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奥野さんとの対談はぜひシリーズ化をお願いします!!刺さる人にはちゃんと刺さる
アニメのマクロスが歌(文化の力)で争いをとめるんだけど、その歌が普通のアイドルのラブソングだったというのが面白くて、アニメがある日本と戦争したくないと外国人が言うのに通じる、コンテンツにしても分かりやすくメッセージ性の強い物でもなく、結局ドラゴンボールやナルトのような娯楽的で、ケーキみたいに甘くてみんなに愛されたものが一番人々の心に争いの抑止力を植え付けてるっていうね
一方的な考察より、二人の化学変化により「何かとんでもないもの」にたどり着こうとしている、二人の好奇心へのワクワク感が溜まらない‼
薬屋のひとりごと最初はふーんて感じでアニメを観てましたが壬氏様がやんごとなき人だったって所と暗殺されるんじゃないかというハラハラ、ドキドキした所からハマりました点と点が繋がった所なんて、名探偵コナンばりの推理にワクワクしました震災があると色々な物が破壊されて失くしてしまうので改めて、失くした古い物や伝統的な物や服装、文化に目を向けるようになるんだろうなぁと思いました薬屋の時代の文化や服装が楽しみです✨話は変わりますが今、中居君とフジテレビの問題から漫画「大奥」を読んでますね日本とは何ぞや、フジテレビとは何ぞやの気持ちで読みたくなったんでしょうね
日本は閉ざされているが故に外国文化を開いて取り入れている。外国の文化を積極的に取り入れるが日本らしさが通奏低音として響いている。みたいなことを小坂井敏晶さんという学者さんが言っていてなるほどと思った。
お二人の話を聞いて薬屋のアニメを観てみました。お仕事ドラマと政治の話で結構面白いです。マッドサイエンティストとかカカオのくだりについては、漫画「黒執事」でカレーパンがでてくるので、お遊び的な感じだから良いのかなと思いました(チョコレートの技術は薬屋の時代から何百年も後ですが、カカオは古来から中南米で採れてたので)
後半も面白かった~。次回も楽しみにしてます😊
確かに銀魂や夏目友人帳や魔法使いの嫁のような女性人気のある作品は受動的で普通の生活がしたい主人公たちの日本的な物語だ藤本タツキは楽しみすぎる!奥野さんの講義も面白すぎるけど、村上さんの噛み砕き方もトークも最高でした。
答え探しが当たり前の社会において、世界について自分の知識や経験からの解釈でまとめることはめちゃ大事だよ
今回もめちゃくちゃ刺激的で面白かったです!
世界を変えるのはケーキ(クッキー)かも知れない。って話にすごく感動しました。日本を守っているのは米軍ではなくアニメや日本食だったって説があってもいいかもしれない。
いや、大真面目に、これからの安全保障の上での日本に対する感情やイメージは大事になってくるかと。アニメ、マンガ、日本食などが世界に与える影響は想像以上に大きいと思います。
奥野さんのお話おもしろすぎる。
これぞ日本のドラマツルギークロニクルガツンときました。「もはや日本的なものとは、編集された先の〝日本風〟のなかにあるのかも知れない」という考察は至言。全コンテンツ制作にかかわるクリエイターのみなさんに見てもらいたいですね。Xでもツイートしちゃいましたw
「誰が勇者を殺したか」の回の前に是非、日本画回の続きを!!
村上さんの後輩で現在漫画家やってる者ですが、すごく面白かったです!自分はジンシにキュンとこなくて(むしろ気持ち悪いw)、サスペンス要素が面白いから男女問わず読まれて流行ってるのかな〜くらいにしか思ってませんでした。すごく深い考察、参考にさせていただきます!
54:10 「誰が勇者を殺したか」ミリ知らでしたが、ここの村上さんの語りでウルッときてしまったすべての仕事(アーレント的な)してる人にとっての救いですね「ケーキの素晴らしさがあったから世界が救われた」
今回の動画もとても面白く拝聴しました!村上さんのチェンソーマンに対する視線や、誰が勇者を殺したかへの感動ポイントにとても共感しました。自分が考えていることと近くて、どうしてもコメントしたくなるので簡潔に失礼します。何かの拍子にお目にとまれば幸いです。結論から述べると、村上さんの言う「ケーキだったかも知れない」という視点が、純粋に日本的な感性(と言って差し支えないのではないか)と考えています。それは、ちら触れられたロラン・バルト「表徴の帝国」に引きつけていえば、西洋(意味の帝国)に対して、意味で埋めることを拒否する(すべてに意味を与えず、論理的に構成しない)文化です。わたしは、それに父権的な社会か母権的な社会かという違いが関係していると考えています。(ある記号に誰がみても同じ意味を持たせるためには『権力≒父親』が必要になる)。日本的な感性では、ある記号に対してそのような意味の固定を試みません。それゆえに作家には主体性がなくみられる(村上春樹の「あるいは〜」はまさに意味の固定化の拒否)が、それはあらゆる意味(ある特定の権力やポジションからの価値観)を相対化し、すべて並べて俯瞰し、フラットな1面のテーブルにのせてみせようという試みのような気がします。(個人的には村上さんのスーパーフラットの概念はこの日本的創作法を地で行くものだと解釈しているのですが…)しかし、そのように意味の固定化を拒否する作品をどのように鑑賞すればいいのか?という疑問に(西洋的な)主体は困惑すると思います。そこにも、同様に日本的な(オタク的な)作法が必要です。それらの記号は、おくのさんのような(既にある人生経験や作品を読んだ教養のある)読者の読解に依ってしか立ち上がらないのです。まるでお能のように、あらゆる無駄をそぎ落とした表現の中に、意味や解釈を見つけられる観客がいなければ成立しません。これは、鑑賞者によってその作品が無意味にもなるし、人生を変える大きな意味にもなる作品そのものの可能性です。「ケーキやクッキー」のお話は、まさにその鑑賞者の理想的な目線についてのことだと思いました。(そこで形つくられる『解釈』が日本的な権力機構であるところの『空気』となる別の問題も発生しますが…。)チェンソーマンについは、村上さんが上記のような純粋フラットな作品の作り手である一方で、漫画の世界観というフラットな作品の中で【それを鑑賞・あるいは生きる藤本タツキという男の子≒デンジの精神(解釈)】がドライブ(生存≒感動)していく作品だと思います。とにかく読めば読むほど面白いのですが、例えば第一部の重要な謎「父親殺し」については、意味を固定化する権力(国家と読んでもいいでしょう)を失った(そしてそれをタブーとして塞いだ)日本人の精神的問題を感じます。また、最近の老いの悪魔との対決ででた「人間は考えすぎると木になる」について、時期的なこともあってハンガンの「菜食主義者」を考えずにはいられませんでした。その後の解決方法も、めちゃくちゃで、ゲロについても安直にサルトル→実存主義のラインとかどこまで考えているだろうと不思議に思ってとにかく訳がわからない。この考えているのかわからないめちゃくちゃ(アクションの入れ方)が、意味を固定化しない≒フラットいるための手法として選択されているのは、実に漫画という文化的にクールなのだと思います。そして、村上さんの言うような「かわいらしさ」は、ささいな感動を肯定するデンジの目線(男の子としての性欲・リビドーの徹底した肯定!)ゆえではないでしょうか。最近は作品の読解にラカンをひくのは風当たりが悪いようですが、「支配の悪魔」が「憧れのお姉さん」から「娘?(養う家族)」になったりするのは、人が意識的に排除したものの無意識的な回帰として読むと興味深いです。果たして「血の悪魔」はどのように回帰するのか楽しみで仕方ありません。描いていると楽しくて、また長文をコメントしてしまいました。もしお目に触れて、何かひらめきにつながれたら光栄に思います。引き続き応援しております!
