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娘がバレーボール部に入りまして、部の決まりで膝サポーターは白のみ、ソックスもシューズも白のみ。スポーツ用品店で『寺西勇か!』って突っ込んだら、客の50代くらいのオッサンが大笑いしてくれ助かったよ。
わかる方がいらっしゃって良かったですね笑私は少し前に、ワンショルダーのドレスを来た女性に「アニマル浜口か」と突っ込んだら、すごくすべりました。
@@katte_maru_puroresu キャバクラですね(笑)ワンショルダーいますからね、たまに。ワンショルダーなら『グリズリー・ブーン』もありかと。誰も知らんか。
@@亜璃亜矢龍 グリズリー・ブーン、覚えてますよ‼️全日本プロレスの、1988(昭和63)年5月~6月のシリーズ1回きりの来日でしたね。今も元気だといいですね。同シリーズには、ロックンロール・エクスプレス、ダニー・スパイビーが初来日しました。ハバナ・ザ・テラーというマスクマンもいましたが、彼も1回きりの来日でしたね。また、ジェシー・バーが一度だけジミー・ジャック・ファンクとして来日しました。正義の象徴のはずの「ファンク」を名乗っていながらタイガー・ジェット・シンとタッグを組んで、どうなってんだ? と思った記憶があります。それから、私の記憶が正しければ、リップ・ロジャースも、このシリーズが初来日だったでしょうか。昔は全日本、新日本、国際も、外国人選手が多く参戦し、口の悪い人は「とんだ一杯食わせ者」とか「員数合わせ」と言われる外国人選手もいましたが、私は寧ろそういう選手の方が、エース級の外国人選手より好きでした。外国人天国と呼ばれたあの頃は、本当に良かったです。長々と、すみません。
寺西さんと言えば、オールホワイト!
自分が寺西勇を初めて見たのは国際崩壊後のはぐれ国際軍団でやってた時期からで、世は佐山聡のタイガーマスクが大人気でちょうどプロレスを観戦し始めた頃でしたね。その後の佐山聡のタイガーマスクとの抗争をやり始めた辺りから、本来の試合巧者ぶりが発揮されてきてこの人上手いんだなあと子供ながらに思うようになりました。寺西さんはジュニアヘビー戦線で大いに映えるレスラーでしたね。
寺西は凄いが、そこに食いついた石川優子も凄い!マニアの中でも当時寺西に注目する人は少ない。今もプロレス見てるのかなぁ。
相当なプロレス好きでないと、おそらく寺西さんには辿り着かないですよね。
寺さんが87年に正式に全日本に入団したときはホント嬉しかったぁ😂👏✨
寺西勇って国際プロレスではオーソドックス&トリッキーなファイトで貴重な選手でしたね! タイトルはIWAミッドヘビー級チャンピオンにはなりましたが相手に恵まれず井上、浜口の次のランクでも玄人好みなタイプでもあり、若手の高い壁としても国際崩壊までファイトしました! 彼は1973年10月の第5回ワールドシリーズでエースのストロング小林から公式戦でフォール勝ちしたのが特筆されます!
回転エビ固めとショルダースルーを空中回転で躱すあの技は一品だった
初代タイガーマスクとの名勝負あのタイガーマスクをカウント2.9まで追い込んだ。寺西勇 ショルダースルーをされても足から着地してみせた身軽さ。負け役になっても一生懸命なファイト 昭和のプロレスラーだったよ!
寺西さんとは同郷で、全日の富山大会でお母さん?と会場の外でお話ししているのを見ました。なにより、テクニシャンで相撲出身者とは思えないほどの体の動きでしたね。全日では中堅・ベテラン勢の主戦場であるアジアタッグはメインよりも好きでした。私は国際時代や全日後のことについては、よく知らないので今回の映像は見られて良かったです!
