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今日は「死ぬ時を自分で選んだ患者さんのお話」です。大切な人が亡くなる、いなくなるなんて考えたくない、と多くの方は思うでしょう。それは当然のことです。ただ、私は多くの患者さんを看取り、「人は死に時」を自分で選んでいるんだろうなと感じるようになりました。今回のお話は、まさにそのことを身をもって教えてくれた患者さんのお話です。このお話を聞いて、自分を考えるきっかけにしていただければとても嬉しく思います。また、考えたことや自身の経験などがあれば、多くの方のお役に立つと思いますので、ぜひコメントして下さい。よろしくお願いいたします。
トッシュ先生、こんばんは。1ヵ月前にこちらにコメントさせていただきましたが、昨日ご返信をいただいている方に気づき、さらに返信いたしました。他にも多くの方に「いいね!」をいただいていて、見知らぬ私に頑張れ!と背中を押していただいたように思いました。トッシュ先生をど真ん中に据えた温かなコミュニティがこちらにありますね。娘を亡くした喪失感に未だに苛まれていますが、少しずつ生きることへの望みを取り戻しつつあります。先生の動画配信、今後ともどうぞ宜しくお願いします。
ドッシュ先生丶今晚は返事くれて本当に有難うございます、前にこちからコンメト、その一週間後に内の夫は病院に再検査でガン肺に転移しましたその後病院先生何もしてくれない、只身体苦し時にくればいい、と言われました、この頃內夫は咳よく出ました、本當に不安でしょわない、こらから內夫どうすればいいか、よく解らない、そのまま放棄何もしないで、身体苦しく時を待て、そうしないと病院手數以外治療方法ない?先生いい提案有れば教えてください私は外國人だから文通書く本當に苦手で問違所有れば許してください心不足でドッシュ先生、返事くれて、本當に嬉しくて、有難うございます
生命が尽きようとしている患者さんをハグしてくれる医師がいるなんて、初めて聞きました。「自分のできる事に最善を尽くす」この事を生涯忘れないように生きていきたいと思いました。先生、ありがとうございました。
先生の患者さんを想う愛の深さに今日も涙が止まりません。死に場所がどこであっても誰かが傍にいて抱きしめて看取ることは愛されていると感じて旅立てる…幸せな看取りですね。ありがとうございました。
いつも素晴らしいお話をありがとうございます。父は1ヶ月前に心筋梗塞を起し、僅か10日の入院で天国へいきました。心臓の1番大きな血管が枯れ枝のように細くなっており心臓に殆ど血液が運ばれていない状態でした。医師からは「よくこれで生きていましたね」と言われるくらい酷い状態だった様です。でも、その日のお昼は父の好きな味噌ラーメンを汁まで平らげ、さつまいもにみかんまで食べ「美味しかった!」と満足そうだったのに‥でも、朝方少し胸が痛かったという父が気になり診察を受けたら循環器科のある救急病院に転院になりました。カテーテル検査をして、リスク覚悟で細い枯れ枝のような血管にステントを挿入する手術は成功して血管が広がり心臓が元気に動いている様子を見せてもらい喜びました。しかし、父はチューブで繋がれて身体に異物が入っている事にストレスを感じたのか、大腸からの出血を起し、熱も出しました。病院の食事は一口も口を付けず、高カロリーゼリーは全部吐いてしまいました。医療従事者の友人が人工的なものを拒否する事で発熱する事がある、と教えてくれました。父は、自然の中で生きた人でした。船頭さんと海に出て沢山の魚を釣っていました。また、庭は花いっぱいで四季折々に咲く花をたくさん育てていました。いつも海か庭にいる父でした。死んだら海か土に還してほしい、と言っていた父でした。これまで一度も入院や手術などとは無縁で80代ながら全て自分の歯でした。だから、自然でないものは受け付けなかったのかな‥人工的なものをつけてまで生きることは魂が死んでしまう、と自分で死を選んだ気がしています。
今年5月に娘を癌で亡くしました。暫く癌のことを考えるのが辛かったのですが、久し振りに先生の声を聴きたくてこの動画を拝見し、涙がとめどなく溢れました。先生は患者様のご遺志を尊重され最大限お心を尽くして送られましたね。先生に力強くハグされながら安心して旅立たれたことと思います。咄嗟にハグされたところに、先生の心の通われた温かい医師の信念を感じました。私の娘は苦しくて楽になるタイミングを自ら選んで緩和医療の先生を呼ぶように言いました。最後のお薬を投与していただいてもなお皆の力を借りて歩行してトイレに行き、頑張り抜きました。そして、家族に見守られて天寿を全うしました。私は娘が母親の私を差置いて旅立ってしまったことが悲しくて仕方ありませんでした。でも先生のこの度のお話を伺って、彼女も自ら死ぬ時を選んだと確信しました。このように思えたことで、私は心が少し救われました。先生、どうもありがとうございました。
お母様の心痛お察し致します。
私も息子が余命宣告され、時間の問題かも知れず、毎日胸が潰れる思いです。私は息子と離れてたくないので、万一のときもお骨と共に生きようと思います。お墓に入れなくてもいいか、教えてください。
昔から、親死ね、子死ね、まんご死ねと、、、子どもが先に 逝くなんて、お気持ちわかります。でもあなたが一番可哀想です。お悔やみもうしあげます。お大事になさってくださいませ。
ご返信をいただきありがとうございます。この世の中で見知らぬ方に寄り添っていただけていると考えるだけで、生への望みを感じます。急にお寒くなりました。どうかご自愛くださいませ。
↑この返信は渡邉様宛でした。大変失礼しました。
父を思い出しました。コロナ禍で入院中顔が見れなかったことが今でも悔やまれます。ハグしてくれる医師がいてくれる事に感謝致します😊ありがとうございます
2週間程前に母を在宅で看取りました。先生や看護師はいなく、姉妹で両手を握って見守りましたが、それは今までの「一緒にいれて幸せだ」という日々を打ち消すくらい、衝撃的でつらいものでした。でも、遠方から週一回来る姉を待って、この日を選んだのだと思います。ありがとうございます。
患者の生前は治療にベストを尽くし、それも万策尽きて患者が寿命を終えようとするときハグするお医者さん。命をいとおしく、最後まで大切に対処される素晴らしい態度です。これぞ、日本人の心を持った立派なお医者さんと思いました。
奥様に苦しむ姿を見せたくない、、そのような願いまで叶えて頂ける事があるのですね。。感動しました。すべてをすっかり綺麗に整えられてから奥様がいらした事、患者様にとっても奥様にとっても本当にありがたい事だったと思います。父も母も、息を引き取る瞬間を私たち兄妹3人に見せず、眠るように旅立ちました。その瞬間を私たちの目に焼き付けたくなかったのだと思っています。次のお話も楽しみにしていますね。心温まるお話をありがとうございました。
母に膵臓がんが見つかった時、既に手遅れで、3ヶ月後がどうかと言われました。でも、その3ヶ月に抗がん剤も試したり、旅行をしたり、腹水を抜く為に入退院を繰り返していましたが、頑張って生きようとしていました。先に亡くなったのは父でした。認知症でホームに入っていたのですが、間質性肺炎で入退院を繰り返し、あっという間でした。最期にお見舞いに行った時、意識がはっきりしたのか、母の心配をして大丈夫だと伝えられました。父が亡くなり法要の為に退院していた母が亡くなったのは、ちょうど父が亡くなり49日目で1年8ヶ月の闘病生活でした。そして母が亡くなり49日目に、母の兄弟の中で唯一存命で、やはり癌で闘病していた叔母が亡くなりました。明後日は母の命日です。先生のTH-camにも久しぶりに来ましたが、涙が止まりません。もう充分苦しんだから、もういいよねって、声を掛け合ったかのように亡くなったかと今でも思っています。お盆に寄せて。亡くなられた皆様のご冥福をお祈りします。
ただひたすら泣けました。 5月に亡くなった母を思い出し、涙が止まりません。 先生のこの動画で、先生の愛を感じました。 母も私の事を思ってくれていた最期だと確信する事が出来ました。 本当に有難うございます。
お盆にふさわしいお話ありがとうございます両親それぞれを看取った状況を思い起こすと家族に負担をかけないようにというタイミングだったのかなと感じます私自身もこの春、乳がんの肺転移が分り治療が始まりましたしっかりと現実と向き合い時間を無駄にすることなく最後を迎えたいなと思います
今日のお話に胸がいっぱいになり涙があふれました。患者さんの希望を受け入れると同時に、医療のできないことを先生はその場でして上てくださり、ホントにありがとうございました。私もがん患者で今も癌の一つは喉のリンパにあります。この患者さんと奥様は、とても幸いでした。❤️
さ
先生、本当にいつもご苦労様です 死に際に寄り添うお仕事 その重さと敬虔さに感服するばかりです
先生のどのお話も…本当に心に響きます。私は祖父と母の闘病生活、ホスピスや在宅介護も経験しました。あれだけ一生懸命身を粉にしてやったはずなのに後悔って残りますよね。先生の様に抱きしめてあげれば良かったのに、手を握って声を掛ける事しか出来ませんでした、というか最期の瞬間を看取る時にそれが精一杯でした。看護師さんもドクターも間に合わなかったから気が動転しながらも手を握るしか思い付かなかったのが正直な気持ちです。母が亡くなる数日前に「どうして今日はこんなに人が居るの?」と聞かれた怖がりの私は咄嗟に「え?誰も居ないよ、この部屋にはママと私しか居ないよ」と言ったあと母は少し考えてから黙り込んでしまったんです、あの時誰がいるの?集まってる人はお友達?って聞いてあげられたら良かったのに…後悔しています。
3日前に母を看取りました。退院してきて自宅に戻り、落ち着いたところで家族全員で「ご飯食べるね。いただきます」と、言ったところまでは息をしていましたが、5分後には息をしていませんでした。いつもの日常を見て、安心して穏やかに深い眠りについたんだと思います。家族を幸せな気持ちにしてくれました。この動画を見て、それを確信できました。ありがとうございます。
妻には苦しむ姿を見せたくない、一人で死ぬのは寂しい。先生の温かいハグの中で死ぬことが出来た患者さんは、なんと幸せな最後でしょう。羨ましいくらいです。
医療的なことができなくなっても『できることがある』ことを4月に肺がんで亡くなった父に教えてもらいました。そして、その『できる』時間が今はかけがえない大切な思い出になっています(自宅での看取りを選びました)。大切な人との別れはとても悲しい…ですが、「死に様は生き様」最後まで共に生きる時間を与えてくれた父に感謝と変わらぬ愛を捧げます。先生の動画を見て父を思い出しました。
ホスピス勤務者です。勤務一年の初心者ですが、20人以上をお見送りしてきました。トッシュ先生の言葉は本当に温かいです。これからも参考にさせて頂きます。ありがとうございます。
