いかと存じます。
文章ではどうしても伝えきれない部分がありますが、よろしくお願い致します。
現状の
私のなかでは、永久の時なかでめぐりめぐって、食べられる側も、食べる側も結局は平等なのだ。ということが答えになっています。食物連鎖を壮大にしたもをイメージしたら、わかりやすいかも?また、輪廻転生をイメージしても?それが、正しいかは、わかりませんが、、、
@@ambient8872 返信ありがとうございます。…罪を意識しながら頂く…これはとても大事な事だと思います。自分も食事の際には子供に頃に祖母から食事を頂く前には手を合わせなさいと教えられ、その意味が今この歳になって(年齢は秘密…笑)わかったような気がします。今回のタイトルが肉食限定のお話でしたが、よくよく考えると毎日口にする食べ物…植物でも、どんな小さな種でさえも命がはいっているものなのですから、粗末には出来ないと常々感じております。ここでちょっと脱線しますが、テレビで大食いとか、グルメの番組を目にすると最近嫌悪感を感じます。 生きている間は毎日食べられる事に感謝して、また、罪の意識を忘れずに残さず必要以下に頂く事が大事な事なのかなと思います。ありがとうございました。
はじめまして。
いつも為になるお話を有難うございます。
今回のテーマは、できましたら肉食ではなく命を頂くのは悪なのか?というふうに教えていただければと思いました。
というのは、人間が食するのは動物だけではないからです。
世間的にみて永遠のテーマであるとも感じます。
仏教でいう、動物だと思いますよ。
仰る事は大変良く理解出来るのですが、こう言う話題になると動物を引き合いに出すけど、全くと言っていいくらい植物の話が出てこないのが不思議です。
殺生とは命を奪う事ならば動物も植物も同じではないのでしょうか?
菜食主義者やヴィーガンの方々は動物の命を奪ってはいけないが、植物は問題ない言う事なんでしょうか?
動物には哀れみを感じるけど、植物に対しては哀れみを感じないと言う事なんでしょうか?
この世の生き物は全て他者の命と引き替えに生きている訳で、その上で食べ物を粗末に扱わない事を心掛けていればいいと思います。
だから仏教では人間に生まれた事は失敗だと説く。
六道輪廻から解脱しろと。
植物も殺生になるけども罪は小さい。
また漁師が魚供養をするように仏教では負ばかり説いている訳ではないです。
是非無き、人類代 ……… 何時迄 続けるので御座いましょうか?
生命 同根 ……… 有難う御座います。マジ凄‼️
ありがとうございました☺️
成る程、先生の分かり易いお話しで、様々な事が分かりました。
仏陀の弟子が空で黒い鳥(犬?)についばまれて肉塊となってる人を見て釈尊に「何故あの者は御魂になってなお、あの様な苦行を強いられるのですか?」と言う問いかけに「現し世で貪ったから、貪られているのですよ」とお答えした意味が分かりました。釈尊が何故断食の苦行をなされたのか?「悟りを開く前に此れでは死んでしまう」と辞められてから悟りを開いたのか?が少し分かりました。
何故「知らず知らずに犯した罪・穢れ」を夏越の茅の輪や年末の大祓えで祓い清めるのか?神は何故「か・み(加魂)」と言われるのか?神が仰った「この世に不必要なものはないのですよ」と言う意味のごく一部が分かりました。
元々高次元の聖人と呼ばれる方々は3次元の現し世で受肉される事が困難なのか?少し分かった気がします。
だから日本では「いただきます」と手を合わせるんですね!