ご視聴ありがとうございます。寺西さんがインディー団体転戦していた時期は、あまり知られていないですよね。私もあまり知らなかったので、改めて調べてみて興味深かったです。
新日本時代、寺西さん、ラッシャーさん、浜口さんたった3人で新日本ならず新日本ファンとも戦って来たんだよな…スゲーよ
国際プロレス時代にはIWAミッドヘビー級選手権者で和製カーペンティアとして活躍してました。素晴らしい選手でプロレスが上手かったと思います。
なんか歴史の教科書のように淡々と戦歴が語られる内容、これはこれでマニアックかつ渋めで重厚で良き。
好きなレスラーでしたね子供心に「何かこの人違う」と見てました
滲み出る「本物感」は、やはり伝わりますね。
和製カーペンティアと呼ばれていた国際最後の数年間。12チャンネルで見ていたのが、一番印象的な姿です。この人、今日も負けるんだろうなぁ、と思って見ていましたが、実際にそうでした。そして、それはつまり、いつも応援していました。
寺西さんのドロップキックは綺麗やった
寺西さんは本当に良い仕事をこなすレスラーでした猪木vs国際軍事の闘いといい、正規軍vs維新軍5対5全面対決の時といい、闘いを盛り上げてくれたのは寺西選手があってからだと思います!プロの仕事師だと本当に思いました…
寺西勇ですか、これは渋い!こうして見ると流転のマット人生ですね。ショルダースルーからパッと着地、すぐさまドロップキックのムーヴ、意外に受け継がれてないですね。90年頃?池袋近くの要町でお見受けしました。
パッと着地が難易度高いからでは?体操経験者の考察聞きたいですねー。
裏の裏の裏をかきすぎて逆に難しくなりすぎましたね笑ショルダースルーからのムーブは、日本人ではほぼ元祖のような存在のようですね。難易度が高くて、中々受け継がれないのだと思います。
寺西勇 VS 石川隆士・・・これぞ、いぶし銀!夢の対決!!こういう試合が観たい!!
記憶違いでなければ、2010年にラッシャーさんが亡くなった後だったと思うけれど、浜さんと週プロに登場してインタビューを受けていたのが公に現れた最後ではないかと。「人が良くて、移動バスで『特捜最前線』を見て、ハンカチを持って泣いていた」(ケロちゃん・談)
個人的には「技能賞」がこんなに、しっくり来るレスラーは居ないと思います。毎回思いますが写真のセレクトが良いですね(特にモノクロが)レスラーの面構えが良すぎます!
まさに古き良き「技能派」なレスラーですよね。写真は時間をかけてこだわっていた部分なので嬉しいです!ありがとうございます。
2002年くらいでしたか。自分が勤務していた、K会館のT建設の作業員として勤務されておりました。首の太さと、身体のがっしり感は、凄かったです。
@@野中和久-w4i 寺西ほどのレスラーが、引退後作業員なんて驚きます。
私の住む地方都市では全日と新日が年に一回,国際げ二年に一回くらいの割合で興行に来てましたが個人的に新日のレフェリーで来日してたレッドシューズ・ドゥーガンと寺西さんが圧倒的にファンに優しかった記憶があります。中学生の私にありがとうございますとお辞儀されて反応に困りました笑 遠藤光男レフェリーとジェリー・モローさんとよく話してたのを見ました。若手にロープの使い方やドロップキックのやり方を説明しながら試合してましたね。全日に5人で移籍してきた時は馬場さんはまだチャンピオンカーニバルのJr.版の構想があったと思うのですが,あれよあれよとジャパンが40人近くになって立ち消えになったのは勿体なかったと思います。今回も面白かったです。ありがとうございました🎵
中学生のファンにも敬語でお辞儀をするのは、いかにも寺西さんらしいですね。ジュニア版のチャンカンも見てみたかった所です。
2009年頃、流智美氏がトークライブの件で手紙を出したところ、御子息の勇氏より返信があり、「父は鬱病で、人前に出られる状態ではありません」とのことでした。寂しいですね。
鬱病を患っているのですね..。往年のお姿を考えると少し寂しく感じます。
素晴らしい動画、ありがとうございます!良く調べられてますね。本当に素晴らしいレスラーでしたね。個人的に寺西さん、井上さん、鶴見さんは相当なレベルのプロレスラーだと思ってます。
ご視聴ありがとうございます。国際は本当に渋い技巧派が多いですよね。
@@katte_maru_puroresu コメントありがとうございます。
石川優子さんの話は、のっけから驚きました
全日本の後楽園ホールに通い詰めてた頃、寺さんがいきなり販売スペースでパンフ売りやってたのはビックリした思い出(その後平成維震軍興行などに上がった)
それはびっくりですね!
寺西さん。タイガーマスク戦は秀逸。
当時、子ども時代であった自分は友達と子どもだけで上野動物園を訪れていました。たまたま公衆トイレで寺西さんが娘さんを連れていて、家族サービス中だったのでしょう。自分達は直ぐに『おい、寺西だぜ!!💦』と子ども同志で目をキラキラさせて眺めていましたが(向こうはトイレ後〜)、当時の小学生はメジャーとまでは言い難い彼を皆、知っていました。それこそ今でもアニマルさんがTVに出るのも新日での活躍からですものね。今とは違ってプロスポーツも限られた中とはいえ、より濃厚な時代であったなと感じております。今でもプロレス好きなのは猪木さんがいたからですが、現在は楽しむ選択肢が物凄く増え、楽しめる環境も充実しているとはいえ、分散し過ぎてそれぞれが薄まってしまった印象ですね。小学生が寺西さんや木戸さんのレスリングに唸っていたのが昭和の時代です✨笑。マニアが如く、目が肥えていたとしか考えられません💦笑
小学生が寺西さんや木戸さんに湧き立つというのは、まさに「新日本プロレスブーム」という感じでいい時代ですね!
