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動画中で触れた独立歩兵第十三連隊とヒデじい生還の可能性について、こちらのリンク上で濃密な情報のやりとりをしていただいています。合わせてご覧下さい。x.com/dai59_sidann/status/1828287464131510759
敗戦の日だったので何気なく、動画を見ましたが、モブとして見流していたヒデじいが独立十三連隊の生き残りとの考察非常に興味深くあります。ちびまる子ちゃんは多少の脚色はあるものの、登場人物は現実にいた人をモデルにしているそうなので、おそらく、本当に生き残りの話を聞くことが出来たんでしょうね。しかし、こんなに少ない情報からたどり着くなんて、流石ですね~
今回も大変興味深い動画をありがとうございます。私はさくらももこ先生より少し歳下で、父方の伯父が南方に出征して亡くなっており、戦死した伯父と双子だったもう1人の伯父から戦争の話しを聞いたものでした。生き残った伯父は内地にいて生き延び、私が小学生の頃はまだ働いていたので、ヒデじいと同世代かやや若かったくらいでしょう。私の父よりはだいぶ歳上だったので、私にとっては祖父のような存在でした。酔っ払うと私をかまう、ちょっと煙たい伯父でしたが、私が他愛なく「戦争はどうして起きるの」と聞いたとき、真剣に子供でもわかるように、 言葉を選んで説明してくれたのを覚えています。今回の動画で久しぶりに伯父のことを思い出しました。ありがとうございました。
ヒデじいの戦歴を見て、私の曽祖父の戦歴によく似ているなと感じました。私の曽祖父は昭和19年に三度目の招集ですでに原隊にあたる連隊はニューギニア戦線に出征してたので独立混成旅団隷下の独立歩兵大隊でした。ヒデじいもそういった部隊だったのかもしれません。ボルネオ島でマラリアにかかり、部隊から落伍した後3日後になぜか復活し、部隊を追いかけたが現地住民に捕まり、手りゅう弾による自決も失敗し捕虜になったそうです。大隊980名中、生存者9名、古郷では葬式がすでに終わってたそうです。凄まじい苦労と強運があったのだと思います。
大変興味深く拝聴いたしました。聞きながらなんとなく場所の想像はつきましたが、まさかそんな壮絶な場所とは。。。と絶句しました。(ヒデじい含めて)改めて先の大戦で亡くなられた方へ合掌したいと思います。
創作物からその人の従軍歴を調べるシリーズ大変面白いです。また、続けてほしいですしその時に鍵となるワードを見つけて掘り下げていくスタイルも飽きさせない感じで為になります。作者も適当ではなくて過去の思い出やらを忘れずにアニメに落とし込んでいるのだなあと実感しました。今日は終戦記念日ですが何かしら終戦記念日の題材をしてくたらと思います。
私も取り組んでいて面白いのですが、なかなか知名度とエピソードの量がマッチするキャラクターがいないのが泣き所です。ぜひ候補があったら教えて下さい。
ヒデ爺りっぱだったんだね、あたしゃ感心したよ。
一兵卒の戦歴を少ない情報から見事に考察された戦史家として面目躍如の動画だったと思います🙇
ありがとうございます。映像の手掛かりが多くて助けられました。
私もヒデじいが、どこの部隊かと言う検証のした雑誌の記事を読んで感心した記憶があります。その時も、独立歩兵第十三連隊じゃないかという結論でした。その雑誌は、おそらくウォーゲーム雑誌の「TACTICS」か『シミュレイター」のどちらかではないかと思います。遠い記憶で自信はありませんが・・・
地雷を有効活用したことで知られるのでエピソードとは一致しますね。
70〜80年代くらいは従軍していた人々が現役でしたでしょうから、周りに大変な苦労をされた方が多かったのでしょうね。素晴らしい考察ありがとうございました。
中島飛行機勤務の祖母から連山の話を聞いたりと、子供時代に戻って聞き直したいことは山ほどあります。
.大変面白いお話でした。実際にひでじいのような方が身近にいたのかもしれませんね
この動画の内容の意味付けや評価や感想や感傷はとりあえず一旦置いといて…過去の出来事をくまなく記録する、という事の重要さがひしひしと、いや分厚く厳然と伝わってきました。歴史や記録を軽んじるという事はそれすなわち人間あるいは先人そのものを軽んじる事に他ならない。先人の追体験は不可能ですし体験を“理解する“のもおこがましい・勘違い・思い上がりも甚だしいとも思いますが、忘却やあるいは消えるに任せて気に留めもしない態度は過去と未来への誠実さや進歩への欠如、また先人への敬意と彼らからの学びの姿勢の欠如として許されぬ行為のような気がします。先人の体験や語りを丸っと一絡げに軽んじて鼻で笑うような態度は良くないな、と思わざるを得ない。この動画アップに感謝します。
アルムおんじやヒデじいの他、創作の世界だと何気に従軍歴ある人多いので、そうしたキャラの「軍歴」を考察する企画は面白いと思いました
リアルタイムで妹が購入していたリボン誌でヒデ爺回読んだ記憶があります。ジャングルの生い茂る場所が舞台や地雷で連合軍兵士が爆散するシーンとサブマシンガンを乱射するシーン、すでに武器を持ってないことは記憶してましたが、昭和18年37歳応召とか、本土空襲と同じ時期に戦闘しているのは覚えてませんでした。正直想像以上のトンデモナイところから帰ってきたひとだったとは!私は静岡聯隊で島嶼戦ということで飢島戦線と予想してましたが、外れましたが納得の結論でした!37歳で応召されたのは、漫画で花輪家の車を運転している場面があったのでおそらく運転能力を見込まれて召集がかかってしまったのでは?とおもいます。役場の兵事課は運転技能のある予備役兵から赤紙を送ってたなんて話を聞いたことが。 私の親戚にも虎兵団で比島の大激戦を生き抜いた方がいましたが、お盆に訪ねてきて、テレビで戦争特集をやっていると苛烈な体験談を鼻で笑い飛ばし、戦争映画にダメだしして、どぎつい戦闘体験談をさらりと語っていましたw戦闘機の機銃掃射は「戦闘機の機関銃は弾が交差するようになってるんだから、腹に潜り込むつもりで戦闘機に向かって突っ込めばあたるわけがない。追われるように逃げるなんてなんて馬鹿な奴だ」とか「重砲の砲撃も「あんなもん簡単に逃げれるわ!試射なんて当たらんし、試射のうちに隠れるところなんて簡単に見つかる。何にが怖いものか!」という反面「迫は一発目がどこに落ちるか読めないから怖い。一発おちれば大したことない。後は隠れればいい」とか「艦砲は弾が早いから一発目がどこに落ちるか分からんし、隠れてもしつこいし威力も大きいから怖い」といってたのを覚えてます。
楽しんでいただけて嬉しい限りです。そして何気にものすごい証言だと思います。
実際にさくらももこさんの近くにいた実在の人物をモデルにしたのかもしれませんね。
本当に貴重なお話をありがとうございました😢先人に感謝です
狂信的な国粋主義者ならまだしもヒデじいも平岡くんも台詞の内容から予想するに普通の人だと思います。普通の人は戦争なんて嫌だし、死にたくないし、家に帰りたいですよ。
「親父さん、レイテじゃ夜もセミが鳴くのかね?」「しっかりしろ!それはお前の耳鳴りだ」って😢幸い、父は、本土決戦で呼び戻されて内地で終戦😓二人の叔父は上海とセブ島で終戦でした。歴史を掘り起こして頂けるのはありがたい🙇🙏
故人を偲ぶきっかけとなり、光栄です。
8/15敗戦の日にありがとうございます。あの戦争が何であったかしるために、どのような知識や分析が必要であるのか?学ばせていただきました。
そんな壮絶な経験をした人があんな穏やかな老人になってるの深いな…
一昨年亡くなった近所のじいちゃんが十榴の部隊にいたけど多号作戦で着の身着のまま上陸した方で「ずっと山の中逃げ回ってた」って話してました。
それはぜひ詳しいお話をうかがいたかったです。
世田谷に居を構えていた祖父は陸軍将校だったと母から聞きました。母の話によれば、毎朝必ず部下が馬を引いて家に来て、祖父は馬上の人となって三宿?の駐屯地へ向かう、というのが日常の光景だったらしいです。また、その祖父の兄弟?のどなたかは10代で赤とんぼで特攻、帰らぬ人となったという母の話も記憶に残っています。最近、自分が自身のルーツに無関心で生きられなくなっているように思います。半分はすでに手遅れかもしれません、ですができる事をなんとかやっていこうと思います。宮永さんの言動は、何ででしょうね、心に沁みる
ひでじいが元気に遊ぶ子供達をどんな気持ちで見てたのかな?とか考えたら涙が出てきました。
そういう感情は必ずありますよね。
1943年(昭和18年)で37歳で逆算すると1906年(明治39年)生まれですね。日中戦争の頃には31歳ともしかしたら2度召集されてるかもしれませんね。
もしそうなら、その際の勤務優秀で、前線に送られてしまったとかですね。
赤紙がきている描写があるので、軍に再招集されたのは間違いないですね
とてもおもしろかったです。ヒデ爺すごい人だったんですね。
ちびまる子ちゃんのあの場面はコミックで読みましたが、妙に記憶に残っています。ヒデじいのあの物腰から戦争が語られたギャップが印象的でした。そしてたったあれだけの情報だけからここまで推測できてしまうのはすさまじい分析力ですね。
8月15日は終戦の日と共にもう1つ、原作者さくらももこさんの命日でもある。(2018年8月15日 享年53歳)
さくらももこ氏の命日までは知りませんでしたが、少しでも話題になって良かったです。
とても面白かったです!さくらももこさんも幼い頃に学校か近所でレイテ戦いの生き残りの話を聞いたのかもしれません。ヒデじいにそんな過去があるとは、、、そう考えるとちびまるこのアニメをみる目線が変わりますね。
8月15日に日本軍のお話とは感慨深いです。ヒデ爺という切り口は意外でした。それをここまで緻密に推察するとは流石ですな。
ありがとうございます😊
相変わらず良い動画戦争の生き残りも少なくなっちまったからなぁ
確かフジのFNS27時間テレビの時にアニメで観て強く印象に残ってる。ヒデじいは1906年頃の生まれというのは初めて知ったけど鬼滅の刃の産屋敷輝利哉と大体同世代なんか。
登場するアメリカ兵?の元ネタは戦争テレビドラマ「コンバット」のサンダース軍曹なのかもと。迷彩カバー付けたヘルメットとトンプソンマシンガンはサンダース軍曹そのもの。さくらももこ先生がリアルで視聴していたとは思えないですが、知っていた可能性はあるかも。
37歳で召集なら、独歩の可能性は高そうです。昭和3年徴集だとすれば時代的に一等兵としての召集でしょうから、戦闘以前の生活自体にも並々ならぬ苦労があった事が推察されます。大岡昇平のレイテ戦記は、相当博学な読書家である友人もリタイヤしていました。確か著者本人が、誰に読んで貰おうとかは考えていない。生きて帰って来た自分が書かなければいけないとの使命感で書いたと、どこかで語っていた記憶があります。このシリーズ、楽しみにしておりますので出来れば続けて頂けたらと思います。
ラジオ感覚で最近聞いております。面白かったです!