この動画で先生のお話を聞いて救われた気がしました。最後の大変なところは家族には知らせない。見せないという配慮からなんですね。亡くなった父も同じような状態であったと思います。改めて、医療関係者の方々には頭が下がる思いがしました。有難うございます。これからもお世話になります。宜しくお願いします🙏🙏🙏🙏🙏
いろんな方の旅立ちの話を聞くたびに、認知症や老衰の方も、ご自身で旅立つ時を決めているのだと思うことが沢山あります。それを認めてあげられるように家族を支援する大切さを痛感いたします。今回もありがとうございます😊
先日母が癌で亡くなりました。母は寂しがりやで、人が集まることが好きで、おもてなしをとても大切にする人でした。癌と診断を受けて1ヶ月強で亡くなりましたが、それまで大事な家族と会えて、おもてなしをしてくれて、自分のことは二の次で家族を思い、とても愛情深く、温かい、心の深い、とても大事な人です。これからも母を思い、誰かのために自分のために頑張って生きていけたらなと思います。お話を伺わせていただき、ありがとうございます。
人が亡くなるお話は悲しいを通り越して辛いです。先生が患者のお話されたことを受け止めてくれたこと絶対に分かってるので幸せな亡くなり方だったのでしょう。壮絶な体験談ですね
私のワンコも1人静かに逝ってしまいました。苦しむ姿を恐れていた私への、最後にして最大のプレゼントでした。今でも逝く時を選んでいるとしか思えません。ミネギシさん幸せだったと思います。先生は本当に素晴らしいお医者様ですね。今日も素敵なお話しをありがとうございます🍀
わたしの愛犬もわたしが仕事を休む段取りを間に合わなくなって朝家族みんなを見送ってから1人で亡くなってしまいました 今朝一度だけ自力で水を飲み私が朝家を出るときに愛犬が言ってるのがこれが最後だよ亅とはっきり聞こえました でも突然仕事を休むことも出来ず私にはどうすることもできませんでした 今考えたら、早めに予測を立てて休むよう家族と話し合いをするべきでした また私も愛犬を失うのが怖くて、その思いが愛犬に届いていたのは確かです。 愛犬はわたしが仕事じゃなかったら最後まで一緒にいたかったのだと思うのですが人も犬も自分の大切な人の為にぎりぎりまでガマンして死に際を選んで旅立っているような気がします
素晴らしいお医者様と患者様のお話に泣けました!日本人として誇りに思います!先生には何時までも長生きをして頂きたいです!お医者様のお手本としてこれからも宜しくお願いします🙏
はじめまして。オススメに出てきて初めて拝見しました。涙が止めどなく溢れてきました。なんて素晴らしいお医者様。ハグされて死を迎えられるなんて、どんなに心強かったでしょう。先生は人の命を預かるべくしてお医者様になられた方ですね。今、高齢の父がその命の炎が消えるのを待つかのように、1人入院して最後の戦いをしております。このコロナ 禍で面会もできず、どのような死を迎えるのか…。その病院には先生の方のような医療従事者はいそうにありません…。
看護師をして30年ですが、病棟務めをしたことがない私は、人の最後を看取ったのは実父のみで、先生のように大勢のかたの看取りを経験され、このような体験を聞かせていただいてとても勉強になります。実の親はもう他界していますが、同居の義母は健在です。病院嫌いなので、できれば家で看取ってあげたいと考えていますが、本当にその時が来たらどうなるかはわかりません。もう実母以上に長く一緒に暮らした人なので、誠心誠意を持って看取りたいです。今後も先生のお話参考にしたいと思いました。今回のお話は、喉頭がんの最後が、そんな悲惨な形になるなんて思いもしませんでした。ガンのできる部位によって違うのでしょうが、、、。お義母さんも一人で死ぬのは怖いと日頃から言われているので、最後抱きしめてあげたいと思いました。心が洗われ、自分を浄化することができました。ありがとうございました。
貴方のコメントにも感動致しました。義理のお母様もお幸せに。
有り難うございました、患者さんにとって…それは、それは素晴らしい感謝だったことでしよう💚
先生、いつも先生のお話で癒やされています。母はあと2ヶ月は難しいだろうと言われ、家で看取る覚悟で介護休業をしています。でも最近私が娘だということがわからないことがあります。先生の病院に入れて欲しいです。泪が溢れます。
素晴らしいお話でした。私も患者さんと同じ気持ちです。先生にハグされて安心して旅立てたと思います。
心が救われるお話を、ありがとうございます。父の事を想いながら、聴かせていただいています。
今日は100歳で亡くなった親戚の月命日です。『最後まで自宅で過ごしたい』という本人の希望もあり、前日まで様子を見に通っていました体調も良く元気で、訪問客とも楽しく会話し、この調子なら 1日一人にしても大丈夫かな?と思い、久しぶりに自宅に戻った 翌日体調が急変し、タッチの差で死目に間に合わず、救急車を呼んだり慌しい1日でした後から分かったことですが、ベッドやトイレで大量の血を吐いていて、一番苦しい時に一人にしてしまったことが未だに悔やまれてなりません今から思うと、医者が飲まなくてもいいと言うので、薬を飲んでないとか、気がかりな点はありましたがあの時目を離さなければ、助かったかもしれないと思うと、2年近くたった今も、くやみきれませんでした1分でも長く、生きて欲しかったのです『人が死ぬ時を選んでいる』ということを聞き、少し安心しました亡くなった人は、口を聞いてくれないので先生のお話は、救いになりました。他の事例もお話いただけると嬉しいです。
穏やかに優しくお話してくださる先生の表情は神様のようで、そうにしかみえないです。本当に多くの人のために生きていらっしゃるとそうなってしまうんだ、と思わされました。ありがとうございます。
先生のような方に緩和される患者様は幸せだと思います。1人でも多くの患者様が不安なく旅立てるようになれば良いですね。
母が亡くなったのは、3月3日女の子の節句でした。反抗的な娘でしたが、母が最も愛してくれたのは私だったのかな、と、先生のお話を伺って思いました。貴重なお話を、ありがとうございました。
初めて先生の動画を拝見しました。歳のせいか涙脆くなりました。視聴者の皆様のコメント拝見し、優しさで心の底から温かくなりました。有難う御座います。若い時の親友の癌死から、母の事故死、加害者の方の自死、父は夜中に母が迎えに来たのか朝には穏やかな死顔でした。私自身は突然の心臓大動脈瘤で8時間の開胸手術でしたが、今も元気で仕事させて頂いてます。生かして頂いてる間は感謝して周りの笑顔を見れる様に仕事頑張ります。有難う御座います。
元看護師です。様々な医師の下で働いてきました。先生のような医師に出会い、同じ志のもと共に尽力したかったです。
素晴らしいお医者さん。心洗われます。
四宮敏章先生、ありがとうございます。本物のお医者様がいてくださる!ありがたくて涙が出ます。死に際に、真心で先生にハグしていただいたら、どんなに安心されたことでしょう。また、ご本人の気持ちを大切にしてくださり、奥様へのお心遣いも本当にありがたいことです。どんな分野もそうですが、技の前に人としてのありかたやまっすぐさがまずは大切と思います。このお話を、お医者様皆に聞いていただきたいです。また、最後に抱きしめるのは、家族にもできることなので、ぜひそうしたいと思います。ありがとうございます。
自分の死に方を選んで、それを受け入れてもらえる事は、今では普通じゃなくなってきてるのかなと思ってました。このように考えてくれるお医者様がいてくれる事が嬉しいです。
急変時、何も出来なかったが、ハグは出来た😌💓そして、奥様を呼ぶ前に、出血の跡を残さずきれいにしてくれた✨その思いに、涙が溢れました😊ありがとう💓
先生の動画のお陰で、母を自宅で看取る事が出来ました。以前、コメントした際にはお返事をありがとうございました。私の兄はくも膜下出血で亡くなったのですが、四十九日が兄の誕生日でした。兄の誕生日に四十九日法要を行い、親族や友人が集まった時、兄は自分で旅立つ日を選んだのかなと思いました。母は兄の誕生日前日に亡くなりました。誕生日に間に合うように旅立ったのだと思いました。そして母の四十九日は姉(私にとっては伯母)の誕生日と重なりました。二人とも旅立つ日を自分で決めたのかなと思う出来事が続いたので、今回の動画を見て、改めて、人は死に時を選べるのかもしれないと思えました。そう思うと悲しい気持ちをまた少し受け止める事ができます。先生の動画を見ると温かい気持ちになります。ありがとうございます。
涙が止めどもなく出てきました。先生のような方が側にいて下さって 患者さんも安心して旅だてたのではないでしょうか。
人はいつかその一生をそれぞれの場で終えます。私は最後まで自分のできることをしながら終えたいです
脂肪肉腫がバレーボール大4個になり血管は壊死し大量出血していました。弟は辛いとか全く弱音を吐かず…今、先生のお話を聞き、どんなにどんなに辛かっただろうかと思います。遠くの病院に転院前に、弟は、そんな遠くまで行ったら大変だろうと遺族のことを考えてくれていた。死ぬ前に「お姉さんありがとう」と何度も何度も言ってた弟が今、葬儀を終えた今でも愛おしいです。先生お話をありがとうございます😭 弟の供養に全ての先生の動画を見させていただきます。
患者の身体だけではなく、心にも寄り添っていらっしゃる。人と人の愛の関係を感じ、心が温まりました。❤
人間としてこの世に生をうけ、やがて肉体の寿命にしたがってあちこちに不具合が出来てその終わりを迎えるのですね。私は死に臨んでは恐れず感謝をもって静かに去りたいです
叔母は満開の桜が散り始めた頃に癌でなくなりました。叔母の体調がどんどん悪くなっていき、詳しいことがわからない私ですら、先が長くないことがわかりました。その頃に、先生が配信していた、亡くなるる前の兆候のTH-camを見ました。叔母になにかあっても、なるべく驚かないようにするために。配信していただきありがとうございました。叔母は強い人でした。弱音を見せなかった叔母は、病院で家族が到着する前にそっと旅立ちました。叔母らしいなと思いました。配信を見ながら、叔母も望んだ亡くなり方ができていたらいいなと思いました。
また、見にきてしまいました。何度、先生の話を聞いても涙がでます。やはりまだ、辛いのでしょうね。動画を見て気持ちを切り替えられたらと思っています。
「死ぬ時を自分で選んだ患者さん」わたしは、訪問看護師です。この動画を観て、患者さん(利用者さん)との信頼関係あっての最善のケアが見えてきて、最善の看取りができるんですね。患者さんは、命の終わる時を、わかっている。そう思えた看取りわたしも経験しました。
残念ながら…亡くなってしまいましたが、ミネギシさんは「自身が望む通りに」人生を終えるコトが出来た…という事ですネ。とても貴重な話を有難う御座いました。
いつも 貴重なお話しをありがとうございます先生に看取っていただけたら本人も家族も幸せな最期を迎えられると感じながら拝聴しています
患者さんに感情移入しすぎてはいけないんだろうけど、機械的に診る医者よりよっぽど素晴らしいというか、命の大切さ、心への尊重する気持ちに心打たれました。私も持病に負けず、しっかり生きていこう、と思えました。ありがとうございます。
