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奪い合うと足りないけれど、分け合うと余る。奪い合う社会から分け合う社会にシフトするということだな〜と理解しました。そうしていきたいです。
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ベーシックインカムと物々交換の組み合わせは理想的な省資源社会ですね。
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原子力発電所や工場からの排熱(海・空中への)規制がなされない理由はどうした理由でしょうか?
「経済思想家」という肩書きが良い。それによって実現可能な論理を説かなくても許されるポジションに立てる。もし私がこの論理にそって解決策を想像するなら、世界トップクラスの金持ちを定期的に抹殺する案を提示する。多分、彼の方法よりもコストが掛からずに富の再分配が可能になる。
物々交換社会は、地域コミュニティの復活と、脱税し放題社会になって、役人天国の打破が可能かも知れない。Webサービス(金子勇さんのwinny的なP2P)でなら、個人間取引の消費税が掛からないでしょうねぇ…。
民主主義は、『政治に人民が参加する』という意味においては、歴史・伝統・文化が違う為、それぞれの地域や国、または、その地域や国のそれぞれの時代、即ち、空間軸や時間軸で意味合いが変わってきます。従って、前近代と近代で全く意味合いが違います。だから、共産主義も近代思想である為、近代民主主義とも言えます。だたし、共産主義は、『私有財産の禁止』や近代法・社会主義(統制経済システム)が成り立つ事を前提になっています。ソ連は、この前提が成り立っている事になっていましたが、実質と形式が乖離しすぎたから、結局、崩壊してしまいました。よって、民主主義の対抗概念は、共産主義でも社会主義でも専制主義でも全体主義でも独裁でも寡頭政治でもなく、神聖政治(シオクラシー)でしょうね。近代思想では、政教が分離して、個々人の倫理・道徳が存在する余地がありますが、前近代的な神聖政治では、基本的に政教の明確な分離はなく、例え有ったとしても、少なくとも曖昧さを残したままにしている事で、個々人の倫理・道徳が存在する余地を殆ど残しません。民主主義の成り立つ集団では、自立した個人の集まりが、社会(Society)を構築(または過渡期としての理想と)しますが、神聖政治の成り立つ集団では、世間(漠然とした伝統的慣習や掟・仕来り・習わし・風習)からどれだけ離れているかで常識人や非常識人が確定します。だから、古代ユダヤ教(神聖政治=政教一致)では、タコやイカを食べてはいけない等の食物規定がありました。決められた当初は、それなりに合理的な理由もあったでしょうが、時代が下るに連れ、伝統的慣習となり正統性を帯びますが、時代や世代(また、国や地域)に沿った正当性は失われていきました。そこに、古代ユダヤ教の改革者である救世主としてのイエスが誕生(キリスト教が誕生=伝道者パウロの創設した宗教が誕生)してきます。政治と宗教の狭間で、個々人の倫理・道徳を内なる人格神から導き出し、確立したのですから、古代ユダヤ教から見れば、真に、えらいこっちゃです。当然、死罪に値しますが、その事で、永遠にイエスの神格化が確定してしまったのが、キリスト教ですね。だから、イエス誕生を西暦の出発点の『ゼロ点』にして、BCとADに分離しています。この事を日本人はあまりに見知らなすぎるから、『おまかせ民主主義』や『たなぼた民主主義』と揶揄されたりしても、一向に気にならない。だから、西洋社会では、十字軍→ルネッサンス→16世紀に宗教改革が起こり、キリスト教の聖書を個人でも読むようになり、個人の倫理・道徳に目覚めていくことに繋がります。そして、上からのトップダウンによる律法から、下からのボトムアップによる法律を作り上げるようになります。その意味では、実は『近代や近代化とは、キリスト教化である』とも言える。ところで、経済学は、近代という特殊な環境下でのみ有効な特殊な学問です。何故なら、対照的に前近代において、『‟前近代”の経済学など』といった体系的組織化による一般化がなされた試しがないからです。しかも、どんなに新しい経済理論が後から後から現れようとも、結局、大別して2つの経済理論に集約できる。