まさに狙い通り。これからもよろしくお願いします🙇♂️
今の菊池こころさんボイスのまる子にて、リメイクすべき神アニメエピソードであるとおもいます。子ども達にも見せるべき。
独歩13連隊は部隊史の中でも生存者はいなかったとされていますね。先日、26師団隷下の独歩11連隊の証言を見つけましたが、連隊の生き残りは5名だったと記述されていました。いずれにせよ相当低い生還率ですね。
補足いただきありがとうございます。そもそも戦地に着く前の輸送から命懸けというのがこの時期の南方の怖さですね。
ちびまる子ちゃんという戦争とは無関係の作品からここまで事細かく考察出来るのは凄いですね。聞いていてとても面白かったです。ヒデじいって作中だとノホホンとした物腰の柔らかい人物でしたがこうして見るとかつては冷静沈着な歴戦の兵士だったのかと思いました。😊
37才で応召はすごいですね...大岡氏も35で応召されてます苦労はちょっと想像を絶します....
かなり昔、20年程前かな。終戦記念だったと思いますがTVのちびまる子実写版でこのストーリーをやっていました。最後しか見ていないので、「ヒデじい」ではなく、トモゾウと思っていました。戦死した米兵の前で敬礼していましたね。男優がイケメンだったので、トモゾウも若い時はイケメンだったんだと感心していました。「ヒデじい」ならなるほどですね。
今のおじいちゃんおばあちゃん世代が団塊の世代で戦争直後ぐらいに生まれた世代。この人たちの小さい頃はまだ戦争体験者がそこかしこに居た時代ですね。現役親世代や今子供の孫世代は従軍経験の話は「異世界の話」と同じぐらい遠いものになりました。そういう要素が日常エンタメの中にスッと入っていた時代があるのだなぁとドリフターズの軍人コントを見た時(あれがお笑いとして成立していた、見ている方も楽しんでいた)と同じような気持ちになります。今では軍人、一個人を模したコントやお笑い、舞台設定、エンタメは共感が無さ過ぎてお笑いとしては難しいな(良い事かな)と思います。
実家がまさにちびまるこちゃん(作者さん)の住む場所の近くだったという友人が大学時代にいましたが、漫画の中に登場する店の並びやいろいろなスポットの位置関係などかなり忠実みたいです。なので、さくらももこさんの近所か知り合いにヒデジイの経歴のモデルになった方がいらっしゃたのかもしれませんね。
旅行の清水を訪問した際も、「ここがちびまる子ちゃんの故郷かぁ……」というのが先に来る当たり、地元という枠組みでは本当に凄い作品だと思います。
さくらももこ氏と同じく静岡県民ですが、亡くなった祖母から戦争の話はよく聞かされていました。落ちて来たB29の残骸を探したり、農家をしていた祖母の家に市街地爆撃から逃げて来た人達が来たが追い返したそうです。祖母の親戚の方は小笠原で戦ったっと言っていました。本編とは関係のない話ですみません
いえいえ、ご家族のS年相場なしを思い出すきっかけとなり、嬉しい限りです。
うちの爺ちゃんも 清水の出ですけど、中国・杭州に行っていたので、現地招集? でした、 でも騎乗将校の写真があったので、予備役からかもしれない、 その後は家族と戦火で焼けた静岡市に引き揚げて来ました・・・
ヒデじいの所属部隊の件コマンドマガジン(国際通信社)の記事ではないでしょうか?具体的な掲載号は忘れましたが、付録ゲームが太平洋戦争の地上戦の号だったかと思います
YSGAの会誌化、それを転載したコマンドマガジンの記事か、どうやらどちらかを読んだものということで間違いないと思います。ご指摘いただきありがとうございました。
すごい企画だ。
登場人物にも歴史あり。ヒデじいは立派に血の通ったキャラクターだったんですね〜ウチの死んだ爺さんは上官に、戦地に行く!と挙手をしたそうですが、意に反して川崎の旋盤工場に回されたそうです。まぁ、そのおかげで今の私が存在するわけですが…ww 近代日本の鎮台から師団編成のお話も面白そうですね。
原作、アニメ両方観たけど、ずっとフィリピン辺りだと思ってた。当時中学生くらいで原隊とかそこまでの知識は無かったけど、空襲があった末期で敵がウヨウヨしてる中動き回ってるいう事はフィリピン辺りしか思い浮かばなかった訳だけど。
レイテはキツい。第一師団神子曹長の戦記は何度も読んだ。鬼滅の刃の主人公が子供を産んでいたら大正7年くらいの出生で現役で関特演に参加させられるような年頃。頭号師団なら18年の赤紙でレイテのお勤めになった
1995年のちびまる子ちゃんは、片渕須直監督が絵コンテ・演出で参加しているので、もしやと思いましたが この話は担当してませんでしたね。
片渕マジか。。知らなんだわ
それはまったく知りませんでした。でもアドバイスはしていたかもですね。
ヒデじいは進学率が低かったあの時代に大卒だそうで、生還した22人の兵士ではなく唯一の将校の可能性・・・と思ったけど、平岡君のヒデじいの呼び方が「(苗字・階級)殿」ではなく「ヒデさん」なので、二人は同じ階級かあ・・・。昔の『丸』に載ってた回想で、大卒なのに二等兵やってる者を「変わり者」と書いてるのを読んだことがあるので、年齢的要素は分からないけど、やはり変わり者というか珍しい存在だったかもしれませんね。
20歳の徴兵検査で大学生だと現役徴収でなく補充兵役となったのかな。37歳の召集ではそれまで将校としての教育受けてないから二等兵スタートなのかも。
レイテ戦記、俘虜記を書いた作家の大岡昇平も京大卒のエリートだけど末期の根こそぎ動員のため一兵卒スタート。こういうのは末期ではわりとよくある事だったみたい。一応学卒者を将校にする前提の予備士官みたいなコースもあったけどいろいろ条件あるしひでじいの年だとやる気、能力以前に年齢ではねられると思われる
丸山眞男は東京帝国大学の助教授だったのに30過ぎで召集されて二等兵になっていたはずです。
今度はヒデじい!! これリアルタイムでアニメ視聴しました。 チビまる子ちゃんでもこういうテーマ取り上げるのかと当時軽くショックを受けた記憶があります。
私は見開きページを使った洪水シーンにショックを受けました。
37歳で赤紙ということは予備役だったのかな。編制・編成もだけど召集の仕組みもいつかは動画にしてほしいです。
赤紙の動員対象は予備役、後備役、補充兵役、国民兵役のいずれかで考えられるのは予備役、第一国民兵役又は第二国民兵役のいずれかの可能性は高いですね。
ちょっと気になっていた内容の詳説、ちびまる子ちゃんファン&ミリオタとして、ありがとうございます。
思いのほかしっかりとした過去が見えて、自分でも驚きました。
毎回楽しく拝見させていただいてます。自分は清水出身の者でちびまる子ちゃんはよく見てましたがヒデじいってそう言った過去があったんですね。全然知らなかったです。この動画見てから祖母の家に行く機会がありそこで軽く調べると自分のヒイお爺さんの息子さん?(藤枝市)は陸軍幹部候補生だかで応召され鈴鹿の高射砲部隊に所属していたそうです。戦病死されておりお話は聞けず詳しい履歴もあまり分からずでしたが(幹部候補生もよくわかりませんが😅)他に昭和12年の絵小説なんかも出てきたりしてその時代に思いを馳せる良い機会になりました。ありがとうございます。次回の動画も楽しみにしてます。
この動画が故人を偲ぶ機会になった事、嬉しく思います。これからもよろしくお願いいたします。
まさかチビマルコとはサザエさんの様に食事しながら適当に見るアニメだっからこんな設定があったとは思わなかった
正しく「大東亜戦争」と解説されていることに検証の緻密さを感じます😃
帰れなかったひでじいと同じ立場の人間が何十万もいたと考えると
見応えありました 有難うございます私も何となくですが徴兵で1945前後で南方の激戦ならフィリピンかなと思いました私の祖父の弟は職業軍人ですがフィリピンで戦死してます
この動画をきっかけに戦争で亡くなった家族を思い出していただけて嬉しい限りです。思い出すこと、忘れないことが最高の供養であると聞いたことがあります。