わたしも こんな先生と巡り会いたい
初めまして。今年2月に闘病を終え父が亡くなりました。長年母が愛情いっぱいに介護して自宅で看取りました。寂しがり屋の父でした。最後は家族全員お別れし、夫や子供も帰り、真夜中に母が少しだけ父から離れた時、静かに息を引き取りました。私の目の前で。父は私を長女として頼りにしていましたので、後を頼まれたように思います。父が逝き方を選んだのだと信じています。そうしないと今の寂しさから抜け出せないので。
昨年秋、父を胃ガンで亡くし、初盆を迎えました。昨年はホスピスから一時帰宅して家族と過ごしましたが、それが最後の思い出となりました。ホスピスに戻ってから体力もだんだんなくなり、もう少し先だと思っていたのに、長く眠るようになり、私がベッドで手を握って一言二言行ったのが最後となりました。自分で決めたのかどうかはもはやわかりませんが、翌日の朝連絡を受け、ホスピスに着いたときはもう亡くなっていました。本来娘たちや家族に苦しんでいるところを見られたくないと思う父なので、私たちが行くまでに天国に旅立ったのだと思います。眠ってる顔は本当に安らかだったのが私たちの救いでした。もともと穏やかな父が最後にプレゼントしてくれた心の平和でした。先生の動画を見て心から同感できる昨年の出来事でした。
素晴らしいお話でした
心を忘れ 機械的に考えられる お医者さんが多い中に なんと素晴らしい愛を持たれた方が、おられるのだろうと感動しました。私は、先生の足元にも及びませんが、少しでも愛を持って生きていきたいと思いました。先生のような方が、この世におられることを感謝申し上げます。
先生の穏やかな話し方を聞いてると、心が落ち着きますね😌ホントに患者さん1人1人に〰️親身になって、対応していらっしゃるんだなぁと思いました😊具合いが悪い時には、先生に見てもらいたいなぁと思いました😳私の父は、2年前に亡くなりましたが、母が少しの間に外出してから急変して、亡くなりました😢もちろん、私も間に合わなかったんですが、父も誰にも心配かけたくないとの思いで、亡くなる時間を選んで旅立って行ったのかな?😣
16年前になりますが母を家で看取りました。当時はまだ現在ほど癌末期の患者が最後を家で迎えるってあまりなかったように感じましたがケアマネさんや訪問看護スタッフの方々や家に来てくださったドクターに本当にお世話になり母も私達家族も後悔する事なくその日と向き合えたと思っています。当時私はインドに住んでいて、一才になったばかりの長男と母と最後の3ヶ月を一緒に過ごす事が出来ました。滞在が長くなってきたので夫がインドから次の赴任先に移動する前に合わせて日本に来てくれました。母は私の夫が日本に着く日の早朝に亡くなりました。母は私が淋しくないように夫が来る日を待ってくれていたと今でも信じています。口から何も食べなくなって2週間も行きたので母も最後の力を振り絞って居たのかもしれないと思ってます。訪問で週一回とかでお願いしていたお風呂も、亡くなる週の始めに入った日にもうお風呂はいらないよって自分で決めてました。その日が近い事も感じていたと思います。亡くなる3日前にはこれが最後だなと思って色々話しました。孫の20歳になった姿が見たいと言っていたのに見れなくなってごめんねとも言ってくれました。今年で長男は17才になりました。亡くなる前の日には姉と甥っ子も来てみんなで母を囲んで夕食をとりました。母は幸せに旅立つ事ができたと思っています。そして父が肺癌を患い、治療をやめて緩和ケアのある地元の病院へ移り自宅で暮らす準備をしています。現在私はオランダで暮らしてますので諸々の準備や手続きは姉がやってます。父にも後悔のない最後を迎えさせてあげられると良いなと思ってます。子供達の学校もあるので夏休みまでは日本に行けませんが父はきっと元気で待っていてくれると信じています。
私81才の女性です。今でも学習塾で塾長として、何人かの講師に手助けをしてもらいながら、毎日生徒の大切な希望の満ちている将来に向けて頑張っています。私は、数学を教えるのが好きで、今でも小学、中学、高校と数学を教えています。現在、気持ちの中では、いつまで出来るかと、恐れに似たものが頭を持ち上げて来ます。でもその日が来るまでは、明るく前向きに進みたいと願いながら進んでいます。その時が来ましたら、先生みたいな方に暖かく見守られながら旅立ちたいです。お力を下さい🍀
父は先週亡くなりました。誰も居ない個室で誰に看取られる事も無くたった1人で逝ってしまいました。数時間前に長女の私は個室に居る父に会いに行きましたが昏睡さ状態でやっと呼吸をしている様子でした。コロナで15分しか面会できずにこんな父の状態で看取り時期って一体いつですか?と看護師に聞いたら血圧がゼロになった時ですと答えまして、、この看護師は馬鹿ではないか?と思いながら一旦実家に帰り、暫くしてこの看護師から電話がありました。すみません、、呼吸が続いていたので見落としました、、心臓が止まっていました、、と。有り得ない看護だと思います。父は亡くなった後も1人ベッドに寝かされたままでした。最悪な家族への対応に今でも不信感があります。
先生…有り難うございます母の主治医の先生がして下さった事を今 実感しました。私が病院に駆けつけた時に(母はたぶん亡くなっていたと思いますが)先生は私の見ている前で蘇生術して下さり そして死亡確認の時刻をおっしゃいました。けれど家に帰った母の口から何故かぬぐっても滲み出て来る血を(あんなに穏やかな顔なのにどうしてだろう)不思議に思っていました。あ~これなんだな・・・きっと一人取り残される私のショックが少ないようにして下さったんだな・・・勝手な思い込みかも知れませんが主治医の先生やスタッフの皆さんに心から感謝致します。
ありがとうございました🙇
緩和ケアの看護婦さんは(病院の看護婦さんも含む)本当に素晴らしい人間だと思います。お手洗いを取ったり、汚い事もしなければなりません。自分の親でもそういう事は大変だと思います。家族でも誰かを看護するのは精神と肉体が疲れてしまいます。そんな中で母と緩和センターに入院していた時母がたわいもない事を看護婦さんに話ししても看護婦さんはにこやかにいつも「○○さんお話してくれて有難うございます」と言います。どの看護婦さんが来てもいつも病人をたてて、病人の話を真剣に聞き相づちをうってくれて最後に「お話してくれて有難う」とねぎらってくれました。母はそう言って聞いてくれるのでとても気分がよかったと思います。付き添いの私が母の看病をしているといつも私がやりますから言って下さいねと言われます。付き添いにまで気を使ってくれました。本当に緩和センターの看護婦さんのおかげで最後を気分良く母と過す事が出来ました。
こんな先生に看取って欲しいですね。
心からそう思います。
いつも豊かなメッセージを本当にありがとうございます。私はパストラルケア(スピリチュアルケア)の仕事で病院に勤務しています。元気になって退院される患者さんもいれば、再発で入退院を繰り返す患者さん、ターミナルの患者さんもおられます。患者さんに共鳴をもって心の声、魂の叫びを聴かせていただくこと、静けさをもって共にいさせていただくことを願い、患者さんからいのちの学びを頂く日々です。コロナ禍が続く年月で、面会制限でご家族や親しい方々と大切な時間を持てないまま旅立たれる患者さん方を目の当たりにして、さまざまに思うことがあります。そんな中、先生の体験に基づくお話には学びと癒しがあり、心より感謝しています。先生のもとで最期を迎える患者さんだけでなく、きっと一緒に働かれているスタッフの方々も先生から力を頂いているだろうなあ、と思います。
3年ぶりの行動制限のないお盆になりますね。私は家族の多忙なため自粛しています。最近気管支炎になり、プレドニン飲んでいました。医大に行く事もいわれています。高齢医師、入院を選ばず三日間に一回みて、プレドニンの調整していました私は、安心しながら、自粛しながら、落ち着いています。最近生協に入り少し、食事をよくし、一番長く過ごすベッドサイドをミッフィーで飾りました。ラジオは寝れないときいいですね。予定として、回転ずし早くいって早く帰るで、行く予定があります。案外ゆったり過ごしています。🍆とキュウリをおばあちゃんの写真におき、水、食べ物備えています。先生もゆっくり出来ますように
先生、いつも有難うございます。私の父は、98歳で旅立ちました。今日が危ないという日から1ヶ月半昏睡状態でした。でも目覚める時も有り、夜中に父と話していると、みんなが心配して見舞いに来てくれていると言ってます。私に見えないのか? っと言いました。亡くなる十日前位に私は不思議な夢を見ました。父と海へ行っていて、父が崖から飛び降りたのです。私は、「 お父さん、そんなところを飛び降りたら、戻れないよ。」見たら父は、子供を守っていました。そんな夢を見て、十日後位に息をひきとりました。その頃私は、お産を控えている娘が居たり、もう1人家の孫も見ていました。孫を連れて病院へ行ってました。父は、私が忙しい事を良く理解していました。あの夢は本当に不思議な正夢でした。私は一人っ子で、父にとても可愛がってもらいました。今は御盆ですが、両親は帰って来てるかなぁ?と思っています。父の好きだった、ビールを御供えしました。有難うございました。
私の主人も死を自ら選びました。亡くなるその日の朝、私の夢に現れ強烈な光と三途の川の方に歩いて行く主人の後ろ姿、私が呼んでも一度も振り向くことなくて、そこで目覚めた私は今日、旅立つ事を確信して息子夫婦、娘夫婦を呼び寄せて、到着して三時間、主人の大好きな家族だけの時間を過ごして、最期は私が主人に、ありがとうね、もう我慢しなくていいよ。もう、逝ってもいいよ。って言い終えた瞬間、息をしなくなりました。享年54歳肺がんでしたが、最期の瞬間まで家族の為に生き抜いた主人でした。
初めまして。最近、チャンネル登録をして拝見しています。働かなければならない50代女性です。軟部腫瘍で、2020.1にオペをして、950日が過ぎました。画像上、再発・転移は有りません。戸籍上家族はありますが、人には言い難い事情も有り、家族に迷惑をかけない様に逝く事が唯一の希望です。今回は本当に希望の持てるお話でした。ありがとうございました。
生き物がいつか必ず死ぬなら最後の願いを叶えて頂けるなんて幸せな死だなと感じました。最後の願いが自分向けではなく大切な人を守る事 そんな自分になれてる様にキチンと生きたいです。素晴らしいお話をありがとうございました!
先生、スタッフの方の対応は素晴らしいと思います。患者さん、ご家族のかたに対しての配慮が整ったケアだと感じました。訪問看護師として、私自身として温かく寄り添うケアを勉強していきます。ありがとうございます🙇♀️
私先生のそばにいたいありがとう先生
私もです
@@グリーンベル わかりますお辛いのですね私も毎日泣いているし意地になっています貴方様もお辛いのですね頑張らないでどうか私みたく意地になるくらい強く生きてください理由は分かりかねますが負けないで!