私の記憶違いならごめんなさいなんですが、動画内で言及されていたマーテル選手とのミッドヘビー級タイトルマッチは、寺西選手のジャーマンスープレックスがフィニッシュだったはず。後年はポピュラーな技になってしまったジャーマンですが、当時の日本人レスラーでは猪木選手、鶴田選手、マツダ選手ぐらいしか使い手いなかったジャーマンだったので「おおっ」となった記憶があります。
たしかにそうですね!ジュニアヘビーの選手のジャーマンはさぞ衝撃だった事でしょう。
谷津さんのオリャチャンネルで言ってましたが寺西さんはケンタッキー大好き人間だそうです。
30年以上前に池袋のパチンコ屋でみかけて、声を掛けましたが違うと言われました。一緒に行った友人からはあの人は常連だと言ってましたが。リング上では素晴らしい職人だったと思います。
お疲れ様です!アジアタッグ獲得歴のあるちょっと意外な選手。。寺西さんは全くノーマークでした 笑以前アポロ菅原さんのお店にお邪魔した時に寺西さんは相手に負担を掛けない技術が卓越していて自分も憧れた。。というようなお話をされていました。猪木さんも東京プロレス時代に寺西さんを可愛がっていたと言いますし地味ではあったけど興業に必要な選手だったんでしょうね今も?肉体労働されているというのはプロレスファンとしてはちょっと複雑ですが身体に大きなダメージを抱えなかったという意味では凄い事だと思います
クイズへのご参加ありがとうございました!裏の裏の裏をかきすぎて、クイズが逆に難しくなっちゃいました笑。国際プロレス出身のレスラーの方は軒並み寺西さんの技術を絶賛していますね。現在は精神障害を患っているそうなので、それなりにダメージの蓄積はあったのかなとは思います。
東京12チャンネルは次のエース級候補として寺西勇を推していたのに吉原さんがそれを受け入れなかったんですよね。
事実のみをあげた良い動画でした。調査お疲れさまでした。
相手の技を上手に受ける「プロレスのプロ」だと思っていた。
阿修羅原選手のWWUタイトルに挑戦予定選手の実力を査定する役割を引き受けD・キッドやM・ロコと手を合わせていました
間違いなくいい選手でしたただ国際プロだと同じサイズくらいの浜口さんがいてテクニシャンとして井上さんがいたからなぁ…藤波、タイガー以前だからJrヘビーも盛り上がってなかったし残念だったなぁ…
寺西勇さんというと極真会の世界大会でお目にかかる機会がありました。
もれも国際軍団寺西さん好きだったなあ~~👍。
とてもわかりやすくよかったです
ありがとうございます。
私の中で「ガチ幻想」を抱かせてくれるレスラーの1人です。リアルタイムで見ていた頃は、シリーズ開幕戦のタッグマッチで初来日の強豪外国人の相手として、爽快な受けっぷりを見せてくれた印象が強いのですが、国際在籍時の、名だたるレスラーとの戦歴を拝見し、改めてその思いを強くしました。ロビンソンの薫陶を受けたシュートの強さを前面に出したことは少なかったと思いますが、敢えてプロの仕事に徹した昭和のレスラーといった感じでしょうか。妄想ですが、ザックセイバーJrとのシングルなんか、面白そう。地味な、裏技的なテクニックでザックを慌てさせる場面が目に浮かぶようです。
ザック選手は今時珍しい職人肌のレスラーですからね。たしかに観てみたいです。
哀愁のオールバック古舘はええ事言うわいつの間にやら全日の生え抜きみたいに五輪コンビのインタータッグなんかのセコンドにフツーにおったな
和製“エドワード・カーペンティア”寺西は新日参戦直後から普通にタイガーマスクと戦ってたけど当時はまったくテレビ放送されなかった。
寺西さんは外国嫌いで、当時の国際プロレスのレスラーのほとんどが横文字のリングネームを名乗る中で日本名を通し、吉原社長に「自分は前座レスラーで構わないから」と出世コースでもある海外遠征を拒否していたそうです
そういう事情があったのですね。情報ありがとうございます。
寺西さんのすごいとこは飛行機嫌いだったため海外遠征がなく来日した外国人選手からテクニックを教わったという所です
なるほど、海外遠征が無かったのはそういった理由だったのですね!