@@tadamasa_miyanaga有難うございます😊
あれ、大岡昇平の「野火」を参考にしてるでしょ。
「俘虜記」だったかもしれない。部隊からはぐれて原野をさまよってる時に敵兵を見つけた。小銃で狙いを定めたのに撃てなかったという話。高校の国語の教科書で読んだ。
次は魁!!男塾の、江田島平八の戦歴を、お願いします🙏。しかし、さくらももこさんも、リアリティがすごかったんですね…😅。
ちょっと調べましたが、こりゃ手に負えないです😅
昔は8月にこの会のアニメやってたなぁ
おお、そうなんですね。流石に今の子供には刺さりにくいのかもですね。
@@tadamasa_miyanaga あんな穏やかそうなジジイでも戦争しに行ったんやなと子供ながらに(中学生くらいでしたが)思いましたね。そのころは戦地に行った世代がたくさんいましたし、召集されたものの戦地には行きませんでしたが従軍経験のあるうちの祖父もその数年前まで存命でしたし、戦争が遠くない存在でしたからね。
素晴らしい検証動画でございました😮🎉確か~、横溝シリーズの名探偵である金田一さんは、確かニューギニア戦線から生き延びて復員した設定だったと記憶しています😊それより、後ろの本棚にある、大量の光人社NF文庫の戦記本がとても気になりました~😮
NF文庫は書庫で溢れかえっていて整理に困っています。
編制は管理単位とか戦闘単位とかあやふやですね
敵兵がトミーガンを持って、ヘルメットに迷彩カバーをしてとなると、米海兵隊のようなので、ほぼ太平洋戦線で間違いないと思うけど
マスオさんはインパール作戦の生き残りとか?
なぜ?😄
釣りバカ日誌の鈴さんはいつぞやの映画で浜崎ちゃんと山中で彷徨った時にインパール云々言ってたな。
長谷川町子のお姉さんの夫、義理の兄は確かインパールで亡くなっているのでマスオさんに投影されていた可能性はあるかも。
フィリピン戦線であってるかと思います。P-51が飛行してますが硫黄島・沖縄・が除外されるのでフィリピン駐留の第5空軍しかありませんただ、米兵のヘルメットに海兵隊特有のダックハンター迷彩カバーしてるのでそこが疑問です。海兵隊は航空隊意外フィリピン線に導入されてないので
装備品から部隊を見分ける発想まではなかったので、海兵隊の存在は謎が深まりますが、そこはファッションと見切るほかなさそうですね。補足いただきありがとうございました。
唐突ではあるんですが・・・応召地変更の話今は亡き祖母の兄(おんつぁ、と呼べと祖母指導アリ、大伯父)は郷里山形歩兵第32連隊にありまして、沖縄から復員してきました。ですが彼より4つか5つ年下の祖父の最初の応召の際、配属されたのは郷里の部隊ではなく旭川の歩兵第27連隊に配属になりました。コレは当時の祖父の写真が残っていたので、襟章の「27」を実際にみて確認しています。更にWikipedia(・・・)にも昭和13年より応召地を変更とありました。もし、応召地変更が行われる時はどういった理由から行われたのでしょうか?また同じような例は方方でしばしばあったものなのでしょうか?旧陸軍の組織について、正直自分は関心はあっても詳細について詳しくありませんが、出来れば知りたいなと思いまして質問した次第であります。
銭形警部とか磯野波平も戦争行ったんですかね?🫡
映像が欲しいですねぇ
波平はわからないですが、銭形警部は昔のアニメで昭和ヒトケタ産まれとか言われてたんで年齢的に内地だとは思うんですが終戦間際に召集されるにしても国外ではないかと。波平はwikiだと明治生まれらしいし、原作連載時で50代だから多分ヒデ爺よりも上のハズなんで行ってない気がします。
@@kazkumamon1261有難うございます。勉強になりました〜
原作漫画だどマスオさんも戦地帰りだったような 波平も徴兵はされてたんじゃ
サザエさんの漫画で波平が軍服着て38式歩兵銃(?)を抱えて行進している写真があったので、大東亜戦争(太平洋戦争)に参加しる可能性が高いと思います。
興味深く見ました。面白かったです。今回の動画にはあまり関係ないのですが、NFLグッズを複数お持ちの様子。以前の動画ではジョニー・マンジールのブラウンズのものを身につけておられたと思います。チームというよりは選手に注目されているのでしょうか?私はコルツとカレッジフットボールを追いかけております。アンソニーリチャードソンがちゃんとシーズンを過ごせるかと、ファルコンズのルーキーペニックス、ペイトリオッツのルーキーのジョーミルトンはカレッジのころから注目していましたので、出場機会が得られるか活躍できるか気にしてプレシーズンを見ております。もしフットボールや他のアメスポがお好きなのであれば、無礼を承知でお願いがあります。戦略、戦術の点について時間の使い方(タイムマネージメント)に着目した切り口のものを見てみたいのです。アメフトでの残り試合時間30秒以下でのニーダウンのシーンやバスケの残り数十秒で2ポゼッション以上リードしている側が緩くドリブルをついて、ディフェンス側も明らかにあきらめてゆるゆるの空気になるところとか、よく日本の文化には合わないと言われているところだと思います。将棋の早指し戦においても、いわゆる時間攻めは無礼だとか卑怯だとか言われますし、柔道についてもオリンピックの舞台でさえポイント勝ちは数段価値の低いものとされることが多いと思います。そんな時間無制限一本勝負が大好きな頭のままだとひどいことになるぞというのを戦史から紐解くようなものが見れたら大変嬉しいです。軽いところでは、戦前の日本(特に士官学校で)ではどのように将棋や剣道柔道をプレーしていたのか、その時に制限時間についてはどのようにかんがえられていたのか、対して米国の方はということであるとかより戦場に密着していることであれば、初めて末端の兵士ですら時計を持つことが当たり前になった戦争はいつからかそれはどのような戦訓をもとにそうなったのか などです。などと色々書きましたが毎回楽しく見させてもらっております。お身体に気をつけて、ご自分のペースで動画を作っていってください。
アメリカスポーツのタイムマネジメントは面白い題材ですね。正直、スポーツとしてのアメフトを語れるほどの知識や蓄積もないので、その方面ではお答えしにくいですが、アメフトという競技と軍隊の親和性の高さはいろいろとできそうです。私は2010年来のパッカーズ(とNFC北地区)のファンと公言していますが、基本、この競技は全般的に好きです。ただ、時々出てくるどうしようもないバストも大好物で、ドラフト前後からダメな方向で期待していたマンジール、期待通りダメだったことで安く放出されたマンジールグッズをちょぼちょぼ漁っていたという次第です。
ジョジョの奇妙な冒険第2部で改造人間のシュトロハイムがスターリングラードの戦いで戦死した原因について考察して欲しいです
うちの99双軽、屠龍乗りのじいさん(故人)昭和20年2月17日に浜松教導飛行師団に転属するため浜松基地に着陸したけどその日に浜松空襲にあって焼け出されて逃げたらしいです。浜松は何度も空襲に遭ってるみたいですね。漫画に描かれているb29も浜松を襲ったのかなと思いました。
故人を偲ばれる契機になったこと、喜ばしく感じています。浜松は戦艦の艦砲射撃も受けていましたね。
1945年でまだ南方の島で戦ってるという時点でフィリピンかな?と思いました。
時期的にはかなり絞れますね。
コマンドマガジンの第何号のはず。
すでにご指摘いただいてますが、YSGAの会報をコマンドマガジンが転載した記事だったようです。90号以前が実家で処分されてしまい確認しようがないのが残念です。
「磯野家の謎」がバズってから考察本界隈や2chスレが盛り上がったのでその辺りではないですかね
そういうネタ来るとは思わなかった
確か花輪君が自慢話した時に『ヒデ爺のセスナで…』ってあるのでひょっとしたら飛行兵だった可能性は?