先崎彰容さんが「本居宣長」の中で書いてたのと同じ感じのことおっくんが言ってて 日本人ってやっぱそうなんだってなんか納得しました面白かった
私はずっと「日本人とは何なのか?」という問いを考え続けてきました。高校時代からファンタジーを読み漁り、ロードス島戦記やスレイヤーズ、J.R.R.トールキンの指輪物語、栗本薫のグイン・サーガ、テリー・グッドカインドの真実の剣と、いろいろな作品を読んでいきました。そうした中で、40代になって転生モノの「転スラ」を読んだとき、ふと立ち止まりました。「なぜ日本人なのに、西洋を題材にした物語に多く触れているのだろう?」という疑問が湧いたのです。この問いが、私の中で日本人とは何かという根本的な問いへとつながりました。私が辿り着いた結論は、「明治維新」 にあります。明治維新によって、古代から続いていた江戸時代の文化や価値観が大きく変わり、時代の流れに従って、私たち日本人のアイデンティティも消失してしまったのではないかと感じています。さらに、敗戦後、米軍占領下にあった日本は、再び過去を消し去るような形で再編成されました。その結果、日本人は本来のアイデンティティを見失い、意味を見失ったような感覚に陥っているのではないでしょうか。現代に作られる物語は、再編集が繰り返されており、その中で「本当の日本」「大和民族」を探すことが目的となっているように感じます。これは、物語を作る作家だけでなく、日本人全体が抱えている問いであるように見えます。ただ、近年、少しずつその「回帰」が始まっているようにも思えます。その回帰の源に、江戸時代の文化や価値観があるのではないかと私は考えています。江戸時代が日本人にとっての一つのキーであり、その時代に築かれた価値観を再発見し、取り戻すことが、これからの日本人にとって大きなテーマだと思います。奥野さんが言っていることには説得力があります。この考え方を広めることは、まさに「日本人とは何者なのか?」という問いに対する答えを探し出す手助けになると思います。次回も、楽しみにしています😊応援しています👍
面白いのは日本的物語構造作品群に偏った所に、大友克洋や諫山創みたいな大陸的物語構造の作品が定期的に殴り込みにくるとこだと思うアメコミみたいに蛸壺化しようとする前に定期的に刺激が入ることで、結果的に作品の多様性が保たれるっていうバランスがある意味で日本的というか
あぁ、MCU=タコ壷化ってのは良く分かる。特にアメリカはフォーマット作っちゃうの好きなだけに、MCUってな大枠作っちゃったらもう抜け出せない
初めて全編から拝見して村上さんと同じく共感でない漫画のそういう見方あるんだなと思った
良いね。おっくん全開だね。この人に知名度があれば、この人だけでも成り立つよね。
9:18 Japan Si-Fiだねw 結構解説がよくできてる
「既存の秩序や体制にも反体制的な理想にも向けられていた冷笑的な皮肉が破壊的な悪意に転化した」というのが前回少し触れた呉智英の大友克洋評ですが藤本タツキ(の読者)にも同じ感じがありそうです
フランス『青い目の白人とのハーフが日本の旧体制と戦う作品作ったぜ!』欧米人『面白い!』日本人『なにこの女可愛くない』
口調がわがまま女なのに男が言ってるであろうセリフで大笑いしてしまった
誰が勇者を殺したか回期待。なろうで全部読めます。
和風ファンタジーの源流は古事記だと思うんですけどラノベのそれは南総里見八犬伝が浮かびます。(私が他を知らないだけかもしれませんが)当時流行りの浮世絵を挿絵に使っているところがラノベっぽいです。魔法や魔術といった意味でのファンタジーならば式神が登場する安倍晴明でしょうか?最近の漫画やアニメは昔ほど男女に分かれていなくて(とはいえ少女漫画はたしかわたなべまさこ先生とか出る前は男性漫画家が多かったような?)ジェンダレスですよね。日本で進化している漫画の世界は、〇〇がなくてユートピアなのではなく、すべて受け入れたユートピアというところが好きです(個々の取捨選択)。クレジットカード問題で海外の“差別”侵入で壊されかけているのが気がかりです。ルックバックに関しては私の場合10代の頃、花の24年組ワクチンを接種したおかげで発症しませんでした(萩尾望都先生の半神と城です)。どちらかというと自分の“殻”を破って好きな事に打ち込めたり努力が実ってよかったねという気持ちが強く、主人公には昇華できる力があると信じています。そうそうこちらの動画を観ていたら昔1度だけ読んだ「鑑用少女」がほしくなりまして電子書籍購入しました。全然動画内容とは関係ない作品ですけど好きなものが欲しくなる感覚をありがとうございました。漫筆長文失礼しました。