先生のお話しはとても勉強になります。
私も日々、大罪を犯して生きながらえている一人の人間です。時としてその罪の意識に押しつぶされそうになり、心が折れそうになる事もしばしばです。ですが、親鸞聖人のお言葉を思い出し、その都度救われております。
全くそのとおりだと思いました。
世界中の人々に見てもらいたい動画です。
これを見て、動物の肉を食べたり、革製品を使用する人が
一人でも減ってくれたらなと思いました。
なぜ対象を動物に限定するのでしょうか。
高森先生の本2冊とも買いました
人間は、本当に身勝手ですね...www
ありがとうございました。
毎回の法話有難うございます。難しいテーマですね。今も続いている犬猫のさっ処分や、牛、豚、鳥などの家畜を食料として殺して食べる行為。今は無理でも100年後にはほかの生き物にたいする保護意識、同根意識が世界に浸透して肉食にしても個体を殺して得るのではなく細胞レベルで増殖させる技術が発達して商用ベースにのればいいですね。お昔は動物を殺して食料にしていたらしい、残酷だねなどと会話しているかもしれない。しかしいずれにせよこの世に生まれた生命体は他の生命体を取り込むことで生命を維持しなければならない、個々の命も縁起によって成り立っている。不死の門はひらかれたと言われたお釈迦様のように輪廻から解脱し、もう生まれることがなければいいのですが。
お肉、お魚は殺生😑確かにそうですよね。闘い競う力。を芸術として、観賞する人間の有り方も、何処か気になりました😞幸せな時代なのですね。
子供の頃に父親と川遊びしていた話しですが、父親が大きめなカエルを捕まえてそれを焼いて食べた思い出があります。戦後は食べ物がなくて生きることが優先で余裕なんてなかったそうです。生きた動物を捕食して食べたらバチが当たるんじゃないのと言ったら、この世は地獄の最下位にいるからバチなんてものは存在しねぇよ!と言っておりました。
あるヴィーガンの方によると
感謝して食べるのと快楽の為に動物虐待するのは同等だそうです。
確かにその通りかなと。
感謝して食べる
快楽の為に虐待する
双方の間にどれだけ違いがあるのか?
やってる事は同じです。
なるほど。その人は、動物虐待をその程度にしか考えていないのですね。ヴィーガンが自己都合で虐待画像を好んで使う理由がわかる典型ですね。自分がヴィーガンを嫌うのは、そういう生命倫理の欠落に嫌気がさしているからです。日常の食事感覚で動物虐待なんてどこまで冷酷なのでしょう。もしかして、あなたもそうなのですか?
@@Kineosporia
何だコレ?
話が噛み合わん。
@@user-zy7jr7wj3d 様
今さら何を・・・
動物虐待は肉を食べることと同じだと書き込んだのはあなた自身ですよ。
@@machitaka 様
前半当たり
後半は総じて外れです。各論では何らかの同意ポイントはあったとしても、差別意識の強いこの動画には包括的な賛同はできません。
ヴィーガンは感謝して食べることを否定し、感謝して食べるのと快楽の為に動物虐待するのは同等と主張。
道徳上は感謝して食べる方が感謝しないで食べるよりはまさる。
すなわち、ヴィーガンは動物虐待よりもひどいことしている。
という3段論法が成り立つわけだが。
カニバリズムについて、納得出来るように、ご説明を。
おはようございます。私の生まれた土地では正月の7日まではいわゆる4足動物を食べないという風習が有り鶏肉のみが許されていました。
私は大人になりまたキリスト教を信仰して感謝して動物の肉をいただく事は罪では無いという立場ですがやはり最近は生き物をいただく時
少し生きていた時を思えばあまり積極的には食べたいという気持ちは薄れました。
こんにちは、私は肉などは食べたくありません。しかしどうしたら栄養取れるんでしょうか?。よろしくお願いします。
聞けるかなと思ったのですが、菊谷先生はお肉を食べるのでしょうか。
ニュアンスとしては、わたしも食べますが、罪だと自覚していますよ、と聞き取れましたが…。
植物も生きてますがそれも殺生罪でしょうか?また細菌やウイルスを薬で殺し健康になることも殺生罪でしょうか?菊谷さんが着ているスーツも石油つまりプランクトンの死骸を利用していますがそのへんはどうお考えでしょうか?
