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ちあきなおみサンの朝日のあたる家を以前紹介あった時にYtubeで聴きました。余りの迫力と魂の響きに痺れまくりました。村井邦彦さんも筒美京平さん同様に心に残る曲が多い。あの頃は歌手も作詞家も作曲家も演奏家たちも聴衆も明日に向かって元気はつらつでした。ックううううー。
いつも 青春時代のお話しありがとうございます。毎回懐かしく拝聴してます。わたしはエドさん2年後輩になりますモトさんとおなじかな🎉いつもG Sの話しが好きです😢これからも応援してます。G S好きの71歳でした。
エメラルドの伝説、当時のバンドのメイン曲でした。懐かしい!!村井邦彦さんは、凄い作曲家でしたね。改めて認識しました。ありがとございました。
小学生の頃「みんなのうた」で広谷順子さんの「道」を聴いたときの衝撃は忘れられません。1回で覚えてしまうほど、素晴らしいメロディーでした。大人になってから村井邦彦さんの作品だと知り、数年前に唯一CD化されていた村井さんの作品集(5枚組のCD)を購入しました。広谷さんは亡くなられてしまいましたね・・・。
テンプターズの松崎さんと高久さんはご健在ですよ。しっかり調べてから発言しないと相手に失礼ですよ!
テンプで最初に亡くなったのは田中俊夫さんです。松崎さんはご健在です。
1968年の夏は、これと C、C、C が大流行でした。
エドさんの話を聞いていると「ああ、有ったね」とか『うわっ、懐かしい」とか「知ってる、知ってる」なんて言う曲が沢山出てきて青春時代の復讐をしているみたい。しかし村井さんは色々な曲を自在に作曲されていて器用な方だったんですね。いつも懐かしい歌から青春時代にタイムスリップさせて頂きありがとうございます。
テンプターズの松崎さんはご健在のはず。高久さんも元気。
村井先生が素晴らしいのは、旋律自体はシンプルなのに表現が豊かなことだと思います。シャープとかフラットとかの記号がベタベタくっついていないんです。「ある日突然」のレコードジャケットの裏面に、歌詞といっしょに載っていた譜面を見た時の感激は忘れません。記号がない。いわゆるハ長調です。「この人は天才だな」と思いました。
GS(グループ・サウンズ)は僅か3年67~70’短い期間でしたが、後の歌謡界に多大な影響を与えました。例えば沢田研二にしても故萩原健一スパイダースの堺正章などが代表的なところです。ブルー・コメッツが歌った大ヒット曲「ブルー・シャトー」は生前、井上忠夫氏が動揺「月の砂漠」を元に作曲したとおっしゃていました。B面の「青い瞳」や「マリアの泉」は今聴いても素晴らしい曲です。のちに作詞湯川れい子作曲井上忠夫でシャネルズが歌ってヒットした80’「ランナウェイ」などが一つの例です。あれから50年以上経ちますが、まだまだGSソングは捨てたもんじゃありません。
ブルージーンズが好みでした、16歳のおり新宿のacbで初体験、驚愕の極地今でも忘れない。どーもエド師匠とは同い年その洗練されたプロの語り口と演奏直に聞いてみたい、銀座のタクトとやらへは一人で行っても歓迎されるものか心配「歓迎では無いがまあしょうがない」ぐらいなら行ってみたい。
ありがとうございます。お一人でお見えになる方たくさんいらっしゃいますよ~。タクトを通じて交友関係も生まれています。お待ちしてま〜す。
エメラルドの伝説いい曲ですね。
村井邦彦さんの才能をあらためて教えてもらいました。感謝
「エネラルドの伝説」なつかしい~。ありがとうございました。
テンプターズの大口氏が言ってるようにローリングストーンズを追いかけていることはファンならずとも周知のことでしたね。私はエドさんの少し後輩にあたる年齢で当時のGSブームの真っ只中にいる高校生でした。もちろん、ビートルズもストーンズも大好きなギター少年でした。デビュー曲「忘れえぬ君」を聞いたとき仲間とーこれってストーンズの「ペイント・イット・ブラックー黒くぬれ」だよなーとチャカしていたのを思い出しました。
湖に君は身を投げた 花のしずくが落ちるように 湖は色を変えたのさ 君の瞳のエメラルドなかにし礼さんが、宝塚のような世界を創る。それに、曲を乗せる村井邦彦さん。優秀なプロがたくさんいたんだなあと思います。
ブルーインパルスの太陽の剣とメランコリー東京が少し聴けて、とても嬉しいです。リーダーだった湯村さんは、今も元気に活動してます。メランコリー東京もライブハウスで歌うそうです。又、取り上げて下さい。B級GS万歳!
