人生の終わりを見つめる教えを説くブッダ
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- เผยแพร่เมื่อ 4 ต.ค. 2024
- ■3月26日(日)公開講座の詳細はこちら
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「死んだらどうなるか」というテーマについては、さまざまな宗教思想があれこれ語っていますが、所詮証明できないので、考えても仕方ない、とこの問題を不問にしているのが現代人の姿勢です。
とはいえ死ぬのは100%、ならば「死んだら私はどうなるのか」は、ほかならぬ自身の将来なので、あれこれ考えてしまいます。
その考えの一つに「死んだら無」というのがあります。
有力な意見の一つに数えられます。
中には「死んだら無に決まってる」と言う人もありますが、別に決まってるわけではありません。
学問の世界では、死んだら無なのか、有るのか、これは結論が出ていないので、死んだら無、だと決めつけるのは早計です。
科学的、学問的な態度とは言えません。
世界的に著名な脳外科医ペンフィールドは、患者の露出された脳に直接、電気刺激を与えて、何を感じたかを聞くという、特異な実験を繰り返し、二十世紀の脳研究に画期的な成果を残しました。
彼ほど生きた脳に触った人はいないといわれたペンフィールドは、生涯、「心」は全てニューロンの働きで説明できるという「唯物論」の立場で研究を続けてきました。
しかし最後に彼は、脳と心は別だと考えるほうが、合理的だという結論に達しています。
「脳の神経作用によって心を説明するのは、絶対に不可能だと私には思える。(中略)私は、長い研究生活を通じて、なんとかして心を脳で説明しようと試みてきた。
そして今、これまでに得られた証拠を最終的に検討しているうちに、人間は2つの基本要素から成るという説の方が合理的だと考えられることを発見して、驚異の念に打たれているのである」(『脳と心の正体』)
脳の研究に生涯を懸けた第一級の科学者が、脳だけで心は説明できないと言っています。
「死んだら無」という意見は「そうかもしれず、そうでないかもしれない」ということであり、あくまでも「その可能性もある」とのことで、そういう点では「死んだら生まれ変わる」「死んだら天国」「死んだら何かの一部になる」など数ある選択肢の中の一つです。
その正誤は死んでみなければわかりません。
生きているときは絶対わからないから考えても仕方ない、とみなあきらめてしまい、考えると暗くなるだけだ、生産性がない、とも言います。
しかし人間にとって必ず向かう行先が真っ暗闇なのは、決してどうでもいい問題ではありません。
気にするなと言われても、気にしないで済む問題ではなく、気になってしまいます。
それどころかこの問題は私たちの「生」全体に得体のしれない不安の影を宿し、底知れない虚しさ、さびしさ、孤独、恐怖を呼び起こしています。
この問題に「あきらめられない」と諦めて、敢然と立ち向かわれたのがシッダルタ太子、のちのお釈迦様でした。
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(自己紹介)
1988年早稲田大学を中退し、仏教講師の道を目指す。
浄土真宗親鸞会で仏教講師の資格を取得、全国各地で公開講座を始める。
2010年からメールマガジンをはじめ、読者12000人の仏教最大級のメルマガ執筆
2014年からは全国をつなぐオンライン講座の動画レクチャーでも活動中。
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常に誰にも巡ってくる死を頭に入れながら生活をしていると 日々を大事に暮らせますそして 周りの人を大切に思えてきますそして今健康であることがありがたいと思えるようになってきますそして元気で生きている今食べる事も美味しいなって思えてきます☘️🌺
菊谷先生のお話は分かりやすいさで、日々の生活を笑顔で過ごせます。
学生時代は山頭火に夢中になり、大山書物を抱えておりました。
親鸞聖人の歎異抄は暁烏敏書物を抱えてのひと時もありました。
又、五木寛之書物も側に置き、眠れない夜のひと時は枕の友になります。
今は、菊谷先生に元気を頂いてます。これからもよろしくお願いします。
私は先生の講義を見る度に、明るく前向きな気持ちにさせて頂いております。
死を見つめる事によって、人生をポジティブに送れると思うからです。
やはりお釈迦様の言うとおり、相手によって説法せよ、は正しいですね。
仏法は聴聞に極まる🙏ありがとうございます❗️
お布施拝受しました。ありがとうございます!