それは凄い。戦争中の操縦者資格って戦後に有効なんでしょうかね。
@@tadamasa_miyanaga さんへ戦時中の、日本陸軍や日本海軍のパイロットが、戦後の自衛隊に入隊して、ジェット機のパイロットとして大空を飛び回ったケースは、結構沢山と有りますよ…有名どころでは、日本海軍の源田実大佐。戦時中は松山航空隊の司令官で、紫電や紫電改や彩雲の部隊を率いていた方ですよね。それから、日本陸軍の黒江少佐。戦時中は、隼や疾風で活躍した、エースパイロットです。B-29も、数機を撃墜しております。恐るべきは、5式複座戦闘機「キ-102」をテスト飛行中に、遭遇したB-29を撃墜している事です…👀❗
ひでじいの先輩は小野田少尉。
まぁぶっちゃけフィリピンあたりな気はする
先の大戦のことに触れる時おおよそ船の話か飛行機の話のしかも打ち上げ花火のような短くも派手な話ばかり見てしまいがちですが南方の「ブラックホール」のような話にも目を向けなければならないと改めて感じます。
第二百三十連隊説は、昭和18年に赤紙が届いたのでから、そこから訓練とラバウルへの輸送となると時期が合いませんよ独歩十三連隊のほうがレイテ転出の時期としてはまだありうる……かな?
ヒデ爺がいた戦場はラバウルだと思う。
その可能性も捨て切れませんね。応召時期から考えると、かなり怪しいのですが。
二百三十聯隊は第三十八師団隷下だったのでは?ガ島から転進後、現地編成の独立混成旅団の主力部隊になってたはず。ヒデじいの年齢と招集された時期から考えると、郷土部隊以外のどこかに配属された可能性もあるのでは?ちょっと違ってきますが、水木しげるさんは、あまりにも兵隊として不出来だったので、原隊から「捨てられて」岐阜の第二百二十九聯隊に(補充兵として)加えられて、ラバウルに行きました。ヒデじいは招集されたとき37歳。ロートル補充兵もいいところ。歩兵以外のどこかの部隊に送られた可能性もあるのかも(暁部隊とか)。あっ、「マスバテ島」です。
補足いただきありがとうございます
@@tadamasa_miyanaga ごめんなさい。第二百三十聯隊(東海林支隊)だけ第二紙団の隷下でした。間違えてましたm(__)m
✕ マステバ島〇 マスバテ島
ご指摘ありがとうございます。
私も比島のどこかの島と思いましたが、司令部付き将校でも無い兵卒レベルでのレイテの生存者とは考えにくいです。所属連隊を静岡県内だけではなく名古屋を含む中京地区まで想定して場合には該当部隊は有りませんか。当時の根こそぎ動員では静岡県出身者が名古屋の連隊に招集される事もあったのではないでしょうか。その中からレイテ、ルソン島等の主戦場以外の比島島嶼残置守備隊に該当する部隊はないのでしょうか。もう一つの可能性はレイテに送られて所属部隊から離れ遊兵となった段階で投降した可能性です。18年の何月に赤紙が来たのか不明ですが、当時ラジオ、新聞等で大々的に報道されていたアッツ島玉砕を知っていたり、当時の一般的な考えでは、「我が軍も・・今日中には降参するだろう。」などと言う言葉は出てこないし、いくら戦友でも相手を選んで話す必要があります。言い方を変えれば自軍も今日中に降参するんだから、私達も降参しようとも読み取れます。たぶんこの二人はいわゆるロートル召集兵で部隊内ではいじめの対象となっていたのでしょう。だから二人の会話内で降参などという言葉が躊躇無く出ているのでしょう。実社会経験のある二人にとって戦陣訓の教えなど何の抑制にもならず、投降への心理的敷居は相当低かった思います。ましてや陛下から賜った小銃を紛失しているので原隊に戻ったらどんな制裁を受けるかを考えたら、原隊復帰する気も無かったでしょう。必然的に残る選択肢は投降一択になります。ただしこの事実は二人にとって黒歴史になるので、誰にも言わず墓場まで持って行く覚悟をしたでしょう。たとえ相手が戦争を知らぬ小学生であったとしても。
レイテで投降した兵士もいくらかはいたんでしょうが、わたしが知ってるのはレイテ戦記に書かれている第十六師団の兵士だけ… 独歩十三の生き残りだとしたら、凄惨すぎる。
さくらももこの年代なら、戦争体験を生々しく話せる世代の人間とは十分に接触できたはずです。但し、子どもに話すことかと言うと大いに疑問が残ります。大人どうしの会話を耳にして記憶していたというのが本当のところじゃないかなと想像します。それよりも花輪くんほどの大金持ちが、まる子が通うようなレベルの小学校に入学している不自然さが見ていて常に引っ掛かってました。
ヒデじいは確か、この時代にもかかわらず、大学(一橋大学…?)を出ていましたよね…ですから、軍隊に徴用されたとしても、最低でも少尉以上の、将校待遇の士官、つまりは指揮官クラスですよね…ですから、花輪君の御屋敷で、沢山のメイドや使用人達を、常に適切に、指導監督管理できるのだと思います…更に、家長不在の花輪家で、何かトラブルや不測の事態が発生しても、ヒデじいは、常に冷静沈着で、適切に対応しております…戦時中は、とてもとても優秀な、軍人だったことと、推察致します…✌️それに比べ、まる子の祖父の「ともぞう」や、「ともぞう」とつるんでいる「山田さん」は情けない…😞「ヒデじい」と、同年輩の男達なのに、小心者で、知恵も暗く、この二人は、軍人として、祖国を守る為に、戦争に行ったのでしょうか…❔この二人は、文武両道な日本男子の矜持や気概が、微塵ほどにも感じられない…「ヒデじい」は、日本の男(漢)です…✌️「ともぞう」や「山田さん」は、男(漢)では無い…‼️
大卒の方でも一般兵のパターンは多いですよ。ましてやヒデ爺の場合、幹候出身とも思えませんし。
大卒を無条件で士官にしていたのは欧米の軍隊です。日本軍では大卒も普通に兵卒でした。京大出身の会田雄次さんの『アーロン収容所』等を読んでください。
え、多分ともぞうは明治33年1900年産まれくらいで、終戦時45歳くらいで、この世代で20歳徴兵の頃は大正の軍縮期でちょっとでも不具合があると合格せず入営しなかった。ところが明治末期産まれの方が20歳になる頃は昭和に入っていて昭和一ケタの事変続きでめちゃくちゃ徴兵された。続いて太平洋戦争中はともぞう世代は40半ばでおっさん過ぎて招集されず、いよいよ戦局が厳しくなって、30代後半はばんばん招集された。
この手の話っていうのは大体大東亜戦争の後半の招集から始まりますからね。南方の一部の島での悲惨な負け戦従軍回顧なんてドラマや創作で腐るほどピックアップされてますからぶっちゃけ考証とか適当だとは思いますが、勝ち戦の支那事変や初戦の南方快進撃を取り上げると「戦争の悲惨さ」wが協調されないから、まぁ仕方ないことですけどね…。
うーん、動画の中でヒデじいに戦歴マウントしてる軍人みたいなコメントですね。そしてヒデじいに向かってそんな部隊知らんとか言ってきそう…
@@xyzhs7202 さん 実も蓋もありませんけどあくまで子供向けアニメですからねw大の大人が青筋立てて口論するほどのもんじゃありませんよ。
8月15日を この分野で非常に情報通の貴方が 無条件で「終戦記念日」と呼んでいるのに違和感を感じてしまいます。実質的にこの日は 「玉音放送記念日」で、鈴木貫太郎が 停戦同意書にさえも著名ゲットしなかった事から、不必要に多数の日本人が悲惨な末路を辿ったのではないですか?
その用語を使っている私が誰よりも違和感を感じていることをお察しください。
かっこいいね😊ネット内では大将軍であらせられますな😊
ハートマークくれるくらいなら「大東亜戦争」て呼び方はやめて。
うーん大東亜戦争でも当時言われてた言い方だからいいと思う
ハートマークつくことを見越してコメントしたの?
最近の教科書だと、戦闘が起こったのは太平洋だけじゃないということで「アジア・太平洋戦争」なんて呼び方もされている。そんな中途半端な名前にするくらいなら、「大東亜戦争」のほうが実態に即していて良いと思う。
@@ティー-y4zなんなら、『大東亜戦争 ※なお、中国での戦争を含めて「十五年戦争」とも言われる』という表記の方が良いかと。【アジア・太平洋戦争】という表記は、サヨク臭しかしないので。(大阪にある、戦前~終戦までの軍民とその関連の資料を集めている所の名称も、関西のサヨクや半島連中が介入してきた様な名称で、好きではない!)
