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金星まで飛行できる強化服!!東芝のトランジスタ技術すごいぜ!!
嗚呼、懐かしい!スンバラシイ!アップありがとうございます!主題歌のカラオケ版があったとは!良いものをきかせていただきました!
東芝の電気契約店でのシャッターのエスパーが描かれていましたねww懐かしいww
コメント有難うございます。懐かしいですよね。昭和の個人営業の電気屋さん。電気屋の店内には、エスパーのマスコット置き物もありましたが、あれに限らず、薬局のコルゲンとか、お菓子屋のペコちゃんとか、ホーロー看板とか、ああいったモノは、店の自腹負担だったんでしょうか。貴重な時代だったと思います。
あの当時、全国で何人の少年が「イー・エス・パー」の掛け声とともに足首を挫き、玄関先でうずくまったことでしょうか。ウルトラマンには決してなれないと分かっていた少年たちに、「エスパーにならなれるかもしれない」と夢を与えてくれたヒーローでした。少年の日に憧れたエスパーでしたが、最期はあまりにも悲しいものでしたね。自己犠牲ほど美しいものは無いでしょうが、実在する友人のように慕っていた彼の特攻死には、ものすごい喪失感を覚えました。最期を知っているだけに、笑顔の彼を見るたびに切なくなります。
コメント有り難うございます。足首を挫く子どもがいたのですか。それは驚きです。でも本当に味わいたいのは、ジャンプからロケット推進に切り替わる瞬間でしょうね。あの時代、今後の活躍を期待するようなエンディングは少なかった。気がかりなのは、残された父親役のエスパー星人の人生ですね。辛かっただろうと思います。
わかります!ヒーローはカッコいいけどウルトラマンは宇宙人、仮面ライダーは改造人間、ゴレンジャーはミュータントと憧れる存在だけだったのとは一線を画した一番身近なヒーローだと思います
自分もイー.エス.パーやりました
私もです (^-^)
わしも!
明るくて元気の出る曲!サウンドも懐かしく心をくすぐります。映像の編集もキャラクターの魅力満載て素敵です!
コメント有難うございます。まだまだ音質的には未熟な編集なのに有難うございます。現在、ボーカル消去版をのんびり試行錯誤しております。貴方様のコメントを励みに、これからも何度も頑張ります。有り難うございます。
今更乍ら服部良一さんの凄さを思い知る日本が誇るヒーロー主題歌だと思います。生意気なチカが可愛い!
コメント有難うございます。おっしゃる通りだと私も思います。当時は作曲者を凄いなあと思う余裕も無く、エピソードにのめり込んでおりましたが、一生懸命に歌って覚えたくらいですから、それが名曲の証なのでしょう。
私もこの歌が大好きでよく歌っていました。再放送は幼稚園児の時の1971年が最後。以降、音源に触れる機会が途絶えて、数年。アニメブームの最中の1978年の日曜特バンでのヒーロー回で久々に聴いて大感激して音源を探し回りました。高校の時には東芝のお店のシャッター絵を見ながらエスパーの歌の鼻歌を歌って自転車登校していました。ヒーロー番組ファンならわかってくれる名曲だと思います。
エスパーは子供の頃に再放送を何回も見て三ッ木清隆さんをエスパーのお兄ちゃんとヒカルのお兄ちゃんと言ってました。今でも大ファンです。
コメント有難うございます。東ヒカルは、絶対に怒りませんでした。2号である朝川光一にも優しかったですね。親しみの持てるヒーローとしてヒットしました。ところで「台湾熊」といえば最近、空軍操縦士着用のワッペンの台湾のクマが、プーさんをパンチ などしておりまして、大笑いしたものでした。失礼しました。
ギターの音も心地良い♫
コメント有難うございます。まさしく仰る通りです。1970年代に入ると、キューティーハニーやガッチャマンなど、ギターの刻みが進化しますが、エスパーやタイガーマスクなどのリズムギターも記憶に印象的に残っております。エフェクターが本格化する前の「エレキ」の音の方が、余計に昭和を感じますよねぇ。
懐かしいですね。フルコーラスカラオケ聴きたかった曲です。エスパーの活躍シーンがよみがえってきました。ありがとうございました。
コメント有難うございます。おおっ!加藤三郎殿からのお言葉感謝いたします。コスモタイガーIIまでのご活躍、大変に感謝申し上げます。主翼の赤、尾翼の「誠」の字は、今でも記憶に新鮮であります。その攻撃精神は、エスパーと相通じるものがございましょう。
すいません。加藤殿にしては髪が長いようで。もしかしたら篠原殿でしたら申し訳ありません。わはははは
山本明です(笑)
@@blacktiger3689様、失礼しました。初期の加藤三郎(野村信次、池水通洋)と声優がかぶっていたので、勘違いをしました。ごめんなさい。まだまだ修行が足りず、申し訳ありません。「明」という名前は、最初出来て無かったような気がします。左目を髪がおおっているシーンがありますが、あれで操縦できるのはよほど優秀な技量の持ち主ですよね。
さらば、ヤマト2で再登場が決まった時に命名されたようです。
楽しかりしあの頃。
コメント有り難うございます。おっしゃる通りでした。この番組の放映当時、子どもでいて本当に良かったと、今でも思います。
Good! My memory total recall! Good job!