待ちくたびれた日曜日ヴィッキーレアンドロスとOXオックスが歌いましたね❗
9月27日は素晴らしい銀座ライブでした・ダイヤモンドヘッド論争も興味津々でした・最後に手を振っていただきありがとうございました。
cantyって野獣会の溜まり場だったよね
村井邦彦さん あんなに沢山のヒット曲を作ってくださってたと教えて頂き びっくり今度は 井上忠夫さんの特集も ぜひ お待ちしてますU^ェ^U
村井さんと言えば1972年「学生街の喫茶店」が入ったガロの2ndアルバムで「美しすぎて」など「学生街…」のすぎやまこういちさんに劣らぬほどの名曲を書いていますね。同年の3rdアルバム「GARO3」ではプロデューサーをしていますが2ndのレコーディングで起用したスタジオミュージシャンの宇野もんど(細野晴臣の別名)や3rdアルバムでの高橋幸宏との出会いから後にYMOのプロデュースをすることになったという話を以前NHKラジオでのインタビューで語ってました。大学生の頃からプロの現場で呼ばれていたらしいのでやっぱり天才ですね。
配信有り難う御座います。今日も懐かしくて、楽しい話面白かったです。いつか、釣りの話お願いします。
良く口ずさんだうたです。
村井邦彦氏については、ごく最近出版された、キャンティの川添象郎氏の「象の記憶」に、詳しく書かれてますね。 あまりにタイムリーなんで、エドさんの話しとも被りましたね。。流石エドさん詳しいですね。アルファの名付けの経緯何かも書いてありましたね。
ゴールデンカップスの本牧ブルース、クールな恋もいいですね!
いつもながらの秀逸な演奏と、もろもろの貴重な解説を有難うございました。『待ちくたびれた日曜日』知りませんでした。☆村井邦彦先生、すばらしい!☆エメラルドの伝説👏🙆🎸令和4(2022)年9月28日夕方。
テンプターズの松崎さんはお元気だったはずですが。
小薗江 圭子(おそのえ けいこ、1935年 - 2011年)この広い野原いっぱいの作詞者
失礼しました!
テンプターズはストーンズを模倣してたのか!!
スパイダースの、「あの虹をつかもう」も村井先生の作品ですね。モップスの、「朝まで待てない」より、こちらの方が先にリリースしています。
楽しかったよ😃達也です😌💓
『ざんげの値打もない』は重い曲だけどジャケットは軽かったんだね。
エドさん、ほんまに歌謡曲のことをよく知っていますネ。曲は知ってても村井邦彦さんの作曲とは知りませんでした。へ〜です。村井邦彦さんて本名ですか?鈴木邦彦さん加瀬邦彦さんも本名ですかねぇ。?
ヴィッキー!ありましたねえ。そういえば1ドル145円どころか360円の時代にヨーロッパから稼ぎにきて儲かったんでしょうか?ロザンナとかダニエル・ビダルとか外タレ(死語)結構いました。
the house of rising sun (朝日楼)は少しだけ調べたのですが、原曲はすでにアニマルズのアレンジから全然違って、もっとフォークっぽい感じでした。数年前に浅川マキさんを聞いていたときに、まさしく朝日楼というタイトルで歌ってい流のを発見しますが、なかなか雰囲気ありますよ。こちらです。th-cam.com/video/cqMjPghOKXQ/w-d-xo.html
メロディーラインが似ていた所為もあってか同時期に活躍された同名(下)の鈴木邦彦氏と度々間違えてました (笑)
松崎さんなくなられてたんですか。
松崎さん亡くなったんですか?