1つは、ケインズ経済学。もう一つは、英国古典派の経済学。経済学の面白い処は、他の科学では否定されがちな循環論(円環論:サイクリック)が成り立つ特徴がある事でしょうね。だから以下の特徴がある。■ケインズ経済学有効需要の原理を前提に、ケインズのジレンマとして『個人の貯蓄は、全体を貧しくする』という合成の誤謬で、積極的に政府の介入によって財政政策や金融緩和が重要な意味を持ち統制経済として成り立ちますね。だから、需要が供給を生む事(Supply on demand=Demand creates its own supply)から、当然、需要に見合う供給が確実にある事から方程式(equation:Y=c+I)として成り立ち、“解”を解く事が可能。■英国古典派_経済学加速度原理と比較優位説を前提に、マンデビルのジレンマとして『個人の悪徳(利子・利潤・利益の追求)は、全体の美徳』という合成の誤謬で、政府の介入は極力消極的に抑制し、市場での自由な取引(自由放任:レッセフェール)による自由経済として成り立ちますね。供給が需要を生む事(Demand on supply=Supply creates its own demand)というセイの法則が成り立ちますので、恒等式(identity:Y≡c+I)が成り立ち、“解”を解く事がそもそも不可能。■参考書籍 →日本人のための憲法原論(一押しのオススメ本!!!)■参考書籍 →数学を使わない数学の講義■参考書籍 →数学嫌いな人のための数学―数学原論■参考書籍 →経済学をめぐる巨匠たち
斉藤さんを絶賛している佐藤優さんとの対談の設定をお願いいたします!
佐藤は、神学的マルクス主義者だからね。
単純にいわゆる奨学金を借りる前に、それは借金ということも含めて、充分に奨学金とは何か、借りるメリットデメリットなどを教えて、充分に考えさせて、判断させんと。
若い人が将来に対して不安を感じるのは当然ですよね。それは健全な状態ではないでしょうか?日本は世界で唯一この30年全く成長していない横ばいの国ですよね。その他の国はどんどん成長してる。高齢者は10年後20年後どんどん死んでいなくなります。その遺産を相続するのは若い世代ですよね。何が問題なんでしょうか?今焦って社会主義の国にしてしまって独裁者が生まれたらどうします?共同富裕なんていやです。世界中がそんなことになっても世界で唯一そんな事に陥らない最後の国があるとしたら日本であって欲しいです。
当然な状況がやばいんだろ
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もし私がこの論理にそって解決策を想像するなら、世界トップクラスの金持ちを定期的に抹殺する案を提示する。
多分、彼の方法よりもコストが掛からずに富の再分配が可能になる。
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民主主義は、『政治に人民が参加する』という意味においては、歴史・伝統・文化が違う為、それぞれの地域や国、または、その地域や国のそれぞれの時代、即ち、空間軸や時間軸で意味合いが変わってきます。
従って、前近代と近代で全く意味合いが違います。
だから、共産主義も近代思想である為、近代民主主義とも言えます。
だたし、共産主義は、『私有財産の禁止』や近代法・社会主義(統制経済システム)が成り立つ事を前提になっています。
ソ連は、この前提が成り立っている事になっていましたが、実質と形式が乖離しすぎたから、結局、崩壊してしまいました。
よって、民主主義の対抗概念は、共産主義でも社会主義でも専制主義でも全体主義でも独裁でも寡頭政治でもなく、神聖政治(シオクラシー)でしょうね。
近代思想では、政教が分離して、個々人の倫理・道徳が存在する余地がありますが、前近代的な神聖政治では、基本的に政教の明確な分離はなく、例え有ったとしても、少なくとも曖昧さを残したままにしている事で、個々人の倫理・道徳が存在する余地を殆ど残しません。
民主主義の成り立つ集団では、自立した個人の集まりが、社会(Society)を構築(または過渡期としての理想と)しますが、神聖政治の成り立つ集団では、世間(漠然とした伝統的慣習や掟・仕来り・習わし・風習)からどれだけ離れているかで常識人や非常識人が確定します。