あの松本零士先生原作光速エスパ-スーパー戦隊強化ス-ツの元祖ですね!
エスパーは松本先生の前に、別の人が描いているんですよね。
コメント有難うございます。この2つのコメントは一見、対立しているようで、どちらも正しいと私は思っています。松本零士の前に、あさのりじがマンガを描いているという点では「別の人」がいた事は正しい。ただ松本零士は「好きにやらせてくれるなら」という条件で引き受けておりますので、原作を元祖としても正しい。エスパーのイメージだけを残してキャラクター・ストーリーを含む全ての設定を新しいものに変更し、全くのオリジナル作品として再構成したのは、やはりヤマトの「第三艦橋」的な独自性が伺えますです、はい。
ストーリーが 大人びてましたね
コメント有難うございます。「大人びて」という部分に、全く賛成します。細々とした説明がなくて、「察する」能力が必要と言う意味で「大人びて」いたと思います。エスパーには、戦隊のような仲間も、科学特捜隊のような協力隊もほぼいなかった。また家族的な組織体で運営されていたので、脚本家も相当に悩んだでしょうね。だけど、それゆえに我々は強い印象と頑張る勇気をもらっていたような気がいたします。
共演の子役女優が公開を拒んだせいでなかなか披露されなかったものが、やっと日の目を見たね!
宇佐見淳也さん。後の「ミラーマン」の御手洗博士。
コメント有難うございます。これは私も知っておりました。おかげで色々と勉強できました。「1937年、新興キネマに入社。映画役者として端役からキャリアを積み、二枚目スターとしての地位を確立」という経歴に加え、「昔気質の潔癖な方で、時間をきっちり守る」「穏やかだったが頑固なところがあり、譲らないところは譲らない面」から、昭和の大スターには珍しい気質で、三船敏郎と相通ずる所もあったのでしょうかねえ。
@@amatsumiyagoto3980 様宇佐見氏といえば、他に「黒蜥蜴」「戦え!マイティジャック」「トラトラトラ」「だいこんの花」も思い出します。
墜落死した両親に宇宙人が乗り移る段階からシナリオがスタートするのが斬新だね😅
コメント有難うございます。このシナリオはエスパーの根幹をなす設定ですよね。エスパー星人が両親にならないと、朝川博士とのつながりができませんし、結果として「強化服」の開発問題の解決もできませんでした。従って、貴方様の仰るように斬新さに加え、必然で、残酷な(最終回)設定でした。
耐熱、耐圧、耐ショック機能を備えた強化服熱線銃、冷却銃を携え光を超えるスピードで宇宙を自在に駆け巡る少年の永遠の憧れですね (^-^)
おお、これは、イタリアの童話ピノキオのお芝居にも使えそうな、光速エスパーの曲だ。もし、イタリアの童話ピノキオのお芝居にも、光速エスパーの曲があれば、できれば、ピノキオがぜペット爺さんに学校行きを勧められる場面にも使って欲しいです。ピノキオがぜペット爺さんに学校行きを勧められる場面のBGMがこれです。0:00ゼペット「よし、ピノキオ。君も学校へ行ってお坊ちゃんやお嬢ちゃん達とも仲良くやるんだ。ピノキオ「任せて。お父さん。僕、学校へ行くの初めてだなあ」
いつもコメント有難うございます。これはまだ、ピノキオがグータラしている時の話ですね。ピノキオで使えるという事は、タツノコプロの「樫の木モック」でも使えるという事でしょう。真面目に勉強し働くようになったピノキオは、最後に夢に現れた妖精によって人間になります。我々はいま現在、人形のピノキオなのか、人間になったのか、深く考えさせられる話でもありますねえ。
来た。遂に来た。3年間待ち続けていたフルコーラスカラオケ。音質の変化、あって良し。これぞオンリーワン。