松崎さんの曲がワンパターン気味だったから起用されたんだろうね。いいタイミングだった。
『ざんげの値打ちもない』、本当に重い曲でしたね。荒井(松任谷)由実さんは、TBSラジオパックインミュージック、金曜日第2部の林美雄(別名ミドリブタ)さんで知りました。また、1975年に私、K大日吉校舎の生協のレコード売り場で、アルバイトをしていましたが、そこで初めて、由実さんのアルバムを拝見しました。余談ですが、由実さんの母校、立教女学院は、私の従妹の5年先輩で、多摩美術大学は、従兄の2年後輩にあたります。
ちあきなおみサンの朝日のあたる家を以前紹介あった時にYtubeで聴きました。余りの迫力と魂の響きに痺れまくりました。村井邦彦さんも筒美京平さん同様に心に残る曲が多い。あの頃は歌手も作詞家も作曲家も演奏家たちも聴衆も明日に向かって元気はつらつでした。ックううううー。
いつも 青春時代のお話しありがとうございます。毎回懐かしく拝聴してます。わたしはエドさん2年後輩になりますモトさんとおなじかな🎉いつもG Sの話しが好きです😢これからも応援してます。G S好きの71歳でした。
エメラルドの伝説、当時のバンドのメイン曲でした。懐かしい!!村井邦彦さんは、凄い作曲家でしたね。改めて認識しました。ありがとございました。
小学生の頃「みんなのうた」で広谷順子さんの「道」を聴いたときの衝撃は忘れられません。
1回で覚えてしまうほど、素晴らしいメロディーでした。
大人になってから村井邦彦さんの作品だと知り、数年前に唯一CD化されていた
村井さんの作品集(5枚組のCD)を購入しました。
広谷さんは亡くなられてしまいましたね・・・。
テンプターズの松崎さんと高久さんはご健在ですよ。
しっかり調べてから発言しないと相手に失礼ですよ!
テンプで最初に亡くなったのは田中俊夫さんです。
松崎さんはご健在です。
1968年の夏は、これと C、C、C が大流行でした。
エドさんの話を聞いていると「ああ、有ったね」とか『うわっ、懐かしい」とか「知ってる、知ってる」なんて言う曲が沢山出てきて青春時代の復讐をしているみたい。しかし村井さんは色々な曲を自在に作曲されていて器用な方だったんですね。いつも懐かしい歌から青春時代にタイムスリップさせて頂きありがとうございます。
テンプターズの松崎さんはご健在のはず。高久さんも元気。
村井先生が素晴らしいのは、旋律自体はシンプルなのに表現が豊かなことだと思います。シャープとかフラットとかの記号がベタベタくっついていないんです。「ある日突然」のレコードジャケットの裏面に、歌詞といっしょに載っていた譜面を見た時の感激は忘れません。記号がない。いわゆるハ長調です。「この人は天才だな」と思いました。
GS(グループ・サウンズ)は僅か3年67~70’短い期間でしたが、後の歌謡界に多大な影響を与えました。
例えば沢田研二にしても故萩原健一スパイダースの堺正章などが代表的なところです。
ブルー・コメッツが歌った大ヒット曲「ブルー・シャトー」は生前、井上忠夫氏が動揺「月の砂漠」を元に作曲したとおっしゃていました。B面の「青い瞳」や「マリアの泉」は今聴いても素晴らしい曲です。
のちに作詞湯川れい子作曲井上忠夫
でシャネルズが歌ってヒットした80’「ランナウェイ」などが一つの例です。
あれから50年以上経ちますが、まだまだGSソングは捨てたもんじゃありません。
ブルージーンズが好みでした、16歳のおり新宿のacbで初体験、驚愕の極地今でも忘れない。どーもエド師匠とは同い年その洗練されたプロの語り口と演奏直に聞いてみたい、銀座のタクトとやらへは一人で行っても歓迎されるものか心配「歓迎では無いがまあしょうがない」ぐらいなら行ってみたい。
ありがとうございます。お一人でお見えになる方たくさんいらっしゃいますよ~。タクトを通じて交友関係も生まれています。お待ちしてま〜す。
エメラルドの伝説いい曲ですね。
村井邦彦さんの才能をあらためて教えてもらいました。感謝
「エネラルドの伝説」なつかしい~。
ありがとうございました。
テンプターズの大口氏が言ってるようにローリングストーンズを追いかけていることはファンならずとも周知のことでしたね。私はエドさんの少し後輩にあたる年齢で
当時のGSブームの真っ只中にいる高校生でした。もちろん、ビートルズもストーンズも大好きなギター少年でした。
デビュー曲「忘れえぬ君」を聞いたとき仲間とーこれってストーンズの「ペイント・イット・ブラックー黒くぬれ」だよなーとチャカしていたのを思い出しました。
湖に君は身を投げた 花のしずくが落ちるように 湖は色を変えたのさ 君の瞳のエメラルド
なかにし礼さんが、宝塚のような世界を創る。それに、曲を乗せる村井邦彦さん。
優秀なプロがたくさんいたんだなあと思います。
ブルーインパルスの太陽の剣とメランコリー東京が少し聴けて、とても嬉しいです。リーダーだった湯村さんは、今も元気に活動してます。メランコリー東京もライブハウスで歌うそうです。又、取り上げて下さい。B級GS万歳!