今は辛くは有りませんが、死ぬときは先生に看取って欲しいと願っていますK子さん、辛そうで大変ですね、心の問題も有るでしょうし、お体の事も有るのかも知れませんね、信頼できる医師・看護師の元で、穏やかに過ごせる事を祈っています
@@グリーンベル ありがとうございます力になりました負けません感謝しかありませんありがとう本当にありがとうございます涙
@@K子-s4f 私も先生に抱きしめらながら、死にたい
最高の緩和治療は愛情のこめられた力強いハグ❤
先生丶今日は私は台灣の主婦、夫は日本人です10か月前夫がかん見つけました、ステージ4言われました最初手數積もりで抗がん劑5回治療しました、がんが小さい成った、手數も大丈夫ですよ、言われましただけど、手數後又色々治療と後遣症残るかもしれない、最悪脳出血と⋯⋯等夫が今年78才自分も手數後の事考えると家族迷惑かも知れない手數断りました、主治醫が怒って、手數しか治療も出来ません、言われました私は凄く気が小さい、これから夫の事考えると不安でしょわない、先生の話聞くと涙が出て止まらない、本当に優しい先生です先生忙しい中に何がアドバイス教えてください先生忙しいから、どうか体を気をつけください
先生、いつも貴重な体験話ありがとうございます。私も以前、好きな作家さんの本を読んでいて、人は死ぬ時は自分で選んで死んで行くのかなと思っていました。本当にそう思います😢
いくつになっても抱きしめてもらうことの安心感は変わらないから先生のハグは大きなことだったでしょう
私の父はステージ4から5年目で、つい昨日、いよいよあとひと月の命だと余命宣告を受けました。そんな時に、このチャンネルを見つけました。きっと父は自分の余命は察していると思います。コロナ禍で誰とも面会が出来ず、家族である私達が看取れないのは、本当に悲しいです。父はどんな思いでいるかな…寂しがってないかな…死を目前に感じて不安で押しつぶされそうな思いをしていないかな…。父が自分で選んだ死期なら致し方ないのですが、それでも私達は最後の瞬間まで父のそばで声を掛けてあげて看取りたいです。それが出来ない今のコロナ禍……悲しいです。
彼女が余命数日です。コロナで面会ができない状態でしたが、3週間ほど前から医療介護付き施設に入り、毎日会えるようになりました。そこは癌患者だけが入っているホスピス的な施設です。点滴も辞めて飲まず食わずで4日経ちましたが、先生の動画を見なかったら点滴を辞めるなんて考えられなかったと思います。悲しいですが、最後のひと時を一緒にいられるだけで幸せを感じています。是非とも退院も視野に入れて見てください。
@@kenlosangeles とてもお辛い中、返信ありがとうございます。こちらは、ドが付くほどの田舎で、周辺にホスピスがないのです。可能であれば自宅で…とも模索しましたが、往診に来れる先生すらいない状況です。この状況になり、さらに一日を早く感じます。魂は永遠と言います。暫しのお別れ。それでも願わくば、1分1秒でも長く、彼女さんが大好きなあなたのそばで心穏やかに過ごされますよう心からお祈りしております。
私も父の最期に間に合わず、看取ることもできなかったのですが、それでも4時間後に亡くなった父を見た途端、パニック障害の発作が起きてしまった私に母が、こう言いました「亡くなる瞬間を見たらもっと、あんたがパニックするかと思ってあえて、呼ばなかった」と。複雑な思いでしたけど、今なら父の苦しみながらの最期は見なくて良かったのかな?と、この動画を見たらそう思いました。ありがとうございます
つい最近彼が末期ガンで亡くなりました。看取りをしたけど辛かった彼もかなり苦しそうに息をして痰が絡む咳をし吸引を何度もしても取り切れなくて喉から血が出ていて見れなかった最後は穏やかに息を引き取りました
最期まで寄り添ってあげたのですね。愛する人を、なくして、おつらいのに、コメントありがとうございます。わたしは、さいご、愛する人に、寄り添ってもらいたいです。
先生、素晴らしいお仕事ですね
私は5年前に父を約6ヶ月看護し、自宅で看取りました。今日のお話で峯岸さんを力強く抱いてあげたと言う話。私はこれこそ人が望む死に方だと思いました。少なくとも私にはそれが最高だと。この42歳の峯岸さんも1人で死ぬのは怖いとおっしゃったそうですが、父がもう長くはないだろうと感じた時、それは死ぬ4ヶ月位前でしたが、お坊さんでも神父さんでも、神社の神主さんでも、学者でも医者でも何でもいい、父に死を恐れなくて良いと言うことを誰か説明してほしい。と、切実に思いました。でもそれはできませんでした。私と母は常に父のそばにいて、父を見守り続けることができました。最後は、かれるように衰えていったけど、孫の声を電話で聞かせ、私と母がそばで常に声をかけて最後の一瞬を迎えました。家族としてできる事は、やったと言う気がしました。でももしもこれが峯岸さんのように壮絶な状態であれば、そばにいた医療者が、血みどろの患者をいとわず、強く抱きしめてくれれば、私はもし峯岸さんの端であればどんなに感謝するでしょう。人が神にすがるのは、抱きかかえてほしいからだと思う。そういう意味でこうした献身の姿は本当に人間として至高のものであると思いました。
膵臓がんだった夫を先日亡くしましたが状況を思い出すと本人が死ぬタイミングを選んだとしか思えない去り方でした。不思議ですね。いつも先生のビデオで勉強、心の準備をしていたので悔い無く夫を見送ることができたと感じています。本当にありがとうございました。
私の父は優しくて面白い人でした。父が安らかな最期を迎えられるようにお見舞いしたいと思います。
こんな先生がいるなら、自分の最後も看取ってほしい。家族でなくても誰かに抱きしめられながらあの世に行けるのと、そうでないのとでは穏やかさがまったく違うと思います。
年初にがんになった母を看取りました。最後の退院からホスピスへ入所し、旅立ちの日まではずっと冬晴れのいい天気でした。そして亡くなった翌日は雪で、私は天気予報を見ながらどうやってホスピスに行こうとやきもきしていました。雪でホスピスに行けなかったら私が後悔するだろうと思ってこの日を選んだのかなと、先生のお話しを聞いて思いました。
いいお話です。泣けてきます。私の父は、末期癌で、一時帰宅したときに逝きました。家が好きだったので、自分で決めていた気がしました。
こうゆう先生ばかりでは無いのが現実ですが、素晴らしい先生が居る事も事実‼︎私は、左房粘液種とゆう珍しい病気を2度体験し、脳梗塞になり、色んな先生を見て来た者の1人として、どんな先生に出会えるかは、運❗️だと思います。お忙しい中TH-camをなされて、ご自身の使命を果たされて居るお姿に感動しました。
入院中の父が動脈瘤破裂で、他界しました。吐血したと連絡が有り、病院に向かいました。パジャマに血痕が有りましたが、気になる程汚れてはいませんでした。病院の方々が綺麗にしてくれていたんですね。気付きませんでした。今更ですが、感謝の気持ちが湧いてきました。ありがとうございました。
先生はどうやって慈悲深く、それでいてプロフェッショナルでいられるんですか?日本ではお医者さんは冷たい雰囲気の方多いですけど、人の命に関わる仕事だからこそ、常に共感して慈悲深くあろうとすれば、身が持たないというか、辛い経験もたくさんされることと思います。患者さんの壮絶な死を先生はどう受け止め、その次の日からどんなふうに気持ちを切り替え、先生ご自身の人生を明るく生きていらっしゃるのですか?
訪問看護をしてます。私も何度も経験しております、ご家族でお看取りされていて、一瞬ウトウトとされた時に息を引き取られた方もいらっしゃいます。私の父も祖父もそうでした。そうでした。
先生の動画を見て、家族と向き合う事が出来ました。親はかけがえのない存在でしたが、家族として何が出来るか、生きることや、どう接していくことが良いのか考えました。旅立ちました。
間接的に医療に携わっているものです。 今回の動画 仕事場で感じながら 向き合ってみたいと思います、ありがとうございました😊
初めてお便りさせて頂きます。癌ではないのですが、今年2月、88歳の父をパーキンソン病で亡くしました。母を中心に訪問看護師さんやヘルパーさんのお力を借りて、自宅で看ていましたが、いよいよ限界を感じ、特老ホームの入居手続きを済ませた頃を境に食事が摂れなくなりました。日に日に弱って行く父をこのまま入居させていいのか悩んでいると、出勤途中に一羽の鳶が急降下してきて、「○○さん(父の名前)の人生を、何故あなたが決めようとするのですか?○○さんは自分の最期は自分で決めますよ。あなた方は寄り添ってあげればいいのです。」と言いました。いえ、実際には何も言っていませんが、頭の中ではっきり聞こえました。その日の夕方、主治医から電話があり、あと2・3日の命だから、家でゆっくり看取ってあげて下さい。点滴も外していいですか?と聞かれました。私はトッシュ先生の動画を観ていたので、点滴を外してもらい、コロナ禍ではありましたが、県外の孫や兄弟・親戚を呼び寄せ、精一杯看病しようと決めました。父のベッドの周りはいつも賑やかで、時々父も話したりして、本当に亡くなるのか、何も食べさせなくていいのか、半信半疑でしたが、3日目の夕方、孫の誕生日を祝っている最中、突然熱発し、呼吸が深くなり、皆に代わるがわる手を握られ声をかけられる中、静かに息を引き取りました。奇しくもその日は特養ホームの入居予定日でした。また、連休最終日で明日からは仕事に戻る予定の者もいて、まさに、父が自分で死ぬ時を選んだのだなと思いました。清拭をして下さる看護師さんや主治医も○○さんらしいね。お家で皆んなが見護る中で逝きたかったんだね。と言って下さり、私たちは何も思い残す事なくお別れすることができました。しばらく先生の動画は観ていなかったのですが、TH-camがお知らせしてくれたのがこの動画だったので、思わず長々と書いてしまいました。申し訳ありません。私は先生の動画を観ていたからこそ、あのように父の最期に寄り添えたのだと、感謝しております。ありがとうございました。
ありがとうございます
在り来りな言葉だけど⋯感動しました😭
先日、父を亡くしました。発見された時にはもう手遅れの胃がん、肝臓転移で、入院から僅か1週間で逝ってしまいました。父の入院前に何か出来ることはないかといろいろ調べていた時に、先生のTH-camが偶然表示されて、末期の患者がどんな経過を辿るのかを知りました。父を失う恐怖、悲しみからは逃れられませんでしたが、残りの時間が想像以上に僅かなのだということを教えていただいたことで、覚悟はできていたように思います。最期の夜、コロナで面会が限られる中、たった10分だけ会うことが出来ましたが、せん妄が酷く、足をさすることしか出来ませんでした。それでも会えただけ良かったです。そして夜中に急変し、大急ぎで駆けつけましたが、病室に入った時、看護師に、「たった今、逝かれました」と伝えられました。あと5分早ければ、と自分を責めましたが、この動画を見て、きっと父は、家族と最後の面会をし、その夜に自分で逝ったのだと思うことができました。先生、ありがとうございました。
深くは言いませんが、ありがとうございます。涙が止まりません。
看取りは辛いだろうなぁ…頑張ってください。
今日は「死ぬ時を自分で選んだ患者さんのお話」です。
大切な人が亡くなる、いなくなるなんて考えたくない、と多くの方は思うでしょう。それは当然のことです。
ただ、私は多くの患者さんを看取り、「人は死に時」を自分で選んでいるんだろうなと感じるようになりました。
今回のお話は、まさにそのことを身をもって教えてくれた患者さんのお話です。
このお話を聞いて、自分を考えるきっかけにしていただければとても嬉しく思います。また、考えたことや自身の経験などがあれば、多くの方のお役に立つと思いますので、ぜひコメントして下さい。よろしくお願いいたします。
トッシュ先生、こんばんは。
1ヵ月前にこちらにコメントさせていただきましたが、昨日ご返信をいただいている方に気づき、さらに返信いたしました。
他にも多くの方に「いいね!」をいただいていて、見知らぬ私に頑張れ!と背中を押していただいたように思いました。
トッシュ先生をど真ん中に据えた温かなコミュニティがこちらにありますね。