菊谷先生 いつもありがとうごさいます。
人生の終わりについて
『後の世と 聞けば遠きに似たれども 知らずや今日も その日なるらん 』
と言われるように死というものは、老若男女問わず遅かれ早かれ必ずやってくる。
なので、死という暗い部分にも目を向けなければならないし、死を見つめるのは徒に暗く沈むことでもない。今の人生が心から明るくなる第一歩でもある。
本日も貴重なお話をありがとうごさいました。
いつも動画を拝見させて頂きありがとうございます。 今日の話題とは少し逸れている手前みそな話ですが、私、これまで事故と病気で2度死にかけまして、死というものがある日突然やってくる事を実感し、それ以来、いつ死んでもいいように1日1日悔いを残さないようと思い毎日必死で生きてきました。そして先生の動画に出会い、来世という事を考えるようになり、今は毎日完結のような生き方ではなく、来世につながる生き方に変わってきました。
おはようございます。
今日も、貴重なお話をありがとうございます。
私の母は今年95歳になりますが、いまだに明るく心身ともに健全で、頭の働きも冴えていて、夕方には毎日日記を書いています。
先祖代々浄土真宗の教えを戴き、日々感謝の気持ちで暮らしています。
その母の口癖は、「自分の息が途絶えた途端にお浄土に行けるので、楽しみにしている・・・故郷に帰るような懐かしい気持ちだ」と、寧ろ死を自分の人生の一部のように落とし込んでいます。
あの天真爛漫な明るさは、達観した境地なのだと思います。
今日も素晴らしいお話が聴けて、有難いことです。
素敵なお母様のお話に感動いたしました。そんなふうに生きていきたいと思いました。ありがとうございます☺️
素晴らしお母様です。なかなか、そこまでの境地になれません😅
信仰の力ですかね。
まだ、来てもいない未来の不安を先取りして、思い悩む事ほど馬鹿らしい事はないと思います。
ただ、人間はいつかは必ず死ぬんだという事を、真剣に見つめることで、今日一日一日を悔いなき、より良きものにしようと、するのではないでしょうか。
死を真剣に見つめることによって、生が活き活きと輝いて来ると思います。🙂
いつも有り難いお話ありがとうございます。
暗くなるどころか一日一日の大切さに気付かされています。
菊谷先生の話を毎日視させてもらって勉強になり私は人生観を學ばさせてもらっています。私の1日の中の1番の楽しみです。心から感謝致します🙇吉沢享子
明るいとか暗いとか、そんな人は聞かなくて良い、
死の話は一番大切
菊谷さんだから、死についても、柔らかく的確に話せる、
こんな視聴者に関わらず、継続してください、
菊谷さんの話が落ち着きます
20-30代でも死ぬ人はいます、自殺も多いです、
おはようございます。🌄🤱🌅🤱☕🤱🍵🤱今日もありがとうございます。🍪🤱🍰🤱🎂🤱
いつも 勉強に なります! 応援しています!★
ありがとうございます!