@@ティー-y4z なにが中途半端なのでしょう。「大東亜」は太平洋とアジアですよ。
動画中で触れた独立歩兵第十三連隊とヒデじい生還の可能性について、こちらのリンク上で濃密な情報のやりとりをしていただいています。合わせてご覧下さい。
x.com/dai59_sidann/status/1828287464131510759
敗戦の日だったので何気なく、動画を見ましたが、モブとして見流していたヒデじいが独立十三連隊の生き残りとの考察非常に興味深くあります。
ちびまる子ちゃんは多少の脚色はあるものの、登場人物は現実にいた人をモデルにしているそうなので、おそらく、本当に生き残りの話を聞くことが出来たんでしょうね。
しかし、こんなに少ない情報からたどり着くなんて、流石ですね~
今回も大変興味深い動画をありがとうございます。
私はさくらももこ先生より少し歳下で、父方の伯父が南方に出征して亡くなっており、戦死した伯父と双子だったもう1人の伯父から戦争の話しを聞いたものでした。
生き残った伯父は内地にいて生き延び、私が小学生の頃はまだ働いていたので、ヒデじいと同世代かやや若かったくらいでしょう。
私の父よりはだいぶ歳上だったので、私にとっては祖父のような存在でした。
酔っ払うと私をかまう、ちょっと煙たい伯父でしたが、私が他愛なく「戦争はどうして起きるの」と聞いたとき、真剣に子供でもわかるように、 言葉を選んで説明してくれたのを覚えています。
今回の動画で久しぶりに伯父のことを思い出しました。
ありがとうございました。
ヒデじいの戦歴を見て、私の曽祖父の戦歴によく似ているなと感じました。
私の曽祖父は昭和19年に三度目の招集ですでに原隊にあたる連隊はニューギニア戦線に出征してたので
独立混成旅団隷下の独立歩兵大隊でした。
ヒデじいもそういった部隊だったのかもしれません。
ボルネオ島でマラリアにかかり、部隊から落伍した後3日後になぜか復活し、部隊を追いかけたが
現地住民に捕まり、手りゅう弾による自決も失敗し捕虜になったそうです。
大隊980名中、生存者9名、古郷では葬式がすでに終わってたそうです。
凄まじい苦労と強運があったのだと思います。
大変興味深く拝聴いたしました。聞きながらなんとなく場所の想像はつきましたが、まさかそんな壮絶な場所とは。。。と絶句しました。
(ヒデじい含めて)改めて先の大戦で亡くなられた方へ合掌したいと思います。
創作物からその人の従軍歴を調べるシリーズ大変面白いです。
また、続けてほしいですしその時に鍵となるワードを見つけて掘り下げていくスタイルも
飽きさせない感じで為になります。
作者も適当ではなくて過去の思い出やらを忘れずにアニメに落とし込んでいるのだなあと
実感しました。
今日は終戦記念日ですが何かしら終戦記念日の題材をしてくたらと思います。
私も取り組んでいて面白いのですが、なかなか知名度とエピソードの量がマッチするキャラクターがいないのが泣き所です。ぜひ候補があったら教えて下さい。
ヒデ爺りっぱだったんだね、あたしゃ感心したよ。
一兵卒の戦歴を少ない情報から見事に考察された戦史家として面目躍如の動画だったと思います🙇
ありがとうございます。映像の手掛かりが多くて助けられました。
私もヒデじいが、どこの部隊かと言う検証のした雑誌の記事を読んで感心した記憶があります。
その時も、独立歩兵第十三連隊じゃないかという結論でした。
その雑誌は、おそらくウォーゲーム雑誌の「TACTICS」か『シミュレイター」のどちらかではないかと思います。
遠い記憶で自信はありませんが・・・
地雷を有効活用したことで知られるのでエピソードとは一致しますね。
70〜80年代くらいは従軍していた人々が現役でしたでしょうから、周りに大変な苦労をされた方が多かったのでしょうね。素晴らしい考察ありがとうございました。
中島飛行機勤務の祖母から連山の話を聞いたりと、子供時代に戻って聞き直したいことは山ほどあります。
.大変面白いお話でした。実際にひでじいのような方が身近にいたのかもしれませんね
この動画の内容の意味付けや評価や感想や感傷はとりあえず一旦置いといて…過去の出来事をくまなく記録する、という事の重要さがひしひしと、いや分厚く厳然と伝わってきました。歴史や記録を軽んじるという事はそれすなわち人間あるいは先人そのものを軽んじる事に他ならない。先人の追体験は不可能ですし体験を“理解する“のもおこがましい・勘違い・思い上がりも甚だしいとも思いますが、忘却やあるいは消えるに任せて気に留めもしない態度は過去と未来への誠実さや進歩への欠如、また先人への敬意と彼らからの学びの姿勢の欠如として許されぬ行為のような気がします。先人の体験や語りを丸っと一絡げに軽んじて鼻で笑うような態度は良くないな、と思わざるを得ない。この動画アップに感謝します。
アルムおんじやヒデじいの他、創作の世界だと何気に従軍歴ある人多いので、
そうしたキャラの「軍歴」を考察する企画は面白いと思いました
リアルタイムで妹が購入していたリボン誌でヒデ爺回読んだ記憶があります。ジャングルの生い茂る場所が舞台や地雷で連合軍兵士が爆散するシーンとサブマシンガンを乱射するシーン、すでに武器を持ってないことは記憶してましたが、昭和18年37歳応召とか、本土空襲と同じ時期に戦闘しているのは覚えてませんでした。正直想像以上のトンデモナイところから帰ってきたひとだったとは!私は静岡聯隊で島嶼戦ということで飢島戦線と予想してましたが、外れましたが納得の結論でした!
37歳で応召されたのは、漫画で花輪家の車を運転している場面があったのでおそらく運転能力を見込まれて召集がかかってしまったのでは?とおもいます。役場の兵事課は運転技能のある予備役兵から赤紙を送ってたなんて話を聞いたことが。
私の親戚にも虎兵団で比島の大激戦を生き抜いた方がいましたが、お盆に訪ねてきて、テレビで戦争特集をやっていると苛烈な体験談を鼻で笑い飛ばし、戦争映画にダメだしして、どぎつい戦闘体験談をさらりと語っていましたw戦闘機の機銃掃射は「戦闘機の機関銃は弾が交差するようになってるんだから、腹に潜り込むつもりで戦闘機に向かって突っ込めばあたるわけがない。追われるように逃げるなんてなんて馬鹿な奴だ」とか「重砲の砲撃も「あんなもん簡単に逃げれるわ!試射なんて当たらんし、試射のうちに隠れるところなんて簡単に見つかる。何にが怖いものか!」という反面「迫は一発目がどこに落ちるか読めないから怖い。一発おちれば大したことない。後は隠れればいい」とか「艦砲は弾が早いから一発目がどこに落ちるか分からんし、隠れてもしつこいし威力も大きいから怖い」といってたのを覚えてます。
楽しんでいただけて嬉しい限りです。そして何気にものすごい証言だと思います。
実際にさくらももこさんの近くにいた実在の人物をモデルにしたのかもしれませんね。
本当に貴重なお話をありがとうございました😢
先人に感謝です
狂信的な国粋主義者ならまだしもヒデじいも平岡くんも台詞の内容から予想するに普通の人だと思います。
普通の人は戦争なんて嫌だし、死にたくないし、家に帰りたいですよ。
「親父さん、レイテじゃ夜もセミが鳴くのかね?」「しっかりしろ!それはお前の耳鳴りだ」って😢
幸い、
父は、本土決戦で呼び戻されて
内地で終戦😓
二人の叔父は
上海とセブ島で終戦でした。
歴史を掘り起こして頂けるのは
ありがたい🙇🙏
故人を偲ぶきっかけとなり、光栄です。
8/15敗戦の日にありがとうございます。あの戦争が何であったかしるために、どのような知識や分析が必要であるのか?学ばせていただきました。
そんな壮絶な経験をした人があんな穏やかな老人になってるの深いな…
一昨年亡くなった近所のじいちゃんが十榴の部隊にいたけど多号作戦で着の身着のまま上陸した方で「ずっと山の中逃げ回ってた」って話してました。
それはぜひ詳しいお話をうかがいたかったです。
世田谷に居を構えていた祖父は陸軍将校だったと母から聞きました。母の話によれば、毎朝必ず部下が馬を引いて家に来て、祖父は馬上の人となって三宿?の駐屯地へ向かう、というのが日常の光景だったらしいです。また、その祖父の兄弟?のどなたかは10代で赤とんぼで特攻、帰らぬ人となったという母の話も記憶に残っています。最近、自分が自身のルーツに無関心で生きられなくなっているように思います。半分はすでに手遅れかもしれません、ですができる事をなんとかやっていこうと思います。宮永さんの言動は、何ででしょうね、心に沁みる
ひでじいが元気に遊ぶ子供達をどんな気持ちで見てたのかな?とか考えたら涙が出てきました。
そういう感情は必ずありますよね。
1943年(昭和18年)で37歳で逆算すると1906年(明治39年)生まれですね。日中戦争の頃には31歳ともしかしたら2度召集されてるかもしれませんね。
もしそうなら、その際の勤務優秀で、前線に送られてしまったとかですね。
赤紙がきている描写があるので、軍に再招集されたのは間違いないですね
とてもおもしろかったです。ヒデ爺すごい人だったんですね。
ちびまる子ちゃんのあの場面はコミックで読みましたが、妙に記憶に残っています。ヒデじいのあの物腰から戦争が語られたギャップが印象的でした。
そしてたったあれだけの情報だけからここまで推測できてしまうのはすさまじい分析力ですね。
8月15日は終戦の日と共にもう1つ、原作者さくらももこさんの命日でもある。(2018年8月15日 享年53歳)
さくらももこ氏の命日までは知りませんでしたが、少しでも話題になって良かったです。
とても面白かったです!さくらももこさんも幼い頃に学校か近所でレイテ戦いの生き残りの話を聞いたのかもしれません。ヒデじいにそんな過去があるとは、、、そう考えるとちびまるこのアニメをみる目線が変わりますね。
8月15日に日本軍のお話とは感慨深いです。
ヒデ爺という切り口は意外でした。
それをここまで緻密に推察するとは流石ですな。
ありがとうございます😊
相変わらず良い動画
戦争の生き残りも少なくなっちまったからなぁ
確かフジのFNS27時間テレビの時にアニメで観て強く印象に残ってる。ヒデじいは1906年頃の生まれというのは初めて知ったけど鬼滅の刃の産屋敷輝利哉と大体同世代なんか。
登場するアメリカ兵?の元ネタは戦争テレビドラマ「コンバット」のサンダース軍曹なのかもと。
迷彩カバー付けたヘルメットとトンプソンマシンガンはサンダース軍曹そのもの。
さくらももこ先生がリアルで視聴していたとは思えないですが、知っていた可能性はあるかも。
37歳で召集なら、独歩の可能性は高そうです。
昭和3年徴集だとすれば時代的に一等兵としての召集でしょうから、戦闘以前の生活自体にも並々ならぬ苦労があった事が推察されます。
大岡昇平のレイテ戦記は、相当博学な読書家である友人もリタイヤしていました。
確か著者本人が、誰に読んで貰おうとかは考えていない。生きて帰って来た自分が書かなければいけないとの使命感で書いたと、どこかで語っていた記憶があります。
このシリーズ、楽しみにしておりますので出来れば続けて頂けたらと思います。
ラジオ感覚で最近聞いております。面白かったです!