細菌もウィルスも殺生になります。知り合いの高僧は供養の中に入ってました。
お釈迦様は、だから修行時代は木の実だけ。悟りをひらいてからは托鉢のみになります。
@山猫 托鉢の意味を知らないから、もう一度調べてから反論して下さい
@山猫 だから托鉢を調べてから反論して下さい。何も分かって無いですよ。
@山猫 お釈迦様の時代の托鉢を調べてから反論して下さい。簡単に言えば托鉢する僧侶は阿羅漢以上で托鉢する者は大変な功徳が有ります。
阿羅漢以上の僧侶は供養される事によって凡夫を救う。
托鉢に肉が入ってても、三種の浄肉にあたり構わない。
托鉢の為に殺生した場合の肉は駄目。
まあ阿羅漢以上の僧侶は神通力が有るから間違いは有りません。
@山猫 だから阿羅漢以上は托鉢の肉なら食べてもOK,
一般人は食べたら罪。
阿羅漢以上は何なにを食べたいとかの煩悩は無いからね。
本題と少し違うかも知れないけれど、スッタニパータに、こんな言葉が……
「盗むこと、嘘を付くこと、不義を働くことが穢れなのである。肉を食べることが穢れなのではない。」
人間が動物を殺してその肉を食べることは罪の中でも最大のもので、キリスト教で言う原罪の比ではないと、私は子供の時から思っていました。かと言って今、菜食しているわけではなく、人に殺してもらった生き物、肉や魚を食べているわけですが。
先生のおっしゃるように、現代、人間社会の中では弱肉強食ということは問題視されるようになりましたが、人間が自然からいろんな物を奪って食べることについては当たり前と考えるのはおかしいと、私も思います。だから人間が生き続けること自体が罪作りでしょう。あまりそのことを意識しすぎると生きていけなくなりますが…
肉を食べることが最大の罪だと言うのなら、殺人、放火や強盗は、肉を食べることよりも罪は軽いと考えているのですか。さすがに同意できないです。
@@Kineosporia おっしゃるようなことは、人間社会の中では重い罪です。しかし、もっと大きな視点から観ると、法律的に罪を犯していないとされる普通の人達もまた生きる上で罪を犯している、と言いたかったのです。
動物が屠殺されるところを見たことがありますか。もしくは、自分の飼っていた動物が肉になってかえってきたところを。
@@Sarasvatiification 様
祖父母に手伝ってもらいながら、ニワトリを捌いたことはあります。マグロの解体ショーを見たこともあります。
しかし、生物の食材化は最大の罪とまでは思えません。何で最大扱いになるのですか。殺人や放火などの不法行為に対する規範意識には無頓着なのではないてしょうか。
他の人のコメントにもありますように、原生動物や細菌を殺しても罪になりそうです。また植物だって生き物だから雑草を抜いても罪になりそうです。植物だって生き物なのでその生命をむやみに奪うことができなくなりそうでです。この問題を考えるとどう振る舞えばいいのか段々とわからなくなります。
生物として脳の発達があるのか。発達があれば感情が生まれます。
細菌は脳がありません。
動物は脳があります。
脳があるということは感情があります。
考えたら分かる事でしょう。
@山猫 詳しい説明ありがとうございます。律と戒の違いがスッキリと納得行く説明、そして不殺生戒の意味が理解できました。雨安居も不殺生戒と関連してるとは知りませんでした。タイやラオスで雨安居がなぜ僧侶の間で行われているのか、なるほどと思いました。ありがとうございます。
無機質に考えて、動物植物差を設けず、栄養学的観点でバランスを考えて摂取するという、割と簡単な結論に至ると思います。少なくとも、この動画で説いている生命差別にはなりません。
@@user-zx4hx9ls5r 様
なるほど。脳があるかないか、感情があるかないか。命を戴く相手を選ぶ場合はそれを基準にしろと?無感情な、抵抗が出来ない相手を選んで実力行使しろと?