ロープに振られてショルダースリーで真上に飛ばされた後に、クルッと宙返りして着地するお約束の展開にワクワクしてました!
ドラゴンバックブリーカーは元々寺西選手が使っていた技ですよね新日時代は初代タイガーといい試合をしていて実力派の選手だと感じていましたが、全日本に移籍後はタイトルにも恵まれませんでした😢馬場さんのお気に入りにならなかったんですかね?若手の指導者になれた方だと思います
@@oosanDDT 馬場は小さいレスラーをとことん認めないんだよな…
若い時に本格的な海外武者修行をやってほしかったレスラー。ヨーロッパからメキシコに渡るコースが最適かな。テクニックが磨かれ、国際に新風をふかせたかも。
渋いレスラー!確か次男が「寺西勇」ですね。
イサムコールに感激! イサムにかかれば初代タイガーなんぞヒールです。
流石にそうはならないですが笑イサムコールはたしかに痺れますね。
新日正規軍対維新軍の藤波戦で藤波の手の甲を執拗に攻撃してる姿が印象に残ってる
氷室京介の本名は寺西修
おさむちゃんですね。肉屋の倅
2:40永源は日本プロレスに行ったと、東京プロレス崩壊の部分で話していますが・・・。
寺西さんはレスリングもちゃんとできたからね。初代タイガーとも好試合しましたね。初代タイガーの最後の試合って確か寺西さんじゃなかったかな、
富山の誇り 寺西勇‼️
昭和終盤で最も過小評価されているレスラーと思っていました。国際プロレス、リアルタイムで見れませんでしたが、後の新日・全日での活躍を拝見するに、国際プロレス出身の方々は、無骨な実力者の集団かと思われました。失礼しました。
国際プロレスは無骨な職人レスラーが多いイメージがありますよね。
全日本プロレス創立時選手少なく国際プロレス提供のマイティ井上との試合が忘れらるません!
和製マットの魔術的。和製カーペンティア。
本名は寺西等。次男に自分のリングネーム「勇」と名付けています。
@@琢磨小林 ちなみにヒムロックこと氷室京介の本名は寺西修っス。
日プロ→新日・全日の流れと全く違う系譜から出現したマイティ井上と並ぶ傑作レスラー。寺西の魅力は他の方の書き込みに譲るとして、確か井上/寺西VSバション/ジョーという動画を観ていた時に寺西がバションをベアハッグで持ち上げて「あら、珍しいな」と思った次の瞬間、膝の上に尾てい骨を落としたんですよ「えっ、マンハッタン・ドロップ?」アドリアン・アドニスがオリジネーターだとばかり思ってたんですが、考えてみれば大木金太郎が使用してたんですよね。ただ当時の呼び名は「急所打ち」でしたが。
@@キラートーア蒲田行進曲 馬場さんも日プロ時代、使っていましたね。
大相撲から複数の力士が同じ時期に東京プロレス入りしているということは、当時東京プロレス側から積極的なスカウトがあったのかな?
アイドル歌手でもそうですが人気商売ゆえに山ほど押し掛けてくる志望者はまず振るいにかける必要がありますが、目の肥えたスカウトがいたらその必要がありませんからねw※夜の世界やらA〇業界なども、スカウトの力が大きいと聞きます(^^;
寺西さんといえばジャーマンスープレックスですね。あれだけ美しい弧を描けるジャーマンの使い手は猪木さん、鶴田さん、初代タイガーマスクと数えるほどしかいません。尚、先日維新軍団でタッグを組んでいた小林邦昭さんと天国でタッグを再結成して新日では師弟関係になる山本小鉄&星野勘太郎のヤマハブラザースやダイナマイト・キッド&デビーボーイ・スミス組と対戦して欲しいですね。
飛び技もとても美しい
かつての盟友、小林邦昭さんの訃報に何を思っているのでしょうか。年齢の事や現在プロレス界とは一線を画されているので無理にコメントを出される必要もないとは思いますが。
相撲出身者とは知りませんでした。寡黙な仕事人というイメージかな。
寺西勇さん今どうされているのかな?
戦う名古屋章
田中忠治→タナカタダハル?🤔
何がおかしいのですか?