お布施拝受しました。ありがとうございました。
いつも大切なお話ありがとうございます。
講演という会を開いてくれてありがたい行動だと想いますのでぜひとももっといろいろな場所でもして頂けたらと想います♪
そしたらわたしも行ける機会が頂けると想うので楽しみに待ってます🙋
このチャンネルに出逢えたことに感謝です🎶
いつも有難うございます。死について考えようとしないのは、まさしく「臭いものに蓋」なのだと感じました。いくら蓋をして見ないようにしていても「何か気になる」のだと思います。引き続き聴聞させて頂きます。ありがとうございました。
仏教は死を乗り越える幸せを得るのがメインではありますが、仏教初心者にいきなり死と幸せを結びつける信楽を説いても理解しがたいのは当然だと思います。
お釈迦様も真理に導くため、まずは仏法の世界観、有為転変の理を諸々、徐々に説きほぐしていきました。
世の中には仏法の基礎知識がない人がほとんどです。
物語にも、物事にも導入は欠かせませんからね。
死んだ後を見た人は誰もいない。だから、誰にもわからない。いくら、死後の話をしても響かない。ただの想像の世界でしか無い。死ぬのは怖い。しかし、誰にも死後がどうなるのかなんてわかるはずは無い!しかし、老後、病気、貧困、いじめ、虐待、パワハラ、災害、犯罪などは、現実に見ること。だから、その恐ろしさがわかる。それの対処をしたいのが人の本性なのではと思います。
表面は死というか、得体が知れない恐怖とい、何かを恐れるわたしたちに、話をして下さる菊谷先生から、全く暗い気持ちにはならず、寧ろ眼からウロコが落ちた気持ちにさせられます。ありがたいです。
今日もありがとうございました。わかりやすく、これからくる不安に少しでも心軽くなれます。毎日視聴させて頂いてます。
人間の矛盾=老後を一生懸命考えるけど、死後のことは考えない。人間の答えは「そんなのわからない」実はその答えは仏教にある=生死を越える無礙の一道❗菊谷さんいつもありがとうございます。🙇
南無阿弥陀仏🙏
有り難うございました🙏。とても良い学びになりました。✨
以前は死を忌み嫌っていましたが現在は嫌いでもないです。生きている間にこの暗闇を打破するためには死に思考の明かりを照らさなければできない。
感謝しております。❤私の父は生前、人生を闊歩していましたが、何も持って行くことなくあちらの世界に行きました。それからは死を身近に思うようになり、お釈迦様の言われた良い事をして、後は放っておくと良いとのことが、今世も来世も繋がっているのではないかと思いました。良いことは菊谷先生がしておられるように人を幸せにすると自分も幸せに成ると言われていると思いました。
つい先日、親戚の叔母が亡くなったことを聞いて、叔母のことを思うと、いつかは死ぬんだなぁとあらためて感じました。両親も高齢なので、いつ死ぬか分かりませんし、一人になったときのために、心構えをつけていってます。お話の、生死の一大事も、大切なことだと思っています。お話、ありがとうございます。。
私は、暗いとは思いません。勉強になってます。ありがとうございます。
ありがとうございます♪
いつも ありがとうございます!😊🙏
一休さんって皮肉屋だけど核心をついてるんだよね。むしろそういう考え方をした方が人生楽になるのは確かだと思う。やっぱり心の底では自分は死なないっていう基礎ができちゃってるから、そこを崩してしまえば、死も大したことじゃないな、みんな死んでいくんだし、って思えて気持ちが楽になるんじゃないんかなって思いますね。
私は海外に住んでいる為、3月末に新宿での講演会には参加出来ず残念に思っております。特に信楽を理解したい気持ちでいっぱいです。
どうぞ何かの機会にTH-cam にて紹介した頂けたら幸いです。よろしくお願い致します。
私の座右の銘は、良寛和尚の辞世の句です。
"散るさくら残るさくらも散るさくら"
この言葉に後輩に対する愛情を感じましたので座右の銘にしております。
今回は、大変な課題に対して菊谷先生が何かを伝えたいという事を感じました。
菊谷先生お疲れさまです。
誰にも分かるように説法をすることがいかに難しいか、先生が日々考えをめぐらせて動画を作っていらっしゃる事が伝わってきて今日は私まで頭が痛くなっちゃいそうでした笑
講演会応援してます!