だから、古代ユダヤ教(神聖政治=政教一致)では、タコやイカを食べてはいけない等の食物規定がありました。
決められた当初は、それなりに合理的な理由もあったでしょうが、時代が下るに連れ、伝統的慣習となり正統性を帯びますが、時代や世代(また、国や地域)に沿った正当性は失われていきました。
そこに、古代ユダヤ教の改革者である救世主としてのイエスが誕生(キリスト教が誕生=伝道者パウロの創設した宗教が誕生)してきます。
政治と宗教の狭間で、個々人の倫理・道徳を内なる人格神から導き出し、確立したのですから、古代ユダヤ教から見れば、真に、えらいこっちゃです。
当然、死罪に値しますが、その事で、永遠にイエスの神格化が確定してしまったのが、キリスト教ですね。
だから、イエス誕生を西暦の出発点の『ゼロ点』にして、BCとADに分離しています。
この事を日本人はあまりに見知らなすぎるから、『おまかせ民主主義』や『たなぼた民主主義』と揶揄されたりしても、一向に気にならない。
だから、西洋社会では、十字軍→ルネッサンス→16世紀に宗教改革が起こり、キリスト教の聖書を個人でも読むようになり、個人の倫理・道徳に目覚めていくことに繋がります。そして、上からのトップダウンによる律法から、下からのボトムアップによる法律を作り上げるようになります。
その意味では、実は『近代や近代化とは、キリスト教化である』とも言える。
ところで、経済学は、近代という特殊な環境下でのみ有効な特殊な学問です。
何故なら、対照的に前近代において、『‟前近代”の経済学など』といった体系的組織化による一般化がなされた試しがないからです。
しかも、どんなに新しい経済理論が後から後から現れようとも、結局、大別して2つの経済理論に集約できる。
1つは、ケインズ経済学。もう一つは、英国古典派の経済学。
経済学の面白い処は、他の科学では否定されがちな循環論(円環論:サイクリック)が成り立つ特徴がある事でしょうね。
だから以下の特徴がある。
■ケインズ経済学
有効需要の原理を前提に、ケインズのジレンマとして『個人の貯蓄は、全体を貧しくする』という合成の誤謬で、積極的に政府の介入によって財政政策や金融緩和が重要な意味を持ち統制経済として成り立ちますね。だから、需要が供給を生む事(Supply on demand=Demand creates its own supply)から、当然、需要に見合う供給が確実にある事から方程式(equation:Y=c+I)として成り立ち、“解”を解く事が可能。
■英国古典派_経済学
加速度原理と比較優位説を前提に、マンデビルのジレンマとして『個人の悪徳(利子・利潤・利益の追求)は、全体の美徳』という合成の誤謬で、政府の介入は極力消極的に抑制し、市場での自由な取引(自由放任:レッセフェール)による自由経済として成り立ちますね。供給が需要を生む事(Demand on supply=Supply creates its own demand)というセイの法則が成り立ちますので、恒等式(identity:Y≡c+I)が成り立ち、“解”を解く事がそもそも不可能。
■参考書籍 →日本人のための憲法原論(一押しのオススメ本!!!)
■参考書籍 →数学を使わない数学の講義
■参考書籍 →数学嫌いな人のための数学―数学原論
■参考書籍 →経済学をめぐる巨匠たち
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佐藤は、神学的マルクス主義者だからね。
単純にいわゆる奨学金を借りる前に、それは借金ということも含めて、充分に奨学金とは何か、借りるメリットデメリットなどを教えて、充分に考えさせて、判断させんと。
若い人が将来に対して不安を感じるのは当然ですよね。それは健全な状態ではないでしょうか?
日本は世界で唯一この30年全く成長していない横ばいの国ですよね。その他の国はどんどん成長してる。高齢者は10年後20年後どんどん死んでいなくなります。その遺産を相続するのは若い世代ですよね。何が問題なんでしょうか?今焦って社会主義の国にしてしまって独裁者が生まれたらどうします?共同富裕なんていやです。
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