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1992年の時点では、近鉄特急車は、すべて更新化されていたものだと思い込んでいました。1992年に、未更新車で定期運用についていた近鉄特急車が存在していたことに驚き!! オレンジと紺色のツートンカラーの近鉄特急スナックカー、ミニスナックカーは、前面に羽根つきの特急マークがある未更新車のほうが個人的には好きなんです。貴重な映像、ありがとうございます!!
当時の京都ー賢島の特急は松阪ー大和八木間がノンストップで五十鈴川も停まらない等、甲特急と乙特急の中間みたいな感じでした。懐かしい動画をありがとうございます。18400系18410Fは未更新のまま1997年廃車、18409Fは特急表示等を撤去されてあおぞらⅡに転用されましたが、車内は殆ど手が加えられなかったようです。
見て思い出したけど京都行きは停車駅少ないのだけ覚えていて懐かしい気分になった
松阪在住の私としては、松阪を出ると八木まで止まらないので少しだけ優越感を感じてました😄阪伊も名伊も甲特急は松阪通過なので😅
この頃の京都行特急は、放送でも言ってますが次の停車駅は八木です。ここでも後の名古屋行特急と間違って乗ってしまう人が時々いました。
すぐ後(2分後)に名古屋行特急が来ましたからね。こっちが先なら間違えなかったのかも。
@@8mm576 そうですよね。大和八木でも京都からの賢島行特急と大阪難波からの名古屋行特急と連絡していますが、先に発車するのは名張に停車する名古屋行特急でした。賢島行特急は当時は八木の次は松阪なのにどうして名古屋行が先なのか?不思議でした。
名古屋便と大阪京都便だと12200系とかは向きが180度違ってるから僕は分かるけどねえ。
@@ジッカクラモト それでわかる人は、鉄オタか、そういう事に関心がある、よほど乗り慣れた人です。貴方のような人ばかりなら車掌さんや、駅員さんは楽でしょうね。ばらしますが、私は近鉄OBで名古屋線で車掌をしていました。批判が来るかもしれませんが、あえて言わせていただくと、名古屋線や山田線のお客様は乗り慣れていない人が多いように思いました。事実車内での質問が多かった。例えば、この電車はOO駅に停まりますか?この電車とあちらの電車とどちらがOO駅に先に着くか等しかも、後ろから車内へ入り前まで行ってから帰って来る時に声がかかるので、駅に着くまでに乗務室帰れなかった事が何度もあります。駅や車内での 放送でも意味が理解して頂けず、説明してやっと理解していただいた事もありました。南大阪線の職場3年転勤で仕事をしていましたが、その様な質問は3年で3回だけでした。それも地元の人ではなく名古屋線の方面のお客様でした。いかに乗り慣れたお客様のお陰で仕事がやり易かったかと、つくづくその時は思いました。
利弘中里 私はJRグループの会社に勤めており、駅出札業務の際に、切符の種類や買い方乗り方を説明しても『乗車券って何?』『自由席、指定席って何?』と言う様な更なる質問が東海3県の駅ではよくされます。特に東海3県在住者の半数以上が移動する時は自家用車と言う県民性なので、鉄道の乗り方や切符の買い方、列車種別の違い等を分からない人達が特に多いですね。そう言う不慣れな人達に限って、案内放送を聞いていない、行き先を確認しないで適当に乗車したりとめちゃくちゃな事しますからね。
近鉄最後のコンパクト特急車両!原型カッコいい!