まさに狙い通り。これからもよろしくお願いします🙇♂️
今の菊池こころさんボイスのまる子にて、リメイクすべき神アニメエピソードであるとおもいます。子ども達にも見せるべき。
独歩13連隊は部隊史の中でも生存者はいなかったとされていますね。先日、26師団隷下の独歩11連隊の証言を見つけましたが、連隊の生き残りは5名だったと記述されていました。いずれにせよ相当低い生還率ですね。
補足いただきありがとうございます。そもそも戦地に着く前の輸送から命懸けというのがこの時期の南方の怖さですね。
ちびまる子ちゃんという戦争とは無関係の作品からここまで事細かく考察出来るのは凄いですね。
聞いていてとても面白かったです。
ヒデじいって作中だとノホホンとした物腰の柔らかい人物でしたがこうして見るとかつては冷静沈着な歴戦の兵士だったのかと思いました。😊
37才で応召はすごいですね...
大岡氏も35で応召されてます
苦労はちょっと想像を絶します....
かなり昔、20年程前かな。終戦記念だったと思いますがTVのちびまる子実写版でこのストーリーをやっていました。最後しか見ていないので、「ヒデじい」ではなく、トモゾウと思っていました。戦死した米兵の前で敬礼していましたね。男優がイケメンだったので、トモゾウも若い時はイケメンだったんだと感心していました。「ヒデじい」ならなるほどですね。
今のおじいちゃんおばあちゃん世代が団塊の世代で戦争直後ぐらいに生まれた世代。この人たちの小さい頃はまだ戦争体験者がそこかしこに居た時代ですね。現役親世代や今子供の孫世代は従軍経験の話は「異世界の話」と同じぐらい遠いものになりました。そういう要素が日常エンタメの中にスッと入っていた時代があるのだなぁとドリフターズの軍人コントを見た時(あれがお笑いとして成立していた、見ている方も楽しんでいた)と同じような気持ちになります。今では軍人、一個人を模したコントやお笑い、舞台設定、エンタメは共感が無さ過ぎてお笑いとしては難しいな(良い事かな)と思います。
実家がまさにちびまるこちゃん(作者さん)の住む場所の近くだったという友人が大学時代にいましたが、漫画の中に登場する店の並びやいろいろなスポットの位置関係などかなり忠実みたいです。なので、さくらももこさんの近所か知り合いにヒデジイの経歴のモデルになった方がいらっしゃたのかもしれませんね。
旅行の清水を訪問した際も、「ここがちびまる子ちゃんの故郷かぁ……」というのが先に来る当たり、地元という枠組みでは本当に凄い作品だと思います。
さくらももこ氏と同じく静岡県民ですが、亡くなった祖母から戦争の話はよく聞かされていました。落ちて来たB29の残骸を探したり、農家をしていた祖母の家に市街地爆撃から逃げて来た人達が来たが追い返したそうです。祖母の親戚の方は小笠原で戦ったっと言っていました。本編とは関係のない話ですみません
いえいえ、ご家族のS年相場なしを思い出すきっかけとなり、嬉しい限りです。
うちの爺ちゃんも 清水の出ですけど、中国・杭州に行っていたので、現地招集? でした、 でも騎乗将校の写真があったので、予備役からかもしれない、 その後は家族と戦火で焼けた静岡市に引き揚げて来ました・・・
ヒデじいの所属部隊の件
コマンドマガジン(国際通信社)の記事ではないでしょうか?
具体的な掲載号は忘れましたが、付録ゲームが太平洋戦争の地上戦の号だったかと思います
YSGAの会誌化、それを転載したコマンドマガジンの記事か、どうやらどちらかを読んだものということで間違いないと思います。ご指摘いただきありがとうございました。
すごい企画だ。
登場人物にも歴史あり。ヒデじいは立派に血の通ったキャラクターだったんですね〜
ウチの死んだ爺さんは上官に、戦地に行く!と挙手をしたそうですが、意に反して川崎の旋盤工場に回されたそうです。
まぁ、そのおかげで今の私が存在するわけですが…ww
近代日本の鎮台から師団編成のお話も面白そうですね。
原作、アニメ両方観たけど、ずっとフィリピン辺りだと思ってた。
当時中学生くらいで原隊とかそこまでの知識は無かったけど、空襲があった末期で敵がウヨウヨしてる中動き回ってる
いう事はフィリピン辺りしか思い浮かばなかった訳だけど。
レイテはキツい。第一師団神子曹長の戦記は何度も読んだ。鬼滅の刃の主人公が子供を産んでいたら大正7年くらいの出生で現役で関特演に参加させられるような年頃。頭号師団なら18年の赤紙でレイテのお勤めになった
1995年のちびまる子ちゃんは、片渕須直監督が絵コンテ・演出で参加しているので、もしやと思いましたが この話は担当してませんでしたね。
片渕マジか。。知らなんだわ
それはまったく知りませんでした。でもアドバイスはしていたかもですね。
ヒデじいは進学率が低かったあの時代に大卒だそうで、生還した22人の兵士ではなく唯一の将校の可能性・・・と思ったけど、平岡君のヒデじいの呼び方が「(苗字・階級)殿」ではなく「ヒデさん」なので、二人は同じ階級かあ・・・。
昔の『丸』に載ってた回想で、大卒なのに二等兵やってる者を「変わり者」と書いてるのを読んだことがあるので、年齢的要素は分からないけど、やはり変わり者というか珍しい存在だったかもしれませんね。
20歳の徴兵検査で大学生だと現役徴収でなく補充兵役となったのかな。37歳の召集ではそれまで将校としての教育受けてないから二等兵スタートなのかも。
レイテ戦記、俘虜記を書いた作家の大岡昇平も京大卒のエリートだけど末期の根こそぎ動員のため一兵卒スタート。こういうのは末期ではわりとよくある事だったみたい。
一応学卒者を将校にする前提の予備士官みたいなコースもあったけどいろいろ条件あるしひでじいの年だとやる気、能力以前に年齢ではねられると思われる
丸山眞男は東京帝国大学の助教授だったのに30過ぎで召集されて二等兵になっていたはずです。
今度はヒデじい!! これリアルタイムでアニメ視聴しました。 チビまる子ちゃんでもこういうテーマ取り上げるのかと当時軽くショックを受けた記憶があります。
私は見開きページを使った洪水シーンにショックを受けました。
37歳で赤紙ということは予備役だったのかな。編制・編成もだけど召集の仕組みもいつかは動画にしてほしいです。
赤紙の動員対象は予備役、後備役、補充兵役、国民兵役のいずれかで考えられるのは予備役、第一国民兵役又は第二国民兵役のいずれかの可能性は高いですね。
ちょっと気になっていた内容の詳説、ちびまる子ちゃんファン&ミリオタとして、ありがとうございます。
思いのほかしっかりとした過去が見えて、自分でも驚きました。
毎回楽しく拝見させていただいてます。
自分は清水出身の者でちびまる子ちゃんはよく見てましたがヒデじいってそう言った過去があったんですね。全然知らなかったです。この動画見てから祖母の家に行く機会がありそこで軽く調べると自分のヒイお爺さんの息子さん?(藤枝市)は陸軍幹部候補生だかで応召され鈴鹿の高射砲部隊に所属していたそうです。戦病死されておりお話は聞けず詳しい履歴もあまり分からずでしたが(幹部候補生もよくわかりませんが😅)他に昭和12年の絵小説なんかも出てきたりしてその時代に思いを馳せる良い機会になりました。ありがとうございます。次回の動画も楽しみにしてます。
この動画が故人を偲ぶ機会になった事、嬉しく思います。これからもよろしくお願いいたします。
まさかチビマルコとは
サザエさんの様に食事しながら適当に見るアニメだっからこんな設定があったとは思わなかった
正しく「大東亜戦争」と解説されていることに検証の緻密さを感じます😃
帰れなかったひでじいと同じ立場の人間が何十万もいたと考えると
見応えありました 有難うございます
私も何となくですが徴兵で1945前後で南方の激戦ならフィリピンかなと思いました
私の祖父の弟は職業軍人ですがフィリピンで戦死してます
この動画をきっかけに戦争で亡くなった家族を思い出していただけて嬉しい限りです。思い出すこと、忘れないことが最高の供養であると聞いたことがあります。