誰が勇者を殺したか?読みました。なろう系、ラノベに「勇者」を題材にした作品が沢山あり、その中の一つだなという感覚でした。勇者という大きな力と責任を押しつられた存在は、多くの場合は主人公ではないのが最近の流れだなと感じます。勇者ものというジャンルがもはやあってもいいと思います。
撮影当時は1巻しか読めてないけど泣いたそうですよ。51:08~
「SHOGUN将軍」は、「ゲーム・オブ・スローンズ」のような綿密なシナリオではなかった。そんな私が見た「薬屋のひとりごと」わたしは刺さらなかった。村上さんのように、娘と共通の価値観を共有したい、みたいなハードルを下げるきっかけがあると見かたも変わってくるのかな。
42:05 現状の日本がパペットで悲しいが、(日本人が意図してそうしたわけではないが、)軍備をアウトソーシングして平和で、素晴らしいコンテンツが生まれ続けている日本で良いじゃないか。私も(年を重ね)最近そう思います。
えらく面白い🎉
猫猫はドジャースの大谷の様にチーム文化を知らないうちに変えていく。大陸的では生き残れない日本人の文化の広め方、生き残り方かと思う。
本好きの下克上とかも触れるかと思った
本好きの下剋上だと壬氏にあたるフェルディナントが嫁さんがお気に入りでしたが主人公の秘密を守る誠実な護衛騎士のダームエルの評価も高かったです。私は共に助け合ってきたルッツと厳しくも愛を持ったベンノさんが好みでしたが女性から見ると色々変わるんだなあと思ったのでぜひ分析をみたいですねえ。
18分ごろ 『リア王』のコーディリアぬき スローンズ 戦闘ぬきが薬屋 というのはいかがでしょうか
ケーキ屋さんから話聞きまして 誰が勇者を殺したか読みました。
最初にチョコレート作ってるのみて近代の話なのかと思ってました。中世なんですね。
エンタメ国家ていう切り口だと、筒井康隆の美藝公を想起します
和風ファンタジーは生まれていないという言及がありましたが、時代劇は立ち位置として、まさしく和風ファンタジーです。現在はリアルな時代考証なんかをしているものもありますが、本来は「新時代の風を感じられる自由な劇(だから時代劇)」なので、形式は薬屋のなんちゃって混ぜこぜ中華と同じ物です
おもろい!おもろみが過ぎる!おっくんのラノベのドメスティック解釈にぜひヴィランやアウトローにも注目して語ってほしいです!日本の悪役や不良って欧米や中華圏と比べてもすごく同質的とか日本的と言えませんかね。誰が勇者を殺したか読んでみます!!
なんちゃって中世ヨーロッパ風の舞台背景に対する言葉「ナーロッパ」みたいな中華風舞台に対する言葉ができると広がるかもですね。
まさか、転生したらスライムになるような転生モノ自体が日本の宗教観の本質に向かっていくのかもしれないね🎉
らんま1/2も中華風ですかね~
定期的に長期間の戦争の無い時代になる、日本だからこその死生観や哲学的で無い娯楽作品が出来るのかな〜とふと思いました。大陸だと統一期間や平和状態でも常に敵が存在している平和なので、ユーラシア文明圏で居ながら完全孤立島国では大陸と同じ平和と言う言葉でも意味は結構違うからの差異があるのかも。日本には、この平和で退屈な時代をその場その場で楽しい事して生きて行こうみたいな考えもあったりするのかな?男向けのなろう系に期待してるのは完全エンタメの和風の剣豪物や中華ファンタジーの武侠物が出てこないかなーと思ってます。現在ウェブトゥーンによって中華文明のなろう作品である中華ファンタジーの設定に触れる機会が増えたので、そのうち日本で西洋ファンタジー対中華ファンタジーが争い合うようになるんじゃ無いか?和風ファンタジーはドラクエ(西洋ファンタジー)に敗北し壊滅したので、中華圏で西洋ファンタジー要素を取り込んで成長した中華ファンタジーに太刀打ち出来ず復活する事は無いと思っているので。(国語が下手で、言葉がゴチャついててすみません
あああ読みたい本が増えていく〜現実日本がグローバルの中に埋もれているからこそ「日本的な、あるある」は、外の世界を舞台にした作品たちに現れる方がリアルってのが、こ〜不思議な感情になりました。「誰が勇者を殺したか」面白そうです
>「日本を取り戻そうとするところに「日本」はないるろうに剣心や鬼滅の刃(大分外れていますがその間に入る作品であるBLEACHも)は明治維新後であっても日本的なものを追っている作品であるかと思います。
源氏物語にも似ている。宮廷もの。女官もの。光源氏と大勢の女官。
確かに!それで言うと猫猫は紫式部の立ち位置かな?観察者。
なんでこれオススメにでてきたんだ?