コメント有り難うございます。お待たせして申し訳ありませんでした。三年間、悩みに悩んで取り組みました。音声のリマスター版が待ち遠しいです。お言葉を励みに、これからも悩み続けます。有難うございます。
エスパーのスーツは、はじめのうちはウェットスーツではなかったんですね。
コメント有難うございます。衣装やヘルメットなどについて、なかなかコメントを頂く機会はないのですが、繊維原料とウエットスーツとの違いは、体温・発汗・照明温度との関係が大きかったそうです。私が知る中で一番変わったと思うのは、「マグマ大使」のガムのヘルメットでした。エスパーのヘルメットやチカも幾つかのバージョンが確認できていて、改良なのか消耗なのか興味深い所ですね。
三ツ木さん、俺より十歳上だから年齢が計算し易い。習近平と同い年か。
コメント有難うございます。その年に誕生された方々は、ピアース・ブロスナン、テレサ・テン、山下達郎、高中正義、ジャネット・リン、古谷徹、研ナオコ、関根勤、円広志、小林よしのり、その他多くがいらっしゃいますのに、まさかそう来るとは。NHKがテレビの本放送開始、日本テレビが本放送開始の年でもあり、時代を感じます。
@@amatsumiyagoto3980 様あと、「その他多く」には、小林幸子・大貫妙子・竹下景子も!
@@amatsumiyagoto3980 様三ツ木清隆氏が「光速エスパー」でブレイクした頃、習近平は文革のせいで教育も満足に受けられなかったとのこと。良い時代でした。
両親を56した宇宙人と一緒に暮らしてた事を大人になってから知った
子供の頃、名前はチカだったかな、この小鳥のプラモデルをなんとなく作った記憶がある、いや、紙粘土で作って透明の下敷きを切って張り付けたかよく覚えていない、このカワイイ小鳥が好きだった覚えがある
金星まで飛行できる強化服!!
東芝のトランジスタ技術すごいぜ!!
嗚呼、懐かしい!スンバラシイ!
アップありがとうございます!
主題歌のカラオケ版があったとは!
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懐かしいww
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電気屋の店内には、エスパーのマスコット置き物もありましたが、あれに限らず、
薬局のコルゲンとか、お菓子屋のペコちゃんとか、ホーロー看板とか、
ああいったモノは、店の自腹負担だったんでしょうか。貴重な時代だったと思います。
あの当時、全国で何人の少年が「イー・エス・パー」の掛け声とともに足首を挫き、玄関先でうずくまったことでしょうか。
ウルトラマンには決してなれないと分かっていた少年たちに、「エスパーにならなれるかもしれない」と夢を与えてくれたヒーローでした。
少年の日に憧れたエスパーでしたが、最期はあまりにも悲しいものでしたね。
自己犠牲ほど美しいものは無いでしょうが、実在する友人のように慕っていた彼の特攻死には、ものすごい喪失感を覚えました。
最期を知っているだけに、笑顔の彼を見るたびに切なくなります。
コメント有り難うございます。足首を挫く子どもがいたのですか。それは驚きです。
でも本当に味わいたいのは、ジャンプからロケット推進に切り替わる瞬間でしょうね。
あの時代、今後の活躍を期待するようなエンディングは少なかった。
気がかりなのは、残された父親役のエスパー星人の人生ですね。辛かっただろうと思います。
わかります!ヒーローはカッコいいけどウルトラマンは宇宙人、仮面ライダーは改造人間、ゴレンジャーはミュータントと憧れる存在だけだったのとは一線を画した一番身近なヒーローだと思います
自分もイー.エス.パー
やりました
私もです (^-^)
わしも!
明るくて元気の出る曲!
サウンドも懐かしく心をくすぐります。
映像の編集もキャラクターの魅力満載て素敵です!