死はいつもそばにある。くしゃみをして気を失ったドライバーが突っ込んでくることもあれば、急に大病に襲われることもある。地震津波など天変地異もあるし、火災、戦争もあり得る。死はいつも自分の隣に居るごく当たり前のもの。あまりそれを大仰に捕えて声高に叫ぶ必要はないのではないでしょうか。死がやってきたときに、自然にそれを迎え入れることができる覚悟こそが重要。死んだらどうなるか、なんて考えるだけ無駄でしょう。ただ自然に帰還するだけ。長い目で考えると生きているこの一瞬、この一生なんてものは、ほんのひと時の移ろいそのものなのだから。
菊谷先生いつも本当にありがとうございます。「無常を観ずるは菩提心の一なり。」真実の仏教はこの身今生で今において本当の絶対に崩れない無上の生きてよし死んでよしの絶対の幸福になる大宇宙の真理である教えです。心より深く感謝申し上げます。今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。釈尊出世の本懐〜一向専念無量寿仏〜信心正因称名報恩〜南無阿弥陀仏〜三戸拝🙏🙏🙏
頭の良い人程死に対する不安があるようです。87歳になる義母は認知が出てきているが、死に対する不安は見られない。早くあの世に逝きたいとも言っている。高齢者になって来たら頭の多少の認知が死の恐怖を和らげてくれるかも知れない。
死後のことを考えると独り孤独でも自暴自棄にはなれない…誰かに迷惑をかけずに普通に暮らしていれば普通に死んで少なくても地獄へ落ちることはないだろう?
毎日拝聴していると知らず知らず沢山の人に支えられているのかなと思います。こちらの講座にも支えられ気づきを与えて頂いているのかもしれません。
死ぬのが不安だ。死ぬのは嫌だ。と心配ばかりするのではなく、死んだ後はどんな世界に行けるのかが楽しみだ、という心境が信楽の世界なのかなと最近思うようになりました。勿論そのためには、死後の行く先、死後の世界があるということが大前提になります。信じるか信じないかではなく、信じることが仏教だと思います。とは言っても、正直なところ自分が死ぬのはやはり怖いです。どうしたら信楽の境地になれるのか、これからも聴聞を続けたいと思います。ありがとうございました。
死が怖いのは、生きているもの、すなわち生物が持っている本能的
なものです。
小さい虫や犬でも殺そうとすれば恐れ、嫌がります。
死を楽しいと思う生き物はいないと思います。
@@uoyoser-ud4j3nn9v その通りですよね。楽しいものではなく、やはり怖いですよね。返信いただきありがとうございました。
死は肉体を滅します 想念や精神あるいは心といったものは社会にも残ります こういう形ない考えや思想が種となって人の体を借りて復元される これを輪廻というものであると思っています 死が不幸なのは全てを失うこととするからでしょう 欲という汚れや闇は死の滝壺を以て洗われ 復元によって初めに戻されます これは非不幸感でしょう 真理とは言いませんが 生き方一つこの動画は学びです 私は感謝しています ありがとうございます
死を目的(地)にして生きているわけではないです。生きる変化の一端として自然の変化があると思います。日々の生活を、本当に大切にしている人や、死があるから、生を実りある生活にしている人もいます。「無碍の一道」「信楽」もこのことでは?
ホントに地獄が有か無いか分からない!実際に死んだものしか分からない!浄土真宗で浄土に行けるとは限らない!
死の話をすると感情が暗くなるが、死後のことが分かれば死が暗く無くなる。
死の問題を避けて通れば楽だが、死が怖いまま死んでいくことになる。
どちらを選択するかですね。
誰も経験したと確実に証明出来ないけれど
生きている人で
人の道で一生終えるなら経験する事なので
怖がっても見つけれるモノも見いだせないような…
私は仕事で過労で電車の中でも倒れ
三駅 倒れて
死とは眠る事に近い?感覚な気がして
全く 怖いと思わなくなりました
お疲れ様です。
生死事大ですね。
勉強させて頂きました。
有難う御座います‼︎
こんばんわ,くらい 話しでないとおもいます。 人によって そう おもう と おもいます, でも ひとつ の べんきようとおもいます。
私は希死念慮を消すためにこのチャンネルを聴いて救われている。
死について話を聞いて暗い気持ちになるなら聞かなければ良いんじゃなのかな?!受け止められる時期が来たら又聞けば良い❤
形而上学
哲学
仮説
としての
仏教学習は大切
☕️
皆、死ぬ事を忘れていますね..
やがて死ぬ事を絶対条件として我々は生まれた訳ですからね。それがもしネガティブで暗い物としてしか捉えられないなら最悪ですよね?