懐かしいですね。18400系。1度、奈良からの帰りに乗った事あります。車幅が狭いので、確か窓側では肘掛のテーブルは使えなかったように思います。
特急のHMと行先方向板が懐かしい。車体幅は狭かったが窓が低く、容易に肘掛けできたので乗り心地は良かったです。
この頃は停車駅を八木、西大寺と言ってますね❗大和はつけない言い方でしたよね🙌
松阪〜八木間は当時ノンストップ運行で京伊特急も1時間に1本運行も懐かしいですね。アーバンライナーの名伊も当時珍しかったですね。京伊はミニスナックカーの主力運用でもありました。
松阪~京都間を乗り換えなしで行けるのは松阪市民としては便利で良かったですね。当時は八木と西大寺にしか止まらなかったので疑似ノンストップ特急の気分を味わえましたし😄1日1往復のアーバンライナーの名伊特急に乗りたくて、松阪住みなのに名古屋➡鵜方間を乗ったことあります。甲特急で松阪通過だったので😅
@@8mm576 私も名伊アーバンライナーを鳥羽〜賢島間に乗車したことがありました。もう30年も前です。賢島から西大寺まではビスタカーで帰りました。当時は停車駅も少なく甲乙半々な感じでしたね。
18400系、懐かしい。親戚の家へ行く時に遠回りして京都ー八木で特急に乗った。車体幅が狭い18400系はあまり乗車するチャンスが無かったが京都経由の目的だった。
数年後の2015年に二度のさよなら運転を行いました。橿原神宮前駅で16000系と並び記念撮影会が行われました。
18400系ミニスナックカー未更新の映像ですね!当時はこの車両より年上の18200系特急列車と連結して活躍してましたね🚃💨18200系の映像もあれば見たいです‼️
18200系は私が8ミリビデオを購入した1990年にはあおぞらⅡに改造されていたのでオリジナルの姿は記録できませんでした😢あおぞらⅡでの姿は記録してるんですが😓
@@8mm576 それで大丈夫です‼️
確か志摩磯部付近で撮影した映像があったような…探してみます😊
「八木まで止まりません」甲特急が停車しない松阪だと重みのある放送ですね。逆に八木でも、京都発の特急だと「松阪まで止まりません」と放送していたのでしょうか。
たしか京都発賢島行は当時「松阪まで停まりません」と、放送していた記憶があります。余談ですが、当時、大和八木駅に難波発名古屋行特急が先に到着していて、あとから来た京都発賢島行特急が先に出発していました。
車体が小さいのでなんだか可愛く見えますね‼︎この時代からあの通過メロディがあったことに驚きました
大阪地区では、小さい駅にメロディが流れるもっと前から通過メロディがありましたよ。昭和50年代前半にはあった記憶をしております。
昔の京伊特急は松阪ー八木はノンストップでしたね😀この頃が最高😊
コメントありがとうございます。松阪に住んでいる私にとって優越感を味わえる列車でした。
いつもまたか!って思っていた車両でしたが改めてみると良いですね
秀逸なデザイン
京伊に甲特急があったころですね。松阪に停まってたんだ。
この頃は日中毎時1本京伊甲特急が走ってました。甲特急なのに松阪・八木に停車してました。その後乙特急となり阪伊特急と併結された時代もありましたね。現在京伊特急は平日4本、休日5本となっています。
京伊特急設定当初から甲・乙の区別はありません。
大晦日オールナイトに限り京伊甲特急的列車は存在してました丹波橋 大和西大寺 大和八木 伊勢市 宇治山田 五十鈴川だったと思う
近鉄に乗って、松阪行き、快速急行に乗った。なかなか乗れない。
奥で珍しくおそらくだけどこの時は賢島に行くであろうアーバンライナーが走ってた。
名伊甲特急で1往復だけ走ってましたね。
今より停車駅少ない。伊勢中川 名張 西ノ京 丹波橋がない8番線をアーバンライナーの名伊甲特急が通過していく7/15といえば毎年京阪と阪急が祇園祭で臨時列車が増発されます(今年は無しなのが寂しい)
昭和時代、正月は、阪伊に車輌かりだされて、阪奈と名阪甲に、18400系と、18200系連結して、運用。名阪甲難波着後、奈良迄往復。難波着後、又名古屋ヘ。阪奈も、平日も、昼間走っていた。
丹波橋、通過なんだ。
昔の特急は早かった
京伊特急は松阪~大和八木関ノンストップでしたね。
阪伊乙特急も高田、榛原は通過してましたね
そうですね。だんだん停車駅が増えてますね。
@@kirisamedg1252 そもそも何故高田と榛原が特急停車駅になったのか?私はそちらの方が不思議でした。
大阪のベッドタウンが、名張、桔梗ヶ丘から奈良県に移って、人口が増えたんですかね。
あをによしのミニバージョン
ミニスナックカー
1100レですか?
