あまり知られていない沖縄奄美の歴史〜後編〜

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  • เผยแพร่เมื่อ 28 พ.ย. 2024

ความคิดเห็น • 7

  • @koushinohanashi
    @koushinohanashi  ปีที่แล้ว +2

    割と最近の歴史ですが知らない事がたくさんあります。

  • @A子-m4x
    @A子-m4x 11 วันที่ผ่านมา

    この2年奄美大島へ旅行へ行っています。島の人はとても優しくて温かいです。このような過去があったと知ってショックではありましたが、色々な過去を乗り越えたからこそ、優しい人が多いと思います。
    貴重な歴史を紐解いてくださり有難うございます。

  • @崎浜秀章-n1h
    @崎浜秀章-n1h 16 วันที่ผ่านมา

    奄美に米軍基地がなくて良かったね

  • @magicbeat5648
    @magicbeat5648 ปีที่แล้ว +2

    参考になります。
    米国による分断工作があったのは知りませんでした。
    言われりゃ必然ですけどね。
    昨今の中華傀儡のユネスコによる分断工作、奄美含む琉球諸語の件もあえて方言でなく、別の言語とするなんてのも郷土愛を利用した巧みなやり方とも言えますね。
    奄美、沖縄、アイヌも含めナニジンでもなく日本人だと思います。
    今後も頑張ってください、応援します。

  • @croir422
    @croir422 11 หลายเดือนก่อน +2

    奄美の沖縄に復帰はないのですか。

  • @ryukyu1180
    @ryukyu1180 ปีที่แล้ว +9

    沖縄島民の奄美差別はあったと判定したほうが妥当だと思います。
    “ 外国人 ” に職場を奪われる不満と、微妙に言葉が違う者への違和感なのでしょう。
    ところでで、ワンがこどもの頃は「奄美」って聞いた事ありませんでした。たんに「オーシマー(奄美大島人)」で、言葉がほとんど通じない宮古島人は「ナークー」と呼んでいて、本来はただの沖縄ナマリだったのが、暴力団抗争が激しくなった頃から蔑称として響くようになったと記憶してます。奄美大島出身の若者の一部は、○○組と○○組双方のテッポウ弾にされ、新聞沙汰になっていました。
    ただ、優秀な奄美大島人に対する嫉妬があったのも事実で、要職に就いた者、飲食業で成功した者など、現在の沖縄経済の基礎の一角を成している事は確実ですね。

    • @koushinohanashi
      @koushinohanashi  ปีที่แล้ว +6

      そうだったんですね。訛りが当時の情勢によりだんだん蔑称に変化していったんですね。アメリカ統治云々の前に国外の人に仕事を奪われることに反発があるのは現代でもあることなので自然な事だと思います。でもやはり奄美を日本から切り離し鹿児島ではなく沖縄に職を求めて行かなければならない構図を作ったアメリカの作戦がこの問題の全てのような気がしますね。