【朗読】信心銘
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- เผยแพร่เมื่อ 1 ธ.ค. 2024
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大いなる道は難しくない。選り好みをしなければよいだけだ。
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物事の自然と己の自然に従うがいい。そうすれば遮るものもなく、自由に歩むことができる。
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言葉よ!道は言語に絶している。そこには、昨日もなく、明日もなく、今日もない。
2016/10/13
全文を追加しました
【信心銘】 しんじんめい
大いなる道は難しくない。
選り好みをしなければよいだけだ。
愛も憎しみも無ければ、
すべては明瞭で、隠されたものとてない。
だが、ほんの僅かな区別でもすれば、
天と地は無限に離れる。
だから、真理を見たいと願うなら、
いいとか駄目だとかの意見を持たぬことだ。
好きと嫌いの葛藤、
これが心の病だ。
物事の本質が分からぬうちは、
心の平安はいたずらに乱される。
道は大いなる虚空のように完全だ。
足りないものも、余計なものもない。
ただ、いいとかいけないとか選り好みをするばかりに、
物事の本質が見えないだけだ。
外側の物事の因果のもつれの中にも、
内側の空無の概念の中にも、住んではいけない。
大いなる一体性の中にとどまり、ただ静かにしていなさい。
そうすれば、誤った物の見方は自ずから消え去る。
静寂を得ようとして、行動を抑えてみても、
まさにその努力が、かえって人を行動で満たす。
どちらか一方の極端にいる限り、
決して大いなる一体性を知ることはできない。
この大いなる道に住まぬかぎり、
静動、正否、共にその自由な働きを失う。
物事の実在を否定すれば、そのことの真実を見逃し、
空の概念に囚われるなら、その空の真実を見失う。
それについて話せば話すほど、考えれば考えるほど、
ますます真理から遠く離れるばかり。
話すことも、考えることも止めるがいい。
そうすれば、知り得ぬことなど何一つない。
根源に帰れば本質を会得する。
だが、現れを追いかければ源を見失う。
両極を一瞬にして見切れば、
現れも空も、共に超越される。
この空なる場に現れる見かけの変化を
実在と呼ぶのは、ただ無知なるが故だ。
真理を追い求めてはならない。
ただ、相対的な見方を止めるがいい。
二元対立の分別に囚われてはいけない。
そのような心の営みを注意して避けなさい。
わずかでも是非を区別すれば、
心は混乱の中に失われる。
全ての二元対立は一元から生じるとはいえ、
その一元にさえ囚われてはならない。
分別の心が生じなければ、
世の何事にも害されることはない。
何も対立するものがなければ、
すべてはあるがままだ。
分別心が起こらなければ、心は存在を止める。
主体である心が消えれば、対象も消え去るように、
想いの対象が消え去れば、想う主体も消え去る。
物事(対象)は主体(心)が存在するために対象となる。
心(主体)は物事(対象)があるためにそのように在る。
この両者の相補性を理解するがいい。
その根底にある実在は、一つの空なのだ。
この空の中では、主体と客体(対象)は区別されない。
しかもなお、すべての差別のままあるがまま包み込む。
もし粗雑と精妙の区別をしなければ、
偏見にも、意見にも陥ることはない。
大いなる道に生きることは、
易しくもなく、難しくもない。
だが視野狭きものは、恐れ疑い、決断できない。
しかも早足に急ぐほどに、その歩みは遅れてしまう。
そして執着は止まる所を知らず。
悟りという概念にさえ囚われて道に迷う。
ただ、物事をして、あるがままにあらしめなさい。
そうすれば、来るものもなく、また去るものもない。
物事の自然と己の自然に従うがいい。
そうすれば遮るものもなく、自由に歩むことができる。
想いを働かせれば、真理は隠され、
想いを止めれば、暗く澱んでしまう。
有念も無念も徒に精神を疲れさせるばかりなり。
そのどちらを好んでも避けてもならない。
このただ一つの大いなる道を歩きたいなら、
感覚と想念の世界も嫌ってはいけない。
感覚も思考もすべてを受け入れることは、
真の光明の徴しなのだ。
賢者は目的を求めて努力せず、すでに在るを見る。
愚者は目的を求めながら、自分自身を縛って苦しむ。
法(存在、現象)は一つであって多ではない。
区別は、ただ無知なる執着の故に起こるだけだ。
分別の心によって真理を求めることは、
最大の誤りなのだ。
安心も不安も迷いの故だ。
悟ればいいも悪いも消え去る。
すべての二元対立は、
無知なる自己中心の分別から生じる。
それらはすべて夢まぼろし、空中の花、
つかもうとするだけ愚かなことだ。
得も失も、是も非も、
すべては一瞬にして止むべきものだ。
もし一なる眼が眠らなければ、
一切の夢は自ずから止む。
心が分別をしなければ、
存在は一なるものとして、あるがままに在る。
この深遠な神秘を体得すれば、
すべの混乱、因果から解きほどかれる。
森羅万象、一切が等しく見られれば、
あるがままの自然の姿に帰りつく。
この因果も関係性もない所では、
比較も比喩も不可能だ。
動の中に静を見て、静の中に動を見なさい。
そうすれば、動も静も共に消え去る。
二元性が存在しなければ、
一なるものも留まり得ない。
この究極の境地には、
どんな法則も描写も当てはまらない。
道に遊ぶ、一つになった心には、
自己中心の思惑もなければ努力もない。
疑いも恐れも消え、
大いなる道を信頼して生きるのだ。
一撃の下にくびきは断たれて、
一切は止まることなく流れ、印象は留まらず、
また記憶する者もいない。
すべては空にして明瞭、自ずと輝き、
心を用いることもない。
思考、感情、知識では推し量れない
このあるがままの世界には、
自己も無ければ、他者もない。
この実在と調和の内に在るには、
ただ不二(二ではない)と言うがいい。
この「不二」の中で、何一つ分離されるものもなく、
また排除されるものもない。
すべては等しく包み込まれる。
すべての賢者達は、
この根源的真理を体得している。
この真理は時空の大小を超えていて、
絶対の今の一念は、そのままで永遠なのだ。
ここも空、そこも空
だが無限の宇宙は常に眼前に在る。
極大と極小に何の違いもない。
境界を忘れ去り、区別を消し去れば、
存在も非存在も同じこと。
疑いと議論に時を浪費してはならない。
そんなことは、この実在とは何の関係もない。
すべては一つ、一つはすべてだ。
このように悟るなら、
不完全を思い煩うこともない。
この「信」を生きることが、「不二」への道だ。
「不二」こそ「信」と同じものだからだ。
言葉よ!道は言語に絶している。
そこには、昨日もなく、
明日もなく、
今日もない。
あら.・・僧璨禅師信心銘 この動画 なんと本日気づきました
それにしても お声も動画も 心に温泉のような効能がありそうで良いですね。
青空を屋根として六十余年 それでも自ら迷いを探しまわるのが私。
時々「どっこらしょ」って休ませていただきにまいります。
000sika さま
コメントありがとうございます😊
よんな〜よんな〜(ゆっくり、ゆっくり)いきましょう💖
役に立ちます。ご苦労様です。
お聴きいただきありがとうございます😊
有り難う御座います。感謝を致します❗・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・♡
+杉浦貢 さま
こちらこそ、有難うございます(#^.^#)
BGMはないほうが声に集中できるので断然良いです
コメント有難うございます♪( ´θ`)ノ
BGMって大事ですよね。
言葉が音に乗る場合もあれば、ない方がスッキリする時もあります。
こちらは無い方が良いみたいですね。
こちらはBGMなしバージョンです