娘がバレーボール部に入りまして、部の決まりで膝サポーターは白のみ、ソックスもシューズも白のみ。
スポーツ用品店で『寺西勇か!』って突っ込んだら、客の50代くらいのオッサンが大笑いしてくれ助かったよ。
わかる方がいらっしゃって良かったですね笑
私は少し前に、ワンショルダーのドレスを来た女性に「アニマル浜口か」と突っ込んだら、すごくすべりました。
@@katte_maru_puroresu
キャバクラですね(笑)
ワンショルダーいますからね、たまに。
ワンショルダーなら『グリズリー・ブーン』もありかと。誰も知らんか。
@@亜璃亜矢龍 グリズリー・ブーン、覚えてますよ‼️
全日本プロレスの、1988(昭和63)年5月~6月のシリーズ1回きりの来日でしたね。今も元気だといいですね。
同シリーズには、ロックンロール・エクスプレス、ダニー・スパイビーが初来日しました。ハバナ・ザ・テラーというマスクマンもいましたが、彼も1回きりの来日でしたね。
また、ジェシー・バーが一度だけジミー・ジャック・ファンクとして来日しました。正義の象徴のはずの「ファンク」を名乗っていながらタイガー・ジェット・シンとタッグを組んで、どうなってんだ? と思った記憶があります。
それから、私の記憶が正しければ、リップ・ロジャースも、このシリーズが初来日だったでしょうか。
昔は全日本、新日本、国際も、外国人選手が多く参戦し、口の悪い人は「とんだ一杯食わせ者」とか「員数合わせ」と言われる外国人選手もいましたが、私は寧ろそういう選手の方が、エース級の外国人選手より好きでした。外国人天国と呼ばれたあの頃は、本当に良かったです。
長々と、すみません。
寺西さんと言えば、オールホワイト!
自分が寺西勇を初めて見たのは国際崩壊後のはぐれ国際軍団でやってた時期からで、世は佐山聡のタイガーマスクが大人気でちょうどプロレスを観戦し始めた頃でしたね。その後の佐山聡のタイガーマスクとの抗争をやり始めた辺りから、本来の試合巧者ぶりが発揮されてきてこの人上手いんだなあと子供ながらに思うようになりました。寺西さんはジュニアヘビー戦線で大いに映えるレスラーでしたね。
寺西は凄いが、そこに食いついた石川優子も凄い!
マニアの中でも当時寺西に注目する人は少ない。今もプロレス見てるのかなぁ。
相当なプロレス好きでないと、おそらく寺西さんには辿り着かないですよね。
寺さんが87年に正式に全日本に入団したときはホント嬉しかったぁ😂👏✨
寺西勇って国際プロレスではオーソドックス&トリッキーなファイトで貴重な選手でしたね! タイトルはIWAミッドヘビー級チャンピオンにはなりましたが相手に恵まれず井上、浜口の次のランクでも玄人好みなタイプでもあり、若手の高い壁としても国際崩壊までファイトしました! 彼は1973年10月の第5回ワールドシリーズでエースのストロング小林から公式戦でフォール勝ちしたのが特筆されます!
回転エビ固めとショルダースルーを空中回転で躱すあの技は一品だった
初代タイガーマスクとの名勝負あのタイガーマスクをカウント2.9まで追い込んだ。寺西勇 ショルダースルーをされても足から着地してみせた身軽さ。負け役になっても一生懸命なファイト 昭和のプロレスラーだったよ!
寺西さんとは同郷で、全日の富山大会でお母さん?と会場の外でお話ししているのを見ました。
なにより、テクニシャンで相撲出身者とは思えないほどの体の動きでしたね。
全日では中堅・ベテラン勢の主戦場であるアジアタッグはメインよりも好きでした。
私は国際時代や全日後のことについては、よく知らないので今回の映像は見られて良かったです!
ご視聴ありがとうございます。
寺西さんがインディー団体転戦していた時期は、あまり知られていないですよね。私もあまり知らなかったので、改めて調べてみて興味深かったです。
新日本時代、寺西さん、ラッシャーさん、浜口さんたった3人で新日本ならず新日本ファンとも戦って来たんだよな…スゲーよ
国際プロレス時代にはIWAミッドヘビー級選手権者で和製カーペンティアとして活躍してました。素晴らしい選手でプロレスが上手かったと思います。
なんか歴史の教科書のように淡々と戦歴が語られる内容、これはこれでマニアックかつ渋めで重厚で良き。
好きなレスラーでしたね
子供心に「何かこの人違う」と見てました
滲み出る「本物感」は、やはり伝わりますね。
和製カーペンティアと呼ばれていた国際最後の数年間。12チャンネルで見ていたのが、一番印象的な姿です。この人、今日も負けるんだろうなぁ、と思って見ていましたが、実際にそうでした。そして、それはつまり、いつも応援していました。
寺西さんのドロップキックは
綺麗やった
寺西さんは本当に良い仕事をこなすレスラーでした
猪木vs国際軍事の闘いといい、正規軍vs維新軍5対5全面対決の時といい、闘いを盛り上げてくれたのは寺西選手があってからだと思います!