今はこの時間帯に京都行特急はないのでよくわかりませんが、多分そうだと思います。
八木までノンストップ
名古屋行特急のアナウンスは事細かで丁寧ですね。やっぱり三重は東海で、名古屋に行く人が多いからの配慮ですね。この頃より、三重の東海色は今は強くなってます・・・
1992年の時点では、近鉄特急車は、すべて更新化されていたものだと思い込んでいました。1992年に、未更新車で定期運用についていた近鉄特急車が存在していたことに驚き!! オレンジと紺色のツートンカラーの近鉄特急スナックカー、ミニスナックカーは、前面に羽根つきの特急マークがある未更新車のほうが個人的には好きなんです。貴重な映像、ありがとうございます!!
当時の京都ー賢島の特急は松阪ー大和八木間がノンストップで五十鈴川も停まらない等、甲特急と乙特急の中間みたいな感じでした。
懐かしい動画をありがとうございます。
18400系18410Fは未更新のまま1997年廃車、18409Fは特急表示等を撤去されてあおぞらⅡに転用されましたが、車内は殆ど手が加えられなかったようです。
見て思い出したけど京都行きは停車駅少ないのだけ覚えていて懐かしい気分になった
松阪在住の私としては、松阪を出ると八木まで止まらないので少しだけ優越感を感じてました😄阪伊も名伊も甲特急は松阪通過なので😅
この頃の京都行特急は、放送でも言ってますが次の停車駅は八木です。ここでも後の名古屋行特急と間違って乗ってしまう人が時々いました。
すぐ後(2分後)に名古屋行特急が来ましたからね。こっちが先なら間違えなかったのかも。
@@8mm576 そうですよね。大和八木でも京都からの賢島行特急と大阪難波からの名古屋行特急と連絡していますが、先に発車するのは名張に停車する名古屋行特急でした。賢島行特急は当時は八木の次は松阪なのにどうして名古屋行が先なのか?不思議でした。
名古屋便と大阪京都便だと12200系とかは向きが180度違ってるから僕は分かるけどねえ。
@@ジッカクラモト それでわかる人は、鉄オタか、そういう事に関心がある、よほど乗り慣れた人です。貴方のような人ばかりなら車掌さんや、駅員さんは楽でしょうね。ばらしますが、私は近鉄OBで名古屋線で車掌をしていました。批判が来るかもしれませんが、あえて言わせていただくと、名古屋線や山田線のお客様は乗り慣れていない人が多いように思いました。事実車内での質問が多かった。例えば、この電車はOO駅に停まりますか?この電車とあちらの電車とどちらがOO駅に先に着くか等しかも、後ろから車内へ入り前まで行ってから帰って来る時に声がかかるので、駅に着くまでに乗務室帰れなかった事が何度もあります。駅や車内での 放送でも意味が理解して頂けず、説明してやっと理解していただいた事もありました。南大阪線の職場3年転勤で仕事をしていましたが、その様な質問は3年で3回だけでした。それも地元の人ではなく名古屋線の方面のお客様でした。いかに乗り慣れたお客様のお陰で仕事がやり易かったかと、つくづくその時は思いました。
利弘中里
私はJRグループの会社に勤めており、駅出札業務の際に、切符の種類や買い方乗り方を説明しても『乗車券って何?』『自由席、指定席って何?』と言う様な更なる質問が東海3県の駅ではよくされます。
特に東海3県在住者の半数以上が移動する時は自家用車と言う県民性なので、鉄道の乗り方や切符の買い方、列車種別の違い等を分からない人達が特に多いですね。
そう言う不慣れな人達に限って、案内放送を聞いていない、行き先を確認しないで適当に乗車したりとめちゃくちゃな事しますからね。
近鉄最後のコンパクト特急車両!
原型カッコいい!