死が終着駅ですつまり死後はありません、死後の事を考えるのは無駄と言うよりアホな事です。
人は生きるために衣食住の心配するのだ、誰も助けてくれないので~。
死んだらお釈迦様、観音さんが救ってくれるんでしょう。死んだら無です。
5次元の世界へ恨み未練で魂がこの世3次元に残ることもあります。
無碍の一道 ありがとうございます。
公開講座に出ようと思いましたが、25000円というびっくりするような額を見てやめました(>_
前野さん
通りすがりのものです、すみません。
確かにこのお値段は少々お高いのかもしれません。しかし、菊谷先生も人間で、日々生活をするには当然皆さんからのお布施(お金)が必要です。また概要に書かれている通り、「真摯に、深く」仏教を学びたい方に来て頂きたいという菊谷先生から与えられた最低限のハードルと愚考致します。場所も新宿で、会場代も相当掛かるでしょう。いろんな角度からこの価格に設定された理由をご自身でお考えになることをお勧め致します。こいつ何を偉そうにと、ご気分を害してしまいましたら申し訳ありません。
長文失礼しました。恐々謹言
(※私は当日予定があるのでやむなく断念しました😢)
いつも貴重なお話ありがとうございます。仏教では死後の世界を考えた時、今をどう有意義に生きるかを説かれているのではないかと思えます。しかし、死を前提に有意義に過ごすのではなく、結果として有意義に過ごしていたという事の方が正しいのではないかと思います。結局、死後の世界は考えても仕方ない物で、何故考えなければならないのかが分かりませんでした。
人が死なない生き物ならどうなんでしょうか
多分とてもつまらないでしょう。そもそも一生という概念がなく
ダラダラと生きていくのでしょうね
宗教も意味がなく、好き勝手に人は生きていくでしょう
死を考えて生きる意味を求めるのもなかなか良いなと思うんですが
私だけかもしれませんが早く死にたいと思うのではなくて
良い生き方をしたい後悔のない死を迎えたいだから一生懸命に
生きてきたと思う思える死に方を私はしたい
お疲れさまです。
死についてとか暗くなると言うなのなら視聴しなきゃいい。違うチャンネルに行けばいい。ひとはみな抱えてます。菊谷さんのチャンネルにはわたしはとても感謝してます。
扉を開けたら部屋
暫く過ごして居た堪れなくなって
扉を開けたらまた部屋
滞る事なく襖を開いていく
だから死後も部屋が続いているんだという見方が正しいのでしょうか。
でも何かが違うと心の底で
思ってしまう。
死の話しばかり暗くなる‼️
世に氾濫するドラマも映画も畢竟、死を描いているように思えます。考えてもしょうがない
ことかもしれませんが何か他に考えることなんかあるのか?と思うくらいです。旅行に行こ
うとか美味しい物食べに行こうとか楽しい事を思い立つのも、いつか死んじゃうという意識
が何処かにあればこそではないでしょうか?
とてもごもっともでありがたいお話でした。命ある間に出来ること、六度万行についてのお話も聴かせていただきたいです。自分に最も欠けていると感じる「和顔愛語」の教えが大好きです。深謝です。
平和について仏教はどう教えられてるのでしょうか?
私にとって死より大きな問題です。
死の話はつまり
生の話だ
そんな事も分からん
輩はほっておこう
🦉
今回も有難いお話を聞かせて頂きました。有難うございます。後生の一大事と頭の中では度々聞かせて頂き合致しているのですが、どうも遠くのことと考える自分がいます。
これからも拝聴させていただきます。よろしくお願い致します。
死ぬとは、今生の身体から離れるだけ。
死後は、次に生まれる事を考えるだけ。
死後は何も暗い事じゃない、今の身体、家族、友達と離れるのは寂しいけど、
また新しい身体になってこの世に戻ってくる。
魂はこの繰り返し。
ありがとうございます!
お布施拝受しました。ありがとうございました。
ありがとうございます!
お布施拝受しました。ありがとうございました。