プロの仕事師だと本当に思いました…
寺西勇ですか、これは渋い!
こうして見ると流転のマット人生ですね。
ショルダースルーからパッと着地、すぐさまドロップキックのムーヴ、意外に受け継がれてないですね。
90年頃?池袋近くの要町でお見受けしました。
パッと着地が難易度高いからでは?
体操経験者の考察聞きたいですねー。
裏の裏の裏をかきすぎて逆に難しくなりすぎましたね笑
ショルダースルーからのムーブは、日本人ではほぼ元祖のような存在のようですね。難易度が高くて、中々受け継がれないのだと思います。
寺西勇 VS 石川隆士・・・これぞ、いぶし銀!夢の対決!!こういう試合が観たい!!
記憶違いでなければ、2010年にラッシャーさんが亡くなった後だったと思うけれど、浜さんと週プロに登場してインタビューを受けていたのが公に現れた最後ではないかと。
「人が良くて、移動バスで『特捜最前線』を見て、ハンカチを持って泣いていた」(ケロちゃん・談)
個人的には「技能賞」がこんなに、しっくり来るレスラーは居ないと思います。
毎回思いますが写真のセレクトが良いですね(特にモノクロが)
レスラーの面構えが良すぎます!
まさに古き良き「技能派」なレスラーですよね。
写真は時間をかけてこだわっていた部分なので嬉しいです!ありがとうございます。
2002年くらいでしたか。自分が勤務していた、K会館のT建設の作業員として勤務されておりました。首の太さと、身体のがっしり感は、凄かったです。
@@野中和久-w4i 寺西ほどのレスラーが、引退後作業員なんて驚きます。
私の住む地方都市では全日と新日が年に一回,国際げ二年に一回くらいの割合で興行に来てましたが個人的に新日のレフェリーで来日してたレッドシューズ・ドゥーガンと寺西さんが圧倒的にファンに優しかった記憶があります。中学生の私にありがとうございますとお辞儀されて反応に困りました笑 遠藤光男レフェリーとジェリー・モローさんとよく話してたのを見ました。若手にロープの使い方やドロップキックのやり方を説明しながら試合してましたね。全日に5人で移籍してきた時は馬場さんはまだチャンピオンカーニバルのJr.版の構想があったと思うのですが,あれよあれよとジャパンが40人近くになって立ち消えになったのは勿体なかったと思います。今回も面白かったです。ありがとうございました🎵
中学生のファンにも敬語でお辞儀をするのは、いかにも寺西さんらしいですね。
ジュニア版のチャンカンも見てみたかった所です。
2009年頃、流智美氏がトークライブの件で手紙を出したところ、御子息の勇氏より返信があり、「父は鬱病で、人前に出られる状態ではありません」とのことでした。寂しいですね。
鬱病を患っているのですね..。
往年のお姿を考えると少し寂しく感じます。
素晴らしい動画、ありがとうございます!良く調べられてますね。本当に素晴らしいレスラーでしたね。個人的に寺西さん、井上さん、鶴見さんは相当なレベルのプロレスラーだと思ってます。
ご視聴ありがとうございます。
国際は本当に渋い技巧派が多いですよね。
@@katte_maru_puroresu コメントありがとうございます。
石川優子さんの話は、のっけから驚きました
全日本の後楽園ホールに通い詰めてた頃、寺さんがいきなり販売スペースでパンフ売りやってたのはビックリした思い出(その後平成維震軍興行などに上がった)
それはびっくりですね!
寺西さん。タイガーマスク戦は秀逸。
当時、子ども時代であった自分は友達と子どもだけで上野動物園を訪れていました。たまたま公衆トイレで寺西さんが娘さんを連れていて、家族サービス中だったのでしょう。
自分達は直ぐに『おい、寺西だぜ!!💦』と子ども同志で目をキラキラさせて眺めていましたが(向こうはトイレ後〜)、当時の小学生はメジャーとまでは言い難い彼を皆、知っていました。それこそ今でもアニマルさんがTVに出るのも新日での活躍からですものね。今とは違ってプロスポーツも限られた中とはいえ、より濃厚な時代であったなと感じております。今でもプロレス好きなのは猪木さんがいたからですが、現在は楽しむ選択肢が物凄く増え、楽しめる環境も充実しているとはいえ、分散し過ぎてそれぞれが薄まってしまった印象ですね。小学生が寺西さんや木戸さんのレスリングに唸っていたのが昭和の時代です✨笑。マニアが如く、目が肥えていたとしか考えられません💦笑
小学生が寺西さんや木戸さんに湧き立つというのは、まさに「新日本プロレスブーム」という感じでいい時代ですね!