ゲームオブスローンズ 最高に面白かったですよね。 男は全部死んでしまう。女はすべて美しく、賢く、残虐 大陸的で面白かった。
藤本タツキさん、というかチェーンソーマンを読んだ時に、舞城王太郎さんのドリルホールインマイブレインを思い出しました。あの辺りの影響は大きいのではないでしょうか
ラノベの走り?の雑誌ファウストvol.01の巻頭に著者の描くイラストと共に掲載されています。(単行本「好き好き大好き超愛してる」にも掲載されていますが、あの時代ごと感じれるファウスト版を読んでみていただきたい)間違いなくあの辺りにルーツがあると思います、B級映画感とかはフレーバーくらいのものだと思えます。
ゲームオブスローンズは黒澤明の七人の侍を下敷きして映像化されてます。七人の侍は農民と侍は実は仲は悪いが一緒に結託して盗賊を追い払うストーリーですし、ゲームオブスローンズは地域ごと仲が悪いが最後は結託して謎の軍団と戦うというストーリー構成です。また七人の侍の三船敏郎は農民であるがゆえに侍になれない役でしたが、ゲームオブスローンズの主要人物のジョン・スノウは正式にスターク家に招かれない役です。さらに七人の侍では農民の頼みを聞いて官兵衛は侍を探す役を志村喬がやりますが、ゲームオブスローンズではダヴォスという男が謎の軍団をと戦うために協力を求めるような役回りをします。ダヴォス演じるリアムカニンガムはゲームオブスローンズを作ったd.dコンビと再びタッグを組んでNetflixで三体というドラマに出演してますが、こちらも謎の宇宙生物と戦う事になり、優秀な科学者を集めて作戦を立てる役回りを演じています。七人の侍のストーリー構成は三体にも生かされていて、官兵衛の役回りをリアムカニンガムは再び演じています。志村喬に少し似てます。ゲームオブスローンズを制作したHBOは、実は黒澤明の映画を徹底的に研究してドラマにしています。2024年は天国と地獄をモチーフにしたフルサークル、バットマンの敵役のペンギンをドラマ化したペンギンがあります。ペンギンの第一話目は明らかに黒澤明の用心棒のヤクザ同士を対立させる展開をマネていますし、ペンギンも横顔は三船敏郎に少し似てますし、敵役のソフィアは用心棒で三船敏郎の敵役になる仲代達矢に顔が似ています。かつてHBOはバリーというドラマを制作していますが、戦争帰りで精神が不安定になったバリーが真っ当な職に就けず、暗殺者または用心棒として、野良犬のような存在の立ち位置にいるのですが、黒澤明の野良犬の三船敏郎にかけつつ、主人公のビルベイダーは仲代達矢に顔が似ているので映画用心棒における仲代達矢サイドの方のストーリーを展開していってます。この事があってペンギンでも用心棒ベースでストーリー展開していってますし、過去にバリーというドラマで仲代達矢サイドのドラマを制作してますからソフィアもおそらくそうだと思います。なぜ黒澤明なのか?それは戦争があった事が大きな原因だと思います。よろしければこちらの記事をご覧ください。spiralout.hateblo.jp/entry/2025/01/22/194348チェンソーマンは藤本タツキは音楽、ロック好きでおそらく90年代の中心的なバンド、日本のブランキージェットシティとアメリカのnirvanaの影響が強いと思われます。チェンソーマンのデンジという名前の由来はブランキーのボーカル、ベンジーからきのてると思います。デンジとベンジー。またベンジーの書く歌詞は散文詩的で、デンジの話してる事と符合するところがあります。またブランキーの代表曲でもあるスカンクという曲には、チェンソーが出てきます。真っ赤なボディに彼女は悲鳴をあげるという歌詞もあるのでチェンソーマンのストーリーにも取り入れてると思います。またデンジの生い立ちはnirvanaのカートコバーンっぽいところあるし、単行本11巻はカートコバーンがスーツに身を包んだ写真があるのでおそらく参考にしてると思います。そしてnirvanにはオールアポロジーズという曲がありますが、太陽の光の中で俺たちは一つになり結婚して埋葬されるという歌詞がありますが、ストーリーそのものもこの歌詞をなぞるような形になっていると思います。チェンソーマンはおそらく90年代が舞台だと思いますが?90年代ロックの大きなうねりとしてグランジというムーブメントがあり、退廃的でありながらオールアポロジーズの最期の歌詞に、俺たちは何者にも勝るかけがえない存在だと、という事に惹かれているのかなと思ったりしています。長々とすいません。
小林秀雄ぽい何かを感じる
言語の壁(オノマトペなど)をAIが、うまくできればいいな。
極端にしないと伝わない
あんまり考察しない世代ですが、村上さん×おっくんが楽しそうで面白かったです。 村上さんてビジュアルの人で物語あんまり読めてないのかな…😅おっくん解説してあげてくださいませ
都合の悪い物を沖縄に押し付けて、ろくに抗議もせず無視し続けることが良い訳ないだろ。
厳しい意見ですが分かりづらいです。 理論化しようとしているが元々本人がしっかり熟考していないためか理論化出来ておらず結果抽象的で説明がかなり下手な印象を受けます。感想を言っているのか、構造を言っているのか説明の道筋がぐちゃぐちゃです。構造を小難しく説明していますが結果それが何なのか、語る本人も曖昧なため視聴者にも伝わりません。難しい専門用語を羅列して説明するのは素人、また理論武装にもみえます。また定義するに至った根拠は何なのか説明不十分なまま進行が進み聞く側としてはこの人ふわふわしているなという印象を受けます。ヤンサンの時から感じてますが奥野さんは構造など語りたがりますが説明が分かりづらいです。構造を捉えてあらゆる角度からみて、考察したうえで結論として何をどのように伝えたいのか自信を持って最後までプレゼンしてほしいです。その点山田玲司先生はプレゼンの仕方が上手なので学んで下さい
リテラシーの問題ですね。
村上隆を前にして伝えたい思いや情熱があるのは伝わるのですが、、、今回に限って言えば本人が考えている物語構造と言う莫大な情報を短い尺で説明するのは難しいと思います。もっと要点をまとめて欲しいなと思いました。またその定義されている構造というものは、文学に精通する方の共通認識の知識なのか、それとも本人の創作された造語なのか不明で説得力も乏しい為個人的に怪しく感じました。しかしこれまでヤンサンで語られたバキや日本画の解説は良かったです
オタク特有の話し方なんだけど自己注釈が多すぎて聞いてられないなまぁ厳密には〜なんだけどとか、これはいいや後でとか
なぜこの文脈で手塚治虫が出ないのか、少し違和感。ラノベとweb小説とで文脈が異なるのでそこは分けてほしい。藤本タツキさんについて、村上さんが言わんとしていることはもう少し言語化してほしい。なぜならタツキ作品の中にあるB級映画かんと世界の退廃感はアニメでは表現されていなかった。だから文学的なエッセンスがアニメからは感じられなかった。藤本作品の家族論。と死生観。推しキャラが次々死んでいくあの絶望感はやみつきになるので是非解説してほしいですね。
日本の歴史、文学、サブカルに関しては 小谷野敦先生 & かしまし歴史チャンネル のほうが遥かにおすすめ
自意識や死生観に関してはターゲット層が幼いだけじゃないの?