植物にも、感情が、ある、という研究報告があるみたいですよ。最終の結果かは、わかりませんが、あると、おもって罪の意識をもつ方が、良いのではないかと、私はおもっています。
ひとつ前にコメントした石川です。そのコメントに、対するアドバイス的な、応答がありまましたので、すこしだけ補足させてください。わたくしたちの魂が、色々なものに変化するとううのは、現在の魂の全てが、そっくりそのまま、別のものに変化するのではなく、分解され、散り散りに、なって、色々なものの構成要素になっていくイメージです。ただし、中には、ひとかたまりで、なにかのなかに、入ったり、その比率は、それぞれだろう、とも、考えることもあります。いずれにしても、私のなかでも、たしかな、答えを見いだしたわけでは、ありませんし、勉強、思索を続けるだけです。真実真理に、たどり着けるかも、わかりません。応答コメントありがとうございました!
ヴィーガンという動物が関係しているものは食べないし身につけもしないという思想の方もおられますが、植物だって生き物でやはりどうしたって罪を重ねているんですよね...
生き物の死の上に僕らはいるんだと認識した時はもう自分も含めて世の中の全てが恐ろしかったものです...
と言いながら今日の晩ご飯はコンビニのロースカツ丼です!
どうしたらいいのでしょう。殺生は辛いです。動物を食べずに生きていけますか?!
th-cam.com/play/PLvJpGEA-qcQDa6yXUhVbPt02xgrpLiaJ2.html
何で日本仏教のお坊さんと尼姑さんは肉も食うお酒も飲む結婚もできるの⁉️不思議でしょうがない‼️日本仏教戒律有るかなー⁉️有るならば肉や酒や絶対食べない筈のに,結婚もしないはず‼️
こんにちは、いつも動画を見ています。すばらしい仏教の教えありがとうございます。動物の肉を食べたくありませんが、どうしたら良いのでしょうか?よろしくお願いします。
食べたくないなら食べなければ いいんですよ。それはあなたの自由ですから。
私は喜んでいただきますが。
動物性のものを食べなくても生きていけますよ^ - ^むしろ私はヴィーガンになって身体も心も健康になりましたよ!!( ´͈ ᗨ `͈ )◞♡⃛Mikaさんは何が不安なんてすか?
動物の肉を食べたくなければ、食べなくても良いけど、植物も生物であることは、わすれないでください。植物食の方が、罪の意識がないのか、意識が薄いのかもしれませんが、実質は同じたとおもいます。罪の意識も同等に持たなければ!それよりも、いつかは自分も何かの栄養分になることになる。と考えた方が、楽になるとおもいますよ。
自己完結自己責任でお願いいたします。また、食事のマナーには注意願います。例えば、会食の際、多人数共用の大皿でハムサラダが提供された場合、自分が好きな野菜の部分ばかりを狙ってゴッソリ取るというような真似はしないようにしましょう。
菊谷隆太さんの動画いつも楽しく聞かせていただいております。
ただ、今回は聞いていて、もしかすると、少し質問者さんと趣旨が少しずれている様な気がしてしまいました。
第三者のわたくしの勝手な想像ではありますが、アニメ「銀の匙」のように、現代を普通に生活上で考えざる負えない「どうぶつ」との関わり方や、
動物との関係を通じて、罪としてとらえた際の、自分が罪人になった際のフォローが質問者さんは聞きたかったんじゃないかな、と感じました。
これからも動画楽しみにしております。ありがとうございます。
先生は、お魚やお肉を食べますか?
食べ物だけで、その人の世の中に対する心構えが分かりますよね。
バランスよく食べる雑食か、好物しか食べない菜食か、の違いかな。
肉食はイヌイットなど限定的で、日本にはほとんどいないだろうけど。
肉が好きでも、この話に反論するする人としない人、それぞれてことですね
@@Bori-K 様
まあそれは野菜や果物好きの人も然りでしょうが。
そもそも、アレルギーやドクターストップとかなら仕方ないですが、そうでなければ偏食はしないに越したことはないでしょうね。
@@Kineosporia この動画見て不快で怒ってるんですか?