コメント有難うございます。まだまだ音質的には未熟な編集なのに有難うございます。
現在、ボーカル消去版をのんびり試行錯誤しております。
貴方様のコメントを励みに、これからも何度も頑張ります。有り難うございます。
今更乍ら服部良一さんの凄さを思い知る日本が誇るヒーロー主題歌だと思います。
生意気なチカが可愛い!
コメント有難うございます。おっしゃる通りだと私も思います。
当時は作曲者を凄いなあと思う余裕も無く、エピソードにのめり込んでおりましたが、
一生懸命に歌って覚えたくらいですから、それが名曲の証なのでしょう。
私もこの歌が大好きでよく歌っていました。
再放送は幼稚園児の時の1971年が最後。
以降、音源に触れる機会が途絶えて、数年。
アニメブームの最中の1978年の日曜特バンでのヒーロー回で久々に聴いて大感激して音源を探し回りました。
高校の時には東芝のお店のシャッター絵を見ながらエスパーの歌の鼻歌を歌って自転車登校していました。
ヒーロー番組ファンならわかってくれる名曲だと思います。
エスパーは子供の頃に再放送を何回も見て
三ッ木清隆さんをエスパーのお兄ちゃんとヒカルのお兄ちゃんと
言ってました。今でも大ファンです。
コメント有難うございます。東ヒカルは、絶対に怒りませんでした。
2号である朝川光一にも優しかったですね。親しみの持てるヒーローとしてヒットしました。
ところで「台湾熊」といえば最近、空軍操縦士着用のワッペンの台湾のクマが、
プーさんをパンチ などしておりまして、大笑いしたものでした。失礼しました。
ギターの音も心地良い♫
コメント有難うございます。まさしく仰る通りです。
1970年代に入ると、キューティーハニーやガッチャマンなど、ギターの刻みが進化しますが、
エスパーやタイガーマスクなどのリズムギターも記憶に印象的に残っております。
エフェクターが本格化する前の「エレキ」の音の方が、余計に昭和を感じますよねぇ。
懐かしいですね。フルコーラスカラオケ聴きたかった曲です。エスパーの活躍シーンがよみがえってきました。ありがとうございました。
コメント有難うございます。おおっ!加藤三郎殿からのお言葉感謝いたします。
コスモタイガーIIまでのご活躍、大変に感謝申し上げます。
主翼の赤、尾翼の「誠」の字は、今でも記憶に新鮮であります。
その攻撃精神は、エスパーと相通じるものがございましょう。
すいません。加藤殿にしては髪が長いようで。もしかしたら篠原殿でしたら申し訳ありません。わはははは
山本明です(笑)
@@blacktiger3689様、失礼しました。
初期の加藤三郎(野村信次、池水通洋)と声優がかぶっていたので、勘違いをしました。ごめんなさい。
まだまだ修行が足りず、申し訳ありません。「明」という名前は、最初出来て無かったような気がします。
左目を髪がおおっているシーンがありますが、あれで操縦できるのはよほど優秀な技量の持ち主ですよね。
さらば、ヤマト2で再登場が決まった時に命名されたようです。
楽しかりしあの頃。
コメント有り難うございます。おっしゃる通りでした。
この番組の放映当時、子どもでいて本当に良かったと、今でも思います。
Good! My memory total recall! Good job!
あの松本零士先生原作
光速エスパ-
スーパー戦隊強化ス-ツの元祖ですね!
エスパーは松本先生の前に、別の人が描いているんですよね。
コメント有難うございます。この2つのコメントは一見、対立しているようで、どちらも正しいと私は思っています。
松本零士の前に、あさのりじがマンガを描いているという点では「別の人」がいた事は正しい。
ただ松本零士は「好きにやらせてくれるなら」という条件で引き受けておりますので、原作を元祖としても正しい。
エスパーのイメージだけを残してキャラクター・ストーリーを含む全ての設定を新しいものに変更し、
全くのオリジナル作品として再構成したのは、やはりヤマトの「第三艦橋」的な独自性が伺えますです、はい。
ストーリーが 大人びてましたね
コメント有難うございます。「大人びて」という部分に、全く賛成します。
細々とした説明がなくて、「察する」能力が必要と言う意味で「大人びて」いたと思います。
エスパーには、戦隊のような仲間も、科学特捜隊のような協力隊もほぼいなかった。
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だけど、それゆえに我々は強い印象と頑張る勇気をもらっていたような気がいたします。
共演の子役女優が公開を拒んだせいでなかなか披露されなかったものが、やっと日の目を見たね!