待ちくたびれた日曜日ヴィッキーレアンドロスとOXオックスが歌いましたね❗
9月27日は素晴らしい銀座ライブでした・ダイヤモンドヘッド論争も興味津々でした・最後に手を振っていただきありがとうございました。
cantyって野獣会の溜まり場だったよね
村井邦彦さん あんなに沢山のヒット曲を作ってくださってたと教えて頂き びっくり
今度は 井上忠夫さんの特集も ぜひ お待ちしてますU^ェ^U
村井さんと言えば1972年「学生街の喫茶店」が入ったガロの2ndアルバムで「美しすぎて」など「学生街…」のすぎやまこういちさんに劣らぬほどの名曲を書いていますね。同年の3rdアルバム「GARO3」ではプロデューサーをしていますが2ndのレコーディングで起用したスタジオミュージシャンの宇野もんど(細野晴臣の別名)や3rdアルバムでの高橋幸宏との出会いから後にYMOのプロデュースをすることになったという話を以前NHKラジオでのインタビューで語ってました。大学生の頃からプロの現場で呼ばれていたらしいのでやっぱり天才ですね。
配信有り難う御座います。今日も懐かしくて、楽しい話面白かったです。いつか、釣りの話お願いします。
良く口ずさんだうたです。
村井邦彦氏については、ごく最近出版された、キャンティの川添象郎氏の「象の記憶」に、詳しく書かれてますね。 あまりにタイムリーなんで、エドさんの話しとも被りましたね。。流石エドさん詳しいですね。
アルファの名付けの経緯何かも書いてありましたね。
ゴールデンカップスの本牧ブルース、クールな恋もいいですね!
いつもながらの秀逸な演奏と、
もろもろの貴重な解説を
有難うございました。
『待ちくたびれた日曜日』
知りませんでした。
☆村井邦彦先生、すばらしい!
☆エメラルドの伝説👏🙆🎸
令和4(2022)年9月28日夕方。
テンプターズの松崎さんはお元気だったはずですが。
小薗江 圭子(おそのえ けいこ、1935年 - 2011年)
この広い野原いっぱい
の作詞者
失礼しました!
テンプターズはストーンズを模倣してたのか!!
スパイダースの、「あの虹をつかもう」も村井先生の作品ですね。モップスの、「朝まで待てない」より、こちらの方が先にリリースしています。
楽しかったよ😃達也です😌💓
『ざんげの値打もない』は重い曲だけどジャケットは軽かったんだね。
エドさん、ほんまに歌謡曲のことをよく知っていますネ。
曲は知ってても村井邦彦さんの作曲とは知りませんでした。
へ〜です。
村井邦彦さんて本名ですか?
鈴木邦彦さん加瀬邦彦さんも
本名ですかねぇ。?
ヴィッキー!ありましたねえ。そういえば1ドル145円どころか360円の時代にヨーロッパから稼ぎにきて儲かったんでしょうか?ロザンナとかダニエル・ビダルとか外タレ(死語)結構いました。
the house of rising sun (朝日楼)は少しだけ調べたのですが、原曲はすでにアニマルズのアレンジから全然違って、もっとフォークっぽい感じでした。
数年前に浅川マキさんを聞いていたときに、まさしく朝日楼というタイトルで歌ってい流のを発見しますが、なかなか雰囲気ありますよ。
こちらです。
th-cam.com/video/cqMjPghOKXQ/w-d-xo.html
メロディーラインが似ていた所為もあってか同時期に活躍された同名(下)の鈴木邦彦氏と度々間違えてました (笑)
松崎さんなくなられてたんですか。
松崎さん亡くなったんですか?
松崎さんの曲がワンパターン気味だったから起用されたんだろうね。いいタイミングだった。
『ざんげの値打ちもない』、本当に重い曲でしたね。
荒井(松任谷)由実さんは、TBSラジオパックインミュージック、金曜日第2部の林美雄(別名ミドリブタ)さんで知りました。
また、1975年に私、K大日吉校舎の生協のレコード売り場で、アルバイトをしていましたが、そこで初めて、由実さんのアルバムを拝見しました。
余談ですが、由実さんの母校、立教女学院は、私の従妹の5年先輩で、多摩美術大学は、従兄の2年後輩にあたります。