@@Bori-K 様
そうです。
生命に対する差別意識が強いことに驚きました。
意思表示や抵抗ができる動物は尊重し、それができない植物には容赦なしという無慈悲さが本当に仏教の教えなのかといまだに半信半疑です。
動物植物分け隔てなく、無機質に、必要性のみで犠牲を求めるという方が遥かに人道的でもあると思います。
この動画はまるで、抵抗できない弱いものをターゲットにしろと主張しているようで、いじめの構図すら感じます。
大きな矛盾が可愛いや可哀想だけど美味しいには存在していますよね。
届いているメールもいつも拝見しております。私は元クリスチャンですがとても勉強に成ります。
松や杉は育てようとするけど、ニンジンやキャベツは美味しいというのも矛盾でしょうか。
私たちが罪意識もないまま食べている動物にも情があって、人間も動物もおなじなんだとよくわかりました。人間は罪深いいきものですね。蚊でも子供にも刺されないように殺さないといけない場面もありますし、難しい問題です。
拝啓、菊谷様。植物も生きていますから食べれば殺生罪ですね。ちなみに旧約聖書には鱗無き魚は食べてはいけないと書かれていますし新約聖書には豚を食べるのは愚かなことであると書かれています。息子の恋人の家はお寺さんですけれど家族全員が肉料理大好きだそうです。 敬具
ヒグマが人間を襲って喰うのは仏的にoK?
うーん、私も同様の考えが自然に芽生えて4年前に趣味の釣りをやめました
しかし、スーパーの肉にまでは罪悪感は感じませんでしたが、今回の動画で人類全体の業の深さを感じました
ちなみに、卵🥚、特に無精卵などはどうなんでしょうかね?
卵を産まされる鶏たちは、狭いケージに何羽も詰め込まれ、ストレスで毛が抜け落ち、免疫力も落ちるので抗生物質漬けにされています。一生外の光を見ることなく屋内で、効率を上げるために一日24時間ではなく20時間位←忘れましたが、
になるよう、光を人工的にコントロールされてます。ケージは4段位に積み上げられやかましく臭い中で毎日卵を産まされ一生を終えます。
それに、卵を生むのって苦しいものなのです。
私はせめて、放し飼いの鶏の卵を買ってます。ストレスが少ない環境なので、抗生物質もいらない位らしいです。
高価ですが、鶏にも人間の体にも優しい選択かなと思います。
もっと平飼い卵が普及してほしいです。
スーパーのお肉の件ですが、
多分憐れな家畜達の一生を見られたらまた違うかなと思います。
家畜達には相当酷いことしてます。
例えば、母豚は、狭くて体も動かせないような場所に閉じ込め、妊娠出産の繰り返し。加えて暑さ寒さストレスでおかしくなりうつろな目をした母豚の画像を最近見て、こんな犠牲の上の肉食かと愕然としました。
屠殺はやむをえなくても、せめてストレスの少ない環境で育ててあげてほしいです。コスト重視なのでしょう。
長々と失礼致しました
罪を自覚して、釣りをやめた。普通は、そういう思考回路になりますよね。私もそういう思考の状態がありましたが、今は、自分で釣った魚を食べる方が、自分で飼った動画を自分でさばいて食べる、自分で育てた野菜等を食べる、、、等の方がまだ罪の自覚が出来るぶんだけ、感謝出来るのではないかなと、考えて、います。命を頂かせて頂いた、動植物は、もちろんですが、私達の代わりに、直接殺生の罪をになっている業者の方々にも、、、自分や、家族の分だけ釣るならば、その方が、、、と、考えるのも、有りかなともおもっています。実生活では、そういう機会は、ほとんどありませんが、、、
お話しの内容は理解出来ました。だからと言って明日から罪悪を感じながら食べる事は無いですねぇ~(笑)食べへんかったら死んでまうがな!😂命を頂いてると感謝して、いただきます🍴🙏
肉は製品ではなく命 その命で自分の肉体を生きながらえさせている
仏教に説かれている本当の幸福とはどんなものか、20日間の無料メール講座で話しをしています。
peraichi.com/landing_pages/view/reiwamail
こんなに細かく解説して頂き有難う御座います。
常々食品の殺生に関しては罪悪の意識は認識しておりましたが、高度に発達してしまった文明の中