宇佐見淳也さん。後の「ミラーマン」の御手洗博士。
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「1937年、新興キネマに入社。映画役者として端役からキャリアを積み、二枚目スターとしての地位を確立」という経歴に加え、
「昔気質の潔癖な方で、時間をきっちり守る」「穏やかだったが頑固なところがあり、譲らないところは譲らない面」から、
昭和の大スターには珍しい気質で、三船敏郎と相通ずる所もあったのでしょうかねえ。
@@amatsumiyagoto3980 様
宇佐見氏といえば、他に「黒蜥蜴」「戦え!マイティジャック」「トラトラトラ」「だいこんの花」も思い出します。
墜落死した両親に宇宙人が乗り移る段階からシナリオがスタートするのが斬新だね😅
コメント有難うございます。このシナリオはエスパーの根幹をなす設定ですよね。
エスパー星人が両親にならないと、朝川博士とのつながりができませんし、
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耐熱、耐圧、耐ショック
機能を備えた強化服
熱線銃、冷却銃を携え
光を超えるスピードで
宇宙を自在に駆け巡る
少年の永遠の憧れですね
(^-^)
おお、これは、イタリアの童話ピノキオのお芝居にも使えそうな、光速エスパーの曲だ。もし、イタリアの童話ピノキオのお芝居にも、光速エスパーの曲があれば、できれば、ピノキオがぜペット爺さんに学校行きを勧められる場面にも使って欲しいです。ピノキオがぜペット爺さんに学校行きを勧められる場面のBGMがこれです。0:00ゼペット「よし、ピノキオ。君も学校へ行ってお坊ちゃんやお嬢ちゃん達とも仲良くやるんだ。ピノキオ「任せて。お父さん。僕、学校へ行くの初めてだなあ」
いつもコメント有難うございます。これはまだ、ピノキオがグータラしている時の話ですね。
ピノキオで使えるという事は、タツノコプロの「樫の木モック」でも使えるという事でしょう。
真面目に勉強し働くようになったピノキオは、最後に夢に現れた妖精によって人間になります。
我々はいま現在、人形のピノキオなのか、人間になったのか、深く考えさせられる話でもありますねえ。
来た。遂に来た。
3年間待ち続けていた
フルコーラスカラオケ。
音質の変化、あって良し。
これぞオンリーワン。
コメント有り難うございます。お待たせして申し訳ありませんでした。
三年間、悩みに悩んで取り組みました。音声のリマスター版が待ち遠しいです。
お言葉を励みに、これからも悩み続けます。有難うございます。
エスパーのスーツは、はじめのうちはウェットスーツではなかったんですね。
コメント有難うございます。衣装やヘルメットなどについて、なかなかコメントを頂く機会はないのですが、
繊維原料とウエットスーツとの違いは、体温・発汗・照明温度との関係が大きかったそうです。
私が知る中で一番変わったと思うのは、「マグマ大使」のガムのヘルメットでした。
エスパーのヘルメットやチカも幾つかのバージョンが確認できていて、改良なのか消耗なのか興味深い所ですね。
三ツ木さん、俺より十歳上だから年齢が計算し易い。習近平と同い年か。
コメント有難うございます。その年に誕生された方々は、ピアース・ブロスナン、テレサ・テン、
山下達郎、高中正義、ジャネット・リン、古谷徹、研ナオコ、関根勤、
円広志、小林よしのり、その他多くがいらっしゃいますのに、まさかそう来るとは。
NHKがテレビの本放送開始、日本テレビが本放送開始の年でもあり、時代を感じます。
@@amatsumiyagoto3980 様
あと、「その他多く」には、小林幸子・大貫妙子・竹下景子も!
@@amatsumiyagoto3980 様
三ツ木清隆氏が「光速エスパー」でブレイクした頃、習近平は文革のせいで教育も満足に受けられなかったとのこと。良い時代でした。
両親を56した宇宙人と一緒に暮らしてた事を大人になってから知った
子供の頃、名前はチカだったかな、この小鳥のプラモデルをなんとなく作った記憶がある、
いや、紙粘土で作って透明の下敷きを切って張り付けたかよく覚えていない、
このカワイイ小鳥が好きだった覚えがある