娘を亡くした喪失感に未だに苛まれていますが、少しずつ生きることへの望みを取り戻しつつあります。
先生の動画配信、今後ともどうぞ宜しくお願いします。
ドッシュ先生丶今晚は
返事くれて本当に有難うございます、前にこちからコンメト、その一週間後に内の夫は病院に再検査でガン肺に転移しました
その後病院先生何もしてくれない、只身体苦し時にくればいい、と言われました、
この頃內夫は咳よく出ました、本當に不安でしょわない、こらから內夫どうすればいいか、よく解らない、そのまま放棄何もしないで、身体苦しく時を待て、そうしないと病院手數以外治療方法ない?先生いい提案有れば教えてください
私は外國人だから文通書く本當に苦手で問違所有れば許してください
心不足でドッシュ先生、返事くれて、本當に嬉しくて、有難うございます
生命が尽きようとしている患者さんをハグしてくれる医師がいるなんて、初めて聞きました。「自分のできる事に最善を尽くす」この事を生涯忘れないように生きていきたいと思いました。先生、ありがとうございました。
先生の患者さんを想う愛の深さに
今日も涙が止まりません。
死に場所がどこであっても
誰かが傍にいて抱きしめて看取ることは
愛されていると感じて旅立てる…幸せな看取りですね。
ありがとうございました。
いつも素晴らしいお話をありがとうございます。
父は1ヶ月前に心筋梗塞を起し、僅か10日の入院で天国へいきました。
心臓の1番大きな血管が枯れ枝のように細くなっており心臓に殆ど血液が運ばれていない状態でした。医師からは「よくこれで生きていましたね」と言われるくらい酷い状態だった様です。
でも、その日のお昼は父の好きな味噌ラーメンを汁まで平らげ、さつまいもにみかんまで食べ「美味しかった!」と満足そうだったのに‥
でも、朝方少し胸が痛かったという父が気になり診察を受けたら循環器科のある救急病院に転院になりました。
カテーテル検査をして、リスク覚悟で細い枯れ枝のような血管にステントを挿入する手術は成功して血管が広がり心臓が元気に動いている様子を見せてもらい喜びました。
しかし、父はチューブで繋がれて身体に異物が入っている事にストレスを感じたのか、大腸からの出血を起し、熱も出しました。病院の食事は一口も口を付けず、高カロリーゼリーは全部吐いてしまいました。医療従事者の友人が人工的なものを拒否する事で発熱する事がある、と教えてくれました。
父は、自然の中で生きた人でした。船頭さんと海に出て沢山の魚を釣っていました。
また、庭は花いっぱいで四季折々に咲く花をたくさん育てていました。いつも海か庭にいる父でした。死んだら海か土に還してほしい、と言っていた父でした。
これまで一度も入院や手術などとは無縁で80代ながら全て自分の歯でした。
だから、自然でないものは受け付けなかったのかな‥
人工的なものをつけてまで生きることは魂が死んでしまう、と自分で死を選んだ気がしています。
今年5月に娘を癌で亡くしました。暫く癌のことを考えるのが辛かったのですが、久し振りに先生の声を聴きたくてこの動画を拝見し、涙がとめどなく溢れました。
先生は患者様のご遺志を尊重され最大限お心を尽くして送られましたね。先生に力強くハグされながら安心して旅立たれたことと思います。咄嗟にハグされたところに、先生の心の通われた温かい医師の信念を感じました。
私の娘は苦しくて楽になるタイミングを自ら選んで緩和医療の先生を呼ぶように言いました。最後のお薬を投与していただいてもなお皆の力を借りて歩行してトイレに行き、頑張り抜きました。そして、家族に見守られて天寿を全うしました。
私は娘が母親の私を差置いて旅立ってしまったことが悲しくて仕方ありませんでした。でも先生のこの度のお話を伺って、彼女も自ら死ぬ時を選んだと確信しました。このように思えたことで、私は心が少し救われました。
先生、どうもありがとうございました。
お母様の心痛お察し致します。
私も息子が余命宣告され、時間の問題かも知れず、毎日胸が潰れる思いです。
私は息子と離れてたくないので、万一のときもお骨と共に生きようと思います。
お墓に入れなくてもいいか、教えてください。
昔から、親死ね、子死ね、まんご死ねと、、、子どもが先に 逝くなんて、お気持ちわかります。でもあなたが一番可哀想です。お悔やみもうしあげます。お大事になさってくださいませ。
ご返信をいただきありがとうございます。この世の中で見知らぬ方に寄り添っていただけていると考えるだけで、生への望みを感じます。急にお寒くなりました。どうかご自愛くださいませ。
↑この返信は渡邉様宛でした。大変失礼しました。
父を思い出しました。
コロナ禍で入院中顔が見れなかったことが今でも悔やまれます。
ハグしてくれる医師がいてくれる事に感謝致します😊ありがとうございます
2週間程前に母を在宅で看取りました。
先生や看護師はいなく、姉妹で両手を握って見守りましたが、それは今までの「一緒にいれて幸せだ」という日々を打ち消すくらい、衝撃的でつらいものでした。
でも、遠方から週一回来る姉を待って、この日を選んだのだと思います。ありがとうございます。
患者の生前は治療にベストを尽くし、それも万策尽きて患者が寿命を終えようとするときハグするお医者さん。命をいとおしく、最後まで大切に対処される素晴らしい態度です。これぞ、日本人の心を持った立派なお医者さんと思いました。
奥様に苦しむ姿を見せたくない、、そのような願いまで叶えて頂ける事があるのですね。。
感動しました。
すべてをすっかり綺麗に整えられてから奥様がいらした事、患者様にとっても奥様にとっても本当にありがたい事だったと思います。
父も母も、息を引き取る瞬間を私たち兄妹3人に見せず、眠るように旅立ちました。
その瞬間を私たちの目に焼き付けたくなかったのだと思っています。
次のお話も楽しみにしていますね。
心温まるお話をありがとうございました。
母に膵臓がんが見つかった時、既に手遅れで、3ヶ月後がどうかと言われました。でも、その3ヶ月に抗がん剤も試したり、旅行をしたり、腹水を抜く為に入退院を繰り返していましたが、頑張って生きようとしていました。先に亡くなったのは父でした。認知症でホームに入っていたのですが、間質性肺炎で入退院を繰り返し、あっという間でした。最期にお見舞いに行った時、意識がはっきりしたのか、母の心配をして大丈夫だと伝えられました。父が亡くなり法要の為に退院していた母が亡くなったのは、ちょうど父が亡くなり49日目で1年8ヶ月の闘病生活でした。そして母が亡くなり49日目に、母の兄弟の中で唯一存命で、やはり癌で闘病していた叔母が亡くなりました。明後日は母の命日です。先生のTH-camにも久しぶりに来ましたが、涙が止まりません。もう充分苦しんだから、もういいよねって、声を掛け合ったかのように亡くなったかと今でも思っています。お盆に寄せて。亡くなられた皆様のご冥福をお祈りします。
ただひたすら泣けました。 5月に亡くなった母を思い出し、涙が止まりません。 先生のこの動画で、先生の愛を感じました。 母も私の事を思ってくれていた最期だと確信する事が出来ました。 本当に有難うございます。
お盆にふさわしいお話ありがとうございます
両親それぞれを看取った状況を思い起こすと
家族に負担をかけないようにというタイミングだったのかなと感じます
私自身もこの春、乳がんの肺転移が分り治療が始まりました
しっかりと現実と向き合い時間を無駄にすることなく最後を迎えたいなと思います
今日のお話に胸がいっぱいになり涙があふれました。患者さんの希望を受け入れると同時に、医療のできないことを先生はその場でして上てくださり、ホントにありがとうございました。私もがん患者で今も癌の一つは喉のリンパにあります。この患者さんと奥様は、とても幸いでした。❤️
さ
先生、本当にいつもご苦労様です 死に際に寄り添うお仕事 その重さと敬虔さに感服するばかりです
先生のどのお話も…本当に心に響きます。私は祖父と母の闘病生活、ホスピスや在宅介護も経験しました。あれだけ一生懸命身を粉にしてやったはずなのに後悔って残りますよね。
先生の様に抱きしめてあげれば良かったのに、手を握って声を掛ける事しか出来ませんでした、というか最期の瞬間を看取る時にそれが精一杯でした。看護師さんもドクターも間に合わなかったから気が動転しながらも手を握るしか思い付かなかったのが正直な気持ちです。
母が亡くなる数日前に「どうして今日はこんなに人が居るの?」と聞かれた怖がりの私は咄嗟に「え?誰も居ないよ、この部屋にはママと私しか居ないよ」と言ったあと母は少し考えてから黙り込んでしまったんです、あの時誰がいるの?集まってる人はお友達?って聞いてあげられたら良かったのに…後悔しています。
3日前に母を看取りました。退院してきて自宅に戻り、落ち着いたところで家族全員で「ご飯食べるね。いただきます」と、言ったところまでは息をしていましたが、5分後には息をしていませんでした。いつもの日常を見て、安心して穏やかに深い眠りについたんだと思います。家族を幸せな気持ちにしてくれました。
この動画を見て、それを確信できました。
ありがとうございます。
妻には苦しむ姿を見せたくない、一人で死ぬのは寂しい。先生の温かいハグの中で死ぬことが出来た患者さんは、なんと幸せな最後でしょう。羨ましいくらいです。
医療的なことができなくなっても『できることがある』ことを4月に肺がんで亡くなった父に教えてもらいました。そして、その『できる』時間が今はかけがえない大切な思い出になっています(自宅での看取りを選びました)。大切な人との別れはとても悲しい…ですが、「死に様は生き様」最後まで共に生きる時間を与えてくれた父に感謝と変わらぬ愛を捧げます。先生の動画を見て父を思い出しました。
ホスピス勤務者です。勤務一年の初心者ですが、20人以上をお見送りしてきました。トッシュ先生の言葉は本当に温かいです。これからも参考にさせて頂きます。ありがとうございます。
この動画で先生のお話を聞いて救われた気がしました。最後の大変なところは家族には知らせない。見せないという配慮からなんですね。亡くなった父も同じような状態であったと思います。改めて、医療関係者の方々には頭が下がる思いがしました。有難うございます。これからもお世話になります。宜しくお願いします🙏🙏🙏🙏🙏
いろんな方の旅立ちの話を聞くたびに、認知症や老衰の方も、ご自身で旅立つ時を決めているのだと思うことが沢山あります。それを認めてあげられるように家族を支援する大切さを痛感いたします。今回もありがとうございます😊
先日母が癌で亡くなりました。
母は寂しがりやで、人が集まることが好きで、おもてなしをとても大切にする人でした。
癌と診断を受けて1ヶ月強で亡くなりましたが、それまで大事な家族と会えて、おもてなしをしてくれて、自分のことは二の次で家族を思い、とても愛情深く、温かい、心の深い、とても大事な人です。
これからも母を思い、誰かのために自分のために頑張って生きていけたらなと思います。
お話を伺わせていただき、ありがとうございます。
人が亡くなるお話は悲しいを通り越して辛いです。先生が患者のお話されたことを受け止めてくれたこと絶対に分かってるので幸せな亡くなり方だったのでしょう。壮絶な体験談ですね
私のワンコも1人静かに逝ってしまいました。
苦しむ姿を恐れていた私への、最後にして最大のプレゼントでした。
今でも逝く時を選んでいるとしか思えません。
ミネギシさん幸せだったと思います。
先生は本当に素晴らしいお医者様ですね。
今日も素敵なお話しをありがとうございます🍀
わたしの愛犬もわたしが仕事を休む段取りを間に合わなくなって朝家族みんなを見送ってから1人で亡くなってしまいました 今朝一度だけ自力で水を飲み
私が朝家を出るときに愛犬が言ってるのがこれが最後だよ亅とはっきり聞こえました でも突然仕事を休むことも出来ず私にはどうすることもできませんでした
今考えたら、早めに予測を立てて休むよう家族と話し合いをするべきでした
また私も愛犬を失うのが怖くて、その
思いが愛犬に届いていたのは確かです。
愛犬はわたしが仕事じゃなかったら最後まで一緒にいたかったのだと思うのですが人も犬も自分の大切な人の為に
ぎりぎりまでガマンして死に際を選んで旅立っているような気がします
素晴らしいお医者様と
患者様のお話に泣けました!