@@tadamasa_miyanaga
有難うございます😊
あれ、大岡昇平の「野火」を参考にしてるでしょ。
「俘虜記」だったかもしれない。部隊からはぐれて原野をさまよってる時に敵兵を見つけた。小銃で狙いを定めたのに撃てなかったという話。高校の国語の教科書で読んだ。
次は魁!!男塾の、江田島平八の戦歴を、お願いします🙏。しかし、さくらももこさんも、リアリティがすごかったんですね…😅。
ちょっと調べましたが、こりゃ手に負えないです😅
昔は8月にこの会のアニメやってたなぁ
おお、そうなんですね。流石に今の子供には刺さりにくいのかもですね。
@@tadamasa_miyanaga あんな穏やかそうなジジイでも戦争しに行ったんやなと子供ながらに(中学生くらいでしたが)思いましたね。そのころは戦地に行った世代がたくさんいましたし、召集されたものの戦地には行きませんでしたが従軍経験のあるうちの祖父もその数年前まで存命でしたし、戦争が遠くない存在でしたからね。
素晴らしい検証動画でございました😮🎉
確か~、横溝シリーズの名探偵である金田一さんは、確かニューギニア戦線から生き延びて復員した設定だったと記憶しています😊
それより、後ろの本棚にある、大量の光人社NF文庫の戦記本がとても気になりました~😮
NF文庫は書庫で溢れかえっていて整理に困っています。
編制は管理単位とか戦闘単位とかあやふやですね
敵兵がトミーガンを持って、ヘルメットに迷彩カバーをしてとなると、米海兵隊のようなので、ほぼ太平洋戦線で間違いないと思うけど
マスオさんはインパール作戦の生き残りとか?
なぜ?😄
釣りバカ日誌の鈴さんはいつぞやの映画で浜崎ちゃんと山中で彷徨った時にインパール云々言ってたな。
長谷川町子のお姉さんの夫、義理の兄は確かインパールで亡くなっているのでマスオさんに投影されていた可能性はあるかも。
フィリピン戦線であってるかと思います。
P-51が飛行してますが
硫黄島・沖縄・が除外されるのでフィリピン駐留の第5空軍しかありません
ただ、米兵のヘルメットに海兵隊特有のダックハンター迷彩カバーしてるのでそこが疑問です。
海兵隊は航空隊意外フィリピン線に導入されてないので
装備品から部隊を見分ける発想まではなかったので、海兵隊の存在は謎が深まりますが、そこはファッションと見切るほかなさそうですね。補足いただきありがとうございました。
唐突ではあるんですが・・・応召地変更の話
今は亡き祖母の兄(おんつぁ、と呼べと祖母指導アリ、大伯父)は郷里山形歩兵第32連隊にありまして、沖縄から復員してきました。
ですが彼より4つか5つ年下の祖父の最初の応召の際、配属されたのは郷里の部隊ではなく旭川の歩兵第27連隊に配属になりました。コレは当時の祖父の写真が残っていたので、襟章の「27」を実際にみて確認しています。
更にWikipedia(・・・)にも昭和13年より応召地を変更とありました。
もし、応召地変更が行われる時はどういった理由から行われたのでしょうか?また同じような例は方方でしばしばあったものなのでしょうか?
旧陸軍の組織について、正直自分は関心はあっても詳細について詳しくありませんが、出来れば知りたいなと思いまして質問した次第であります。
銭形警部とか磯野波平も戦争行ったんですかね?🫡
映像が欲しいですねぇ
波平はわからないですが、銭形警部は昔のアニメで昭和ヒトケタ産まれとか言われてたんで年齢的に内地だとは思うんですが終戦間際に召集されるにしても国外ではないかと。波平はwikiだと明治生まれらしいし、原作連載時で50代だから多分ヒデ爺よりも上のハズなんで行ってない気がします。
@@kazkumamon1261
有難うございます。勉強になりました〜
原作漫画だどマスオさんも戦地帰りだったような 波平も徴兵はされてたんじゃ
サザエさんの漫画で波平が軍服着て38式歩兵銃(?)を抱えて行進している写真があったので、大東亜戦争(太平洋戦争)に参加しる可能性が高いと思います。
興味深く見ました。面白かったです。
今回の動画にはあまり関係ないのですが、NFLグッズを複数お持ちの様子。
以前の動画ではジョニー・マンジールのブラウンズのものを身につけておられたと思います。チームというよりは
選手に注目されているのでしょうか?
私はコルツとカレッジフットボールを
追いかけております。アンソニーリチャードソンがちゃんとシーズンを過ごせるかと、ファルコンズのルーキーペニックス、ペイトリオッツのルーキーのジョーミルトンはカレッジのころから注目していましたので、出場機会が得られるか活躍できるか気にしてプレシーズンを見ております。
もしフットボールや他のアメスポがお好きなのであれば、無礼を承知でお願いがあります。
戦略、戦術の点について時間の使い方(タイムマネージメント)に着目した切り口のものを見てみたいのです。
アメフトでの残り試合時間30秒以下でのニーダウンのシーンやバスケの残り数十秒で2ポゼッション以上リードしている側が緩くドリブルをついて、ディフェンス側も明らかにあきらめてゆるゆるの空気になるところとか、
よく日本の文化には合わないと言われているところだと思います。
将棋の早指し戦においても、いわゆる時間攻めは無礼だとか卑怯だとか言われますし、柔道についてもオリンピックの舞台でさえポイント勝ちは数段価値の低いものとされることが多いと思います。
そんな時間無制限一本勝負が大好きな
頭のままだとひどいことになるぞというのを戦史から紐解くようなものが見れたら大変嬉しいです。
軽いところでは、戦前の日本(特に士官学校で)ではどのように将棋や剣道柔道をプレーしていたのか、その時に制限時間についてはどのようにかんがえられていたのか、対して米国の方はということであるとか
より戦場に密着していることであれば、初めて末端の兵士ですら時計を持つことが当たり前になった戦争はいつからかそれはどのような戦訓をもとにそうなったのか などです。
などと色々書きましたが毎回楽しく見させてもらっております。
お身体に気をつけて、ご自分のペースで動画を作っていってください。
アメリカスポーツのタイムマネジメントは面白い題材ですね。
正直、スポーツとしてのアメフトを語れるほどの知識や蓄積もないので、その方面ではお答えしにくいですが、アメフトという競技と軍隊の親和性の高さはいろいろとできそうです。
私は2010年来のパッカーズ(とNFC北地区)のファンと公言していますが、基本、この競技は全般的に好きです。ただ、時々出てくるどうしようもないバストも大好物で、ドラフト前後からダメな方向で期待していたマンジール、期待通りダメだったことで安く放出されたマンジールグッズをちょぼちょぼ漁っていたという次第です。
ジョジョの奇妙な冒険第2部で改造人間のシュトロハイムがスターリングラードの戦いで戦死した原因について考察して欲しいです
うちの99双軽、屠龍乗りのじいさん(故人)昭和20年2月17日に浜松教導飛行師団に転属するため浜松基地に着陸したけどその日に浜松空襲にあって焼け出されて逃げたらしいです。
浜松は何度も空襲に遭ってるみたいですね。漫画に描かれているb29も浜松を襲ったのかなと思いました。
故人を偲ばれる契機になったこと、喜ばしく感じています。
浜松は戦艦の艦砲射撃も受けていましたね。
1945年でまだ南方の島で戦ってるという時点でフィリピンかな?と思いました。
時期的にはかなり絞れますね。
コマンドマガジンの第何号のはず。
すでにご指摘いただいてますが、YSGAの会報をコマンドマガジンが転載した記事だったようです。90号以前が実家で処分されてしまい確認しようがないのが残念です。
「磯野家の謎」がバズってから考察本界隈や2chスレが盛り上がったので
その辺りではないですかね
そういうネタ来るとは思わなかった
確か花輪君が自慢話した時に『ヒデ爺のセスナで…』ってあるのでひょっとしたら飛行兵だった可能性は?