時間と効率に追われ仕方のない事と割り切っております。
物心ついた時にはスーパーには切り身や野菜などが既に在りましたが、
それらを選ぶ主婦の方々の工業製品を選ぶ時の様な目は嫌いです。
にしても、刺身の頭付き活け造りとか踊り食いとか・・・
何か日本の恥の様に感じますね。
歯医者の矯正文書は、応用ききません。仏心鬼手と歯医者に飾ってあります。
結構、「菜食したい」「菜食したい」というコメントもありますが、それは菜食への煩悩ではないのでしょうか。
食生活の違い、好物の違いが、煩悩に該当するか否かを分けるものなのでしょうか。
もちろん、自分は、雑食への煩悩があることを認めます。
野菜も果物も肉も魚も、幅広く美味しく食べます。
@山猫 様
栄養バランスを考え、命への差別意識なく、無機質な立場で食材を選ぶのが一番いいのですよね。
仏教につきものなのは精進料理ですが、「精進料理食べたい」という欲望にはどう対処できる食事なのかがわかりません。むしろ、そういう人の煩悩を増大させているのではないかと思います。
とても尊いお話をありがとうございました。
私は牛肉と豚肉を食べませんが、魚と鶏肉は食べます。ゴキブリや蚊は殺します。今後も変わりません。
今までの罪とこれからの罪を背負いながら今後も仏教の教えを学び、大非の願船に乗せてもらうために生きていきます。
それで良いのか?深く考えさせられた動画でした。もっと仏教を学ばなければいけないと改めて教えていただいた動画です、ありがとうございました。
人間とは酷い生き物であるか改めて思い知りました。生きる資格なし。ただお祈りする事しかありません。それしか出来ない動物。悲しいです。
肉は食べない方が良いのでしょうか?
偏食は極力しない方がいいです。
命の重さは皆同じ五才の子でもわかる通りです
仮名本に、山家心中、伝西行集とあります。心中?
人間同士でもやってます、殺さなくても人にマウント取り人に残酷な事をしてる、時には殺生も
六道がないと合いません
人間はどんなに正しい生き方をしても、「殺生の罪」を負って生きています。すなわち、「罪」なき人はいないということですね。孫達には感謝して「命」をいただきますと言っていただきましょうと常々諭しています。そんな罪人を救ってくれる阿弥陀仏の請願。有り難いと思います。
ちなみに、イエスキリストは悪因悪果、善因善果を説いてます。さらに、「輪廻転生」をも説いていたとの話しがあります。しかし、古代から近年まで白人以外の有色人種は
ゴエム=獣とされており、上流階級の人ほど残虐なことをしていました。そのような人が次の生で動物に産まれるとしたら、これは耐えられません。なので、三回の公会議で削除されたと解釈している方がおります。私もそのように思います。イエスキリストには、12使徒がおりましたが。しかし、聖書には僅か四人の西回りで宣教した方達の言い伝えしか記されておりません。後の八人はどうしたのでしょう?私的には、極めて都合が悪いので公会議で削除したのではないかと思っています。
実際に屠殺・殺生している現場を見れば気持ち悪くなるのに、それを見ずに食欲を満たす為の食べる行為のみにおいては、逆に気持ち良くなるだけ、という矛盾はどこから来るものなのか? 改めて考えさせてもらえた内容でした。
(人間 対 動物)と、(宇宙人 対 人間) の比較においては、自分は以前から少々違った感覚を持っています。
蟻(アリ)という生き物は、平面(二次元)の認識しかできず、上空に人間という高等生物が存在していることは認識・知覚すらできない、と聞いたことがあります。それならば、人間が、地面の蟻(アリ)を踏みつけて殺してしまった場合、蟻(アリ)は、何らかの他の生物によって殺害されたという認識は持ち得ないのではないでしょうか?
それはおそらく、人間が、巨大台風・地震といった自然災害により被害を受けた時の様な感覚なのかもしれません。
同じ様に考えれば、現在の人間の知能・認識の限界から、人間は「生き物」同士というカテゴリーでの相互作用しか理解できず、その上に「生き物」という範疇を超えて存在する、「システム」・「仕組」というものを十分に認識できていないのではないでしょうか?