日本人として誇りに思います!
先生には何時までも長生きをして
頂きたいです!
お医者様のお手本として
これからも宜しくお願いします🙏
はじめまして。
オススメに出てきて初めて拝見しました。
涙が止めどなく溢れてきました。なんて素晴らしいお医者様。ハグされて死を迎えられるなんて、どんなに心強かったでしょう。先生は人の命を預かるべくしてお医者様になられた方ですね。
今、高齢の父がその命の炎が消えるのを待つかのように、1人入院して最後の戦いをしております。このコロナ 禍で面会もできず、どのような死を迎えるのか…。その病院には先生の方のような医療従事者はいそうにありません…。
看護師をして30年ですが、病棟務めをしたことがない私は、人の最後を看取ったのは実父のみで、先生のように大勢のかたの看取りを経験され、このような体験を聞かせていただいてとても勉強になります。実の親はもう他界していますが、同居の義母は健在です。病院嫌いなので、できれば家で看取ってあげたいと考えていますが、本当にその時が来たらどうなるかはわかりません。もう実母以上に長く一緒に暮らした人なので、誠心誠意を持って看取りたいです。今後も先生のお話参考にしたいと思いました。
今回のお話は、喉頭がんの最後が、そんな悲惨な形になるなんて思いもしませんでした。ガンのできる部位によって違うのでしょうが、、、。お義母さんも一人で死ぬのは怖いと日頃から言われているので、最後抱きしめてあげたいと思いました。
心が洗われ、自分を浄化することができました。
ありがとうございました。
貴方のコメントにも感動致しました。義理のお母様もお幸せに。
有り難うございました、患者さんにとって…
それは、それは素晴らしい感謝だったことでしよう💚
先生、いつも先生のお話で癒やされています。
母はあと2ヶ月は難しいだろうと言われ、家で看取る覚悟で介護休業をしています。でも最近私が娘だということがわからないことがあります。先生の病院に入れて欲しいです。泪が溢れます。
素晴らしいお話でした。私も患者さんと同じ気持ちです。先生にハグされ
て安心して旅立てたと思います。
心が救われるお話を、ありがとうございます。
父の事を想いながら、聴かせていただいています。
今日は100歳で亡くなった親戚の月命日です。
『最後まで自宅で過ごしたい』
という本人の希望もあり、前日まで様子を見に通っていました
体調も良く元気で、訪問客とも楽しく会話し、この調子なら 1日
一人にしても大丈夫かな?
と思い、久しぶりに自宅に戻った 翌日
体調が急変し、タッチの差で死目に間に合わず、救急車を呼んだり慌しい1日でした
後から分かったことですが、ベッドやトイレで大量の血を吐いていて、一番苦しい時に一人にしてしまったことが未だに悔やまれてなりません
今から思うと、医者が飲まなくてもいいと言うので、薬を飲んでないとか、気がかりな点はありましたが
あの時目を離さなければ、助かったかもしれないと思うと、2年近くたった今も、くやみきれませんでした
1分でも長く、生きて欲しかったのです
『人が死ぬ時を選んでいる』
ということを聞き、
少し安心しました
亡くなった人は、口を聞いてくれないので
先生のお話は、救いになりました。
他の事例もお話いただけると嬉しいです。
穏やかに優しくお話してくださる先生の表情は神様のようで、そうにしかみえないです。本当に多くの人のために生きていらっしゃるとそうなってしまうんだ、と思わされました。ありがとうございます。
先生のような方に緩和される患者様は幸せだと思います。1人でも多くの患者様が不安なく旅立てるようになれば良いですね。
母が亡くなったのは、3月3日女の子の節句でした。反抗的な娘でしたが、母が最も愛してくれたのは私だったのかな、と、先生のお話を伺って思いました。
貴重なお話を、ありがとうございました。
初めて先生の動画を拝見しました。歳のせいか涙脆くなりました。視聴者の皆様のコメント拝見し、優しさで心の底から温かくなりました。有難う御座います。若い時の親友の癌死から、母の事故死、加害者の方の自死、父は夜中に母が迎えに来たのか朝には穏やかな死顔でした。私自身は突然の心臓大動脈瘤で8時間の開胸手術でしたが、今も元気で仕事させて頂いてます。生かして頂いてる間は感謝して周りの笑顔を見れる様に仕事頑張ります。有難う御座います。
元看護師です。様々な医師の下で働いてきました。先生のような医師に出会い、同じ志のもと共に尽力したかったです。
素晴らしいお医者さん。
心洗われます。
四宮敏章先生、ありがとうございます。
本物のお医者様がいてくださる!ありがたくて涙が出ます。
死に際に、真心で先生にハグしていただいたら、どんなに安心されたことでしょう。
また、ご本人の気持ちを大切にしてくださり、奥様へのお心遣いも本当にありがたいことです。
どんな分野もそうですが、技の前に人としてのありかたやまっすぐさがまずは大切と思います。
このお話を、お医者様皆に聞いていただきたいです。
また、最後に抱きしめるのは、家族にもできることなので、ぜひそうしたいと思います。
ありがとうございます。
自分の死に方を選んで、それを受け入れてもらえる事は、今では普通じゃなくなってきてるのかなと思ってました。このように考えてくれるお医者様がいてくれる事が嬉しいです。
急変時、何も出来なかったが、ハグは出来た😌💓
そして、奥様を呼ぶ前に、出血の跡を残さずきれいにしてくれた✨
その思いに、涙が溢れました😊
ありがとう💓
先生の動画のお陰で、母を自宅で看取る事が出来ました。以前、コメントした際にはお返事をありがとうございました。
私の兄はくも膜下出血で亡くなったのですが、四十九日が兄の誕生日でした。
兄の誕生日に四十九日法要を行い、親族や友人が集まった時、兄は自分で旅立つ日を選んだのかなと思いました。
母は兄の誕生日前日に亡くなりました。誕生日に間に合うように旅立ったのだと思いました。
そして母の四十九日は姉(私にとっては伯母)の誕生日と重なりました。
二人とも旅立つ日を自分で決めたのかなと思う出来事が続いたので、今回の動画を見て、改めて、人は死に時を選べるのかもしれないと思えました。
そう思うと悲しい気持ちをまた少し受け止める事ができます。
先生の動画を見ると温かい気持ちになります。ありがとうございます。
涙が止めどもなく出てきました。先生のような方が側にいて下さって 患者さんも安心して旅だてたのではないでしょうか。
人はいつかその一生をそれぞれの場で終えます。私は最後まで自分のできることをしながら終えたいです
脂肪肉腫がバレーボール大4個になり血管は壊死し大量出血していました。弟は辛いとか全く弱音を吐かず…今、先生のお話を聞き、どんなにどんなに辛かっただろうかと思います。遠くの病院に転院前に、弟は、そんな遠くまで行ったら大変だろうと遺族のことを考えてくれていた。死ぬ前に「お姉さんありがとう」と何度も何度も言ってた弟が今、葬儀を終えた今でも愛おしいです。先生お話をありがとうございます😭 弟の供養に全ての先生の動画を見させていただきます。
患者の身体だけではなく、心にも寄り添っていらっしゃる。
人と人の愛の関係を感じ、
心が温まりました。❤
人間としてこの世に生をうけ、やがて肉体の
寿命にしたがってあちこちに不具合が出来て
その終わりを迎えるのですね。私は死に臨んでは恐れず感謝をもって静かに去りたいです
叔母は満開の桜が散り始めた頃に癌でなくなりました。
叔母の体調がどんどん悪くなっていき、詳しいことがわからない私ですら、先が長くないことがわかりました。
その頃に、先生が配信していた、亡くなるる前の兆候のTH-camを見ました。叔母になにかあっても、なるべく驚かないようにするために。
配信していただきありがとうございました。
叔母は強い人でした。弱音を見せなかった叔母は、病院で家族が到着する前にそっと旅立ちました。叔母らしいなと思いました。配信を見ながら、叔母も望んだ亡くなり方ができていたらいいなと思いました。
また、見にきてしまいました。
何度、先生の話を聞いても涙がでます。やはりまだ、辛いのでしょうね。動画を見て気持ちを切り替えられたらと思っています。
「死ぬ時を自分で選んだ患者さん」
わたしは、訪問看護師です。
この動画を観て、患者さん(利用者さん)との信頼関係あっての最善のケアが見えてきて、最善の看取りができるんですね。患者さんは、命の終わる時を、わかっている。そう思えた看取りわたしも経験しました。
残念ながら…亡くなってしまいましたが、ミネギシさんは「自身が望む通りに」人生を終えるコトが出来た…という事ですネ。とても貴重な話を有難う御座いました。
いつも 貴重なお話しをありがとうございます
先生に看取っていただけたら本人も家族も幸せな最期を迎えられると感じながら拝聴しています
患者さんに感情移入しすぎてはいけないんだろうけど、機械的に診る医者よりよっぽど素晴らしいというか、命の大切さ、心への尊重する気持ちに心打たれました。私も持病に負けず、しっかり生きていこう、と思えました。ありがとうございます。
わたしも こんな先生と巡り会いたい
初めまして。今年2月に闘病を終え父が亡くなりました。長年母が愛情いっぱいに介護して自宅で看取りました。寂しがり屋の父でした。最後は家族全員お別れし、夫や子供も帰り、真夜中に母が少しだけ父から離れた時、静かに息を引き取りました。私の目の前で。父は私を長女として頼りにしていましたので、後を頼まれたように思います。父が逝き方を選んだのだと信じています。そうしないと今の寂しさから抜け出せないので。
昨年秋、父を胃ガンで亡くし、初盆を迎えました。昨年はホスピスから一時帰宅して家族と過ごしましたが、それが最後の思い出となりました。ホスピスに戻ってから体力もだんだんなくなり、もう少し先だと思っていたのに、長く眠るようになり、私がベッドで手を握って一言二言行ったのが最後となりました。自分で決めたのかどうかはもはやわかりませんが、翌日の朝連絡を受け、ホスピスに着いたときはもう亡くなっていました。本来娘たちや家族に苦しんでいるところを見られたくないと思う父なので、私たちが行くまでに天国に旅立ったのだと思います。眠ってる顔は本当に安らかだったのが私たちの救いでした。もともと穏やかな父が最後にプレゼントしてくれた心の平和でした。先生の動画を見て心から同感できる昨年の出来事でした。