それは凄い。戦争中の操縦者資格って戦後に有効なんでしょうかね。
@@tadamasa_miyanaga さんへ
戦時中の、日本陸軍や日本海軍のパイロットが、戦後の自衛隊に入隊して、ジェット機のパイロットとして大空を飛び回ったケースは、結構沢山と有りますよ…
有名どころでは、日本海軍の源田実大佐。
戦時中は松山航空隊の司令官で、紫電や紫電改や彩雲の部隊を率いていた方ですよね。
それから、日本陸軍の黒江少佐。
戦時中は、隼や疾風で活躍した、エースパイロットです。
B-29も、数機を撃墜しております。
恐るべきは、5式複座戦闘機「キ-102」をテスト飛行中に、遭遇したB-29を撃墜している事です…👀❗
ひでじいの先輩は小野田少尉。
まぁぶっちゃけフィリピンあたりな気はする
先の大戦のことに触れる時おおよそ船の話か飛行機の話のしかも打ち上げ花火のような短くも派手な話ばかり見てしまいがちですが南方の「ブラックホール」のような話にも目を向けなければならないと改めて感じます。
第二百三十連隊説は、昭和18年に赤紙が届いたのでから、そこから訓練とラバウルへの輸送となると時期が合いませんよ
独歩十三連隊のほうがレイテ転出の時期としてはまだありうる……かな?
ヒデ爺がいた戦場はラバウルだと思う。
その可能性も捨て切れませんね。応召時期から考えると、かなり怪しいのですが。
二百三十聯隊は第三十八師団隷下だったのでは?ガ島から転進後、現地編成の独立混成旅団の主力部隊になってたはず。
ヒデじいの年齢と招集された時期から考えると、郷土部隊以外のどこかに配属された可能性もあるのでは?ちょっと違ってきますが、水木しげるさんは、あまりにも兵隊として不出来だったので、原隊から「捨てられて」岐阜の第二百二十九聯隊に(補充兵として)加えられて、ラバウルに行きました。ヒデじいは招集されたとき37歳。ロートル補充兵もいいところ。歩兵以外のどこかの部隊に送られた可能性もあるのかも(暁部隊とか)。
あっ、「マスバテ島」です。
補足いただきありがとうございます
@@tadamasa_miyanaga ごめんなさい。第二百三十聯隊(東海林支隊)だけ第二紙団の隷下でした。間違えてましたm(__)m
✕ マステバ島
〇 マスバテ島
ご指摘ありがとうございます。
私も比島のどこかの島と思いましたが、司令部付き将校でも無い兵卒レベルでのレイテの生存者とは考えにくいです。
所属連隊を静岡県内だけではなく名古屋を含む中京地区まで想定して場合には該当部隊は有りませんか。
当時の根こそぎ動員では静岡県出身者が名古屋の連隊に招集される事もあったのではないでしょうか。その中からレイテ、ルソン島等の主戦場以外の比島島嶼残置守備隊に該当する部隊はないのでしょうか。
もう一つの可能性はレイテに送られて所属部隊から離れ遊兵となった段階で投降した可能性です。18年の何月に赤紙が来たのか不明ですが、当時ラジオ、新聞等で大々的に報道されていたアッツ島玉砕を知っていたり、当時の一般的な考えでは、「我が軍も・・今日中には降参するだろう。」などと言う言葉は出てこないし、いくら戦友でも相手を選んで話す必要があります。言い方を変えれば自軍も今日中に降参するんだから、私達も降参しようとも読み取れます。たぶんこの二人はいわゆるロートル召集兵で部隊内ではいじめの対象となっていたのでしょう。だから二人の会話内で降参などという言葉が躊躇無く出ているのでしょう。実社会経験のある二人にとって戦陣訓の教えなど何の抑制にもならず、投降への心理的敷居は相当低かった思います。ましてや陛下から賜った小銃を紛失しているので原隊に戻ったらどんな制裁を受けるかを考えたら、原隊復帰する気も無かったでしょう。
必然的に残る選択肢は投降一択になります。ただしこの事実は二人にとって黒歴史になるので、誰にも言わず墓場まで持って行く覚悟をしたでしょう。たとえ相手が戦争を知らぬ小学生であったとしても。
レイテで投降した兵士もいくらかはいたんでしょうが、わたしが知ってるのはレイテ戦記に書かれている第十六師団の兵士だけ… 独歩十三の生き残りだとしたら、凄惨すぎる。
さくらももこの年代なら、戦争体験を生々しく話せる世代の人間とは十分に接触できたはずです。
但し、子どもに話すことかと言うと大いに疑問が残ります。
大人どうしの会話を耳にして記憶していたというのが本当のところじゃないかなと想像します。
それよりも花輪くんほどの大金持ちが、まる子が通うようなレベルの小学校に入学している不自然さが見ていて常に引っ掛かってました。
ヒデじいは確か、この時代にもかかわらず、大学(一橋大学…?)を出ていましたよね…
ですから、軍隊に徴用されたとしても、最低でも少尉以上の、将校
待遇の士官、つまりは指揮官クラスですよね…
ですから、花輪君の御屋敷で、沢山のメイドや使用人達を、常に適切に、指導監督管理できるのだと思います…
更に、家長不在の花輪家で、何かトラブルや不測の事態が発生しても、ヒデじいは、常に冷静沈着で、適切に対応しております…
戦時中は、とてもとても優秀な、軍人だったことと、推察致します…✌️
それに比べ、まる子の祖父の「ともぞう」や、「ともぞう」とつるんでいる「山田さん」は情けない…😞
「ヒデじい」と、同年輩の男達なのに、小心者で、知恵も暗く、この二人は、軍人として、祖国を守る為に、戦争に行ったのでしょうか…❔
この二人は、文武両道な日本男子の矜持や気概が、微塵ほどにも感じられない…
「ヒデじい」は、日本の男(漢)です…✌️
「ともぞう」や「山田さん」は、男(漢)では無い…‼️
大卒の方でも一般兵のパターンは多いですよ。ましてやヒデ爺の場合、幹候出身とも思えませんし。
大卒を無条件で士官にしていたのは欧米の軍隊です。日本軍では大卒も普通に兵卒でした。京大出身の会田雄次さんの『アーロン収容所』等を読んでください。
え、多分ともぞうは明治33年1900年産まれくらいで、終戦時45歳くらいで、この世代で20歳徴兵の頃は大正の軍縮期でちょっとでも不具合があると合格せず入営しなかった。ところが明治末期産まれの方が20歳になる頃は昭和に入っていて昭和一ケタの事変続きでめちゃくちゃ徴兵された。
続いて太平洋戦争中はともぞう世代は40半ばでおっさん過ぎて招集されず、いよいよ戦局が厳しくなって、30代後半はばんばん招集された。
この手の話っていうのは大体大東亜戦争の後半の招集から始まりますからね。南方の一部の島での悲惨な負け戦従軍回顧なんてドラマや創作で腐るほどピックアップされてますからぶっちゃけ考証とか適当だとは思いますが、勝ち戦の支那事変や初戦の南方快進撃を取り上げると「戦争の悲惨さ」wが協調されないから、まぁ仕方ないことですけどね…。
うーん、動画の中でヒデじいに戦歴マウントしてる軍人みたいなコメントですね。
そしてヒデじいに向かってそんな部隊知らんとか言ってきそう…
@@xyzhs7202 さん 実も蓋もありませんけどあくまで子供向けアニメですからねw大の大人が青筋立てて口論するほどのもんじゃありませんよ。
8月15日を この分野で非常に情報通の貴方が 無条件で「終戦記念日」と呼んでいるのに違和感を感じてしまいます。
実質的にこの日は 「玉音放送記念日」で、鈴木貫太郎が 停戦同意書にさえも著名ゲットしなかった事から、不必要に多数の日本人が悲惨な末路を辿ったのではないですか?
その用語を使っている私が誰よりも違和感を感じていることをお察しください。
かっこいいね😊
ネット内では大将軍であらせられますな😊
ハートマークくれるくらいなら「大東亜戦争」て呼び方はやめて。
うーん大東亜戦争でも当時言われてた言い方だからいいと思う
ハートマークつくことを見越してコメントしたの?
最近の教科書だと、戦闘が起こったのは太平洋だけじゃないということで「アジア・太平洋戦争」なんて呼び方もされている。
そんな中途半端な名前にするくらいなら、「大東亜戦争」のほうが実態に即していて良いと思う。
@@ティー-y4z
なんなら、
『大東亜戦争 ※なお、中国での戦争を含めて「十五年戦争」とも言われる』
という表記の方が良いかと。
【アジア・太平洋戦争】という表記は、サヨク臭しかしないので。
(大阪にある、戦前~終戦までの軍民とその関連の資料を集めている所の名称も、関西のサヨクや半島連中が介入してきた様な名称で、好きではない!)
@@ティー-y4z なにが中途半端なのでしょう。「大東亜」は太平洋とアジアですよ。