私の記憶違いならごめんなさいなんですが、動画内で言及されていたマーテル選手とのミッドヘビー級タイトルマッチは、寺西選手のジャーマンスープレックスがフィニッシュだったはず。後年はポピュラーな技になってしまったジャーマンですが、当時の日本人レスラーでは猪木選手、鶴田選手、マツダ選手ぐらいしか使い手いなかったジャーマンだったので「おおっ」となった記憶があります。
たしかにそうですね!
ジュニアヘビーの選手のジャーマンはさぞ衝撃だった事でしょう。
谷津さんのオリャチャンネルで言ってましたが寺西さんはケンタッキー大好き人間だそうです。
30年以上前に池袋のパチンコ屋でみかけて、声を掛けましたが違うと言われました。一緒に行った友人からはあの人は常連だと言ってましたが。リング上では素晴らしい職人だったと思います。
お疲れ様です!
アジアタッグ獲得歴のあるちょっと意外な選手。。
寺西さんは全くノーマークでした 笑
以前アポロ菅原さんのお店にお邪魔した時に
寺西さんは相手に負担を掛けない技術が卓越していて自分も憧れた。。というようなお話をされていました。
猪木さんも東京プロレス時代に寺西さんを可愛がっていたと言いますし
地味ではあったけど興業に必要な選手だったんでしょうね
今も?肉体労働されているというのはプロレスファンとしてはちょっと複雑ですが
身体に大きなダメージを抱えなかったという意味では凄い事だと思います
クイズへのご参加ありがとうございました!裏の裏の裏をかきすぎて、クイズが逆に難しくなっちゃいました笑。
国際プロレス出身のレスラーの方は軒並み寺西さんの技術を絶賛していますね。
現在は精神障害を患っているそうなので、それなりにダメージの蓄積はあったのかなとは思います。
東京12チャンネルは
次のエース級候補として
寺西勇を推していたのに
吉原さんがそれを受け入れなかったんですよね。
事実のみをあげた良い動画でした。調査お疲れさまでした。
相手の技を上手に受ける「プロレスのプロ」だと思っていた。
阿修羅原選手のWWUタイトルに挑戦予定選手の実力を査定する役割を引き受けD・キッドやM・ロコと手を合わせていました
間違いなくいい選手でした
ただ国際プロだと同じサイズくらいの浜口さんがいてテクニシャンとして井上さんがいたからなぁ…
藤波、タイガー以前だからJrヘビーも盛り上がってなかったし
残念だったなぁ…
寺西勇さんというと極真会の世界大会でお目にかかる機会がありました。
もれも国際軍団寺西さん好きだったなあ~~👍。
とてもわかりやすくよかったです
ありがとうございます。
私の中で「ガチ幻想」を抱かせてくれるレスラーの1人です。リアルタイムで見ていた頃は、シリーズ開幕戦のタッグマッチで初来日の強豪外国人の相手として、爽快な受けっぷりを見せてくれた印象が強いのですが、国際在籍時の、名だたるレスラーとの戦歴を拝見し、改めてその思いを強くしました。ロビンソンの薫陶を受けたシュートの強さを前面に出したことは少なかったと思いますが、敢えてプロの仕事に徹した昭和のレスラーといった感じでしょうか。妄想ですが、ザックセイバーJrとのシングルなんか、面白そう。地味な、裏技的なテクニックでザックを慌てさせる場面が目に浮かぶようです。
ザック選手は今時珍しい職人肌のレスラーですからね。たしかに観てみたいです。
哀愁のオールバック
古舘はええ事言うわ
いつの間にやら全日の生え抜きみたいに五輪コンビの
インタータッグなんかのセコンドにフツーにおったな
和製“エドワード・カーペンティア”寺西は新日参戦直後から普通にタイガーマスクと戦ってたけど当時はまったくテレビ放送されなかった。
寺西さんは外国嫌いで、当時の国際プロレスのレスラーのほとんどが横文字のリングネームを名乗る中で日本名を通し、吉原社長に「自分は前座レスラーで構わないから」と出世コースでもある海外遠征を拒否していたそうです
そういう事情があったのですね。
情報ありがとうございます。
寺西さんのすごいとこは飛行機嫌いだったため海外遠征がなく来日した外国人選手からテクニックを教わったという所です
なるほど、海外遠征が無かったのはそういった理由だったのですね!