奥野さんとの対談はぜひシリーズ化をお願いします!!刺さる人にはちゃんと刺さる
アニメのマクロスが歌(文化の力)で争いをとめるんだけど、その歌が普通のアイドルのラブソングだったというのが面白くて、アニメがある日本と戦争したくないと外国人が言うのに通じる、
コンテンツにしても分かりやすくメッセージ性の強い物でもなく、結局ドラゴンボールやナルトのような娯楽的で、ケーキみたいに甘くてみんなに愛されたものが一番人々の心に争いの抑止力を植え付けてるっていうね
一方的な考察より、二人の化学変化により「何かとんでもないもの」にたどり着こうとしている、二人の好奇心へのワクワク感が溜まらない‼
薬屋のひとりごと
最初はふーんて感じでアニメを観てましたが
壬氏様がやんごとなき人だったって所と暗殺されるんじゃないかというハラハラ、ドキドキした所からハマりました
点と点が繋がった所なんて、名探偵コナンばりの推理にワクワクしました
震災があると色々な物が破壊されて失くしてしまうので改めて、失くした古い物や伝統的な物や服装、文化に目を向けるようになるんだろうなぁと思いました
薬屋の時代の文化や服装が楽しみです✨
話は変わりますが
今、中居君とフジテレビの問題から漫画「大奥」を読んでますね
日本とは何ぞや、フジテレビとは何ぞやの気持ちで読みたくなったんでしょうね
日本は閉ざされているが故に外国文化を開いて取り入れている。外国の文化を積極的に取り入れるが日本らしさが通奏低音として響いている。みたいなことを小坂井敏晶さんという学者さんが言っていてなるほどと思った。
お二人の話を聞いて薬屋のアニメを観てみました。お仕事ドラマと政治の話で結構面白いです。マッドサイエンティストとかカカオのくだりについては、漫画「黒執事」でカレーパンがでてくるので、お遊び的な感じだから良いのかなと思いました(チョコレートの技術は薬屋の時代から何百年も後ですが、カカオは古来から中南米で採れてたので)
後半も面白かった~。次回も楽しみにしてます😊
確かに銀魂や夏目友人帳や魔法使いの嫁のような女性人気のある作品は受動的で普通の生活がしたい主人公たちの日本的な物語だ
藤本タツキは楽しみすぎる!
奥野さんの講義も面白すぎるけど、
村上さんの噛み砕き方もトークも最高でした。
答え探しが当たり前の社会において、
世界について自分の知識や経験からの解釈でまとめることはめちゃ大事だよ
今回もめちゃくちゃ刺激的で面白かったです!
世界を変えるのはケーキ(クッキー)かも知れない。って話にすごく感動しました。日本を守っているのは米軍ではなくアニメや日本食だったって説があってもいいかもしれない。
いや、大真面目に、これからの安全保障の上での日本に対する感情やイメージは大事になってくるかと。アニメ、マンガ、日本食などが世界に与える影響は想像以上に大きいと思います。
奥野さんのお話おもしろすぎる。
これぞ日本のドラマツルギークロニクル
ガツンときました。「もはや日本的なものとは、編集された先の〝日本風〟のなかにあるのかも知れない」という考察は至言。全コンテンツ制作にかかわるクリエイターのみなさんに見てもらいたいですね。Xでもツイートしちゃいましたw
「誰が勇者を殺したか」の回の前に是非、日本画回の続きを!!
村上さんの後輩で現在漫画家やってる者ですが、すごく面白かったです!
自分はジンシにキュンとこなくて(むしろ気持ち悪いw)、サスペンス要素が面白いから男女問わず読まれて流行ってるのかな〜くらいにしか思ってませんでした。
すごく深い考察、参考にさせていただきます!
54:10 「誰が勇者を殺したか」ミリ知らでしたが、ここの村上さんの語りでウルッときてしまった
すべての仕事(アーレント的な)してる人にとっての救いですね
「ケーキの素晴らしさがあったから世界が救われた」
今回の動画もとても面白く拝聴しました!村上さんのチェンソーマンに対する視線や、誰が勇者を殺したかへの感動ポイントにとても共感しました。自分が考えていることと近くて、どうしてもコメントしたくなるので簡潔に失礼します。何かの拍子にお目にとまれば幸いです。
結論から述べると、村上さんの言う「ケーキだったかも知れない」という視点が、純粋に日本的な感性(と言って差し支えないのではないか)と考えています。それは、ちら触れられたロラン・バルト「表徴の帝国」に引きつけていえば、西洋(意味の帝国)に対して、意味で埋めることを拒否する(すべてに意味を与えず、論理的に構成しない)文化です。わたしは、それに父権的な社会か母権的な社会かという違いが関係していると考えています。(ある記号に誰がみても同じ意味を持たせるためには『権力≒父親』が必要になる)。日本的な感性では、ある記号に対してそのような意味の固定を試みません。それゆえに作家には主体性がなくみられる(村上春樹の「あるいは〜」はまさに意味の固定化の拒否)が、それはあらゆる意味(ある特定の権力やポジションからの価値観)を相対化し、すべて並べて俯瞰し、フラットな1面のテーブルにのせてみせようという試みのような気がします。(個人的には村上さんのスーパーフラットの概念はこの日本的創作法を地で行くものだと解釈しているのですが…)
しかし、そのように意味の固定化を拒否する作品をどのように鑑賞すればいいのか?という疑問に(西洋的な)主体は困惑すると思います。そこにも、同様に日本的な(オタク的な)作法が必要です。それらの記号は、おくのさんのような(既にある人生経験や作品を読んだ教養のある)読者の読解に依ってしか立ち上がらないのです。まるでお能のように、あらゆる無駄をそぎ落とした表現の中に、意味や解釈を見つけられる観客がいなければ成立しません。これは、鑑賞者によってその作品が無意味にもなるし、人生を変える大きな意味にもなる作品そのものの可能性です。「ケーキやクッキー」のお話は、まさにその鑑賞者の理想的な目線についてのことだと思いました。(そこで形つくられる『解釈』が日本的な権力機構であるところの『空気』となる別の問題も発生しますが…。)
チェンソーマンについは、村上さんが上記のような純粋フラットな作品の作り手である一方で、漫画の世界観というフラットな作品の中で【それを鑑賞・あるいは生きる藤本タツキという男の子≒デンジの精神(解釈)】がドライブ(生存≒感動)していく作品だと思います。とにかく読めば読むほど面白いのですが、例えば第一部の重要な謎「父親殺し」については、意味を固定化する権力(国家と読んでもいいでしょう)を失った(そしてそれをタブーとして塞いだ)日本人の精神的問題を感じます。また、最近の老いの悪魔との対決ででた「人間は考えすぎると木になる」について、時期的なこともあってハンガンの「菜食主義者」を考えずにはいられませんでした。その後の解決方法も、めちゃくちゃで、ゲロについても安直にサルトル→実存主義のラインとかどこまで考えているだろうと不思議に思ってとにかく訳がわからない。この考えているのかわからないめちゃくちゃ(アクションの入れ方)が、意味を固定化しない≒フラットいるための手法として選択されているのは、実に漫画という文化的にクールなのだと思います。そして、村上さんの言うような「かわいらしさ」は、ささいな感動を肯定するデンジの目線(男の子としての性欲・リビドーの徹底した肯定!)ゆえではないでしょうか。最近は作品の読解にラカンをひくのは風当たりが悪いようですが、「支配の悪魔」が「憧れのお姉さん」から「娘?(養う家族)」になったりするのは、人が意識的に排除したものの無意識的な回帰として読むと興味深いです。果たして「血の悪魔」はどのように回帰するのか楽しみで仕方ありません。
描いていると楽しくて、また長文をコメントしてしまいました。もしお目に触れて、何かひらめきにつながれたら光栄に思います。引き続き応援しております!