素晴らしいお話でした
心を忘れ 機械的に
考えられる お医者さんが
多い中に なんと素晴らしい
愛を持たれた方が、おられるのだろうと感動しました。
私は、先生の足元にも及びませんが、少しでも愛を持って生きていきたいと思いました。先生のような方が、この世におられることを感謝申し上げます。
先生の穏やかな話し方を聞いてると、心が落ち着きますね😌
ホントに患者さん1人1人に〰️親身になって、対応していらっしゃるんだなぁと思いました😊
具合いが悪い時には、先生に見てもらいたいなぁと思いました😳
私の父は、2年前に亡くなりましたが、母が少しの間に外出してから急変して、亡くなりました😢
もちろん、私も間に合わなかったんですが、父も誰にも心配かけたくないとの思いで、亡くなる時間を選んで旅立って行ったのかな?😣
16年前になりますが母を家で看取りました。当時はまだ現在ほど癌末期の患者が最後を家で迎えるってあまりなかったように感じましたがケアマネさんや訪問看護スタッフの方々や家に来てくださったドクターに本当にお世話になり母も私達家族も後悔する事なくその日と向き合えたと思っています。当時私はインドに住んでいて、一才になったばかりの長男と母と最後の3ヶ月を一緒に過ごす事が出来ました。滞在が長くなってきたので夫がインドから次の赴任先に移動する前に合わせて日本に来てくれました。母は私の夫が日本に着く日の早朝に亡くなりました。母は私が淋しくないように夫が来る日を待ってくれていたと今でも信じています。口から何も食べなくなって2週間も行きたので母も最後の力を振り絞って居たのかもしれないと思ってます。訪問で週一回とかでお願いしていたお風呂も、亡くなる週の始めに入った日にもうお風呂はいらないよって自分で決めてました。その日が近い事も感じていたと思います。亡くなる3日前にはこれが最後だなと思って色々話しました。孫の20歳になった姿が見たいと言っていたのに見れなくなってごめんねとも言ってくれました。今年で長男は17才になりました。亡くなる前の日には姉と甥っ子も来てみんなで母を囲んで夕食をとりました。母は幸せに旅立つ事ができたと思っています。
そして父が肺癌を患い、治療をやめて緩和ケアのある地元の病院へ移り自宅で暮らす準備をしています。現在私はオランダで暮らしてますので諸々の準備や手続きは姉がやってます。父にも後悔のない最後を迎えさせてあげられると良いなと思ってます。子供達の学校もあるので夏休みまでは日本に行けませんが父はきっと元気で待っていてくれると信じています。
私81才の女性です。
今でも学習塾で塾長として、何人かの講師に手助けをしてもらいながら、毎日生徒の大切な希望の満ちている将来に向けて頑張っています。
私は、数学を教えるのが好きで、今でも小学、中学、高校と数学を教えています。
現在、気持ちの中では、いつまで出来るかと、恐れに似たものが頭を持ち上げて来ます。
でもその日が来るまでは、明るく前向きに進みたいと願いながら進んでいます。
その時が来ましたら、先生みたいな方に暖かく見守られながら旅立ちたいです。
お力を下さい🍀
父は先週亡くなりました。
誰も居ない個室で誰に看取られる事も無くたった1人で逝ってしまいました。数時間前に長女の私は個室に居る父に会いに行きましたが昏睡さ状態でやっと呼吸をしている様子でした。コロナで15分しか面会できずにこんな父の状態で看取り時期って一体いつですか?と看護師に聞いたら血圧がゼロになった時ですと答えまして、、この看護師は馬鹿ではないか?と思いながら一旦実家に帰り、暫くしてこの看護師から電話がありました。すみません、、呼吸が続いていたので見落としました、、心臓が止まっていました、、と。有り得ない看護だと思います。
父は亡くなった後も1人ベッドに寝かされたままでした。最悪な家族への対応に今でも不信感があります。
先生…有り難うございます
母の主治医の先生がして下さった事を今 実感しました。
私が病院に駆けつけた時に(母はたぶん亡くなっていたと思いますが)先生は私の見ている前で蘇生術して下さり そして死亡確認の時刻をおっしゃいました。
けれど家に帰った母の口から何故かぬぐっても滲み出て来る血を(あんなに穏やかな顔なのにどうしてだろう)不思議に思っていました。
あ~これなんだな・・・きっと一人取り残される私のショックが少ないようにして下さったんだな・・・
勝手な思い込みかも知れませんが主治医の先生やスタッフの皆さんに心から感謝致します。
ありがとうございました🙇
緩和ケアの看護婦さんは(病院の看護婦さんも含む)本当に素晴らしい人間だと
思います。お手洗いを取ったり、汚い事もしなければなりません。自分の
親でもそういう事は大変だと思います。家族でも誰かを看護するのは精神と
肉体が疲れてしまいます。そんな中で母と緩和センターに入院していた時
母がたわいもない事を看護婦さんに話ししても看護婦さんはにこやかに
いつも「○○さんお話してくれて有難うございます」と言います。どの看護婦さんが
来てもいつも病人をたてて、病人の話を真剣に聞き相づちをうってくれて
最後に「お話してくれて有難う」とねぎらってくれました。母はそう言って聞いて
くれるのでとても気分がよかったと思います。付き添いの私が母の看病をしていると
いつも私がやりますから言って下さいねと言われます。付き添いにまで気を
使ってくれました。本当に緩和センターの看護婦さんのおかげで最後を気分良く
母と過す事が出来ました。
こんな先生に看取って欲しいですね。
心からそう思います。
いつも豊かなメッセージを本当にありがとうございます。私はパストラルケア(スピリチュアルケア)の仕事で病院に勤務しています。元気になって退院される患者さんもいれば、再発で入退院を繰り返す患者さん、ターミナルの患者さんもおられます。患者さんに共鳴をもって心の声、魂の叫びを聴かせていただくこと、静けさをもって共にいさせていただくことを願い、患者さんからいのちの学びを頂く日々です。コロナ禍が続く年月で、面会制限でご家族や親しい方々と大切な時間を持てないまま旅立たれる患者さん方を目の当たりにして、さまざまに思うことがあります。そんな中、先生の体験に基づくお話には学びと癒しがあり、心より感謝しています。先生のもとで最期を迎える患者さんだけでなく、きっと一緒に働かれているスタッフの方々も先生から力を頂いているだろうなあ、と思います。
3年ぶりの行動制限のないお盆になりますね。私は家族の多忙なため自粛しています。最近気管支炎になり、プレドニン飲んでいました。医大に行く事もいわれています。高齢医師、入院を選ばず三日間に一回みて、プレドニンの調整していました私は、安心しながら、自粛しながら、落ち着いています。最近生協に入り少し、食事をよくし、一番長く過ごすベッドサイドをミッフィーで飾りました。ラジオは寝れないときいいですね。予定として、回転ずし早くいって早く帰るで、行く予定があります。案外ゆったり過ごしています。🍆とキュウリをおばあちゃんの写真におき、水、食べ物備えています。先生もゆっくり出来ますように
先生、いつも有難うございます。
私の父は、98歳で旅立ちました。今日が危ないという日から1ヶ月半昏睡状態でした。でも目覚める時も有り、夜中に父と話していると、みんなが心配して見舞いに来てくれていると言ってます。私に見えないのか? っと言いました。
亡くなる十日前位に私は不思議な夢を見ました。
父と海へ行っていて、父が崖から飛び降りたのです。
私は、「 お父さん、そんなところを飛び降りたら、戻れないよ。」見たら父は、子供を守っていました。
そんな夢を見て、十日後位に息をひきとりました。
その頃私は、お産を控えている娘が居たり、もう1人家の孫も見ていました。
孫を連れて病院へ行ってました。父は、私が忙しい事を良く理解していました。
あの夢は本当に不思議な正夢でした。
私は一人っ子で、父にとても可愛がってもらいました。今は御盆ですが、両親は帰って来てるかなぁ?と思っています。父の好きだった、ビールを御供えしました。有難うございました。
私の主人も死を自ら選びました。
亡くなるその日の朝、私の夢に現れ強烈な光と三途の川の方に歩いて行く主人の後ろ姿、私が呼んでも一度も振り向くことなくて、そこで目覚めた私は今日、旅立つ事を確信して息子夫婦、娘夫婦を呼び寄せて、到着して三時間、主人の大好きな家族だけの時間を過ごして、最期は私が主人に、ありがとうね、もう我慢しなくていいよ。もう、逝ってもいいよ。って言い終えた瞬間、息をしなくなりました。享年54歳肺がんでしたが、最期の瞬間まで家族の為に生き抜いた主人でした。
初めまして。
最近、チャンネル登録をして拝見しています。働かなければならない50代女性です。
軟部腫瘍で、2020.1にオペをして、950日が過ぎました。
画像上、再発・転移は有りません。
戸籍上家族はありますが、人には言い難い事情も有り、家族に迷惑をかけない様に逝く事が唯一の希望です。
今回は本当に希望の持てるお話でした。
ありがとうございました。
生き物がいつか必ず死ぬなら最後の願いを叶えて頂けるなんて幸せな死だなと感じました。最後の願いが自分向けではなく大切な人を守る事 そんな自分になれてる様にキチンと生きたいです。素晴らしいお話をありがとうございました!
先生、スタッフの方の対応は素晴らしいと思います。患者さん、ご家族のかたに対しての配慮が整ったケアだと感じました。訪問看護師として、私自身として温かく寄り添うケアを勉強していきます。ありがとうございます🙇♀️
私
先生のそばにいたい
ありがとう先生
私もです
@@グリーンベル
わかります
お辛いのですね
私も毎日泣いているし
意地になっています
貴方様もお辛いのですね
頑張らないで
どうか
私みたく
意地になるくらい
強く生きてください
理由は分かりかねますが
負けないで!