ロープに振られてショルダースリーで真上に飛ばされた後に、クルッと宙返りして着地するお約束の展開にワクワクしてました!
ドラゴンバックブリーカーは
元々寺西選手が使っていた技ですよね
新日時代は初代タイガーといい試合をしていて実力派の選手だと感じていましたが、全日本に移籍後はタイトルにも恵まれませんでした😢
馬場さんのお気に入りにならなかったんですかね?
若手の指導者になれた方だと思います
@@oosanDDT
馬場は小さいレスラーをとことん認めないんだよな…
若い時に本格的な海外武者修行をやってほしかったレスラー。
ヨーロッパからメキシコに渡るコースが最適かな。テクニックが磨かれ、国際に新風をふかせたかも。
渋いレスラー!
確か次男が「寺西勇」ですね。
イサムコールに感激! イサムにかかれば初代タイガーなんぞヒールです。
流石にそうはならないですが笑
イサムコールはたしかに痺れますね。
新日正規軍対維新軍の藤波戦で藤波の手の甲を執拗に攻撃してる姿が印象に残ってる
氷室京介の本名は寺西修
おさむちゃんですね。肉屋の倅
2:40
永源は日本プロレスに行ったと、東京プロレス崩壊の部分で話していますが・・・。
寺西さんはレスリングもちゃんとできたからね。初代タイガーとも好試合しましたね。初代タイガーの最後の試合って確か寺西さんじゃなかったかな、
富山の誇り 寺西勇‼️
昭和終盤で最も過小評価されているレスラーと思っていました。国際プロレス、リアルタイムで見れませんでしたが、後の新日・全日での活躍を拝見するに、国際プロレス出身の方々は、無骨な実力者の集団かと思われました。失礼しました。
国際プロレスは無骨な職人レスラーが多いイメージがありますよね。
全日本プロレス創立時選手少なく国際プロレス提供のマイティ井上との試合が忘れらるません!
和製マットの魔術的。和製カーペンティア。
本名は寺西等。次男に自分のリングネーム「勇」と名付けています。
@@琢磨小林
ちなみにヒムロックこと氷室京介の本名は寺西修っス。
日プロ→新日・全日の流れと全く違う系譜から出現したマイティ井上と並ぶ傑作レスラー。寺西の魅力は他の方の書き込みに譲るとして、確か井上/寺西VSバション/ジョーという動画を観ていた時に寺西がバションをベアハッグで持ち上げて「あら、珍しいな」と思った次の瞬間、膝の上に尾てい骨を落としたんですよ「えっ、マンハッタン・ドロップ?」アドリアン・アドニスがオリジネーターだとばかり思ってたんですが、考えてみれば大木金太郎が使用してたんですよね。ただ当時の呼び名は「急所打ち」でしたが。
@@キラートーア蒲田行進曲 馬場さんも日プロ時代、使っていましたね。
大相撲から複数の力士が同じ時期に東京プロレス入りしているということは、当時東京プロレス側から積極的なスカウトがあったのかな?
アイドル歌手でもそうですが
人気商売ゆえに山ほど押し掛けてくる志望者は
まず振るいにかける必要がありますが、
目の肥えたスカウトがいたらその必要がありませんからねw
※夜の世界やらA〇業界なども、
スカウトの力が大きいと聞きます(^^;
寺西さんといえばジャーマンスープレックスですね。あれだけ美しい弧を描けるジャーマンの使い手は猪木さん、鶴田さん、初代タイガーマスクと数えるほどしかいません。尚、先日維新軍団でタッグを組んでいた小林邦昭さんと天国でタッグを再結成して新日では師弟関係になる山本小鉄&星野勘太郎のヤマハブラザースやダイナマイト・キッド&デビーボーイ・スミス組と対戦して欲しいですね。
飛び技もとても美しい
かつての盟友、小林邦昭さんの訃報に何を思っているのでしょうか。年齢の事や現在プロレス界とは一線を画されているので無理にコメントを出される必要もないとは思いますが。
相撲出身者とは知りませんでした。寡黙な仕事人というイメージかな。
寺西勇さん今どうされているのかな?
戦う名古屋章
田中忠治→タナカタダハル?🤔
何がおかしいのですか?