懐かしいですね。18400系。
1度、奈良からの帰りに乗った事あります。車幅が狭いので、確か窓側では肘掛のテーブルは使えなかったように思います。
特急のHMと行先方向板が懐かしい。
車体幅は狭かったが窓が低く、容易に肘掛けできたので乗り心地は良かったです。
この頃は停車駅を八木、西大寺と言ってますね❗大和はつけない言い方でしたよね🙌
松阪〜八木間は当時ノンストップ運行で京伊特急も1時間に1本運行も懐かしいですね。アーバンライナーの名伊も当時珍しかったですね。京伊はミニスナックカーの主力運用でもありました。
松阪~京都間を乗り換えなしで行けるのは松阪市民としては便利で良かったですね。当時は八木と西大寺にしか止まらなかったので疑似ノンストップ特急の気分を味わえましたし😄
1日1往復のアーバンライナーの名伊特急に乗りたくて、松阪住みなのに名古屋➡鵜方間を乗ったことあります。甲特急で松阪通過だったので😅
@@8mm576 私も名伊アーバンライナーを鳥羽〜賢島間に乗車したことがありました。もう30年も前です。賢島から西大寺まではビスタカーで帰りました。当時は停車駅も少なく甲乙半々な感じでしたね。
18400系、懐かしい。親戚の家へ行く時に遠回りして京都ー八木で特急に乗った。
車体幅が狭い18400系はあまり乗車するチャンスが無かったが京都経由の目的だ
った。
数年後の2015年に二度の
さよなら運転を行いました。
橿原神宮前駅で16000系と並び
記念撮影会が行われました。
18400系ミニスナックカー未更新の映像ですね!当時はこの車両より年上の18200系特急列車と連結して活躍してましたね🚃💨18200系の映像もあれば見たいです‼️
18200系は私が8ミリビデオを購入した1990年にはあおぞらⅡに改造されていたのでオリジナルの姿は記録できませんでした😢あおぞらⅡでの姿は記録してるんですが😓
@@8mm576 それで大丈夫です‼️
確か志摩磯部付近で撮影した映像があったような…探してみます😊
「八木まで止まりません」甲特急が停車しない松阪だと重みのある放送ですね。
逆に八木でも、京都発の特急だと「松阪まで止まりません」と放送していたのでしょうか。
たしか京都発賢島行は当時「松阪まで停まりません」と、放送していた記憶があります。
余談ですが、当時、大和八木駅に難波発名古屋行特急が先に到着していて、あとから来た京都発賢島行特急が先に出発していました。
車体が小さいのでなんだか可愛く見えますね‼︎
この時代からあの通過メロディがあったことに驚きました
大阪地区では、小さい駅にメロディが流れるもっと前から通過メロディがありましたよ。昭和50年代前半にはあった記憶をしております。
昔の京伊特急は松阪ー八木はノンストップでしたね😀この頃が最高😊
コメントありがとうございます。松阪に住んでいる私にとって優越感を味わえる列車でした。
いつもまたか!って思っていた車両でしたが改めてみると良いですね
秀逸なデザイン
京伊に甲特急があったころですね。松阪に停まってたんだ。
この頃は日中毎時1本京伊甲特急が走ってました。甲特急なのに松阪・八木に停車してました。
その後乙特急となり阪伊特急と併結された時代もありましたね。現在京伊特急は平日4本、休日5本となっています。
京伊特急設定当初から甲・乙の区別はありません。
大晦日オールナイトに限り京伊甲特急的列車は存在してました
丹波橋 大和西大寺 大和八木 伊勢市 宇治山田 五十鈴川だったと思う
近鉄に乗って、松阪行き、快速急行に乗った。なかなか乗れない。
奥で珍しくおそらくだけどこの時は賢島に行くであろうアーバンライナーが走ってた。
名伊甲特急で1往復だけ走ってましたね。
今より停車駅少ない。伊勢中川 名張 西ノ京 丹波橋がない
8番線をアーバンライナーの名伊甲特急が通過していく
7/15といえば毎年京阪と阪急が祇園祭で臨時列車が増発されます(今年は無しなのが寂しい)
昭和時代、正月は、阪伊に車輌かりだされて、阪奈と名阪甲に、18400系と、18200系連結して、運用。名阪甲難波着後、奈良迄往復。難波着後、又名古屋ヘ。阪奈も、平日も、昼間走っていた。
丹波橋、通過なんだ。
昔の特急は早かった
京伊特急は松阪~大和八木関ノンストップでしたね。
阪伊乙特急も高田、榛原は通過してましたね
そうですね。だんだん停車駅が増えてますね。
@@kirisamedg1252 そもそも何故高田と榛原が特急停車駅になったのか?私はそちらの方が不思議でした。
大阪のベッドタウンが、名張、桔梗ヶ丘から奈良県に移って、人口が増えたんですかね。
あをによしのミニバージョン
ミニスナックカー
1100レですか?
今はこの時間帯に京都行特急はないのでよくわかりませんが、多分そうだと思います。
八木までノンストップ
名古屋行特急のアナウンスは事細かで丁寧ですね。
やっぱり三重は東海で、名古屋に行く人が多いからの配慮ですね。
この頃より、三重の東海色は今は強くなってます・・・