蟻(アリ)が、人間を認識できないのと同じです。
そして、この「生き物」という限れた世界においてのみ、人間が最上位に位置している、としか認識されない時点で、思考が停止してしまう様にも思います。
???
そういう現場を見たら、「命を無駄にはできない」と感じて、より、積極的に食べようとは思いませんか?
使命感とまではいかなくても、「好き嫌いなんか言ってはいられない」という気持ちにはなりますけどね。
@@Kineosporia 何を言ってんだ? 冒頭のくだりは、この動画での説明をなぞったまでだが。
私は菜食主義者でもないし、肉食を止めるつもりなど毛頭無いが、屠殺現場を見たら(見学した事は無く慣れていないので)、おそらく一時的に肉は食べられなくなる様に思う。
というか、元々 私の意図は、もっと次元の違ったレベルの話しなのだが。
大変解りやすいご説明の動画をどうもありがとうございます。
コメント欄を拝見していたら、動画の内容を十分理解されないうちに「動物食 vs. 植物食」の討論が展開されているようですが、そういうことではないですよね?現代生物学を学んでいて興味深いことは、生態系の物質循環と輪廻転生など、最新の科学で判明した事実と仏教の本質的指摘の間に多々親和性が見つかって来ることです。その現代生物学では、生物全体を大きく古細菌・細菌・真核生物の3系統に分け、そのうちの真核生物は一昔前まで4系統(動物、植物、菌類=キノコやカビ、原生生物=アメーバやゾウリムシ等)に分けられていて、現在はもっと細分化されていますが、その動物・植物・菌類・原生生物の細胞の構造やDNAの基本構造は驚くほどに共通性が高く、動物とそれ以外で二分するということにはほとんど合理性が見当たらないというのが実態です。今回の動画を自分なりに理解したところでは、生命を持って生きている生物を殺して食べることは、地球上の多くの生物種と同様、人類に宿命づけられた罪であって、その罪をきちんと認識して食事をすることが重要(認識しないで食事をしていると、やがて大きな過ちを犯しかねない)ということであり、仏教上の“動物”というのは現代の”生物”に当たる用語と捉えて差し支えないのではないかと受け止めました。
賛成します!
@@machitaka 様
やりたい放題というわけにはいかないでしょうね。動物性だろうが植物性だろうが、過剰な食糧生産はフードロスの増大、果ては環境破壊につながります。当然、必要十分な量をわきまえなくてはなりません。
生きていくことに矛盾があるのが現実です。それをどのように折り合いをつけて心を健全に保つかが問われます。
牛さんや豚さんや鳥さんは人間より悪い事はしていないのに食べられる。生まれ変わっても食べられ、また生まれ変われば食べられる。そんな輪廻があるのでしょうか。牛さんは殺されて食べられますが、牛さんは細胞から出来ています。細胞は分子や原子から出来ています。分子や原子の集合体なのです。
私は分子や原子にも心があると思っています。人間の心とは異なる心、まだ人間の心になっていない心、人間の心を作る心、人間の心の何分の一かの心がある。
人間が食べ物を食べることは分子や原子の心まで戻しているのです。そうすると分子や原子は喜んで協力しようという心まで戻るのです。そして私たちの体になってくれるのです。牛さんは食べられましたが私になったのです。牛さんは私なのです。私を大切にすることで牛さんも大切にできるのです。
毎日食べる食事は私を作ります。私になるから私です。私だったかもしれません。同じように雨はどうでしょう。風はどうでしょう。土はどうでしょう。エネルギーはどうでしょう。すべてが私になります。だからすべて私です。私は宇宙なのです。私を大切にすることはすべてを大切にすることに繋がります。私になった牛さんを大切にしていることになります。
潜在意識の中に集合意識があります。心はすべてが作り上げているのです。ということはすべてが幸せでないと本当の幸せはないのではないでしょうか。自分を大切にすることはすべてを大切にしていることに繋がります。私はすべてによって作られているからです。と同時にすべてを大切にする心が、あるときには大切ですね。皆様が幸せでありますように・・・・!!