先崎彰容さんが「本居宣長」の中で書いてたのと同じ感じのことおっくんが言ってて 日本人ってやっぱそうなんだってなんか納得しました
面白かった
私はずっと「日本人とは何なのか?」という問いを考え続けてきました。高校時代からファンタジーを読み漁り、ロードス島戦記やスレイヤーズ、J.R.R.トールキンの指輪物語、栗本薫のグイン・サーガ、テリー・グッドカインドの真実の剣と、いろいろな作品を読んでいきました。そうした中で、40代になって転生モノの「転スラ」を読んだとき、ふと立ち止まりました。「なぜ日本人なのに、西洋を題材にした物語に多く触れているのだろう?」という疑問が湧いたのです。
この問いが、私の中で日本人とは何かという根本的な問いへとつながりました。
私が辿り着いた結論は、「明治維新」 にあります。明治維新によって、古代から続いていた江戸時代の文化や価値観が大きく変わり、時代の流れに従って、私たち日本人のアイデンティティも消失してしまったのではないかと感じています。さらに、敗戦後、米軍占領下にあった日本は、再び過去を消し去るような形で再編成されました。その結果、日本人は本来のアイデンティティを見失い、意味を見失ったような感覚に陥っているのではないでしょうか。
現代に作られる物語は、再編集が繰り返されており、その中で「本当の日本」「大和民族」を探すことが目的となっているように感じます。これは、物語を作る作家だけでなく、日本人全体が抱えている問いであるように見えます。
ただ、近年、少しずつその「回帰」が始まっているようにも思えます。その回帰の源に、江戸時代の文化や価値観があるのではないかと私は考えています。江戸時代が日本人にとっての一つのキーであり、その時代に築かれた価値観を再発見し、取り戻すことが、これからの日本人にとって大きなテーマだと思います。
奥野さんが言っていることには説得力があります。この考え方を広めることは、まさに「日本人とは何者なのか?」という問いに対する答えを探し出す手助けになると思います。
次回も、楽しみにしています😊
応援しています👍
面白いのは日本的物語構造作品群に偏った所に、大友克洋や諫山創みたいな大陸的物語構造の作品が定期的に殴り込みにくるとこだと思う
アメコミみたいに蛸壺化しようとする前に定期的に刺激が入ることで、結果的に作品の多様性が保たれるっていうバランスがある意味で日本的というか
あぁ、MCU=タコ壷化ってのは良く分かる。特にアメリカはフォーマット作っちゃうの好きなだけに、MCUってな大枠作っちゃったらもう抜け出せない
初めて全編から拝見して村上さんと同じく共感でない漫画のそういう見方あるんだなと思った
良いね。おっくん全開だね。この人に知名度があれば、この人だけでも成り立つよね。
9:18 Japan Si-Fiだねw 結構解説がよくできてる
「既存の秩序や体制にも反体制的な理想にも向けられていた冷笑的な皮肉が破壊的な悪意に転化した」というのが前回少し触れた呉智英の大友克洋評ですが藤本タツキ(の読者)にも同じ感じがありそうです
フランス『青い目の白人とのハーフが日本の旧体制と戦う作品作ったぜ!』
欧米人『面白い!』
日本人『なにこの女可愛くない』
口調がわがまま女なのに男が言ってるであろうセリフで大笑いしてしまった
誰が勇者を殺したか回期待。なろうで全部読めます。
和風ファンタジーの源流は古事記だと思うんですけどラノベのそれは南総里見八犬伝が浮かびます。(私が他を知らないだけかもしれませんが)当時流行りの浮世絵を挿絵に使っているところがラノベっぽいです。魔法や魔術といった意味でのファンタジーならば式神が登場する安倍晴明でしょうか?最近の漫画やアニメは昔ほど男女に分かれていなくて(とはいえ少女漫画はたしかわたなべまさこ先生とか出る前は男性漫画家が多かったような?)ジェンダレスですよね。日本で進化している漫画の世界は、〇〇がなくてユートピアなのではなく、すべて受け入れたユートピアというところが好きです(個々の取捨選択)。クレジットカード問題で海外の“差別”侵入で壊されかけているのが気がかりです。ルックバックに関しては私の場合10代の頃、花の24年組ワクチンを接種したおかげで発症しませんでした(萩尾望都先生の半神と城です)。どちらかというと自分の“殻”を破って好きな事に打ち込めたり努力が実ってよかったねという気持ちが強く、主人公には昇華できる力があると信じています。そうそうこちらの動画を観ていたら昔1度だけ読んだ「鑑用少女」がほしくなりまして電子書籍購入しました。全然動画内容とは関係ない作品ですけど好きなものが欲しくなる感覚をありがとうございました。漫筆長文失礼しました。