今は辛くは有りませんが、死ぬときは先生に看取って欲しいと願っています
K子さん、辛そうで大変ですね、心の問題も有るでしょうし、お体の事も有るのかも知れませんね、信頼できる医師・看護師の元で、穏やかに過ごせる事を祈っています
@@グリーンベル
ありがとうございます
力になりました
負けません
感謝しかありません
ありがとう
本当にありがとうございます
涙
@@K子-s4f 私も先生に抱きしめらながら、死にたい
最高の緩和治療は愛情のこめられた力強いハグ❤
先生丶今日は私は台灣の主婦、夫は日本人です
10か月前夫がかん見つけました、ステージ4言われました
最初手數積もりで抗がん劑5回治療しました、
がんが小さい成った、手數も大丈夫ですよ、言われました
だけど、手數後又色々治療と後遣症残るかもしれない、最悪脳出血と⋯⋯等
夫が今年78才自分も手數後の事考えると家族迷惑かも知れない
手數断りました、主治醫が怒って、手數しか治療も出来ません、言われました
私は凄く気が小さい、これから夫の事考えると不安でしょわない、
先生の話聞くと涙が出て止まらない、本当に優しい先生です
先生忙しい中に何がアドバイス教えてください
先生忙しいから、どうか体を気をつけください
先生、いつも貴重な体験話ありがとうございます。
私も以前、好きな作家さんの本を読んでいて、人は死ぬ時は自分で選んで死んで行くのかなと思っていました。本当にそう思います😢
いくつになっても抱きしめてもらうことの安心感は変わらないから先生のハグは大きなことだったでしょう
私の父はステージ4から5年目で、つい昨日、いよいよあとひと月の命だと余命宣告を受けました。
そんな時に、このチャンネルを見つけました。
きっと父は自分の余命は察していると思います。
コロナ禍で誰とも面会が出来ず、家族である私達が看取れないのは、本当に悲しいです。
父はどんな思いでいるかな…寂しがってないかな…死を目前に感じて不安で押しつぶされそうな思いをしていないかな…。
父が自分で選んだ死期なら致し方ないのですが、それでも私達は最後の瞬間まで父のそばで声を掛けてあげて看取りたいです。
それが出来ない今のコロナ禍……
悲しいです。
彼女が余命数日です。コロナで面会ができない状態でしたが、3週間ほど前から医療介護付き施設に入り、毎日会えるようになりました。そこは癌患者だけが入っているホスピス的な施設です。点滴も辞めて飲まず食わずで4日経ちましたが、先生の動画を見なかったら点滴を辞めるなんて考えられなかったと思います。悲しいですが、最後のひと時を一緒にいられるだけで幸せを感じています。是非とも退院も視野に入れて見てください。
@@kenlosangeles とてもお辛い中、返信ありがとうございます。
こちらは、ドが付くほどの田舎で、周辺にホスピスがないのです。
可能であれば自宅で…とも模索しましたが、往診に来れる先生すらいない状況です。
この状況になり、さらに一日を早く感じます。魂は永遠と言います。暫しのお別れ。それでも願わくば、1分1秒でも長く、彼女さんが大好きなあなたのそばで心穏やかに過ごされますよう心からお祈りしております。
私も父の最期に間に合わず、看取ることもできなかったのですが、それでも4時間後に亡くなった父を見た途端、パニック障害の発作が起きてしまった私に母が、こう言いました
「亡くなる瞬間を見たらもっと、あんたがパニックするかと思ってあえて、呼ばなかった」と。
複雑な思いでしたけど、今なら父の苦しみながらの最期は見なくて良かったのかな?と、この動画を見たらそう思いました。
ありがとうございます
つい最近
彼が末期ガンで亡くなりました。看取りをしたけど辛かった
彼もかなり苦しそうに息をして痰が絡む咳をし吸引を何度もしても取り切れなくて喉から血が出ていて見れなかった最後は穏やかに息を引き取りました
最期まで寄り添ってあげたのですね。愛する人を、なくして、おつらいのに、コメントありがとうございます。わたしは、さいご、愛する人に、寄り添ってもらいたいです。
先生、素晴らしいお仕事ですね
私は5年前に父を約6ヶ月看護し、自宅で看取りました。今日のお話で峯岸さんを力強く抱いてあげたと言う話。私はこれこそ人が望む死に方だと思いました。少なくとも私にはそれが最高だと。
この42歳の峯岸さんも1人で死ぬのは怖いとおっしゃったそうですが、父がもう長くはないだろうと感じた時、それは死ぬ4ヶ月位前でしたが、お坊さんでも神父さんでも、神社の神主さんでも、学者でも医者でも何でもいい、父に死を恐れなくて良いと言うことを誰か説明してほしい。と、切実に思いました。でもそれはできませんでした。私と母は常に父のそばにいて、父を見守り続けることができました。最後は、かれるように衰えていったけど、孫の声を電話で聞かせ、私と母がそばで常に声をかけて最後の一瞬を迎えました。家族としてできる事は、やったと言う気がしました。
でももしもこれが峯岸さんのように壮絶な状態であれば、そばにいた医療者が、血みどろの患者をいとわず、強く抱きしめてくれれば、私はもし峯岸さんの端であればどんなに感謝するでしょう。
人が神にすがるのは、抱きかかえてほしいからだと思う。そういう意味でこうした献身の姿は本当に人間として至高のものであると思いました。
膵臓がんだった夫を先日亡くしましたが状況を思い出すと本人が死ぬタイミングを選んだとしか思えない去り方でした。不思議ですね。いつも先生のビデオで勉強、心の準備をしていたので悔い無く夫を見送ることができたと感じています。本当にありがとうございました。
私の父は優しくて面白い人でした。父が安らかな最期を迎えられるようにお見舞いしたいと思います。
こんな先生がいるなら、自分の最後も看取ってほしい。家族でなくても誰かに抱きしめられながらあの世に行けるのと、そうでないのとでは穏やかさがまったく違うと思います。
年初にがんになった母を看取りました。
最後の退院からホスピスへ入所し、旅立ちの日まではずっと冬晴れのいい天気でした。
そして亡くなった翌日は雪で、私は天気予報を見ながらどうやってホスピスに行こうとやきもきしていました。
雪でホスピスに行けなかったら私が後悔するだろうと思ってこの日を選んだのかなと、先生のお話しを聞いて思いました。
いいお話です。泣けてきます。
私の父は、末期癌で、一時帰宅したときに逝きました。家が好きだったので、自分で決めていた気がしました。
こうゆう先生ばかりでは無いのが現実ですが、素晴らしい先生が居る事も事実‼︎私は、左房粘液種とゆう珍しい病気を2度体験し、脳梗塞になり、色んな先生を見て来た者の1人として、どんな先生に出会えるかは、運❗️だと思います。
お忙しい中TH-camをなされて、ご自身の使命を果たされて居るお姿に感動しました。
入院中の父が動脈瘤破裂で、他界しました。
吐血したと連絡が有り、病院に向かいました。
パジャマに血痕が有りましたが、気になる程汚れてはいませんでした。
病院の方々が綺麗にしてくれていたんですね。気付きませんでした。
今更ですが、感謝の気持ちが湧いてきました。
ありがとうございました。
先生はどうやって慈悲深く、それでいてプロフェッショナルでいられるんですか?日本ではお医者さんは冷たい雰囲気の方多いですけど、人の命に関わる仕事だからこそ、常に共感して慈悲深くあろうとすれば、身が持たないというか、辛い経験もたくさんされることと思います。患者さんの壮絶な死を先生はどう受け止め、その次の日からどんなふうに気持ちを切り替え、先生ご自身の人生を明るく生きていらっしゃるのですか?
訪問看護をしてます。私も何度も経験しております、ご家族でお看取りされていて、一瞬ウトウトとされた時に息を引き取られた方もいらっしゃいます。私の父も祖父もそうでした。そうでした。
先生の動画を見て、家族と向き合う事が出来ました。親はかけがえのない存在でしたが、家族として何が出来るか、生きることや、どう接していくことが良いのか考えました。旅立ちました。
間接的に医療に携わっているものです。 今回の動画 仕事場で感じながら 向き合ってみたいと思います、ありがとうございました😊
初めてお便りさせて頂きます。
癌ではないのですが、今年2月、88歳の父をパーキンソン病で亡くしました。
母を中心に訪問看護師さんやヘルパーさんのお力を借りて、自宅で看ていましたが、いよいよ限界を感じ、特老ホームの入居手続きを済ませた頃を境に食事が摂れなくなりました。
日に日に弱って行く父をこのまま入居させていいのか悩んでいると、出勤途中に一羽の鳶が急降下してきて、「○○さん(父の名前)の人生を、何故あなたが決めようとするのですか?○○さんは自分の最期は自分で決めますよ。あなた方は寄り添ってあげればいいのです。」と言いました。いえ、実際には何も言っていませんが、頭の中ではっきり聞こえました。その日の夕方、主治医から電話があり、あと2・3日の命だから、家でゆっくり看取ってあげて下さい。点滴も外していいですか?と聞かれました。私はトッシュ先生の動画を観ていたので、点滴を外してもらい、コロナ禍ではありましたが、県外の孫や兄弟・親戚を呼び寄せ、精一杯看病しようと決めました。
父のベッドの周りはいつも賑やかで、時々父も話したりして、本当に亡くなるのか、何も食べさせなくていいのか、半信半疑でしたが、3日目の夕方、孫の誕生日を祝っている最中、突然熱発し、呼吸が深くなり、皆に代わるがわる手を握られ声をかけられる中、静かに息を引き取りました。
奇しくもその日は特養ホームの入居予定日でした。また、連休最終日で明日からは仕事に戻る予定の者もいて、まさに、父が自分で死ぬ時を選んだのだなと思いました。清拭をして下さる看護師さんや主治医も○○さんらしいね。お家で皆んなが見護る中で逝きたかったんだね。と言って下さり、私たちは何も思い残す事なくお別れすることができました。
しばらく先生の動画は観ていなかったのですが、TH-camがお知らせしてくれたのがこの動画だったので、思わず長々と書いてしまいました。
申し訳ありません。私は先生の動画を観ていたからこそ、あのように父の最期に寄り添えたのだと、感謝しております。ありがとうございました。
ありがとうございます
在り来りな言葉だけど⋯感動しました😭
先日、父を亡くしました。発見された時にはもう手遅れの胃がん、肝臓転移で、入院から僅か1週間で逝ってしまいました。
父の入院前に何か出来ることはないかといろいろ調べていた時に、先生のTH-camが偶然表示されて、末期の患者がどんな経過を辿るのかを知りました。
父を失う恐怖、悲しみからは逃れられませんでしたが、残りの時間が想像以上に僅かなのだということを教えていただいたことで、覚悟はできていたように思います。
最期の夜、コロナで面会が限られる中、たった10分だけ会うことが出来ましたが、せん妄が酷く、足をさすることしか出来ませんでした。それでも会えただけ良かったです。
そして夜中に急変し、大急ぎで駆けつけましたが、病室に入った時、看護師に、「たった今、逝かれました」と伝えられました。あと5分早ければ、と自分を責めましたが、この動画を見て、きっと父は、家族と最後の面会をし、その夜に自分で逝ったのだと思うことができました。先生、ありがとうございました。
深くは言いませんが、
ありがとうございます。
涙が止まりません。
看取りは辛いだろうなぁ…頑張ってください。