私も、同じような気持ち、考えです。全てがつながっている、だから、三世のなかでは、全て平等なのだと、思っています。
お店で売られている🐖豚🐓鶏🐂牛などの🥩肉が.どのように作られているか(殺される) 📺録画で流して見せて皆さんに知らせてほしいものですね
野菜や果物の栽培、収穫、選別、運搬などは?
むしろ、そういう動画を、みて、目をそむけず、罪を自覚すると同時に、感謝していただく、となるなかもしれません。罪の意識を小さくしたい気持ちはわかりますが、、、貴方にとって大切な人々も、過去、もしかして現在も、肉食したことがあるかも、人類全体で見ると、肉食は現実におこなわれているのだから、むしろ、屠殺業者にも感謝しなければ、いけないとおもいます。もっとも人類は、動物、植物とわず、自然をこわしすぎ、貪りすぎだとは、思いますが!そのうちに、しっぺ返しされることになると思います
人間の中で動物を食べざるを得ない群は分解酵素が肉食に過剰適応した高緯度地域および山岳の民族だけではないでしょうか。殆どの日本人は脱肉食はもちろん脱乳卵も容易です。深く考えを巡らせておられる先生が肉食やむなしという前提でお話されている点が大変意外であると共に、どのように肉食を合理化なさっておられるのか興味がわきまきた。それとも個人的には脱動物食へと移行済みなのでしょうか…?
初コメントでいきなり不躾な問いをお許しください。
全ての人は殺生せずには生きられない悲しい業を持った存在だと説かれているのが仏教です。
先生が見聞され動画内で肯定された情報①②はVEGANによる発信です。
① 12:32 ケージ飼いの問題(VEGANは飼養中の虐待と搾取も問題視します)
② 14:56 人間を捕食する宇宙人親子の会話(感謝教の風刺)
この流れから
「VEGANを目指して少しでも犠牲を減らそうとする事が仏陀の教えにかなうものだ」
と説くのが自然な論理的帰結ではないでしょうか
先生が"感謝教"の欺瞞を看破し客観視なさりつつも肉食信仰をやめない理由は何でしょうか
感謝教信者に向けた動画かなと思いきや肉食続行の心得を示す内容で違和感が拭えません。
➂ 17:40 早大生にヤギ肉をふるまうネパールの人達(おそらく仏教徒)
仏教成立時から今も食糧事情がほぼ変わらない山岳地帯で
彼らは大切な生活資源を犠牲(かけがえのない代償)を払ってくれた訳ですが…
少なくとも私たちは幸いなことに[肉を食べずに済むという点では恵まれた地域]に暮らしています。
にもかかわらず敢えて
④ 20:52 自殺(手に掛ける)=他殺(殺させる)=随喜同業(美味しいと肯定し続けさせる)、
これは積極的にこの世の地獄を生み出すものとして仏陀が戒めた行いであるはずです。
➄15:26 仕方ないのと罪がないのとは違う、どうにもならない恐ろしい【業】を背負っている…
まずVEGANという灯火をともしてから「どうにもならない現実」と向き合ってこそ仏教は私たちの道標になると思います。
VEGANになってから肝に銘じるべき2つの《どうにもならない》に向き合うべきかと。
《1》生命の犠牲はどうにも無くならないという無力感と向き合う
(人間の暮しと経済活動の影響で自然界と研究室で夥しい動物が死んでいる)
《2》どうにもならない限界を知りつつマシにできることからやる
(家畜に食べさせるよりもずっと少ない植物で生きる)
「お肉を食べたくない」と子供が言ったら、
たとえ菜食しても人間のせいで死ぬ動物は無くならないのだという【業】を伝えた上で、
それでも「動物の殺しになるべく加担したくない」と子供が言うなら、
私はVEGANを勧めます。このような社会運動が不要となる世界の到来を祈りながら。