誰が勇者を殺したか?読みました。
なろう系、ラノベに「勇者」を題材にした作品が沢山あり、その中の一つだなという感覚でした。
勇者という大きな力と責任を押しつられた存在は、多くの場合は主人公ではないのが最近の流れだなと感じます。
勇者ものというジャンルがもはやあってもいいと思います。
撮影当時は1巻しか読めてないけど泣いたそうですよ。51:08~
「SHOGUN将軍」は、「ゲーム・オブ・スローンズ」のような綿密なシナリオではなかった。
そんな私が見た「薬屋のひとりごと」
わたしは刺さらなかった。
村上さんのように、娘と共通の価値観を共有したい、みたいなハードルを下げるきっかけがあると見かたも変わってくるのかな。
42:05 現状の日本がパペットで悲しいが、(日本人が意図してそうしたわけではないが、)軍備をアウトソーシングして平和で、素晴らしいコンテンツが生まれ続けている日本で良いじゃないか。私も(年を重ね)最近そう思います。
えらく面白い🎉
猫猫はドジャースの大谷の様にチーム文化を知らないうちに変えていく。大陸的では生き残れない日本人の文化の広め方、生き残り方かと思う。
本好きの下克上とかも触れるかと思った
本好きの下剋上だと壬氏にあたるフェルディナントが嫁さんがお気に入りでしたが主人公の秘密を守る誠実な護衛騎士のダームエルの評価も高かったです。私は共に助け合ってきたルッツと厳しくも愛を持ったベンノさんが好みでしたが女性から見ると色々変わるんだなあと思ったのでぜひ分析をみたいですねえ。
18分ごろ 『リア王』のコーディリアぬき スローンズ 戦闘ぬきが薬屋 というのはいかがでしょうか
ケーキ屋さんから話聞きまして 誰が勇者を殺したか読みました。
最初にチョコレート作ってるのみて近代の話なのかと思ってました。中世なんですね。
エンタメ国家ていう切り口だと、筒井康隆の美藝公を想起します
和風ファンタジーは生まれていないという言及がありましたが、時代劇は立ち位置として、まさしく和風ファンタジーです。現在はリアルな時代考証なんかをしているものもありますが、本来は「新時代の風を感じられる自由な劇(だから時代劇)」なので、形式は薬屋のなんちゃって混ぜこぜ中華と同じ物です
おもろい!おもろみが過ぎる!おっくんのラノベのドメスティック解釈にぜひヴィランやアウトローにも注目して語ってほしいです!日本の悪役や不良って欧米や中華圏と比べてもすごく同質的とか日本的と言えませんかね。誰が勇者を殺したか読んでみます!!
なんちゃって中世ヨーロッパ風の舞台背景に対する言葉「ナーロッパ」みたいな中華風舞台に対する言葉ができると広がるかもですね。
まさか、転生したらスライムになるような転生モノ自体が日本の宗教観の本質に向かっていくのかもしれないね🎉
らんま1/2も中華風ですかね~
定期的に長期間の戦争の無い時代になる、日本だからこその死生観や哲学的で無い娯楽作品が出来るのかな〜とふと思いました。
大陸だと統一期間や平和状態でも常に敵が存在している平和なので、ユーラシア文明圏で居ながら完全孤立島国では大陸と同じ平和と言う言葉でも意味は結構違うからの差異があるのかも。
日本には、この平和で退屈な時代をその場その場で楽しい事して生きて行こうみたいな考えもあったりするのかな?
男向けのなろう系に期待してるのは完全エンタメの和風の剣豪物や中華ファンタジーの武侠物が出てこないかなーと思ってます。
現在ウェブトゥーンによって中華文明のなろう作品である中華ファンタジーの設定に触れる機会が増えたので、そのうち日本で西洋ファンタジー対中華ファンタジーが争い合うようになるんじゃ無いか?和風ファンタジーはドラクエ(西洋ファンタジー)に敗北し壊滅したので、中華圏で西洋ファンタジー要素を取り込んで成長した中華ファンタジーに太刀打ち出来ず復活する事は無いと思っているので。
(国語が下手で、言葉がゴチャついててすみません
あああ読みたい本が増えていく〜
現実日本がグローバルの中に埋もれているからこそ「日本的な、あるある」は、外の世界を舞台にした作品たちに現れる方がリアルってのが、こ〜不思議な感情になりました。
「誰が勇者を殺したか」面白そうです
>「日本を取り戻そうとするところに「日本」はない
るろうに剣心や鬼滅の刃(大分外れていますがその間に入る作品であるBLEACHも)は明治維新後であっても日本的なものを追っている作品であるかと思います。
源氏物語にも似ている。宮廷もの。女官もの。光源氏と大勢の女官。
確かに!それで言うと猫猫は紫式部の立ち位置かな?観察者。
なんでこれオススメにでてきたんだ?
ゲームオブスローンズ 最高に面白かったですよね。 男は全部死んでしまう。女はすべて美しく、賢く、残虐 大陸的で面白かった。
藤本タツキさん、というかチェーンソーマンを読んだ時に、舞城王太郎さんのドリルホールインマイブレインを思い出しました。あの辺りの影響は大きいのではないでしょうか
ラノベの走り?の雑誌ファウストvol.01の巻頭に著者の描くイラストと共に掲載されています。(単行本「好き好き大好き超愛してる」にも掲載されていますが、あの時代ごと感じれるファウスト版を読んでみていただきたい)
間違いなくあの辺りにルーツがあると思います、B級映画感とかはフレーバーくらいのものだと思えます。
ゲームオブスローンズは黒澤明の七人の侍を下敷きして映像化されてます。
七人の侍は農民と侍は実は仲は悪いが一緒に結託して盗賊を追い払うストーリーですし、ゲームオブスローンズは地域ごと仲が悪いが最後は結託して謎の軍団と戦うというストーリー構成です。
また七人の侍の三船敏郎は農民であるがゆえに侍になれない役でしたが、ゲームオブスローンズの主要人物のジョン・スノウは正式にスターク家に招かれない役です。
さらに七人の侍では農民の頼みを聞いて官兵衛は侍を探す役を志村喬がやりますが、ゲームオブスローンズではダヴォスという男が謎の軍団をと戦うために協力を求めるような役回りをします。ダヴォス演じるリアムカニンガムはゲームオブスローンズを作ったd.dコンビと再びタッグを組んでNetflixで三体というドラマに出演してますが、こちらも謎の宇宙生物と戦う事になり、優秀な科学者を集めて作戦を立てる役回りを演じています。
七人の侍のストーリー構成は三体にも生かされていて、官兵衛の役回りをリアムカニンガムは再び演じています。志村喬に少し似てます。
ゲームオブスローンズを制作したHBOは、実は黒澤明の映画を徹底的に研究してドラマにしています。2024年は天国と地獄をモチーフにしたフルサークル、バットマンの敵役のペンギンをドラマ化したペンギンがあります。
ペンギンの第一話目は明らかに黒澤明の用心棒のヤクザ同士を対立させる展開をマネていますし、ペンギンも横顔は三船敏郎に少し似てますし、敵役のソフィアは用心棒で三船敏郎の敵役になる仲代達矢に顔が似ています。
かつてHBOはバリーというドラマを制作していますが、戦争帰りで精神が不安定になったバリーが真っ当な職に就けず、暗殺者または用心棒として、野良犬のような存在の立ち位置にいるのですが、黒澤明の野良犬の三船敏郎にかけつつ、主人公のビルベイダーは仲代達矢に顔が似ているので映画用心棒における仲代達矢サイドの方のストーリーを展開していってます。
この事があってペンギンでも用心棒ベースでストーリー展開していってますし、過去にバリーというドラマで仲代達矢サイドのドラマを制作してますからソフィアもおそらくそうだと思います。
なぜ黒澤明なのか?それは戦争があった事が大きな原因だと思います。
よろしければこちらの記事をご覧ください。
spiralout.hateblo.jp/entry/2025/01/22/194348
チェンソーマンは藤本タツキは音楽、ロック好きでおそらく90年代の中心的なバンド、日本のブランキージェットシティとアメリカのnirvanaの影響が強いと思われます。
チェンソーマンのデンジという名前の由来はブランキーのボーカル、ベンジーからきのてると思います。
デンジとベンジー。またベンジーの書く歌詞は散文詩的で、デンジの話してる事と符合するところがあります。またブランキーの代表曲でもあるスカンクという曲には、チェンソーが出てきます。
真っ赤なボディに彼女は悲鳴をあげるという歌詞もあるのでチェンソーマンのストーリーにも取り入れてると思います。
またデンジの生い立ちはnirvanaのカートコバーンっぽいところあるし、単行本11巻はカートコバーンがスーツに身を包んだ写真があるのでおそらく参考にしてると思います。
そしてnirvanにはオールアポロジーズという曲がありますが、太陽の光の中で俺たちは一つになり結婚して埋葬されるという歌詞がありますが、ストーリーそのものもこの歌詞をなぞるような形になっていると思います。
チェンソーマンはおそらく90年代が舞台だと思いますが?90年代ロックの大きなうねりとしてグランジというムーブメントがあり、退廃的でありながらオールアポロジーズの最期の歌詞に、俺たちは何者にも勝るかけがえない存在だと、という事に惹かれているのかなと思ったりしています。
長々とすいません。
小林秀雄ぽい何かを感じる
言語の壁(オノマトペなど)をAIが、うまくできればいいな。
極端にしないと伝わない
あんまり考察しない世代ですが、村上さん×おっくんが楽しそうで面白かったです。 村上さんてビジュアルの人で物語あんまり読めてないのかな…😅おっくん解説してあげてくださいませ
都合の悪い物を沖縄に押し付けて、ろくに抗議もせず無視し続けることが良い訳ないだろ。
厳しい意見ですが分かりづらいです。
理論化しようとしているが元々本人がしっかり熟考していないためか理論化出来ておらず結果抽象的で説明がかなり下手な印象を受けます。
感想を言っているのか、構造を言っているのか説明の道筋がぐちゃぐちゃです。構造を小難しく説明していますが結果それが何なのか、語る本人も曖昧なため視聴者にも伝わりません。
難しい専門用語を羅列して説明するのは素人、また理論武装にもみえます。また定義するに至った根拠は何なのか説明不十分なまま進行が進み
聞く側としてはこの人ふわふわしているなという印象を受けます。
ヤンサンの時から感じてますが奥野さんは構造など語りたがりますが説明が分かりづらいです。
構造を捉えてあらゆる角度からみて、考察したうえで結論として何をどのように伝えたいのか自信を持って最後までプレゼンしてほしいです。
その点山田玲司先生はプレゼンの仕方が上手なので学んで下さい
リテラシーの問題ですね。
村上隆を前にして伝えたい思いや情熱があるのは伝わるのですが、、、
今回に限って言えば本人が考えている物語構造と言う莫大な情報を短い尺で説明するのは難しいと思います。もっと要点をまとめて欲しいなと思いました。
またその定義されている構造というものは、文学に精通する方の共通認識の知識なのか、それとも本人の創作された造語なのか不明で説得力も乏しい為個人的に怪しく感じました。
しかしこれまでヤンサンで語られたバキや日本画の解説は良かったです
オタク特有の話し方なんだけど自己注釈が多すぎて聞いてられないな
まぁ厳密には〜なんだけどとか、これはいいや後でとか
なぜこの文脈で手塚治虫が出ないのか、少し違和感。ラノベとweb小説とで文脈が異なるのでそこは分けてほしい。藤本タツキさんについて、村上さんが言わんとしていることはもう少し言語化してほしい。なぜならタツキ作品の中にあるB級映画かんと世界の退廃感はアニメでは表現されていなかった。だから文学的なエッセンスがアニメからは感じられなかった。藤本作品の家族論。と死生観。推しキャラが次々死んでいくあの絶望感はやみつきになるので是非解説してほしいですね。
日本の歴史、文学、サブカルに関しては 小谷野敦先生 & かしまし歴史チャンネル のほうが遥かにおすすめ
自意識や死生観に関してはターゲット層が幼いだけじゃないの?
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